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第6話:その同室、無防備につき

 意識が浮上したとき、最初に感じたのは、頭の下にある“極上の柔らかさ”と、鼻先をくすぐる甘い匂いだった。


「……ん」


「あ、起きた?」


 目を開けると、視界の天地が逆さまだった。 上から覗き込んでくる、心配そうなミントグリーンの瞳。  そして、俺の頬をツンツンとつついている白い指先。


「……えっと、エルナ?」


「うん。おはよう、ユウ」


 彼女はふわりと微笑んだ。 現状を把握する。俺は街道の脇で横になっていて、頭は彼女の太もも──つまり、膝枕の上に乗っていた。


「……っ!? ご、ごめん! 俺、重かっただろ!?」


 慌てて飛び起きようとするが、体に力が入らず、情けなくも再び膝の上へ沈没する。


「ふふ、ダメだよ。まだ毒が抜けたばかりなんだから」


 エルナは悪戯っぽく笑って、俺の額をそっと撫でた。 その手つきが、幼子をあやすように優しくて、妙に心地いい。


「重くなんてないよ。ユウ、意外と軽いし。……それに、頑張ってくれたでしょ?」


「……頑張ったっていっても……」


「私の命を救ってくれたんだもん。これくらい、させてよ」


 彼女は少し照れくさそうに視線を逸らし、また俺の髪をすき始めた。 普段は凛とした剣士なのに、今はまるで世話焼きのお姉さんだ。 このギャップはずるい。毒の後遺症よりも、心臓に悪い。


『いよっ、役得! 膝枕の感触はどうだい、勇者くん?』


 フィノの野次を無視して、俺はどうにか体を起こした。


◇ ◇ ◇


 夕暮れのシンラク市街。

 ギルドのカウンターは、ちょっとした騒ぎになっていた。


「──えっ、マッド・ストーカーの討伐!? しかもウィローの林で!?」


 いつもの眼鏡の受付嬢が、素っ頓狂な声を上げて立ち上がった。

 周囲の冒険者たちが、ざわめきながらこちらを見る。


「はい、これが証明部位の『一つ目』と『毒針の筒』です」


 俺がカウンターにゴロリと転がした戦利品を見て、受付嬢は息を呑んだ。


「間違いありません……Cランク相当の変異個体です。本来ならあなた達が倒せるレベルではないですよ、これ」


 彼女は信じられないものを見る目で、俺たち──特に俺を見た。


「あの、ユウさん。失礼ですが……あなたが倒されたんですか?」


「……まあ、運が良かったんです。相方が気を引いてくれた隙に、不意打ちで」


 嘘は言っていない。

 受付嬢は疑り深そうに眼鏡の位置を直したが、提出された素材の事実は覆らない。


「……査定額は跳ね上がります。緊急討伐報酬も合わせて、銀貨30枚……いえ、金貨1枚で買い取りましょう」


 金貨。

 周囲から「おいおいマジかよ」「あいつら何者だ?」という声が漏れる。


(……目立つのは、嫌だ)


 胃が痛くなる。俺はただのFランク冒険者でいたい。目立てば目立つほど、《人畜無害》という異常性が際立ってしまう。


 それでも、金は必要だ。大金だ。これがあれば、当面の宿代と装備代には困らない。

 俺とエルナは顔を見合わせて、小さくガッツポーズをした。


◇ ◇ ◇


「ん~っ! おいし~っ!!」


 宿屋『リベル』の食堂で、エルナの声が弾けた。 テーブルには、金貨入手記念の「特製ビーフシチュー」と、焼きたての白パン。


 エルナは幸せそうに頬を緩め、スプーンを口に運んでいる。 リスのように頬を膨らませて食べる姿は、戦場の彼女とは別人のように幼い。


「ユウも食べてみて! ここのお肉、すっごく柔らかいから!」


「ああ、いただきます……」


 俺がスプーンを持とうとすると、エルナが自分のスプーンに肉と野菜を山盛りに乗せ、俺の口元に突き出してきた。


「はい、あーん」


「……は?」


 俺が固まると、エルナは「あ」と気づいて、カッと顔を赤くした。


「ご、ごめん! 私、弟がいるから家だと癖で……! うわ、忘れて! 今の忘れて!」


 彼女は慌ててスプーンを引っ込めようとする。 だが、その焦った顔があまりにも可愛くて──俺は無意識に、彼女の手首を掴んでいた。


「……もらうよ。せっかくだし」


「えっ」


 パクッ。  


 俺は彼女の手から、シチューを一口食べた。 濃厚なデミグラスソースの味が広がる。


「……うん、美味い」


「~~っ!」


 エルナは耳まで真っ赤にして、俯いてしまった。 でも、その口元が嬉しそうに緩んでいるのを、俺は見逃さなかった。


「……で、部屋のことなんだけど」


 俺は少し言い淀んだ。

 実は、チェックインの際にトラブルがあったのだ。


『あいにく、今日は商人の団体さんが入っててねぇ。個室は満室なんだよ。ツインの部屋なら一部屋空いてるけど……』


 宿の女将にそう言われ、俺は別の宿を探そうとした。

 だが──


『いいですよ、そこで。私たちパーティですから』


 エルナが即答したのだ。


 そして今。

 シチューをスプーンで掬いながら、俺は恐る恐る尋ねる。


「……本当によかったのか? 同室で」


「ん? 何が?」


 エルナはキョトンとして、パンを千切った。


「だって、別の宿探すの面倒だし。ここなら安いしご飯美味しいし」


「いや、そういう問題じゃなくて……男女が一つ屋根の下、だぞ?」


「……ユウは、私に何かするつもりなの?」


 彼女は悪戯っぽく、上目遣いで俺を見た。


「……しないよ」


「でしょ? ユウなら大丈夫って、分かってるもん」


 彼女はニッコリと笑って、またシチューを食べ始めた。

 その「分かってる」という言葉。

 信頼されている、と言えば聞こえはいい。

 だが俺には分かる。これは《人畜無害》の作用だ。


 彼女の本能が、俺を「オス」として認識していない。

 だから警戒心も抱かない。


(……複雑すぎる)


 俺はため息交じりにパンを齧った。味は美味しかったが、少し砂を噛むような気分だった。

 腰のナイフが、微かに脈打っている気がした。まだ血を欲しがっているのか。それとも、俺の動揺を楽しんでいるのか。


『ふふふ、試練だねぇ、悠』


 フィノが天井からぶら下がってニヤニヤしている。


『《人畜無害》ってのはさ、“安全”の証明だけど、同時に“男としての死刑宣告”でもあるわけよ。手を出したら犯罪、出さなきゃ不能扱い。……さあ、どうする?』


「……うるさい」


◇ ◇ ◇


 部屋は二階の角部屋だった。

 木造のシンプルな作り。窓からは水路が見え、夜風が心地よい。

 そして──部屋の中央には、セミダブルサイズのベッドが一つだけ。


「あー、やっぱりベッドひとつかぁ」


 エルナは何食わぬ顔で荷物を置く。


「ま、床で寝るよりマシだよね。ユウ、お風呂先入っていいよ」


「……おう」


 俺は逃げるようにシャワールーム(この世界では魔石でお湯を出す仕組みらしい)へ入った。

 熱いお湯を浴びて、頭を冷やす。


 風呂から上がり、体を拭いて部屋に戻ると──

 そこには、俺の理性を試す光景が待っていた。


 エルナが、着替えていた。

 いや、正確には「着替え終わって、寛いでいた」。


 薄手のネグリジェ一枚。

 風呂上がりで上気した肌。濡れた髪から滴る水滴。

 そして、白い肩から、鎖骨のライン、そして胸元の膨らみの始まりまでが、無防備に晒されている。


「あ、おかえりー」


 彼女はベッドの上で足を組み、髪をタオルで拭きながら俺に微笑んだ。


「ッ……!」


 俺は反射的に視線を逸らした。


「ど、どうしたの?」


「……いや、なんでもない」


 彼女は気づいていない。自分の姿がどれほど無防備で、男を刺激するかを。

 普通なら「見ないで!」と隠す場面だ。

 だが、彼女は隠さない。俺に見られても「恥ずかしい」という感情のスイッチが入らないのだ。


「ユウもこっち来なよ。今日は疲れたでしょ?」


 彼女はポンポンと、自分の隣のスペースを叩いた。

 ベッドに入るように促している。


(好かれてるわけじゃない。警戒できないだけだ)


 俺は自分に言い聞かせる。これは信頼じゃない。脳のエラーだ。

 ここで手を出せば、俺はただの卑怯者になる。


「……電気、消すぞ」


 俺は覚悟を決めて、電気(魔導ランプ)を消した。

 暗闇なら、少しはマシだ。


 ベッドに潜り込む。

 ギシ、とスプリングが鳴る。

 すぐ隣に、エルナの体温がある。石鹸の香りが鼻をくすぐる。


「……んぅ。あったかい……」


 エルナが寝返りを打ち、無意識に俺の背中に身を寄せてきた。

 柔らかい感触が、腕に当たる。


(……勘弁してくれ)


 俺は心臓が破裂しそうな音を立てているのに、彼女は規則正しい寝息を立て始めた。

 あまりにも深い、安心しきった眠り。


『……でも、気をつけてね』


 フィノの声が、静寂の中に落ちる。茶化すような響きは消えていた。


『沈黙してるだけだよ。呪いも、彼女の理性も』


 俺はその言葉を噛み締めながら、天井の木目を見つめ続けた。

 今日手に入れた金貨よりも、討伐した魔物の記憶よりも──今、この瞬間が一番、俺の精神を削っていた。


◇ ◇ ◇


 翌朝。

 俺は最悪の寝不足のまま、朝を迎えた。


「ん〜っ! よく寝た! おはよ、ユウ!」


 対照的に、エルナは肌ツヤも良く元気いっぱいだった。


「……おはよう」


「あれ、目の下にクマできてるよ? 枕、合わなかった?」


「……まあ、そんなとこ」


 誰のせいだと思ってるんだ。


 エルナは不思議そうに首を傾げたが、すぐに「ま、いっか!」と笑い飛ばした。

 ただ、一瞬だけ。

 彼女の瞳に、「昨日の夜、ユウが私を見て目を逸らした」という記憶の断片がよぎったような気がした。

 言葉にはならず、意識の水底に沈んでいく違和感の種。


 身支度を整え、宿を出る。

 今日は装備のメンテナンスと、消耗品の買い出しをする予定だ。

 金貨があるので、少し良い装備も買えるかもしれない。


 朝のシンラクは、昨日よりも活気づいていた。

 露店を見て回り、ポーションや携帯食料を補充する。

 エルナとの会話は弾み、傍から見れば完全にデートだ。


「あ、見てユウ! あのアクセサリー可愛い!」


 彼女がショーウィンドウを指差してはしゃぐ。

 俺はそれに苦笑いで付き合う。

 こんな日常が、ずっと続けばいい──そんなふうに思い始めた、その時だった。


「……う、うぅ……」


 ふと、路地裏の奥から、か細い声が聞こえた。


 賑やかな大通りの喧騒にかき消されそうな、小さな泣き声。

 誰も気に留めていない。あるいは、気づいても関わろうとしない「貧民街」の気配。


「……?」


 俺は足を止めた。

 エルナも気づいて振り返る。


「ユウ? どうしたの?」


「……いや、今、声が」


 俺は何かに引かれるように、薄暗い路地へと足を踏み入れた。

12月18日 [日間]異世界転生/転移〔ファンタジー〕

222 位でしたー

読んでいただきありがとうございます!


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