第四十五章 根本的に夢と現の狭間に
「みんな、席につけ!ホームルームを始めるぞ!」
「「はーい」」
終業のホームルーム。
1年C組の担任が来てクラス全体を見渡すようにしてそう告げると、談笑していた生徒達はしぶしぶ自分の席へと引き上げていった。
「それと舞波、おまえはホームルームが終わり次第、職員室に連れていくからそのつもりでな!」
「我は納得いかぬ!」
あくまでも事実として突きつけられた1年C組の担任の言葉に、昂は両拳を振り上げて憤慨した。
「何故、この我が呼び出しなどを受けねばならんのだ!」
「ペンギンの着ぐるみを着て、学校に来たからだ!」
昂の抗議に、1年C組の担任は不愉快そうに言葉を返した。
1年C組の担任の剣幕に怯みながらも、昂はなおも言葉を連ねようとする。
「舞波くん、大丈夫かな?」
そんな中、1年B組の担任の先生の連絡事項に耳を傾けながらも、突如、隣のクラスから聞こえてきた喧騒に、綾花は不安そうに隣のクラスの方を見遣るとぽつりとつぶやいた。
学校一の変わり者である昂がペンギンの格好をして学校に登校してきたという噂はあっさりと広まり、相変わらず全校生徒中、一番の有名人になってしまっているらしい。
「あいつのことだから、今回もうまいこと立ち回っているだろう」
左後ろの席に座る拓也が、そんな綾花の問いかけに顔を歪めて答えた。
「…‥…‥うん、そうだよね。こういう時、舞波くんはいつも無類の力を発揮するもの」
「…‥…‥だから、困るんだ」
ほんわかな笑みを浮かべて思い出したように言う綾花をよそに、拓也は隣のクラスの方に視線を向けながら、苦々しい顔で吐き捨てるように言った。
綾花に上岡が憑依するという奇妙な出来事があってから、綾花と周りの人々との関係もだいぶ変わった気がする。
もしかしたら、綾花に上岡が憑依しなければ、綾花がこんなふうに舞波の心配をしたりすることもなかったのかもしれない。
そう思うと、少し不思議な感じがして、拓也は思わず苦笑してしまう。
先生の話が終わり、日直の号令に合わせて挨拶を済ませると、クラスの生徒達は次々と帰宅して行く。
そんな中、元樹は鞄とサイドバックを握りしめて綾花の机の前まで行くと、ぽつりとこうつぶやいた。
「…‥…‥あのさ、綾。本当は昨日、誘おうと思っていたことなんだけどさ」
「えっ?」
話をそらすように神妙な表情で言う元樹に、綾花は目をぱちくりと瞬いた。
視線をうろつかせる綾花に、元樹は意図的に笑顔を浮かべて言う。
「これから先に、陸上部の方に少し顔出しするんだ。せっかくだし、綾達も練習を見に来ないか?」
有無を言わさず、にんまりとした笑みを浮かべてくる元樹の姿に、拓也は苦々しく眉を寄せる。
「あのな、元樹」
「まあ、いいじゃんか。あの様子だと、舞波はしばらく綾のもとには来れなさそうだけど、禁断の魔術の披露はいつしてくるか分からないしな。なあ、いいだろう?綾」
元樹の最後の言葉は、綾花に向けられたものだった。
「頼む!」
「…‥…‥う、ううっ」
幾分真剣な顔の元樹と困り顔の綾花が、しばらく視線を合わせる。
先に折れたのは綾花の方だった。
身じろぎもせず、じっと綾花を見つめ続ける元樹に、切羽詰まったような表情で、綾花が拓也に視線を向けてくる。
そんな綾花を見て、拓也は半ば諦めたように重く息をつくと肩を落とした。
「…‥…‥分かった」
「ありがとうな、拓也」
苦虫を噛み潰したような顔でしぶしぶ応じる拓也に、元樹は屈託なく笑ってみせたのだった。
「相変わらず、盛り上がっているな」
グラウンドにたどり着くと、感慨深げに拓也は周りを見渡しながら、そうつぶやいた。
綾花達の学校の陸上部はいつも全国区の大会で立て続けに入賞し、名をはせているため、見物に来ている生徒の数も半端なかった。
「本当、すごい人だね」
拓也の言葉に綾花は頷き、こともなげに言う。
そんな彼らのあちらこちらから、他の生徒達の声援がひっきりなしに飛び込んでくる。
そんな中、部室に立ち寄っていた元樹が遅れてユニフォーム姿でグラウンドに顔を見せた途端、応援していた女子生徒達のあちらこちらから、動揺とも感嘆ともつかない声があふれ出した。
「布施くん、かっこいいね~」
「ねえ、陸上部の人達が話しているのを聞いたんだけど、今日、布施くんの好きな人が部活を見に来ているって噂、本当なのかな~」
「…‥…‥ううっ」
「なっ!?」
予想外な女子生徒達の会話に、綾花が輪をかけて動揺し、拓也は目を見開いて狼狽する。
頭を悩ませながらも、拓也は片手を掲げて元樹を呼び寄せると、とっさに浮かんだ疑問を口にした。
「…‥…‥元樹。何故、綾花がここに来ているって噂が流れているんだ?」
「悪い。お昼休みに部活に遅れることを部長に伝えに言ったら、他の陸上部の先輩達から俺の好きな人ってどんな人なのかって突っ込まれてさ。それでうっかり、今日の放課後、俺の好きな人が部活の練習を見に来てくれるかもしれないって言ってしまったんだよな」
「そんなことはどうでもよい! 我は綾花ちゃんのために、禁断の魔術を披露しようとしておったのだぞ!何故、このような場所に綾花ちゃんがいるのだ?」
元樹が頬を撫でながら決まりが悪そうに言ってのけると、憤懣やる方ないといった様子で誰かがそう吐き捨てた。
「…‥…‥何故、ここにいる?」
突如聞こえてきたその声に、拓也は自分でもわかるほど不機嫌な顔を浮かべて振り返った。
その理由は、至極単純なことだった。
拓也達のすぐ後ろで、1年C組の担任の呼び出しを受けていたはずの昂が腕を組みながら元樹に食ってかかっているのが、拓也の目に入ったからだ。
しかも、今までの状況を把握しているかのような言い回しに、拓也は不満そうに眉を寄せる。
また、『対象の相手の元に移動できる』という魔術を使ってきたのか?
見れば、元樹もいきなり現れた神出鬼没な舞波に虚を突かれたように目を白黒させていた。
「おまえ、先程、先生から呼び出しを受けていたんじゃなかったのか?」
拓也からの当然の疑問に、昂は人差し指を拓也に突き出すと不敵な笑みを浮かべて言い切った。
「何を言っている?そんなもの、我が重大な用事があるから少しの間だけ待ってほしい、と先生に土下座して頼み込んだからに決まっているではないか!」
「…‥…‥それは、自慢することじゃないだろう」
昂の言葉に、拓也は呆れたように眉根を寄せる。
あまりにも怪しい登場の仕方だったからか、近くで応援していた他の生徒達から思いっきり冷めた眼差しを向けられ、自分達がいる場所自体が必然的に避けられていることにも気づかずに、昂は先を続けた。
「そんなことよりも、綾花ちゃん。禁断の魔術を披露する前に一度、進として振る舞ってはくれぬか?」
「進に?」
昂の勝ち誇った哄笑に、綾花は戸惑った顔で昂の顔を見た。
「何故、魔術を使う前に、綾花が上岡として振る舞う必要があるんだ?」
「絶対に、何か企んでいるだろう」
緊迫した空気の中、拓也が牽制するように昂を睨むと、元樹もまた鋭く切り出す。
一触即発の状態にも、昂は動じなかった。
「何も企んでおらん。何もな」
その切り捨てるような鋭い言葉を前にしても、昂は不適に肩をすくめてみせるだけだった。
しかし、昂はまっすぐに綾花を見つめると、にんまりとほくそ笑む。
「ただ、この魔術は、綾花ちゃんが進として振る舞っていなければ、意味をなさぬからな」
昂がぽつりとつぶやいた独り言は、誰の耳にも届くことはなかった。




