ボケジジィ
動きを止めた鼠人達の殺気が高まる。いくらか減ったとはいえ、鼠人達はまだ200匹近く残っている。これが一気に押し寄せれば、アヒム達や黒隊の一部を失ったこちらは額面数値だけでも40人。まともに抗えるとは思えない。
ここはヴァル、クルト、ニクラス、ヤスミーンの身内で俺の周りを固めて、俺達だけでも脱出するか。そう思っていると、村の前のリントナー男爵兵はどうやら犬人を討伐しきった様だ。そしてこちらに来る気配を見せている。
だが、鼠人達は今にも動き出しそうで、援軍はとても間に合わないだろう。焦る俺の袖を引く者がいる。何なんだよ。見るとまた、穴の開いた帽子の老人だ。しかも酸っぱい様な酷い匂いがする。
「何だ。」
「儂の朝飯はまだかのぉ。」
俺がキレ気味に問うと、ボケた答えが返る。くっそぉ。俺は頭を掻きむしりたい気持ちで、鼠人を指さしながら適当に言った。
「お前の朝飯はあの鼠どもが食ってるよ。」
すると、老人の雰囲気が急変した。死んだビー玉の様な目が、怒りにメラメラと燃える様に変わり、分厚いゴムかろう人形の様な表情の無い顔が、怒りに歪み悪魔じみたものに変わる。
「な、なんたる、なんたる。」
俺は急に怖気づいて老人に声を掛けた。
「お、おい。じいさん、落ち着けよ。」
だが、遅かった。
「くぉのぉ、腐れぇ鼠どもぉ~。
ジルヒャー丘の畑をメチャメチャにしおって。
パウラおばさんも食ったなぁー。
許さん、許さんぞぉぉぉ。
切り刻んでぇ~、割り開いてぇ~、切り刻んでやるぅ~。」
こ、怖ぇ。完全に気が狂ってやがる。
「コムアンペレキイオジェッタ、
ダンズレアウビブドゥンルイシュー、
エクィライスデリアレエル…。」
うぇえ。もうまともな言葉を話してない。いや、ヤバイ。気が狂ったとか、そうじゃない。もっと物理的な危険が。
「伏せろぉーっ。死にたくなければ、伏せろぉーっ。」
俺はそう言って周りも見ずに、とにかく頭を抱えて地に伏せた。鼠人が一斉にこちらに向かって来ているが、それどころじゃない。
「伏せろぉーっ。死にたくなければ、伏せろぉーっ。」
ヴァルとヤスミーンも伏せたのが分かる。ニクラスはクルトを急いで伏せさせながら、俺の言った事を大声で復唱した。
・・・。
一瞬、周囲から全ての音が消え。
ゴゴゴゴゴォォォォォ。
突然、周囲の風が轟轟と酷い爆音をさせて渦巻く。耳は轟音で潰れ、瞼の向こうの光も消え、体を吹き飛ばそうとする強い風圧に体が軋み、息は止まり、何かが激しく全身を叩く。
・・・。
それが続いたのが5分か10分か、それとも実は数秒だったのか分からないが、また急に周囲から音が消えた。俺は目を開けるのが怖くて、探知スキルで周囲を探る。ヴァル、クルト、ニクラス、ヤスミーンは無事だ。
続いてさらにその周りを探ると、赤隊、黒隊、緑隊の生き残りは今の一瞬で2割が死亡し、3割が負傷、無事なのは半分だ。さらに探知スキルの範囲を広げていくと、小さな人の子供程の大きさの死体があった。緑隊の子供ではない。もっと不格好で毛むくじゃらな生き物だ。
だが、その頭、体、腕、足はバラバラに落ちている。しかも、そういう死体が200以上あった。鼠人は全滅していた。
俺は恐々(こわごわ)ゆっくりと目を開ける。差し込む光が目を刺す様に感じたが、しばらくして目が慣れて来ると、またゆっくりと身体を起こして周りを見回す。俺は森と田舎道の境くらいにいたはずだが、切り株の多い広場の真ん中にいた。
他の者も起き上がれる者は起き上がり、周りを見て呆然としている。そして呻いたり叫び声を上げたりする者は、今ので負傷したのだろう。目を瞑っている間に探知スキルで分かるのは負傷の割合、つまり軽傷、重傷、瀕死くらいだった。
だが目を開けてみて分かるのは、脚に、腕に、背にパックリと割れた様な裂け目の傷。そして切り落とされた手や足。また、倒木に押し倒されている者もいる。有体に言って地獄の様だった。
「何だったよ、アレはよぉーっ。」
誰かが叫んだ。そりゃ、そうだよな。今、ここにいる全員が思っているだろう。アレは何だったのか。そう言えば、あのジジィはどこだ。周りを見回すとすぐに見つかった。俺の割と近くで座り込んでいた。俺は恐る恐るジジィの前に回り込んで声を掛けた。
「おい、アンタ。」
間抜けな声の掛け方かもしれないが、他にどうしていいのか分からなかった。コイツは魔法使いなのだろう。それもこれまで見たどの魔法よりも強い。200以上いた敵を瞬殺。しかも味方の生死に一切躊躇しない、いや恐らく見えてもいなかったのだろう。
俺がジジィの顔を覗き込むと、怒りに醜く歪んだ顔はまた死んだ魚の様な目をした表情の無いろう人形のそれに変わっていた。そのどこを見ているか分からない顔がこちらを向く。その口が動こうとするのを俺が緊張して見ていると。
「朝飯はまだかのぉ。」
ぼ、ボケてやがる。




