エピローグ
第二部ラストです。
「はっ……」
鼻腔を衝く血臭に、僕は顔を上げた。
何かずっと悪夢を見せられていたかのように頭が重い。おかげで記憶がはっきりとしない。たぶん大量の魔力を消費したからなんだろうが、何故そんなことになったのか、僕自身も判然としなかった。
ゆっくりと上半身を持ち上げる。ぼやけた視界が徐々にはっきりとしてきた時、僕は息を呑んだ。
「ここは……」
目の前に広がっていたのは、見たこともない土地だった。
荒涼としていて、草木の姿が乏しい。ひたすら岩と赤い土だけが広がり、空もそんな大地を映すかのように朱色に染まっていた。
それまでどこか夢現だった僕の意識は、一瞬にして覚醒する。
足下からこみ上げてきたのは、単純な恐怖だ。
第1層、第2層……僕が知る限りの世界で、こんな風景が広がる土地はない。つまり、ここは全く僕にとって見知らぬ土地ということになる。
加えて、鼻を衝くような濃い血臭……。
想像もできないほど人間が死なないと、ここまでの臭いにはならないはず。
僕は少し歩いてみる。足が重い。ベストコンディションからはほど遠い状態だ。だが、あそこで寝そべっている方が、もっと恐ろしいことになりそうな気がした。
ふと顔を上げると、背の低い木の幹のようなものが見える。
僕は反射的に駆け出した。だが、近づいてみると、それは全く別のものだ。
「剣…………?」
それはショートソードだった。
かなり錆びていて、ずっとここに放置されていたことが分かる。触ると、刀身の根本から折れてしまった。そのまま脆い鉱石みたいに崩れ去る。
再び恐怖に蝕まれた僕は、ある人の顔が浮かぶ。
アストリアだ。
「アストリア! どこだ!!」
問いかけても答えは返ってこない。この荒涼とした大地にあの天使のような顔と、月光のような銀髪が降臨することはなかった。
代わりに聞こえてきたのは、別の声だった。
「起きたか、ユーリ?」
「サリア?」
振り返り、僕の影をおったが傲慢不遜な魔王の姿はなかった。
どうやら影から出られない程、サリアもまた疲弊しているらしい。
「大丈夫? 随分弱っているようだけど」
「我を誰だと思っている。魔王サリアだぞ。気遣いは無用だ」
疲れていても、どうやらサリアはサリアのようだ。ようやくホッと出来る要素を見つけて、僕は少しだけ心を落ち着かせることができた。
「サリア、ここがどこかわかる?」
「大方な……。魔力の濃さでな」
魔力の……濃さ?
ホントだ。今の今まで気付かなかったけど、魔力が濃い。普段は全く感じないけど、そこら中から高い魔力の気配を感じる。
第1層がスプーン1杯分ぐらいの砂糖水なら、ここはそのまま砂糖を摂取しているような感じだ。
事実、空っぽだった僕の魔力が呼吸するごとに回復していっているのがわかる。このまま吸い続ければ、魔力中毒になるほどだ。
僕は慌てて着ている服の裾を破いて、マスクを作る。これで身体に取り込む魔素を抑制できるかどうかは怪しいけど、やらないよりはマシだ。
ともかく中毒になる前に、街を探さないと。
おそらくここまで魔力が濃いならば、なんらかの中和剤が売っているはずだ。
問題は街があるかどうかだけど。
「ユーリよ。そなた、どこまで覚えている?」
「どこまでって……」
「ここに来た経緯を覚えているのか?」
サリアに問われ、僕は首を振った。
まだ記憶が判然としない。思い出そうとすると途端に頭痛が襲いかかってくる。状況が全くわからず、慌てているのに過去がどうのというのを、のんびり思い出している暇もなかった。
「ガルヴェニを倒したのは覚えているな? ああ。我が言っているのは、1度目ではない。2度目の話だ」
「ガルヴェニ……」
あっ! ちょっと思い出してきた。
そうだ。僕は『時間』という概念を【破壊】し、過去のカリビア神王国に飛ぶことに成功した。
そこで僕は魔獣王の封印を自ら解き、限界を超えた力で、再びガルヴェニを圧倒し、勝利した。
ついに目論見通り、フィーネル王女は生き残り、そして僕たちは元の時間軸に戻るべく、再び【時間破壊】を実行したのだ。
「しかし、我々は失敗した。我もお前も、ガルヴェニを倒した後だったこともあり、魔法自体が不完全だったということもあるが……。我の見立てではそれだけではない」
「どういうこと?」
「単純に過去に戻るといっても、そこにお前がいるという存在理由がなければ、時間に弾かれてしまう。そこに過去、現在、未来において強い因果なければ、我々は過去のカリビア神王国に辿り着けぬ」
「僕たちはガルヴェニを倒したという強い因果があったから、過去に戻れた、と?」
「そんなところじゃ」
「それなら、帰ることだって」
「さて、それはどうかな? 先ほどもいったであろう。過去、現在、そして未来とな。お前が未来に結ぶ因果が、現在において強いものであれば、そこに引き寄せられるのは自明の理であろう」
そうだ。忘れていた。僕の本当の目的を……。
何故、過去に戻ってまでフィーネルさんを助けようとしたのかを。
それは僕にとって、もう1人のヒロインを助けるためだったんだ。
ザッ!!
不意に足音が聞こえた。
僕は反射的に振り返る。
そこに立っていたのは、少女だった。
おそらく僕と同い年ぐらいの……。
やっと人がいた!
しかし、そんな感動は刹那に消えゆく。
瞬間、二の腕に鳥肌が泡立ち、僕は絶望の中に突き飛ばされる。
「そんな……。嘘だろ……。なんで…………君がここにいるんだ?」
思わず1歩後退る。
その瞬間、少女は「隙あり」とばかりに踏み込む。赤い土を蹴って、僕に迫ってきた。
手には如何にも魔法白金の剣が握られている。
そして、その頭には顔をすっぽり覆うような仮面をかぶっていた。
サリアはこの土地と僕に強い因果があると言った。僕は仮面を見た時、その意味を強く悟った。
忘れもしない。彼女が被っている仮面は、僕がよく知るものだったからだ。
いや、その仮面から始まった。きっとその運命の出会いがなければ、僕は今も第1層で仕事を探し回っていたかもしれない。
迫り来る少女に向けて、僕がとった行動は手を広げ、敵意がないこと示すことだけだった。
「アストリア! 僕だ! ユーリだ! 思い出してほしい!!」
「無駄だ、ユーリ! 逃げよ! そやつは、アストリアであって、アストリアではない」
お前と出会う前のアストリアだ!
その瞬間、仮面を付けたアストリアは跳躍する。
僕の方に向けて、風のように刃を振るってきた。
「死ネ……」
聞いたことのない歪んだ言葉……。
だけど、間違いなくアストリアだった。
アストリアとの再会……。
そして僕たちは知ることになる。
第9層――『剣帝』ヴァトルの恐ろしさ…………。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
もし良かったら、ここまでの評価と感想をいただけると嬉しいです。
次回ですが、しばらく更新空けることになります。
後日活動報告にも発表するのですが、徐々に手をつけている書き下ろしを
いい加減終わらせないと版元様からお叱りを受けそうなので、
そっちの方に作業量をシフトしようと思ってます。
一旦、小説家になろうの活動自体が止まりますが、
またふらっと戻ってきますので、今しばらくお待ち下さい。









