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中魔王メデューサ  作者: 隘路(兄)
34/46

第34話 誰も僕を責めることはできない

【今回のダイジェスト】

「ああ…、ここはどこですか……。わたしは…戻らないと……」

「背中の傷は重傷だし、血液もだいぶ失っているし、熱もあるんだ。安静にしてなくちゃいけないよ」

「驚いた?お姉さんは特別な天使なんだ」

「あなたは魔王軍と戦いたくはないという事ですか?」

「いや、人々を守りたい気持ちはあるよ。この前も魔王を一人殺したし」

 スフィンクス族の少年魔王アンクは、かつて石像「美の女神カリス」が安置されていたピエーロ美術館を訪れた。

 しかし、そこで女神カリスの襲撃を受けてしまう。

 逃亡に失敗し谷底に落ちたアンクだったが、タルトレットに助けられ一命を取り止め洞窟で目覚める。


「お姉さんはタルトレット=レミ。君は?」

「アンク……です」

 何とかそれを口にし、アンクはこれまでの事を思い出す。


 女神カリスに襲われた事はトラウマだった。

 思い出すだけで動悸がしてくる。

 魔法で色白で金髪の姿に変化したが、効果が本当にあった確証はない。

 今にも十二枚の翼の羽ばたきが聞こえるのでは?と気が気ではなかった。


 好奇心で人間界に赴くなど軽率ではなかったか。

 その上ピエーロ美術館に立ち寄った事によって女神カリスに目を付けられた。

 彼女の秘密を知った今や、世界中で最も命を狙われる立場だ。


 一方で女神の目的が魔界を滅ぼす事である以上、美術館で得た情報は持ち帰らなければならないとも思う。

 魔界が滅ぼされる前に何としても仲間の元に帰還しなければ……。


「ああ…、ここはどこですか……。わたしは…戻らないと……」


 起き上がろうとしたところで不意に手を握られた。

「大丈夫。もう怖くないよ」

 女性の手は意外と冷たい。冷え症なのかもしれない。

「背中の怪我は落ちた時のものじゃない。怖い思いをしたんだろうね」

 その通りだが、女神の仕業とは人間相手にはとても言えない。

「でももう大丈夫だよ」

 そう言った女性の笑顔を見ていると不思議と気持ちが落ち着いてきた。

 安心できる根拠など何もないのだが、動悸も収まってしまう。

「アンク君ね。一つ君が知っておかなければいけないのはね、意識が戻ったくらいで怪我が治ったと思ってはいけない事さ」

 言われてみると今は起き上がる事すらできそうない。

「背中の傷は重傷だし、血液もだいぶ失っているし、熱もあるんだ。安静にしてなくちゃいけないよ」

 そもそも背中の傷とは羽が切り落とされた傷だ。

 もう空を飛ぶ事はできない。覚悟を持って戦いに望んだはずだが、実際にそうなってみるとショックは大きかった。

 復元の方法が見つかればいいが。

 ここがどこだとしても羽がなければ結界城までの道のりは困難極まりないものになるだろう。


「栄養を取った方がいいね。お粥なら食べられる?」

 タルトレットは鍋を火にかけていた。

「は…はい……」

 言ったものの熱のせいか腕を上げるのも億劫だ。確かに空腹ではあるのだが。

「食べさせてあげるよ」

 女性はスプーンをアンクの口まで運んで食べさせてくれた。

「こんな事まですみません」

「いいんだ、大怪我なんだから。意識が戻ってよかったよ」

 この人はなぜこんなに優しくしてくれるのか、ただただ申し訳ない。

「あんまり人と付き合いがないもんでね。こういうのも楽しいものなんだ」

 こんな洞窟に住んでいると、という事だろうか?とアンクは思った。そう言えば彼女はなんでこんな所に住んでいるのだろう?

 しかし、食事が終わると眠くなって来た。

 タルトレットと名乗った女性の笑顔を素直に好ましく思う。

 心から信じたくなる安らぎを感じる。

 と、思っていたらすぐに眠くなってきた。

 こうなると眠気に逆らえない。まだ身体が休息を必要としているのだろう。

 アンクはまた眠りに付いた。


 次に目覚めた時、アンクは大分楽な気分になっていた。

 熱も引いたようだ。

「おはよう。元気そうだね」

 タルトレットの声が耳に入る。ずっと看病してくれていたのだろう。


 熱が引いたのなら動いてみたい。どの程度動けるのか知りたい。

 それにその後の仲間の事も気掛かりだ。

 カリスが本腰を入れて攻め込んで来てはいないだろうか。

 こんな所にいていいのか。


「い…行かなくては……、ぐぅ…っ!」

 上半身を持ち上げたところでタルトレットに止められる。

 また寝かし付けられてしまう。

「無理をしちゃあだめだって。ゆっくり、ゆっくりだよ」

「仲間に危険が迫っているかも知れないんです……。恐ろしい敵が…迫って……」

「とにかく起きるにしても少しずつ、いいね?君がどこから来たのかは知らないけど、ここを去るのはまだ先だよ」


 そんな事を言ってられるか、と思ったがその日は外の川で水浴びをしただけでぐったりと疲れてしまった。

 その後食事をしたらまたすぐ眠くなってしまった。


 何日か経つと徐々に気持ちに余裕が生まれ、また体力を回復させないと仲間の元へ戻れない事も理解した。

 少しずつ体を動かす時間を増やし、体力の回復に専念する。

 それでも魔族の仲間の事は気掛かりで仕方がない。


 さり気なく戦いが起こってないか聞き出すと小競り合いは起こったと言う。

 まだ魔族が結界城にいるらしいから女神の軍勢に倒されたのではないのだろうが、やはり危険な状況になっている。

 自分が女神に関する情報を持ち帰る事ができるかどうかが重要な鍵になって来るのかも知れない。

 ますます戻りたい気持ちは募って行く。


「君には気分転換が必要だよね」

 ふいにタルトレットにそう言われる。

「一緒に近くの村に行ってみようか」

 軽く伸びをしているが、この洞窟は渓谷の底にある。人里に向かうのはかなり大変そうだ。

「ちょっと支度をしちゃうからね」

 タルトレットはそう言うと祈るように意識を集中させた。すると…、


 羽ばたくような音が響く。いや実際にタルトレットの背中に白い翼が現れ、羽ばたいている。

 まるで天使のような姿。いや何度も天使と戦っているのに今さらまるでじゃない。

「驚いた?お姉さんは特別な天使なんだ」

 アンクは言葉を失った。彼女は人間でない。

 言葉を発する上級天使、熾天使である。

 自分の命を救ったのは、重傷を負わされた女神カリスの配下だった。

 指揮官クラスの敵に命を助けられていたようだ。


 もちろん正体が知られたら危険な相手ではあったが、アンクはそれよりも彼女を騙していた事に良心の呵責を覚えた。

 正体を隠したのはカリスに発見されてしまうからだが、結果としてはタルトレットにも隠し事をしている。

 正直に自分は魔王である事を明かすべきか。しかし今はどうあっても情報を持ち帰らなければ。


 どうしたらいいのだろう、命の恩人を騙すのか、とためらっていると、

「さあ、行こう」

 柔らかなあたたかい感触に包まれたと思ったら体が宙に浮き上がっていた。


「近くの村まで行くよ」

 亜麻色の髪が視界に入り、甘い香りを間近に感じる。

 久し振りの空を飛ぶ感覚。

 程なく広大な畑と点在する建物が見えて来た。

「いい眺めだろう?」

「はい……」

 正体を隠す事にした訳ではないがアンクは黙ってしまった。

 空からの眺めが美しいと言うのは確かにそうだ。

 体力が戻ってなくて、思考が鈍っているというのもそうだ。

 しかし、アンクはただこの時間を壊したくないと思った。

 自分の命を助け、看病し、あっさりと目の前で天使になり、一緒に空の散歩に連れ出してくれたタルトレットとの関係を壊したくないと思った。


 そのまま目当ての村の近くの小高い丘で着地した。

 結局、アンクは言葉を発しなかった。秘密を打ち明ける事はできなかった。

「どう、怖かった?」

「いえ、安定した飛行でした」

「ふふ……、面白いね、君」

 羽根をしまったタルトレットは普通の人間に見える。

 この人物が本当に敵の指揮官の一人なのかと信じられなくなる。


「食べ物を分けてもらうんだ」

 タルトレットはふところから麻袋を取り出すと言った。

「ただで分けてもらえるものなのですか?」

「まさか!畑を手伝うんだよ」

 タルトレットは腕まくりをして言った。

「人手不足だからね!」

 タルトレットの畑仕事は手馴れたものだった。

 老人や子供がメインの状態でリーダーシップを握っていたと言ってもいい。

 夕方頃には袋一杯に食べ物を分けてもらっていた。


「いやあ、いい汗かいたよね、実際」

 タルトレットはすがすがしい表情で戻って来た。

「アンク君も元気になったら手伝ってみようよ。お姉さんが教えるし」

「畑仕事の経験があるんですか?」

「元々農民だった。こういう畑に囲まれて育ったんだ」

 タルトレットは懐かしそうに、楽しそうにそう言った。

 気持ちのいい風が畑を揺らす。

 晴れた空で寒くもなく気持ちのいい風に吹かれる。

 タルトレットの髪がなびき、甘い香りを運んで来る。

 魔界育ちのアンクにとって生まれて始めての感覚だった。

 ずっとこうしていたいと思う。


 しかし、はっきりさせなければならない事もある。

「今は天使として戦っているんですか?」

 さすがに彼女はこの質問に対しては笑顔ではなかった。

「まあね。戦いのために生き返されたからね」

「生き返された?」

「うん、今から百年前、馬鹿な農村娘が剣の才能と、土地勘で英雄にまで祭り上げられた。

 それがあたし。女神様が魔族との戦いのために復活させて、熾天使とか言うのにしたんだ」

 魔族との戦いのためか。やはり彼女とはいずれ戦う運命なのか。

「まあ、あんまり興味ないんだけどさ」

 タルトレットは不可解な事を言って来た。

 もちろん、アンクとしては人間界を侵略する気はないし、戦いたくもない。

 しかし、熾天使に選ばれたタルトレットが魔族との戦いに興味がないとはどういう事だろう。


「戦争には百年前の戦いで飽き飽きしてるんだよね」


「君は百年前の戦争は知ってる?ボルジア王国とヴァロア王国の戦争を」

「いえ」

 アンクは人間界の歴史にはそれほど詳しくない。

 ただ最近はあまり人間界で戦争は起こらなくなったらしいと聞いた事があるくらいだ。

「あたしは英雄に祭り上げられたと言ったけど、戦争が終わったら処刑されたんだ」

「!何故ですか?」

「魔女の疑いが掛けられた。王家を呪っているとか」


 もちろん、これは濡れ衣だった。

 国王や王子がタルトレットを危険視したからだった。

 タルトレットの方が指導力もカリスマ性もあったので、立場を揺るがせられそうだと思ったからだ。

 彼女は何度か間違いを正すために王子をなじった事はあったが、王家を呪ってなどいなかった。

 ただ、彼らの嫉妬に関しては理解できない心理ではないと思い、さしてショックを受けた訳ではなかった。


 しかし、自分が魔女と審判され、処刑される際の民衆達の嫌悪に我が目を疑った。

 王家としては英雄を処刑して民衆の反感を買う訳にはいかなかったので、タルトレットの呪術的な儀式の事実を捏造していた。

 その捏造の手際はいわゆる権謀術数という奴で、政敵を追い落とすのに以前からの使い古されたやり方だった。

 効果はてきめんで、民衆を欺き、英雄を魔女に変えるのはたやすい事だった。


 だが、一村娘に過ぎなかったタルトレットの受けた衝撃は大きかった。

 他国の侵略から国を守るために戦った事を民衆は簡単には忘れてしまったのか。

 何故そう簡単に王家の流すデタラメを信じてしまうのか。

 戦争を終わらせたかった。その能力が自分にあるのなら戦わなければならないと思った。

 あたしは人々の幸せを守りたかっただけなのに。

 深い絶望の中で彼女は火あぶりに処されたのだった。


 深い絶望は彼女の魂を地上に留まらせた。

 十年後、タルトレットの魔女認定は捏造だとする文書が発見され、彼女は聖女に認定された。

 しかし、彼女の魂はその状況を全く嬉しいとは思わなかった。

 人々が豪華な墓所を作り、献花の絶えない状況になっても何とも思わなかった。

 端的に言うなら下らないと思った。

 自分の本当の想いを踏みにじって火あぶりにした教会と同じように、手の平を返して英雄扱いする民衆に失望した。


 女神カリスから、熾天使にするべき英雄英傑の一人として選ばれた事にも誇らしい思いはなかった。

 天使達を率いての軍団戦などに身が入る訳などなかった。

「誰かに担がれて戦争をするなんて本当はまっぴら」


「あなたは魔王軍と戦いたくはないという事ですか?」

「いや、人々を守りたい気持ちはあるよ。この前も魔王を一人殺したし」

 聞き捨てならない台詞だったが、今はその話をすべき時ではない。

「まあでも侵略して来ないなら根絶やしにする気とかはないよ、あたしはね」


 この人物とは和解する余地があるだろうか。

 魔界と人間界どころか魔界と天界の架け橋になってくれはしないか。

 だがそれを言うなら自分も魔王である事を明かさなければ。


 仲間の元に戻って戦場で再会などしたらもう弁明の余地はないだろう。

 だが、正体を明かせばカリスに察知されるかも知れない。

 それに、命の危険がないとしても本当の姿を見られるのは怖かった。


 自分を見る目が激変し、今までかわいがってくれたのが侮蔑の視線に変わるかも知れない。

 だが、そうはならないかも知れない。

 手の平を返される辛さを知っていて、必ずしも魔族を憎んでいない彼女なら、あるいは魔王としての自分を受け入れてくれるかも知れない。


 正体を明かすべきか。

 危険を犯す事になるが、熾天使の一人と和解できるチャンスかも知れない。

 しかしタルトレットがいい返事をくれても、その事で彼女に迷惑を掛けるかも知れないし危険が及ぶかも知れない。


 それに……、本当はこのまま彼女と一緒にいたかった。

 回復したら畑仕事を手伝う、それが現実逃避なのは百も承知だ。

 しかし、話を持ち掛けられた時、一瞬そのように生きたいと思ってしまった。

 そして、彼女の過去を知った事で、一層離れたくない自分がいる。

 自分はどうするべきなのか?どうすれば仲間も彼女も守れるのか。


「ごめんごめん、重過ぎだよね、そんなに気にしないでよ」

 タルトレットははにかんでいた。

「百年も前の事なんだからそんなに深刻になる事ないって」

 もちろんアンクが何に悩んでいるかなど知りようがないだろう。心配させ過ぎたと思っているようだった。

「お姉さんより真剣に悩むもんじゃないよ。それに君達のような子供達を守る事に迷ってはいないんだ」

「迷っていない?」

「うん、やる事は結局決まってるんだ。だから今日も畑仕事なんかしちゃうんだよね」


 結局その日は真実を打ち明ける事はできなかった。

 その後もアンクは体力回復に努めた。タルトレットに連れられ、農村へも行った。

 しかし、アンクの心にもはや迷いはなかった。

 やる事は決まっている、自分だってそうだ。

 ウェスタやゲイリーと人間界に通ったのはただの好奇心だったが、今は違う。

 もはや二つの世界を平和にできるかどうかは自分の問題になった。

 例え羽が折れようとも必ずそれを成し遂げてみせる。


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