帰宅後の風呂と健康
本日1回目の更新です。
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──帰宅後の風呂と健康
「今から風呂を沸かすから15分ほど待っていてくれ」
「15分で沸くんですか?」
「ああ。それぐらいだ」
それが長すぎるという意味なのか、短すぎるという意味なのかは分からなかったが、マルコシアは驚いた様子だった。
「けど、やっとお風呂に入れるー……。フルフルはもう入ったんだよね?」
「え、ええ。皆をダンジョンにおいてひとりだけこのような境遇にあるのは、少しばかり罪悪感を覚えましたが……。ですが、レヴィア陛下がお傍におられるのに不衛生ではならないと割り切りました」
「そうだよね。今日は一緒に入ろう、フルフル」
「ええ。いいですよ!」
フルフルとマルコシアは本当に仲がいいのだなと思いつつ、久隆は自動湯沸かし器を操作して風呂を沸かし始めた。今はどこの家庭も全て電力だ。温室効果ガス削減のためにガスなどはほぼ廃れた。
それでも昔ながらの田舎の家屋に行くと骨董品ものの風呂が見つかるのが、田舎の恐ろしいところだ。便利な時代に適応できない人種というのはいるものだが。
「そういえば、フルフルは着替えはどうしたの?」
「そ、その、人間に買ってもらって……」
「いいなあ。私も洗濯している間だけでも着ておくものがほしい」
脱衣所からそんな会話が聞こえてくる。
「よかったら明日にでも着替えを買いに行くか?」
「いいんですか!? やったー!」
マルコシアの衣服も替えがないと不便だろうと久隆は思った。
「どのみち、装備が整うまでは動けん。明日は遠出だ」
「了解!」
久隆は湯が沸いたのを確認するとそのことをフルフルたちに伝え、自分は朱門がいるリビングへと向かった。
「負傷者はもう安静にしておくだけか?」
「ああ。傷の治りは人間より早いぐらいだ。遺伝子サンプルが欲しいところだな」
「採血したときに取らなかったのか?」
「患者の同意なく遺伝子情報を調べるのは違法だ。保険屋が何人かそれで捕まった」
「闇医者が今さら法律を気にするのか?」
「まあ、どうせ俺が遺伝子情報を調べても公表できないってのもあるがな」
「俺としても公開されるのは困る」
未確認生物の遺伝子情報とその解析結果など公表されれば、科学界がレヴィアたちの存在に気づいてしまう。
人類は冥王星付近に国際宇宙ステーションを設置し、太陽系外に対する非人類知的生命体探査計画『ボトルメール計画』を実行していた。核融合炉を搭載した国際宇宙ステーションは太陽系の外に向けて『もしもし、どなたか聞こえていませんか?』と高出力の電波で問いかけ続けている。
それに対する答えはない。
人類は今も自分たち以外の知的生命体を探している。まさかそれが熊本という田舎の裏山から発見されることになるとは誰も想像だにしていなかっただろう。
「そういえばいくら探しても見つからなかったんだが、酒はないのか?」
「酒はたしなむ程度だ。海軍時代に飲まなくなってから強い酒は避けるようになった」
「ちっ。この田舎のスーパーにまともなウィスキーが売ってあるといいんだが」
それならネット通販を使えばいいだろうと思いつつ、いざというとき医者が飲んだくれていては困るので何も言わなかった久隆だ。朱門はこの田舎を何も届かない陸の孤島だと思っている節がある。
「マフィアの金払いはそんなにいいのか?」
「ああ。最近は共産党崩れのマフィアが進出している。何せ中国というのが今や世界的な経済大国だ。ま、それでもテロや戦争やらで国は滅茶苦茶になって、内需でどうにかしているような状況だけどな。それでもマフィアの金払いはいい。非合法な移植手術を1回やるだけで300万ドル。部下や幹部が抗争で負傷したのを治療してやるので50から100万ドル。あっという間に大富豪だ」
「だが、関係を強いられ続けるだろう?」
「それは確かにある。だから、深入りはしない。連中の個人情報は聞かないし、言われても知らん顔をする。地位を提示されることもあるが断っている。だが、それでも連中は俺を信頼するしかない。他に俺ほどの医者はいないからだ。まともな医者はマフィアの相手なんてしないし、マフィアの相手を好き好んでするような奴は医大でも落ちこぼれだったような奴だ。その点、俺の腕は確かだし、口も堅い」
「自画自賛か?」
「当然のことを言っているまでだ。俺がこういう人間だからこそ、お前も俺を頼ったんだろう? 腕が立ち、口が堅い。今の状況に必要な人材だ」
「それもそうだな」
久隆がグラスに麦茶を注いで朱門に差し出す。
「こんな田舎で腐っているのはどうしてなんだ?」
「帰還兵については知っているだろう。俺の戦友も5人自殺した。政府と軍がマスコミに報道させないようにしているが、どうも戦争中に投与された戦場適応化ナノマシンに不具合がある気がしてならない」
「それと田舎に何の関係が?」
「人混みにいるとパニック発作を起こしかける。この中に爆弾を巻いたテロリストが紛れ込んでいるんじゃないだろうかと。そして、子供を見るとパニック発作を起こしかける。子供が突然カラシニコフを取り出して、こちらに銃口を向けてくるんじゃないかと」
「トラウマか?」
「軍のカウンセラーは例のなんにでも診断名が付く心的外傷後ストレス障害と診断した。俺は違うんだ。俺は海軍に戻りたい。またあの戦場に身を投じたい。戦場のことを思い出すのは恐怖からじゃない。望郷の思いからなんだ」
「そういうのを心的外傷後ストレス障害っていうんだぞ。血圧、戦場からかえって来た途端に上がった口だろう。そういう奴は増えてる。ナノマシンはあまりにも人間を戦場に適応させてしまい、忌避感を消した。だから、兵士たちは自分たちが貴重な人間として扱われた記憶のある戦場に戻りたがる。戦場は怖くない。戦場は自分たちの生きる場所だ。そういう感情を持つ人間が出てきた」
朱門はそこでふうと息を吐き出し、麦茶を一気に飲み干す。
「だが、戦場はそんな場所じゃない。だろ? 戦友の死を防げなかったこともあるし、自分の命が危険に晒されたこともあるはずだ。そして、戦場での多くの任務は人々が想像するよりも退屈なものだし、報われないことも多い。戦場に夢を見るな、久隆」
「夢など見ていないさ。ただ、求められることがなくなるというのは、それはそれで辛く、どうしてもこの平和な日本で自分が異物だという思いが止まらないだけだ」
久隆も麦茶を飲み干しそう告げた。
「だから、連中を助けてるのか? 求められるために?」
「分からん。しかし、そうなのかもしれない。何も求められず、何もしなくていいというのは軍人だった人間にとっては苦痛だ。任務が、義務が、役割がほしい」
「俺には分からんね。俺は戦争にはほとほと嫌気がさした。軍隊にもだ。連中は俺たちに国家のためだとか何だとか言って、くだらないことを押し付ける。ご立派な平和の使者である平和維持軍のブルーヘルメット任務のような」
朱門はそう告げて上着の胸ポケットを探った。
「ああ。畜生。煙草、切らしてたんだった。持ってないか?」
「煙草は健康に悪い」
「生きていることそのものが健康に悪いんだ。気にするもんか」
朱門がそう宣言すると、久隆は肩をすくめた。
「煙草の自販機ならスーパーにある。スーパーは閉まってても、車は停められる」
「サンキュー」
「家の中では吸うなよ」
「当り前だ」
朱門はそう告げて出ていった。
「医者の不養生だな」
久隆はそう告げて肩をすくめた。
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