アナトミー
本日1回目の更新です。
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──アナトミー
「脳以外の全ての人間の部位はノーベル生理学医学賞のお歴々が細胞どころか、遺伝子単位で構造と働きを解明した。謎はほとんど残っちゃいない。何をすれば、何が起きるかがしっかりと分かっている部位だ。しかしながら、脳は違う」
朱門が語る。
「脳は謎に満ちている。脳はCPUでありメモリーでありHDDだ。それも超高性能の。軍用に開発されたスパコンならば演算機能は脳を凌ぐだろう。だが、ソフトウェアの問題でスパコンが人間の脳を越えることはまだない。レイ・カーツワイルの言った技術的特異点は結局訪れなかった」
人間の脳の性能は数字に表せない部分にこそあると朱門は語る。
「一時期脳神経学会で話題になった話だが、人間にはかつて第六感というものが実在していたのではないかという話がある。人間は進化の歴史の中でその機能を捨て去ったのではないかという話だ」
「オカルトだろう? 真面目に学会で取り上げられたのか?」
「一種の問題提起だった。人間の脳は進化の過程で機能を増やし続けたのではなく、捨てもしたのではないかという問題提起だ」
久隆が渋い顔をするのに朱門が続ける。
「鳥を見てみろ。連中は空を飛ぶために骨格の強度を捨てた。体をどこまでも軽くした。そして、空という生存圏を手にし、生き延びた。だが、まず進化とは決して意図して行われるものではない。その環境に適応できた変異を起こしたものが生き延びるんだ。そして、子孫を繁栄させ、進化として確立する」
「それぐらいは知っている。国防大学校でも、高校でも、生物学の基礎で学ぶことだ」
「では、鳥が空を飛ぶために体の重量を捨てたように、人間も生き延びるために何かを捨てたとは思わないか? まず人間は原始的なサルに似た生き物から進化したというのが主要な学説だ。だが、そこから一直線に人間に進化したというのは先の変異した個体の生き残りによる進化という話から否定される。様々なバリエーションの人類のモデルが生まれ、そこから自然による選別が進み、今の人間に至った」
人間の祖先がどんなものなのかは学説が数多にあって確立されていないが、原始的なサルだろうということが主要な学説だ。少なくとも神は人間を作らなかった。
「数多のバリエーションをもつ人類の祖先のひとつに脳に他の人類とはことなる機能を備えたものがいたのではないか。それが提起された問題だった。人間の脳は人間ひとりひとりで異なる。だが、基本的な機能は一緒だ。思考し、制御し、指示を下す。だが、それ以外のものがあり、それが先祖返り──隔世遺伝で蘇ることはないのか」
「ありえるのか?」
「これはシュレディンガーの猫と同じ話だ。実際に猫を殺すわけじゃない。思考実験のひとつだ。脳が進化においてどのような経緯を辿ったかは、脳が得るだけではなく、捨てることで思考を最適化したのではないかというな」
「ふうむ。俺たちが海軍時代にナノマシンで恐怖や緊張を抑制したように、脳もまた生き残るために不必要な要素を思考から消したということか?」
「そういうことだ。それを極端に第六感と言って問題提起が行われた。人間から失われた感情、機能、記憶。進化は得ることだけだという考えを否定するために、脳神経学でもそういう考え方をするのをやめようということだ」
「しかし、それとレヴィアたちに何の関係が?」
「ナノマシンで脳をスキャンした結果、人間には見られない器官が見つかった」
朱門は端的に告げる。
「それが魔法を制御している器官なのかもしれない。そして、もし人間と魔族が同じような環境で、同じように進化をしてきたならば、人間は思考の邪魔になるとして魔法のような能力を使わず捨て、思考の結果手にした道具を使って文明を作り、連中は魔法を使い続けそれで文明を築いた。そうは思わないか?」
「科学文明と魔法文明の分かれ道か」
「まあ、あり得ない話だろうがな」
そこまで語っておいて結論はそれかと久隆ががっくりした。
「だがな、久隆。もし、軍部がこの情報を手に入れて、富士先端技術研究所あたりで詳細なデータが得られれば、ナノマシンで模擬的に同様な器官を再現することができるかもしれない。そうなれば、俺たちも魔法が使える」
「脳にかかる負担は?」
「連中が耐えているんだ。俺たちが耐えられない道理はない。そもそも解剖学的に明確にことなるのは脳と頭蓋骨だけだ。あの角と脳以外は俺たちと魔族の間に違いはない」
朱門はそう告げて久隆を見つめる。
「情報が漏れれば、間違いなく軍部が首を突っ込む。目立つ行動は避けろ。連中は人類を兵器化することぐらい平気でやるぞ」
「だろうな」
久隆が海軍にいたときから日本の軍部は怪しかった。
報道規制。政治家への圧力。スキャンダルの揉み消し。政治への口だし。
旧軍の亡霊とはまた異なる怪物が生まれた。日本国と日本国民、そして日本の民主主義を守るためならば何をしてもいいと考える怪物だ。日本国と日本国民、日本の民主主義を守るために日本国を犠牲にし、日本国民を犠牲にし、日本の民主主義を犠牲にする。
守るために、壊す。自己矛盾を抱えた怪物は今や権力を手にし、日本の陰で蠢いている。陰謀を張り巡らせ、獲物を釣り上げ、日本国の敵を殺している。
「集団セラピーは俺もやったことがあるが、医師からのアドバイスは?」
「俺は精神疾患は専門じゃない。基礎としては学んだが。実践したお前の方が詳しいだろう。海軍は今でも戦闘後のメンタルケアを民間軍事医療企業に丸投げしてないって聞いているぞ。陸軍も情報軍も軍医とカウンセラー不足で外注してるってのにな」
「別に俺たちは楽をしていたわけじゃない」
久隆がむっとしてそう告げる。
「分かっている、分かっている。だが、中央アジアはクソッタレだったんだ」
朱門の口調には自棄になったような印象があった。
「風邪気味の連中には抗生物質と咳止めを処方しておいた。ちゃんと症状が収まっても全部飲むように徹底しておかないとな。それから体内時計が狂っている連中は一度外に出してやって、数日過ごさせることだ」
「おいおい。流石の俺の家も許容量オーバーするぞ」
「まだ空いてる部屋、あるだろ。泊めてやれよ。2、3日でいいんだ。帰りには物資を運んでもらえば、お前の手も空くぞ?」
「ああ。それもそうだな……」
物資輸送も魔族たちに任せるというのはいいアイディアかもしれない。
今後、拠点は10階層と20階層に設置させる。20階層まで20名分の物資を久隆だけで運ぶのは困難だ。魔族の手を借りるべきである。
「分かった。空き部屋を掃除して受け入れるよう整えよう」
「他に問題はない。で、美人准尉とはどうだ?」
「まだ何もない」
「おいおい。思春期の中坊じゃないんだぞ。もういい年なのに何もないはないだろ」
「何もないものは何もない。サクラは上手くやっている。すぐに捜索班にも馴染んだ。お前が気にすることじゃない」
「はいはい。お邪魔虫はお薬を処方して退散しますよ」
朱門はそう告げて去っていった。
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