触手
洞窟の天井を這って近づいて来た芋虫。ただし、4~5cmの揚羽蝶の幼虫の様な小さな奴ではない。そもそもそんな大きさの虫が天井に付いていても気付かないだろう。
そいつの太さは1m以上、全長は10mはありそうで、表皮は薄黒く岩の様にゴツゴツしていて硬そうに見えるが、全体をみるとブヨブヨと蠢いている。頭部と言うか、進行方向の先頭はバカリと開かれた八目鰻の様な無数の牙を持つ口が体の幅いっぱいに開き、しかも口の周囲からはニョロニョロと二本の触手が伸びている。目は無い。
それが俺達の上まで来て、ダラリと体半分を天井から離して俺達へと口を向け、触手を伸ばしている。俺はソイツがランタンの灯りの中に入る前からその存在に気付いていて、仲間達には俺の周りに集まってもらっている。また、俺自身はヴァルブルガと一緒にクルトの腰に結ばれたロープを手近の岩に縛り付け、ロープの先の山羊が戦闘の邪魔にならない様準備した。
何故、俺がこんな厄介そうな奴と戦う事を選んだのか、逃げなかったのかと言うと、コイツを避ける為に道を変えようとすると何か嫌な気がしたからだ。コイツ自身は近づいて来る事、そして厄介な相手である事が俺の探知スキルによって気付いていた。
だがもう一方の道、というかそっちも大きな横穴だが、そっちには探知スキルで何かいる事かが分からなかった。何もいない様に思えるが、何か嫌な気がするというのが正確だろうか。
俺としても判断に自信があった訳ではない。寧ろ何もいない方に行くのが正解ではないかとも思えたが、俺は嫌な感じを気にして厄介と分かっている奴を迎え撃つと決めた。
その姿を見た時、俺は冒険者ギルドで調べた情報からソイツを洞窟芋虫と判断した。好戦的で触手の毒で人を麻痺させると、丸呑みにするのだ。俺は仲間達の注意を天井に向けると、フリーダさんとインゴ達に触手を杖や槍で振り払うよう指示し、クルトとディルクにはしゃがむ様に命じた。
俺は振り払われる触手に業を煮やして、芋虫がもっと頭を下げて来るタイミングを待つ。
「きゃっ。」
「エラ!」
エラが倒れた。触手の先の針で刺された様だ。叫んだのはインゴか。くそっ。嫌な予感が大きくなって来てやがる。
「ヨーナス!
エラを連れて離れて伏せろ。傷口から毒を吸い出して捨てろ。
他はとにかく離れて触手を払え。」
「わ、分かった。」
毒の対処としてそれでいいのか分からなかったが、他に思いつかなかったのでそう指示した。エラとヨーナスを下がらせると、触手を払う役はフリーダさんとインゴしかいない。
探索の直前でフリーダさんが入ってくれて助かった。明らかにインゴ達よりもフリーダさんの方が上手く触手を払えている。これが技量の差か。だが、フリーダさんの杖でも芋虫本体には通用しそうもない。通用しそうなのは。
そう思っている内に俺の待っていたタイミングが来た。芋虫がさらに足の多くを天井から離し、その頭を地上まで凡そ2mまで下げる。
「クルトォ!
立ち上がってソイツを思いっきりぶっ叩け。
叩いたら林檎をやるぞ。」
最後の林檎というキーワードにクルトは弾かれた様に立ち上がり、その太い棍棒で芋虫の頭をぶっ叩いた。
「ブモッ!」
「○!※□◇#△!」
クルトの一撃。芋虫は声は出ていないが、悶える様にして地上へと落下して転がる。やったか、とは言わない。明らかにまだやっていないからだ。ああ、嫌な予感がする。俺は山羊の背負った荷物から林檎をクルトに放ると、クルトは器用に口でキャッチしてそのままゴリゴリと食った。
「クルト、ソイツをぶっ叩け。次は蕪だ。
フリーダさんとインゴは、触手からクルトを守れ。
クルトが落ちると、後が無いぞ。」
芋虫は体を反転して地面に足を付くと、まるで暴走列車の様にこちらに突っ込んで来る。クルトでも受け止められるか分からない。ヤバイな。ヤな予感が。
ザシュ
突然暗闇から振るわれた巨大な槍が芋虫を突き刺した。槍の先を目で辿ると、それは俺達の背後から伸びていた。全然気づかなかった。俺の探知スキルにも反応は無かった。ただ嫌な予感がしただけで。
それは巨大なカマキリだった。ランタンの灯りの範囲を遥かに超えているのでその全身を見る事はできないが、芋虫を遥かに超える大きさから推測するに体長は20mを超えるだろうか。
カマキリの腹は俺達の頭の上、床から5m位のところにある。その体は直径10m程度の横穴の天井ギリギリにあって、その長い足で俺達を4本の足で跨いでいる。その体表は茶色と黒の枯れ木の様で、先程の槍はカマキリの鎌だった。
こんなにデカいのに誰も気付かなかったのは、暗闇のせいばかりではないだろう。その巨大さにも拘らずほとんど音を立てず、空気も震わせず、熱も発さず、しかも保護色の影響か見づらい。俺の探知スキルにも反応しなかったと言う事は、コイツのスキルかは分からないが隠蔽能力が非常に高いのだろう。嫌な感じはコイツだったのか。
カマキリは俺達を完全に無視して、芋虫を切り裂き食べ始めた。コイツにとって俺達は腹の足しにもならないのかもしれない。俺は皆に静かにここを離れる様に指示した。




