第26話 死の聖天使ガブリエル
大魔王ブラムとウリエル、ミカエルが空中で戦い始めたのを救援したかったヘルセーとザデン。
しかし、その行く手を阻む者がいた。
「さあさあ、かかっておいでよー!」
ザデンとヘルセーの前にいるのは亜麻色の髪と青い法衣の女性の姿をした熾天使ガブリエル。
彼女は飛び回りながら言った。
「あとがつかえてるんだよねー」
「その通りだな」
ザデンは髪をかき分けると魔力を集中させる。
「さっさと死ね」
バロール族の切り札、「致死の凶眼」が炸裂した、が。
「今なんかした?」
ガブリエルには効果がない。
「天使相手には効果がないんじゃないの?」
「馬鹿な!何人たりとも死をもたらす『致死の凶眼』だぞ!」
「ああ、そういうの?
残念、いやあ残念」
ガブリエルはけらけらと笑っている。
「お姉さんは人間としては死んでるからさあ。効かないんだよね、そういうの」
一度処刑され、埋葬までされたタルトレット=レミがアセンションしたガブリエル。確かに一度は死んでいる。
「なんか君とは気が合う感じがしてたんだよね」
ガブリエルは剣を抜いた。細い針のような刀身、レイピアだった。
バロールも鎌を構える。
「死の臭いって言うかさあ」
ガブリエルが飛び掛かって来る。
「分かる?」
ザデンは敵の動きを読んで大鎌で薙いだ、はずだった。
木一本が横に真っ二つに切り裂かれる。凄まじい力と素早さの一撃だった。
しかし、ガブリエルを捕える事はできなかった。
それどころかその姿を見失ってしまった。
「ぐっ、どこだ!どこ……」
「ねえ、分かる?」
「がはっ!?」
ザデンの背中に鋭い痛みが走った。後ろに回り込んでいたガブリエルがレイピアで突き刺したのだった。
「貴様っ!」
ザデンもすぐさま振り向いて反撃をしたので傷は浅かったが、やはり大鎌は回避された。
横で見ていたヘルセーはガブリエルの素早さに圧倒された。攻撃の瞬間まで姿を捉える事ができなかった。
ザデンを援護するには……。
「敵の武器の攻撃力は低い。もう一度俺を狙って来たら氷の魔法で攻撃しろ」
「言われなくたって分かってるわ!」
このわたしに命令していいのは大魔王様だけだ。
鎧兜を纏ったヘルセーよりはザデンを狙って来るだろう。
二人いるアドバンテージを活かす事に勝機を見出すしかない。
上空に再びガブリエルが姿を見せる。
「分かったよ、どうして死の臭いがするか」
「ほざいてろ」
ザデンは自分の身体で相手を取り押さえ、動きを止める覚悟だった。
スピード重視のレイピアなのだろうが、威力の小ささが命取りだ。
ザデンも巨人族のヘルセーほどではないが巨漢を誇っている。打たれ強さには自信がある。
「さあ、掛かって来い」
ガブリエルが再び姿を消す。
そして予想通りザデンを狙って来た。
しかしザデンはガブリエルを取り押さえる事も、動きを止める事もできなかった。
そして、姿を現したガブリエルの変化にヘルセーは気が付いたが、アドバイスを与える間もなかった。
何故なら次の瞬間、ザデンの首が斬り落とされていたからだった。
「死が近かったからだね!」
ヘルセーは初めは何が起こったのか分からなかった。
ガブリエルがレイピアを手にしていないと思った瞬間、驚愕の表情の生首が視界から消えた。
そしてつられる様にその胴体も崩れ落ちて行った。
断末魔の悲鳴すら聞こえない一瞬の出来事だった。
ガブリエルの手には光り輝く短い刃があった。
ナタのような太さの鋭い刃が魔法で創り出されたのだった。
「攻撃力が低いなんて決めつけちゃ、ダメだよねえ」
ニヤっと笑うガブリエル。レイピアは鞘に収まっている。
「なめていたのはそっちの方だったね!」
「ちぃっ」
ヘルセーは氷の刃を飛ばして攻撃しつつ自身も突進した。
「おっ、かたき討ちしちゃう?」
ガブリエルは迎撃の構えで迎え打つ。ところが…
ヘルセーはそのままザデンの近くを通り抜け、森の中を駆け出した。
「じゃなくて逃げちゃう?」
恐るべき素早さと攻撃力だった。まともに戦ったら勝ち目はない。
ヘルセーは即座に逃げる判断をした。
いくら素早いとは言え、大きな翼は森の中では邪魔になる。
ヘルセーの長身すら隠れる背の高い木々の森だ。
一瞬でザデンの首をはねた強敵だが、地形を利用して逃げおおせる事は可能なはずだ。
「いい判断と言いたいところだけど」
ガブリエルが話し掛けて来たが、ヘルセーは構わず駆けた。
「お姉さんは全部織り込み済みだよ?」
全力で駆ければ逃げられると思ったがガブリエルは森林の背の高い木をかわしながら高速で迫って来た。
「こんな速さで木にぶつからずに!?」
「でもお姉さんの売りはスピードじゃないよ。お姉さんは安全第一なんだ」
ガブリエルはぐんぐん距離を詰めながら言った。
「上空からこの辺りの地形を下見しておいたんだ。バッチリ木の配置が頭に入ってるんだよ」
上空から木の配置を把握し、森の中で高速飛行を行う。
そんな事が可能なのか、ヘルセーはにわかに信じられなかったが、現実にせっかく距離を話したのに肉薄されつつある。
この観察力と卓越した剣技がタルトレット=レミが英雄と呼ばれたゆえんだった。
「さあ!追いついた!」
「あぐっ!」
レイピアがヘルセーの右肩を貫いた。
「お姉さんは軍勢を率いていたから人を見るのが得意なんだ」
「何の話……?」
空中を飛びながら囁くガブリエルに、傷口を押さえながらヘルセーは答えた。
「君もさっき倒した彼も、お坊ちゃんお譲ちゃん育ちだよね」
「だから何だって言うの?」
「クレバーじゃないんだ。端的に言うと洗練されていない。
感情で動いているだけだからお姉さんには勝てない。
戦いだけじゃなく、人生だって思うようにならない」
「大外れだわ…、わたしは大魔王様の側近、魔界のトップよ!」
言いながら実際はヘルセーは動揺していた。
当然自分に従うと思っていた恋人のゲイリーが自分の元を去った。
大魔王ブラムが傍流のメデューサに敗れる事など思いも寄らなかった。
「感情のままで何がいけないって言うの?!これがありのままの自分だわ!」
動揺させる気なのか?そうはいかない。速度を緩めてなるものか。
「そういうのをありのままじゃなくって、なされるがままって言うのさ」
「黙れ!黙れっ!」
雑音に心が乱れるが鋭い激痛の中、ヘルセーはまだ走り続ける。
「それに人間、ありのままで何が身に付くんだ、ってね」
「くうっ!」
次は左肩だった。
「魔物の事はよく分からないけど、大体一緒だよね」
ガブリエルはレイピアの血を払い落とした。
今度の一撃は深手だった。
「うーん、なぶり殺しは性に合わないから一思いに殺してあげたいんだけど」
「死んで…たまるものか……!」
苦痛と疲労で走る速度も明らかに落ちた。それでもヘルセーは前に進む。
巨人族の足音は大きく森に響く。北の高山地帯も近く、木々の雪もぱらぱらと落ち始めた。
「そろそろ本当に殺すよ」
ガブリエルは慎重にレイピアの狙いを定める。心臓を一突きだ。
獲物のスピードは落ちている。今度こそ的を外す事はないだろう。
そう思った矢先だった。
「スノードリフト!」
前方の高山の雪が森林地帯まで降り注いだ。
降り注いだ雪はブリザードとなってガブリエルに吹き付けた。
目の前の高山地帯の事はもちろんガブリエルは認識していた。
氷の巨人が雪山に逃げ込む、それは考えた。
だからそろそろとどめを刺そうと思った訳でもある。
しかし、雪山に到達するより前に吹雪を起こすとは思わなかった。
ヘルセーはただの氷の巨人族ではない。
魔術も修めた才媛である。吹雪を吐き出すだけではなく、魔力で冷気を制御できる。
遠距離から高山の雪を操って吹雪を起こしたのだ。
「ここまで山に近づけば十分だった、って事かね」
吹雪が晴れてガブリエルは周囲を見回したがヘルセーの姿はすでになかった。
「なかなかやるね、彼女も。知恵が回るじゃないの」
旋回して雪を払うガブリエル。
「まあでも。世界樹に近づけなければいいんだよね?」
取り逃がしたものの戦闘自体はガブリエルの圧勝で幕を閉じたのだった。
ウリエルとミカエルはガブリエルと合流する事にした。
タルトレット=レミこと熾天使ガブリエルは森の木々の一つの枝に座っていた。
足をぶらぶらさせてくつろいでいる。
「遅い遅いー!」
ガブリエルは二人に大きく手を振った。
「もうやっつけちゃったよー」
「二人ともか!」
「まあね」
ガブリエルはそう言うと座っていた木の枝から飛び上がった。
「でも一人、逃げられた。氷の巨人。小娘だけど、大女とも言えるね。追ってもらえる?」
「あんたは追わないのか?」
「お姉さんは汗かいたから帰って水浴びしてくる。最近は汗ばむのが嫌で嫌で。
て言うのは、火あぶりになった時、散々汗をかいたからなんだ」
そう言うとガブリエルは飛び去って行った。
「やれやれ、気まぐれなお嬢さんだ」
とは言え雪山に逃げ込んだ氷の巨人を追跡するのは困難だ。
今回は一人倒せただけでよしとすべきかも知れない。
「戻った方がよさそうだ」
ウリエルはそう判断した。
彼もミカエルも大魔王ブラムとの戦いで消耗している。
「だがこの死体……」
ミカエルはザデンの死体をじっくり眺めて言った。
「首が見当たらないぞ」
一方、こうもりに変化して離脱したブラムだったが、部下の救出には間に合わなかった。
ザデンの亡骸は発見したが、ヘルセーは生死すら不明だった。
ガブリエルとの戦いは短時間で終了したようだった。
三体の熾天使の集結する様は確認したが、会話は聞こえなかった。
ヘルセーの無事を願いつつ、カリスと戦ったであろうウェスタ達の安否を確認するべく結界城に戻る事にしたのだった。
天界に戻ったウリエルとミカエルだったが、ミカエルだけがカリスに呼び出された。
ミカエルは自分が叱責を受けるのではないかと思った。
武芸には自信があったが、大魔王には終始手玉に取られていた。
ウリエルは大魔王と互角に渡り合っていたし、ガブリエルは二人の敵を退けている。
自分だけが結果を出せなかった。カリスもさぞ幻滅しただろう。
「あの二人はすでに歴戦の戦士です。いきなり同じ様に戦えるものではありません」
ところが、カリスはミカエルを責めるつもりはないようだった。
「あなたにはあなたの果たせる役割があります」
そう言うとカリスは玉座を立って地上を見渡せる場所まで移動した。
「とても重要な役割です。見なさい」
女神はそう言うと両手を広げた。
「グローバルアセンション!」
カリスから放たれた膨大な魔力が地上に満ちると地上に光が広がった。
無数の光が天界の神殿に集まって行く。
光は羽の付いた人間に、天使に変わって行く。
「八千万人は集まったかしら」
カリスは満足そうに言った。
「地上の人間を天使に変えました」
自分達も同じように天使になったが、地上の人間を一度に変化させるとは。
「アレクシウス、あなただけに頼める事があるのです」
神の奇跡に息を飲んだ。これほどの事ができるのに、さらに何を頼むと言うのか。
「老人や子供を除いた地上の六割の人間を天使に変えました。
彼らの練兵をお願いします。そしてあなたが指揮官となるのです」
国王の器、これがカリスがアレクシウス=プロテクトールを熾天使ミカエルにした理由だった。
「あれは一体何なんだ!」
結界城に戻ったウェスタ達も世界樹に集まる天使の群れは確認していた。
「地上から光が集まって行ったぜ」
ゲイリーもあっけに取られていた。
「あれもカリスの仕業って言うの?」
「うむむ、そうとしか思えんのう」
インゲルと大メデューサも狼狽を隠せない。
「あれも『知恵の果実』の力だ」
大魔王ブラムが戻って来た。
「人間を天使に変える『アセンション』を人間界全体に使ったな」
「無事でしたか」
「だが、ザデンは倒され、ヘルセーとははぐれた」
「ヘルセー……」
元恋人としてゲイリーはショックを受けた。
「あなた方が勝てないほどの強敵と出会ったと言うのですか?」
ウェスタの問いは、前大魔王ブラムとその側近二名のパーティが、という意味でもあったし、自分達が最強の敵であろう女神カリスと戦っていたのに、と言う意味でもあった。
「わたしを魔界に追いやったヴァンパイアハンターが天使になっていた。
残りの二名が誰かは知らぬが、それなりの者たちを天使に変えたのだろう」
カリス以外の強敵の存在まで明らかになった。アイギス救出の道のりは遠い。
その上、無数の人間が天使に変えられた。そして、おそらくそれを行ったであろうカリスの目的は魔界と魔族を滅ぼす事だ。
「これは……こちらも軍勢を率いねばなるまいな」
「戦争になるのは避けられん」
大メデューサとブラムの見解は一致した。
ウェスタも反論の術が思い付かない。
魔界を守るには人間界で天使達を食い止めなければ。
結局戦争は起こってしまう。
せっかく魔界の都市部の復興を快く引き受けてくれたリヴァイアサンのレヴィアも残念がるだろう。
交戦派のイフリートのヒートラ、ベヒモスのグスタフもそれ見た事かと思うかも知れない。
何より魔族、人間双方に死者を出す事により、魔界と人間界の和平は遠のくに違いない。
そして、アイギスはどう思うだろう。
カリスの企みのせいとは言え、人間と戦争をしたとなっては気にせずには置くまい。
あるいはアイギスとも戦う事になってしまう可能性すらある。
大魔王を倒し、人間界侵略を止め、何事かを成し遂げた気になっていたが、女神カリスの前では全てが無意味だったのか。
「気高さと覚悟ってのは一体何なんだ?
それで何ができる?それで何が救える!?」
天使となったゲーゴスの言葉が今さらになって突き刺さる。
ウェスタは己の無力さを痛感した。
「ウェスタ、普通にアンクが呼んでるよ」
「微妙にアンクが呼んでるよ」
「逆にアンクが呼んでるよ」
ハーピー三姉妹にそう言われても気分は晴れなかった。
むしろカリスとの交戦で重傷を負ったアンクに会わせる顔もない。
「元気になったか」
申し訳ない思いだったし、戦争の話をするのは気が重い。
「そんな事より調べて欲しい事があります」
意外な事にアンクは状況確認より自分から話をしたい事があるようだ。
そう言えばカリスと戦った直後も話があると言っていたような。
「カリスの正体を突き止める事ができるかも知れません。その弱点も」




