第111話 剣帥
不意にアストリアの足元が崩れる。
続いて彼女の前に現れたのは、僕だ。
アストリアの肩がぴくりと動く。
最大級の【風砕・螺旋剣】で吹き飛ばされたと思っていたのだろう。僕が地中から現れるなんて思ってもみなかったらしい。
すぐにアストリアは風の加護を張る。
僕からまず距離を取ろうとする行動を見て、思わず感心した。
やはりアストリアは、どんな時でもアストリアだ。
僕はまだこの時代のアストリアに、鍵魔法をあまり見せていない。
そもそも【風砕・螺旋剣】に耐え抜いたことも、地面を【開け】し、土同士の摩擦を「0」にしたのも鍵魔法だとわかっていないはずだ。
アストリアが常に僕から距離を取ろうとしていたのは、まったくの勘……。
身体が感じる情報を選んだ結果なのだ。
「時代は違っても……。君はやっぱりアストリアなんだね」
「…………」
何を言ってるんだ、とでも叫ぶようにアストリアは身を引く。
逃げようとしたけど、もう遅い。
「ごめん。アストリア!!」
「全身――――」
【閉めろ】!!
すでに鍵魔法の射程距離。
如何にアストリアが優れた冒険者でも、この間合いなら僕が有利だ。
その証拠にアストリアの身体が止まる。
身体に纏っていた空気の層がなくなり、落下を始めた。
「おっと!」
僕はアストリアを抱きかかえ、そのまま自分が作った穴底に着地する。
アストリアを見たけど、ピクリとも動かなかった。
「ふう! とりあえず一安心かな」
「冷や冷やさせおって」
「ごめん、サリア。心配かけて」
「べべべべ、別に心配などしておらんわ。ユーリのばーかばーか!!」
何故か怒りまじりに罵倒された。
ひどいよ。僕は正直な気持ちを伝えただけなんだけど。
でも、正直危なかった。
あのまま【風砕・螺旋剣】をまともに受けていたら、たぶん僕の身体は吹き飛ばされていただろう。あの一瞬、身体に従って、【開け】を地面に向けていなかったらと思うと、ゾッとする。
こうしてアストリアに勝利したけど、今回は特別だ。
鍵魔法という僕の得意技を知っていれば、たぶんこうはならなかったはずだ。
「ところでユーリよ」
「なんだい、サリア」
「わかっておるのか。今ならアストリアになんでもできるぞ」
「ぶぅぅうううううううううううう!!!!」
思わず吹き出してしまった。
ちょ! ちょちょちょ! いきなり何を言い出すんだ、サリア。
「何を動揺しておる。その者はお前の未来の伴侶だぞ。……そもそもお前。祝言を挙げたというのに、何もせぬままここに来たであろう」
「な、何もせぬままって……」
「いや、き、キスぐらいしたさ」
そう言ってから気づいた。
よく考えたら、その場にサリアもいたんだった。
公衆の面前……ってわけじゃないけど、思い出したらすごく恥ずかしい。
「ククク……。おこちゃまユーリめ。我が言うとるのは、その先じゃ」
「その先じゃ」
「せいこーに決まってるじゃろうが」
「ぶぅううううううううううううううううう!!」
また吹いた。
本当に何を言ってるんだ、この悪魔は。
いや、魔王だった!
「そそそそそんなことできるわけないだろ! アストリアの了解もなく。そもそも彼女は過去の彼女だ」
「でも、気にならぬのか?」
「え?」
「アストリアの太股……。くびれ……。そして乳のやわらかさ」
「ぶぅぅぅううううううううううううううううううううううううううううう!!」
はあああああああ! 煩悩退散! 煩悩退散!
もうなんか想像してしまった自分が浅ましい。
いや、でも正直に言うと気になる。
それはなんというか。アストリアをもっと知りたいという意味で……。
決して不純ではなく……。
あああああああああああ! もおおおおおおおお!!
煩悩退散! 煩悩退散!!
「くはははは! これだから童貞は困るな」
「君が率先して僕の心を乱してるんじゃないか!!」
まったく……。
久しぶりによく喋ると思ったら、これなんだから。
もしかして浮かれているのかな。
サリアにとって、久しぶりの魔力が濃い土地だ。
現状、【時間崩壊】の維持するために、僕の影から出てこられないようだけど、血がたぎる? うまく表現できないけど、魔王の本能的な部分が騒ぐのかもしれない。
「サリア、今なら影から出てこれるんじゃ」
「無理だな。これでも鍵魔法の維持で精一杯だ。それにもう少ししたら、我は眠る」
「え?」
「心配するな。鍵魔法は維持したままにする。少しでも長い時間、維持するために魔力を節約せねばならん。おそらくこの第9層は一筋縄ではいかんだろうからな」
「何か知ってるの?」
「勘じゃな。魔王としての。それより愛しい眠り姫の呪いを解いてやったらどうだ?」
「愛しいって……」
愛しいことは確かなんだけど、さっきのサリアの言葉を思い出してしまって、思わず身体が硬直してしまった。ダメだなあ、僕。サリアの言葉じゃないけど、童貞丸出しだ。大人になったら、こういうのってもっとスマートに出来るのかな。
やや雑念じみた考えを頭に思い浮かべながら、僕はアストリアの仮面に手を伸ばす。
「あなた、何をしようとしているの?」
不意に声が聞こえた。
僕でも、サリアでもない。
「ユーリ、上じゃ!」
サリアの声に僕は反応する。
ランタンのような緑色の光が見えた。
光を放っていたのは、2歳児ぐらいの大きさの妖精だ。
薄いガラスのように透き通った蝶に似た羽。
翡翠のドレスを纏い、同じ色の髪は地中にあっても緩やかに靡いている。
黒目のない瞳をつり上げ、僕を睨んでいた。
「君、一体……」
「お前、まさかラナンか?」
「え? ラナンって……」
アストリアが契約している風の聖霊の名前……。
そうか。第9層は魔力が濃いから、実体化できるのか。
「待って、ラナン。僕たちはその……怪しい者じゃない」
「怪しい者じゃないですって? こっちは必死でこの娘を逃がそうとして、『ウィンドホーン』に向かっていたのに! いきなりあなたが現れて、邪魔されたのよ」
「『ウィンドホーン』? 僕が……邪魔…………?」
「寝ていたこの娘が起きちゃって。挙げ句の果て戦闘になった上に、動けなくするなんて。あんた、一体どんな鬼畜なのよ! もう!!」
「鬼畜って……」
「アストリアにイタズラしようとしていたでしょ」
「そ、そそそそんなことしないよ」
「キスしたとか。おっぱいを触るとか言ってじゃない」
「言ってない!」
少なくとも後者は!!
「だいたいね! あんたの陰に隠れているその存在! かなり邪な奴でしょ!」
す、鋭い!
サリアの存在にも気づいているのか。
さすが僕たちの上位存在といわれている聖霊だ。
「アストリアを解放して。……いや、離れて。正直に言って、この娘が大人しくしている状況は、あたしにとっても都合がいいの。早くしないと、【剣師】のヤツらが来ちゃうわ」
「【剣師】?」
「それはオレのことか? 聖霊ラナンよ」
声が聞こえた瞬間、闇を纏った巨大斬撃が僕たちのいた穴底を切り裂いた。
闇の斬撃はそのまま辺りを吹き飛ばす。
大きな爆煙が上がり、赤茶けた大地の地形がまた変わる。
煙の中から現れたのは、黒銀色の髪を靡かせた男だった。
歪んだ深い藍色の瞳。全身黒で統一された鎧で纏い、手には刃幅の広い大剣を握っている。その刀身には闇色の呪字が刻まれ、鈍く光っていた。
口角を上げ、貼り付けたような笑みを浮かべている。
爆心地へと下りてくると、男の視線は右へと変わった。
淡い緑色の結界を張ったラナンと、アストリア、そして僕の方を見つめる。
「ありがとう、ラナン」
「感謝なんていらないわよ。あたしの結界に勝手にあなたが入っていただけ」
ラナンは吐き捨てる。
その聖霊の顔は少し強ばっていた。
おそらくそれだけ目の前の男が危険ということなんだろう。
「あんた、何者かは知らないけど、アストリアを抱えて逃げて」
そう言って、ラナンは南の方を指差す。
「この先に『ウィンドホーン』があるわ。そこから第9層を脱出して。その娘と一緒にね」
「ラナンはどうするの?」
「わからない? 時間稼ぎをするって言ってるの」
その提案は黒騎士も耳にしたらしい。
クツクツと声を上げ、ラナンを嘲笑う。
「聖霊がオレの時間稼ぎ? そんなことができると思っているのか?」
黒騎士は易々と僕たちの間合いに入ってくる。
速い! アストリアよりは遅いと思うけど、それでもまったく気配に気づかなかった。
すでに大剣を振り下ろす体勢に入っていた。
ラナンは完全に出遅れる。
男の斬撃は、ラナンが張った結界をあっさり破る。
ラナンは風の魔法で阻むけど、断然遅い。
魔力自体は高くても、彼女自身は戦闘経験がほとんどないのだろう。
「死ね!」
【閉めろ】!!
「ぬっ!!」
黒騎士の身体が止まる。
「不用心ですね」
鍵師の僕に近づくなんて。









