崩壊
漆黒の闇から世界が構築されていく。
深い海の底へ沈むようでもあり、濃い雲を踏みしめるようでもある――そんな不思議な感覚にも、みちるはようやく慣れてきた。
だが、その表情は険しく沈んだままだった。
時間の感覚すら曖昧になり、果てしなく長い時をアリサと共に見てきたようにも、まだほんの数分しか経っていないようにも感じる気持ち悪さ。
隣に佇むアリサは、次第に悪化していくみちるの顔色に、一旦この記憶を見たら今日は切り上げようと密かに決めていた。
二人が降り立ったのは、もはや見慣れたオルディス家のリビングだった。
アウグストとレオンハルトの姿は無く、セリーヌとイルゼ、アリサの三人が静かに食事を取っていた。
会話は無く、黙々と栄養食を口にし嚥下する。
早々に食べ終えたイルゼが、魔法で食器をキッチンへと片付けながら立ち上がった。
「……お母様、今日は少し遅くなるかもしれません。議会で緊急議題を処理する事になりましたので」
「分かったわ。気を付けてね」
セリーヌは穏やかな笑顔でイルゼへと手を振り、見送る。
イルゼもアリサへは決して向けない笑顔を見せ、鞄を手にリビングを後にした。
「……ご馳走様でした」
アリサも遅れて食事を終え、食器をキッチンへと運び洗浄機へと差し込む。
リビングへと戻り、これから自室の向かいにある訓練場へと戻るのだが、アリサは一瞬、母セリーヌに視線を向けた。ほんの僅かな期待を込めて。
だが、その目が合うことはなかった。
「……失礼しました」
どこかがっかりしたような、悲しむような空気を纏ってアリサは一人、リビングフロアを後にする。
階段を降りて訓練場へと向かう幼いアリサの背を追いながら、みちるは痛む胸を押さえつつ隣を歩くアリサへと問いかけた。
『ねぇアリサ、アリサのお父様とレオンハルトはどこへ行ったの?』
『軍務で家を空けています。……ここまで我々が見てきた記憶では、お二人がいる時の事が多いかもしれませんが……本当は大半は不在にしている事が多いのです』
『そっか……。あとイルゼって人、今議会が何とかって言っていたけど……?』
『……イルゼ姉様は、皇国議会の議員を務めていました。若くして頭角を現した姉様は、それは優秀な方だったそうです』
『……優秀な人だったのね。人としては……どうかと思うけど』
一度自室に戻ったアリサは、机に置いた小型化した杖デバイスを取ると、隣の部屋にある訓練場でいつも通り魔力制御の反復練習を始めた。
杖を振るたびに炎が、氷が、風が生み出され、床へ規則正しい焦げ跡や霜痕を残していく。
一通り魔力制御の練習が終わると、杖を一振りし訓練用の人形を大量に呼び出した。
「……よし」
杖を剣状へ変形させ、一歩わざと音を立てて踏み出すのを合図に乱取りを始める。
極力魔法に頼らない、近接戦闘を鍛える日なのだ。
アリサの剣閃が人形を両断し、火花と破片を床に散らす。
同時に、また時間差で飛び掛かり押さえつけようとしてくる人形を、体術剣術杖術で薙ぎ倒し、切断し、穿つ。
一度全てを金属片へと帰しても、間髪入れずに次のセットを始め、息をつく間もなく自身を痛め続けた。
まるで何か迷いを振り切ろうとしているかのように。
何度目かになる乱取りを終えると、次は目を瞑り精神統一の構えを取る。
――訓練場に沈黙が満ちる。
この部屋に存在するのは、幼いアリサだけ。
耳が痛くなるほどの静寂がアリサを包み込むが、まるで気にしていないかのように正確に、等間隔で呼吸を続ける。
まるで微動だにしていないアリサを前に、時間がどれだけ過ぎたのか分からなくなったみちるだったが、変化は急に訪れた。
「……ぐっ!?」
突如アリサが額を押さえ、思わず片膝をついた。
視界が大きくぶれ、頭の奥をノイズが削るように走った。耳鳴りが炸裂音のように響き、同時にナノマシンの警告が直接脳裏へと叩き込まれる。
――異常検知。システムエラー。情報伝達機能停止。思考誘導システム異常検知。
次の瞬間、アリサは迷いなく立ち上がり、訓練場を飛び出していた。
みちるは慌てて彼女の後を追いかける。
『何!? どうしたの!?』
『……ナノマシンが警告を発したのです。この世界の根本を覆す、重大なエラーが発生したと』
幼いアリサは、焦りを隠さない表情でリビングへ駆け戻っていく。
扉をすり抜けて追いかけたみちるの目に映ったのは――壁一面の情報モニターだった。
緊急報道に切り替わった画面では、帝都の巨大な議事堂が炎と黒煙を上げ、崩れ落ちていく光景が何度も繰り返し流されていた。
『――繰り返します。本日正午過ぎ、皇国議会の議事堂において大規模な爆発が発生。建物は一瞬にして崩壊しました』
AIアナウンサーの淡々とした声。
続けてテロップが赤く流れる。
『現場に派遣された皇国軍によると、議場に詰めていた多数の議員の生体反応は確認されず、全員が死亡したものと見られています』
「……うそ……」
セリーヌは膝から崩れ落ちるようにその場へ座り込み、力なく震える手で画面を指さした。
そこには、ほんの数時間前にイルゼが向かうと告げていた議事堂の姿が――崩壊していた。
アリサは表情を変えずに立ち尽くす。だがその小さな拳は膝の横で強く握りしめられ、爪が皮膚に食い込むほどだった。
セリーヌが崩れ落ちたままのリビングに、再び報道音声が重く響く。
『――続報です。只今、帝都中心部に設置されている情報伝達用の主電波塔が崩壊を始めました。映像をご覧ください』
画面が切り替わり、ライブ映像に切り替わる。
天高くそびえていた鋼鉄の塔が、根本から揺れ、黒煙を噴き上げながら傾いていく。
周囲を逃げ惑う市民の群れ。遠くからの撮影映像にも関わらず、その悲鳴ははっきりとマイクを震わせていた。
「……っ」
アリサは思わず杖を握る手に力を込める。
映像の中で、塔の骨組みが鈍い音を響かせながら折れ、やがて巨大な影となって街区を薙ぎ払う。
その瞬間――。
「っ、あああ……!」
アリサの頭に再び激しい痛みが走った。
視界が白く弾け、耳鳴りが鼓膜を突き破るように響く。
ナノマシンの合成音声が、脳裏に木霊する。
――深刻なシステム障害が発生。復旧不可。
幼いアリサは苦痛に歯を食いしばりながらも、片膝をついたまま必死に耐えていた。
そのすぐ近くで、セリーヌも同様に頭を抱えて痛みに耐えるように床へと蹲り、呻き声を発している。
『ちょっ……アリサ!? ねえ、あれ……大丈夫なの!?』
『……一時的なものなので、身体的には問題ありません。しかし……ここで世界は一気に滅亡への階段を転げ落ちたのだと、今改めて思えます』
映像ではなおも黒煙が街を覆い、人々の悲鳴と混乱が続いている。
心を持たぬAIのアナウンサーは顔色一つ、悲惨な現状に胸を痛める事無く淡々とニュースを読み上げ続ける。
ようやく頭の痛みの引いたセリーヌは、おぼつかない足取りで椅子へと腰掛け、呆然とニュースを眺めていた。
その顔にいつもの涼し気な冷静さは無く、ただ突然降りかかった家族への不幸を嘆き、悲しみの感情を露わにしていた。
「お母様……」
まだじわじわと痛む頭を押さえつつ、アリサはセリーヌを気遣うように傍へ寄り、震える肩へ手を添える。
だが、添えられたその幼い手は小さく震えていた。
母の悲しみを癒したいと願っても、その方法を知らない。
アリサにできるのは、ただ寄り添うことだけだった。
沈黙がリビングを支配する。
外から聞こえる街の喧噪も、映像に流れる人々の悲鳴も、どこか遠い世界の出来事のように薄れていく。
――その時、情報モニターが突然切り替わった。
白いノイズが一瞬走り、次に映し出されたのは見知らぬ男の顔だった。
異様な熱を帯びた瞳。白い法衣のような服。
その背後には、差し出された手を取ろうとする手と星。交差されたスパナとフラスコが描かれた旗が掲げられている。
そして、リビングいっぱいに響き渡る声。
『立て、自由を得し人々よ!! 我々は――救済の御手なり!!』
あまり見せ場のないまま、イルゼ姉様は退場です。
ついに訪れてしまった運命の日、プロローグで語られた主要都市の同時多発テロが発生しました。
アリサ達の済む帝都はもちろん、大混乱に陥っています。
そして、混乱の原因は議会と主電波塔の崩壊だけではなかったのです。
それでは次回予告です
~~次回予告~~
議会は崩れ、塔は折れた。
私が知る世界は、その日を境に大きく姿を変えていく。
黒煙の向こうから響くのは――ひとつの宣言。
『立て、自由を得し人々よ!!我々は救済の御手なり!!』
その声は福音か悪魔の囁きか。
ここから……地獄が始まる。
次回――「救済の御手」
それでも私は、立ち止まらない。




