第四十七章 根本的にそれは必然なのかもしれない
『夢忘れのポプリ』。
昂が産み出した禁断の魔術道具であり、袋に入っているポプリを全てかけた者の仮想未来を一日、一時間だけ現実に変えることができる。
一日、一時間限定ゆえに複雑な内容は変えられず、また、対象の相手がこの人物だと、限定特定させなければならないという厳しい条件はあるものの、使う者によってはかなり危険な魔術だった。
禁断の魔術で、綾花に進として振る舞ってもらおうと昂は目論んだが、自身が告げたとおり、進が憑依する前の本来の綾花の仮想未来しか現実に変えることができなかったため、『進として振る舞う』という行動自体は一時的なものとしてしか発動されることはなかった。
「しかし、舞波の禁断の魔術から、綾花をどうやって守るかだな。今日はさすがにこれ以上、何かしてくるとは思わないが、慎重に越したことはないだろうしな」
拓也が静かにそう告げて、顎に手を当てて真剣な表情で思案し始めた。
ふと脳裏に、ツーサイドアップに結わえた銀色の髪の少女ーー上岡として振る舞っている時の綾花の姿がよぎる。
気持ちを切り替えるように何度か息を吐き、まっすぐに綾花を見つめ直した拓也は思ったとおりの言葉を口にした。
「まあ、そこは上岡の両親と上岡の担任、それに星原や霧城にも協力してもらって、俺達で何とかフォローしていくしかないか」
拓也がそう告げるや否や、綾花は嬉しそうに言った。
「井上、ありがとうな」
「いや…‥…‥まあ、その、約束したからな。綾花を必ず、上岡の家に行けるようにしてみせるって。それに俺もまた、綾花と一緒に上岡の家でゲームがしたいからな」
「井上らしいな」
拓也がたじろぎながらも滔々とそう語ると、綾花は楽しそうに小さな笑い声を漏らした。
そうして笑っている姿は、いつもの綾花そっくりで妙な感慨がわいてしまう。
複雑な心境を抱く拓也とは裏腹に、綾花はひとしきり笑い終えると真剣な眼差しでこう言った。
「あのな、井上。昂の魔術のことだけど、 同じ魔術をもう一度使ったら効果がなくなるかもしれないんだ」
「はあっ?」
その思いもよらない言葉は、幼なじみであり彼女でもある綾花から当たり前のように発せられた。
拓也が何かを言う前に、意を決したように元樹が綾花と拓也の会話に割って入ってきた。
「綾、同じ魔術って、また禁断の魔術を舞波に使わせられたらいいってことなのか?」
元樹が綾花に聞き返すと、綾花は少しだけ表情を曇らせた。
「ああ。井上には一度、話したことがあるんだけど、前に昂の魔術で小さくされたことがあったんだよな。あの時は同じ『対象の相手を小さくする』魔術をかけることによって、すぐに戻れたんだけど」
「そういえば、初めて上岡の家に行った時にそんな話をしていたな」
拓也は綾花から昂の魔術の話を聞くと、頭を抱えてうめいた。
「舞波のやつ、今回の『夢忘れのポプリ』という禁断の魔術といい、今までろくでもない魔術ばかり使っていたんだな」
拓也が呆れたようにため息をつく。
そんな二人のやり取りに、元樹は自分の予測を確信へと変える。
「…‥…‥なるほどな。つまり、舞波の魔術は同じ効果の魔術を重ねてかけることによって、効果を失ってしまう魔術が多いわけか。『生徒手帳』の時のように、例外はありそうだが試してみる価値はありそうだ」
「…‥…‥それはつまり、綾花が持っている禁断の魔術道具、『夢忘れのポプリ』を舞波が再度、使ったら、舞波の『対象の相手の仮想未来を一日、一時間だけ現実に変える』という効果が失われるってことなのか?」
「ああ。恐らくな」
怪訝そうな顔をする拓也に、元樹はきっぱりとこう答えた。
それは、仮定の形をとった断定だった。
「…‥…‥なあ、綾」
元樹の言葉に拓也が再び、思案し始めたのと同時に、ふと思い出したように元樹は綾花の方を振り返った。
ふわりと翻るサイドテールの黒髪。
いつもの綾花によく似た顔が、不思議そうな表情で小首を傾げる。
「明日、部活の朝練を見に来ないか?そうすれば、俺も綾に何かあったらすぐに駆けつけられるし、それに今日は舞波に邪魔をされてしまったからな」
「あのな、元樹」
有無を言わさず、にんまりとした笑みを浮かべてきた元樹の姿に、拓也は苦々しく眉を寄せる。
「ああ。ありがとうな、布施」
いつもの二人のやり取りに、綾花は思わず、日だまりのような笑顔で笑ったのだった。
舞波の禁断の魔術の効果を失わせるためにーー、そして綾に禁断の魔術を使わせようとするのを防ぐために、舞波に再び、禁断の魔術を使わせよう。
元樹が拓也達に提案したのは、あくまでもなりふり構わない直接的な手段だった。
しかし、それは想像していた以上に難解で困難極まりないことなのだと、拓也は痛感させられていた。
なにしろ、舞波が綾花に禁断の魔術を使わせようとしたように、拓也達も舞波に再度、禁断の魔術を使わせるように仕向けなければならない。
あくまでも禁断の魔術を使う本人に使わせなければ、意味をなさない魔術だ。
そして、舞波は禁断の魔術や他の魔術を使用することによって、巧みに自分の都合よく状況を変革することができる。
翌日、拓也はそれを嫌というほど実感することになった。
「…‥…‥何故、ここで待ち構えている?」
翌朝、綾花ともに陸上部の練習を見るため、グラウンドのフェンス越しに立った拓也は自分でもわかるほど不機嫌な顔を浮かべていた。
その理由は、至極単純なことだった。
綾花が興味深そうに辺りをきょろきょろと見回している中、昂が腕を組みながらさらりと隣の綾花に声をかけているのが、拓也の目に入ったからだ。
「何故、ここにおまえがいるんだ?」
涼しげな表情が腹立たしくて、拓也はもう一度、同じ台詞を口にした。
陸上部の朝練の見学をするために、拓也と綾花はいつもより早く待ち合わせの駅で落ち合っていた。
そのおかげか、今日は学校に着くまでのその間、昂が一度も綾花の前に姿を現わさなかった。
このまま何事もなく、穏やかに過ごせるのでは、と拓也がひそかに思っていたにもかかわらず、何故か昂は当然のようにここにーーグラウンドのフェンス越し前に立っている。
拓也の問いかけに、昂はこの上なく不敵な笑みを浮かべながら答えた。
「昨日、告げたであろう。我は綾花ちゃんに、禁断の魔術について大切な話があるだけだ。気にするな」
「…‥…‥おい」
居丈高な態度で大口を叩く昂に、拓也は低くうめくようにつぶやく。
昨日、禁断の魔術によって、綾花達を散々、振り回したというのに、相変わらず何食わぬ顔で綾花に絡んでくる昂の様子に、拓也がむっと顔を曇らせる。
「ホント、毎回、綾の行く先々に現れるな」
部活の練習を中断して、綾花達のもとにやって来た元樹も、昂の傲慢不遜な態度に不満を込めてつぶやいた。
だが、そんな視線などどこ吹く風という佇まいと風貌で、昂は構わず先を続けた。
「…‥…‥綾花ちゃん、昨日は我が悪かった。先に語り合うと告げておきながら、いささか事を急ぎすぎた。どうか許してほしい」
「…‥…‥舞波くん」
「だが、それでも我は請う。綾花ちゃん、進の家に行くためにも、進として振る舞ってはくれぬか?」
昂のたっての懇願に、綾花はしばらく考えた後、俯いていた顔を上げると昂に言った。
「舞波くん、ごめんね。私、やっぱり、禁断の魔術には頼らない」
きっぱりとそう言い切った綾花に、昂は心底困惑して叫んだ。
「な、何故だ!?」
予想もしていなかった衝撃的な言葉に、昂は絶句する。
彼女が発したその言葉は、昂にとって到底受け入れがたきものであった。
拓也と元樹と昂を交互に見遣ると、綾花は申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんね。私、お父さんとお母さんには自分の力で頑張って、私のーー進の家に行けるようにお願いしたいの」
綾花のーーそして進の決意の固さに、一瞬、昂がたじろいた。
それでも必死に、昂は理由をひねり出そうとする。
「き、禁断の魔術の方が確実ではないか。綾花ちゃん、そんなこと言わず、我の頼みを聞いて…‥…‥」
説得を試みようとして、だが、その声は昂の喉の奥で尻すぼみに消えてしまった。それは綾花の表情を見たからだ。綾花が涙を潤ませているのを、確かに昂は目撃したのだ。
昂は焦ったように言った。
「…‥…‥むむっ、わ、分かったのだ、綾花ちゃん。綾花ちゃんに禁断の魔術を使ってもらうのは、いざという時の最後の手段に取っておくのだ。ただし、条件がある」
「条件?」
戸惑った顔で、綾花は昂の顔を見た。
昂は頷くと、綾花にこう告げる。
「う、うむ。その、綾花ちゃん、今度、ゲームセンターで行われるオンラインバトルゲーム『チェイン・リンケージ』のチーム戦に我と二人でだな」
「えっ?」
綾花が意味を計りかねて昂を見ると、何故か焦れたように昂は顔を赤らめて腕を組んだ。
一体、何を企んでいる。
どこか昂らしくない歯切れの悪い言葉に、嫌な予感が拓也の胸をよぎる。
意を決したように両拳を突き出して身を乗り出すと、すべての勇気を増員して昂は絶叫した。
「綾花ちゃん!我とチームを組んでほしいのだーー!!」
「…‥…‥えっ?ええっ!?」
思わぬ昂の言葉に、綾花は戸惑うように揺れていた瞳を大きく見開いた。
「はあっ!?」
遅れて、拓也も唖然とした表情でまじまじと昂を見た。
「『生徒手帳』が効果を失った今、偽名登録でも参加できる非公式の大会はまさにうってつけだ。それにゲームセンターの大会なら、綾花ちゃんのご両親が見に来ることなど決してあり得ぬだろう。綾花ちゃんは進の母上に会えて、我は晴れて綾花ちゃんとチームを組むことができる。まさに、一石二鳥だ」
「…‥…‥どこがだ」
間一髪入れず、この作戦の利点を語って聞かせた昂に、拓也は苛立たしげに顔をしかめる。
「相変わらず、取って付けたような強引な誘い方だな」
「我なりのやり方だ」
呆れた大胆さに嘆息する元樹に、昂は大げさに肩をすくめてみせた。
「だけど、大会のエントリー期間はもう過ぎているだろう。それに、チーム戦は三人以上のチームでの対戦だ。他のメンバーに当てはあるのか?」
「…‥…‥むっ。そ、それらは全て、禁断の魔術を使えばどうとでもーー」
「なら、決まりだな。俺と拓也も、メンバーに入る」
言い淀む昂の台詞を遮って、元樹が先回りするようにさらりとした口調で言った。
その、まるで当たり前のように飛び出した意外な発言に、さしもの昂も微かに目を見開き、ぐっと言葉に詰まらせた。
だが、次の思いもよらない元樹の言葉によって、昂とーーそして拓也はさらに不意を打たれ、驚きで目を瞬くことになる。
あっけらかんとした表情を浮かべた昂に対して、元樹は至って真面目にこう言ってのけたのだ。
「そして、大会が終わったら、舞波、おまえにはもう一度、禁断の魔術を使ってもらう」
「…‥…‥むっ!そのような口約束を、我が守るとでも思っているか?」
お互い、本気の表情で本気の口調だった。
その意味深な元樹の言葉に、昂は驚きつつも低くうめくように言って元樹を強く睨みつける。負けずに、拓也と元樹も昂を睨み返した。
いつまで経っても埒が明かない昂との折り合いの中、綾花は一人、戸惑うように目を瞬かせていたのだった。




