番外編第三十七章 根本的に偽りの彼女
「瀬生に上岡が憑依した?」
半信半疑な表情で、元樹は拓也に訊いた。
それは、一年ほど前に、陸上部の競技大会の予選後、元樹が陸上部のミーティング前の合間に、近くのファーストフードで拓也達と話をしていた時に聞かされた奇妙な事実だ。
綾に上岡が憑依してから、生まれて育っていった恋は、綾が綾と上岡と雅山、そして、麻白の四人分、生きることになってからも消えなかった。それどころか、ますます大きく根を張ってしまった。
偶然なのだろうか。
それとも必然だったのか。
一年ほど前の記憶を掘り起こし、元樹はどことなく寂しくなる。
いつしか、一緒にいることが当たり前になってしまった友人の彼女。
だけど、大好きな彼女と、このまま付き合えないことに未練がないといえば嘘になる。
綾花と拓也、そして、麻白の姿をした綾花の分身体と一緒に、旅館の広間に向かいながら、これからが待ち遠しい、と元樹は無意識にそう思い始めていた。
綾花達が少し遅れて、旅館の広間に行くと、既に陸上部部員のほとんどが広間に集合していた。元樹が彼女を紹介すると伝言が回ったためだろう。
「元樹の彼女って、誰だろうな」
「やっぱり、すげえ可愛い子じゃないのか」
陸上部部員達は興味津々で、校内でも目立つ女子の名前が次々と挙がる。
陸上部部員達が騒いでいる中、同じく、合宿の見学に来ていた生徒達のあちらこちらから、動揺とも感嘆ともつかない声があふれ出した。
「布施くんの彼女って、どんな人なのかな~」
「何でも、ゲーム関係で知り合った人みたいだよ~」
「布施の彼女、なかなか来ないな」
楽しそうな生徒達の会話をよそに、合宿の見学に来ていた茉莉は周囲を窺うようにしてから、こそっと小声で亜夢につぶやいた。
「ねえねえ、亜夢」
「茉莉?」
言い募る茉莉に、亜夢は不思議そうに首を傾げてみせる。
「布施くん、どうすると思う?」
「綾花が彼女になるーー!」
「それはまずいでしょう!」
きょとんとした表情で当たり前のことのように言ってくる亜夢に、茉莉は顔を真っ赤に染めて決まり悪そうに否定した。
「綾花には、井上くんがいるんだから」
「綾花には、井上くんがいる~」
神妙につぶやく茉莉の真似をするように、亜夢がいきいきとした表情で同じ言葉を繰り返す。
不意に、茉莉は目を瞬かせ、ふと気づいたように亜夢に言った。
「もしかしたら、布施くん、誰かに代役を頼んでいるのかもしれないわね」
「綾花のため!綾花のため!」
茉莉が顎に手を当ててさもありなんといった表情で言うと、亜夢はつぼみが綻ぶようにぱあっと笑顔になった。
綾花の代役。
ーーまさか、その代役が、綾花の分身体だとは露知らずに、茉莉達は興味津々で広間の中をそっと窺い見る。
「部長、お待たせしました」
「こ、こんにちは」
「「ーーっ!?」」
やがて、元樹が麻白の姿をした綾花の分身体を連れて広間に現れると、騒いでいた陸上部部員達、そして様子を窺っていた生徒達は目を丸くした。
何故なら、元樹が連れてきた人物がーーあの『黒峯麻白』だったからだ。
総合病院に長期入院中だった、オンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』の第二回公式トーナメント大会のチーム戦、優勝チーム『ラグナロック』のメンバーの一人、黒峯麻白が無事に、チームに復帰したことはネット、ゲーム雑誌、そしてメディアなどによって大々的に報じられていた。
「えっ?布施くんって、あの黒峯麻白さんと知り合いだったの?」
「あっ!亜夢もそう思った!」
茉莉の不思議そうな言葉を引き継いで、ひょっこりと広間に顔を覗かせた亜夢が陽気な声で言う。
「…‥…‥やっぱり、いろいろとまずいな」
盛り上がる広間の様子を探りながら、拓也はげんなりと言って肩を落とす。
「ううっ…‥…‥、たっくん、大丈夫かな?麻白、私と同じことしていない?」
「ああ、大丈夫だ。特訓の成果だな」
綾花が躊躇うように不安げな顔で訊くと、元樹の隣に立っている麻白の姿をした綾花の分身体の様子について述べながら、拓也はあくまでも真剣な表情で頷いた。そして、ここに来る前の出来事を思い出す。
「うーん。井上、布施、どうだ?」
旅館の広間に向かう前ーー。
旅館の裏にある小さな物置小屋にて、綾花は思い悩んでいた。
黒髪の髪はいつものようにサイドテールに結わえており、不思議そうにきょとんとしている麻白の姿をした綾花の分身体の前で、腰に手を当てて悩ましげに首を傾げている。
「ああ。これなら、綾と麻白が同じ言動で話したりしていないし、大丈夫そうだな」
「…‥…‥そうだな」
有無を言わさず、にんまりとした笑みを浮かべてきた元樹の姿に、拓也は呆れたように眉を寄せた。
「ーーたっくん、元樹くん、ありがとう」
拓也と元樹がそう答えた瞬間、綾花の表情がいつもの柔らかな表情に戻る。
そんな綾花の横に立つと、拓也は淡々としかし、はっきりと告げた。
「綾花。これから、みんなの前で話すことになるけれど、大丈夫か?」
「…‥…‥う、うん」
「あたし、頑張るよ」
拓也の言葉に、おずおずと気圧されてしまう綾花をよそに、麻白の姿をした綾花の分身体はにこっと自然な様子で微笑んだ。
綾花達はあの後、綾花と麻白の姿をした綾花の分身体が、完全に同じ言動で動いたり、話しているのはさすがにまずいと判断したため、別々に動けるように、と少し特訓をしたのだ。
その甲斐もあって、部長との待ち合わせの時間には遅れてしまったが、綾花と麻白の姿をした綾花の分身体は、綾花の視界に入る範囲内なら、別々に動けるようになった。
これなら誰も、綾花と麻白が同一人物だとは思わないだろう。
「みんな知っているかもしれないんですが、俺の彼女のーー」
「初めまして、黒峯麻白です」
「すげえーー!!」
「マジで、あの『ラグナロック』のメンバーの一人である黒峯麻白さんだーー!!」
元樹に促されて、麻白の姿をした綾花の分身体がぺこりと頭を下げると、陸上部部員達、そして見学に来ていた生徒達は一斉に騒ぎ始めた。
「あの、サイン下さい!」
「あ、私も欲しい!」
「俺も、俺も!」
あっという間にできた人だかりに応えるように、元樹の隣に立っていた麻白の姿をした綾花の分身体が動く。
「はーい、はーい。サイン、どうぞ」
「…‥…‥ううっ」
「…‥…‥どちらも綾花だよな?」
拓也の隣で、おずおずと気圧されている綾花を尻目に、さらりと答えてみせた麻白の姿をした綾花の分身体の順応性の高さを見て、拓也は唖然とした顔で辟易してしまう。
「麻白、今回のことは内緒なんだから、サインはまずいだろう。それとみんな、麻白が俺の彼女っていうことは秘密だから、絶対に誰にも言わないでくれよな」
麻白の姿をした綾花の分身体、そして、陸上部部員、生徒達の反応に、元樹は額に手を当てるときっぱりと告げた。
率直に告げられたその矛盾した事実に、同じクラスの陸上部の仲間達は意外なことでも聞かされたかのように瞬きを繰り返す。
だが、すぐに、陸上部の仲間達はつかつかと近寄ってきて、元樹の隣に立つと、ぎりぎり聞こえるくらいの小さな声で言った。
「おーい、元樹。もしかして、黒峯麻白さんは瀬生の代役か?」
「ーーっ」
図星を突かれて、元樹はぐっと言葉を呑み込む。
「やっぱり、そうなのか」
「ほらな」
元樹の反応に、陸上部の仲間達は顔を見合わせると、ふっと息を抜くような笑みを浮かべる。
不意に、陸上部の仲間達がある事に気づき、さらに声を落として言った。
「あっ、心配するなよ、元樹。誰にも言わないからな」
「まあ、そうでもしないと、おまえ目当ての女子から、瀬生さんが目の敵にされかねないからな」
「…‥…‥ありがとうな」
あっけらかんとした表情を浮かべた陸上部の仲間達に対して、元樹は至って真面目にそう言ってのけた。
そして、陸上部の仲間達が席に戻るのを見届けると、話題を変えるように一転して元樹は明るい表情で続ける。
「とにかく、俺の彼女は紹介したからな。あと、麻白に迷惑がかかるから、絶対に、このことは誰にも言わないでくれよな!」
「なら、せめて、なれそめくらい、教えろよな」
「ーーっ」
そのもっともな陸上部部員の疑問に、元樹はむっ、と唸るとなんとも言い難い渋い顔をした。
「その、部活が休みの日にさ。俺、外食を済ませてから、図書館で本を借りようとしたんだよな。そしたら、分厚い本を五冊も抱えた見知らぬ女の子達が歩いていたんだよ」
元樹は窓を背景に視線をそらすと、不満そうに肩をすくめて言う。
「話を聞いてみたら、何でも麻白は、友達の父親が経営している図書館の整理を手伝っているみたいでさ。俺、ほっとけなくて一緒に手伝ったんだよな。それが麻白と付き合うことになった、全てのきっかけだったんだよ」
「なんだ、それ」
「元樹らしいな」
元樹が不服そうに投げやりな言葉を返すと、陸上部部員達は楽しげに笑い出した。
麻白に関するエピソードにするため、一部、捏造されていたが、 それは元樹が綾花のことを好きになった、なれそめの話だった。
「ここまで、一緒に来てくれてありがとうな、麻白」
「うん。あたし、こうして、元樹達に会えて良かったよ」
頭をかきながらとりなすように言う元樹に、麻白の姿をした綾花の分身体は大きく目を見開いた後、嬉しそうに頬を染めて微笑んだ。
そのあどけなく見える笑顔に、元樹はぎゅっと絞られるような心地がした。
自分の言葉で、こんなふうに麻白の姿をした綾の分身体がーー綾が笑ってくれていると考えた瞬間に、どうしてか心臓の鼓動が早くなった。
まるで彼女達は、彼にとっての黎明の空のようだった。
元樹は吸い込まれるように、今日もまた、その色に惹きつけられていた。
「待つのだ!綾花ちゃん、あかりちゃん、そして麻白ちゃんは、我の婚約者ではないか!」
どこに隠れていたのか、広間の壁に手をかけながら、不機嫌極まりない様子でそう言い放った昂に、陸上部部員達、そして見学に来ていた生徒達はうんざりとした顔で冷めた視線を昂に向けてくる。
どうやら、『姿を消す魔術』を使って広間に身をひそめながら、発言するタイミングを見計らっていたらしい。
だが、陸上部部員達、そして、見学に来ていた生徒達の視線など、どこ吹く風という佇まいと風貌で、昂は構わず先を続けた。
「麻白ちゃん。布施元樹、あんな奴などほっといて、今すぐ、我と一緒にデートするべきだ!」
「おい、舞波、お披露目会の邪魔をするな!」
「布施、舞波から護って、黒峯麻白さんを幸せにしろよな!」
「当たり前だ」
陸上部部員達の声援に応えるように、隣に立っている愛しい彼女の分身体に対して、そして、拓也と一緒に、こちらの様子を見つめている愛しい彼女に対して、元樹は頭をかきながらとりなすように言う。
こうして、一人の乱入者によって、怒声と祝福の言葉が飛び交い、わけが分からないほど盛り上がったまま、陸上部による元樹の彼女お披露目会は終わりを迎えたのだった。




