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気が付けばニチアサ世界に紛れ込んだみたいです  作者: 濃厚圧縮珈琲
第二部 第四楽章 戦場を駆ける
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極光の果てに

 アークが歩く度に視界が揺れ、天井の照明が流れていく。


 力の入らない足はぷらぷらと揺れ、代わりに背中と膝裏に回されたアークの腕の感覚だけが、やけに温かく感じていた。



 私は拘束されたまま横抱きにされ、アークに運ばれている。


 無論望んでこうされているわけではない、でも……抵抗する力はもう、残っていなかった。


 少し身動ぎしただけで身体の奥が軋み、呼吸をする度に胸の内側がひび割れるように痛む。

 スティル・ワールドの代償は、まだ私を離してくれない。





 扉が閉まり、室内には静けさが戻る。

 私を苦しめた濃密な魔素も、壁に隔てられ少しばかりは楽になる。



 先程までの戦闘の痕跡から切り離された、整然とした空間。

 白を基調とした壁、床、天井。中央に据えられた椅子と、その正面に並ぶ巨大なモニター群。


 私は、その椅子へと運ばれ――


 抵抗する暇もなく、そっと座らされた。


 

 まだ拘束魔法は解かれていない。

 だが、鎖の締め付けはそこまで強くない。逃げられないと分かっているからか、皮膚に食い込むぐらいで許されていた。


 視線を上げると、アークが一歩、私から距離を取った。


 まるで客人を席へエスコートした後のような、落ち着いた所作。


 「楽にするといい。……と言っても、拘束はそのままだがね」


 そう言って彼はモニター群へと視線を向けた。



 次の瞬間、モニターが一斉に起動した。



 低い駆動音と淡い光が室内を満たし、像を映し出す。


 その全ての画面に映し出されていたのは――帝都だった。



 上空や地上から進軍する魔導人形からの映像。


 見慣れたはずの街並みは、すでにその輪郭を失い始めている。防衛結界は既に破られ、崩れた建造物の間を義勇兵と魔導人形が駆けまわっていた。



 容赦のない砲撃。

 爆炎と死がばら撒かれていく。


 戦う手段を失い逃げ惑う人影。

 その人影へと魔力砲を掃射し肉片へ変える魔導人形。



 ——見慣れた死地。見慣れた地獄絵図。


 今更その光景に眉一つ動かす事はない。


 これは予測していた未来だ。

 何度も何度も、最悪を想定した光景。



 それでもこうして今、この瞬間。

 想定が現実として突き付けられると、胸の奥底で……何かが折れそうになっていた。




 「王手。詰み。チェックメイト……古の遊戯では、今の様をそう呼ぶらしい」



 背後から、アークの声が落ちる。

 囁くようでいて、じっとりと流れ込むような響き。



 「源始の光は、まもなく発動する。帝都は……。いや、皇国そのものが、次の段階へ進む時が来たのだよ」


 椅子に座らされたまま、ただ見せられ、語られている。


 見届けろ、と無言で命令されている気分だった。




 アークは、私の反応を確かめるように一拍置き、静かに続ける。



 「君には……共に見ておいてもらわなければならない。皇国の行き着く先を」


 淡々と軽く放たれる言葉。

 まるで、明日の天気予報を見ておいてくれとでも言うような気軽さで。





 「君が悪いわけじゃない」


 その一言が、ぬるりと胸の奥へ落ちた。


 反射的に否定しようとしたが、声が出ない。


 「ここまでキミが来れたのは、運命だったからだ。キミが友軍を見捨てた訳でも、それこそ()()だからでもない。むしろ……君は、限界を越えるまで、よくやり過ぎたのだ」


 彼は私の横へ回り込むと、しゃがんで視線の高さを合わせる。


 私は僅かに首を動かし、目を逸らした。



 「キミは残酷な世界に抗い、戦い、進み続けた。それでも世界は、この結末を選んだのだ。ならば――責められるべきは、君ではなく……世界そのものだろう?」


 優しく諭すような口調。


 だからこそ、言葉が深く深く、虚ろな胸の奥へ染み込もうとする。


 「もう、疲れただろう?」


 鼓動が、ドキリと音を立てて跳ねた。


 否定したい。


 拒絶したい。


 それなのに、身体が言うことを聞かない。


 「もう、十分だ。これ以上君が傷付く必要は、どこにもない」


 アークの指が私の頬に触れ、背けた顔を彼の方へと押し向ける。


 

 「……ッ……!」



 金色の双眸が私を捕らえ、操り人形にされたように身動きを奪われる。


 そのまま彼の指は私の顎へ添えられ、くいと顔を持ち上げる。




 「君の遺伝子は、あまりにも優秀だ。天性の武の才能、魔法の才能。強靭な精神力に……容姿も悪くない。まぁ……まだ若いが、これから時間はいくらでもある」



 ――その言葉の意味を理解した瞬間、背筋に寒気が走る。


 「いずれは――我が妻として迎え入れよう。救済の末に訪れる楽園の礎に、君ほど相応しい存在はいない」


 まるで、決まった未来の予定を告げるように。


 私の拒否権など、最初から存在しないという前提で楽し気に語っていた。


 「だから、共に見よう。終わりとその先を。君は……選ばれし者なのだから」


 その言葉に、一瞬だけ。

 刹那ほどの僅かな時間ではあるが――心が揺れた。



 もし。

 もしもだ、ここで頷けば――。


 

 もう剣を振るわなくていい。


 もう、痛みにも耐えなくていい。

 

 無理やりにでも歩き続けなくても、好きな時に立ち止まっても、許される。




 ——愛して、貰えるかもしれない。



 そんな未来が、脳裏をかすめた。


 ――楽だ。


 正直に、そう思ってしまった。


 その事実に、自分で愕然とする。


 「……ッ」


 歯を強く噛みしめる。


 胸の内側が、ずきりと痛んだ。


 違う。


 今のは――私の本心じゃない。


 疲労が。


 魔素に侵された身体が。


 スティル・ワールドの代償が。


 立ち止まって良い理由を、無理やり作り出しているだけだ。


 私は、それに気付いてしまった。




 アークから視線を逸らし、モニターに映る帝都を見る。


 崩れ落ちる建物。


 倒れる皇国軍兵士。


 シェルターの入り口を破壊して突入し、中に避難していた民を皆殺しにする魔導人形。





 ここに映る全ては、私が……任務を果たせなかったから起きた事。


 私の代わりに誰かが犠牲になっているから、私はまだ生きてここにいる。

 その事実から、目を逸らすつもりも言い訳をする気もない。


 喉の奥に、苦いものがせり上がる。


 それでも――


 「……だからこそ」


 自分でも驚くほど、静かな声だった。


 

 私の顎と首を撫でるアークの指が、ほんの僅かに動きを止める。


 私は、モニターから目を離さないまま言葉を続けた。



 「私が……立ち止まったら」



 ――瓦礫の向こうで、逃げ惑う民が映る。



 「ここで、私一人が楽になる事を選んだら……」



 ――魔導人形と刺し違えて果てる兵士の姿。



 「それは……今、戦ってる人達を。皇国の為と散っていった皆を裏切る事になる」




 「……へぇ」

 

 アークの気配が、少しだけ冷えた。


 「私は……英雄じゃない。正しい事しかしてこなかった訳がない」


 一度吐き出せば、止まらない。


 「任務に失敗した。私を友人だと言ってくれた人を……守れなかった。助けを求める民間人を救えなかった……容赦なくこの手に掛けた」


 一つ一つ、噛みしめるように言葉を落とす。


 「……でも」


 ここで、ようやく私はアークを見た。


 「立ち止まる理由には、ならない」


 アークの瞳が揺れた。

 興味と愉悦。

 そして、わずかな苛立ち。


 「私は……この身体が、もう限界だって事も分かっている。こうして話しているだけでも……とても辛い」


 ずっと、口の中が血の味しかしない。


 「それでも、前へ進む。そして……お前を殺す」



 沈黙が満ちる。


 聞こえるのは、制御装置類の駆動音と私の荒い呼吸音。



 それに混ざる様に、アークが静かに喉を震わせるようにして笑った。



 「……本当に、聞き分けのない子だ」


 

 アークの笑みは、穏やかなままだった。


 だが、その笑みの温度だけが、すっと下がる。

 手のかかる存在を扱う時の困惑が混じっていた。



 次の瞬間。


 私の喉元に、指が添えられた。

 親指と人差し指が、喉の両脇を圧迫していく。



 「大丈夫。殺すつもりはないよ」


 囁くような声。


 まるで、怯えさせてしまった事を気遣うかのように。


 「でも、悪い子にはお仕置きをしないといけないからね」


 少しずつ圧迫する指が力を増していく。


 それだけで、空気が通らなくなる。



 喉が鳴る。

 息が吸えない。


 私は反射的に彼の腕を掴もうとしたが、拘束魔法がそれを許さない。


 身体を揺すり逃れようとするも、身動ぎ一つ出来ない。


 「……ほら、無理に動かない方がいい。苦しくなるだけだ。分かるだろう?」


 アークは、落ち着いた声で続ける。


 「キミがしてきた事も、これからしようとする事も、これと一緒さ。無理に動き続ければ、身を縛る鎖は締まり、自分一人が苦しむだけなんだ」


  

 苦しみ悶える私の姿を、アークはどこか恍惚とした表情で眺めていた。


 ——気持ち悪い。



 「理解して(分かって)いるよ。君が強い事も、頑固な事も。……だからこそ少し、教えてあげないといけない」


 視界の端が、じわりと暗む。


 鼓動が、やけに大きく耳に響く。


 血が、頭に上らない。 



 「人は――世界はね、正しさだけでは動かないんだ」



 ギリギリギリギリ



 「他者の成功を恨み、身勝手な妬みで全人類の未来をぶち壊す愚か者がいた。——分かるかい?名誉なんて下らない金属の勲章と、人々の称賛を他者が受け取る事を許せないが為に、人類が生き残る最後のチャンスを失ったんだ」



 彼の指が、爪が皮膚に食い込んでいく。


 

 「だから、一度全て浄化してやらねばならない。一人安全な美しい箱庭に閉じこもった皇帝も、一級国民だと胡坐をかく愚か者も」



 肺が、脳が――限界を訴えている。

 

 もう目の前にあるはずのアークの顔すらぼんやりとしか見えない。 


 

 「私の声に従うんだ、アリサ。立ち止まりたくないのなら、私が導き進ませよう」


 

 低い警告音が、一定の間隔で鳴り始めた。


 モニターの端に、文字列が流れる。



 《源始の光起動シークエンス開始》

 《魔素圧縮:完了》

 《位相固定――》


 アークは、その光景を満足そうに眺めていた。



 「始まるよ、アリサ」



 振り返らないまま、穏やかな声で告げる。



 「皇国の終わりが、救済が始まるんだ。……あぁ、安心してくれ、この場所は安全だから」


 「……帝都で戦っている義勇兵は?救済を……彼らなりの大義を信じて戦う彼らは?」


 「これもまた救済だよアリサ。難攻不落の巨壁に天から極光が降り注ぎ、全てを塗りつぶしていく――きっと痛みもないだろうよ。それが彼らにとっての救済になるんだ」

 

 どこまでも穏やかな声色。

 これから途方もない人数の死者が出るというのに、おめでとうとでも言うかのような軽さがあった。



 私は、ゆっくりと息を吸った。


 全身に針を刺されているような鋭い痛みが走る。


 それでも。


 まだ、動ける。 

 動け――。



 拘束魔法の鎖が、四肢を縛っている。

 関節の可動域を奪い、対象を逃がさない、完璧な拘束。


 普通なら、諦めてここで終わりだ。


 ――だからこそ。


 私は、自分自身へ向けて魔力を集束させ、不可視の刃を走らせた。



 私が一番得意とする切断魔法。



 自分の皮膚をかすめる、紙一重の軌道。

 限界の身体で行使した魔法の為、僅かに狙いが逸れ、斬り裂いてしまった手足から激痛が走る。


 

 その代わり、魔力で編まれた鎖が音もなく断ち切れ、宙へ霧散した。



 「……ほう」



 アークが、初めてはっきりと驚きを見せる。


 だがそれも、一瞬。

 すぐに口元が、楽しげに歪んだ。


 「なるほど。自傷で解除するとは……やはり、期待を裏切らない」


 私は椅子を蹴り、立ち上がった。



 足が震えても、視界が揺れても。

 それでも、前へ。




 アークが、指先を軽く振る。


 新たな拘束魔法が、空間に編まれた。


 速く鋭く、鞭のように襲い掛かるそれを、避ける。


 鎖が巻き付く瞬間を読み、床へ滑り込み紙一重で躱す。


 「……へぇ!」


 アークの笑みが更に深まる。




 もう迷わない。


 私は、残った全てを賭けて――突撃した。



 距離は僅か。

 今度は――届く。





 ――だが、嘔心瀝血の一撃は、危なげなく防がれてしまった。


 衝突の直前、防御障壁が展開される。


 固い壁を殴りつけたような衝撃。

 剣に纏わせた魔力刃が障壁をガリガリと削るが、勢いは……止められてしまった。

 

 

 「悪い子だ」

 

 言葉と共に突き出されたアークの掌底が鳩尾に沈み――呼吸が止まる。

 更に容赦のないゼロ距離で叩き込まれた衝撃魔法が、私の身体を打ち抜いた。


 「――――ッ!!」



 音が遠のき、視界が真っ暗になる。


 背中から壁へ叩きつけられた衝撃で、骨が軋み、内臓が潰れ、肺の空気が一気に吐き出された。

 そのまま身体が床へずり落ちる。


 痛い、苦しい、もう嫌だ。


 そんな感情を飲み込んで、もう一度。

 もう一度立つんだ。

 

 進め、進まないと――。

 







 追撃が来た。








 凝縮された魔力弾が、私の腹部を……正確に貫いた。


 「……ぁ……」


 熱い。


 傷口を視認して、理解して――激痛が迸った。



 

 もう言葉は出ない。

 苦痛に呻く声の代わりに血が吐き出される。

 

 口からも、鼻からも、目からも、腹からも。



 床に力なく崩れ落ち、ぼやけていく視界の端で、モニターが輝いている。


 《位相固定完了》

 《源始の光 発動準備完了》


 

 モニター群の光を背に、アークが静かに歩み寄ってくる。


 「残念だよ、本当に」


 私を見下ろす目は、どこまでも穏やかだった。

 自分が手を下した事を、まるで気にも留めていないかのように。



 「これは罰だよ、アリサ。……目が覚めたらまた話をしよう」



 血が、床に広がって……ナノマシンにより分解されていく。


 意識が、視界が白んじて遠退いていく。



 これが……私の終わり……?

 この場所が……この終わり方が、私の……辿り着いた終着点……?




 ……違う。


 まだだ。


 終わりじゃない。


 そう思おうとしても、流れ出る血と共に意思も零れ落ちていく。



 床の冷たさも、血の温度も、もう何も感じない。


 ただ、視界の奥で――眩しい光だけが膨らんでいた。


 白。


 ……白。


 ――白。





 あれは帝都を呑み込み、皇国を終わらせる光。


 アークが何かを話しているが、もう何も聞きとれない。

 ただ、何か声を発している音波が、鼓膜を刺激し揺らしているだけ。



 ――間に合わなかった。


 悔しさも、怒りも、もう形にならない。



 でも、私は最後まで立ち止まらなかった。

 それだけは、誇っていいだろう。


 ……それで、いい。


 私は、進んだ。


 この身体が壊れる、その瞬間まで。


 視界が完全に白に溶ける。


 意識が、静かに沈んでいく。


 それでも。


 それでも私は――



 「————ぃ」



 声に出ていたのか、出ていなかったのか。

 何を考えていたのか、考えていなかったのか。

 

 千切れかけた意識を手繰り寄せる。

 首の皮一枚どころか、細い糸一本で繋がっているような意識。


 


 ――起死回生の一撃を。

 

 

 それは私の考えだったのか、それとも私を突き動かしていた意思によるものなのか。

 自力では到底動けないはずの身体が、右手に握るボロボロの魔導デバイスを持ち上げさせた。


 「……ごぶッ」


 大きく血を吐き、重い頭を支えておけずに重力に従い項垂れる。

 もう持ち上げられない。


 それだけでも奇跡。不可能を覆したと驚愕されるだろう。

 でも、まだだ。



 体内を突き破らんばかりに暴れまわっていた飽和していた魔素。

 それを魔導デバイスへと一点集中させていく。

 

 より鋭く、より硬質に、より濃密に。


 

 本当の本当に、最後の一撃。

 

 もう目は見えない、感覚も残っていない。

 それでも放たねばならないと、右腕だけは震えながらもしっかりと杖を支えていた。



 ――いけ。


 ――――届け。





 集束した魔力は確かに解き放たれたのだろう。

 魔法の反動で、魔導デバイスが私へ寄り添うように倒れてきた。



 放った一撃は爆裂魔法だったのか、切断魔法だったのか。

 それとも、ただの魔力弾だったのか。


 ……アークを仕留めたのか。 


 もう、私には分からない。


 

 ただ、白に溶けていく世界の中で、命を奪う時に感じていた確かな手応えを感じていた。





 ――極光が、白い光の奔流が例外なく全てを染め上げ飲み込んでいく。

 

 ぼんやりと暗かったはずの視界が、瞼を貫く輝きに焼かれて純白一色に染まる。

 

 これが、私の最後だった。



———————————————————————————————————

 


 

 『うぅ……!』


 網膜を焼くような、太陽を何倍にも明るくしたような輝きに、みちるは思わず声を漏らした。

 直前に放ったアリサの一撃を目で追った時、既に臨界点を越えていた『源始の光』が強い光を放ったのだ。


 再び世界が暗闇の意識の海へ戻ったというのに、ずっと最後の瞬間の残像が目に焼き付いてしまっていた。


 『みちる、大丈夫ですか……?』

 

 耳元でアリサの声がする。

 握られた手は温かく、確かにそこにアリサが生きて、傍にいると感じさせてくれた。


 『……う、うん。まだ目が……チカチカするけど、大丈夫』


 みちるは目を閉じたまま、アリサの手を握り返す。

 

 『これが……アリサが日本に来るまでの記憶……』

 

 『はい、私は……間違いなくあの場所で塵に帰ったはずなのです。ですが……ここにいる』


 みちるはまだ目が眩み、目を瞑っても開いてもアリサの表情を伺う事は出来ていない。

 だがアリサの声色から、彼女がどんな顔をしているか……分かった気がしていた。

 


 『……今ここにいるのは、咲良アリサよ。アリサ・オルディスでも、H-163でもないわ』


 『――ッ!……はい、そうですね』


 伝わるのは手のひらの温もりと、きゅっと握られる優しい力強さ。


 あなたは冷酷で無慈悲な殺人兵器じゃない。

 自分と同じ、ただの女の子なんだ。


 声には出さない。でも、きっと伝わると信じてみちるも優しく指を絡めた。



 

 ――ガサリッ


 

 音が戻ってきた。

 まだ続きがあるのかと、みちるは恐る恐る細目を開けて景色を伺うと、見覚えのある場所に立っていた。


 『あれ、ここ……どこ?ゴミ捨て場……?わっ!?』


 

 思わず大声を出してしまう。

 何故なら、ごみ袋が積まれているゴミ捨て場にアリサが――しかも一糸纏わぬ姿で倒れ込んでいたのだ。


 光に目を焼かれる直前に見た彼女と違い、腹部の穿透創は綺麗さっぱり塞がっており、全身に負っていた痛々しい負傷箇所も、その痕跡をまるで残していない。


 思わず見惚れてしまうみちるへ、アリサは小さく咳払いをする。


 『……みちる、そこまで注視されると……』


 『へ!?あ、えっと……その、ごめんなさいっ!』


 わたわたと視線を彷徨わせ、ちらっとアリサを見ては逸らし、またアリサへ目が行ってしまう。

 だが足音が聞こえて来た事で、ようやく視線をその足音の主へと向けた。



 スーツ姿で白髪交じりの頭髪と髭をした初老の男性――楠芳夫、みちるの祖父だった。

 


 『おじい様……!!』


 

 やってきた芳夫は小さなメモを手にしており、ゴミ捨て場で眠るアリサの姿に、驚きを隠さぬ表情を浮かべた。

 足早に近付くと、アリサへ声をかけた。



 「大丈夫ですか?」



 ピク……と身動ぎをして、アリサがゆっくりと時間をかけて身体を起こし、ようやく芳夫へと視線を向けた。


 

 「お嬢さん、大丈夫ですか?」


 

 芳夫の問いかけに、アリサは無表情のまま首を傾げ、パチパチと二度瞬きをした。


 「お嬢さん、そこはゴミ捨て場です。見た所まだ未成年の様ですし……良ければうちへ来ませんか?喫茶店をやっているので、そこで一杯ご馳走しますよ」



 「……」


 無言で首を縦に振る。

 少女の反応を見て、芳夫は少しほっとした表情を浮かべながら着ていたスーツの上着を脱いだ。



 「……それと、まだ年端も行かないお嬢さんを裸のまま歩かせるわけにはいきませんので、これを着て下さい」


 言われて気付いたのか、アリサは一度自身の身体へと視線を落とし、再び二度瞬きをした。

 


 あまりアリサを直視しないよう気を遣う芳夫から上着を受け取ると、二人は芳夫を先頭に歩き始め、路地裏を後にした。



 突如、景色が漆黒の靄に包まれ、グンッと上へ上へと引き上げられていくような感覚を覚える。



 ――共鳴魔法が、その働きを終えようとしているのだ。



 漆黒に染まったアリサの記憶の海から引き上げられ、みちるは二度目になる現実への帰還を果たした。

 意識が戻ると同時にビクンッと身体を震わせ、力なくその場に倒れ込んだ。


 

 「はぁっはぁっ……やっぱり……なれないわ……この感覚……」


 僅かに襲ってくる吐き気に、口元へ手をやりながら呟く。


 

 「お疲れさまでした、みちる。……色々と思う所はあると思いますが……今日はもう寝ましょう?」


 

 アリサの言葉に、みちるは否定の言葉を言おうとして……やめた。



 「……そうね。明日、ちゃんと整理して話しましょ」


 

 時計を見ると記憶の旅に出る前に見た時刻から、ほんの数分しか過ぎていない。

  

 しかし、みちるにとっては長い長い旅であり、脳が疲労を訴えていた。


 

 アリサが枕元の照明を消し、みちるの隣へと身を横たえると、ベッドの軋む音が小さく鳴った。

 屋根裏部屋は再び静けさに包まれ、窓の外からは夜風がそっとカーテンを揺らしている。



 みちるは仰向けのまま、しばらく天井を見つめていた。

 目を閉じてしまえば、さっきまで見ていた光景が瞼の裏に映し出されてしまいそうで、目を瞑るのが怖かったのだ。

 

 色とりどりの魔法の光。血の匂い。叫び声。

 自分の目で見て来た地獄絵図の感覚が強烈で、未だに鼓動が早く脈を刻んでいた。


 不意に、指先に温もりを感じる。


 アリサの手がそっとみちるの手を探し、それに気付いたみちるから手を重ね、指を絡める。


 「……」


 互いに言葉はない。

 ただ、握る力がほんの少しだけ強くなる。


 みちるは胸につかえていたモヤモヤを吐き出すように、深く、長く息を吐いた。

 


 「……ねぇ、アリサ」


 囁くように、小さな声でアリサを呼ぶ。


 「はい」


 すぐに返事が返ってきた。

 それが、少しだけ嬉しかった。


 「今日は……ぐっすり眠れそうな気がする」


 アリサは一瞬だけ考えるように間を置き、それから静かに答えた。


 「それは、良かったです」


 それ以上は、何も言わない。

 でも、握った手の力が少し強まったのが、何よりの答えだった。


 やがて、みちるの呼吸がゆっくりと整っていく。

 まぶたが重くなり、意識が浅瀬から深い所へ沈んでいくのを感じる。


 意識が完全に眠りに落ちる直前、みちるは最後に小さく呟いた。


 「……アリサ、ずっとそばにいてね……」


 「……はい、みちる。私は……あなたの傍から離れません」


 迷いのない、静かな声でアリサが返した。


 「明日も……平和な一日がくる……よね……?」 


 「……はい。朝ごはんを食べて、学校へ行って……みんなと過ごす、いつもの一日が来ます。だから……お休みなさい」


 みちるの口元が、ほんのわずかに緩んだ。


 「うん……お休み……アリサ……」


 それきり、返事はなくなる。

 規則正しい寝息だけが、部屋に残った。


 アリサはしばらくそのまま、みちるの寝顔を見つめていた。

 やがて視線を天井へ戻し、ゆっくりと目を閉じる。



 外では雲の切れ間から月が顔を出し、屋根裏部屋を淡く照らしていた。

 気を抜けば死ぬような、危険な存在はこの優しい世界には存在しない。


 あるのは、虫の鳴き声が微かに聞こえるような静かな夜と、寄り添い合う温もりだけ。


 ――そして、明日には当たり前のように平和で穏やかな朝が訪れる。

 


 初夏の夜は、穏やかに静かに更けていった。



第二部、アリサの転移するまでの物語はここで終わりになります。

あくまでアリサが見てきた記憶である為、彼女が観測できず理解していない事は知る事は出来ません。


アリサの過去を完全に知ってしまったみちるは、今まで以上にアリサを気に掛ける事になり、そして……もっと強くなることを決意するのでした。





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