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女形の姫様転生記  作者: 新島 隆治
48/49

帰還中の報せ

 お待たせしました。まだ色々と忙しいけど忘れないうちに投稿。

  ※3/8昼 補足と加筆、言い回しの修正を行いました(大筋に変更はありません)。


 異形に変えられた者たちが坂道を転がり(くだ)るように消え去り、怯えて暴れた騎獣を落ち着かせて荷車を回収するのにおよそ半刻。

 ライヒアラ王国の前騎士団長だったシルヴェステルも手伝いを申し出たことで、予想していたよりもかなり早く作業は終わった。


 徒歩で帰されることとなったウルマス王子たちの一団は辺境の荒野を順調に進んでいるけれど、峠道の山門からはまだ後ろ姿が小さく見えている。

 遠目に見ている分には百鬼夜行(ひゃっきやこう)そのもので、正気を根こそぎ削られるような(おぞ)ましい異形の幻影を纏った者たちが、四肢のいずれかを失った痛みと我が身に降り掛かった不幸への嘆きから身の毛もよだつ雄叫びを荒野に放っていた。


 荒野を抜け、無事に誰一人欠けることなくエロマー子爵領に辿り着いたとしても待っているのは好ましくない反応と結末だろう。


 自分たちに向けられる恐怖と忌避(きひ)の視線、異形の者たちの襲撃から自衛するため庶民が構える棒や農具、領兵が持ち出す武器で故郷を追われる近い将来の姿。

 家族や親族に会うために自宅へ戻った者が目にするのは、決して好意的ではない恐怖に満ちた両親や兄弟姉妹、子どもたちの忌避や(おび)えの視線だろう。


 それすらも、本能に根ざした自分勝手な欲望と他者への身勝手な暴力の末に得られた、自業自得の結末でしかないのだが。






 スヴェンたち傭兵団員が峠道からの撤退準備を終えたのは、太陽が頂点に差し掛かる少し前になる。怯えて暴れた結果怪我をしたり、脚を折ったり、荷車を引きずり倒して下敷きになった騎獣が相応にいたため、その治療に時間がかかったのだ。


 それに相反(あいはん)し、傭兵たちの怪我はかすり傷程度である。

 横倒しになってパニックを起こした騎獣に蹴られたり、壊れた荷車に身体をぶつけた程度であれば通常の任務や訓練の最中にもよくあることだ。


「ダメな奴はこれ以上苦しまないように処置してやれ。血抜きは運びながらでも構わんが、載せる荷車はきちんと車輪が回るやつにしとけよ。ここで無理そうなら魔術師に心臓と頭に向かう血管を凍らせてもらえ」


「ここの門扉はどうします?」


「ラッサーリに残す部隊もいるから、開けておいて構わん。いつでも閂を掛けられるように準備だけはしておけよ。それから一応見張りと連絡要員は残しとけ。

 ノルドマンと暁の鷹(ヴァリエタ・ハウッカ)の団員から見張りを数名置いてもらえるか?

 ハルキンと赤獅子の槍(レイオーネ・ケイハス)からもここに三名ずつ出す」


「うちは構わねぇが、メシはどうするんだ? 斥候も出すから十名分は必要だぞ」


「夕方までに追加の食料と交代の魔術師を寄越すから心配しないでくれ。親善使節と姫様たちは明朝ロヴァーニへ出発する。

 当面一番厄介だろうバカ王子も無事撃退したし、今夜はラッサーリの駐留部隊用にいただいた酒を差し入れるつもりだ」


 野太い歓声が峠道の左右の崖に反射し、陰鬱だった空気が一瞬で払拭される。

 自分たちに直接の被害が及ばなかったものの、やはり異形へ変わった者たちの姿は畏怖と嫌悪を抱かせていたらしい。



 確保した荷車は十四台、騎獣が三十三頭。

 騎乗者が数名いたため荷車の数に対して中途半端な数になっているが、うち四頭は脚が折れてしまったため、治療とリハビリで歩けるようになる見込みの残る二頭のみ残して、残りはその場で介錯した。


 食肉としても普通に流通している騎獣だったから解体等はスヴェンたちに任せたのだが、今夜はラッサーリを()つ前夜の宴でもあるので、住人たちにもある程度肉が振る舞われることになるだろう。

 血抜きは帰りの道中でも出来るし、防塁の外を流れる川に夕方まで(ひた)しておけば後処理が楽になる。調達班ならその辺りの作業も慣れている。


「ラッサーリに戻ったら王都への連絡やロヴァーニへの報告も含め、今後の対策をしておきましょう。今朝先行させたレィマたちも牧場への受け入れを手配しておかなければいけませんし」


 峠から下る坂道に飛び散った騎獣や人の血と体液を水の魔術で洗い流し、門扉の被害を確認してしまえば、この場で行うことは終わってしまう。

 喫緊の懸案は一応解決を見たので、後は報告と対策をしておけば問題ない。


 特にバカ王子――ウルマスが向かう王都については、街道周辺の領主にも迷惑が及ぶだろうことは目に見えているので使い魔(ヴェカント)による連絡が必要になる。


「ランヴァルド様にもお手伝いいただかないといけませんしね」


「それも団長の仕事だ。王国の国内情勢は帰りの道中で子爵殿や前騎士団長殿から聞けばいい。俺は長らく王国から離れているが、側仕えやユリアナの嬢ちゃんたちなら知ってることも多いはずだ」


「詳しくは道中で聞きます。まずはこの場の撤収を進めて下さい。再襲撃はないと思いますが、斥候を放って警戒を(げん)に。

 それから夜は冷えると思いますので、薪と灯り用の油を追加で運ばせて下さい」


「ここでバラした騎獣の脂から追加しとくさ。姫さんはまずロヴァーニへ戻ることに専念してくれ。外交は身分のある姫さんや頭のいい連中に任せないとな」


 血振りした大剣と斧槍を水で洗い流し、騎獣の(くら)に提げたスヴェンが門へと歩いていく。政治的な交渉は丸投げする気らしい。


 ユリアナはそんなスヴェンの後ろ姿を軽く睨んでいるが、何度言っても無駄なのは判っているようだ。それ以上口を開くことはなく、アスカが乗る客車の準備を確かめるため護衛や側仕えたちに指示を出し始めている。


「エロマーの領境まで早くて徒歩七日くらい、王都まではさらに一月強――一般の村落程度なら襲えても、領軍や王国軍が出てきたらひとたまりもないでしょうね。

 幻影に(おび)えてこの場に武器を放り出しましたし、実態はほぼ丸腰だから已むを得ないのでしょうけど」


 門柱の向こうに見える姿は穀物の粒並みに小さくなっているが、まだ辛うじて見ることはできた。故郷に帰るまでの時間、彼らは一生分の後悔とあらゆる負の感情を背負わされ、抵抗しながらも敢えなく命を散らしていくことになる。

 死を迎えるまでは化け物の幻を纏って人として扱われることもなく、命数が完全に尽きてからようやく人としての形を取り戻すのだろう。


 自身の身や辺境の民を守るために断罪の魔術を使ったことに後悔はない。

 アスカとして生きた十数年でも、飛鳥として生きた世界でも、他者から向けられる理不尽を唯々諾々(いいだくだく)と受け入れるようなお人好しではない。


 母王妃も含め、それらを跳ね除けてくれる人に守られていたこともあった。

 けれども今は自分が動かねば誰にも守られずに亡くなっていく者もいる。


 その自覚があるため、敢えて王族として振る舞ったのだ。

 あの日、亡き従者たちの墓前で誓ったように。


「姫様、客車の準備が整いました。副団長が戻り次第出発できます」


 ユリアナがアスカの背後から声をかけ、その場で返事を待って控えている。

 傭兵や調達班が騎獣と荷車の牽引を準備しており、全体が動くまで待っていたら昼を過ぎても終わらないだろう。

 この場には親善使節の代表であるヒューティア子爵家当主や前騎士団長も居り、使節の用向きや歓待の面からも戦場に等しい場に留まり続けるのは良くない。


「分かりました。副団長に確認を取って、ラッサーリへ戻りましょう。明朝は日の出と共にロヴァーニへ出発します。使い魔(ヴェカント)持ちの魔術師に団本部への帰還予定を伝えて下さい。先行した者も含め、使節の宿泊の手配も必要でしょう?」


「そちらは姫様のご指示前にある程度準備しております。団本部とは少し離れますが、中央市場から少し離れた屋敷を借り上げ、本部に残った団員と商工会に掃除と補修をお願いしています」


 今年の年末くらいまでに取り壊して来年建て直したりする地域の、まだ使えそうな大きめの住居を二棟、使節の一時滞在用に(あて)がうとのことだ。

 従者の人数もそれなりにいるし、客車や騎獣、荷物も相応にある。

 元は辺境を拠点とした商人の持ち物らしく、古くなってはいるが崩壊や雨漏りもなく、厩舎もあって丁度いいらしい。


 王国各地との交易はすぐには始まらないとしても、将来的に使節の受け入れや大使を常駐させるなどの対応を考えれば、接遇施設や滞在施設の準備は必要だ。

 ライヒアラ以外の国や貴族からも接触がないとは言い切れないため、事前に準備しておくに越したことはない。


「当面は賃貸で、いずれ在外公館となるなら費用を負担してもらって新築・移転もできるかと。その辺りは使節と協議会の交渉次第になると思います」


「では、そのまま進めて下さい。おそらくランヴァルド様や協議会もその方向で話をまとめるでしょう」


 飛鳥としての知識も高等部までのものしかないけれど、外交や親善での常識的な対応と、反面教師としての悪しき史実は習っている。

 アスカ姫としての知識も合わせれば、全く問題ない対応と言えた。


 最終の意思決定や承認等で関わることはあっても、実務レベルでのすり合わせや作業は外交を担当する者――ライヒアラ王国で言えば外交参事であるユリアナの実父などの仕事になろう。


「ユリアナも実のお父様が相手でやりにくいかも知れませんが、立場上はお仕事で来られた外交使節です。対応は主にランヴァルド様や町の協議会が行うと思いますけど、貴女の身内としての相談程度でしたら多少は融通を利かせますよ」


 胸の上から素早く左肩へ移動したルミを軽く撫で、ふわふわの白い毛並みを堪能したアスカは、ユリアナに笑顔を見せて客車の階段を上がる。

 王国側への対処や連絡はロヴァーニに帰ってからでも十分だ。


 留守中の報告や協議会・親善外交使節との簡単な情報のすり合わせ、今後の方針の決定を考慮しても、最初にエロマー子爵領へ帰り着く者が現れるまで一日か二日程度は余裕がある。


 怪我をしたり四肢の一部に欠損を負った者が強制的に移動させられているのだ。

 徒歩での移動は騎獣の牽く荷車よりは速度が落ちるだろうし、誰にも会わないと決まったわけではない。辺境と王国領が接する部分で狩猟を行う者たちもいる。


 だが不運にもそうした者と外見を(・・・)悪夢のような(・・・・・・)怪物の(・・・)幻影で覆われた者(・・・・・・・・)が出会ってしまったらどうなるか。


 自業自得とはいえ、良くて沿道の町の混乱、悪ければ巡回中もしくは出動要請された領軍との全面衝突だ。

 石や武器を持って住民に追われることもあるかも知れない。


 直接衝突で住民や領軍に負傷者や死者が出ることにでもなれば、最悪の結果になることもありうる。異形の怪物に襲われたことで、外傷はそれほど大きくなくてもショックで命を落とす「可能性」も否定はできないのだ。


 そして不幸にも死者が出ることになれば、領軍の歯止めは利かなくなる。

 その先に待つのはどちらか、あるいは双方の破滅。


 あの第三王子ウルマスとエロマー領出身者の性格や言動を見た限り、何事もなく収まるとは到底思えない。餓えれば冬を越したばかりでまだ春の収穫すら覚束(おぼつか)ない町や村落の食料庫を襲い、根こそぎ荒らして回るはずだ。


 どちらにしても「なるようになる」のを見届けるしかないだろう。

 きっかけは与えたが、根本的な問題は当人の「心」に根ざした問題――アスカが介入する以前の問題である。


 憂いを意識の彼方に追いやり、膝の上に降りてきたルミの背中を優しく撫でる。

 透明な窓の外にあるのは殺風景な岩の崖と春らしい空、それにまだ地平線近くに白っぽい姿を見せている双月の片割れ。


 客車の外で撤収の指示を出しているスヴェンを置いて、シルヴェステルは自身の騎獣を確認しており、ユリアナたち側仕えも客車に戻ってきた。

 護衛も体制を整え、各傭兵団員も戦利品というべき荷車や騎獣を繋いで順に撤収を始めている。怪我を治しても怯えて周囲を気にしているのは仕方あるまい。

 (なだ)めつつラッサーリまで引き上げる間に、危険がないことを知って落ち着いてくれるだろう。


 まもなく動き出した客車に、窓の外の景色が流れていく。

 緩く長い下り坂を揺られながら、アスカは柔らかな背もたれに身体を預けて意識を暗闇の中に沈ませる。自身の魔術で作り上げてしまった(おぞ)ましい異形の姿を、記憶の遥か彼方へと追いやるように。









 ラッサーリに帰還してからの動きは特に語ることもない。


 エロマーの私兵を警戒して駐留する傭兵たちにアスカが激励をする間、峠道までの魔術による舗装が当初の予定に追いつくため急ピッチで仕上げられていく。

 日没間際に戻ってきた魔術師たちは全員が疲労困憊(こんぱい)していたが、きちんと食事を()って眠れば翌朝までには回復する程度である。初歩の魔力回復薬と瞑想を併用すれば、昼前には戦闘に備えることも出来るだろう。


 南方街道への巡回も新たに駐留部隊の任務として加わったが、こちらはロヴァーニの各商会や辺境の集落の大工、傭兵団が合同で人員を出し、秋の終わりまでに休憩所を整えていくことになっていた。

 野盗が住み着かないように警戒しながら施設の整備もするため、農地開拓や宿、商店の運営を撒き餌にして移民の移住を募る必要はあるが。

 詳しくは王都にスカウトに行った者たちとロヴァーニの協議会、傭兵団が話し合う中で決めることになっている。


 しっかり身体と心を休めた翌朝、第一次南方街道整備は予定を消化し終えて、町に帰還する人員とシルヴェステルたちを連れてラッサーリを後にした。

 村人と呼ぶには人数が多い彼らの見送りを受けた一行は、砕石を固く叩き締めた辺境街道を西へと進む。


 ここに来るまでに車軸が歪んだり、一部が壊れた荷車も牽引(けんいん)しているが、簡単な補修はラッサーリで済ませているため遅れは微々たるもの。

 峠道の戦闘では怯えていた騎獣も、春になって新芽が生え始めたばかりの柔らかな草と比較的豊富な水、屈強な角犀馬(サルヴィへスト)たちが前後を固めて同行することで徐々に落ち着きを取り戻している。

 同行している厩舎担当の団員の世話もその一翼を担っていた。



 おかげで出発から三日目の夕方には、先行させていた荷車と客車、レィマの群れに合流することが出来ている。その日は辺境街道の中程にある広めの宿泊地に客車と荷車を停め、騎獣たちも曳綱を解いて水浴びをさせていた。

 ロヴァーニの近くを流れる川よりは細いけれど、幅二テメル(メートル)ほどのしっかりとした小川が宿泊地の脇を流れており小さな水門で敷地に引き込まれている。

 一時的な滞在であれば上流と下流を分けて使えばいいだけだが、いずれは魔術具やポンプで上水道を作り、下水や浄水設備と分ける必要はあるだろう。


「よぉし、厩舎担当の団員は騎獣の世話を最優先にしろ。輜重隊が飼い葉や野菜を運んでくれているはずだから、小屋の札も確認しておけ。

 食事当番と世話役は川の水汲みだ。魔術は一応温存しとけよ。それと泊まる小屋の骨組みは出来上がってるようだから、結んだ縄の確認と天幕を張れ。見える範囲に雨雲はないようだし、宿泊地の周りに(ほり)と柵は造ってある。排水用の溝が詰まってないかだけは確認しておけよ」


 一応護衛部隊の隊長として同行しているスヴェンが声を張り上げると、団員たちも呼応して動き始める。幾度も繰り返した行程なので動きに迷いはない。


 王国軍の一部――実家に居場所がなくなる貴族家の三男以降はそうでもないが、特に甘やかされてきた嫡男などは上官の言うことを素直に聞いて行動することもなく、実家より上位の階級を持つ貴族に追放されたり、最終的な責任者である王族に失格扱いされて軍を叩き出されることも多い。

 もちろん、そんな事態になれば己が貴族でいられなくなることもあるのだが。

 スヴェンの声で動き始めた団員たちを見て、同じように使用人たちへ指示を出したシルヴェステルは感心したように溜め息を吐いた。


「王国軍はアントネンに任せた後も、爵位持ちの家の子息ほど使えん者が多かったのだがな。こうして辺境にやってきて、軍とは違う傭兵主体の組織が上官の命令に従って効率的に動いているのを見ると、何とも情けなく感じるな」


 身分を(かさ)に着て勝手をしていた者が余程多かったのか、漏れ出た嘆きに深刻さが垣間見える。アスカやスヴェンたちにとっては他国の組織の問題とはいえ、組織というものが持つ根深い病根であることは理解していた。

 何しろ、アスカの生まれたリージュールや飛鳥の生まれた日本、現代社会でも世界中の組織が抱えていた問題だったのだから。


「親父さんが心配しても始まらんだろ。一番下の息子がまともな組織を作って運営してることをきちんと見といて、今の団長殿に伝えて改めさせる他に無かろうさ。

 あるいは陛下に伝えるのもありだろうが、そうなりゃ団長を始めとして軍閥貴族は全員面目が潰される。ただ潰れるだけなら良いが、下手すると貴族が十数家取り潰しになるだろうな。まあ末端の準男爵(バロネッティ)騎士(リタリー)準騎士(エィキス)がいくら潰れようと支払う年金の額が多少変動する程度だろうさ」


「陛下にお伝えすれば侯爵家が一つに伯爵家が二つ、子爵以下が最低でも七つは潰れることになる。降格だけで済めばまだ良いが、単純に当主の首を()げ替えるだけでは済まんぞ。

 問題を起こした嫡男以下は当然死罪になり、姻戚関係を結んでいた親族も連座になるだろう。団長の職を辞す前に個人的に把握していただけでも、二百家以上が連座することになるはずだ。近衛も軍もな」


 呆れたように溜め息を吐くシルヴェステルがゆるゆると首を振る。

 王国軍の状況はそれほど深刻なものらしい。


「剛気だねぇ。まあそれもアリじゃねぇか? 今の近衛が王太子殿下の下でどう改革されるかは知らねぇが、王国軍はうちの団長が貴族学院を卒業して騎士になった頃にはもう腐り切ってた。

 俺が王国軍を辞めて取り巻きを集め始めた頃には、貴族家出身者でまともな連中は王都の外に『次』を探しに出始めていたからな。お陰で王都周辺の街を探せば、割とまともな連中と出会うことが出来た」


「全くもって嘆かわしいな。王国の人材不足がここまで深刻だとは。長らく流罪の地と(さげす)まれてきた土地の方が才に溢れている者が多いではないか」


「その辺は姫さんの教えもあるだろうがな。旧態依然とした貴族のゴリ押しだけじゃ街は動かんし、金も人も仕える相手くらいは選ぶさ。去年運ばせた鏡や食器、薬品に食料。一応はリージュール傘下の国として配慮はしたつもりだぜ?」


 昨年から何度も傭兵団や商隊が往復している辺境街道だけに、ラッサーリまでであれば安全は保てている。

 エロマー子爵領だけは十二分に気をつけなければいけないものの、そこを避けて南北の険しい道を使えば別の道から王国の領地へ入ることは出来るのだ。


 もちろん、王都経由で現地に封じた在地貴族への根回しは済ませている。

 飢饉とまでは行かなくても、冬を越せる程度の食料を融通して現金以外の通行料とし、(よしみ)も通じているのだ。それ以上を求めるなら対価が必要になる。

 立場としては食料としての現物を握っている方が強く、さらには王族であるアスカと団長であるランヴァルドの書状が、輸送部隊に押しかけて無理難題を言う有象無象を払い()ける護符となる。


 昨年の秋から冬にかけての輸送中、そうした無体な行動を取った商会が二つと貴族が一つ、粛清に遭っているのだ。

 襲撃は撃退され、巡回していた王国軍に賊として引き渡された上で。


「まあせっかく辺境まで来たんだ。ロヴァーニや辺境がどう変わっているか自分の目で確かめて、しばらくぶりに『息子』と話し合うことも大事だと思うぜ?

 国王陛下としては姫さんのことを第一に考えて親書を寄越しているんだろうが」


 道中で戦闘らしい戦闘も起きなかったため、(なま)っている若手の団員たちに稽古をつけるつもりなのだろう。短めの槍を片手で振り回しながらシルヴェステルの隣を離れたスヴェンが背中を向けている。


 少し離れたところでは角犀馬(サルヴィヘスト)とレィマが薄っすらと湯気を上げる水溜まりに誘導され、半裸になった若い団員に全身を擦られていた。

 水場の端には若い魔術師が数名いて、水と炎を操って大量の湯を作り、汚れた水を外に出して土やゴミを濾し取っている。綺麗にされた水は再び湯に変えられ、水溜まりへと戻されていくのだ。


 この毎日の水浴びこそ、辺境出身の傭兵団、とりわけ赤獅子の槍(レイオーネ・ケイハス)の騎獣が毛並みも良く身綺麗と言われる理由である。

 ハルキン兄弟団と暁の鷹も最近は魔術師たちを同道させ、交易の警備をさせながら魔術と制御の訓練をさせていると聞いた。


「――今の王国の魔術師では到底敵わんな」


 風で崩れた白髪を戻すように掻き上げると、反対側に視線が向く。


 川へと続く排水溝に詰まった土やゴミも取り除かれて焼却され、穴を掘って騎獣や家畜の排泄物と一緒に捨てられる。刈った草や煮炊きの灰、どうしても残った野菜くずなども埋められて、数年後には肥料になるらしい。

 貴族や軍人としての生活しか知らないシルヴェステルにとって、それらの知識は驚きでしかなかった。




「驚かれましたか?」


 静かに背後から声をかけてきたのはユリアナだった。

 一時はランヴァルドの嫁として期待され、彼が王国を出奔して行方不明になってからは常に自分の娘同様に案じてきた少女である。いや、既に成人し貴族としての都合で嫁がされ、名目上の夫だった男と死別して戻った今では少女扱いするのは失礼か。


「驚いたと言うよりも、訳が分からんと言った方が良いな。それにしても、無事なようで安心した。辺境へ送り出した私が言うのもなんだが、元気そうだな」


 自然と顔の強張りが解ける。


「ご無沙汰しております、シルヴェステル様。あのまま王都に残っていたら、私もそう思っていたかも知れません。けれどもロヴァーニで姫様と出会って仕えることが出来、様々な教えを受けて変われたのですから感謝しかありませんわ」


 ユリアナが軽く頭を下げ、義父になっていたかも知れないシルヴェステルと正面から向き合う。いや、血縁がなくとも近所に住み、幼い頃から交流があった彼は遠くに住む親族よりもよほど親族らしい。

 そして婚家から出戻り、王都に戻ってからも居場所を無くしかけていたユリアナの恩人でもある。


「街道をここまで来れば、あと数日でロヴァーニの統治が及ぶところまで辿り着きます。私がこの地で何を見て何を教わってきたか、何が王国と違い変わっているのか、ご自分の目で確かめていただいた方がよろしいかと存じますわ。

 姫様も『正式な親書を持って訪問した使者には相応に対応します』と仰っておられましたので」


「それは助かる。ランヴァルドから送られてくる手紙だけでは分かりづらい内容もあったのでな。何より陛下がリージュールの姫様を案じておられた。

 浮船もなくリージュールの王族が見えられるなど、普通では考えられん」


「こちらの大陸には海路から入られ、陸路で辺境に入ったとしか。詳しくは傭兵団の者が調査を続けていますので、ロヴァーニの団本部でお尋ね下さい。

 それと姫様から、今夜の夕食にお招きするよう言付かっております」


「――承知した。ありがたくお受けします、とお伝えいただきたい」


 答えを聞いてにこりと微笑んだユリアナがそのまま無言で一礼した。


 宗主国リージュールの王族の招待ともなれば、他国に仕えていようとも優先度は最上位になる。立場だけならば自国の王よりも上位に存在するのだ。

 およそ知られうる限りの国の名を並べても、リージュール魔法王国に比肩する国などありはしない。


 それにまだライヒアラ王国には入って来ていない香辛料や食材など、傭兵団と同行したこの数日の食事だけ見ても辺境の食事は興味深く、また香りや舌、目も楽しませてくれる。

 期待を抱きながら、シルヴェステルもまた慣れない旅に四苦八苦する令嬢たちや使用人を助けるべく、少し離れた天幕へと歩き出した。








 ラッサーリを発ってから三日も過ぎれば、辺境街道はロヴァーニまでの道程(みちのり)の半ば以上を踏破したことになる。

 以前は道の悪さから徒歩で十日前後かかっていたが、砕石や切り出した石を敷き詰めた道を整備し、客車や荷車の車輪・車軸周りの改良を行ったことで旅程は確実に三日から四日程度短縮されていた。


 現在もロヴァーニに近い街道から北の鉱山の石を切り出しては石畳に加工し、移住者や貧困者向けの公共事業として街道の敷設・整備を進めている。

 関わる人数や町の予算も影響しているのか、今年の秋の終わり頃には辺境街道の半分ほどまで到達しそうな勢いだ。周辺の集落が出資することになれば、来年以降は協力してくれる集落への分岐路の整備にも着手できるだろう。


 開発の場所や順番などについてロヴァーニの町と傭兵団で作る協議会に丸投げしている状況で、アスカ自身は関与していない。

 町と集落の利害関係の調整にはタッチせずとも、アスカの手元に集まる利権や資金は膨大である。特に魔術や錬金術の教授料、それらを用いた製品の利権、食事や薬品のレシピ、服飾・装飾品のデザイン案など、関わっていないものを探す方が難しい。

 それらの収入と権利の管理は赤獅子の槍(レイオーネ・ケイハス)と直営商会に一任しているが、六割ほどが町と街道への投資に費やされていた。



「――では当面は辺境の整備をされるのですか?」


「ええ、ロヴァーニと(わたくし)たちに協力的な集落を優先していくつもりですが。

 ラッサーリまでの辺境街道はロヴァーニの傭兵団や商会、商人にとって交易や生活、護衛の仕事のために無くてはならないものです。エロマー子爵領へ向かう道は当面整備を見合わせるとのことでしたが、代わりにラッサーリから南北へ伸びる街道を優先して整備することになるでしょう」


 夕食後のお茶(テノ)の席でラウナ、レイラ、アネルマの三人と話していたアスカが彼女たちの問いに答える。


 殿方たち、というかスヴェンが誘ったシルヴェステルとトルスティたちは、不寝番を除き酒杯を傾けていた。ラッサーリへの交代要員と物資を積んだ輸送隊が宿泊地に居合わせたので、余剰の酒樽を一つ購入したらしい。

 比較的安全とは言えども町や集落ではないので、深酒はしないだろうが。


「昨年の暮れ頃から辺境に移り住む者たちが増えているようです。ロヴァーニの協議会に文官を組織させて戸籍を作らせていましたが、冬の時点で昨年春から夏までの時点より倍ほどに増えていました。

 私は(おもむ)いたことはないので聞いた情報ですが、エロマー領の民の状況がかなり酷いようですね。貴族としての責務を果たしていないとも聞き及びます」


 エルサやクァトリ、レーアに視線を向けると、彼女たちが力強く頷く。

 特にレーアは絶望と悲嘆、死にたくないという思いを抱えて辺境にやってきた。出身地で苛政(かせい)の限りを尽くすエロマー子爵家を許せない気持ちは誰よりも強い。

 ユリアナたちも辺境へやってくる旅路で実際に目にしており、主への批難や(たしな)めの気持ちは一切無いように見受けられる。


「ライヒアラ王国の版図とは切り離された土地ですから、リージュールの名の(もと)に開発を進めています。ラッサーリから西側の宿営地は来年の秋頃までに付近の整備と入植を行い、再来年には宿場町として運用を始めたいと考えています。

 辺境街道を移動する者たちが利用すれば、夜間の安全はもちろん辺境各地の流通にも役立つでしょう。倉庫なども建てれば商家の利用も進むでしょうし」


「王国西側の貴族家が変な欲を出さないと良いのですが……」


「そうね。エロマー子爵は王都でもあまり評判が良くないですし――いえ、先代からの代替わり以降の評判が高くないというのが実際の噂ですけれど。

 先代の手腕は素晴らしかったと年配の方々からは聞きますが、当代は眉を(ひそ)めるような行動と噂しか聞き覚えていませんわ」


「それほどでしたか。こちらには逃げてきた民が多く流れてくるので、協議会で集められた話の抜粋は目にしていますが」


「王宮での話はアリッサ様から少しお聞きするくらいですが、社交界ではよく聞きました。私たちの母くらいの世代や学院の数年先輩辺りまでは醜聞の一つとして、殿方の社交の場では真似たくない教訓として話されていると」


 領地経営する貴族にとって当代のエロマー子爵は反面教師の見本なのだろう。


 人間は民草(たみくさ)などと呼ばれるように自然発生的に増えたりはしないし、圧政や苛政で民に当たれば逃げられることもある。

 民が逃げれば食料を生産する者、生活に必要な品を作る者、商いをする者がいなくなり、やがて逃げ出した者たちから伝わる話で人が寄り付かなくなる。

 人がいなくなれば税収は下がり、いずれ家臣から寄親や国政の中心部へと内情が伝わるのだ。為政者として不適格となれば国から失格の烙印を押され、二度と特権階級へ復帰することは叶わなくなる。


「私は直接会ったことはありませんが、昨年の秋頃に貴族学院時代の同級生や親族の文官が王国西方の貴族領を査察していたと冬の社交の折りに聞きました。

 第三王女のイリーナ様と王太子妃のアリッサ様から、王城内で不適格者と見做された者への取り調べと粛清が行われているとも」


「貴女たちは王城へはよく上がるのですか?」


 かなり具体的な話が上がってきたため、アスカは気になって会話の途切れたわずかな隙に言葉を挟む。ラッサーリからの道中、ユリアナたち側仕えからは彼女たちの出自が『下級貴族の娘だ』と聞いているし、南方街道で出会った時の自己紹介でも男爵家や騎士爵家であると名乗っていたはずだ。


 普通、王城に上がるのは国政でも相応の役職者や軍の関係者、あるいは高位貴族が中心になる。社交の時期には上から下まで集まる機会も増えようが、それにしてはかなり具体的ではっきりした内容を下級貴族の娘が知っているのだ。

 下級貴族の娘であれば、普通はそこまでの情報を得られるはずがない。


 その疑問については、代表して話していたラウナがすぐに晴らしてくれる。


「実は社交の日程が数日空いたところで、イリーナ様がアリッサ様のご実家であるシネルヴォ伯爵家を共にご訪問されました。私たち三人は当日、前シネルヴォ伯様からロヴァーニ訪問のため打ち合わせに呼ばれておりまして、伯爵邸に戻られたお二人と学院卒業以来久しぶりにお会いした、という筋書きです」


「卒業生の偶然の再会、という名目で会談したのですね」


「はい。王城の内情、粛清の状況などは前シネルヴォ伯に詳しい説明があったようで、私たちが聞いたのは主だった佞臣(ねいしん)の名前だけですが。

 ロヴァーニ到着後、外交参事から書状でお伝えすることになると思います」


「そうでしたか。ライヒアラについてはこちらも把握していないこともありますので、報告を待ちましょう。それにしても――ラッサーリの峠道はすぐ封鎖できるように準備した方がいいかしら?」


 現状は難民、というかエロマーを始めとする王国の貴族領を逃げ出した者たちが辺境へ向かう最短ルートは、ラッサーリの町を経由するルートになる。

 ラッサーリからロヴァーニまでは、途中に細かな分岐はあれどほぼ一本道だ。


 一般に辺境街道と呼ばれるものは東端の集落であるラッサーリ郊外から北に分岐する細い道と、荒野を真っ直ぐ進みエロマー子爵領を抜けて王都に向かう道の二つに分かれる。北へ向かう道も徒歩三日ほどの場所で北と東へ分岐しているのだ。

 そして西側の終端にあるのがロヴァーニになる。

 正確にはさらに西の森を抜けて『砂の海』と呼ばれる場所とその近辺に住む少数民族の集落があるらしいけれど、あまり積極的な交流は持ちたがらないらしい。


「王都を出る際は、王国西部の治安が乱れているらしいということで南部直轄地のペルキオマキを通る道から辺境に入りましたが――姫様が居られるロヴァーニと王国西方の貴族領は争いになってしまうのでしょうか?」


 ラッサーリとの峠道を封鎖するという言葉に反応したのか、大人しくテノを飲んでいたアネルマが口を開く。

 貴族学院では領地の内政や防衛戦略を学ぶ講義もあるらしいけれど、どちらかと言えば男性向けの事例研究が中心で、花嫁修業や社交の練習が中心だった女性向けとは言えないようだ。

 その辺りの違いはアスカが傭兵団の施設内で行う講義の内容をまとめている際、ランヴァルドとユリアナに確認している。


「まだ争いになるかどうかは分かりません。こちらにその意志がなくても、例えばエロマーのように欲深い者が努力して実りを得ている辺境から奪おうとすれば争いになるでしょう。それは王国内でも同じはず。

 (ねた)みや(そね)み、自分と他者の貧富の差、力の優劣が争いの主な原因です。

 無いものを我慢したり頭を下げて融通してもらうならばまだしも、武力を持って相手から奪おうとするなら、それ以上の力を持つ存在が現れれば自らが滅ぼされる原因にもなりますから」


 ネリアが()れてくれたテノが、夕闇に白く細い湯気を立てている。


 それを眺めながら、アスカとして習ったもの、男性の飛鳥として見て習った歴史というものを思い返す。教科書で習ったもの、新聞やニュースで見たもの、旅の最中(さなか)で実際に目にしてきた出来事。

 繰り返された争いの中ではっきりと言えるのは、ごく一部の愚か者に振り回される大多数の民の迷惑と、後始末の面倒さだ。


 特に事態をどう収めるか、それを考えずに兵を()げる者が多い。


「正直なところ、争いになったとしてもロヴァーニを始めとする辺境とエロマー子爵の領軍・私兵程度であれば、戦力だけなら辺境側が圧倒するでしょうね。

 傭兵団のうち戦える人員の総数と魔術師の人数、(わたくし)がこの半年ほどで教えた魔術師たちの質と練度、ロヴァーニを中心とした食料生産と備蓄の差、士気の高さ。騎獣の質や数、武器と防具の充実度、移動する道路の状態や地理的な把握、情報伝達の速度と精度。

 単純な兵数であれば農民たちを徴用するエロマー領側が多く見えますが、幾度も実戦経験を積んでいる傭兵たちと比べては可哀想でしょう?

 何より、私が前線に出て魔術を使えばすぐに終わってしまいますもの」


 実際にアスカが前線に出向くことはない。味方の鼓舞や旗頭としての参加はあるかもしれないけれど、アスカが実際に戦うような状況は味方の敗戦が濃厚な状態にでもならない限りありえない。


 それにリージュールの直系王族が従属国の一貴族を直接滅ぼすような事態になれば、貴族の統制も執れなかった国による宗主国への不敬があったと見()され、ライヒアラ王国自体が揺らぎかねない。

 精霊が実在し、魔素と精霊の働きによって成り立つ世界の盟主たるリージュールに逆らうなど、他国に対して一斉に介入と攻撃の口実を与えてしまう。


 ライヒアラ王国の近傍(きんぼう)だけでも四つほどの国があったはずだけれど、それらが一斉に牙を剥くとなれば安穏(あんのん)としてはいられなくなる。


 戦争は政治の延長の一形態、というのは飛鳥のいた世界で言われてきたことだ。

 確か西洋近世の軍人がまとめた戦争に関する論文で、前世で読んだことはほとんど無いけれど、高等部に上がったばかりの頃に同級生が傾倒していた覚えがある。

 その中には「戦争は終わらせ方こそが難しい」という意味の一文もあったはず。


 ロヴァーニとエロマー領の間だけで言えば、地方の紛争にも満たない規模だ。

 兵数で言えばせいぜい六百人対一千人ほどの争いだろうが、ここに魔術が絡めばロヴァーニの方が五倍から八倍ほどの戦力を保有することになる。


 戦力規模の乖離(かいり)は魔術師個々人の経験や力量の差だ。

 アスカが全力を振るうなら、ライヒアラ王国の西部に巨大な更地が出来上がる。


 さすがにそこまでする気はないため、従来の戦い方プラスアルファくらいのやり方で事を収めることになるのだろう。

 ただし、争いの原因を作ったエロマー子爵が全責任を負う形で。


「峠を一つ閉ざしたところで、春先に送り出した商隊は既にエロマー領を抜けて王都に向かっています。街道をラッサーリから北に向かった商隊もありますし、これから南方街道を経由して交易を行う商会も増えるでしょう。

 まあ、辺境に収奪目的でやってきたらしい王子の振る舞いから王都との交易を見直すことを視野に入れても構いませんが――ランヴァルド様の父君の反応や貴女たちの様子を見る限り、王国全体の意思というわけでもなさそうです。

 争いや(いくさ)は終わり方、終わらせ方が大事なのです。始めるのはひどく簡単でつまらぬ理由を元に始まってしまいますが、どうやって双方が納得するよう収めるかこそが重要なのですから。

 金銭での賠償か領土の割譲か、争いを起こした者の処罰や生死。あるいはいくつもの要素が複合して課される場合もあるでしょうね。因縁や人の感情というものもありますので、簡単にまとまるものでもありません」


 そろそろ出回る時期が終わりかけているムィアを咀嚼(そしゃく)しながら、ゆっくりとテノの入ったカップを傾けて喉を潤す。


 災害を経験したことはあっても実際に戦争を体験したことはないため、口にした言葉も所詮は人伝(ひとづて)に聞いたり習った範囲での知識でしかない。

 アスカ姫としての知識と人生を足しても、シルヴェステルの半分ほどなのだ。

 王族としての権威はあれど、出来ること、出来ないことの乖離は大きい。


「私に出来るのは犠牲がなるべく少なくなるように願うことくらいです。争いが避けられないのは傭兵団の調べで分かっています。ですので、可能な限り短期間で、略奪を行おうとした者たちの行動を押し留め、辺境に有利な条件で講和するのが当面の方針でしょうね」


 もっとも「その条件を先方が飲めば」という言葉が裏にはある。

 ラウナたち三人もそれは理解したようだ。


「さて、あまり遅くならないうちに湯浴みを済ませて寝ることにしましょう。明日も日の出からそう遅くならないうちに宿場を()ちませんと」


「二つ隣の天幕に用意してございます。人数の都合で側仕えの半分とラウナたちも一緒に使わせていただくことになりますが……」


「構いません。それと輸送隊の護衛にも何人か女性の傭兵がいたでしょう? 不寝番に加わっているか分かりませんが、彼女たちにも使わせてあげてください。

 男性の方はまだ仕事をしている方もいますし、副長たちはお酒を召し上がっているようですから順番に。パウラたちは後ほどお湯で洗ってあげるつもりです」


「承知しました。殿方は人数が百人を超えるので、時間が足りなそうでしたらお湯を配ります。今回は幸いにも同行している魔術師が多いですから」


 主の言葉に首肯したユリアナが天幕入り口の布を上げ、星の見え始めた外の様子を(うかが)う。それと同時に白く小さな塊が真正面から飛び込んでくる。

 しかし「みっ! みぃっ!」と何度か短く鳴いているので、アスカ姫が可愛がっている妖精猫(ケイユ・キッサ)だということは直感的に理解できた。


 使い魔(ヴェカント)との契約を結んでいるアスカなら、「どいてどいてー!」と叫びながら飛んできたのが分かっただろう。


 咄嗟に身体を捻って布を上げたままにし、入り口を大きく確保する。

 その後ろからもう一つ、少々細長い影が間髪入れずに飛び込んできた。


 二つの塊は天幕の天井付近で二回ほど大きな円を描くと、夕食後のお茶が終わったテーブル上にかすかな音を立てて舞い降りる。

 後から入ってきたのはランヴァルドの使い魔、空飛蛇(タイヴァスカルメ)のペテリウスだ。テーブル上へ降りると同時にルミの隣で小さくとぐろを巻き、小さな青い瞳を瞬かせて一礼する。契約主に似て礼儀正しいようだ。


「あら、こんばんは。ランヴァルド様のお使いかしら、ペテリウス?」


 アスカが声をかけ指先で頭を撫でると、気持ちよさそうに鱗を押し付けてくる。

 つるつると滑らかな鱗は磁器のような艶があって、天幕の(はり)から吊るした魔術ランプの灯りをきらきらと反射していた。


 ルミの遊び相手をしてくれる度に女子棟でおやつを貰っていたし、傭兵団の本部に湯殿が出来てからは毎日のように水を浴びていたようなので、栄養的にも衛生的にも充実していたせいだろう。


「女子棟ならともかく、こんな遅い時間に来るのは珍しいですね――お手紙?」


 撫でられていたペテリウスが胴体に巻かれていた筒から器用に巻かれた紙を(くわ)えて取り出し、アスカに差し出してくる。

 手紙といっても使い魔が持ってくるサイズなので、手帳サイズの紙を丸めた程度の大きさだ。それでもかなりの情報を伝えられるし、緊急時にはその情報が状況を左右することだって珍しくない。


 丸まった紙を広げたアスカは上下を確認し、簡素な挨拶で始まる手紙に素早く目を通す。そのまま五行ほどの短い手紙を三度読み返したアスカは、筒の形に戻る紙をテーブルに残して深く息を吐き、静かに瞑目(めいもく)する。


「どうされました、姫様?」


「ロヴァーニで何か事件でも起きましたか?」


 心配そうに声をかけてきたユリアナとネリア。

 他の側仕えは宿泊の準備と食事後の片付けをしているのでここにはいないが、すぐ隣の天幕にいるので声をかければすぐにこちらへ来るだろう。


「いえ――ですが、(わたくし)が昨年助けられた事件で行方不明になっていた荷物の一部が見つかったようです。ずっと探していたセヴェルの荷物が」


 彼女が生まれてから十数年、会ったこともない父や一緒に逃避行をしていた生母が幼かった頃から王家の人間を教え導き、数千年に及ぶ叡智を集めたリージュールの王宮司書長としても仕えてきた忠臣だ。

 逃避行の間、王女であるアスカの教育係を務めていた者でもある。


 そのセヴェルの荷物には王宮の図書館に収められていたような貴重な書物と共に数多の魔術具も収められていたし、アスカが愛用していた長杖(サウヴァ)や母王妃が受け継いだ宝珠(ヘルミ)、母が持っていた王妃笏(ヴァルティッカ)や護身剣などが遺品として含まれている。

 アスカの所持していた書物や魔術具、この大陸では見かけないだろう希少な素材も入っていたはずだ。森人たちの里で譲ってもらったものや各地で受け取った餞別など、回収された品には見かけなかったものが入っている可能性も高い。


 何より、セヴェルの行方不明だった鞄には幼かったアスカ自身が初めて他人のための刺繍をしたのだ。拙いものではあったが、練習していたハンカチへの刺繍に続いて二番目に手掛けたものである。

 生母である王妃には最初に刺繍したハンカチを贈っているが、鞄への刺繍は祖父のように慕っていた彼への、アスカなりの親愛と感謝の印でもあった。


「ユリアナ、明朝急いでロヴァーニへ向かうとスヴェンとシルヴェステル様にも伝えてください。ペテリウス、貴方は今夜中にランヴァルド様のところへ戻らなければいけないのかしら?」


 ルミに肉球でじゃれつかれて尻尾で相手していたペテリウスは、少し頭を傾げてからふるふると横に振る。最近、団長の使い魔は否定や肯定の仕草などが今まで以上に表現豊かになったと評判だ。

 契約主ではないのでアスカとは直接念話が出来ないけれど、仕草で伝える方法を習得したらしい。


「そう。でしたら今晩はこちらに泊まっていきなさい。朝ご飯を一緒に食べたら、団長にお返事を届けてもらえますか?」


 顎の下を指先で掻いてやると、嬉しそうに小さく口を開いて応答する。

 ご飯をもらえると聞いて喜んでいるのもあるだろう。


 普段は本部新館の厨房で作られた食事を分けてもらっているが、調理設備や材料の面では多くの調理用魔術具を揃えた女子棟にまだまだ及ばないし、旅先とはいえここにはアスカ姫とその側仕えが複数付き従っている。


 レシピや調味料の扱いに慣れた側仕えも多いので、味はこちらの方が遥かに勝るのだ。料理長のダニエも頑張っているが、大人数の食事を整え味も偏りを無くすには時間がかかる。週に数度は女子棟の厨房に習いに来ているけれど、習得と習熟は全く違うものであるし、そこは時間をかけるしかない。


「では、ランヴァルド様に明日急いで戻る事だけ今晩中に伝えてください。返事のお手紙は明日渡しますので。ルミ、ペテリウスとゆっくり遊ぶのはロヴァーニに帰ってからですよ。

 お茶も今夜はこれまでにしましょう。ラウナたちも早めに湯浴みの支度をお願いします。他の側仕えと下働きの者たちにも予定の変更を伝えてください。騎獣が疲れているようであれば、出発前に癒やしを与えますので」


 席を立ったアスカがルミを抱き上げ、ペテリウスに手を差し出す。

 身体を巻きつけるようにして肩に乗った空飛蛇は、同じく席を立って頭を下げた三人娘に向かって尻尾をゆらゆらと振り、別れの挨拶をしているようだ。

 胸に抱かれたルミもアスカの首の横から顔を出し、肉球を見せている。




 天幕を出て寝所用に用意された天幕へ入り、自身の寝室より少々硬いベッドに腰を下ろしてもう一度手紙に目を通す。

 空を飛べるルミとペテリウスは入口付近にあるテーブル上に寝床があるのを見つけ、早々にそちらへ向かった。


 あとで湯浴みに連れて行くか、お湯を持ってきて身体を拭く必要はあるだろう。

 夕食前に野営地の草叢に突っ込んで、鳥か獣と追いかけっこしていたせいで枯れ草塗れになったのだ。食事前にアスカに呼ばれてブラッシングはしているけれど、寝る前に湯浴みはさせたい。


 手紙に書かれた几帳面な文字はそのままながら、わずかに焦っていたのか字間に乱れがある。しかし内容を読んでしまえば、些細なことは気にならない。

 だが直接ユリアナに見せることも出来ないだろう。見てしまえば彼女の怒りも収まらないかもしれない。


 ランヴァルドからの手紙には次のように書かれていた。


『姫の持ち物ではないと思われますが、この大陸では見かけない皮革を使った鞄が発見されました。昨年の事件で回収され行方不明になっていた品と思われます。

 私や残っていた姫の側仕えでも蓋すら開けられないので、魔力封印されたリージュールの品と判断しました。鞄には蓋の隅に刺繍の痕があり、縁には染められた糸で飾り刺繍がされています。

 隠し持っていた者はこちらで処分しました。確認のため、早めのご帰還をお待ちしております』


 この時期恒例の確定申告作業をしてて二月中に投稿できなかった……。都内でやってた副業は二月上旬で一段落したのに、三月になっても友人が製作に関わったヤマト2205を観に行けていない。実家の父は緊急入院。本業で止まってた企画書作りも進めなきゃいけない。なんだろうこのデスマーチ。


22/09/29 誤脱等修正

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新してくれて安心しました。年内に更新すると書いたのが更新されず何かあったかと不安でしたけど無事こうして読めることを嬉しく思います。 そして、姫様の所持していた物が見つかったのはかなり物語…
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