第2話 平和と自由のために
「君はあの村に来たのか」
剣ごしににらみ合う魔王ウェスタと女勇者アイギス。
「ミノタウロスの魔王、ミノースは倒した。
そこでもうひとりメデューサの魔王もハンス村にいたと聞いた」
ただの魔王討伐ではなかった。女勇者の一撃には憎しみが込められていた。
まさにウェスタこそがその憎しみの対象だった。
ところが当のウェスタの顔には深い悲しみが宿っていた。もはや「鼓舞の蛇眼」の効果も消えている。
「あの村に来たのなら聞いてくれ」
ウェスタは距離を離して剣を降ろす。
「何を言っているの!?」
アイギスは再度火球を放つ。
ウェスタは今度は避けずに受け止めた。皮膚の焼ける焦げた臭いが立ち込める。
「わたしもあの村を助けたかった。だが、間に合わなかった」
「どういうこと?魔王のくせに」
「あの村の図書館にわたしは何度も通っていた。わたしは人間界の本をもっと読みたかった。だから戦いなど起こって欲しくなかった」
一年前に遡る。魔界十二支族からなる魔王たちは大魔王城に召集された。
大魔王城はメデューサ城の十倍の大きさを誇る堅牢な要塞だ。
ウェスタも案内の使い魔とはぐれれば道に迷うのは必至だった。
会議の間は城の中程だが到達まではかなりの時間を要した。
「お待たせいたしました」
他の十二支族はほとんど円卓についていた。
そして最も奥手には現大魔王の姿があった。
大魔王ブラム、吸血鬼である。黒い礼装をまとっている。
人間の初老の男性にしか見えないが、その圧倒的な魔力は冷気のように会議室を満たしていた。
「前回に続き人間界の攻略について話を進める」
「戦争は魔界も人間界も疲弊させます」
ウェスタは真っ先に発言した。
「戦争だけは回避すべきです」
大魔王は見向きもせず、話を続ける。
「勇者の存在を確認した」
大魔王の言葉で会議の間にどよめきが起こる。
「天界が魔界を攻め滅ぼそうとしている証拠だ。もう猶予はない」
「まだ攻めて来た訳ではありません。こちらから仕掛けてはなりません」
ウェスタの言葉に反応する魔王はいない。そして大魔王ブラムが言う。
「すでに部隊を派遣した」
「な…」
ウェスタの顔が紅潮していく。
「なんですって!」
「ミノースはすでに結界城に入っている。そろそろ攻撃を開始するはずだ」
そう、魔界十二支族の一人ミノタウロスの魔王、ミノースの姿がない。
「なんてことを!相手に攻める口実を与えたようなものではありませんか!」
「敵は魔界侵攻の用意のために勇者を誕生させたのだ。専制攻撃しかない」
ブラムはウェスタを睨んだ。
視線の魔力には専売特許を持つはずのメデューサ族だったが、大魔王の迫力に圧倒されてしまう。
「それともわたしに逆らうか?
構わんぞ。弱肉強食が魔界の掟だ。
その気があるならかかって来い」
大魔王は立ち上がる。黒と赤のマントがたなびくだけでさらなる恐怖感が沸き立った。
「わたしを倒せたらお前のしたいようにするといい」
「ぐっ……!」
ウェスタは動けない。先ほど紅潮した顔がすでに青ざめている。
大魔王の傍らでクスクス笑いが起こる。
「普通にダサいし」
「微妙にダサいし」
「逆にダサいし」
背中に鳥の羽の生えたフリルの付いたドレス姿の三つ子の少女たち。
大魔王の召使い、ハーピー三姉妹だ。ドレスはそれぞれ緑と青と白だ。
「普通に黙ってろっての」
「微妙に黙ってろっての」
「逆に黙ってろっての」
会議室の魔王たちの反応は苛立つもの、心配するもの様々だったが、意見を述べるものはなかった。
ウェスタも着席し、会議はつつがなく終了した。
会議では人間界への先制攻撃が決定され、約半数の魔王が大魔王と共に結界城へと向かうことが決定された。
ウェスタは後方に回された。
会議の終了後、ウェスタは急いで単身人間界に向かった。
何度も通ったハンス村は結界城からほど近い。
果たして村は魔王ミノースによって壊滅していた。
「メデューサじゃねえか。援軍が来るとは聞いてないぜ」
ミノースはミノタウロス族の魔王。
先祖は牛の頭部を持った半身半獣の魔王だったが、ミノースは角と脚部が牛でそれ以外は人間と変わりない。
屈強な戦士であり、精強な同族の部隊を率いる武闘派でハンス村はひとたまりもなかった。
「お前も手柄が立てたかったのか?まあゆっくりしていけ。
おれもここに防壁を作れと言われてるからしばらく移動しない」
この時の会話が生き残りの村人に聞かれていて、アイギスの耳に入ったのだった。
「わたしは何度も大魔王に人間界侵攻の取りやめを要請した。しかし、そのせいで侵攻の決定を知らされなかったんだ」
「あなたは一体…」
「一冊しか守れなかった」
ウェスタはふところから一冊の本を取り出した。人間界の本、ハンス村の図書館のものだった。
「それは『旅のお菓子屋ヴィアンネ・後編』!」
アイギスは目を輝かせた。
「知っているのか?」
「大好きで、図書館に来る度に読んでたわ。残ってたのね」
「たまたま借りていたんだ」
「この本好きなの?」
「ふむ、面白いが、結末はいまいちだった。
主人公のヴィアンネはちょっと知り合っただけの男のために旅をやめるべきじゃなかった。定住するならもっと都会の街にお菓子屋を…」
「分かってないなあ!」
ウェスタの言葉はアイギスの大声に遮られた。
「大切なのはお菓子じゃなくてヴィアンネの気持ちでしょ!?」
人差し指を付きだしてまくしたてて来る女勇者に圧倒される。
「旅に出ようとするヴィアンネに彼が初めて仕事より気持ちを大事にしろって言ってくれたんじゃない。
『君の気持ちは?旅をすることは楽しいのか?』
『楽しいに決まって………、寂しい。本当はいつも寂しくて苦しい』
『だったらここにいろ、おれも寂しい。ヴィアンネ』
一番好きなところよ!」
アイギスは一気に捲し立てた。
補足するとこれは『旅のお菓子屋ヴィアンネ・後編』において、菓子類を食べる文化のない閉鎖的な村にやって来た主人公ヴィアンネが、数少ない理解者の老人の死をきっかけに村を去ろうとするシーンのことだ。
青年の呼び掛けで村に留まったヴィアンネのお菓子はこの後、村人たちに認められ、のちにヴィアンネは青年と結ばれる、という物語だ。
「そうそう、ウェスタは分かってない」
インゲルがウェスタの髪の間から現れる。
「あなたも読んだの?」
「もちろん。わたしもあそこが好き。彼だけがヴィアンネの本音に気付いたのよね」
「でしょ!」
「ウェスタとは大違いだわね」
「う……」
手痛い2対1の戦いになった。剣での戦いは互角だったが、期せずして窮地に陥ってしまった。
「でもこの本を守ってくれたのはお礼を言うわ。ありがとう」
アイギスは剣を収めた。
「話を聞くわ」
「大魔王を倒して戦いを終わらせる。人間界を攻めなければ君らも魔界と戦う理由はないはずだ」
「確かににそうだけど、それで本当に人間界の侵略は止まるの?」
「わたしが大魔王になる!」
ウェスタの表情には決意が漲っていた。
「大魔王を倒したものが大魔王になる。そうやって魔界の主は変わって来た。
わたしが大魔王になって人間界との争いを終わらせる」
「勇者のわたしに大魔王になるのを手伝えって?」
困ったように首を傾げるアイギスだったが、
「わたしはもっと人間界の本が読みたいんだ。そのためには平和と自由が必要だ」
「ぷっ、平和と自由って…、あなたって魔王らしくないのね」
アイギスは思わず吹き出してしまう。
「大魔王になって争いを終わらせるって、なんかおかしい」
「そうでしょ?」とインゲル。
「いいわ。仲間にはわたしが話す」
「信じてくれるか?」
「あなたは全然分かってないけど、その子とは気が合いそう」
アイギスはウェスタのただ一本の蛇髪を見てウィンクした。
「インゲルよ」
「よろしく、インゲル。わたしも魔界の本を読んでみたいな」
「いい本は紹介してね。わたしは手に取って確かめることができないの」
「ふふ、オッケー!」
こうして魔王メデューサと勇者の同盟は成立したのだった。




