第134.5話 くちびる
◆◇◆◇◆ ユーリ ◆◇◆◇◆
『武具日』となった。
僕はアストリアと街へ繰り出す。
アストリアから誘いだ。
僕の武具は第1層で整えたものであるため、耐久性がない。
この際だからもっと良い装備に変えてみてはどうか、というアストリアから進めだった。
先日の『武具日』では、丸一日寝ていた。
実質、今日は『武具日』デビューである。
『武具日』の街は非常に落ち着いている。
あちこちで宴が行われる『休息日』はともかく、ダンジョンに潜る不死者が活発に動き回る『鍛錬日』もそれなりに騒がしい。
一方、『武具日』は明日が『戦争日』だからだろうか。
静かで、ピンと緊張感が張り詰めていた。
そして僕もまた別の意味で緊張している。
アストリアと2人で街中を歩く。
しかも武具を置き、私服でうろついているのである。
(これってデートなのでは?)
余計なこと考えてしまい、少し鼻息が荒くなる。
心臓がバクバクと音を立てて、横にいるアストリアに聞かれないようにするのが精一杯だった。
『休息日』ほどではないけど、街中は盛況だ。
鍛冶屋の他にも、酒場や食堂、美容院や生活雑貨を売るような店なんかも店を開けている。一生懸命声を張りあげている売り子の中にも、第9層まで来るようなかつての英雄だと考えると、少し緊張する。お釣りを渡すにも、つい敬語を使ってしまいそうになるが、よく考えたら、僕は誰に対しても敬語であることに気づく。
ノクスさんは、昔と今では第9層まで来る難易度が違うと言っていた。
エドマンジュは成長するダンジョンだ。何千年とかけて層を作り続けていると聞く。
もしかしたら、第9層は大昔低層にあって、ムスタリフ王国のような国が栄えていたかもしれない。
そう考えると、ロマンがある。
僕はあくまで『円卓』の救助としてやってきたけど、純粋冒険者としてやってきたなら、この謎だらけの層をもっと詳しく調査していただろう。
歴史とロマンを噛みしめていると、懐かしい香りが鼻腔をついた。
「あれ? この香りって、もしや……」
見ると、ピッツァの屋台だった。
まさか第9層でピッツァが拝めるとは思わなかった。
第9層の料理は、僕の知らないものが多い。
たぶん到達した冒険者たちが、それぞれの郷土料理を振る舞った結果、様々な料理が集まったのだろう。
ピッツァはアストリアの好物だ。
母さんが作ったピッツァを美味しそうに食べていた。
エルフはもっと厳かな料理が好きなのだと思っていたので意外だった。
アストリアも気づいているはずだ。
耳をピクピクと動かしている。
まったく人のことはいえないじゃないか。
「アストリア。ちょっと腹ごしらえしない? 僕、朝食が足りなくて。あそこのピッツァなんてどう?」
我ながら誘い方がわざとらしかったか、と思ったけど、アストリアの目は輝いていた。
「し、仕方ないなあ。ユーリがそこまで言うなら」
どうやらわざとらしかったのは、お互い様のようだ。
アストリアは迷った末、ミニトマトとガーリックが入ったピッツァにする。
トマトもアストリアの好物だ。実家でもミニトマトが入ったピッツァをガツガツと食べていた。
僕も同じ物を頼んで、近くのベンチに座る。
早速、ピッツァを堪能した。
「うまい!」
アストリアは目の色を変える。
僕も食べてみたけど、確かにうまい。
数種類のチーズが使われた独特の酸味と、旨み。
そこにトマトソースが混ざって、チーズの酸味とよくあっていた。
さらにピリッと効かしたガーリックが追い打ちをかける。
土台となる記事はモチモチで、耳はサクッとした食感が楽しめるようになっている。
完熟したミニトマトは熱々で、水分が口の中で飛沫のように飛ぶと、果物を食べたみたいな甘みが口の中に広がった。
まさに王道を行く味。ピッツァを食べているという気分になる。
アストリアはホクホク顔だ。
ピッツァと一緒に買ったフレッシュジュースを飲まずに完食する。
手に付いたトマトソースを嘗めてる姿が、愛おしく思わずほっこりしてしまう。
「ユーリ、なんだね。その緩んだ顔は……」
「へっ?」
しまった。ヘラヘラしているところ見られた。
「さては君? 私の好物がピッツァだと知っていたな」
「ち、違いますって。えっと……ピッツァの屋台の前を通った時、アストリアの様子がおかしいなって。もしかしたらピッツァが好きなのかなって思っただけです」
我ながら会心の嘘だ。
いや、別に白状してもいいのだが、僕がアストリアの好物を知っているというのは、あくまで未来の情報だ。
サリアとの約束もあるし。
可能な限り、話すべきではないと思った。
そもそも自分の好物が他人に知られているのは、あまり気持ちの良いことではないはずだ。
「本当か?」
アストリアは目を細める。
疑われるよりも、顔の近さが気になった。
「本当だよ」
精一杯、顔を繕う。
果たして今のは、表情に出ていなかっただろうか。
審判を待ったが、アストリアは特に反論することはなかった。
その代わり、真剣な目で僕を睨む。
「なに? アストリア?」
「動くな」
鋭く言葉を突きつける。
こうしてやりとりをしている間も、アストリアは顔を近づけてきた。
「あ、アストリア……」
「そのままだ、ユーリ」
「えっ? えっ?」
い、一体何が始まるんだ。
いや、何が起きようとしているのだろう。
アストリアが迫ってくる。 今にも押し倒されそうだった。
場所は広場の中心から少し離れたベンチ。
人通りが少ないけど、まったく人がいないわけじゃない。
立ち止まって、こっちを見ている女性と目があった。
ちょっと待って。
こんなところでいいの?
いや、何が起こるかわからないけど。
もしかして、あれが始まるのか?
(キスを? しかも、アストリアから???)
僕は思わず目を閉じた。
すると、唇がぷるりと動く。
正確には唇の横だ。
感触で口づけされたわけではないことはわかった。
恐る恐る瞼を持ち上げる。
アストリアの指先に、トマトソースがついていた。
僕はハッとなって、反射的に舌を動かす。
捻るように舌を唇の外まで伸ばすと、爽やかな酸味が味蕾を刺激した。
「アストリア? もしかしてソースをとろうと」
「動くな、と言ったろ?」
アストリアは憤然と睨む。
一方、僕は思わず腰砕けになった。
ベンチでなければ、そのまま地面に突っ伏していたかもしれない。
「なんだ、その顔は? 君は私に何を期待していたんだ?」
呆れたとばかりに、アストリアは首を振る。
すると、指先についたソースを嘗めとるのだった。









