表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
気が付けばニチアサ世界に紛れ込んだみたいです  作者: 濃厚圧縮珈琲
第一部 第三楽章 恋と青春と友情と!
43/100

いつも、ありがとうの日

昼休みのチャイムが鳴ってしばらくすると、教室のあちこちで椅子を引く音やお弁当箱の蓋を開ける音が賑やかに響き始めた。


窓の外は、今日も変わらず薄暗い雨空。

朝からしとしとと降り続く雨は、今後もまだまだしばらく晴れそうにないことを告げているようだった。



普段中庭でピクニックのように食事を取ってるあかり達も、ここ最近はずっとお預け気味。

その変わりに2-Aの教室に集合して、あかりとアリサの席をくっつけて、4人で肩を寄せ合い食べるのが梅雨の間の日常となっていた。


「はぁ〜……今日も見事に雨だねぇ……」


そう言って、小さく肩をすくめたのはあかり。お弁当の包みをほどきながら、窓の外に顔を向けて眉を下げる。


「せめて週末くらい晴れてくれるといいけど……予報だとあんまり期待できなさそうなのよね」


すぐそばの席に腰かけていたみちるが、フォークを手にしながら同意を示す。髪の毛先が湿気で少しだけ広がっていたが、それもこの季節の風物詩だろう。


「週末って……あ、父の日か!」


あかりは視線を泳がせていたが、思い出したとぱちんと手を打つ。


その言葉を受け、隣のあおいがちらりと目を上げてくる。


「うん、そういえばもうすぐだったね。母の日ほど派手じゃないけど……忘れちゃうのも寂しいし」


「だよね〜。私も何かしようとは思ってたんだけど……お父さん、仕事でいつも帰り遅いし……何をあげたらいいのか悩んじゃってて」


お弁当箱から唐揚げを箸でつまみながら、あかりはうーんと唸った。


「でも、あかりの家って仲良いじゃない。普段から色々お話してるし……その辺、ちょっと羨ましいかも」


みちるの言葉に、あかりはえへへと照れたように笑った。


「そうかな? でも、やっぱり改まってお礼を言うのってちょっと照れちゃうよねっ!私のパパいつも大げさなんだから」


「……でも、言葉じゃなくても伝えられることはあると思うよ」


ふと、あおいが落ち着いた声でそう言った。


「ふんふん、例えば?」


「いつもより少し丁寧にお茶を淹れてあげるとか、肩を揉んであげるとか、普段はやらないことをやってあげるの。前に私……お父さんと一緒に音楽の話をして、それが結構嬉しそうだったことがあったりしてね」


「へぇー! あおいちゃんのお父さんって、どんな人なの?」


「優しいよ。でも……ちょっと不器用な人、かな」


ほんの少しだけ笑みを浮かべて、あおいはごはんを口に運ぶ。


「私のお父様もちょっと不器用な人……かしらね。あかりのおかげで母の日はとってもうまくいったのよ。でもお父様が嫉妬しちゃって」


「嫉妬??」


あかりが言うと、みちるはほんの少し頬を染め、小さく笑みを浮かべる。


「時差も考えて、こっちが朝のタイミングでいっぱいメッセージをくれたの。……いっぱいスクロールしないと読めないくらいに」


「へぇ~!!みちるちゃんのお父さんって、みちるちゃん大好きなんだねっ!」


「もっと子離れしろーって言いたいくらいよ?ふふ……」


和やかに両親の話を続ける3人だったが、その一方でアリサは終始無言で、視線を少し下に落とし無表情のまま黙々とから揚げを口へと運び、静かに3人の会話を聞いていた。


そんなアリサをあかりはしっかりと見ていたが、何を言えばいいのかあかりが迷っている間にアリサと目が合い、箸を動かす手を止めてふいと視線を逸らされる。


その仕草に、あかりはちょっとだけ首を傾げたが、あえて何も言わず、そっと笑顔を向けただけだった。


「……よしっ、じゃあ今度またみんなでお買い物行こうよ!」


「お買い物?」


「そうっ!お父さんへのプレゼント、探しにさ!」


「いいわね、それなら週末……喫茶店のお手伝いが落ち着いた頃なら、私も行けるわ」


「私も大丈夫だと思う。いつものモールだよね?」


「ううん、今回は駅前まで行ってみようかなって!どうかな?」



明るく賑やかな生徒達の声が響く教室の窓の外では、少し雨脚が強まり、吹く風に流された雨粒がガラスを叩き、滑り落ちていた。




———————————————————————————————————





週末の土曜日。


空模様は依然として気まぐれで、朝のうちは雲の切れ間から日差しが差していたものの、昼に近付くにつれてまたもや曇り空が広がっていた。


スミゾラタウン駅前の商業施設には、週末の人出が集まりつつあり、賑やかな音楽と行き交う人々のざわめきが響いている。


「よーしっ! 今日こそパパへのプレゼント、決めるぞ~っ!」

両手をぐっと掲げて元気に叫んだのは、もちろんあかりだった。


その隣には、あおいとみちるも並んで歩いている。

三人ともカジュアルな私服姿で、それぞれ雰囲気が異なりつつも、どこか息が合っているのは仲良しの証だろう。


「やる気満々だね。さて、どこから見てまわろうか?」


「お父様が好きそうな物ってなると……ちょっと想像しにくいかも。でも、ちゃんと見て決めたいわ」


「あ、私もっ!でもその前に……お昼ご飯、食べない?」


えへへとちょっぴり恥ずかし気に頬を指で掻くあかりと、ご飯と聞いて彼女の鞄の中から顔を出し、目を輝かせるソラシーの姿にあおいとみちるは苦笑しながら了承した。


「えへへ、じゃあまずはレストランフロアに向かいましょーっ!」


そんな調子で三人は笑い合いながら、エスカレーターを登っていくのだった。





一方その頃、楠家の喫茶店では。

いつものようにお昼時の忙しさが始まり、芳夫と詠子の二人は慌ただしく動き回っていた。


そこに、いつもより一層手際よく動くアリサの姿がある。


「……アイスコーヒー、アイスオレ出します」


「ありがとうアリサちゃん! 助かるわぁ」


「……レジ横に出しておいた焼き菓子、数が減っていたので補充しておきました。テイク用の紙コップも裏に補充しています」


「さすがアリサさん、助かるよ」


アリサは淡々と、しかし正確に素早く仕事をこなしていく。

フロア、レジ、洗い物まで、厨房以外のほとんどを一人で回しているような働きぶりだった。


だが、その動きは忙しないわけでもなく、優雅に滑らかで、銀糸のような艷やかな銀髪のポニーテールをを揺らし、気が付けばその姿を目で追う客も現れていた。


最近はアリサ目当てのお客さんも増えてきて、時々彼女が放つファンサに黄色い声が上がることも。


詠子が空いた時間にそっと尋ねる。


「今日は……お出かけしなくて良かったの? あかりちゃんたち、ショッピングモールに行くって言ってたでしょ?」


アリサは二度瞬きをして、すぐに表情を変えずに答えた。


「……問題ありません。みちるが友人と有意義に過ごせる時間になるなら、私はそれが本望です」


「……ふふ、そう。みちるちゃんの事を心から想ってくれてありがたいけれど……無理はしないでね?」


「はい、大丈夫です」


そのやり取りをカウンターの奥で聞いていた芳夫が、静かに諭すようにアリサへと声を掛けた。


「アリサさん。そうやって()()()()()からって、自分の気持ちを置いていかないようにね」


アリサは、返す言葉を少しだけ迷ったようだったが、ゆっくりと頷いた。






———————————————————————————————————






「いっただっきまーす!」



あかり、あおい、みちるの3人は、レストランフロアでどこへ入るか悩んだ挙句、洋食の店を選び、それぞれ思い思いのメニューを注文していた。


あかりはデミグラスソースのハンバーグ、あおいはエビフライ、みちるはビーフシチュー。


付け合わせにあかりはパンを選択し、店員や他の客が見ていない隙に、パンの半分をこっそり鞄の中のソラシーへと分け与える。



美味しい食事に頬を緩ませながらも、これから買いに行くプレゼント候補について相談を始めていた。


「うちのパパ、最近スマホのスタンド欲しがってたから、そういう実用品もアリかなぁって」


「うーん、実用品……もいいけど、気持ちが伝わるものも欲しいわよね」


「じゃあセットにしちゃえば? ちょっと便利なグッズと手紙、とか」


「便利グッズ……あっ!肩たたき券とか!」


「子供か!」


あかりのボケにみちるとあおいがくすくすと笑う。


話ながら食べると、あっという間に皿の上の料理はお腹へと収まってしまっていた。


「あ~美味しかった……!じゃあ、プレゼント買いに行こっか!」


「ええ、ちょうどここの二つ下のフロアが紳士関係売り場らしいから、そこからいってみましょ」


笑い合いながら立ち上がる三人の姿。


まだ何を買うのかは漠然としか決まっていなかったが、3人は途中遊びつつもそれぞれピンときた商品を購入し、ラッピングされたプレゼントを手に、優しく微笑みを浮かべていた。




———————————————————————————————————




楽しい時間はすぐ過ぎるもので、早くも時計が16時半を指し、あかり達は足取りも軽く帰路へとついた。


ギリギリ保ってくれるかと思っていた空模様も、願い空しくぽつぽつと雨が降り始め、持っていた折り畳み傘で何とかしのぎながら急ぎあおいをマンション近くまで送り届けた。


「じゃあ、あおいちゃんも明日、良い父の日にしようねっ!」


「……うん!あかりもね。二人共見送りありがと……悪いね」


「ふふ、帰り道だもの。お安い御用よ。……また明後日、学校でね」


そうしてあかりとみちるの二人は、徐々に強まる雨の中足早に帰り道を急いだ。



図書館前を過ぎて、桜並木へ差し掛かるとようやく安心したように早歩きだった歩調を緩める。


「ここまでくれば安心だね〜……プレゼント濡れてなくて良かったぁ」


あかりは傘を揺らし、溜まった雨水を振り落とす。

みちるもそっと買い物袋を覗き込み、中身が無事なのを確認していた。


「あかりはまだまだ家まであるんだから、油断しちゃだめよ?」


「分かってるよ〜!家に帰るまでが買い物ですっ!」


まもなく、喫茶店の屋根が見えてきて、ほんの少しだけ二人は歩く早さをゆっくりにした。


「今日はありがと、あかりのおかげで良いプレゼントが選べたわ」


「ううん!1人で選ぶよりも、誰かの意見を聞きながら買えるとちょっと自信出るし!……アリサちゃんがいないのは残念だったけど……。でもみんなで遊べて楽しかった!」


ついに店の前まで到着し、2人は足を止めた。


「ねぇあかり、まだ時間大丈夫?良ければコーヒーサービスするわよ」


「えっ!いいの!?いくいく〜っ!!」


あかりの嬉しそうな返事と表情にみちるは微笑みながら、ガラスのドアを開けた。



「……いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」


ドアベルに気付いたアリサが振り向きながら僅かに笑みを浮かべて出迎える。


その笑みに思わずドキッとしてしまった2人は入り口で立ち尽くしていた。


「……みちるとあかりでしたか。お帰りなさい」


「え、ええ!ただいま。お店ありがとねアリサ」


「こんにちはアリサちゃんー!」


ドアを開けたままにしていたと、慌てて店内に入った2人はカウンターへと並んで腰掛ける。


すぐにアリサによって冷水とおしぼり、メニューが並べられる。


「私はアイスオレにしようかしら、あかりはどうする?」


「う~ん……悩む、悩むけど同じのでっ!」


アリサは小さく頷くとキッチンへと消えていく。


冷たい水を一口飲んで、みちるはサッと店内の状況を確認する。

いつもより不思議と女性客が多いが、それ以外はいつも通りの景色だ。


少しした後、厨房からアイスオレをトレーへ乗せた詠子が2人の元へと現れた


「お帰りなさいみちるちゃん、それといらっしゃいあかりちゃん」


「お、お邪魔してます……!」


「これ、マスターからのサービスよ」とレモンケーキの乗った小さなお皿をそれぞれ並べて笑みを浮かべると、2人へと顔を寄せて小声で囁いた。


「良いプレゼント、買えたかしら?」


あかりはみちると顔を見合わせると、にっこりと笑顔を見せ、小声で「はい……!」と答えた。



甘酸っぱいレモンケーキと、ほろ苦いアイスオレを堪能したあかりは帰り際。


「小さなお友達にお土産」


と、詠子からオートミールクッキーを持たされ、すっかり薄暗くなってしまった雨の帰り道をソラシーと一緒にルンルン気分で帰るのだった。




———————————————————————————————————




その日の夜、アリサが風呂から戻るとみちるが廊下の壁に寄りかかりながら待っていた。


「アリサ……ちょっといい?」


「……?」


誘われるままに、みちるの部屋へ。


部屋は空調により除湿されているのか、蒸し暑さを感じず涼やかだった。


「……ごめんねアリサ、最近お店の方任せてばかりで」


彼女が戻ってきてから、夕飯時もその後も、ずっとどこか表情に陰りがあったが、そんな事で悩んでいたのかと、軽く首を傾げる。


「何も、問題ありません。みちるの為に役立てるのなら、それは私の本望ですので」


「本望って……もうっ!……そ、それは嬉しいけど、そうじゃないのよっ!」


何故みちるが怒っているのか、理解が出来ないアリサは不思議そうに首を傾げたまま、みちるの次の言葉を待つ。


みちるはぷいと顔を背けると、部屋のベッドへと歩き、その端に腰掛けた。

アリサは戸惑いながらもその近くに立ち、沈黙が落ちる。


「アリサ、私……今日は、すっごく楽しかったわ。あかりやあおいと、笑って、悩んで、買い物して……そういうのって、別に特別でもないかもしれないけど、心に残る時間なのよ」


「……」


「でも……アリサとも一緒に、そういう時間を過ごしたかったの」


ぽつりと零れるその言葉に、アリサは二度瞬きをする。


「私、別にアリサが()()()()から一緒に居たいわけじゃないの。アリサがそばにいてくれると……安心するの。笑ってくれると、私も嬉しくなるの。だから、一緒に……傍に居たい。……こういうの、変……なのかな?」


ゆっくりと顔を向けるみちるの目には、どこか寂しげな色があった。

アリサは、自身へ向けられるその目を前にして、どう答えればいいのか分からず、思わず目を反らしてしまっていた。


「……申し訳ありません。私にはその問いへの的確な返答をするのは難しいです」


「……そう。」


両者の言葉が止まった。

だがアリサの胸には、みちるから零れ落ちたその言葉が、どこか心の奥に小さな波紋のように広がっていく。


しばしの沈黙の後、アリサはそっと目を伏せ、初めて自身の心境を口にした。


「……私は、誰かに必要とされたことはありませんでした。ただ適性が回りの人間より高かっただけ。ただ運が良かっただけの人間です。……両親の顔も知らない、ただ命令をこなすだけの無機質な人形です。それでも……ですか?」


みちるは、アリサの言葉を黙って最後まで聞いていた。


そして、そっとベッドから立ち上がると、アリサの前に歩み寄る。


「それでも、よ」


ごく自然に、とても優しく。

アリサの手を、両手で包むように握りながら、みちるは静かに言葉を続けた。


「アリサが誰にどう育てられて、どんな過去を持っていても……私は、今ここにいるアリサしか知らないわ。……役に立つ召使でも奴隷でもない。アリサは私の……た、大切な……家族だから!」


アリサの瞳が、かすかに揺れる。

それでもなお、みちるは頬を赤く染めながらも視線を逸らさずに見つめ続ける。


「……私はね、あなたが誰にも必要とされなかったなんて信じない。だって、今私が……こんなにもあなたを必要としてるんだから」


「……みちる」


自然とみちるの名が口から漏れ出し、彼女を呼んだアリサの声は、どこか掠れていた。

感情を殺し兵士として確実に任をこなし、無駄死にならぬよう、ただ生き延びる事さえできれば良いと生きてきた彼女にとって、その想いは明らかに未知のものだった。


「……私は、まだこの感情をどう処理すればいいか、分かりません。けれど」


アリサは言葉を探すように口を閉じ、そして一つ、息を吐いた。


「……あなたの傍にいます。みちるがそう望むのなら」


みちるは、そっと微笑んだ。


「ありがとう、今はその言葉が聞けただけで、それで十分よ」


アリサは小さくうなずき、手を握るみちるの指に、ほんの少しだけ力を込めて応えた。




二人の胸の奥には温かい余韻だけが残っていた。


———————————————————————————————————




いよいよやってきた日曜日の朝。今日も降り続く雨の音が奏でるリズムにまどろみながら、あかりはのんびりベッドの中で背伸びをした。

今日は父の日。机の上に置いた昨日買ってきた小さな包みが目に入り、あかりはガバっと飛び起きた。


「いけない、寝坊しちゃった!」


「ソラァ……?」


パジャマのまま包みを手に取り、慌てて部屋を出ていくあかりの物音に、ソラシーが眠たげに重い眼を向けるが、そのまま再び夢の世界へと戻っていった。



リビングに入ると、すでに菜月が朝食の準備をしていて、ダイニングテーブルには焼きたてのトーストの香りが漂っていた。陽太は新聞をめくりながらのんびりと座っている。


「おはよう、あかり。今日はちょっと遅かったわね」


「おはようママ……、ちょっと寝坊しちゃったぁ」



そう言ってあかりは新聞を読む陽太の背後へと静かに忍び寄り、ぎゅっとハグをした。


「おぉっと!?おはようあかり。どうしたんだい?」


「おはよパパ!はいっ、これ父の日のプレゼント!……いつもありがとうっ!」


中にはあおいと相談して決めた革のカードケースと、あかりからの小さな手紙。

手書きの文字で『いつもありがとう!これからも元気でいてね』と添えられていた。


陽太はそれを見てふっと目を細めて静かに笑い、あかりの頭を優しく撫でた。


「……あかり、ありがとう。大事に使わせてもらうよ」


「ふふっ、えへへへ……よかった〜!」


そんな二人の様子を、キッチンから菜月がにこにこと微笑んで見守っていた。


「じゃ、着替えて来るね~!」


照れ隠しなのか、ぱっとその場から小走りでいなくなってしまったあかりを陽太は静かに見送り、耐えていたうれし涙を流した。


「あぁ、あかりは本当に良い子に育ったんだね……パパは嬉しいよ……!」


「ふふふ、あかりの前ではカッコつけちゃって。……良かったわね、パパ?」



やがて、ソラシーを連れて戻ってきたあかりが席へ座り、家族全員で笑い合いながらの朝食。

他愛のない会話と、温かな空気。あかりは、こうして過ごせる時間こそが何よりの宝物だと感じていた。




———————————————————————————————————




時々吹く風に乗り、窓をやわらかく叩くのは降り続く梅雨の長雨。


マンションの一室にある杏堂家のリビングでは、あおいの父、直樹がソファーで寛ぎながら朝食後の紅茶を嗜み、キッチンからはあおいの母、詩織の軽やかな洗い物の音が響いていた。


朝食後、一度自室に戻ったあおいはあかり達と選んだプレゼントを手に、直樹の隣へと座る。



「……お父さん。今日は父の日だから、これ」


「ん? おお、ありがとう。……って、珍しいな。あおいがそういうのくれるなんて」


少しからかうような口調に、あおいはむっとした顔で言い返す。


「そういう言い方するなら、あげないよ」


「はは、ごめんごめん」


父が苦笑しながら袋を開けると、中から出てきたのは英国風の紅茶缶と、落ち着いたデザインの革のブックカバー。そして、天の川と星々が描かれた布製の栞。

あおいらしく、実用的で、でも温かみのあるプレゼントだった。


「ほら、最近読書の時間が増えたって言ってたでしょ。でも鞄にそのまま本を入れているから傷付くだろうし、栞も紙のよりちゃんとしたの使った方がいいよ」


「……あおいは口は厳しいけど、優しいよな」


父は目を細めて笑みを浮かべると、紅茶缶を手にとって香りを確かめる。


「うん、いい香りだ……これはお母さんと一緒に飲もう」


「……それはまぁ、うん、家族分あるし」


照れ隠しのようにそっぽを向くあおいに、詩織がキッチンから微笑みながら声をかける。


「ねえ直樹さん、せっかくあおいが選んでくれたんだから、今日はゆっくり読書したら?」


「うん、そうだな。そうするとしよう」


あおいはふっと笑うと、父の手へと自分の手を重ねた。


「……あのさ、いつも……ありがとう」


「ああ……。今日は本当に珍しいあおいが見れて何よりだよ。こちらこそ、ありがとう……あおい」


「ん……」


静かな日曜日の朝は、紅茶の爽やかな香りに包まれて、雨音とページをめくる音だけが、優しく響いていた。




———————————————————————————————————




楠家の朝は早い。今日もいつものように仕込みを始めようと芳夫がギャルソンエプロンの紐をキュッと結び、ワイシャツの袖を腕まくりして階下のお店へと階段を降りようとしていた。


その背中へとみちるがそっと声をかける。


「……おじい様。少し……良いかしら」


「うん?どうしたんだい?」


芳夫が振り返ると、そこには緊張した面持ちでラッピングされた小さな箱を胸に抱えているみちるの姿があった。


みちるは箱を差し出し、少しだけ頬を赤く染めて言った。


「父の日だから……これ、受け取ってほしいの」


「ほう……これはこれは、開けてみてもいいかい?」


こくりと頷くみちるを見て、丁寧に包装をほどくと、中からは上品な黒の蝶ネクタイが現れた。

シルクの生地がわずかに光を反射し、シンプルながらも上質な雰囲気を漂わせている。


「おじい様、ずっと同じ蝶ネクタイしているから、たまには気分を変えてみてもいいかなって。この蝶ネクタイならシンプルだし、おじい様に似合うと思ったの」


「……おお、これは……!なんとも粋な贈り物じゃないか」


芳夫は驚きながらも、口元をほころばせると、さっそく首元にあててみた。

いつもの白いワイシャツに黒の蝶ネクタイがよく映え、どこか若返ったようにも見える。


「どうかな、似合うかい?」


「うん!バッチリよ!素敵なマスターさんって感じ……!」


みちるは嬉しそうに笑った。


「ありがとうみちる。……とても嬉しいよ。また親父だけって、芳明に怒られてしまいそうだ」


「え!お父様おじい様の事怒ってるの!?……じゃあ私がお父様を怒らなきゃ」


「ははは、お手柔らかにしてあげなさい」


二人の温かなやり取りを、リビングから詠子とアリサが見守っていた。



午後。

客足が落ち着いたころ、芳夫は新しい蝶ネクタイを着けたまま、コーヒーを淹れながらぽつりと呟く。


「こういう贈り物は照れくさいが……嬉しいもんだな」


「当たり前よ。おじいさまはいつも頑張ってるんだもの」


そう言って微笑むみちるに、芳夫は静かに「ありがとう」と返し、店内は少しだけ特別な空気に包まれた。





夕方まで忙しく回していた喫茶店も、夜にはすっかり静けさを取り戻した。

芳夫が新しい蝶ネクタイを嬉しそうに整える姿を見届けた後、みちるは一息つくように外へ出た。


夜風はしっとりと湿気を帯びているが、日中に比べると涼やかで心地良い。

いつの間にか雨が止み、雲間からは小さな星々の光が覗いている。


「……プレゼント、早く届くといいな」


桐の化粧箱に収めた漆芸のボールペンと、短い手紙。それを昨日のうちに航空便で送った。


お父様、どんな顔をするだろう。



「……きっと、少しは喜んでくれるわよね」


独り言のように呟き、夜空を仰ぐ。


パリの空と、みちるが見上げるこの空は遥か遠い。でも、遠いだけで繋がっている。そう考えるだけで、この思いは先に届くのではないかと、キュッと胸の前で手を握りしめた。


星の明かりが、みちるの瞳にそっと映り込む。

その横顔は、優しさと寂しさが入り混じった、どこか大人びたものだった。






一方で、パリの芳明はというと。



石畳の道を行き交う人々は優雅にカフェオレを手に散歩しているが、芳明の心は少しも優雅ではなかった。


「絵里香、まだか!? まだ届かないかっ!?」


「まだです。1分前にも聞きましたよね、あなた。」


「ぐぅぅぅっ……! 絶対に、みちるが何か送ってくれてるはずなんだ……!飛行機が遅れてるんだきっと……!」


大げさなまでに部屋をうろうろと歩き回る夫に、絵里香は呆れたように息をつく。


「だから、ちゃんと仕事に集中したらどうですか? 荷物が届かないからって世界は止まりませんよ?」


「いや、止まってる!俺の心は止まってる!みちるぅぅうう!!」


まるで地団駄を踏むように床を蹴る芳明。ついには書類を前にしてもペンが動かず、「仕事にならん!」と天を仰ぐ。


午後になると、彼はさらにそわそわし始め、窓際に張り付いて外を監視。少しでもトラックが通ると「宅配か!?」と反応する始末だ。


「……あなた、さっきから落ち着きなさいと言っているでしょう? それ、ただのごみ収集車です。」


「違う、みちるからのプレゼントを運ぶ神の戦車かもしれんだろう!?」


「はあ……」


さすがに絵里香の堪忍袋も切れ、バシャリと彼の頭に冷たいタオルを乗せた。


「セーヌ川で頭冷やしてきなさい。さもないと、この家から放り出しますよ。」


「ひぃっ!? は、はいっ!!」


それでも彼は、道中で観光客に「何か日本から届く小包を見なかったか!?」と声をかけて怪しまれ、すぐさま絵里香に引き戻される羽目になる。


結局、待ちに待ったみちるからの父の日プレゼントがパリの家に届いたのは二日後のことだった。


漆芸のボールペンと手書きの手紙を前に、芳明は鼻水を垂らしながら大号泣。


「みちるうううぅぅ!! 二日遅れでもパパは世界一幸せだぁぁぁっ!!」


そんな彼を、絵里香がやれやれと肩をすくめながらタオルで拭く。

今日もパリは、平和そのものだった。




ちょっと長くなってしまいましたが、父の日の日常回でした。


ディスコードが静かですね……一体何をしているんでしょうか。

それではあかりちゃんによる次回予告です。 次話もお楽しみに!


~~次回予告~~


次はね、なんとなんと~!

誰のお話になるか、まだ秘密なんだって!

どんなドキドキわくわくが待ってるんだろうね~!?

次回、『紡がれ奏でる間奏曲 その2』

新しいハーモニー、始まるよっ♪



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ