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気が付けばニチアサ世界に紛れ込んだみたいです  作者: 濃厚圧縮珈琲
第二部 第四楽章 戦場を駆ける
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スティル・ワールド

 先に動いたのはバルナードだった。

 

 巨躯な身体とは裏腹に踏み込みは鋭く、一呼吸の間に私との距離を詰め、斧槍を大きく振りかぶっていた。


 「おぉッ!!」


 空を押し潰しながら迫る厚い刃は、通過するもの全てをへし切るだろう。


 だが、その質量と取り回しには少なからず速さを失うのだ。



 既にボロボロの身体ではあるが、避けるのには苦労しない。


 

 普段ならしない短略的な判断を、魔素酔いと失血による不調が(いざな)ってしまった。

 


 跳躍し、刃を飛んで避けた勢いでバルナードの両腕を切断する。

 だがその判断は、迫る斧槍が刃で両断するのではなく、斧の腹で薙ぎ払おうとしている事に気付いた時に間違いであったと悟った。



 迫る鉄塊――既に跳躍している今、回避は不可能だった。

 

 剣を振るう体勢から無理矢理防御姿勢へと移行するも、バルナードの膂力によって生み出される破壊の一撃は、既に傷付いた私の身体を粉砕するには十分だった。


 ミシミシと腕を伝う衝撃と痛み。

 ナノマシンによってセーブされているはずなのに、指先から熱湯に押し込まれているような痺れと鈍い痛みが徐々に登ってくる。


 グンッと身体が勢いのまま押し出され、途中でバウンドする事なく壁……否、強化ガラスを砕き、室外へと転げ落ちた。



 「あがッ……ぐぅ……ッ!」



 落ちた時に背中に割れたガラス片が刺さっているのか、背中から激しい痛みと違和感。

 遅れて全身を怠さと不快感が襲い、胃の内容物と血をビシャビシャと吐き出した。


 「う……ぁ……」




 不味い、不味い不味い不味い……。

 

 身体が言うことを聞かない。

 いつもなら衝撃を逃がしてダメージも最低限に出来たはず。



 なのに……。



 動けなかった。


 

 それに、今自分が飛ばされたここは……例の装置の近く。   

 ガラス越し程度で何か変わるのかと思っていたが、直に濃厚な魔素の近くにいるのは……想像以上に身体を蝕まれる。



 立ち上がろうと手を付くが、先程受けたバルナードの一撃の余波で、うまく力が入らずにべしゃりと地へ倒れ込む。

 

 今追撃を受ければ躱す事もままならず、死は避けられない。

 

 だが流石に穴が空いたままでは彼らにも影響があるのか、それともこの装置への誤射を避けたのか。

 彼らは割れた強化ガラスを修復し、悠々と外へ出る扉へと歩き始めた。


 

 この機を逃す手はない。


 力は入らず、動作も鈍いが何とか動いてくれる手をパワードスーツの収納ポケットへ伸ばし、中からメディカルゼリーを取り出した。

 

 ノロノロと口元へ運び、吸い込む力はない為パックを握り、中身を口内へ絞り出す。

 後は何とか仰向けに転がり、重力がゼリーを運んでくれるのを待った。


 

 ゼリーのどこか生臭い薬品臭と不快な触感が喉元を過ぎるまで、自身の吐き出した血と胃液の味が喉を焼いた。

 だがそれを咳き込み吐き出す反射反応すら機能していない。

 

 客観的に見れば数秒の事。

 でも私にとっては数分に感じていた。


 

 ゴクリとゼリーを嚥下するのと、防護服とマスクを纏ったバルナ―ドが室内から現れたのは同時だった。

 

 バルナ―ドは片手をこちらへ向け、その掌に魔力を集束させ魔力弾を放つ。


 「……ぐッ!!」


 間一髪、私は最低限の防御魔法を角度を付けて展開し、飛来した魔力弾を跳弾させた。

 

 まだ手の痺れも全身の倦怠感も取れない。

 いつもの万全の調子とは天と地の差がある。


 

 ――だから何だ。

 

 

 手足が動くなら、口が動くのなら、まだ戦える。

 幸いな事に魔素は腐るほどある。


 ――戦え。



 跳ねるように身を起こし、剣状にしていた魔導デバイスを杖状へ戻して切断魔法を放ちながら距離を取り続ける。


 不可視の刃がいくつもバルナ―ドを襲うも、気配で読まれているのか、回避されるか斧槍で叩き切られ、有効打を与えられない。



 「るぅぉおおッ!!」


 対魔素マスクで声はくぐもっているが、バルナ―ドが雄叫びを上げる度に距離を詰められ、斧槍による嵐のような斬撃刺突を繰り出して生傷を増やされていく。


 ――重い。


 斧槍が振るわれる度、空気ごと叩き潰されるような(プレッシャー)が全身を打つ。

 

 避ける。受け流す。距離を取る。

 

 その何気ない一つ一つの動作が、確実に体力と集中力を削っていった。


 敵の斬撃に剣を合わせれば、手と腕が痺れる。

 魔法を放てば、肺の奥が軋む。


 

 今の私は、耐えているだけだ。


 防いで。

 逃げて。

 殺されないように、ただ生き延びているだけ。


 その事実が、ふと胸の奥に落ちた。



 「おおおッ!!」



 バルナ―ドの斧槍が再び振り下ろされる。

 私は僅かに遅れて跳び退き、はためく黒いパワードスーツ(法衣)が切断され宙を舞う。



 ――違う。



 違う、そうじゃない。


 私は――守るために、ここに来たんじゃない。


 逃げる為に、剣を握ったわけじゃない。




 「……私は」




 息を吸う。

 魔素で焼け付いた肺に、無理やり空気を送り込む。



 ――前へ。



 そうだ。

 私は、進む。


 この命が続く限り。

 壊れるその瞬間まで。


 後ろへ退く足を、意識的に止めた。


 斧槍が横薙ぎに迫る。

 今までなら距離を取っていた一撃。


 だが――


 私は逆に、一歩踏み込んだ。


 「むッ……!」


 激しい衝撃が腕を伝い、ようやく修復が終わりかけていた腕の骨を再び罅だらけにする。

 刃を受けた剣が悲鳴を上げるように軋み、ぱっと血のように火花が散った。



 それでも、斧槍の刃の軌道を逸らし、身を低くして死の一閃を潜った私に最大のチャンスが訪れる。


 


 斧槍を振り抜き、隙を晒したバルナ―ドの懐へ、剣の切っ先を突き――

 

 「ぬぉぉおおッ!!!」

 

 「ぐぁッ……!?」


 丸太のような足から放たれた蹴りが、私の鎖骨を砕いた。


 そのまま勢いに逆らう事無く何度目になるか分からない地面を転がり、体制を整える。



 ――浅かった。

 だが、確かに切っ先は届いた。



 防護服の胸元を貫かれ、僅かに血を流すバルナードの口元が、僅かに弧を描いた。


 



 今のは、防ぐ為の剣ではない。

 逃げる為の一手でもない。


 これは――進むための一歩だ。


 私は、今一度しっかりと剣を構え直す。


 もう、退かない。


 進む。


 進み続ける。


 

 


 次の瞬間、バルナ―ドの足が床を踏み砕き、巨躯の像がブレた。


 空気が一拍遅れて潰れ、爆風のような圧が全身を叩く。


 「……ッ!」


 考えるより早く、身体が反応した。

 斧槍が叩きつけられるより先に跳ぶ。



 強大な運動エネルギーが私の目の前で炸裂し、破壊へと変えていく。


 ギリギリ当たっていないはずなのに、衝撃が身体を揺らし一瞬視界が裏返る。

 

 骨が砕けた。

 いや、砕けた気がしただけだ。


 床を転がり、無理やり受け身を取る。

 だがおちおち止まれない。


 ――来る!


 予感の直後、頭上から次は槍部分での鋭い突きの一撃が。

 今度は避けきれず、肩で受けた。


 「がッ……!」


 穂先が肩口を抉り、パワードスーツが悲鳴を上げて裂ける。

 同時に、焼け付くような痛みが肉に直接走った。


 魔法を撃つ暇はない。

 距離を取ろうにも、肩を貫く穂先が邪魔で動けない。


 ――なら、こうするしかない。


  

 「ああああッ!!!」


 自ら傷を広げながら、肩を斬り裂かせて穂先から逃れる。

 痛みで視界がチカチカと点滅し、網膜にナノマシンの警告が浮かぶ。

 

 だがバルナ―ドは容赦しない。

 続く斬撃、刺突、叩き潰し。

 その一撃一撃が重い。

 躱しても、受け流しても、衝撃によるダメージは確実に身体に蓄積していく。



 「ハハッ!!まだ耐えるか小娘!!」



 マスク越しの笑い声。

 籠るのは殺し合いへの歓喜。

 まだ倒れぬのかという呆れ。

  


 私は後退しながら、切断魔法を放つ。

 不可視の刃が、僅かに肉を裂いた。


 だが。


 「浅いッ!!」


 斧槍が振り下ろされ、魔法ごと叩き潰される。

 魔力が霧散し、空気が爆ぜた。


 肺が悲鳴を上げる。

 視界が狭まる。


 魔素が濃い。

 重い。

 息を吸うたび、内側から身体を侵されていく。


 ――不味い。


 意識が、遅れる。


 足が、僅かに遅れる。


 斬撃に剣を合わせた瞬間、衝撃に耐えきれず膝が落ちた。


 「くッ……!」


 その一瞬を、バルナ―ドは逃さない。


 斧槍の石突が、腹部へ叩き込まれた。


 「が……ぁ……!」


 内臓が揺れ、息が強制的に吐き出される。

 音にならない呻きが漏れ、身体が宙に浮いた。


 床に叩きつけられ、転がる。

 視界が白く飛ぶ。


 ――立て。


 命令するように思考が叫ぶ。

 だが、身体が追いつかない。


 重い。

 遅い。

 鈍い。


 バルナ―ドが、斧槍を構え直す。


 今度は――終わらせに来ている。


 「良く耐えたな、小娘」


 低く、愉しげな声。


 「だが……ここまでだ」


 斧槍が振り上げられる。

 影が、視界を覆った。


 ――このままじゃ、死ぬ。


 そう、冷静に理解できた。


 逃げるには遅い。

 防ぐには、重すぎる。


 だから。


 その瞬間。


 私の中で、何かが静かに切り替わった。


 音が、遠ざかる。

 鼓動が、耳鳴りの向こうへ沈んでいく。


 視界の端で、斧槍が――


 僅かに遅れた。






 ――死ぬ。



 今度こそ、そうはっきりと思った。



 恐怖はなかった。

 


 ただ、訪れる事実を受け入れたという感覚だけがあった。


 

 ――その瞬間。


 世界が、奇妙に引き延ばされた。


 空を押し潰し、裂く斧槍の風切り音が、低音へと変わる。

 身体を叩き潰される衝撃が、その時がまだ訪れない。



 代わりに、脳裏へと……走馬灯のように、記憶が雪崩れ込んできた。


 自身が生まれてから選別、入隊、いくつも潜った数えきれない死線が高速で流れていた。


 何度も、何度も――死にかけた。



 

 それらの記憶が、本来なら一瞬で流れ去るはずなのに。

 今は異様なほど速く、そして――

 唐突に、遅くなった。




 帝都防衛戦。


 瓦礫に覆われた帝都。

 崩れ落ちた高層建築。

 迫る魔導砲の再発射。


 あの時の私は部下を失い、全てが限界で、全てが終わると思った瞬間。

 ――奥深くまで、集中していた。


 周囲の動きが鈍り、

 魔導人形の砲撃の閃光が引き延ばされ、

 敵の弾道が、手に取るように見えた。


 時が、ゆっくり流れていた。



 ……いや。


 ……違う。


 今なら分かる気がする。


 あれは、時が遅くなった訳でも世界が止まった訳でもない。


 ――私だけが、時の流れを()()()()()()()


 思考が、感覚が、そして肉体そのものが。


 

 次に記憶の再生がゆっくりになったのは、S-087との何気ない会話だった。

 


 『アリサちゃん、それって……凄い事だよっ!』


 『……?』 


 『つまり……誰も出来ていない、誰も証明出来ていない時間へ干渉したって事でしょ!?』


 『……恐らく。でも……必死だったから』


 『う~……私もそんなに頭が良いわけじゃないから、こうだ!って言えないけど……。その感覚、まだ覚えてる?』


 『……恐らく』


 

 S-087はぎゅっと私の手を握り、じっと目を見つめた。


 『その感覚……忘れちゃダメだよ。きっと……アリサちゃんのとっておきなんだからっ!』


 『……』


 『せっかくだし、何かカッコいい名前付けちゃう??私そういうの得意なんだ~!』




 

 

 『あぁ……』


 声にならない声が、胸の奥で零れた。


 思い出した。


 あの感覚。

 あの静けさ。

 

 死の淵で、世界と切り離されたあの一点。


 今。


 今なら――届く。


 斧槍が振り下ろされる、その刹那。


 私はただ――

 深く、深く、潜った。


 世界の底へ。

 時間の裏側へ。


 ――そして。


 音が、消えた。


 弾ける魔素の色が、止まった。


 血の滴が宙に浮き、バルナ―ドの体重を乗せた踏み込みで砕けた床の欠片が静止する。


 振り下ろされてていた斧槍も。


 この世界全てが、恐ろしくゆっくりになっていた。


 

 この感覚、覚えている。

 思考だけじゃない、今なら身体もついてこれる。 



 世界の理が私へ止まれと言っても、私はそれに従わない。

 何故なら――

 



 「……スティル(それでも)・ワールド(私は立ち止まらない)





 まず、間近まで振り下ろされていた斧槍の刃先から身を逸らした。


 限りなく静止に近い、時が引き延ばされた世界で動く度に、僅かに身体が後ろへ引かれるような感覚がある。

 まるで――世界そのものが、私を元の流れへ戻そうとしているかのような抵抗。


 

 でも、私は足を止めなかった。


 床を踏みしめる一歩。

 足の裏に伝う確かな感触。


 今度こそ、手にした剣状の魔導デバイスを強く、確かに握り直す。


 腕が、重い。

 曲げる肘の関節が、軋む。

 それでも、大きく振りかぶる。


 スローモーションの世界の中で、刃先だけが前へ進む。


 目の前には、一閃を振るう気迫に満ちた表情のバルナ―ド。

 踏み込みの途中で時を引き延ばされ、斧槍を振り下ろす1秒にも満たないその僅かな瞬間を倍以上に感じさせる世界の中、私は僅かな抵抗感だけで通常通りに進んでいる。




 私は迷わなかった。


 剣を――

 彼の胸へと、真っ直ぐに突き立てる。


 刃が装甲を割り、肉を貫き、奥へ奥へと沈み込んでいく。



 ――その瞬間。


 世界が、追いついてきた。



 斧槍が獲物の消え、誰もいない床を砕く轟音。

 怪力による一撃によって床から迸る衝撃。

 目や口、鼻から血が噴き出す感覚。


 止まっていた時間が、一気に流れ出す。


 バルナ―ドの身体が大きく揺れ、床へと叩きつけられた斧槍はそのまま岩盤を割りながら突き刺さる。



 私も至る所から吹き出す血に、意識を飛ばしそうになるも必死に耐え、突き立てた剣から決して手を離さなかった。





 刃を受けたバルナ―ドは、すぐには倒れなかった。


 胸を貫かれ、巨躯が大きく揺れる。

 だが、その足は崩れない。


 「――――ッ」


 一瞬、声にならない呼気がマスク越しに漏れた。


 胸に突き立てられた剣を見下ろし、次いで――ゆっくりと顔を上げる。

 その動きは、まるで痛覚そのものを確かめているかのようだった。


 白い法衣の胸あたりが濃い赤い血によって汚されていく。

 未だ突き立たれたままの剣の刃を伝い、粘つくように私の手を熱い血が濡らした。


 「……は」


 彼がようやく吐き出した短い息。


 それは苦悶でも、悲鳴でもなかった。


 「はは……ははは……」


 低く、喉の奥で転がる笑い声。


 バルナ―ドの肩が、小刻みに揺れた。


 「成程……これが……」


 斧槍を支えにしながら、何とか起立の姿勢を保っている。

 胸を貫いた剣が内側から肉を抉り、彼が動く度にだらりと血が零れる。


 それでも、彼は倒れない。


 「……これが、答え……か」


 その声には、怒りも憎悪も籠っていない。


 あるのは――


 「……いい顔だ、小娘」


 ただ、戦士としての純粋な歓喜だけだった。


 私はずるりと剣を引き抜き、数歩後退すると震える手で残心を取る。

 バルナ―ドは片手で胸を押さえたまま、斧槍の石突を今一度岩盤へと突き立てた。



 「確かに……受け取った……その一撃……誇ると……良い……」


 そう言い残すと、バルナ―ドは今一度大きく息を深く吐き――呼吸を止めた。

 死して尚、倒れ込まず立ち尽くしたまま、口元には安らかな笑みを浮かべて。




 「……何故、笑う?」


 

 答えは、返らなかった。


 当然だ。

 バルナ―ドはもう、息をしていない。


 それでも私は、視線を逸らせなかった。


 胸を貫かれ、血を流し尽くし、

 それでも最後まで武器を手放さず、

 倒れもせず――立ったまま死んだその姿を。



 「何故、笑える……?」



 今度は、誰に向けた言葉なのか分からないまま、

 私はもう一度、問いを口にした。


 

 無論、答えはない。



 だがゆっくりと、理解だけが追いついてくる。


 訪れる死の恐怖より逃げ切ったからではない。

 救済の御手の教義に殉じたからでもない。


 ――進み切ったのだ。


 自分が選んだ場所まで。

 自分が信じた強さの、その先まで。


 だから、笑えた。


 戦士として、最後まで立って。

 進む者同士として、剣を交わし。

 その結果を、受け入れた。


 「……」


 喉の奥が、ひりつく。


 胸の内に、名付けようのない感情が溜まっていく。


 尊敬とも、憎しみとも、哀悼とも違う。

 ただ――重い。


 私は、静かに剣を下ろした。


 血に濡れた刃先が、かすかに震えている。


 それは疲労か、反動か。

 あるいは――


 同じ場所まで、辿り着いてしまったという実感か。




 


 「――お見事」



 背後から、拍手の音が響いた。


 乾いていて、場違いな音。


 私は、振り向かない。


 振り向かなくても、分かる。


 「バルナ―ドは、最後まで己の道を行ったのだ。彼もまた……選ばれた人間だった」


 アークの声は、どこまでも穏やかだった。


 「そして、やはり君もだ」


 

 「……ッ!?」



 何かを答えようと意識して息を吸った――その瞬間に来たのは、激しい痛みだった。


 体の内側から破裂したかのような痛みと疲労が、堰を切ったように体中を駆け巡った。


 「……あッ……うぁ……ッ……ぎぃ……ッ」


 喉から声にならない息が漏れる。


 漏れ出した空気を、吸う事が出来ない。


 呼吸で肺を動かそうものなら、胸を掻きむしってしまいそうな痛みが走る。



 ――スティル・ワールドの反動。

 無理やり引き延ばし、踏み越えた時間が、

 今になって私の全身へ請求書を突き付けてくる。



 視界が揺れる。

 心臓が不規則に跳ね、肺が上手く膨らまない。


 ――立て。


 そう命じる思考とは裏腹に、

 身体はもう、限界だと告げていた。


 それでも。


 私は倒れなかった。


 バルナ―ドが、立ったまま死んだその場所で。

 同じように、立ち続けていた。


 


 「無理をしたね」


 柔らかな声。


 気配すら感じさせず、

 いつの間にか、アークは私のすぐ背後に立っていた。


 反射的に振り向きざまに剣を振るおうとする――が、指が、身体が言うことを聞かない。


 「……!」


 次の瞬間、どこからともなく放たれた鎖が四肢に絡み、

 関節の可動域を正確に奪っていく。


 拘束魔法だ。


 だが、強引な拘束ではない。

 抵抗する余地だけを、丁寧に摘み取っていくような拘束。


 「……ッ、放せ……!」


 叫ぼうとしても、声が震える。


 身体に力が入らない。

 スティル・ワールドの代償が、今になって牙を剥いていた。


 「そんなに警戒しないで良い。もう、キミがこれ以上戦う必要はない」


 アークはすぐ傍まで歩み寄り、私を見下ろす。



 「君は、証明してくれた」


 そっと背後から私の肩へ手を置く。その指先は、どこかねっとりと私の肩を撫でていた。


 「立ち止まらず、ここまで歩き切った。そしてバルナ―ドを越えた。……私が認めた男を、まだ幼いキミが越えたんだ。……興奮せずにはいられないだろう?」


 

 背筋に冷たい物が走り、嫌悪感に指先が強張る。

 しかし、逃げられない。



 「ここから先は――私が引き取ろう。私と共に生きよう。キミが欲しい」


 甘い声。


 疲れ切った心に、深く沈み込む響き。


 世界は残酷だ。

 戦い続けるには、あまりにも。


 この声に身を委ねれば、もう苦しまなくていい。


 そう囁かれている気がした。




 ――でも。




 私は、顔を上げた。


 視界は滲み、拘束された身体は軋む。

 それでも――この意思だけは奪わせない。



 「……まだ」


 酷く掠れた声。


 自分でも驚くほどだった。



 「私は……まだ、終わってない。私は……誰の物にも……ならない……!」



 アークの口元が、ゆっくりと弧を描く。


 より深く。

 より愉しげに。


 「……いいね。いい表情だ」



 その笑みは、拒絶されても崩れる事はない。

 むしろ、笑みを深くした。



 「なら――続きを共に見届けようか。キミが私の元に立ち止まれるように」



 ふわりと身体が浮き上がる。


 アークに横抱きにされ、室内へと運ばれていく。

 

 彼の腕の中で、私は……ただ一つだけ思った。



 ――それでも。


 それでも私は。


 立ち止まらない。


 この先に、何が待っていようとも。

 

~~次回予告~~


皇国が、終わろうとしている。


目の前で示される滅びと、


優しい言葉で差し出される救い。


それでも私は、選ばない。


この命が尽きるその瞬間まで――抗う。


次回、極光の果てに


それでも私は、立ち止まらない。

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