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気が付けばニチアサ世界に紛れ込んだみたいです  作者: 濃厚圧縮珈琲
第一部 第二楽章 動き出す物語 
19/100

放課後はアンダンテに♪

 本鈴のチャイムが鳴り響き、全員が席へと着く。


 昼休み明けの授業は国語。他の科目同様にまずはミニテストの返却から始まり、言わずともアリサは100点、みちるは98点。さらにあかりは94点と好成績。


 これは胸を張ってママに見せられる……!


 小さくガッツポーズをしながら、テストの解説をする教師の話を話半分に聞き、その後教科書を読みながら古文・和歌の文法や活用等に内容が移っていくと必死になってノートにシャーペンを走らせた。




 終鈴のチャイムが鳴り、終了の挨拶が終わって教師が出ていくと、あかりはそのまま机へと突っ伏し


 「疲れたぁ~……」


 思わず声を漏らした。


 文章の読解や漢字は得意だけど、古文和歌はちょっと苦手になりそう……。


 机に寝そべったまま教室の壁に貼られている時間割を見遣ると、次の時間は道徳。

 

 「いや無理ぃ、絶対寝ちゃう……」


 そのまま腕を枕替わりに頭を預け、ゆっくりと目を閉じていく……。



 そんなあかりの背をツンツンと誰かがつつく。


 「……あかり、教えて欲しい」


 聞こえてきたアリサの声にカッと目を開き、顔を勢いよく上げて起き上がり背後を向くと、アリサが困惑するかのように僅かに眉間に皺をよせ、道徳の教科書を読んでいた。



 「なぜ、この登場人物は悉くここまで非効率的な考えと行動を起こすのか。……理解に苦しむ」


 その言葉を受け、あかりも手元の教科書をパラパラと読み進めていく。

 

 いじめの現場を見てみて見ぬふりをしてしまった女の子が、勇気を出せずに悩み続け、最後の最後で勇気を出した話。


 沈没しかけた船から、いの一番に逃げ出した船長と最後まで救助を続け海に消えたコック見習いの話。


 誤って人の物を自分の物だと取ってしまった少年が、ポケットにもう一つ同じ物が入っている事に気付き、川へ投げ捨てた話。


 他にも多くの話が記されているが、その中でもアリサが読んでいたページを開くと、そこに書かれていたのは日本ではない、外国の戦争の話だった。


 ——見回りをしていたまだ年若い兵士が洞窟を覗いた時、傷付き身動きの出来ない敵の兵士が何人も隠れていた。


 兵士が持っていた手榴弾を使えば敵を一網打尽にするチャンス、手柄を上げたら彼の昇進も狙えるかもしれない。

 

 震える手で手榴弾の安全ピンを引き抜こうと指を掛けるも、どうしても手が動かない。

 そうしている若い兵士に気が付いた敵の兵士達は抵抗するわけでもなく、涙を流しながら、ただじっと彼を見つめていた。


 お互い言葉が分かるわけでもないが、若い兵士は溢れ出る涙を堪えることなく流し、手にしていた武器も爆弾も投げ捨て、傷付いた兵士達と抱擁を交わし、大丈夫だ、きっと生きて帰れると励ました。


 戦後、生きて帰る事の出来た傷付いた兵士達は、あの時の礼がしたいとその恩人の母国を訪ね、彼の無事を祈ったが、彼は……手柄を捨て、昇進を捨て、ただ尊い人の命を繋ぐ選択をした彼は、終戦を待たずに命を落としていた。という話だ。


 「あ、あはは……すっごくコメントに困る……」


 あかりは読んだ後、胸の奥が苦しくなり、げんなりした顔で教科書を閉じた。

 だが隣の席のアリサは、しばし教科書をじっと見つめたまま、ぽつりと呟いた。


 「……一兵士であるならば、躊躇う事は罪だ。彼が引き金を引かなかった事により、生きて帰った複数の兵士が自国の兵士を殺したかもしれない。母国を焼くかもしれない。ならば彼の行ったことは、母国を……友を裏切る行為ではないのか?」


 「ッ……!?」


 思わず息を呑んだあかりは、そっと横目でアリサを見る。


 いつもの無表情であるはずの彼女の横顔は、どこまでも冷たく、暗く、濁り切った色を帯びていた。

 ――まるで、本当にどこかの戦地で戦い、生き延びてきた歴戦の戦士の放つが如き重圧。


 胸の奥がぎゅっと締めつけられるような感覚に、あかりは思わず手を胸に当てた。


 「でも……」

 

 少し考え込むように、手を胸の上に置き、ぽつりと言う。


 「でもきっと、その兵士さん、すっごく勇気を出したんだよね……。怖かっただろうに、すごいよね……」


 アリサはしばし黙っていたが、微かに眉を寄せ、口元で小さく言葉を繰り返した。


 「……勇気……?」


 まるで、その言葉が彼女の心の奥で何かを引っかくように、静かに、響いていた。





 本鈴が鳴り、担任教師が入ってきて授業が始まる。

 

 教科書の物語を読んで、自分は『どう感じたか』主人公は『どうするべきか』をクラスで話し合う、というものだった。


 今日の内容は、万引きをしている同級生を見てしまった主人公が、お店の人に言うべきか同級生を注意するかで悩んだ末に同級生が立ち去ってしまい、自分の胸にその出来事をしまっておき罪悪感に苛まれるといった話だ。


 「はい、それじゃあ今日はこのお話について、どう思ったか皆で意見を言ってみましょう!」


 先生が明るく問いかけると、手を挙げる生徒、友達同士で顔を見合わせる生徒、ちょっと眠そうに頭を掻く生徒……反応は様々だ。


 その中で、アリサは真剣な表情で手を上げた。

 先生に指名されると、立ち上がって淡々と発言を始める。


 「……現場に立ち会ったのなら即取り押さえ、B君とやらに法の裁きを受けさせるべき。そこに同級生や友人の情は必要はない。さらに言うならば何も行動せずに終えたA君とやらも同時に罰を与えるべき。」


 一気に空気がしん、と静まる。

 周囲のクラスメイトたちがぽかんと口を開け、先生も目をぱちぱちと瞬かせる。


 「……なるほど。咲良は容赦がないんだなぁ、悪いことは間違いなく悪い!悪い事をした人へ罰を与えるのは実に正しい!正しいが、もしこのB君がいじめを受けていて望まぬ万引きをしていた。という背景があればどうする?」


 「……関係ありません。犯罪に手を染めたのはB君です。明確な証拠証明がなければ、B君をいじめていたというグループには裁きを下せません。」


 「……な、なるほどな。良い意見だった、拍手」


 パチパチとまばらな拍手を受けながら、変わらぬ無表情で席に座るアリサ。

 

 これまで誰かが発言するとこそこそと笑い合ったり、小声でささやきあったりしていたが、アリサの発言から一気にクラスの空気の重みが増した。


 クラスメイトたちの顔には緊張が走り、静かに視線が交わされる。

 触れちゃいけない空気が、じわじわと漂い始めていた。


 あかりはそんな場の空気を感じ取り、そっと机の下で手を握った。


 アリサちゃん……正しいけど……なんだか怖い。

 でも、なんでだろう……私は、アリサちゃんが間違ってるとも言えない気がする……。


 胸の中でそう呟き、目を伏せた。




—————————————————————————————————————




 放課後。


 「お疲れさま~」と笑いながら友達同士で帰っていく生徒たち。

 部活動へ向かうため鞄を肩に駆け出していく生徒たち。

 その中に、あかり・みちる・アリサの三人もいた。


 「ふふ、今日も一日お疲れさま」

 

 「……帰ろう」


 「うーん、ごめん!二人は先に帰ってて!私、ちょっと寄りたいとこがあって!」


 そう言ってあかりは小さく手を振る。


 「え、どこに?」

 

 とみちるが聞き返すと、あかりは笑顔で指を立てた。


 「図書室っ!……ちょっと気になる事があるの!」


 「そう……じゃあまた明日ね!」


 「……」


 アリサとみちるの帰っていく背中を見送ると、あかりは鞄を抱え直し、ちょっとだけ深呼吸。


 「よし、頑張れ私……!」







 図書室の扉をそっと開けると、傾いた日の光が本棚の隙間を静かに照らしていた。

 放課後の図書室は昼間よりも人が少なく、静謐な空気が漂っている。


 ──あの子、いるかな……。


 

 見かけた席をそっと覗くと、やっぱりそこにいた。

 赤みがかった長めのボブ。

 何冊もの本を机に積み上げ、静かにページをめくる横顔は、やはり凛として美しかった。


 「……えっと……こ、こんにちは……!」


 あかりは勇気を出して声をかける。

 少女は一瞬驚いたように顔を上げ、あかりの姿を見て、ほんの少し目を細めた。


 「……こんにちは。柚木さん、だったわよね」


 「えっ、ええっ!?どうして私の名前……」

 

 「クラス表に書いてあるのを見たの。私、2-Cの杏堂あおい。よろしく」


 すっと立ち上がると、あおいは本を胸に抱き直し、控えめな笑みを見せた。

 それは昨日までの、誰も近寄らせない静かな横顔とは違う。

 ほんの少し、心を開いてくれたような、そんな笑顔。


 「よ、よろしくお願いします……!あの、もしかして本が好きなの……?」


 「……うん。本が好き。特に、星の話とか、宇宙の話とか」


 「そうなんだ!星かぁ……!!」



 思わず声を弾ませるあかりに、あおいは首をかしげる。


 「……そんなに珍しい?」


 「ううん、そうじゃなくて……なんか、すごく綺麗なイメージだなぁって思って……。あ、あの、杏堂さんは、星のどんなところが好きなの?」


 「そうね……星座の事とかかな。昔の人がどうしてあんなふうに星に物語をつけたのか、とか」


 あおいはほんの少し口元を緩め、机の上に置いていた分厚い天文学の本を、そっと指先で示した。


 「わあ……難しそう……!」


 「難しい、かもしれないけど、綺麗なことがたくさん書いてあるわ。小さな星一つが、何万光年も離れたところから光を届けてるとか……そういう話を考えると、胸がドキドキするの」


 あかりは目をぱちぱちと瞬かせ、すぐににこっと笑った。


 「へぇ……杏堂さんって、すごくロマンチックなんだね!」


 「……えっ」


 ちょっと驚いたように目を丸くするあおい。

 その表情がなんだか可愛くて、あかりは笑いながら続けた。


 「だって、星のことをそんなに想ってるなんて、素敵だなぁって思ったから!」


 「……ふふ、そういうふうに言われたの、初めて」


 机の上のページをそっと閉じ、あおいはあかりをじっと見つめた。


 「ねえ、柚木さん」


 「えっ、な、なに……?」


 「……また今度、話してもいい?」


 「──えっ……!」


 ぱっと頬が赤くなるあかり。


 「あ、う、うんっ!ぜひぜひ!私も、杏堂さんともっと話したいな!」


 「ふふ、じゃあ約束ね」

 

 柔らかな微笑みと共に差し出された指先に、あかりは小さく指切りを交わした。


 図書室の大きな窓の外、日はさらに傾き、ほんのりとオレンジ色に雲が染まり始める時間。


 放課後の静かな空間の中で、二人の間に新しいページが確かに開かれようとしていた。




—————————————————————————————————————



 まもなく図書室も閉室の時間が来て、あおいと共に廊下へと出る。


 廊下、あかりは鞄をぎゅっと抱きしめて、明るい声をあおいにかけた。


 「えっと……杏堂さんは、もうこれで家に帰る?」


 「ううん、これから図書館に寄るの。借りていた本読み切っちゃったから」


 「そっか!……本当に本が好きなんだね」


 あかりはにこっと笑い、あおいが抱えていた本の半分を持ち上げる。


 「絶対重いよね、この量……あそこの図書館帰り道沿いにあるから入口まで持つよっ!」


 あおいは驚いたように目をぱちぱちさせた後、小さく笑みが浮かべた。


 「ありがとう、助かるよ」

 

 「えへへ、じゃあいこうか!」


 笑顔を浮かべ、足取りも軽く歩き出すあかりの後ろ姿を見つめて、あおいはそっと呟いた。


 「……ほんと、不思議な子」


 あおいは胸に抱えた軽くなった本たちをそっと見つめ、そして再び歩き出した。





 図書館へ向かう帰り道。

 学校を出てすぐの坂道の途中で、二人の足が自然と止まった。


 西の空は、沈みゆく太陽で茜色に染まり、雲の輪郭が金色に輝いていた。

 あかりが鞄を抱えながら空を見上げて、ぽつりと呟く。


 「わあ……きれいな夕焼け……」


 すると、その隣であおいもそっと足を止め、空を見上げた。

 そして、ほんの少し目を細めて、指さす。


 「ほら、あそこ。……一番星、出てるよ」


 あかりもそちらを見上げると、夕焼けに紛れるように、空の片隅に小さな星がまたたいていた。


 「ほんとだ……!」


 「星って、ずっと見てられる。昔の人はあの星で時間や季節を知ったんだよ」


 「日時計とか!!だよね??」

 

 「そうそう、授業でも習ったよね。こうしてちょっとずつ夜になっていく空を見てると、心が落ち着くな……」


 それきり二人は少し黙ったまま空を見上げつつ、どこか心地よい沈黙の中で歩き続けた。





 図書館の自動ドアが開く音と共に、ほんのり冷たい空気が流れ込む。

 あおいは腕の中の本をしっかりと抱え直しながら、くるりと振り返った。


 「ここまでありがと、柚木さん」


 「ううん、こちらこそ! ……また明日ね!」


 ぱっと手を振るあかりに、あおいは一瞬ためらったあと、小さく、でもはっきりと手を振り返す。


 「……また明日」


 扉が閉まり、あかりの姿が遠ざかって見えなくなったあとに、あおいは静かに呟いた。


 「……やっぱり面白い子だね、柚木さん。……仲良くなれたらいいけど」


 そうしてあおいは、再び本の世界へと足を踏み入れていった。





 一方、図書館の入口であおいと別れたあかりは、茜色に染まる帰り道をひとり歩いていた。

 通学路に並ぶ家々の窓からは晩ごはんの香りが漂い始めていて、どこかほっとする。


 けれど、あかりの足取りは少しだけ重たかった。


 ——今日一日、いろんなことがあったなぁ……。


 図書室で話した杏堂さんのこと。星の話でちょっと盛り上がれて嬉しかった。

 でも、それと同じくらい……アリサの言葉が、ずっと心の奥に引っかかっていた。


 「躊躇うことは、罪だ」と言い切ったあの目。


 まるで、もう何度も命の選択をしてきた人の目だった。


 「……」


 小さくため息を吐きながら、あかりは自宅の玄関を開けて「ただいまー」と声をかけると、台所から「おかえりなさい!」と元気な菜月の声が返ってくる。


 「ご飯もうすぐできるから、制服着替えてらっしゃーい!」


 「はーい!」


 言葉を交わしつつ、自室に駆け込んだあかりは制服のままベッドにダイブ。

 ふわっと舞ったクッションの感触に包まれながら、ようやく全身から力が抜ける。


 「ふぅ〜〜〜〜……疲れた……」


 と、その時。


 「ぴっ!」


 ベッドの足元の毛布から、ぴょこっと小さな頭が飛び出した。ソラシーだ。


 「おかえりソラ〜。おつかれ顔してるソラ……。大丈夫ソラ?」


 「うんー、大丈夫……たぶん……」


 あかりは寝転んだまま手を伸ばし、ソラシーの頭をぽんぽん撫でる。

 その柔らかな手触りに、少しだけ気持ちが和らいでいく。


 「……ねえソラシー。アリサちゃんって、なんか……怖いくらい正しいよね……」


 「こわいくらいソラ……?」


 「今日の道徳の授業でね、すごくまっすぐに『悪いことをした人には罰を』って言っててさ……それが間違ってるって思わなかったんだけど……でも、なんていうか……」


 ——心が、ぎゅってなった。


 「……わたし、ああいうふうに言い切れないと思うんだ」


 ソラシーはしばし小さくうなずき、ぽつりと答える。

 

 「うん……ソラシーも、よくわからないソラ。でも、あかりはわからないって言えるソラ。それって、すごいソラ」


 「えっ、そうかな……?」


 「ソラ!答えが出ない時に、わかんないって思っても、それでも誰かの気持ちを考えるの……あかりは、そういうの得意ソラ〜」


 そう言って、ソラシーはにへらと笑った。

 その笑顔に、あかりも思わず頬が緩む。


 「えへへ……ありがと、ソラシー」


 「それに、今日いっぱいがんばった顔してるソラ〜。図書館のあの子と仲良くなれたソラ?」


 「うんっ! 杏堂さんとね、星の話とかしたんだよ。すごく綺麗な話で……なんかね、胸がきゅんってしたの」


 「おお〜! それはキュンキュンソラ〜!」


 「ちがっ、そういう意味じゃなくて! もうっ!」


 二人のやり取りに、部屋の空気がほんのりと柔らかくなる。


  穏やかに流れる平和な時間、でもその裏で、確かに何かが動き出している。




 暗く光を飲み込む夜は、もうすぐそこまで来ていた——。



—————————————————————————————————




 闇に包まれた世界のどこか。

 

 蝋燭のシャンデリアがぼんやりと照らすコンサートホール、異次元への扉が安置されるそのホールをクレシド卿が今日も一人、門番として守っていた。


 「……今日はワインが美味いな」


 防音がしっかりされているはずのホールだが、それでも僅かに入口から漏れ聞こえてくる声に、クレシド卿はニヤリと悪い笑みを浮かべてツマミのチーズを齧る。




 そのホールへの入り口の重く鈍い扉の前では、扉に貼られた名指しで入室を禁じる張り紙を見てフォルティシモ男爵が地団駄を踏みながら喚いていた。


 「あああああああああっ!!!!実に腹立たしいっ!!!!このフォルティシモ男爵ゥ!!!二度も土を付けられてしまうとはぁぁぁあああッ!!!!しかも(ゲート)の使用を禁止するだと!!!??? クレシド卿っ!!!!ここを開けろォ!!!!」


 「……うるさいわよ、男爵」


 廊下に響き渡る大声に耳を塞ぎながら不機嫌そうに言ったのはミーザリア。

 艶やかな長髪を翻しながら現れたその姿は、美しくも冷たい雰囲気を纏っていた。


 「んん~んっ!!!これはこれはミーザリア嬢!!!!今日も美しく麗しいですなァ!!!このフォルティシモ」


 「喧しいッ!!負け犬男爵がッ!!」


 「アッ……ヒィ……」


 ミーザリアの一喝に情けない声を漏らし、叱られた犬のように項垂れて廊下の壁際に下がる。


 「まったく……沈黙こそ最高の舞台装置だと言うのに」


 カツンカツンとハイヒールの音を立てて縮こまった男爵の前を通り過ぎるとホールの扉を開け、中とへと消えていく。男爵はその姿を見送るとすごすごと自室へと戻っていき、廊下は静寂を取り戻した。



 ホールへ入ったミーザリアを、クレシド卿が軽く礼をしながら出迎える。


 「……ミーザリア、男爵の相手ご苦労様でした。ワインでもいかがですか?」

 

 「……ええ、いただくわ」


 舞台袖にあるバーカウンターへとミーザリアをエスコートし、彼女の口紅と同じ色のワインをグラスへと注ぐ。



 「「乾杯」」


 グラス同士が心地良い音を立て、その余韻を楽しみつつ口へワインを運ぶ。

 芳醇な香りと重みのある舌触り、鼻に抜けていくアルコールと葡萄の風味に笑みを浮かべる。



 「……ところでミーザリア。ここへ来たという事は、あなたが出るのですか?」


 「ええ、二度あることは三度ある……と良く言うでしょう?男爵に任せておけばどうせまた負ける。それなら私が出て悪い流れを壊してきてあげる」


 妖艶な笑みを浮かべながらグラスに着いた口紅をそっと拭う。


 「さて……そろそろ、舞台に立たせてもらうわ」


 そう言うと、ゆっくりと立ち上がり、舞台の中央へと歩を進めていく。


 彼女の足元に浮かび上がるのは、魔法陣のような文様を描いた黒い譜面台。

 そこに立ち、両手を広げると、蝋燭の炎が一斉に揺れ、空気がざわめいた。


 「調律の時よ……」


 ミーザリアの背後に、禍々しい光を帯びた(ゲート)が開き始める。

 そこからは、まだ姿の見えぬ何かが、こちらを覗いているような不快な気配――。


 クレシド卿はグラスを片手に、舞台を静かに見上げながら呟いた。


 「……どうやら、今夜の演奏は前奏曲だけでは終わりそうにないな」


 ミーザリアの瞳が細められ、唇が艶やかに弧を描く。


 「喧しい前座(フォルティシモ男爵)はもう終わり。

 次は、真に美しき終止符(フィーネ・エレガンテ)を奏でる番よ」


 そして――


 扉の向こうに広がる、あかりたちの世界へと、ミーザリアは静かに一歩を踏み出した。


 ──その夜。

 誰にも気づかれぬまま、空に浮かぶ月の光が赤黒い暗雲に隠され、穏やかな夜風も止んだ。


 世界の調和を乱す不協和音が、ゆっくりと響き始めていた。





———————————————————————————————————



 ——同時刻、柚木家


 「ピッ!?ヤツらが来たソラ……!?こんな時間に……!!あかりー!!」


 クッションの上でウトウトしていたソラシーがバッと飛び起き、あかりを探すも部屋にはいない。

 タイミングの悪い事に、あかりはお風呂に入っていたのだ。


 「ピピピピっ……どうしようソラ……」


 ディスコードへの対抗手段を持たないソラシーは窓の外を見つめ、星の出ていたはずの空を覆っていく赤黒い暗雲をただ眺めているしかなかった。




———————————————————————————————————




 ——同時刻、杏堂家


 良く晴れた夜の日課として自室に置いてある天体望遠鏡で星を眺めていたあおいは、急な天気の変化に戸惑いを隠せなかった。


 「何……この雲……?」


 一度望遠鏡をどけ、赤黒い雲を持ち替えた双眼鏡で観測していると、赤黒い雲の中に漆黒と赤の混ざったドレスを着た女性の姿が一瞬映り、二度見した時にはその姿は雲に隠れ見えなくなっていた。


 「……嘘だ。フライングヒューマノイド……UMAなんて存在するはずないのに。ただの見間違え……そうに決まってる……!」


 震える手でもう一度双眼鏡を覗き込み、雲の中央辺りを狙って観測を続けた。





———————————————————————————————————



 ——同時刻、楠家。



 みちるの入浴中、明日の授業の予習復習を行っていたアリサの脳裏に電流が走る。


 「……いつもの雑魚じゃない?また別の個体か」


 いつもならあかり……メロリィエンジェルが撃退に向かうのだろうが、前回の彼女の姿を思うと苦戦する事は間違いないだろう。


 それに、こんな夜間に未成年が一人出歩くのは宜しくないと、警察組織の作成した掲示板のポスターにも書いてあった。


 彼女の両親はあかり一人の外出を認めないだろうし、彼女の応戦は望めない……。ならば。


 [……起動]


 アリサはパワードスーツを展開し、目元には暗視機能と認識阻害効果を持たせたナノマシンバイザーを装着する。


 透明化機能を起動させ、姿見からも自身の姿が消えた事を確認すると窓を大きく開け放ち、風も凪ぎ星々の瞬きも隠された暗闇の空へと飛び立った。


 空を切り裂き、空へ空へと上昇を続けているアリサは立ち込める赤黒い雲へと突入する。

 敵のいる場所は悪意感知で丸見え故に、一直線に目標へと接近する。









 「ふぅ~ん……随分とキラキラした町ねぇ。夜遅くなのに楽し気な音がそこらかしこに溢れているじゃない。……夜は静かにしてもらわないと」


 ミーザリアが手にしたマイクを構えると、背後に魔法陣が現れ、そこからスピーカーが二つ現れる。


 「私の歌で、全てを静寂に……!響かせるは美しき終焉(フィーネエレガンテ)の独唱(アリア)!」


 スゥ……と息を吸った瞬間、偶然にも気管に唾が入り、くの字になる程酷くむせ返ったミーザリアのすぐ頭上を鋭い風が通り過ぎた。


 「……え?」


 その風は魔法陣から呼び出したスピーカーを魔法陣ごと真っ二つに切り裂き、破壊されたそれらは魔力粒子となって霧散した。


 「……え、え……これ、情報にあったメロリィエンジェルなの……?こんな危ないなんて聞いてない……!?」


 続けて飛んできた不可視の凶刃をミーザリアはかろうじて避けるも、手にしていたマイクを切断されてしまう。


 「待って、ちょっと待って……!ごめんなさいごめんなさい……!?すぐ帰るからぁ!!許してぇっ!?」


 慌てて次元転移ゲートを展開し、万が一追撃が来ても避けられるように背中からゲートへと飛び込む。


 その瞬間、赤黒い雲を吹き飛ばすようにソニックブームを出しながら、漆黒の服を纏った銀髪の少女が猛スピードで輝く魔力の刃の光る剣を手に目前まで迫ってきていた。


 「ぁ……!?」


 転移ゲートに漆黒の少女の剣が届く寸前、ギリギリで次元の穴が閉まり、ミーザリア一人だけが拠点へと転送された。






 「……逃がしたか」





———————————————————————————————————





 ——ディスコード拠点 


 「……おや?」


 転移門の扉が開き、次元の穴が出現する。


 先程出撃したばかりだと言うのに、忘れ物でもしたのだろうか?


 気にも留めずにワイングラスの洗い物を続けていたクレシド卿は、意気揚々と優雅に出撃したはずのミーザリアが、背中から飛び出して尻もちをつく形で帰還した事に、思わず洗い物の手が止まる。


 「……ミーザリア?どうされましたか?」


 不格好に尻もちをついたままの姿で動こうとしない彼女を不思議に思い近付くと、ミーザリアの目が恐怖で見開かれ、小刻みに震えている事に気付く。


 「……何があったのですか」


 自力で起き上がれなさそうなミーザリアを横抱きにし、ソファーへと運ぶ。その際に彼女の手に強く握られたままの愛用のマイクが鋭利な刃物のようなもので綺麗に切断されているのが見えた。


 「…………黒い悪魔。メロリィエンジェルじゃない、黒い悪魔がいたの……」


 カチカチと震えで歯が音を立てている。それ相当酷いトラウマを植え付けられてしまったようだ。


 「落ち着いて下さい、すぐに緊急招集をかけます。……報告はその時に」




 その後のミーザリアの報告により、夜間の襲撃はかけないこと。

 もし万が一黒い魔法少女に出会ってしまったらワルイゾーを盾にしてでも全力で離脱する事が決められたのだった。



アリサの二つ名に 黒い悪魔 が追加されました。


ミーザリアが転移してからアリサ到着まで3分、戦闘時間は僅か1分未満。5分以内の撤退という結果に。

もしあの時ミーザリアが運良く咳き込んでいなかったら?ミ / ーザリアになっていたでしょうねぇ……。

その後の追撃も、アリサは本気で仕留めに来ていました。


ミーザリア離脱後の柚木家と杏堂家の様子はここで記させていただきます。


―—柚木家


「ふぅ~!お風呂気持ちよかった~!」


あかりが部屋に戻ってくるや否や、ソラシーが跳ねるようにあかりへと飛びついた。


「あかりっ!!奴らが!奴らが来たソラ……!!」

「ええっ!?こんな時間に……!どっちの方向に?」

「窓からまっすぐの方ソラ!ここからでも雲が見えるはずソラ!!」


慌てて窓を開けてソラシーの言う方角の夜空を見上げるも、ワルイゾーやディスコード襲来時特有の赤黒い雲は見えず、綺麗な星空と月の光が優しく町を照らし、穏やかな夜風が火照ったあかりの頬を冷ましていく。


「……ねぇソラシー、何も見えないけど……?」

「ピっ!?そんなはずないソラ!確かにピピッてきたソラ!……でも今は感じないソラ」


パタンと窓を閉じ、ソラシーを抱っこしてベッドへと座る。


「ディスコードの人も夜遅いからやっぱり帰っちゃったんじゃないかな?」

「ピィ……不思議な事もあるソラ……」



―—杏堂家


「……消えた。何だというの……あの雲。気象的にはあり得ない出現と消滅……。しかも消える前のあの流れ星のような一閃……。雲に覆われているはずなのに、雲の中を横切った……光る何かが移動……まさかUFO……!?」

あおいの興奮と考察は止まることなく、空いているノートについさっきまで目前で起きていた超常現象の記録を書き記し、写真や動画で証拠を残していなかった自分の愚かさを嘆いていた。



では次回もお楽しみに!

 

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