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第102話 頭を上げて

「やっ…………」


「――――った……」


 アストリア、そしてエイリナ姫が呟く。


 しん……。


 穏やかな夜の海のように静まり返る。


 風が吹き、白砂がしぶきのように舞い上がった。


 ユーリの拳は確実に、あの魔獣王ガルヴェニの眉間を貫いている。


 そのガルヴェニの意識はすでにない。


 目に生気はなく、鋭い牙が生えた顎をだらしなく垂れ下がっていた。


 ユーリが拳を引き抜くと、魔獣王の眉間から大量の血が噴出する。


 真綿を絞ったような音を立てて、魔獣王の巨躯が身をねじると、そのまま横倒しになり、ついにガルヴェニは陥落した。


 その結果に皆が言葉を失う。


 “(おおきみ)”も、“()”であるレキ&レニも、そしてユーリたちに立ちはだかった宮中近衛たちも……。


 皆、【閉めろ(ロック)】されたかのように固まる。


 固定された水の上で、ゆっくりと血を浸食させていく魔獣王の骸を見つめた。


「勝負ありじゃ……」


 サリアだけが不敵に笑う。


 その言葉が呼び水になったかどうかわからない。


 まるで静かな海に現れた突然の大波のように、それは社にこだました。



「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」」」」



 鬨の声に間違うのではないかと思う程の大声。


 それまで魔獣王に為す術なく蹂躙され、傷付いた宮中近衛から声が上がる。


 誰彼ともわからぬ拍手が鳴り響き、指笛が鳴らした。


 それまで敵対していた近衛たちの精一杯の感謝の気持ちだ。


 その話の中には“(おおきみ)”の姿もあった。仮面を脱ぎ去り、優しげな暗緑色の瞳が輝いている。


 レキ&レニの“()”のコンビも、お互い顔を向け笑っている。「あははは」と声を上げると、その英雄に見せつけるように両手を上げて、手を叩いた。


 いつしか万雷の拍手に代わり、ユーリ・キーデンスは背中で受ける。


 しかし稀代の英雄は決して振り返ることはない。その背中から漏れる戦意もまるで衰える事を知らず、未だ戦っているようにも見えた。


「ユーリ! やったわね」


「ユーリ…………?」


 最初に異変に気付いたのは、アストリアだ。


 白砂を渡り、青年に駆け寄る。


 直後、ユーリは背中から倒れた。


「ユーリ!!」


 間一髪、アストリアが支える。


 だが、かく言うアストリアもボロボロだ。


 フッと膝に力が入らなくなり、ついにはユーリと共に白砂の中に倒れる。


「イタタタタ……」


 アストリアは強かに打った腰をさする。


 起き上がると、ユーリの頭はちょうどアストリアの胸に挟まっていた。


「な! ゆゆゆゆゆ、ユーリ!!」


 アストリアは慌ててユーリをどかそうとする。


 だが、ビクともしない。逆にアストリアの胸の中に埋まっていく。


 アストリアの顔は、エルフ耳まで真っ赤になっていた。


「ゆ、ユーリ…………?」


 へなへなと力が抜ける。


 抗議するもユーリが動くことはない。反応すらなかった。


 少々心配にはなり、アストリアは確認する。


 それは杞憂であった。


「すぅ……。すぅ……。すぅ……」


 聞こえてきたのは、規則正しい寝息だけだった。


「寝かせてやれ」


 そのユーリの影からサリアが出てくる。


「限界の、さらに限界まで動いたのじゃ。身体が悲鳴を上げておるのだろう」


 そう言うサリアも、大きな欠伸をする。


 ユーリは自分の限界を超えて戦った。


 それを支えたのは、間違いなくサリアである。


 どれほどの魔力を吸い取ったのかは、アストリアには想像もできない。


 だが、魔王サリアが疲れているところを見ると、相当なものだったのだろう。


「我もしばし眠る。その間に、ご馳走を用意しておけとユーリに伝えよ。我の魔力があらん限り吸い取ったのじゃからな。でなければ、魔獣王に代わり我が暴れてやるぞ」


 サリアは冷たい殺気を漂わせ、そして影に沈んだ。


 最後の言葉はおそらく本気だろう。


 それだけ魔王も疲弊したというわけだ。


 顔を上げると、アストリアとユーリの周りに多くの人が集まっていた。


 そのほとんどが宮中近衛だ。


 さらに“(おおきみ)”、レキ&レニもいる。


 誰も何も発しない。


 異様な雰囲気に、アストリアはユーリの肩を抱く。


 さらにエイリナ姫が立ちはだかった。


 ユーリはガルヴェニを倒した英雄だ。


 しかし騙されたとはいえ、宮中を騒がしたことは事実。


 咎めを受けても、なんら不思議ではない。


 それでも罰することが正しいこととは思えなかった。


 ユーリは間違いなく、第1層に引き続き、第2層の英雄でもあるのだから。


「“(おおきみ)”、私に弁解の余地を下さい」


 エイリナは弁護に入る。


 アストリアと同じく、ユーリを守るという決意を漲らせて、姫は口を開いた。


 しかし、“(おおきみ)”は首を振る。


「その必要を、私は感じません、姫」


「え……?」


 エイリナは“(おおきみ)”の言葉に驚いたのではない。


 “(おおきみ)”の背後にいる近衛たちの行動に、声を上げた。


 1人、また1人……。


 “(つかさ)”たちは膝を突く。そして頭を垂れた。


 近衛だけではない。


 レキとレニ……。


 最後には“(おおきみ)”が膝を突き、頭を垂れた。


 第2層に巣くっていた魔獣王を倒した英雄に……。


「これは……」


「みんな、頭を……」


 予想外の光景に、アストリアとエイリナ姫は固まる。


 カリビア神王国では、冠位十二階(グランド・トゥエルブ)という身分制度によって、相手への節度が決まる。


 特に立礼をするか、座礼をするか、身分によって厳格に区分けされていた。


 しかし、ユーリは一介の冒険者だ。冠位十二階(グランド・トゥエルブ)において、単なる外国人とされているため、さして身分がどうこうということはないものの、それでも“(つかさ)”以上の役人たちが、頭を下げることなど滅多にない。


 それも“(おおきみ)”や“()”であれば、尚更のことである。


「“(おおきみ)”、顔を上げて下さい。あなたまで、そこまでする必要は……。それに我々がこの宮中を騒がせたことは事実……。我々は咎人と仰っても、弁解のしようがありません」


 エイリナ姫は訴えるが、それでも“(おおきみ)”の態度は変わらない。


「姫の言う通りだ。しかし、君たちもまた魔獣王に騙されていたというなら、話は別だ。何よりあの魔獣王を崇拝し、冠位十二階(グランド・トゥエルブ)なる悪法をしいたのは、我々の祖先……。君たちは歴代の“(おおきみ)”にすら為しえなかった悲願を叶えてくれた。感謝と、冠位十二階(グランド・トゥエルブ)という身分制度において、君たちが蒙った被害を思えば、この態度は同然だと思う」



 ありがとう……。そして、すまなかった……。



 国の君主からの感謝と、謝罪……。


 エイリナ姫はそこに、自分の父の姿を見た。


 そもそもユーハーン王は、名君と期待されていた方だと、エイリナは聞いていた。


 しかし、ガルヴェニの分断と対立を生む預言に翻弄されていたのだろう。


「お立ち下さい、“(おおきみ)”……いや、ユーハーン王(ヽヽヽヽヽヽ)


 ユーリを介抱していたアストリアは、未だ寝ているユーリを横抱きにして、自らも立ち上がる。


「え?」


 “(おおきみ)”は戸惑いながらも、立ち上がった。


「皆も、全員立って下さい」


 アストリアは近衛にも促す。


 皆が首を傾げる中、アストリアは強い意志を込めて口を開いた。


「ユーリ・キーデンスは、私のパートナーです。かけがえない。その彼に代わって、私はあなたにお願いしたい。聞いていただけますか?」


「私ができることであれば……」


「平伏すること、さらに人に対し座礼をすることを禁止していただきたい」


「それは――――」


 アストリアの提案に、“(おおきみ)”のみならず皆が驚く。


 そのアストリアは言葉を続けた。


「今後立礼だけを許し、すべての者が対等の目線にて話ができる世の中をあなたに作ってもらいたいのです」


冠位十二階(グランド・トゥエルブ)を解体しろ、と」


「たとえ身分制を解体しても、上下の関係は生まれる。そもそも我が国には、2つの種族が共存している。そしてその軋轢を埋めるのには、長い時間と人々の意識の改革が必要になるでしょう」


 アストリアはそこでユーリが出会った“(こり)”の話をした。


 エルフではなく、自分たちが恐ろしいと語ったググリの話だ。


「その話を聞いた時、私が思ったのは両者の目線の違いだ。人は言葉では嘘をつける。けれど、目と目なら簡単には嘘をつけない。むしろ目線を合わせば、それだけで互いの信頼度がわかる」


 アストリアは抱え上げたユーリに視線を受ける。


 残念ながらその瞳が固く閉じられていたが、そんなユーリをアストリアは目を細め、女神にように笑いかけていた。


「目と目を合わせられないから人は信じられなくなる。恐怖が生まれる……」



 ならば、頭を上げましょう……。



「時間はかかると思います……。時に頭を下げることだって必要になる。でも、理不尽な思いをして下げる頭は誰にもない。それを美徳というのではなく、そこから頭を上げる者を私は称賛したい。そんな世の中になってほしい。それが――――」



 ユーリ・キーデンスの望みです。



 アストリアの声は凜と響く。


 気が付けば、空は茜色に染まっていた。空の半分はすでに濃い藍色に染まろうとしている。やや冷たい夜気が、早くも社を通り過ぎていった。


「その言葉、しかと刻んだ。必ずや実現させてみせよう。新しいカリビヤ王国で……」


 “(おおきみ)”は力強く頷くのであった。


本日2月7日で、カクヨムコンテストの読者選考期間が終了いたします。

読んでいただいた方、ありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[一言] ああ、収まった。頑張った。魔王に匹敵するものを、たとえ魔王の力を借りたとはいえ、素手で倒すとはねえ。 「わが国には」という言葉にあれっと思ったのだけれど、アストリアとっては「わが国」だった…
[一言] 十二国紀ですね
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