第133.5話 大切な君
「そうか。ノクスから聞いたか」
僕はアストリアから陶器でできたカップをもらう。
ホットミルクだ。真っ白な牛乳から白い湯気が出ている。
一口すすると、胃の中がじんわりと温かくなるのを感じた。
生憎の『休息日』だけど、今日はさすがにお酒を飲む気分にならなかった。
ノクスさんの話がショッキングだったとか、不死者の皆さんとお酒が付き合えないとか、そういうことじゃなくて、単純に体調の問題だ。
再生した――といっていいのかわからないけど――ノクスさんたちとは違って、こっちは生身だ。回復魔法で傷は癒えても、体力はそうはいかない。
思えば、アストリアが『戦争日』の始まりに「死ぬな」と忠告したのも、単なる激励ではなくて「不死者になるなよ」という意味だったのだろう。
さて僕が酒の席を断ると、ノクスさんは残念そうに行きつけの酒場に向かった。
僕は少し静かなところを求めたが、どこもかしこも大騒ぎになっている。
完敗だったというのに、嬉しそうに酒を飲み、楽しそうに酒肴をつまんでいた。
結局、宿に戻ってきた僕は屋根に上がる。
下から喧噪が聞こえるけど、幾分静かだった。
しばらくぼんやりと街を眺めていると、アストリアがホットミルクを持って、上ってきたというわけだ。
「すまない。ずっと黙っていて」
「いえ。アストリアなりの配慮だったんですよね。僕を混乱させまいと」
実際、ノクスさんが不死者で、死んでも生き返る存在だとあらかじめ聞いていても、僕は信じられなかっただろう。むしろ戦場での対応に迷いが出たかもしれない。つまり、彼らを守るか否かだ。
でも、結局僕は迷ってしまった。
「いや、隠しごとをしていたことは確かだ」
「それはお互い様です」
そう言ってから、僕は「しまった」と思った。
「アストリア、その……」
弁解しようとしたけど、アストリアはクスッと笑うだけだった。
「君が私に何か隠していることはわかっている。君は正直者だからね」
アストリアは僕の顔を指差していった。
何を言わんとしているかわかる。
そんなに僕は顔に出るだろうか。
今度、表情を【閉めろ】してみたらどうだろう。
「それで君が辛い思いをしていたこともね」
申し訳なさそうにアストリアは頭を垂らす。
「アストリアは僕のことを知らなかったのだから仕方ないですよ」
「ああ。そうだな。でも、今はもう違う。私は君のこと……」
アストリアは銀髪を揺らして、僕の顔を見る。
真っ直ぐ目を見た。深緑の瞳が街の明かりで揺らいでいる。
「……信じている。ヴァルトの前で言った言葉は嘘偽りのない言葉だ」
君は大切な仲間だ……。
少し期待したことは否めない。
けれど、今はそれで十分だった。
今、ここにいる彼女は僕の知るアストリアであって、そうではない。
僕たちの本当の物語は、別の次元にある。
だから、今はそれで十分なのだ。
いつの間にか、空が暗くなっていた。
明日は『鍛錬日』、そして『武具日』を経て、またヴァルトとの戦いが始まる。
否応なくやってくる戦いの日々。
いくら戦いに充足感を欲しがる人間でも、怖くないわけがない。
だからこそ『休息日』があるのだろう。
戦争で傷付いた身体と心を癒やし、浴びるほど酒を飲んで恐怖を少し忘れるために。
屋根の上から街を眺める。
点々とついた街明かりの下には、誰かしら戦士が立っているのだろう。
僕にはそれが戦士たちの魂に見えた。
◆◇◆◇◆
翌朝――――。
僕はアストリアに誘われて、近くの公園にやってきた。
始まったのは鍛錬だ。
前は途中で中断されてしまったが、今日はみっちり2時間稽古をつけられる。
相変わらずアストリアの動きは王道であっても、速くて、鋭い。
ついていくのがやっとだ。
「はあ……。はあ……。もう無理です、アストリア。動けない」
「だらしないな。剣帝ヴァルトを素手で吹っ飛ばした時の勢いはどうした?」
「いや、あの時は、その……はあはあ……。無我夢中で……はあはあ……」
今振り返っても、あの時、あの瞬間に僕に起こったことが思い出せなかった。
剣帝ヴァルトが僕の接近に気づかないほどの動き。
あの巨躯を吹っ飛ばしてしまう膂力。
自分の限界を【開け】していたとしても、不思議だった。
「残念だな。あの力は唯一剣帝に対抗する手段になると思ったのだが」
「す、すみません」
「謝らなくていい。……ただ今のままでは剣帝に勝てる確率はかなり低い」
剣帝ヴァルトはアストリアの【風砕・螺旋剣】ですら耐えてみせた。あの身体に傷付けることは並大抵の攻撃ではダメだ。
それに悩みの種は剣帝ヴァルトだけじゃない。
ゲヴェイムさんが持つ聖剣オルディナの高高度攻撃は脅威だし、アラムさんの聖剣ヒルリングの全体再生能力はどうやって攻略すればいいかすらわからない。
さらにダイムシャット、そして未知数のドリネーさんも控えている。
それぞれ対策をとらないと、打倒ヴァルトどころではなくなる。
しかし、ヴァルトを倒さなければ、『円卓』のメンバーを取り戻すことは不可能だ。
「ヴァルトに対して鍵魔法は、間違いなく有効な切り札になる。君の戦い方を見ていて、いくつか私から提案があるのだが、どうだろうか?」
「うん。僕のほうからも頼むよ、アストリア」
こうして僕たちは剣帝ヴァルトを倒すための作戦を練っていった。









