最終話
第四王子とアニエスの結婚式から数週間。馬車と転移魔法と徒歩とで移動を続けた二人は辺鄙な、しかし素朴で美しい村の入口にいた。
「ここ?」
「そうです。ちょうどいい時期に来られましたよ」
ここがカリンの生まれ育った村だ。夏を迎える前の短い季節、白い花がそこかしこで咲き誇る。今がまさに見頃で、ほのかに清涼感のある香りが漂っていた。
村には整備中の花壇や、建物の外壁工事のために組まれた足場が目立つ。カリンが村に足を踏み入れると、村人が手を止め駆け寄ってきた。
「カリン! カリンじゃないか!」
「待ってたよ、おかえり」
「あのカリンがここの領主様とはなぁ。本当によくやりやがって」
カリンは男爵位と一緒に、この村一帯を領地として拝領していた。元の領主も辺鄙な村を手放すことにためらいはなかったらしい。
今やカリンは小さな土地の領主となり、この村を観光地として発展させるために金や物資を工面していた。
「みんな、ただいま。変わらないね」
「村は少しずつ変わってるけどな! 観光地化に向けて実行委員会が組織されたぞ」
「人も雇えそうなのよ。それにほら、カリンちゃんからの手紙がちゃんと届いたし」
「それにこれ、見て」
村人のひとりが、村の開けた空間を指差す。噴水を作るつもりなのか、石煉瓦を積み上げて枠組みにしている。その中心には人ひとりが立てそうな大きさの台座が鎮座していた。
「噴水の中心にカリンの銅像を置くんだよ。等身大で。あとで型取らせてくれよな」
「よっ! 領主様!」
「観光名所様!」
「大魔法士様!」
「それだけは絶対に止めてください。絶対にです。領主命令です。それにわたしは大魔法士じゃない」
村に入るやいなや、カリンは大人気だ。ロベルトは三歩ほど離れたところでその様子を微笑ましく眺めていたが、次第にひとり、ふたりと見知らぬ男に視線を向け始めた。
「そんで、そのお人が例の?」
「はい。ロベルト・グラン男爵……わたしの婚約者です」
「ロベルト・グランと申します。この度はお世話になります」
胸に手を当て、騎士流の挨拶をする。間髪入れず、園芸用スコップを持った妙齢のご婦人方から黄色い悲鳴が上がった。
*
無事に両親への挨拶を済ませ、新築の宿屋に荷物を置く。カリンの実家には客を泊める部屋がなかったため、新しく作った宿の初めての客として招待されていた。
この日のために室内を早急に整えていたようで、まだこの一室しか使えないそうだ。
そう。一室に、二人で、泊るのだ。
カリンの父は二人が宿に泊まることを最後まで猛反対したが、母になだめられて涙を飲んでいた。
「いいご両親だね」
「はい」
一方的に気を使うでもなく、無関心でもなく、自然体で寄り添い娘の結婚を祝福していた。ロベルトに両親の記憶はほとんどないが、あのように仲睦まじかったわけではないことだけは確かだ。
なんとなくカリンを抱きしめたくなって、荷解きする手を止めた瞬間、村中に鐘の音が響き渡った。
「何?」
「四回鳴りましたね。毒巨鳥が出たみたいです」
既にカリンは剣を取り扉を開けている。ロベルトもその後を追いかけて走った。途中、大剣を手にした男たちと合流する。村の中でも腕に覚えのある者たちらしい。
村外れの森に毒巨鳥の姿が見えた時、カリンが言った。
「本当にいい時に来ました。わたしが動きを止めるので、ルブはなるべく一太刀で、思いっきり綺麗に首を切り落としてください」
「……? 分かった」
妙に具体的なカリンの指示通り、ロベルトは剣を一閃させて、巨鳥の首を切り落とした。今度は吹き飛ばされることもなく着地し、剣を鞘に収めたところで、入れ違うように巨大な刃物を持った男たちがやって来た。続いて、たらいや熱湯を持った女子供まで集まって来たのを見て、ロベルトは目を見張った。
村人総出で血抜きをし、羽をむしり始めている。手際がいい。
「まさか……」
「今日は焼き鳥祭りですよ、ルブ」
森へ走る道すがら、村人が広場で火を起こし、湯を沸かして網を熱し、小麦粉や野菜を運んでいるのが少し気になっていたのだ。
まさか腕に覚えがあるのは魔物の解体であって、武器だと思っていた大剣は、屠殺用の刃物だったのだろうか。
「ここ、魔獣食の文化圏だったんだ」
「王都もエル=ネリウス領も食べないですもんね。毒巨鳥は完全に草食なので、大丈夫ですよ。毒袋だけ要注意です」
みるみるうちに、巨鳥がただの鶏肉へと変わっていく。
「エル=ネリウス領は魔物が多いのに食べないなんて、もったいない……」
「もったいない……かな?」
カリンの言う通り、その日は祭りだった。
皆が広場に集まり、焼いた肉を片手に酒や果実水を飲み交わす。そのまま食べてもよし、短時間で用意できる種無しパンに野菜と一緒に挟んでもよし。タレを付けて焼くだけではなく、煮込んでシチューにしたもの、小麦粉と香辛料をまぶして油で揚げたものなど種類が豊富だ。
「普通の鶏肉より歯ごたえがあって美味しいでしょう? わたしは特に砂肝が好きなんです」
意外と悪くはない。というか、確かに美味しい。
どことなく納得できない気持ちを抱えつつも、砂肝の香草焼きを頬張る幸せそうなカリンには抗えなかった。
腹が満たされてきた頃、村長一家が家から楽器を持ってきた。聞けば魔獣の皮を使った太鼓に、魔獣の髭を張った弦楽器、魔獣の骨をくり抜いて作った笛だという。なかなか猟奇的な楽器は軽やかな音楽を奏で、誰からともなく歌い、踊り始めた。
カリンとともにくるくると回りながらロベルトが見上げた空には、満天の星が輝いていた。
*
満天の星空は、二人が泊まる部屋からも眺めることができた。少し山を登ったところに村が位置しているので、空気が澄んでいて空がよく見える。だから宿に天窓を取り付けたのだそうだ。
「それじゃあ……そろそろ寝ようか」
「そ、そうですね。すっかり遅くなっちゃいましたね」
寝支度を整えた二人は、そんな部屋でそれぞれのベッドに腰掛け、向かい合って座っていた。ひとつの部屋だが、ベッドはふたつ備え付けられている。カリンの父親による、せめてもの抵抗の証だった。
ベッドが別とはいえ同じ部屋。カリンの両親にも結婚の了解を得て、これで二人は名実ともに婚約者である。
そして大きな天窓から見える、夜空の星。心なしか顔を赤くしているカリンもきっと、ロベルトと似たようなことを考えているのだろう。
(いい部屋なんだけど、よりによって……)
もちろん『あなたと共に夜の星を眺めたい』という貴族間の慣用句を元に設計した訳ではあるまいが、ロベルトを意識させるには抜群の効果を発揮した。
想いが通じ合ってからも、ロベルトはカリンに手出しできずにいた。抱きしめたり手を繋いだり、せいぜい軽くキスするくらいで、夜を共にしたことは一度もない。婚前だからというだけでなく、とにかくカリンを大切にしたかったからだ。
正確に言うと、緊張していた。経験豊富であるはずのロベルトだったが、カリンをがっかりさせてしまったら、嫌がられてしまったら、と思うと手が出せないでいた。恋をするのはこれが初めてだったから。
「ルブ」
寝ようと言ったまま微動だにしないロベルトの横に、いつの間にかカリンが座っている。
カリンは真っ赤な顔で、震える指先をロベルトの手に重ねた。
「前に言ったの、嘘じゃないですよ。ルブと一緒に夜空の星を眺めたいと思ってます……今も」
「……カリン」
今日、この場所で、きっと最大級の勇気を持って言葉にしただろう唇に甘く噛み付いた。そのままベッドに押し倒して、段々と痺れてくる思考の片隅に思う。
(まさか本当に、星を眺めながら初めての夜を過ごすことになるとは……)
カリンが好きだ。愛してる。あの日カリンに声をかけて、本当に良かった。
そしてカリンがロベルトのことを好きになった、その奇跡に心の底から感謝した。




