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ILIAD ~幻影の彼方~  作者: 夙多史
Episode-14
105/119

104 覚悟と決意

 ――スキルドの月19の日。

 暗い空を覆い隠す曇天。

 降り注ぐ豪雪。

 一寸先も見えないような白い闇。

 天候は最悪だった。まるで自分たちをテューレンへ行かせないようにするように。

 セトルたち一行はニブルヘイム地方最大の都市であるフラードルに、半ば避難するような形で留まっていた。

 宿屋の主人が言うには、今日の夜には雪はやむそうだ。そういうことで、絶巓の神殿には明日の早朝に乗り込むことになった。


 その夜、宿屋の主人が言った通り雪はやんだ。というよりは弱くなった。

 夜空から舞い降りる穏やかな白い氷の結晶は、街の明かりの中でとても神秘的に見えた。

 宿屋の二階、その廊下の窓からセトルは外の風景を眺めている。前にもこうしていたような記憶がある。あれは確か氷の精霊との契約前、その時外は吹雪いていた。

 今も前と同じだ。

 ――やることがない。

 だけど前と違って落ち着かない。だからこうして宿屋の中をうろうろしている。剣でも磨く――その必要はない。今持っている剣は〝神剣〟ミスティルテインだ。磨く意味ははっきり言って無い。暇つぶしにはなるかもしれないが。

 雪も穏やかになってきたし外にでも出てみようか、と思い始めたころ、タイミングを計ったようにサニーが声をかけてきた。

「ねえ、セトル。外行ってみない? とっても綺麗なんだよ」

「サニー……。うん、いいよ。どうせ今は暇だから」

 セトルは優しく微笑んだ。彼女の明るい声と笑顔は、決戦前の緊張を振り払ってくれるようだ。いつも肩の上に乗っているザンフィがいない。部屋にでも置いてきたのだろうか。

「決まり! あたしいい場所見つけたんだ」

「辿りつけるの?」

「ば、バカにしないでよね」

 唇を尖らすサニーだが、宿屋を出てから実際にそこまで辿り着くのに一時間ほどかかった。そして着いてから気づいたが、そこは宿屋のすぐ裏手の高地だった。

 展望台のような広場になっており、しゃれた街灯の明かりの下には雪の降り積もったベンチが置かれてある。後ろには雑貨屋等が並んでおり、今は夜遅いためか全て閉店している。

 恐らく、夕刻にしぐれたちと買い出しに行った時に見つけたのだろう。

 そこから見える景色はまさに絶景だった。

 街灯の明かりだけの薄暗い街並みは白銀に染まり、その白銀が天からちらちらと舞い踊っている。見ているだけで胸がほのかに温もる気がする。

 セトルは手摺に被った雪を払い、そこに肘を預けて景色を見下ろす。正面に背の高い時計塔があり、ほとんど音を出さず静かに時を刻んでいる。すぐ下には一時間前に旅立った宿屋が見える。

 ここにはセトルとサニーの二人しかいない。近くに人の気配も感じない。静寂が支配している無音の空間を、サニーが明るい声で破った。

「やっぱりこの地方って寒いよねぇ。アスカリアも雪は振るけどこんなに寒くはなんないし」

 サニーは首を竦めて笑い、ひらひらと舞い落ちる白い雪片を掌で受け止める。雪はたちまち彼女の手の体温で溶けて消える。

「そうだね。二年しか経験してないけど、確かにこっちの方が寒い」

「二年かぁ……。セトルってさぁ、初めて村に来たときのことって覚えてる?」

 美しい街並みを見下ろして、サニーは呟くようにそう訊く。

「ぼんやりと、かな。あの時は目覚めたばかりで頭がぼーっとしてたから。でも、サニーに名前をもらった時のことははっきり覚えてるよ」

 『セトル』、この名前は彼女が自分にくれたもの。今はもう全てを思い出して本名もわかっているが、なぜか彼女、いや、仲間たちやこのシルティスラントでセトルとして知り合った人々には、『セトル』と呼んでもらいたい。

「あたし、あの時は本当にびっくりしちゃってさ。嵐の中に人が倒れてて、その人が記憶喪失で。助けてあげたかったけど、どうしたらいいかわかんなくって……」

「でも、結果的に僕は記憶を取り戻した。サニーのおかげだよ」

 サニーは照れたように頬を紅潮させて首を振った。

「あ、あたしじゃないよ。セトルが自分で思い出したんじゃない」

「違う、サニーがいなかったら、いや、サニーだけじゃないな。みんながいなかったら僕の記憶は戻らなかったと思う。それどころか、あのまま死んでいたかもしれない」

 そんなことない、と言いたかったサニーだが、あそこで自分がセトルを見つけてなかったらと思うと何も言えなくなった。最悪、馬車で()いていたかもしれないのだ。

「……そのみんなって」

「もちろん、今宿屋にいるみんな。それにノックスやアスカリアやアキナの人たち、国軍の人たち、あと、兄さんたちも」

 セトルは天を仰ぎ見た。厚い灰色の雲に隠れているが、そこに神の階があるんだということは感じでわかる。

「三人のこと、怨んでるわけじゃないのね」

 サニーも同じ様に灰色の空を見る。セトルは彼らの顔を思い浮かべるように目を閉じ、そして答える。

「そう、今でも大好きさ」

 ゆっくり目を開き、彼女の方を向く。

「だから、絶対に止めないといけない。兄さんたちは兄さんたちの正義で動いてるんだろうけど、僕にだって、僕の正義がある。僕はこの世界を、サニーのいる世界を守るよ」

 言った後で照れ臭くなってセトルは彼女から顔を背ける。寒さで白くなっている頬が僅かに紅潮している。

 凍える風が吹き銀髪が揺れる。

「ありがと」

「え?」

 予想外の返答にセトルは再び彼女を見る。くさい、とか何とか言って茶化してくるだろうと思って覚悟していたのが拍子抜けである。

「だってセトルが守るって言ってくれたんだもん。お礼言わなきゃ」

 サニーは嬉しそうに微笑みながら口元に持ってきた両手に白い息を吹きかける。セトルはなぜか言葉に詰まった。気持的には『ありがとう』と言いたいが、何となくそれは変な気がした。

「セトルの故郷、ミラ……テューレンだっけ? どんなところなの?」

 興味津々と目を輝かせながら問うサニー。〝幻境の村〟テューレン。セトルが生まれ育った本当の故郷。雰囲気、風景、良くしてくれた人々、その全てをしっかりと記憶に刻まれていることを確認し、セトルは昔を懐かしむ感じで答えた。

「いいところ、とはちょっと言えないかな。アスカリアに比べたら。――気温は一緒くらいだけど、年中薄暗くて人も少ない。村の中心にちょっとした広場があって、そこに時計台があるんだ。僕が小さい頃兄さんとよく上ったのを覚えてるよ」

「あ、やっぱりあれって時計台なんだ。『弔いの岬』でミラージュを見た時からそうじゃないかなって思ってたけど。あんな感じ?」

 サニーは前方に見えるフラードルの時計塔を指差す。上から下までさっと観察した後、セトルは、はは、と苦微笑しながら否定する。

「全然違うよ。テューレンのはもっと大きいし、三角屋根じゃなくて屋上があったし。雪が降らないから三角屋根にする必要がないだけなんだけどね」

「ふーん。早く行ってみたいな」

「旅行じゃないんだよ。ゆっくり見ている暇なんてない」

 希望を抱く彼女に軽く水を差す。

「終わってから見ればいいじゃん♪」

「……」

 セトルは困ったような顔をする。終わってから……。ずいぶんと強気だな、とセトルは思った。そういう楽しみの目標があればまた違うのかもしれないが、複雑な気分だ。

(みんな無事に終わらせる……やっぱりこれしかないな)

 セトルの中である決断が下されようとしている。そこにサニーがいつも以上に明るい声をかけてきたので、その決断はしばし先送りとなる。

「セトルってさ、全部終わったらどうすんの? やっぱり故郷に残る? あれだったらさ、またアスカリアで暮らしなよ! うん、それがいいって!」

「勝手に決めないでよ」

 セトルは小さく溜息をつく。

「まあ、僕は兄さんと二人暮らしで親はいないし、それもいいかなって思うけど、そういうのは全部終わってから考えることにするよ」

「う~ん、セトルらしい……のかな? あたしはアスカリアでのんびり暮らすつもり。たぶんアランもそう。そんで、シャルンは王女になって、しぐれはアキナの頭領になって、ウェスターはまた軍に戻ったりなんかりして♪」

 人の未来を勝手にすばらしくするサニーに、セトルはただ笑った。

 そして、決意した。

(そうだ。みんなにはそんな未来が待っているかもしれないんだ。ここで死なせるわけにはいかない)

「あれ? アランが出てきた」

 サニーの言葉に釣られて下を見ると、アランが宿屋の前に立ってキョロキョロとしているのが見えた。

「あたしたちを捜してるんじゃ……。セトル、もう帰ろっか」

「……」

 セトルは俯いて沈黙した。

「セトル?」

 そのセトルに何かを感じたのだろう。サニーは不安げに眉を顰めてセトルの顔を覗き込む。

「だ、大丈夫よ。今度は迷わないから!」

 無理に笑顔を作るが、彼女の心から不安が消えない。とてつもなく嫌な予感が血液に混ざって体全体に循環しているような感じがする。

「ごめん、サニー。宿には一人で帰ってくれないかな」

「え?」

 突如、セトルを中心とした青白い強い輝きを放つ霊術陣――いや、転移陣が出現する。

 実は元々転移術は使うことはできた。アスカリアからも最初は転移して行こうと考えていたのだ。しかし、そこにサニーが来た。今はわからないが、少なくともあの時は自分一人の転移で精一杯だった。常に仲間たちと行動を共にするには持っていても仕方のない力。だから使えないことにしていた。

 このことは当然兄も知っていない。

 転移陣の輝きから衝撃は生まれなかったが、サニーは爆発的に出現したそれに驚いて吹き飛んだように尻餅をついてしまう。

「本当に、ごめん」

 陣の輝きの中心でセトルが呟く。

(行ってしまう!)

 サニーは思った。

(セトルがあたしの前からいなくなってしまう!)

 思った途端、彼女の目が潤み、小さな雫が頬を流れた。

「……いや」

 小さく呟く。が、それはセトルには聞こえない。

「約束するよ。僕は絶対にこの世界を守る。これ以上みんなを危険な目に遭わせたくないんだ。みんなにはすばらしい未来がある。僕はそれを失ってほしくない」

 セトルは顔を上げて優しく微笑んだ。光の風が銀色の前髪を掻き揚げる。

「ありがとう、サニー。おかげで、僕一人で行く決心がついたよ」

「……いや」

「君は、平和になった世界でのんびり暮らすといい」

「いや!」

 陣の輝きの強さが増す。

「さよなら」

「いやあぁぁぁああぁぁぁぁぁあぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 サニーはセトルを掴もうと手を伸ばす。だが、その前にセトルは空気に溶けるように消え、同時に陣の輝きもなくなる。

 彼女は力なく地面についたまま、誰もいなくなった空間を虚ろな涙目で見ていた。しんしんと降る雪が彼女の頭に積もっていく。

 しばらくしてアランが来るまで、彼女はそこから動こうとしなかった――。


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