遠い日の残響
第二部スタートです!
一気に物語は暗く重いものになっていきます。
ニチアサ好きの方、暫しご容赦を。
それではどうぞ!
時計の短針は既に1の文字を通り過ぎ、2へとゆっくり近付いている。
長針は5と6の間を指し、深夜の静けさが部屋を満たしていた。
窓の外では、月明かりが薄く雲に覆われ、街は白と黒の境界を曖昧にしたまま眠っている。
アリサの隣で眠るみちるの安らかな寝息が、一定のリズムで耳に届くたび、胸の奥に小さな温もりが灯る。
繋がれたままの手は、ずっと温かく柔らかい。
胸の奥から解き放たれた様々な想い、色取り取りの感情。一気に世界が輝き始めたようにも見えた。
それでも――目を瞑ればまぶたの裏では、眠りよりも先に、遠い記憶の残響が形を成していく。
忘れられるはずのない音。
焼け焦げた人と鉄の匂い、軋む金属の悲鳴、そして……凍りつくような静寂。
その全てが、私の背中を未だ離さない。
――明日、彼女に語ろう。
この世界に来る前、私がどこで何をしていたのか。
どんな光景を見て、何を失ったのかを。
月明かりの中、静かに――アリサは決意を胸にするのだった。
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翌朝、みちるは窓から差し込む光で目覚めた。
夜更かしの影響で重い瞼を擦りつつ目を開ける。
すると、横で自分の寝顔を優しい笑みを浮かべながら見ていたアリサと目が合い、ぶわっ頬を赤らめた。
「ひゃっ!?な、なななな……!?」
「おはよう、みちる」
アリサの笑顔と、繋がれたままの手の感触。
昨夜の眠りに落ちるまでのやりとりを思い出したのか、ふっと冷静さを取り戻したみちるは、少しはにかみ、「おはよ、アリサ」と笑顔を返した。
朝の支度を終え、そのまま店の開店準備へと取りかかる。
アリサはいつも通りの手際の良さに加え、今日はどこか纏う雰囲気が柔らかい。
これまで見せなかった微笑みを、みちる以外にも自然と向けるようになっていた。
その姿を目にしたマスターとマダムは、言葉こそ交わさないものの、ほっと安堵の笑みを漏らす。
基本はクールで控えめだが、時折見せる優しい笑みに女性客達は胸を射抜かれたようで――
「今日のアリサさん、なんかいつもより素敵じゃない?」
「わかる……!笑うと可愛いって最強じゃん……」
そんな小声の感嘆があちこちから聞こえてきた。
気がつけば一日はあっという間に過ぎ、閉店の時刻。
片付けの手を進めていたみちるの袖を、アリサがそっと指先でつまんで引き留めた。
「……夕食後、私の部屋で」
それだけ告げると、アリサはすぐに手を離し、何事もなかったように洗い物へと戻っていった。
それでも袖口に残った温もりが、みちるの胸を少し高鳴らせるのだった。
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夕食を終え、後片付けがひと段落した頃。
食後のホットミルクを手に、みちるとアリサは席を立った。
「今日は部屋で飲む事にするわ。アリサも一緒にね」
無言でコクコクと首を縦に振るアリサ。
そんな二人を見て、芳夫はキッチンからデザートのクッキーの乗った皿をアリサへと手渡した。
「ゆっくり、話しておいで。梯子登る時は気を付けるんだよ」
「ありがとう、おじい様……!」
「感謝します、マスター」
階段を登っていく二人の姿を、芳夫と詠子は微笑みながら見送っていた。
屋根裏部屋へと戻った二人は、梯子を戻しハッチを閉め、それぞれのホットミルクを机へと置き、ベッドへと腰掛けた。
しばらく二人は無言のまま座り、時々外から聞こえてくる車の走り去る音や、元気な若者達の騒ぎながら通り過ぎていく声。
空調の僅かな駆動音だけが部屋に響いていた。
どちらともなく、お互いに向けて遠慮がちに伸ばされた手が触れ合い、ゆっくりと重ねられる。
「……アリサのこと、話してくれる?」
「……はい。覚悟は出来ています」
アリサは小さく呟くと、小型化していた杖型デバイスを通常の大きさへと戻す。
「うわ、凄い……本物の魔法少女のステッキだ」
物珍し気にデバイスを眺めるみちるにアリサは笑みを浮かべ、そっと杖先に魔力を込めていく。
[共鳴]
ボソリとアリサが呟くと杖先の宝石が鈍く輝き、白濁色のヴェールが二人を覆うドームのように展開される。
「あ、アリサ……これって……!?」
「私の記憶を追体験出来るように記憶の共鳴魔法を使用しました。……少々……いえ、刺激が強い記憶も多いので、その時は目を瞑って下さい」
「……分かったわ、ありがとう」
ふ……とアリサは笑みを浮かべると、デバイスを額へと当て、目を閉じた。
「それでは……いきます」
さぁいこう……。自分の忘れたくても忘れられない、灰色の記憶へ。
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突然の浮遊感。
ほんの数秒前まで、木の香りに包まれた屋根裏部屋のアリサのベッドに座っていたはずなのに、暗闇に包まれて何も感じない、何も見えない。
どこか暗い水底へ沈んでいくかのように、耳がきゅうっと詰まり、遠くで鈍い鼓動が反響している。
指先から体温がゆっくりと抜け、代わりに冷たい水が足元から這い上がってくるようだった。
――これが、アリサの言っていた“記憶の共鳴魔法”……なの?
(アリサ……? アリサ! どこ……!?)
声が出ない。胸に響く鼓動だけが、唯一の音だった。
やがて、落ちていく奈落の先に、薄く揺れる光が見え始める。水面のきらめきのように、揺らぎながらこちらへ迫ってくる。
まぶしさに思わず目を細めた瞬間、光が視界いっぱいに弾け、全身がその中へと溶け込んでいった――。
気が付けば人工的な光の照らす病室のような施設に立っていた。
ただ視界は全てぼやけていて、ベッドの上の人の姿や壁にある機械の文字は読めない。
足元に床の感覚はなく、綿を踏み締めているかのような、妙な浮遊感を感じていた。
『統一皇国歴6244年。私は生まれたらしい』
どこからぼんやりと、反響しながら聞こえてくるアリサの声。
周囲を見回すとぼやけた輪郭が少しずつはっきりしていく。
(ここは……新生児室……?)
目の前にズラリと並んだカプセルのような機械に、彼女はいた。
今の面影がある訳でもない、しわくちゃな顔。
それでもみちるには、その子がアリサだと確信していた。
すやすやと眠っている穏やかな顔に、思わずみちるに笑みが零れる。
(ふふ、かわいい)
だが、みちるの笑顔もここまでだった。
アリサのすぐ隣に入っていた赤ちゃんが、まるでウォータースライダーに流されるかのように、足元に空いた穴へと吸い込まれ、消えていった。
モニターに出ていた名前らしき記号も消え、カプセルの中が自動で水で掃除されると、すぐに次の新生児らしき子供がカプセルへとセットされた。
みちるが赤子のアリサに向けていた微笑みが凍っていく。
また別のカプセルが空になり、機械的な水の音が響く。
それが命を終える音なのだと理解した瞬間、彼女の心臓は凍りついた。
(……なに、これ)
『生まれてすぐにナノマシンを注入され、身体に馴染まない子供はこの先、生きていく事は叶わない。ならば下手に自我を持つ前にここで終わらせ、処理する。それはこの世界での常識であって、優しさだった』
紫色の輝きと共に魔法少女姿のアリサが現れ、足音を響かせながらカプセルへと近付いていく。
装置の中で眠る自分を見下ろすその顔には、感情の色も輝きもない。
ただ静かに、自分自身へ視線を向けていた。
『見ての通り、こんな生まれ方をしていたら誰が両親かだなんて分かる訳がない。誰かの精子と卵子から人工的に作られた、社会の歯車となるだけの人形だ』
まだこれから起こる事を何も知らない、無垢なままの自分を見て何を思っているのか。
アリサはそっとカプセルへと手をかける。
その顔には何の感情もなく、目の輝きもなく、ただ静かに自分自身へと視線を向けていた。
(そんなことが……許されていいの!?効率が良いからって、身勝手に人の命を奪っていいわけが)
『それがこの世界の法であり、皇帝が定めた規律だ。それに従う事で、この世界は長い間大きな戦争を起こすことも、異種族でも同族間でも差別し合う事もなかった。故に人々は皇帝一族を崇拝した。……ニホンの、あちらの世界の価値観では……ありえない事ばかりだと思うが』
アリサはカプセルから視線を外し、再びコツコツと足音を響かせながらみちるへと歩みより、手を差し伸べた。
『……さぁ、次へ行こうか』
アリサの手に触れて、ようやく自分自身の輪郭がハッキリした。
ずっと夢の中にいるような、ふわふわ浮いているような感覚だったが、ようやく今しっかりと地面を、硬質な床を踏み締めている。
『ん”んっ、声が出る……!アリサッ……!!』
みちるはすぐにアリサへと抱き着き、彼女の身体の温もりを確かめた。
無意識のうちに身体が震えてしまっていたみちるを、アリサは優しく抱き留め頭を撫でる。
『すまない、みちるには辛いものを早々に見せてしまった。……もうやめる?」
『……ううん。一緒にいく』
『分かった……。なら落ち着いてからいこう』
アリサの温もり、アリサの匂い。彼女に包まれてとても心強くて嬉しいのに……時々背後から聞こえてしまう、赤ちゃんが吸い込まれていく音に、背筋が冷たくなっていった。
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次に降り立ったのは、無機質な白と灰色だけで構成された部屋。
足を踏み出すと、乾いた床材の音が硬く反響し、空気は薄く冷たい。
天井の照明は瞬きもせず均一な明るさを保ち、まるで時間が凍ったような空間に、みちるとアリサの呼吸音だけが小さく響く。
窓はなく、外の自然光を受ける事は叶わず、壁面パネルの色がゆっくりと変わるだけだった――。
壁際に等間隔で並んだ二十台の簡素なベッド。そこに三歳から五歳までの子供たちが、番号順に割り振られて暮らしている。
管理者の大人は滅多に姿を見せず、子供達はナノマシンを通じて指示を受けているようだった。
食事の時間になると、子供達は静かに整列してシャッターの前へと並ぶ。
時間通りにシャッターが音を立てて開き、寸分違わぬ分量の食事が設置されている。
プレートにはそれぞれの番号が振られており、自分のプレートを間違えぬよう回収し、各々自分のベッドで食べるのだ。
横入りは許されない。欲張る事も許されない。
規律を破る子は、食事が無くなるのだ。
見た目はカラフルな粘土のようで、食器で触れるとゼラチン質なブヨブヨした不快な感触が帰ってくる。
だがこれが『最も効率的で、最も安価で、最も栄養価の高い食品』として、この世界では絶対の正解だった。
咀嚼は不要で、口に含めばぐにょりとすぐにとろけ、塩気とハーブのようなツンとした後味だけが残る。
飲み込めば即座に消化吸収が始まる。それを子供たちは淡々と食べる。
美味しいも不味いも、この施設の子供にとっては存在しない感覚だった。
遊びの時間と称されるものも、外の世界とは程遠い。
与えられるのは色と形の異なる立方体、数字や記号を並べるパネル、反応速度を計測する光のボタン。
全ては脳と身体の効率的な発達と『無駄な感情の排除』のために設計されたもの。
泣く事、他者との必要ない私語は“集中力の低下”として減点対象。一定以上減点された子は別室に呼び出され、戻ってくることはほとんどなかった。
アリサもまた、その環境の中で静かに日々を過ごしていた。
感情を表に出すことを覚えないまま、決められた動作を決められた時間にこなし、番号で呼ばれ、必要な言葉以外は発しない。
ただ、ときおり彼女はぼんやりと立ち止まり、空想をしてしまうことがあった。
壁面に映る人工の空の映像を眺めながら、そこに“本物の風”や“本物の雲”を感じようとする。
それは幼い心の自然な衝動だったが、監視AIの無機質な声がすぐに注意を飛ばしてくる。
『こんな……こんなのが当たり前なの……?』
みちるは記憶の中の光景を見ながら、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような痛みを覚えた。
まだ幼い子供達が、笑うことも泣くこともなく、無音で立方体を組み替え続ける。
あまりにも異様な光景に、何度目か分からない胃のむかつきを感じていた。
みちるは記憶の中の光景を見ながら、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような痛みを覚えた。
思わず手を伸ばす。冷たい空気をかき分ける指先に、幼い体温を求める切実さが宿る。
――今すぐ抱き締めて、撫でてあげたい。大丈夫だよって伝えたい。
そんなみちるの想いを嘲笑うかのように、その手は幼いアリサをすり抜け、掴もうとした温もりは指の間から零れ落ちていった――。
そして、近付いた事で……みちるは見えてしまった。気付いてしまった。
幼いアリサが……必死に涙を堪え、平然を装いながらも口元を固く結び、心を殺そうとしている事に。
みちるが息を飲んだ瞬間、背後からアリサの淡々とした声が響く。
『……泣いたら減点。減点が続けば、あの扉の向こうへ行く。戻ってきた子は……いなかった』
視線の端、部屋の奥にある無機質な黒い扉。
そこは常に閉ざされていて、誰も近寄らない。近寄れない。
幼いアリサも、それが何を意味するのかは知らなかった。ただ、本能で「二度と戻れない場所」だと理解していた。
だから――泣かない。
泣きたい気持ちを押し殺し、決められた速度で立方体を組み替え続ける。
『……ねぇアリサ。あなたの記憶……ここよりもっと辛い事があるの……?』
溢れる涙を拭いながらみちるはアリサへと振り返り、問いかける。
みちるの涙と表情に、一瞬言葉を失い目を伏せるも、アリサは小さく頷いた。
『……はい。ここはまだ……優しい方です。……もう、止めますか?』
その言葉に、みちるはかぶりを振った。
『……分かりました。では、次へ行きましょう」
次の記憶へと潜っていく、その瞬間までみちるの目は幼いアリサへと向けられていた。
アリサの過去編 生誕から3歳まででした。
アリサ自身の記憶なのに、第三者視点から記憶を見れるのは、展開したナノマシンによって蓄積された記録を再生している為です。
なので、彼女が生まれてナノマシンが身体に馴染んでからの記憶がみちるが最初に見た景色でした。
本来ならば、この魔法も本人が忘れてしまっていても、ナノマシンによって記録された自分の過去を振り返る事の出来る、見るアルバムとして生み出された物でした。
しかし、これも軍事転用された結果、強制的に記憶を覗き込み、白か黒かを判別する読心魔法として使用される事となりました。
それでは二章よりアリサによる次回予告です
~~次回予告~~
5歳。
その年齢は、この世界で「人間」として残れるか否かの境界線。
頭上から流し込まれる、膨大な知識と演算。
適応できなかった者から番号が消え、席が空いていく。
生き残るのは、”良い子”だけ
次回――「叡智の刻印、命の線引き」
それでも、私は立ち止まらない。




