元軍人たちの会話
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──元軍人たちの会話
「あら。まだ起きてたんですか、久隆さん」
「ああ。朱門に聞きたいことがあってな。まあ、解決はしなかったが」
サクラも眠れなかったのか、ダイニングルームにやってきてそう告げる。
「へえ。どのような話を?」
「こいつが幻覚を見たかもしれない。自分は多重人格かもしれないっていうんだ」
朱門はそう告げて肩をすくめた。
「久隆さんが?」
「ああ。ラルという少女の存在がどうにも腑に落ちなくてな。あれはなにかしらの幻覚か何かではなかったのだろうかと思っていたところだ。その可能性は薄いとこの軍医少佐殿に否定されたがな」
「ラル、ですか」
「ああ。俺がダンジョンの中で孤立していてもやっていけた要素だ」
久隆はそう告げて麦茶を飲むためにカップを出す。
「おいおい。今日はこっちにしておけ」
朱門はそのグラスを取るとウィスキーを注ぎ、氷を入れた。
「お前なあ」
「ひとりで飲んでるのも存外寂しいものなんだぞ」
そう告げて朱門は自分のグラスにもウィスキーを注ぎ、これはサクラの分というようにウィスキーを注いで氷を入れた。
「3人で飲もうや。何か悩みがあるなら聞いてやるぞ。聞くだけだがな」
「全く」
3人はダイニングのテーブルにつき、おつまみのナッツを囲む。
「それで朱門さんは幻覚を見た上に、自分が多重人格だと?」
「確かにラルはいたんだ。だが、幽霊のように消えてしまった。ダンジョンの中で魔物でも、魔族でもないとすれば、いったい何なんだ?」
「そうですね。それは悩みます。だが、我々は日本海軍特別陸戦隊の過酷なサバイバル訓練を通過しているんです。そう簡単に精神がダメになってしまうことは考えられません。そうではないですか?」
「確かにそうではある。だが、サバイバル訓練に牛頭の巨人は出たりしなかった。もっともハイテク装備持ちの現代の軍隊という化け物には追い回されたが」
「そうですよ。我々がその手のことを恐れることはないはずです」
「だが、俺は恐れた」
久隆が告げる。
「恐れたんだ。ダンジョンがどこまでも続くことに。終わりがないかもしれないということに。永遠に続くかもしれないということを恐れたんだ。俺たちが一度、東南アジアの密林の奥深くで孤立したことがあっただろう? 援軍はいつ来るのか分からない。敵の規模は不明。航空支援はなし。脱出できる見込みなし。あの状況と同じだった」
「確かにあの時はかなり絶望的でしたね……」
「それに加えて今回は俺ひとりだった。ひとりというのは堪える。何もかもひとりでやって敵地のど真ん中で生き延びなければならない。そして、その敵地からいつ脱出できるのかは分からなかった。それで精神が参ったと思ったんだ」
「そうだったんですか……」
久隆は部下に愚痴るようなことは避けていた。それは軍規を乱すし、指揮官やその上層部に対する不信感を抱かせることに繋がる。
だが、今の久隆は海軍少佐ではないし、今のサクラも海軍准尉ではない。少しばかり愚痴ってもいいだろうと久隆は思った。
「だが、ラルが幻覚だったとは俺には思えないんだ。あの小さな手を握った時の感触は覚えている。それが全て幻想だっとしたら、俺はかなり参っていることになる。まるでジャンキーの妄想だ。流石に自分がそこまでイカレているとは思いたくない」
「幻覚じゃないならなんだろうな。人里から離れていて、絶対に人間が近づく場所じゃない場所で人間が巻き込まれた。そして、お前の前から姿を消した。やっぱり幽霊じゃないのか、そいつ」
「医者が非科学的なことを言うな」
「科学的に幽霊が証明される時が来るかもしれないぞ? 科学は日進月歩だ。昨日の常識は覆され、新しい発見が多くあるというわけだからな。人間に宿る魂。21グラムの魂の存在が絶対に証明されないということはない」
そう言われて久隆は唸った。
確かに20年前まではナノマシンで脳の生み出す感情を制御するなど夢物語で、絶対に成功しないと思われていた。だが、今は先進国の軍隊は頭にナノマシンを叩き込んでいるのが常識だ。常識というものはあっという間に覆る。
幽霊が全く科学的ではないとどうして言い切れる?
レベルが上がり、魔法があり、魔物の死体が金と宝石に変わる世界だ。
幽霊がいたっておかしくはないだろう。
だが、久隆にはどうにもその意見は受け入れ難かった。
「何かこういう症例はないのか?」
「お前が小さい子供ならイマジナリーフレンドという可能性もある。だが、お前はいい年した男だ。今さらイマジナリーフレンドなんてものは出て来ないだろう。見たところ、お前はラルというその女の子以外についてはまともだ。統合失調症でもない」
朱門はそこで肩をすくめる。
「まあ、俺は精神科医じゃないから分からないがな」
「はあ。役に立たん医者だな」
「役に立たないはないだろ。俺が何人治療してきてやってると思ってるんだ」
「悪かった。だが、今の状況ではな」
「精神科医の闇医者なんてのはいないからな」
朱門はそう告げてウィスキーのグラスを傾けた。
「全て夢だったならそれでいいんだが、あいにく60階層のケルベロスにはしっかり参加しているし、そこでもラルの姿を見ている。夢ではないんだ」
「ですが、本当の少女が紛れ込んでいたとして、久隆さんの言うように冷静でいられるでしょうか? レヴィアちゃんは久隆さんが早期に救出したからいいとして、レヴィアちゃんより幼い女の子が、魔物のひしめくダンジョンで冷静にしていられるでしょうか?」
「そうだな。その点でもおかしい。ラルはどこまでも冷静でいうことを聞いてくれた」
サクラもウィスキーのグラスを傾け、久隆もアルコールが喉を伝うのを感じた。
「随分と都合のいい話だよな。そりゃ幻覚を疑っても無理はない。一応、頭部CT撮っておくか? 何かしらの腫瘍でも見つかるかもしれないぞ?」
「幽霊の次は脳腫瘍か? 医者って奴は患者を怖がらせることにかけては凄腕だな」
「可能性を示唆しているだけだ」
朱門が機嫌を損ねたようにウィスキーを呷る。
「お互い、軍歴はそれなりに長い。今まで俺と似たような経験はしなかったか?」
「幻覚を見たりした経験か? ないね。医者だぞ? 医者が幻覚を見てたら相当やばい。うっかり幻覚を見て、血管切っちまいましたじゃすまされない世界なだからな」
「そうだな。だが、お前もずっと患者の相手をしていたわけじゃないだろう?」
「ああ。たまには休暇を取る。そこで戦地のことを思い出したり、夢に見たりはした。軍閥どもが難民キャンプで好き放題に暴れまわる様子のことも夢に見た。正直、今でも夢に見る。連中の蛮行はしっかりと記憶されている」
中央アジアが地獄だったことを久隆たちはあまり知らない。
中央アジアの情勢については徹底的な報道管制が布かれ、メディアは迂闊に中央アジアについて報道できなかった。中央アジアで戦死者数も、中央アジアでどのような勢力図が描かれているのかも、何も分からなかった。
中央アジアについて報道したフリーランスのネット記者がいたが、その人物は報道から数週間後交通事故死していた。犯人は見つかっていない。この事実がメディアに中央アジアについて報道する気力を失わせた。
いつも通りのおざなりな人道危機だけが報道され、中央アジアに派兵することの意味を持たせていた。そして、国民には根強いテロへの危機感があった。日本国民は15年が経っても新宿駅で何が起きたのかを忘れていない。
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