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あんまりキメ過ぎてもよくない。
ナチュラルに流行りの色を取り入れ、抜け感と透け感を大事にという、ファッション業界特有の謎アドバイスに従い着替えを済ませる。
とりあえずニーナを待たせてあるということなので、ダリウスは足早に本宮の廊下を進んだ。
「十五歳など子供すぎる……! あんなに可憐な少女を後宮に連れて来るなどお前は鬼か! もと居た所に返してこい!」
「分かりました、ニーナ様は娼館上がりなんですけど戻してきます」
「お前は鬼か────っ! 戻すな! ここで心置きなく暮らさせろ!」
「了解です。安心してくださいね、当然娼館でお客を取ったことはありませんから」
「──!」
微妙に気になったことをピンポイントで突かれ、ぐっと言葉に詰まってしまった。
背後で九天がニヤニヤしている気配を感じ、ごまかすように足を速める。
「と、とにかく、ニーナの今後については彼女自身と相談する。仕事が欲しいと言っていたし、健全で年齢に見合った仕事を……」
「宰相様から絶対に一人側室を選ぶように言われてるんでしょう? ニーナ様でいいじゃないですか」
「よくない」
昨夜の話を聞く限り、ニーナは志願して繚乱後宮に来たわけではない。
それなのに自分が気に入ったからと側室に選んでは権力の乱用だ。
「それに、まずは明るい場所で彼女と会ってからだ」
彼女はまだ、ダリウスの姿をはっきりと認識していないかもしれない────。
背後で九天が何かぼやいた気がしたが、無視して進めば執務室前にいた側近達が顔を輝かせた。
「おはようございます、陛下! 昨夜は大活躍だったそうで!」
「陛下、おはようございます! 中にお妃様がいらっしゃっていますよ! 畏れ多くて自分はちらっとしか拝見できていないのですが!」
「執務室へどうぞ! 早く仕事を始めましょう!」
執務室の前で待っていた兵士と文官が口々に言うが、要するに「早く噂の美少女を紹介しろ」ということなのだろう。
ダリウスの近衛である兵士が三人、主に大臣達に取次ぎをするための文官が二人。
これに九天と小姓が一人、主に私室で奥向きの用を果たす女官一人の総勢八人がダリウスの日常をサポートする面々だった。
ラージャムという大国の王にあるまじき少なさだが、接する人間を極力なくしたいというのがダリウスの望みだ。
信頼できる側近達にキラキラした目で見られ、ダリウスは慌てて声を潜めた。
「こ、こら、先走るな。まだ妃ではないぞ」
この会話が中まで聞こえてしまったらどうする気だ。
ニーナとどういう会話をすればいいかまだ決めきれていないし、会うべきかどうかすら実は決心がついていない。
一言目をどうするべきか。昨夜は大丈夫だったか、とか? いやいや、おそらく心配されるのは途中で記憶が途切れている自分の方だ。聞けばニーナが自分で人を呼びに行ったというし。それに彼女が全裸だったことを考えれば、昨日のことを蒸し返すのは失礼ではないか? いや、先に彼女に人を呼びに行かせたことを謝罪すべきかもしれない────。
「ええぃ、うっとうしい! もうドア開けますよ!?」
「!? ま、待て九天!」
まだ心の準備が、という暇もなく両開きの扉が大きく開かれた。
広い執務室の中央には、一人の小柄な少女が立っている。
いたって質素な生成りの長衣に、腰に巻きつけた地味な深緑のアンタリ。
白い紙に包まれた小さな花束を手にしたニーナと正面から向き合った瞬間、とてつもない強風が吹き付けてきたかのように全員がのけ反った。
数人がよろめき、だが倒れる前に硬直する。
(な、なんということだ……!)
きっと薄闇のせいでよく見えなかったからだ。
欠点が上手く隠されただけに違いない──。
そう必死に思い込んできたダリウスの理性を粉々に打ち砕くほど、ニーナは非の打ち所のない圧倒的な美を誇っていた。
(誰だ、月明かりのせいだと言ったのは──……!)
月光ではなく、明るい陽の光の下で見る方が凄まじい。
ダリウスだけではなく部屋にいた近衛兵から小姓、全てに至るまでが身を震わせ、中にはひざまずく者までいる始末だ。
小さな花束を抱えたニーナは周りの反応など意に介さず、ダリウスの前へと進み出る。
「おはようございます」
明るく元気な声でいい、ぺこりと頭を下げた。
顎の下あたりで切り揃えられた短い薄茶色の髪がさらりと揺れ、サファイアも裸足で逃げ出すほどの星彩をもつ瑠璃色の目が優しく細められる。
それはおよそ国王に対すると思えない素朴な挨拶だったが、ニーナの笑顔にとても馴染んでいた。
「昨日は本当にありがとうございました。葵ちゃんに『こうこうこういう人が助けに来てくれた』って言ったらそれは王様本人だって言われて。兵士さんだなんて言ってすみませんでした」
横から九天が「葵様はニーナ様と同室の花嫁候補ですよ」と説明を入れてくる。
「あ、ああ。いや、兵士だと名乗ったのは私の方だから……」
それについてニーナが詫びる必要は一切ない。
美の呪縛から解かれなんとか答えたが、絶やされることのない彼女の笑みに混乱も極致に達した。
これは、いったいどういうことなのか。
自分とニーナは今、早朝の明るい光の中で向かい合っている。
ダリウスがニーナを見るように、ニーナも白髪鬼と呼ばれるダリウスの姿がはっきりと見えているはずだ。
それなのにニーナはまったく怖れることなく、まるでダリウスの容姿など見えていないかのように笑顔で手にした花束を差し出したのだ。
「私は何も持っていなくて。お詫びの品がないので、後宮の庭で花を摘んできました」
めっちゃ雑草……と九天がつぶやき、たしかに花束の緑率は九割に達しているがそんなことはどうでもいい。
もはや見惚れるしかないダリウスに、「ほら!」と言うようにニーナは花束を指差す。
「一本だけ赤い花が咲いてたんです。とっても綺麗だったんで」
にっこりと微笑んだ顔が眩しいほどで、自然と言葉がこぼれていた。
「あ、ああ……! 綺麗だ、びっくりするほど綺麗だ!」
「本当ですか? こんな元手無しの物で兵士って呼んだことチャラにできます?」
「できる!」
「よかった! 私が花を持ったら最高に可愛いから何でも許されるって昔言われたことがあって、実践してみました。大成功ですね!」
「君はあざといのか素直なのか分からんな!」
「手料理と迷いましたがお料理なんてしたことないし。初めて作るものを人にあげるのは危険すぎると思って」
「あまり気を使うな、私はわりとなんでも食べられる男だ」
「ダメです、料理下手の女の手料理なんて食べるものじゃないですよ? あの人達は作りながら『あっ! ……ま、いっか』を連発してますから!」
「詳しいな。目撃したのか?」
「娼館にいた頃はよく。でも姐さんたちは『あなたのために作ったの、って言っとけば男は食う』って言ってました。失敗作は本命じゃない男に渡して処分するって」
「あまり聞きたくなかったな!」
話しながら、ワクワクした。
いや、決して内容にではなく。
ここまで自分と会話を続けてくれる女性は初めてだったからだ。
目の前に立てば驚くほど華奢で小さい。身長は自分の胸辺りまでしかなく、全く別の生き物のようだ。
桜色の爪で飾られた華奢な手で花束を差し出され、受け取るにも難儀してしまう。
「触れたら、壊れそうだな……」
背後で九天がぶ──ッと噴き出す音がし、居並ぶ兵士達が身をくねらせて悶絶する気配を感じたが、本心だった。
とても同じ人間とは思えない。
「美」という概念が人の姿を取ってこの世に現れたもの。
または芸術の神自らが鑿を振るい創り出した至高の創造物、楽園から舞い降りた天使だと言われれば納得する。
星空のように綺麗な瞳で見つめられ、途惑いながら尋ねた。
「君は、その、私が怖くないのか?」
かなり本気で聞いたのだが、ニーナはこてんと首を傾げる。可愛い。
「王様のどこが怖いんですか?」
「…………全部。いや……目、だろうか」
こんな赤と金の眼球は人ではありえないだろう。
無意識に視線を落としてしまったが、すぐさま軽やかな声が答える。
「目はたしかに変わってますよね。どうしてこんなに赤いんですか?」
子供のように遠慮のない問いに若干傷ついたが、すぐに思い直した。
ニーナはまだ十五歳。
子供といえば子供だ。
そう考えれば問いかけに納得もでき、優しい気持ちでそっと口許をほころばせた。
「私にも分からないよ。生まれたときからこんな目だ」
「それはすごい!」
「え、すごい?」
思いがけない感想に驚いたが、ニーナは下からまっすぐにダリウスを見上げる。
瞬きすらしない強い視線に鼓動が速まり、九天や見ていた全員がぐっと身を乗り出した。
見つめ返すしかなくなったダリウスを見上げ、ニーナは薔薇の蕾のような可憐な唇を開く。
「目は周りが真っ赤で、瞳が金色。髪と肌は真っ白」
誰もがとっさに身を強張らせた。
ダリウスが人の目から隠れたいと思う原因の全て。
人とは違うもの、見る人を怯えさせてしまうものの全て。
それらをハッキリと口に出し、じっくりとダリウスを見つめていたニーナはぱっと微笑んだのだ。
まさに破顔一笑。
息を呑んだダリウスの目の前で、ニーナはまともに見れば心臓が壊れそうなほどの愛らしさで笑う。
「私、赤と金と白の組み合わせが大好きなんです。王様の目はすごく綺麗です。私は大好きですよ?」
嬉しそうに言い、自然な動きでダリウスの腕をたおやかな手できゅっと掴んだ。
「全然変なんかじゃないです。王様はとっても優しいし、普通に普通の男の人ですよね?」
ダリウスだけではない。
九天を含め、執務室にいた全ての者が信じられない思いでニーナを見つめていた。
強すぎる注目を集めながらもニーナは気にした様子はなく、上目遣いのままダリウスと視線を合わせる。
「王様、今夜葵ちゃんの部屋に来てもらえますか?」
背後で九天が「えっ!?」と慌てた声を上げたが、判断力などとうになくなっていた。
「わ、分かった……」
コクコクとうなずき、どうにかそれだけを答える。
「よかった! すっごく嬉しいです。待ってますね!」
「あ、ああ……」
ニーナが笑顔で礼を述べ、ぺこりと頭を下げる。
彼女が手を振りながら執務室を去ってからも、ダリウスは雑草の花束を両手に持ったまま呆然としていた。
数分の間に何が起こって、自分がいったいどんな約束をしたかも分からない。
「い、今のはいったい……」
「このすっとこどっこいが────────────っっ!」
ぼんやりしているうちにスパ──────ンッと丸めた書類で後頭部を殴られ、ダリウスは我に返って振り返った。
「痛っ! 何をするのだ、九天。そんなに叩くと馬鹿になるだろう!?」
「すでに馬鹿ですよ、あなたは! なんで『私が訪れたい部屋は葵ではなくニーナ、君の部屋だ。今宵私の妃になってくれ』ってサラッと言えないんですか!? あなたそれでも男ですか!?」
「そんなことをサラッと言う男は嫌だろう! だ、だいたいなぜ私がニーナを選ぶことになっている!? ニーナはまだ十五歳だぞ!?」
「年なんかどーでもいいんですよ! 若すぎると言うなら五年待てばいい!」
「そういう問題じゃなくて!」
ものすごい勢いで迫ってくる九天をなだめると、方々から声が上がった。
「陛下、我々もニーナ様をお妃になさるべきだと思います!」
「なんて素晴らしい女性なんだろう! こんな短期間で陛下の優しさに気づいてくださるなんて!」
「年齢なんて関係ありません、あれほどお美しい方なら国民も大歓迎ですよ!」
全員がニーナに魅了されてしまったことに気づき、ダリウスは何とも言えない顔で黙りこんだ。
九天を含めた側仕えの者は皆ダリウスを慕ってくれており、ダリウスの外見を怖れない人物には好印象を抱きがちだ。
「分かった。お前たちの気持ちは分かったから少し落ち着きなさい」
ダリウスとてニーナを稀有な少女だと思っている。彼女を逃せば、この先同じような女性には出逢えないだろうということも分かる。
だがもらった花束を執務机に置き、ダリウスは言い聞かせるように口を開いた。
「お前達の気持ちは嬉しいし、私もニーナのことを好ましく思っている。だがそれは恋ではない」
「今日から恋になるんですね、分かりますよ。では五年後に結婚式を」
「挙げないっ! 九天、お前も話を聞いてくれ。ニーナはまだ子供だし、彼女にも選択の自由がある。きっと成長したときに後悔するだろう。なぜこんな男を選んだのか、と」
ニーナは娼館から出るためにここへ来ただけであって、本当にダリウスの妃になりたいわけではないのだ。
しかし九天はキ──ッと地団太を踏み目を吊り上げた。
「ええいっ、若すぎるだの子供だの成長してからだのグダグダグダグダうるさい男ですね! 気に入ったなら気に入ったと一言言えばいいんです! ニーナ様のこと可愛い可愛い超可愛いって一晩中思ってたんでしょ!?」
「思ってない! い、いや、可愛いと思ってるが、そういう目では見ていない!」
「そういう目で見てください! 裸まで見てるんですから簡単でしょう!? 言っときますけどニーナ様、十五歳にしてはけっこうなプロポーションをお持ちですよ!」
「知ってるっ……、じゃ、じゃなくて! そういう問題ではない、彼女が可哀想だという話だ!」
「あなたに心配されるまでもなく、ニーナ様は嫌なら嫌ってハッキリ言いますよ! ぶっちゃけニーナ様の気持ちなんかどうでもいい!」
とんでもないことを言い、九天は射抜くような強さでダリウスを見上げた。
「聞きたいのはあなたの気持ちだ! 相手のことじゃなくてあなた自身がどうしたいかを考えてくださいっつってんですよ! 好きだと思うなら素直に恋してください!」
「好きだと思っていないし恋などしない!」
九天がダリウスの性格を歯痒く思っていることは知っているが、今回ばかりは言い負かされるわけにいかない。
キッと目に力を込め、執務机を砕くほどの力で拳を叩きつけた。
「ニーナが私の恋愛対象になるわけないだろう!? 可愛いと言ってもそれは子供としてで恋の相手にはならない! そういう意味で可愛いか可愛くないか言えば、ニーナは絶対に可愛くない!!」
しんと部屋が静まりかえり、ダリウスと九天が激しくにらみ合う。
いつもの言い合いと違って割り込めない雰囲気だが、一人の兵士が重い沈黙を破って声を上げた。
「あの、ダリウス陛下…………」
「──。なんだ?」
ため息をついて、九天から視線を外したダリウスの目に。
「……先ほどからニーナ様がいらっしゃっています」
神妙な顔で立つ超絶美少女の姿が映った。
(な、っ────!)
九天も気づいていなかったらしく、愕然としている。
空気まで凍りついた執務室で、真顔のニーナはダリウスに向けてぺこりと頭を下げた。
「言い忘れたことがあって戻ってきました。後宮は人がいなくなって部屋が空いたので、みんな広いお部屋に移動してます。葵ちゃんも宮の南側の部屋に引っ越してますのでよろしくです。それではさようなら」
ダリウス達の会話には一切触れず、素っ気ないほど用件のみだ。
膝に額がつくほど大きく礼をし、ニーナは顔を見せることなくさっさと執務室を出ていく。
「えっ、ちょ、ちょッ、違う!! 違うんだ、ニーナ!」
誤解だ、と言いたいけれど何が誤解なのか分からない。
追いかけても弁解の言葉が浮かばない事実に気づき、待ってくれとも言えず足がもつれる。自分の足にけつまづき、どたっと情けなく床に倒れ込んでしまった。
(ち、違う────────────っ!)
心の中で叫んだが時すでに遅し。
明らかに不機嫌だったニーナを連れ戻す勇気もなく、ダリウスはがっくりと床に突っ伏してしまった。




