24話
昼を少し過ぎた頃、アニエスは食堂にやって来た。昼時には混んでいる食堂も、この時間帯は比較的空いていて快適だ。
カリンもだいたい、この時間に食堂にいる。本日のメニューを確認するより先にカリンの緑頭を探していると、とある男が目に入った。
(確か、ジュードとか言ったわね)
ここのところ魔法士の塔でよく見かける文官だ。アニエスはこの男がどことなく気に入らなかった。
王宮敷地内に食堂はいくつかあるが、ここは魔法士の塔や騎士団の執務室が近い。だから軍部に関わりのない文官は別の食堂を使うことがほとんどなのだが、ジュードに関して言えば、それほど足繁くこの辺に通っている、ということになるのだろう。
確かに、申請した備品が早く届くのはいいことだ。前任よりよっぽどまじめに、こまめに届けてくれるのは大いに結構なのだが、それは建前だと、アニエスは睨んでいた。
(カリンさんに気があるからって、職権乱用だわ)
アニエスの見立てではあのジュードという男、カリンに会いたいがために、備品を理由にして魔法士の塔に通っている。
備品の受け取りは研究室の下っ端の仕事。カリンの所属する第九研究室には新人が入ってこないので、カリンは未だに下っ端なのだ。
(なんで皆、あの子なのかしら)
王都社交界の、王宮の華だったロベルトが、今やカリンに首ったけで他には目もくれない。人目もはばからずカリンを口説き、どれだけ脈なしに見えても全くめげない。
青薔薇の騎士とは確かに恋多き男なのだと思われていたが、それはもっと秘めやかな、大人の恋なのだと思っていた。
現実は思っていたものと違う――というより、ロベルトにとってのカリンが、今までとは全く違う相手なのだろう。
きっとそうなのだ。アニエスにつけ入る隙など一切なくて、だからこそ諦められる。しかし、腹は立つ。
なぜあんな女なのか、と。
(悪い子じゃないってのは分かるわよ。でも、でも!)
無理やり譲ったコルセットのおかげで多少ましになったように見えるが、髪の毛はいつも三つ編みにして前に流しているだけだし、常にほぼ無表情。化粧気も飾り気も愛想もない。
女の武器は笑顔だというのにそれを使わない女が、どうしてロベルトのような極上の男の心を手に入れてしまったのだろうか。
昨日だって、二人で王都の街へ行ったのだ。一昨日の訓練の時、ロベルトがしきりに楽しみだと口にしていた。
アニエスに筋トレを強要する第四王子も『カリンと街に行くから休みをくれとうるさいので、休ませてやることにしたのだ!』と言っていた。アニエスにとっては鬼教官だが、ロベルトにはいい上司である。
そんなことを考えているうちに、目当ての緑頭を見つけた。今日もひとりで食べている。
トレイを持って料理の皿を取りに行こうとしたアニエスの後ろに、ジュードが並んだ。同じようにトレイを手にしてから、気さくにアニエスに声を掛けてくる。
「カリンさんのご友人ですよね。俺、ジュードといいます。カリンさんのところに行くなら、俺もご一緒していいですか?」
ここが職場ではなく、社交の場――せめて王宮の外であったら。アニエスが魔法士の制服を着てさえいなければ、貴族相手に紹介もなく話しかけるなど言語道断と言い放ってやりたいところだった。
しかしここは職場であり、紹介がどうのこうのと言っていては業務に差し支えることもあるので、そのあたりは大目に見られている場である。
アニエスは一呼吸してから振り返り、美しく微笑んだ。
「ごきげんよう。わたくしはアニエス・フロストルよ。今日はカリンさんと大事なお話があるから、昼食をご一緒するのは遠慮していただきたいわ」
「そうですか、残念」
アニエスはそこでようやく、ジュードの顔を間近で見た。
(あら、割と美形ね)
今まで遠目でしか見たことがなかったので気が付かなかったが、ロベルトほどではないにしろ、なかなか整った顔立ちだ。かつらをかぶせて化粧を施し、身体の線を隠すようなドレスを着せれば女と間違えそうなほど、女顔である。
そしてその女顔のジュードは残念そうに顔を伏せているが、どことなく顔色が悪かった。
「顔色が悪いように見えるわ。具合が良くないのではなくて?」
「聞いていただけますか」
「……なんでよ」
体調の心配をしたら、なぜ話を聞くことになるのか。
しかし、料理の列に並びながら聞かされた話に、アニエスは驚いた。
なんと昨日、カリンとロベルト、そしてジュードの三人で街に出たと言うのだ。
ジュードが横入りしたのではない。元々カリンと約束していたのはジュードの方であり、集合場所に行ったら当たり前のような顔をしたロベルトがいたらしい。
想像していなかった事態にジュードはすっかり恐縮してしまった。相手は王族の護衛を務める近衛騎士だ。
しかし引き返すのも失礼かと思い、予定通りにカリンおすすめの店を案内してもらったらしいが、そのせいで胃を痛めてしまったようだ。だから顔色が悪いのだ。
そこはむしろ引き返すのが正解だったのだが、ジュードは真面目すぎる性格なのだろうかとアニエスは思った。
「あのお二人、恋人同士ではないんですよね?」
「そうよ」
最初は頑なだったカリンの態度も、最近ではだいぶ軟化してきている。しかし軟化しただけであって、ロベルトの気持ちに応えた訳ではない。
「それならまだ俺にも可能性はあると思うんです」
「あら、まぁ」
ロベルトもそうだが、ジュードもやたら堂々とした男だ。秘める楽しさは感じない質なのだろう。
「だから、カリンさんのご友人として、俺に協力してもらえませんか?」
「なぜわたくしが?」
「なぜって、あなたにとっても悪い話じゃないはずだ」
料理ばかりを見ていたアニエスは、思わずジュードを睨んだ。睨まれた男は相変わらず優れない顔色をしながらも、笑顔を浮かべている。
「あなたのご友人の方々が言ってましたよ。アニエス様こそロベルト卿にふさわしいのに、と。俺もそう思います」
「へぇ」
友人とは、最近めっきり顔を見かけなくなった同僚たちのことだろうか。少し前まで頼んでもいないのに周りをうろつき、そうでない時はカリンに嫌がらせをしに行ったりと忙しそうにしていた。
ある日を境にアニエスを避けるようになり、静かになって清々していたが、相変わらずのようだ。
アニエスの父、フロストル子爵は貴族であり実業家だ。だからと言って、アニエスを持ち上げることで彼女らに何かいいことがあるわけでもないのだが。
「あなたはロベルト卿、俺はカリンさん。どうでしょう?」
確かにロベルトはいい男だ。容姿はもちろん、王子の側近たる近衛騎士で、実家はかのエル=ネリウス領を治める大貴族だ。次男なので父親の爵位を継ぐことがないにしても、本人が新しく叙爵される可能性はかなり高い。
青薔薇の騎士という浮名があってもなお、貴族令嬢の結婚相手としては非常に人気があるのだ。
「そうねぇ……」
少し考えて、アニエスは微笑んだ。




