壁
狼は俺と目を離すとその場を去った。目が合って心臓が止まりそうになったのは俺だけで、あっちには見えてなかったのだろう。狼の件はそれで済んだのだが、次にエルフ側がやらかした。俺が指示した探知スキルを遮断する“壁”は、エルフ達も越えないように歩いて来てくれた。
だが、ここにペールオーラというエルフがいた。彼はここにいるエルフの中では痩せ気味の男で、他のエルフ達同様人間を見下す傾向にあるものの、好奇心旺盛なのか俺に人間の国の事とか、オルフ大森林の外の様子を聞いて来ていた。
そして、俺達が迷いの森を抜けようと進んでいる時、ペールオーラは“壁”の向こうに兎を見つけ、瞬時に射殺す。彼は当然のように自分が狩った兎を拾おうと“壁”を越えようとした。俺は警告する。
「ペールオーラさん、止まって。
いえ、さがって下さい。それ以上進めば“壁”の外に出てしまいます」
「おいおい、すぐ目の前だぜ。
ちょっと拾うだけさ」
これには隊長ビリエルさんも制止する。
「ペールオーラ、戻れ。
勝手な行動をするな」
だがペールオーラはケラケラと笑うとそれを無視した。
「はははっ、ビリエル。
たった一歩だよ。たった一歩で」
彼は俺達の目の前で“壁”を越えて兎を拾った後、俺達の方を向くと、すでに俺達が見えていないかのように周りをキョロキョロと見回した。俺達は彼に向けて声を掛けるがまるで聞こえていないように見え、しばらくすると森の奥へと行ってしまった。“壁”を越えると、こうなるのか。
「ビリエルさん、今回は探索を諦めてペールオーラさんを追いますか。
それとも探索を続けますか」
「ペールオーラは一人でも村に帰ることぐらいは出来るだろう。
このまま探索を続ける」
俺がビリエルさんにどうするか聞いたが、彼の判断は続行だった。
次に問題が起きたのは、昼休憩中だった。エルフ達は1日2食なのか休むだけだが、俺達は昼飯代わりにスナック菓子のようにヘーゼルナッツを齧っていた。当然、“壁”には気をつけていたし、俺は俺だけが“壁”を見る事ができるので、境界を示すように“壁”近くに座って休んでいた。
しかし、たまたま俺と少し離れた位置に座っていたヤスミーンが、おやつを食べ終わって俺に近付いて来た時だった。俺はスキルが及ばないので気付けなかったが、俺の背後の木から蛇が落ちて来た。それを見たヤスミーンは、とっさに俺の背後の蛇を突こうとして失敗し、蛇のすぐ横の地面を突き刺した。
驚く事に蛇は、自分の横に刺さった槍の柄に素早く巻き付き、這い上がって来た。槍の柄を伝って“壁”を越え、座る俺の頭の横まで登って来た蛇が、俺へと鎌首を持ち上げて噛もうとした時、その首がグイっと掴まれた。
「ご主人様、大丈夫ですか」
「ご、ごめんね。コーチ」
「お、おおぅ」
ヴァルブルガは“壁”の向こうへと蛇を投げ捨てた。横からぬっと出て来たヴァルに驚いたが、助かった。まあヤスミーンにしても、俺を助けようとしたんだから何も言うまい。それにしても“壁”の向こうとこっちに何かを渡せば、行き来が出来るのか。俺はこの事をエルフ達にも話した。
最後のトラブルは緑竜だった。えっ?緑色の大蜥蜴か何かだろうって。うん、俺もそっちだったらどんなに良かったか。だが探索3日目、迷いの森に入って2日目の昼過ぎ、もうすぐ迷路を抜けられるというところ、出口直前にほんまもんの緑竜が寝ていた。うへーっ。
幸いと言うべきか、緑竜は“壁”の向こうにいる。狼やペールオーラは“壁”の内側は感知できないようだったが、竜ならどうか。伏せて寝ている様で、頭と尻尾は体に沿って丸くなっているが、体を伸ばせば体長8メートルぐらいだろうか。瞼も閉じていて、寝ている様にも見える。
全身をゴツゴツした鱗が覆い、頭は鰐の様だ。背に生えた革の翼は広げれば体長と同程度ありそうだが、あんなものじゃ物理的には飛べないだろう。鰐と言えば、現代で一番大きいのは6メートルぐらいだったか。それよりは一回り大きいが、ギネスブックに載りそうな爬虫類発見、と喜べそうにはない。
「人間、この竜の横を抜ければ、その先に迷いの森の出口があるのだな」
「そうです。竜の先30メートルが迷いの森の出口です」
そう、この竜の30メートル先には探知スキルを遮る“壁”が無くなっている。たぶん、これが迷いの森の出口なのだろう。その先は普通の森のようで、特に目立ったものは無いが。
とにかく、後は真っ直ぐ進むだけだ。まずは探索隊隊長のビリエルさんが幅10メートルの“壁”の間の通路を、緑竜からなるべく離れた端を通って慎重に進む。ビリエルさんが通り抜ける間、緑竜は身じろぎもしなかった。
エルフの面々が一人づつ続き、最後をノッポのアスビョルンが通り抜けた。そして俺達の番になって、先頭をヴァルブルガ、殿をヤスミーン、挟まれるように俺、と3人でまとめて進む。すぐ横に緑竜がいるが、相変わらず探知スキルには反応がない。
そして俺が緑竜の真横を通った時だった。竜の首が動き、俺と目が合う。うそ、何で俺ばっかり。いや、“壁”の向こうから俺は見えないハズ。こんな間近にいるのに、探知スキルは反応しない。見えているのか、見えていないのかどっちなんだ。




