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第85話 あの男はやってくる

「心配ないわ。おそらく心労によるものね」


 ロザンナさんは、横たわったミーキャにそっと布団をかけた。

 その顔は赤く、息も苦しそうだ。

 それでも、診察に当たったロザンナさんの見立ては、意外とあっさりしたものだった。


「し、心労ですか?」


「母の診察が信じられませんか、アストリア」


「そうではありませんが……」


 アストリアは眉根を寄せる。

 横に座る彼女が疑うのもわかる。

 ミーキャはとても苦しそうにしているのに対し、ロザンナさんは薬を出すこともなく、しばらくすれば収まると判断したのだ。


 だが、ミーキャは苦しそうだ。

 何もしない、というのは、何か薄情に思えた。


 そんな僕たちの疑念が伝わったのだろう。


 ロザンナさんは小さく息を吐いた。


「獣人の子どもは、とても警戒心が強い。なまじ人間よりも優れた器官を、幼少の頃から持っているから当然です。少しの音でも強いストレスに感じることが多い。爆発音ともなれば、それは大変なストレスになるでしょう」


 やはり、宮廷での爆発音が引き金を引いたのだろうか。


 いや、それだけではない。

 聞いたことのないようなたくさんの鉄靴の音。

 鬨の声。

 アパートメントを襲った複数の爆発音。


 音という例だけを挙げても、枚挙に暇がない。


「私たちがやれることはこうすることだけです」


 ロザンナさんは布団の中に手を入れる。

 ミーキャの手を取り、軽く握りしめた。

 すると、驚いたことにミーキャの息が、少し落ち着く。


「マ、マ…………」


 寝言だろうか。

 それとも手を握ってくれているロザンナさんが、朦朧としたミーキャには自分の母親に見えたのだろうか。


 いずれにしても、どうやら音だけではないようだ。

 どれぐらい両親と会っていないのだろう。

 いや、果たしてミーキャの親は生きているのだろうか。


 僕はそれすら知らないことを今さら気付いた。


「人も、エルフも、そして獣人も同じ……。1人では生きていけない。そこに薬などないのですから。アストリア、あなたにこの子を守る覚悟はありますか?」


 ロザンナさんは鋭い視線を娘に送る。

 横で見ていた僕も背筋を伸ばした。


 例え世界が理不尽であろうと、ここが国という社会ならば、ミーキャたちが神都にいることは許されない。

 違法滞在者と言われても仕方ない。

 それを知っててなお、僕とアストリアは宮中近衛隊に逆らった。

 そこに後悔はないけど、獣人の子どもたちに強い心労を抱かせるような戦場にしてしまったのは、僕たちのミスだ。


 ロザンナさんの言うとおりだと思う。

 僕たちには覚悟を足りなかった。

 子どもたちを守るという覚悟が……。


 ただ一時の義憤に駆られただけなのだ。


「母さん、そう――若い者をいじめるな」


 たしなめたのは、側で胡座をかき、難しい顔をしているオルロさんだった。


「別にいじめてなどいません」


「お前たちもだ、ユーリ、アストリア。母さんを心配させるようなことはするな」


 僕も、アストリアも頭を垂れるしかなかった。


「大人としての説教はこのぐらいにしよう。現状の騒ぎを収めるためには、やはりフィーネル王女殿下――“神和(かんなぎ)”に社に戻っていただき、“(おおきみ)”の暴走を止めてもらうのが、1番であろう」


「父上……。“(おおきみ)”は何故実の娘を手に掛けようとするのですか?」


「お主らと一緒じゃよ」


「え?」


 フィーネルさんの父。

 カリビヤ神王国国王ユーハーン・ラー・カリビアは、元々賢君として期待された“(おおきみ)”だったらしい。

 すでにエルフの中でも不満が多かった『冠位十二階(グランド・トゥエルブ)』の改訂あるいは撤廃を掲げた所信演説は、今でも“(ぴん)”を中心とした語りぐさになっている。


 だが、ユーハーンの政治の歴史は、『冠位十二階(グランド・トゥエルブ)』を維持しようとする保守派との戦いだった。


 その中で少しずつ支持を広げ、ついに今の宮廷内クーデターに繋がったのである。


「だが、古い官吏たちを仲間に引き込むのは、並大抵のことではない。大義や感情によって心を動かされる者など一握りしかおらん。自分の大義を貫くことは、人の大義を叶えるということでもある。つまりギブアンドテイクだな。その中で、(おおきみ)の大義は少しずつ変節していったのだ」


「そして、ついに保守派――――旧体制の一掃に踏み込んだ。先日、その決起集会が行われたそうだ。どうやら、最後までわからなかった兵武省も、革新派についたようだな」


「父上は“(おおきみ)”がこの国の舵取りをすれば、神王国は変わるとお考えですか?」


 アストリアの質問に、オルロは頷くでもなく、横に振るわけでもなかった。

 ただ遠い目をして、天井を仰ぐだけだ。


「正直に言うとわからん。昔の“(おおきみ)”であれば即答できただろうが……」


「僕は信じられません。実の娘を手に掛けようとしているんですよ、この国の王様は」


「ユーリくんの言うとおりだな。さすがに“神和(かんなぎ)”を(しい)することはやりすぎだ。“(しん)”を閉じこめたことも同様……」


 オルロは鼻息を荒くする。

 側にいたロザリムさんも小さく頷いた。


「父上、お願いがあります。私たちに協力してくれませんか?」


「…………」


「父上と母上には迷惑のかからぬよう立ち回ってきました。ですが、ここに至っては、それも難しくなってきました。クーデルレイン家は“(つかさ)”ではありますが、父上と母上の上司や部下は、いまでも宮廷の一線で働いている方々です。その人脈を活かし、宮廷内情を探っていただきたいのです」


 パン、と突然ロザリムさんは床を叩いた。

 再びあの鋭い目が、僕たちを射抜く。


「アストリア、あなたは自分が何を言っているのかわかりますか?」


「え?」


「確かに私たちには、宮廷の人脈がある。ですが、それに頼るということは、その方々に迷惑をおかけすることになります」


「それは――――」


「アストリアよ。ここに至っては――――というのであれば、我々を信じよ。宮廷の内情を探ってほしいというなら、わしらが直接動こう」


「母上……。父上……」


「……お前が冒険者となろうとしたあの時、わしらは叶えてやることができず、見送ることもできなかった。だが、今度は叶えさせてくれ。それがどんなに無茶なことでも」


 オルロは穏やかに笑う。

 横のロザリムさんも頷き、同意した。


「ありがとうございます、父上、母上。このご恩決して忘れません」


 アストリアは頭を下げる。

 横で見ていた僕も、同時に頭を下げた。


 本当にこの2人には頭が上がらないな。

 どんなに強くなっても、オルロさんとロザリムさんには一生勝てる気がしなかった。


「他人行儀なことをいうな。お前が、わしらの前に生まれてきてくれた時、わしらは大きな恩をお前にもらっているのだから」


 アストリアは涙を流す。

 この2人の前では、さしものS級冒険者も形無しらしい。

 かく言う僕も少し泣いていた。

 同時に、僕の帰りを待つ母さんとフリルの姿が思い浮かぶ。


 居間が温かい空気に包まれている中、ピクピクとミーキャの耳が動いた。

 その瞬間、アストリアとオルロが立ち上がる。

 すでにその顔は強張っていた。


 何か起こったんだ。


 ガシャ! ガシャ!


 玄関の方から戸を荒々しく叩く音がする。


「父上……」


「わしが出る。母さんとアストリアは、その獣人の子を離れへ。ここに置いておくよりは安全だ」


 ロザリムさんとアストリアは頷く。

 言われた通り、ミーキャを背負って裏口から道場のある離れへ向かった。


「何が起こってるんですか?」


 僕の質問に、オルロは耳を掻いた。


「すっかり囲まれておるな。お主ら、多分付けられていたようだぞ」


「尾行……ですか?」


「おそらく家にやってきたのは――――」



 バァァアンンンン!!



 音を立て、派手に戸が砕け散る。

 僕とオルロが向かった時には、すでに木材や硝子が玄関に散乱していた。


 風通しがよくなった敷居を跨いだのは、眼鏡をした役人風の男だ。

 その髪油で撫で付けた濃い銀髪を見た瞬間、僕の表情は一変する。


 それは忘れもしない男との再会だった。


「シュバイセル・ミグロス……」


「ほう……。奇遇だな、鍵師。こんなところにいたのか」


 シュバイセルは口角を上げて、笑うのだった。


シュバイセル再び!


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[一言] 彼が来た、ということは、まだオークのロックは完全には解けていないか。良かったねえ、とりあえずごまかしがきいて。 そういえば、彼は法にのっとって動いている、という解説がありましたが、気に障った…
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