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 ルッキズムという言葉がある。

 外見や容姿の魅力によって人の価値を計る思想のこと。言葉や概念自体は以前から存在したが、この言葉を目にする機会が増えたのはごく最近のように感じられる。

 美しいものに対する憧れ自体は太古の昔から存在するし、美しいものに触れた際に受ける感動や憧憬が芸術に齎してきた影響は計り知れない。もちろん文学もその例外ではない。彫刻は象り、絵画は描き、音楽は奏で、文学は記す。芸術は様々な手段を用いて美を探求し、あるいは美しいものを永遠に残そうと粉骨砕身してきたのだ。

 ただし、私の認識が間違っていなければ、芸術は美しさの価値を数量化しようとはしなかった。


 現代の資本主義社会はあらゆるものの価値を数値化してしまう。絵画や彫刻はオークションにかけられ、音楽はヒットチャートで、小説は発行部数でその価値を計られる。それだけではない。SNS時代の昨今では人間そのものがコンテンツとなり、人気や魅力、商品価値がフォロワー数やリツイート数として可視化される。日本には元々タレントを偶像化し商品化する素地があったが、SNS時代を迎えその傾向はさらに強まったと言えるだろう。

 フォロワー数は発信力の指標となり、発信力は宣伝効果を示すパラメータとなる。情報とコンテンツが氾濫する現代の資本主義社会の中では、この宣伝効果が商業的成功に直結する場合が多い。Web小説において作家自身の発信力、セルフプロデュース能力が求められるようになったのもこのためである。


 そして、この個人の魅力には、若さや容姿も含まれる。

 少し前、ファッション誌などでモデルとしての活動も行っている美人画家の盗作疑惑が持ち上がったことがあった。私は絵の良し悪しはわからない。しかしこの騒動は、現代におけるルッキズムの弊害が最も顕著に表れている例であるように思う。

 他人の作品を盗用し、画面映えする若くて美人の美大生に描かせ、話題性を作る。どの分野にもアイドルを求める大衆がそれに食いつき、耳目を集め、それがゆくゆくは商業的利益に繋がってゆく。堂々と他人の作品を盗むのは、どうせ気付かれるわけがないと鑑賞者を舐めているからこそできる行為である。容姿や経歴などあらゆる要素において魅力的な個人が多数のフォロワーに向けてそれを発信すれば、めでたく既成事実の完成である。


 日本で最も権威ある文学賞を受賞した作家が若くて可憐な美少女だったと話題を呼んだこともある。数年前には音楽業界でもゴーストライター騒動が起こった。古くからどの業界にも、多かれ少なかれルッキズムの影響は存在した。その傾向はSNS時代でさらに加速していくだろう。すべてがアイドルになる。声優業界などは特に顕著な例だと思われる。

 かつて裏方として作品を支え、表舞台にはあまり出ることがなかった声優が、現在ではアイドルさながらに専門誌やファッション誌の表紙を飾り、歌って踊っている。そうした活動を念頭に置いてオーディションが行われる。それと同じことが小説の世界で起こらないと断言できるだろうか。

 そもそもこの業界にはゴーストライターという公然の秘密に近い慣行があるし、現在既にWeb小説作家にはセルフプロモーション能力が求められており、にもかかわらずあからさまな相互クラスタの形成は禁じられている。結局人気商売になるのなら、容姿に優れ人当たりの良い作者が極めて有利な状況となってゆくのではないか。それは小説という文化にとって不幸なことではないだろうか。


 そんなことを考えつつも、私は自分のスマートフォンの画面を見つめていた。

 画面に映し出されているのはサカナから送られてきた自撮りの画像である。ルッキズムを批判しておきながら彼女の自撮りを眺めている。これが自己矛盾でなくて何であろう。


 彼女はとても綺麗だ。本当にこんな人が私の読者なのだろうかと、実は未だに半信半疑の状態である。しかし、一度髪型についてリクエストを求められたことがあり、彼女は私のリクエストに応じて三つ編みにした画像を送ってくれた。拾い物の画像ではこう都合よくはいかないはず。彼女は確かに私の読者のサカナなのだ。

 彼女は数日おきに自撮りの画像を送ってくれるようになった。それからというもの、仕事中にふと疲労を感じた時など、私はサカナが送ってくれた自撮りをぼうっと眺めている。人の顔写真をここまでじっくり見たことは未だかつてない。私も子供の頃は人並みに女優やアイドルに憧れたものだが、それでも時折テレビで眺める程度だった。カレンダーや写真集の類を買ったことはないし、スマホやノートパソコンの壁紙も初期設定のままだ。

 二十数年生きて来て、周りにいわゆる美人や美少女が全くいなかったわけではない。少なくともクラスに一人、学年に数人は容姿の整った女子がいるものだ。接客業をしていれば思わず視線を奪われるような美人の客が来ることも珍しくない。

 しかし私と彼女らは同じ空間に居ながら異なる次元に存在していた。私の人生が彼女らと交わることはなかった。言葉を交わすどころか、視線を合わせることすらなかったような気がする。そのルサンチマンでルッキズムに批判的になっているわけではないつもりだが、コンプレックスが全くないと言えば嘘になるかもしれない。

 現に私はサカナの自撮りを飽くることなく食い入るように見つめているのだ。もし彼女がそれほど美人でなかったとしても、私は全く同じ態度で彼女と接していたはず。彼女は私にとって大切な読者だからだ。だが、これほど何度も彼女の自撮りを見ることはなかっただろう。やはり、私は矛盾している。


「和幸、何見てんの?」


 カウンター席に座った佐々木がだるそうな顔でこちらを見上げている。時刻は夜の十時前、さっきまでソロ客が何人か来ていたが、今は佐々木一人である。口調や顔の赤みから察するに少し酔っているようだ。私は何気ない素振りで答えた。


「いや、別に」

「ウソこくな~? なんか鼻の下伸びてたぞ」


 相変わらずこいつの観察眼の鋭さには舌を巻かされるが、自撮りを見ていたなどとはさすがに言えない。私は急いでスマートフォンをスリープ状態にし、ポケットにしまった。


「気のせいだろ」

「だったら何もスマホしまうことねーべな」

「……何となくだよ」

「何かエロいのでも見てたんか?」

「違うっつの」

「隠すな隠すな。まーいいけどさ」


 佐々木はそう言うと、再び自分のスマートフォンへ視線を落とす。私は垂れ流しになっているテレビを見るともなく眺めていたが、しばらくして佐々木がぽつりと呟いた。


「なあ和幸、お前は一生この街で生きていこうと思ってるん?」

「……何だよ急に」

「こんなしけた街で一生を終えたくないと思わねえかって聞いてんだよ」


 いつもおちゃらけている佐々木が突然重い話題を振ってきたので、どう受け止めたらいいものか、私は困惑してしまった。佐々木の目は笑っていない。少なくとも、ふざけてこんな話題を振ってきたようには見えなかった。私は素直に答えた。


「そんな先のことはわからないだろ」

「そりゃそうだけどよ、自分から動かなきゃ何も変わんねえじゃん。お前の姉ちゃんも上京して向こうで仕事してんだろ。和幸はこの街を出たいと思ったことはないんか?」

「……出て何すんだよ」

「都会だったら仕事なんていくらでもあるだろ。何でもできるじゃんか。俺らの年だったら、まだ何でも」


 そうかもしれない。田舎では仕事を選ぶにも選択肢は限られているが、東京なら就職口は星の数ほどあるはずだ。たとえ非正規の仕事であっても、こっちで正社員として働くより収入は多いらしい。その分生活費も割高にはなるが。

 想像したことがないとは言わないが、生まれてのこのかた田舎暮らしの実家暮らし、これといって手に職があるわけでもない私が、単身上京していったい何ができるというのだろう。

 地元に愛着があるわけでは決してない。一生暮らしたいとも思わない。だが地元を離れることは単純にリスクが大きいと私は感じる。姉はそのリスクを冒して上京し、向こうで仕事に就いているわけで、その点については尊敬しているし羨ましくも思う。

 姉だけではない。同級生の中にも進学や就職で県外へ出て行った者は多いが、皆地元を離れ、たった一人で見知らぬ土地へ旅立って行ったのだ。


 ただ、佐々木は地元と仲間を愛する、俗に言うマイルドヤンキーの典型例のような男だと思っていたし、特に生活に不満を覚えているようにも見えなかったので、その佐々木の口からそんな言葉が飛び出したことに私は少なからず驚いていた。


「高校の頃遊んでたやつらもほとんどどっか行っちまったしよ。地方民だとライブとかイベントもなかなか行けねえし。遊びにいくとこもねえし。つまんねえじゃん」

「そうだけど……佐々木も上京すんのか?」

「そんなアテがあったらとっくにそうしてるっつの。できねえからこうしてお前に愚痴ってんじゃん」

「……まあ、たしかに」

「ぁあ~~、こんなシケた田舎で一生終えたくねえよぉ」


 そうか、佐々木は遊ぶ相手が少なくなったから私のところなんかに入り浸るようになったのか、と合点した。私はそこでふと姉の姿を想起した。佐々木も上京したら変わってしまうのだろうか。いつも陽気で人当たりの良い佐々木の笑顔にも、いつか姉のように形容しがたく仄暗い陰が差すのだろうか。

 そこで会話は一度途切れたが、佐々木はまたぽつりと話し出す。


「なあ和幸、お前はなんか最近悩みとかねえの?」

「悩み?」

「なんでもいいからさ、たまには俺にも相談とかしてくれねえと寂しいじゃんかよ」


 佐々木の一言は私にとって青天の霹靂とも言うべき意外な言葉だった。悩みはずっとあるが、大抵は人に相談してもどうにもならない内容ばかり。そんなことを相談されても相手にとっては迷惑なだけだろうと思っていた。だが、相談してくれないと寂しいとは。そういえばサカナに私の自撮りを送る際、佐々木は迷惑どころかむしろ食い気味に私の話を聞いてくれていた。


「そういうもんなのか?」

「当たり前じゃんか。なんか相談してくれたり悩み事打ち明けられたらさ、あ~俺に心を開いてくれてんだなって嬉しく感じるだろ」


 佐々木は半ば呆れたような口調で言った。

 私の目下の悩みは小説が書けなくなってしまったことである。それは佐々木にはもちろん言えない。小説を書いていると打ち明けても笑ったりはしないだろうが、それでもやはり佐々木には言いづらい。佐々木が頼りないわけでは決してない。この気持ちは創作を嗜む人間にしかわからない気持ちかもしれないが。


 だがサカナはどうだろう。もし彼女も佐々木と同じ考えの持ち主なら、私が今創作で行き詰っていることを相談すれば喜んでくれるだろうか。サカナは私の作品の最も良き理解者である。彼女ならば、私に一筋の光明を与えてくれるかもしれない。


 私はまた見るともなしにテレビを見上げた。夜のニュースで、新しい感染症に感染した乗客を乗せたクルーズ船が横浜に入港した件について報じている。ここ数日、ニュースもワイドショーもこの感染症に関する報道ばかりである。

 佐々木もまた気だるそうにテレビを眺めながら言った。


「ま、こったら田舎さ関係ねえべな」

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