第42話 愛にすべてを
戦士ゲーゴスことサンダルフォンとの決着を着けたウェスタ。
すでに二つの世界を切り離す儀式の始まっている結界城に単身突入した。
城内には誰もいなかった。まっすぐに玉座の間を目指し扉を開ける。
いた。
兜代わりの髪飾りとと短めのマント、腰には剣を下げた黒髪の少女。
自身に魔力を集中させ、詠唱しているアイギスは光輝いていた。
神々しいとはこの事だろうと思わせる姿だった。
たが見とれている訳にはいかない。
ウェスタの目的は彼女の魔法の儀式を中止させる事なのだから。
「アイギスーッ!」
大きな声で呼びかけるとアイギスは驚いてウェスタの方を向いた。
「ウェスタ?!」
久しぶりに再開した二人だが、感動の再会と言う訳にはいかない。
アイギスはすぐに気まずそうにうつむいた。
「ゲーゴスがあなたの相手をすると言っていたのに……。倒したの?」
「石になってもらってはいるが無事だ。そんな事よりだ」
ウェスタはアイギスに近づいて行く。
「来ないで!」
アイギスは魔力の集中をしたまま叫んだ。
「もう少しで全て終わるから邪魔をしないで。あなたもこの城を脱出して」
「そうはいかない」
ウェスタは立ち止まりはしたが、そう言って続けた。
「この城を人間界と魔界から切り離し、二つの世界を分断する事が君の狙いなのか?」
「そうよ。それが世界を平和にする唯一の道だわ」
「そんな事はない。大体今だって人間界で大勢の魔族が天使と戦っている」
「それなら心配しないで。『知恵の果実』の『テレポーター』の能力でそれぞれの世界に帰してあげるわ」
「知恵の果実」にはそんな力まであるのか。ウェスタは驚いた。しかし、
「だが、ゲイリーの恋人は彼の子供を身籠っているんだぞ」
サイクロップス族のゲイリーの恋人は人間なのだ。
「そうなの?」
「ああ、そうだ。二人を引き離すのか。かわいそうじゃないか」
「そう…、いえ、でも……」
アイギスは俊巡したようではあったが、
「やっぱりだめよ。戦いを止めないと。世界が繋がっている限りどちらかがどちらかを滅ぼそうとするの。
世界を守るためにはこうするしかない」
「世界のことは世界の一人一人が背負うものだ。自分一人で考えるな」
「カリスは魔界と魔族を滅ぼすためにわたしを作ったのよ。それにわたしはたくさんの魔族を殺してる。わたしがあなた達と仲良くする訳にはいかないわ」
「君は大魔王の侵略から人間界を守るために戦ったんだ。それを責めたりしない」
「それにわたしを作るためにブラムさんの娘が殺されているのよ」
彼が激高した時の事を思い出すと胸が締め付けられるように痛む。
「彼の事なら君に敗北した事が悔しくて感情的になってしまっただけだ。ちゃんと謝罪させる。わたしが叱っておいたから何の心配もいらない」
「叱ったの?あの人を?」
ブラムを叱るウェスタは想像できなかった。
「ああ、本当さ」ウェスタは自慢げにいったが、
「その後ヘルセーにひっぱたかれたけどね」インゲルに補足されてしまう。
「ヘルセーってあの巨人の女の人に?大丈夫?」アイギスは目をまん丸にして驚いている。
「問題ない」
「嘘を言え。死ぬかと思ったわい」大メデューサにも補足されてしまう。
大メデューサはウェスタがビンタされた時に巻き込まれたのだった。
「あんまり無茶しないでね」アイギス心配そうに言った。
ちょっとだけいい雰囲気になった今がチャンスだとウェスタは思った。
「そうだ。アイギス、これを見てくれないか」
シラクス市のレストラン、アンギティア・リストランテでもらったメニューを見せた。
「これは?」
「デートに行く約束をしただろう。下見に行って来たんだ」
そう、シラクス市に初デートに出かける約束をしていた。
夜景がきれいなレストラン、そんな事は忘れていたが確かに約束した。
アイギスはパスタメニューの豊富さに驚いていた。海の幸、山の幸共に豊富に手に入るシラクス市ならではの品目数だ。
食い入るようにメニューを見詰める。
「この中だったらほうれん草としめじのパスタのヘルシーさを推すね」
「わたしはこの赤トウガラシとトマトソースのパスタがいい」
アイギスは即答した。
「辛いのが好きだったのか。意外だな」
「ジャンヌはスパイシーなものはあまり食べさせてくれなかったの。でも好き」
アイギスはそう言うとはにかんだ笑顔を見せた。
「そうか。じゃあ赤トウガラシのパスタにするといい。デザートは?」
「もちろん食べたい!」
「どれがいい?」
「うーんとね……」
アイギスははっとした。
ちがう。そうじゃない。
どうしてこんな話をしているのか。
ほんのちょっと彼と雑談しただけなのに胸を締め付ける思いは消えてしまった。
とても楽しい気持ちになった。
しかし、そうじゃない。
わたしは人間界と魔界を切り離しにここに来たのだ。
儀式はまだ続いている。
「だめよ」
「どうして?」
「わたしは世界を切り離すの。パスタ屋なんか行かない」
「もう予約してしまった」
「わたしは行かないわ。一人で行って!」
赤面して拒絶はしたのだが、何かおかしい。
楽しい気分のままだ。決断したはずの悲壮な思いが戻って来ない。
あの胸の張り裂けそうな気持ちに戻れない。
「赤トウガラシのパスタを食べたいんだろう?デザートだって食べていい」
「わたしは魔族を滅ぼすために創られたんだよ」
「作った者の都合なんて気にするな。君の生きたいように生きればいい」
「そんな訳にはいかないわ」
「どうして?」
「わたしはあなた達の敵なんだよ!」
「敵じゃない」
「わたしの事はもう放っておいて。どうしてそんなにわたしに構うの?そんなにデートがしたいの?」
「デートはわたしの都合だからこの際忘れてもいい。とにかくこんな城に一人で籠るのはだめだ」
世界の事もデートの事もどうでもいいとはどういう事なのか。
ウェスタの言っている事がアイギスには理解できない。
「君は自分の人生を歩むんだ。自分で決断した自分の人生を」
「どうしてわたしの事をそんなに気にするの?」
「わたしの人生を変えてくれたのが君だからだ」
「わたしが……?」
「わたしは一人では大魔王の命令に逆らえなかった。わたしは勇者である君に殺される運命だった。
そうでなくとも命令に逆らえないわたしの心は死にかけていた。
君が救ってくれたんだ。君がわたしを信じてくれたからなんだ」
もしも解り合えなかったら、どちらかが倒されていたら。
泥沼の戦いが続いたのかも知れない。しかも魔界はカリスによってとっくに滅ぼされていたのではないか。
人間界への侵攻が始まってしまった時点でウェスタの求める平和と自由の実現は絶望的な状態だった。
アイギスへの共闘の呼び掛けも、駄目で元々の、半ばヤケになってのものだった。
「だからわたしは君を諦めない」
「わたしの事を助けようとしてくれるのは嬉しいけど、そのためにみんなに迷惑がかかったら……」
アイギスはすすり上げていた。
「そんなの……嫌だよ……」
大粒の涙がポロポロあふれて来た。
「わたしが存在している事であなたに迷惑がかかるなんて、そんなの……そんなのやだよぉ……」
号泣していた。抑え込んでいたものが止まらなかった。
「分かってないな」
アイギスは一瞬何が起こったのか分からなかった。
気が付いたら優しく抱き締められていた。
「全て一緒に引き受ける、一緒に背負う」
ウェスタの顔が近づいて来る。
「そのために君に会いに来たんだ」
目と目が合う。お互いの吐息を感じる。
「一緒に生きよう」
そして、ウェスタに口付けされていた。
誰にも祝福されず、ただ重い罪だけを背負って生まれて来た事が悲しかった。
冷たく、暗い世界で一人になる事を望んでいたはずだった。
消えてしまう事だけが救いのはずだった。
しかし、アイギスは両手をウェスタの頬に添えていた。
本当はみんなと繋がっていたい。
人の温もりの中にいたい。
彼と一緒にいたい。
その時、魔法の障壁は消えた。儀式は中断された。
二つの世界は再び繋がった。




