60.元に戻る努力の結果から元に戻るために
「つまり……研究の過程でそうなってしまったと?」
「はい、そういう事です……」
何故か敬語に正座の状態で、レインはシトリアの前にいた。
シトリアがベッドに腰かけた状態で、改めてレインの状態を確認する。
白い耳と尻尾――ちょうどレインの髪色に合わせたような色合いのものが生えている。
どちらも自然と動いていて、人工的なものではないというのは分かる。
レインは魔導師――研究という名目を使えばいくらでも理由は付けられた。
レイン自身の身体に起こっている事について、シトリアは半分ほど知っている事になる。
その対応をしていたと言えば、シトリアも理解してくれた。
「……ですが、このタイミングでそのような姿になってしまうとは、相変わらずというか残念ですが当然というべきですか……」
「わ、分かってるよ。僕もにゃりたいわけじゃにゃくて……」
「その『にゃ』はどうにかならないのですか?」
「にゃらにゃい……」
レインがしゅんとした様子でそう答えると、ぴくりとシトリアが反応した。
何かを思いついたように提案してくる。
「いいですか、レインさん。私の言う事を復唱してもらえますか?」
「復唱?」
「はい、ではまず……『なす』」
「『にゃす』」
「『なめくじ』」
「『にゃめくじ』」
「ふふっ……」
「!?」
「失礼しました。少なくとも『な』は言えないようですね」
「それは分かってたよ……!」
レインの警戒心が少し上昇した。
他のメンバーに比べたら、こういう不測の事態に対応してくれるのは基本的にはシトリアがメインになる。
ただ、今のシトリアの笑い方は悪ふざけをしている時の感じがした。
すぐに、いつも通りのシトリアに戻ったが。
「その状態で水着大会に出ればあざとさポイントで優勝できる可能性はありますね」
「にゃにそのポイント!?」
「猫耳と尻尾には一定の需要があります。そこにレインさんの水着が加われば――」
「そういうのはいいから!」
「そうですか? では、一応調合に使用したものを確認させてもらっても?」
レインは頷いて、シトリアに調合素材を見せる。
そこに並べられた素材を見ながら、シトリアは少し考えるような仕草を見せた。
「……《ワンダー・キャット》の素材がやはりネックのようですね」
「だよね……」
「猫耳と尻尾が生えるというのはあまり聞いた事はないですが、ない話ではないです」
「そうにゃの?」
「はい。いくつか報告例はあります。当然その状態を解除する方法もいくつかあるはずですが……生憎と私はそれを知りません」
「そ、そんにゃ……じゃあどうしたら……」
「一先ず、確認させてもらってもいいですか?」
「……確認?」
レインの問いかけにシトリアが頷くと、ちょいちょいと手招きをしてきた。
レインはそれに促されるようにシトリアの隣に座る。
すると、シトリアは不意にレインから生えている尻尾を握った。
「――っ!? ひにゃあ!?」
レインが素っ頓狂な声を上げて、飛び跳ねる。
まるで猫のようにベッドの脇の方まで瞬時に移動した。
シトリアもそんなレインの様子を見て驚いている。
「……失礼しました。そこまで敏感だとは」
「び、敏感とかじゃにゃくて……少し驚いただけだけど……っ」
何故か無駄な強がりを見せるのがレインの性格だった。
「そうですか? では、確認したいので動かないでもらえますか?」
「か、確認って? 触る必要は――」
「あります。レインさんは怪我をしたときに患部を見せないのですか?」
「ぐっ」
某師匠と同じような言葉をシトリアから聞く事になるとは思わなかった。
レインはベッドにうつ伏せになる形になる。
「い、いつでもいいよ」
「では改めて――」
「……っ! ふ、ぅ……」
シトリアの手がレインの尻尾に触れると同時に、そんな小さな声が自然と漏れた。
尻尾を触られるというのは、人間が体感する事がない感覚だ。
初めての感覚に動揺しただけだとレインは自身に言い聞かせたが、その感覚はレインの想像を超えたものだった。
くすぐったさにも似た妙な感覚。
レインを気遣ったシトリアの優しい手つきが、余計にそれを強く感じさせた。
スゥッとシトリアがレインの尻尾を撫でるたびに、レインが身体を震わせる。
「んっ、ふぅ……」
「……レインさん?」
「だい、じょうぶ……っ」
「声が漏れていますし、だんだん私から離れていますが……」
「っ! ちょ、ちょっとくすぐったかったから……」
シトリアの怪訝そうな表情に対し、レインは努めて冷静に答える。
実際にはシトリアから見ればかなり乱れた姿になっているのだが、レインにそれを気にしている暇はなかった。
我慢をする事もギリギリ――そもそも我慢すらできていない。
再びシトリアの手がレインの尻尾に触れる。
ギュッとシーツを握りしめて、レインはひたすらに耐えた。
実際には数十秒程度の出来事だったが、レインは満身創痍の状態になっていた。
「……なるほど、魔法的な呪いに近い物のようですね」
「……っ。そう、にゃ、ふっ……の?」
「はい。あ、一先ず尻尾は大丈夫です」
パッとシトリアが手を放すと、レインは脱力した。
涙目になりながら身体を起こそうとするが、
「あ、そのままで。耳の方も確認するので」
「耳の方って――ふあっ」
間髪入れずに、シトリアがレインの猫耳の方に触れる。
尻尾とはまた違った感覚だった。
触れられると、気持ちよくて何だか安心する。
尻尾に触れられた時は全身に力が入ってしまったが、こちらは逆に力が抜けてしまう。
こちらはむしろ、我慢するのが難しかった。
「い、一旦ストップ……!」
「すぐに終わりますから、動かないでください」
「う、動けにゃい……っ」
「それならそのままで」
シトリアはこういうところで容赦はなかった。
これまた数十秒程度だったが、終わった後のレインはぐったりとしていた。
「レインさん、大丈夫ですか?」
「だい、じょぶ……」
それでも強がるレインだったが――
「じゃにゃいかも……」
「……まあ、見れば分かります。すみません、我慢していただいて」
シトリアから見ても丸分かりだった。
弱り切ったレインが回復するのを待ち、シトリアから説明を受ける。
結論から言えば、猫耳と尻尾は呪いに近いものであるという事。
そして、本来ならばシトリアで解呪できるレベルのものだという事だったが、薬による効果というのが問題だった。
魔法での呪いとは違い、こちらは解呪できないという。
方法は二つ――一つは諦めて待つ事。
どれくらいか分からないが、薬の効果時間というものは存在する。
待っていればいずれ解除されるはずという事だった。
もう一つは、薬の強化効果のみを消す薬を作り出す事。
これはまず、そういう類の薬の作り方から調べる事になる。
当然、レインの選択は後者だった。
その上で相談相手を増やすかどうかという話になった。
「一応確認しますが、他に今のレインさんの状態を知っている方は?」
「……いにゃい」
「そうですか――言わなくても分かるかと思いますが、まずセンさんに相談する事はオススメしません」
「そ、それは分かるよ」
「はい。センさんが今のレインさんの状態を知った日には間違いなく弄んだ挙句に『尻尾を引き抜けば?』くらいの事は言うと思います」
そう言われるとゾッとする。
だが、センなら確かに言いかねないと納得してしまった。
「次にリースさん。これもまたオススメしません」
「え、リースも?」
「リースさんは普段は常識人ですが、可愛いもの――特に女の子には割と目がありません」
「僕は女の子じゃ――」
「それはともかくとして……」
レインの訴えはさらりと流された。
シトリアはそのまま続ける。
「以前レインさんに可愛い可愛いと全員で言った事がありますね」
「う、うん」
「あれ、センさんはそう思いつつも冗談で言っています。それに乗った形なのが私とエリィさんです。ですが、リースさんだけは本気です」
「本気……?」
「はい、本気で可愛いと思っての発言です。普段はセンさんという人の陰に隠れていますが、あの人も結構おかしな部類の人です」
シトリアがそう言うのだから、本当の事なのだろう。
仮面とローブで身を隠していたレインを女の子だと見破った異常性を、レインも思い出していた。
そんな事実を突き付けられたのだ。
「じゃ、じゃあ二人で?」
「いえ、もう一人くらい人数はほしいですね。調べ物なので」
そう、幸いにもこのパーティにはもう一人だけ常識人がいる。
「そこで、エリィさんにも相談して協力してもらいましょう。幸い、今日はリースさんもセンさんも出掛けていますので――」
「たっだいまーっ!」
バタンと思い切りドアを開く音が部屋まで届いた。
シトリアの声を遮ったのは、明らかにテンションの高いセンの声だった。
――悪魔が帰ってきたのだ。




