第4話:その凶器、沈黙につき
パーティを結成した直後、エルナは「じゃあ、まずは買い物だね!」と俺の手を引いた。
「買い物?」
「そう。ユウ、武器持ってないでしょ?木の枝や石ころで戦うわけにいかないし」
「……確かに」
昨日のスラッシュビースト戦は、運とアドレナリンだけで乗り切ったようなものだ。
これから冒険者としてやっていくなら、自分の身を守る鉄が必要になる。
「この先にね、ちょっと入りにくいけど……いい店があるんだ」
エルナに連れられて歩くシンラクの街並みは、歩くだけで目が回りそうだった。
水路を滑る小舟からは、歌うような客引きの声。
橋の上には、スパイスの効いた串焼きの煙と、見たこともない果実の甘い香りが入り混じっている。
『へぇ、ここが大通りかぁ。大地脈が濃いね』
俺の肩の上で、フィノがふよふよと浮きながら呟く。
「……テラ・ライン?」
『この世界のエネルギーの循環だよ。空を流れるのが天空脈、地を巡るのが大地脈。シンラクは物流の要所だから、人の欲望と一緒に、地の魔力がごちゃ混ぜに集まってるの。……ま、簡単に言えば“大地の力が強い場所”ってこと』
なるほど、分かりやすい。
メインストリートを抜け、薄暗い路地裏に入ると、空気は一変した。
湿った石壁と、錆びた鉄の匂い。
その突き当たりに、古びた看板を掲げた店があった。
──【武具店・鉄の墓標】。
「……名前、不吉すぎないか?」
「ふふ、店主さんが偏屈なだけだよ。腕は確かだから」
ギィ……と重い扉を開けると、店内は静まり返っていた。
壁一面に飾られた剣、槍、斧。そのどれもが、新品の輝きではなく、使い込まれた古強者のオーラを放っている。あるいは、持ち主を失った遺品か。
「いらっしゃい……なんだ、冷やかしなら帰んな」
カウンターの奥から、ドワーフ族の老人が顔を出した。
編み込まれた灰色の髭と、岩のような厳つい顔。その眼光だけで、普通のFランク冒険者なら逃げ出しそうだ。
「こんにちは、ゴルツさん。今日はこの子の武器を探しに来て」
「あん? ……ヒョロい兄ちゃんだな。貧弱な奴が持てる武器なんざここにはねぇぞ」
店主のゴルツは俺を一瞥し、鼻を鳴らした。
だが──追い出そうとはしない。
ここでも《人畜無害》が働いている。「こいつなら店の商品を盗んだり暴れたりする甲斐性もないだろう」という、無関心に近い許容。
「自分に合うものを探してみろ。……怪我しても知らねぇがな」
許可は出た。俺はエルナと一緒に、薄暗い店内を物色し始めた。
棚に並ぶ武器は、どれも重すぎたり、長すぎたりしてしっくりこない。
俺の貧弱な筋力でも扱えて、かつ《人畜無害》で接近した時に一撃を見舞えるもの。
「……ん?」
店の隅。埃をかぶった木箱の中に、無造作に放り込まれている一本のナイフが目に入った。
鞘はなく、黒い布が巻かれているだけ。
吸い寄せられるように布を取ると、そこには漆黒の刃があった。
長さは30センチほど。細身で鋭く、光を反射しないマットな黒。
一目見て、ゾクリとした。
美術品のような美しさと、触れてはいけない毒蛇のような気配。
「……これ、いいな」
俺が手を伸ばそうとすると──
「バカッ! それに触るな!」
ゴルツの怒声が飛んだ。
「え?」
「そいつは《黒哭のスティレット》だ! 持ち主の精神を食って、最後には自ら喉を突きに来る“自殺志願の刃”だぞ! それは刃物じゃねぇ、“棺桶”だ」
呪いの武器。
ファンタジー小説でしか聞いたことのない単語に、俺の手が止まる。
「ユウ、ダメだよ! そんな危ないもの……!」
エルナも青ざめて俺の腕を引こうとする。
普通なら、ここで諦める。絶対に触らない。
でも──
俺の隣で、フィノがニヤリと笑っていた。
『いけちゃうかもよ、悠』
(は? お前、俺を殺す気か?)
『違う違う。思い出して、君のスキル。……“敵意を向けられない”。それは人間だけじゃなくて、意志を持つ魔剣や呪具にも適用されるルールだよ』
フィノの言葉に、俺の心臓が早鐘を打つ。
呪いすらも、俺をスルーするのか?
ゴルツとエルナの制止を振り切り、俺はそっと、その黒い柄を握った。
──チリッ。
指先に、静電気のような微かな痺れが走る。
そして。
……シーン。
何も起きなかった。
精神を乗っ取られる感覚も、勝手に腕が動くこともない。
ただ、驚くほど手によく馴染む、切れ味の鋭いナイフがそこにあるだけ。
「……なっ、おい、大丈夫なのか……!?」
ゴルツが目を剥いてカウンターから身を乗り出す。
「……なんとも、ないですね」
試しに軽く振ってみる。
ヒュッ、と風を切る音が鋭い。重さもバランスも完璧だ。
『あはは、やっぱり! そのナイフ、君に殺意を向けようとしてるんだけど、君をターゲットとして認識できないんだよ。“あれ? 誰か持ってるはずなのに、誰もいない?”って混乱してる』
フィノが腹を抱えて笑う。
呪いの武器が困惑しているなんて、聞いたことがない。
「……信じられん。その呪いが沈黙するなんて……」
ゴルツは額の汗を拭いながら、呆然と呟いた。
そして、ふぅと長い息を吐く。
「……持ってけ」
「えっ、いいんですか?」
「そいつを処分し損ねて困ってたんだ。お前さんが使えるってなら、銀貨3枚でいい」
破格だった。
業物であることは素人目にも分かる。本来なら金貨数枚は下らない代物だろう。
「ありがとうございます。大事にします」
俺は帳簿に「日辻悠」と書き込み、代金を支払った。
銀貨3枚。俺の初任給の半分近くが消えたが、それ以上の価値を手に入れた確信があった。
店を出ると、エルナが心配そうに俺の顔を覗き込んできた。
「本当に、平気なの? なんか気分悪いとか、変な声が聞こえるとか……」
「大丈夫だよ。むしろ、すごくしっくりきてる」
俺は腰のベルトに、簡易的な革鞘(店のおまけでもらった)を差し込んだ。
《黒哭のスティレット》。
攻撃力も切れ味も一級品だが、使い手を殺す欠陥品。
存在感がないせいで誰からも攻撃されない俺には、皮肉なほどお似合いの相棒だ。
『最強の防御(人畜無害)に、最強の攻撃かぁ。……悠、君もうFランクの装備じゃないよ、それ』
フィノの言葉通りだ。
俺は、この世界に来て二日目にして、すでに「まともな道」から外れ始めている。
「……さて、装備も整ったし」
俺はエルナに向き直り、努めて明るく言った。
「早速、依頼に行ってみるか?」
「うん! まずは街の近くで、薬草採取とかスライム退治かな。私のオススメの場所があるの!」
エルナの笑顔は眩しい。
彼女は知らない。俺の腰にあるこのナイフが、ただの武器ではなく、俺という異質な存在を象徴する「バグアイテム」だということを。
『……でも、気をつけてね』
フィノが俺の耳元で囁く。
『沈黙しただけだよ。呪いが消えたわけじゃない』
俺たちは人混みをかき分け、西門へと向かった。
シンラクの活気が、俺の背中を押す。
あるいは、二度と戻れない場所へと押し流しているのかもしれなかった。




