全てを捧げて国に尽くしていた純白の聖女ですが、国ぐるみで踏みにじられたので国の守りの全てを担っている結界、加護、精霊を遠慮なく取り上げることにしました。
「ほら、これが今日の食事だ」
私の目の前に置かれるのは、粗末な食事。
ボソボソで硬い、低品質な麦を使ってるパン。ろくに具が入ってない肉の欠片スープ。
「……」
私は文句を言わず、それを手に取った。
こんな食事を出されても不満の一つすら漏らしてはならないからだ。
それが、『聖女』という地位に就いている人間への食事であったとしても。
私の一挙一動は、すべて監視されている。
もし少しでも不満を漏らそうものなら『お前は聖女にふさわしくない!』と言いがかりをつけられ……。
(まだ、聖女の座から降りるわけにはいかないものね)
そう、私にはやるべきことがある。
スープに口をつける。
予想はしてたけど、やっぱり美味しくはなかった。
冷めてるし、調味料すら使うのがもったいないと思ったのか塩と胡椒がほんの少量しか入ってないため、極限まで薄味になっている。
それでも思わず「不味っ!」とは口にしてはならない。
隙を見せた途端、あの煩い王子とそのお仲間が私のことを『聖女から引きずり下ろせ!』というはずだから。
美味しくない食事を眉一つ動かさず完食すると、メイドがよってきて、ガチャガチャと音を立てて食器を回収していく。
それも「早く食べ終わりなさいよ」とも言いたげな、苛立ちを滲ませた動作で。
本当ならそんなのあり得ないほど失礼だけど、彼女たちは私を侮っているため、する。
私にとっては、周囲すべてが敵だ。
「セラフィナ様、パーティーへお呼びです」
「わかりました。今すぐ向かいます」
「えっ」
私が椅子から立ち上がろうとすると、メイドが声を上げた。
「なんでしょう?」
「いえ……その格好でパーティーに行くのは……あまりにもみすぼらしいのではないかと」
私に声をかけてきた彼女は、馬鹿にしたように半笑いでそう言った。
「そうよねぇ。いくら『悪徳』聖女とはいえ、伯爵令嬢なんだから」
「みすぼらしくて、聖女だなんて思えないわ」
クスクス、とメイドや執事たちの笑い声が聞こえてくる。
私が着ているのは聖女にしか着れない白の修道服だ。
けれどところどころ破けていたり、縫った跡があったり……と、とても伯爵令嬢が着る服とはいえない。
でも、私が持ってる服装なんてこれしかない。
他の服はすべて『聖女にふさわしくない』と着るのを禁じられているのだから。
メイドや執事たちの嘲笑を振り切って屋敷の外に出る。
私が住んでいるのは、小さな屋敷。
私を閉じ込めて、監視するために作り上げられた牢獄だ。
「……?」
私は訝しげな顔になった。
いつもなら馬車が来るはず。
しかし、こない。
待っていると馬車を用意しに行ったはずの執事が、小馬鹿にした笑みを浮かべてこちらへやってくる。
「ああ、申し訳ございません。馬車がただいま壊れていまして…」
「え?」
「申し訳ありませんが、馬車の替えは用意しておらず……」
……どうやら、「王宮まで歩け」ということらしい。
王都の片隅に立てられたこの屋敷から、王宮がある一等地へはかなりの距離があるというのに。
でも、私に不満を言うなんて選択肢はなかった。
「……わかりました」
門を開けて外に出て、王宮へと歩き出した。
もちろん付き人なんていない。私ひとりだけで、王宮までの道を歩く。
伯爵令嬢がひとりで出歩くなんて本当はあり得ないけど。
歩いていると、私は視線を感じた。
怒りと憎しみのこもった視線だ。
次第に、街行く人全員から同じ視線を向けられるようになった。
その中のひとりが、私に向かっていった。
「『悪徳聖女』め! 早く辞めちまえ!」
一度私へと罵声が浴びせられると、波紋が広がるようにそれが広がっていく。
「お前のせいで俺達がどれだけ苦しい思いをしてると思ってる!」
「税金を無駄遣いするんじゃねぇ!」
私の周囲に人垣が形成されていく。
(私が税金を使い込んでいるかなんて、この服装を一目見ればわかるでしょうに)
飾り気一つない聖女の修道服だ。
実際に財政が傾くほど国費を使っているのは私じゃなくて、王子とその仲間たち。
彼らは巧妙に偽装して、私が聖女の権限を濫用し、国費を使っているように見せかけている。
まるで罪人が十字架を背負って歩くように、私の後ろについてくる人々が罵声を浴びせる。
けれどここまで近づいて、ボロボロの修道服に気が付かないはずがない。
彼らはみんな、私を不満のはけ口にしたいだけなのだ。
「この糞女!」
一人が石を投げた。
それは私の額に当たった。
ゴッ! と鈍い音がした。
私はふらついて、思わず立ち止まる。
周囲を静寂が満たした。
私の額から血が流れていく。
石を投げてきた相手を静かに見据えた。
すると相手は「ひっ!」と青ざめて、逃げていった。
(逃げるなら、最初からやらなきゃいいのに)
私は額に手を当てて、血がどれほど流れているのかを確認する。
よし、これならパーティーの前に回復魔法をかけておけば大丈夫そうだ。
流石に石を投げたのはまずいと思ったのか、それからは石も罵声も飛んでこなかった。
まあ、いくらなんでも『聖女』に怪我を負わせたら罪人として牢屋に入れられるしね。
背後に視線を感じながら歩いていく。
一等地に入ると後ろについてきていた人々は消えて、代わりにあからさまな嘲笑と侮蔑の視線が飛んでくるようになった。
こっちはさっきみたいに石を投げつけてこないけど、ネットリとした悪意が真綿で首を絞めるように苦しい。
それも我慢して抜けて、王宮へたどり着いた。
なぜか門番とすれ違った使用人たちにぎょっとされながらも、パーティー会場の前にやってくる。
(あ、額の傷を治しておかないと)
聖女の魔法で額の傷を治癒する。
聖なる光が傷を包み込み、血が消えていく。
そこで私はどうしてさっきの門番と使用人が驚いたような顔をしていたのかを察した。
「私の顔が血まみれだったからか……」
顔の半分を真っ赤に染めた私が歩いていたから、彼ら彼女らは驚いてたんだなぁ……。
ま、今はそんなことを考えていても仕方がない。
扉が開かれ、中から優雅な音楽と人の話す声が聞こえてきた。
パーティー会場の視線が突き刺さる。
その視線は王宮に来るまでさんざん浴びたものと同じだった。
「ねえ、見てちょうだい。あのみすぼらしい格好……。同情でも誘いたいのかしら?」
「サントクロワ家も堕ちたものね……」
「ふん、『悪徳』聖女めが」
私に向けられるのは軽蔑、怒りなど様々な悪感情だった。
「……?」
だけど、その中にひとつだけ異質な視線を感じた。
視線の主は会場の中でもひときわ目立つ美貌を持った男性だった。
赤みがかった黒髪、燃える業火のような色の瞳。筋の通った鼻。
異国情緒のある絢爛豪華な意匠の服を身にまとい、胸元には瞳の色と同じルビーが輝いていた。
彼はただじっと、獲物を目の前にした肉食獣、それか真実を見通そうとしている賢者のように静かに私を見据えている。
その姿が情熱と静謐さが混ざりあったような、一見矛盾しているような不思議な印象が彼のミステリアスさを加速させていた。
ヴァレン・ナハトハルト。
隣国、帝国の皇太子だ。
何度か顔は見たことがあるけれど、今日は外交かなにか理由があってここに来ているらしい。
「セラフィナ・サントクロワ!!」
その時、大声が会場に響き渡った。
声の方向を振り返ると、そこにいたのは嫌な笑みを浮かべた、金髪の王子とそのお仲間。
「テオドア様、御機嫌よう」
うんざりしながらも私は挨拶をした。
こんなのでも、一応私の婚約者だ。
本当は一秒も関わりたくないし無視したいけど、ここで挨拶をすっぽかしたりなんかしたら、後からあらゆる嫌味と『聖女の地位を剥奪しろ』という抗議を言われかねない。
テオドアは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「ふん、よくもまあそんな醜い格好でパーティーに参加できたものだな」
(「聖女は清貧であるべきだ」って、お金が使えないようにあの屋敷に放り込んだのはそっちですけどね)
私は心の中でツッコミを入れる。
「セラフィナさん、ごきげんようです〜」
パーティー会場に似つかわしくない、甘ったるい声が響いた。
それはテオドアの真横にいる人物から発せられたものだった。
彼女の名前はルシル・ベラトール。
彼女はただの男爵令嬢に過ぎなかったけれど、とある理由とその持ち前の愛嬌によって、瞬く間にテオドア王子とその側近たちを虜にしていった。
そして彼女は完全に王子たちを虜にした後、私を執拗に攻撃するようになった。
ルシル・ベラトールという女性は、私の『とあるもの』を狙っていたからだ。
テオドアもそれに乗っかった。ルシルと一緒にいるためには、婚約者である私が邪魔だからだ。
本当に、くだらないと思う。
私は彼女の服装を見て、目を見開いた。
「ルシルさん……」
「いやぁ、怖いっ! テオドア様、セラフィナさんが、私のことを睨んできましたあっ!」
私はただ名前を呼んだだけなのに、大げさに怖がったふりをして、ルシルはテオドアの腕に抱きつく。
「セラフィナ! ルシルをいじめるんじゃない! お前はいつもそうだな!」
「そうだ! 学園でもずっとルシルに辛く当たって、そんなに自分以外の『聖女』が妬ましいか!」
別に何もしてないのに、テオドアとそのお仲間たちが私を一斉に攻め立ててくる。
いつもの茶番がはじまった。
本来なら婚約者がいるテオドアの腕に抱きつくことなんて許されないし、テオドアも許してはいけないのだけど、そんなの誰も気にしない。
私が『悪徳聖女』だから。
(それにしても、彼女の服……そういうことね)
先程私が驚いたのは彼女の服装。厳密には、その色。
彼女が身にまとっているドレスは純白だった。
レースやリボンをふんだんにあしらい、さぞかしお金がかかったであろう宝石類もこれみよがしに全身に身に着けている。
(本来純白の衣装は聖女にしか許されないもの……ついに覚悟を決めたってことね)
私はテオドアとルシルたちの思惑を察した。
そして次の瞬間、それはきた。
テオドアは私を指さし、大声で宣言する。
「セラフィナ・サントクロワ! お前との婚約を破棄する!」
静寂が会場に広がった。
「お前はルシル・ベラトールを長期間に渡っていじめ、そして国費を使い込んだ! さらにはサントクロワ家は代々聖女を排出している地位と権力を悪用し、汚職や賄賂、違法薬物の売買な度、悪質な犯罪にも手を染めていた! 『悪徳聖女』の名は今や王都中に広がり、誰もがお前の悪行を知っている! よってお前及びサントクロワ家から『聖女』の地位は剥奪! 今後はルシルが『聖女』の地位を引き継ぐこととする!!」
テオドアが言い切った後……会場が拍手の音で満たされた。
「素晴らしい!」
「新たなる聖女の誕生だ!」
「聖女の地位を剥奪されるのも当然だな」
パーティー会場にいる貴族たちはみな、私の婚約破棄と、新たなる聖女の誕生を祝福している。
ルシルは下卑た笑みをこっちへと向けてきている。
まるで「ざまぁみろ」と言わんばかりだ。
そんな彼女は一旦おいておいて、私はとある方向を向く。
(国王様は……はい、グルですよね。知ってました)
国王に視線をちらりと向けてみたけど、当の本人はどこ吹く風。
まるで「ここでの出来事には私は一切関与していません」って顔だ。
つまり、こんな茶番を王家は容認している、と。
だから、私はこう呟いた。
「──もう、義理立てする必要はないわね」と。
もちろん、いまテオドアが言ったことはすべて出鱈目だ。
私はルシルをいじめたりしていないし、『悪徳聖女』としての悪事もすべてテオドアとルシルたちが行ったことを押し付けられているだけ。
──この国のために尽くしてきたけれど、虐げられるのはもううんざりよ。
私はこの国に愛想が尽きてしまった。
私だって生まれ育った国にそれなりの愛着はあった。
けど、ここまでの仕打ちを受けた結果、今までこの国に対して残っていた未練は、すべて砕け散った。
「大人しく受け入れるか、『悪徳聖女』、セラフィナ・サントクロワ」
テオドアが問いかけてくる。
私はしっかりとテオドアの顔を見つめ、言った。
「まず、言いたいことがございます」
「な、なんだ」
まさか言い返してくるとは考えてもいなかったのか、テオドアが動揺しながら聞き返してくる。
「一つ目、私は彼女をいじめていたりなどしません。その証拠に、この半年はずっと聖女としての仕事で、学園に行けていませんから。そもそも彼女と関わっておりません」
「学園に通っていたときのはなしだ。学生からも証言はとれいている」
(ま、そのくらいはつじつまを合わせてくるか。反論しても水掛け論になるだけだし、さっさと進もう)
ここ半年、過酷になった聖女としての業務があるため、テオドアやルシルの裏工作に気づいていながらも対策ができなかった。
でも私がここでしたいのは弁明じゃない。
確認だ。
「二つ目、私はずっとあなたの命令によりテオドア様の用意した屋敷でこの半年過ごしてきました。国費を使って贅沢三昧なんてできません。少なくとも、私が国費を使い込んでいないのはこの服装を見れば一目瞭然だと思いますが」
「いいや、お前が巧妙に偽装していたことは知っている。」
これも流石に捏造証拠や論理を固めて来ている。
次だ。
「三つ目、サントクロワ家は代々この王国に仕えてきました。サントクロワ家は過酷な魔法行使のより代々短命。寿命を削った激務により、私の両親も早くに命を落としてします。それを知っていて、『悪徳』とおっしゃるのでしょうか」
「な、何を言うか! お前たちサントクロワ家が悪行をなしていたのは知っているんだ!」
「最後に四つ目。聖女は精霊神様を祀る巫女であり、様々な精霊と契約して聖なる力を得て、国に魔物から守る結界などを張る重要な役職です。私がいなくなった後、彼女に聖女が務まるでしょうか?」
私の視線はルシルへと向いた。
「くどい! ルシルはお前などより聖女によほど適任だ! 検査によって『聖女』に適格であることも証明されている!」
テオドアは言い切った。
彼女、ルシル・ベラトールは私の聖女の地位を狙っていた。
けれど、本来ならばそれはできない。
なぜなら『聖女』の地位は世襲制。サントクロワ伯爵家が代々輩出している。
だから、ルシルは私を陥れて『聖女』の地位を簒奪しようしたのだ。
確かにルシルには『聖女』としての才能は人並み以上にある。
もちろん私よりも聖女の才能は弱いけど、頑張れば聖女としてやっていけなくもないくらいの才能だ。
でも、当然それは辛い道のりになる。運よく聖女になれたとしても、その後ずっとギリギリまで力を振り絞って仕事を続けなければならない。
それでも聖女の地位を奪おうとしたのは、それだけ聖女の地位に旨味があるからだ。
いや、もしかしたら聖女の地位にだけ収まって、甘い蜜を吸いながら仕事はしないつもりなのかもしれない。
「セラフィナさん、はやく罪を認めて償ってください……っ!」
テオドアの腕にくっついていたルシルが私へ早く降参するように促してくる。
「そうだ。もう言い逃れはできないぞ」
「君の悪事は僕たちが全て把握している」
テオドアの側近たちまで私へ圧力をかけてくる。
それに対して私は──笑顔を浮かべて言った。
「そうですか。聖女の後任は決まっているのですね」
「そうだ、だからはやく──」
「では、まずはこの国全体にかけている魔物避けの結界を解除しますね」
パチン、と指を鳴らす。
結界が解除された。
「は?」
「一体何を……」
テオドアとルシルを含め、その場にいる全員が私以外、呆けた顔になった。
私はニコニコと笑みを浮かべながら続ける。
「ああそうだ。あとは魔物弱体化の結界、敵国からの侵攻を阻む結界、王国の国民全員の力を引き上げる結界も解除します」
指を鳴らすと三つの結界が解除された。
「なっ」
「それは──!」
国王や宰相など、この国の内政に深く関わっている人たちが慌て始めたけど、その他のテオドアたちは呆けたままだ。
「あとはサントクロワ家のお願いによって精霊神様より授かっていた、国民全員への加護も消してもらいます」
私がそう言った瞬間、この場にいる私以外の全員の身体が光って、何かが抜け出していった。
流石、精霊神様。仕事がすごく早い。
「ちょっと待ってくれ!!」
国王と宰相が叫んだ。
私はやめない。国王を始めとする彼らはサントクロワ家がどれだけ王国に貢献しているかを知っていながら、全部見殺しにしようとしたのだから。
「次に私が契約している精霊も回収します。おいで」
私は虚空に向かって呼びかける。
すると三体の精霊がどこからともなく現れた。
それらを見て全員が度肝を抜かしたような顔になる。
「ドラゴンとフェニックス、それにフェンリルだと……ッ!?」
「聖女としての地位も降りるということで、貸していたこの子たちを返してもらいます。私の契約した精霊ですので構いませんよね?」
「待ってくれ、セラフィナ!!」
私の声を遮ったのは国王だった。
国王は椅子から立ち上がり、慌てて私の下へと駆けてくると……跪いて縋ってきた。
「それだけは、それだけはやめてくれ! そんなことをしてしまえば王国は立ち行かなくなってしまう!」
「え、でもそれを承知で私から聖女の地位を奪おうとしたんですよね? 違うんですか?」
「息子のことは平身低頭で謝る、このとおりだ!」
国王が地に額を付けて平伏する。
その姿を見て、貴族たち、そしてテオドアとルシアは驚愕した顔になる。
「お前も早く頭を下げんか、テオドア!」
「え?」
「お前は自分が何をしたか分かっておらんのか! セラフィナが今したことがこのままだとどうなると思う!? この国は精霊神の加護と聖女の力で成り立っているんだ! 結界が消えれば、この国に大量の魔物と他国の軍勢が押し寄せてくる! お前のせいで王国は滅亡するかもしれんのだぞ!」
国王の言葉で状況をようやく飲み込んだのか、テオドアの顔がサー、っと青く染まった。
「す、すまなかったセラフィナ!」
「頼む! このとおりだ許してくれ! 聖女は辞めてもいい、せめて後任が結界を張れるようになるまでは……!」
テオドアと国王が一緒に頭を下げてくる。
そして衝撃の事態を見て、ついにテオドアの側近や他の貴族たちも状況を理解したようだ。
「聖女様、申し訳ありませんでした!」
「どうかお許しください!」
「結界をもう一度張ってください!」
全員が青ざめた顔で懇願してくる。
私はその光景を冷めた目で見つめた後、ニコリと笑顔になって、
「え、いやですけど?」
と言い放った。
「なっ!?」
国王と王子の嘆願を無碍に切り捨てた私に、周囲の貴族たちが仰天する。
私は呆れながら言った。
「いやいや、ここまでしておいて許してくださいは通用しませんからね? 私、何度も確認したじゃないですか。それを無視したのはそっちですよね? 大体、ずっと私に冤罪を着せてたくせに今更頼ろうとするなんて都合がよすぎでしょ。私どころか両親とサントクロワ家の名誉も汚されてそこまでする義理はありませんって。というか許して結界と加護を戻したところで、後任の聖女が結界を張れるようになったらまた裏切るでしょ? 今度こそ冤罪を被せて用済みになった私を見殺しにするんでしょ? 絶対嫌だし自分たちでなんとかしてくださいねー」
「そ、そんな……」
国王と王子たちの顔が真っ青に染まった。
私はなんどもチャンスをあげた。
それを意図的に見なかったことにしたのはそっち。
都合が悪くなったから「全部なかったことにしてくれ」は、虫が良すぎる話でしょう。
「大方、私が今まで反抗しなかったから聖女の後任を育てるまで結界の解除を待ってもらえると思っていたんでしょう? ですが残念でした。ここまで踏みにじられて、虐げられたからにはもう遠慮しません」
その時、私はとあることも思い出して、ぽんと手を打つ。
「ああそうだ、思い出しました。サントクロワ家は聖女を代々排出する家系として莫大な富が手に入りますが、ほとんどその全てを社会貢献として国費の中の医療関係のものに拠出していたんですけど……今日をもって、王国内の治療師や治療費への補助金もすべて打ち切りますね」
国王や宰相たちは、絶句を通り越して顔色が茶色くなっていた。
「あんた一体なんなのよ!」
突然、それまで蚊帳の外だったルシルが叫び始めた。
憎しみのこもった目で私を睨んでくる。
「あと少しで私が聖女になれるはずだったのに! 私がこの国で一番のお姫様になれるところだったのに! どうして邪魔するのよ! あんたなんか、大人しくそのまま断罪されて私に聖女の地位を明け渡していればよかったのに!」
「ル、ルシル……?」
突然豹変したルシルに困惑するテオドア。
「うるさいっ! この役立たず! だからちゃんとセラフィナを追い詰めて心を折れって言ったじゃない!! なんのために今まで媚び使ってやったと思ってるのよ!!」
「っそんな、まさかルシア! いままでの俺に「好き」だと言ってくれたのは、全部ウソだったのか!?」
「当たり前でしょ! あんたも、ここにいる男に言ったのは全部ウソよ!」
ルシルはテオドア、そして側近たちを指して叫ぶ。
「そんな……」
「全部ウソだったのか……!?」
テオドアも、側近たちもショックを受けたように呆然とした。
(あらー……もうこれ、やぶれかぶれになっちゃってますねー)
そんなことを考えていると、ルシルがまた私を睨んでくる。
「なんでなのよ、なんであんたばっかり……!」
「そんなこと私に言われても……」
「っ! この……ッ!!」
私のうんざりした顔にムカついたのか、ルシルが私に平手打ちをしようとしてくる。
すると、
「──醜いな」
低く凛とした声が響き渡った。
張り上げたり叫んだわけでもないのに、その声は不思議と誰の耳にも通った。
きっと、その声には”圧”があったからだろう。
絶対的な強者。その圧が。
「黙ってみていれば、これは一体なんの茶番だ」
気がつけば、私へ向けられたルシルの平手が腕を捕まれ、止められていた。
その掴んでいる主は……赤みがかった黒髪と、燃える炎のような瞳の美青年。
ヴァレン・ナハトハルトだった。
彼はルシルの腕を離すと、国王に向き直る。
「一部始終を聞いていたが……国王。献身を行ってきた忠臣への冒涜。侮辱。到底看過できるものではない。恥を知れ」
「っ……」
ヴァレンは視線を上げ、この場にいる私以外全員の貴族を睨む。
「貴様ら全員だ。お前達はこのオレが知る中で、最も醜いクズだ。貴様らに再度結界を張るように嘆願する権利はない」
彼の眉は不快そうに寄せられていた。
(もしかして……私のために怒ってくれている?)
私がそう考えていると……ヴァレンが私に向き直った。
赤いルビーのような瞳が私を射抜く。
「そして、セラフィナ・サントクロワ」
「は、はい」
私は思わず緊張した声色で返事する。
しかしヴァレンの次の言葉は、思いがけないものだった。
「──帝国に来ないか?」
「……え?」
想像だにしない台詞に私の思考がフリーズする。
するとヴァレンがとんでもない行動に出始めた。
「オレはお前に興味が湧いた。ぜひ帝国に来い──いや、来てくれ」
ヴァレンが私の前に跪く。
そしてプロポーズするみたいに手を取ると、チュッ、と唇を手の甲につけた。
「へっ!?」
ヴァレンは私を見上げ、そのやけに美しい顔に、この場の誰にも見せなかった優しげな微笑を浮かべ、
「オレと来てくれ」
と言った。
突然の話に、私が困惑していると、邪魔者が入ってきた。国王だ。
「そ、それはできん! 聖女はこの国の屋台骨だ! 帝国は友好国とは言えど、渡すことはできない!」
「お前は何を言っている。今、貴様らはその屋台骨である聖女を冤罪にかけ、断罪しようとしていたではないか」
「それは……」
ヴァレンの正論に国王が押し黙る。
「お前たちが手放したのだから、次に口説く権利はオレにある。──さあ、返事を」
またヴァレンが私に向き直る。
「ちょ、ちょっとまってください! いきなり過ぎます!」
「人生とはそういうものだ。で、返事は?」
ヴァレンが立ち上がり、急かすように顔を寄せてくる。
それも私の頬に手を添えて、そっぽを向けないようにして。
美しい顔が近づいて、流石の私も頭が沸騰しそうになってしまった。
「〜〜〜っ! 今は無理ですから!!」
手をバルコニーの扉へ向ける。
すると風の力でバルコニーへの扉が開いた。
「フーちゃん!」
私が名前を呼ぶと、どこからともなくフェニックスが飛んでくる。
その背中に飛び乗ると、そのままバルコニーから飛び立った。
けどすぐにとある理由で王宮の屋根に下ろしてもらった。
平らな部分の上に腰掛けて、呼吸を整える。
いつの間にか空には夜が広がっていた。
「はぁ、はぁ……今の、なに?」
私はドクドクと跳ねる心臓を抑えるので精一杯だった。
今の私の頭の中には、さっきのヴァレンのことしかなかった。
すると、
「素晴らしい腕だ」
声が響き渡る。
私と同じ屋根の上に、炎を伴って現れたのはヴァレンだった。
炎の魔法でバルコニーから飛んできたのだ。
「うそ……」
私が言っているのはヴァレンがいることじゃない。
その魔法の腕だ。
彼の魔法には一切の乱れがなく、完璧に魔力が制御されていた。
普通、どんな一流の魔法使いでも魔法を使うと魔力に乱れが生じる。
それがないということは、つまり彼の魔術の腕は一流……いや、超一流ということだ。
「まさか伝説の精霊、不死鳥を一日に二度も拝める日が来るとはな。──それで、答えを聞こうか」
「こ、答えを急かし過ぎじゃないですか……?」
「オレはできるだけ待ちたくない主義だ」
くうっ、何を言っても無駄か……!
でも私は時間を稼ぐために、ヴァレンに質問をした。
「どうして私を帝国に招くんですか」
「なに?」
「私が聖女だからですか?」
「いいや、違う」
私の質問にヴァレンは即答した。
「オレがお前を選んだ理由、それは『面白い』と思ったからだ」
「面白い……?」
「あの国王と王子に対して、毅然と言い返し、嘆願を切り捨てていただろう? お前のような女は今まで見たことがない。だからお前を選んだ」
ヴァレンは赤みがかった黒髪を、夜風になびかせながら私へと手を差し伸べる。
「セラフィナ、オレと帝国へ来い。オレはお前にもっと世界を見せてやれる。お前は今、何がしたい?」
「世界を、見せる……」
私は生まれてからずっと、聖女としての役目を果たすために生きてきた。
結界を維持するために一度も王国から出たことはないし、遊ぶ時間も全然なかった。
私は今、聖女としての役目を終えて自由になった。
そんな私がしたいこと──。
「──世界を、見てみたい」
私の本音は口からポロリとこぼれ落ちた。
ヴァレンがフッと笑う。
「決まりだな」
「っ今のはちが──」
無意識的に否定しそうになったところで、手を掴まれ、抱き寄せられた。
頬に手が添えられる。
ヴァレンの赤色の瞳が私を覗き込んでいる。
「セラフィナ、オレと帝国へ来い」
「…………はい」
月明かりの下、私は頷いた。
こうして、私『悪徳聖女』の帝国での物語は幕を開けた。
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