表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女形の姫様転生記  作者: 新島 隆治
45/49

招かれし者

大変お待たせしました。ちまちま書いてはいたけど、まさか半年も投稿できなくなるとは思わなかった……。当初構想より長くなったので分割します。


 先行部隊を送り出した本隊は、十ミール(キロ)ごとに宿泊所兼休憩所の敷地を確保しながら整備された道を南へひた走る。

 その速度は騎獣の全力疾走とほぼ変わらない。

 角犀馬(サルヴィヘスト)に掛けられた強化加速(キーヒトヴィース)の魔術や、技術的にまだ(つたな)いとはいえベアリングが使われた車軸がその高速移動を支えていた。


 湿地では中央から端へわずかに傾斜をつけて排水を図り、ごく緩やかな上り下りがある程度であれば土地を隆起させたり沈下させたりして平らに(なら)されている。

 新たに作られた街道の脇には約十ミール過ぎるたびに目印の杭が打ち込まれており、騎獣や客車、荷車が走り去ると同時に縦横五十テメル(メートル)ほどの広場が道の両脇に作られていた。


 作ったのはアスカだ。個別の敷地の地盤を固めたり、敷地の水回りを整えるのは帰りで良い。それに、そこまで手を出せば帯同する魔術師の仕事を奪いかねない。

 目安だけ作っておき、整地や箱物の建築は人力に任せる予定である。


 もちろん、冬までに間に合う範囲でという限定付きではあるが。


「今の杭と宿場予定地で七つ目でしたか? このまま十ミールごとに整備していくと、辺境から持ち出す資材も数年先まで追いつきそうにないですね」


「ここから先は二十ミールごとでもよろしいのではないでしょうか。道は最低限石が敷き詰められていますし、大きな穴もなく泥濘(ぬかるみ)で客車や荷車の車輪が動かなくなるということもありません。

 ラッサーリ側の宿場整備は最優先で進めますが、南方街道周辺が荒野であることを考えたら規模を大きくして守った方が良いかも知れませんわ」


 南方街道だけでなく、辺境を東西に走る街道も現在整備中なのだ。

 再来年にようやくラッサーリまでの道のりが整備される予定で、ロンポローやナスコなどロヴァーニに対して友好的な集落へと続く脇街道の整備はさらにその先の話になる。


「そうですね――宿場の設置順の決定は協議会に任せましょう。(わたくし)たちがここで話しても決められないでしょう? 候補場所の範囲だけを大まかに決めておいて、対策や順番はお金や人員と相談してもらいましょう。

 私が出せるのは頭の中にある知識と生まれ持った魔力くらいですから」


 その魔力がおそらくはこの大陸で一番、他の大陸を含めて数えても上位数名に入るほど貴重かつ豊富なのだが、アスカは気にした様子もなく左の(まぶた)を閉じたまま地図に指を這わす。

 索敵の魔術を使用したまま角犀馬と客車が進む先、あと二十ミールほど先にもうもうと巻き上げられた土埃と黒々とした煙、魔術を使ったと(おぼ)しき細い光芒が空に向けて幾度か走っている。


 それなりの魔力量を誇る者が使っているのだろう。

 一つは炎らしき明るい赤、もう一つは薄黄色の光線――雷撃の魔術だろうか。

 自然現象の雷のように放電で枝分かれした形状ではなく、光が一直線に走っているのは魔術師のイメージに従っているからだ。


 アスカが使うと薄紫色から白銀色の稲光になり、一直線に進むか途中で放電を起こして進行方向の敵を薙ぎ倒すか選ぶことができる。

 魔術講義や自然現象の講義で教えを受けた魔術師たちも、まだ射程は短いが二種類の雷撃を扱えるようになっていた。しかし雷を球や弾丸状にして撃ち出すには、さらに研鑽を積まなければならないだろう。


 その光が御者台に座っているスヴェンたちにも見えたのだろう、客車の外や角犀馬のスピードがさらに上がっている。

 資材や食材を載せて追随する荷車はこのまま徐々に速度を落として進ませ、スヴェンたち傭兵とアスカの客車は逆に速度を上げて街道の先へ向かう。


「お前らには角犀馬(サルヴィヘスト)を三頭護衛に付けるから、周囲を警戒しながら積んだ資材を護って追ってこい! 俺たちは姫さんを護って先に向かう!」


「姫様が危険じゃないですか、副長?!」


「さっき、この先で魔術が使われてる光を見ただろ?! 敵なのか旅人が自衛目的で使ったのか分からねぇが、魔術の専門家を連れてった方が対処がしやすい!」


「普通の旅人は大規模魔術なんか使えませんって! 護衛にしても傭兵で魔術を使えるのなんてごく一部でしょう!?」


「じゃあ貴族かもしんねえだろ! どっちにしろ姫さんの教えを受けた連中でもなきゃ、魔術が使えても数発も撃てば魔力が空になっちまうだろうが!」


 魔力切れはつまり「自衛の有効な手段を失う」ということだ。

 騎士や魔術師、貴族など、魔力を持った者が魔力切れになれば最悪気を失ったり昏倒して戦力にならなくなってしまう。

 もちろん自然回復はするが、再び戦力となるまで相応の時間が必要になる。


 リージュール魔法王国は効率の良い魔術運用や魔術行使の方法を研究し伝えてきたが、各大陸を巡回している浮船に乗っていたのは王位継承権の末端に位置する者や技術者・知識人の一部で、主流派よりは非主流派や派閥の外にいた者が多い。

 つまり、浮船に乗っていた者によって伝えられた知識がリージュール本来の持つ知識と大きくかけ離れている可能性が否定できないのである。


 そしてその懸念は、現在内弟子となっているアニエラやハンネたちの当初の訓練からも容易に推察された。魔力運用一つ取っても、リージュール魔法王国が各国で教えてきたことと大きく食い違っていたのだから。

 自身の魔力を触媒にして自然界に遍在(へんざい)する魔力を運用するのは、リージュールでは初等教育どころか、貴族階級ならば幼児の頃から親に習う基礎中の基礎である。


「ユリアナ、外の議論は後にしてもらって。魔術が使われた現場の様子が気になります。クァトリ、窓を開けて副長に先を急ぐよう伝えてください」


「承知しました」


 まだ多少風は冷たいが、昼間ならば温められた空気が草原を覆っている。

 未だ見えない先の状況を知るため、索敵の魔術を行使しながら同時に街道を整えるという器用な真似をしつつ、アスカたち一行は新しい南方街道を走り抜けた。








 灌木(かんぼく)と枯れ草、ところどころ濃い緑が混じった荒れ地には、年に数度だけ通る旅人や商隊の荷車が残す(わだち)跡だけが道の痕跡を残している。

 そこが数十テメル先まで唐突に姿を変え、砕石を敷き詰めたものへと変わった。


「見えてきたぜ。あれは――レィマにしちゃでか過ぎねぇか?!」


 文字通り小山のような、家で言えば三階建てほどの高さの位置に黒々とした目とスヴェンですら一呑みにされそうな口が開き、威嚇(いかく)の声を上げながら背後にいる象ほどの大きさのレィマを(かば)っている。

 飛鳥の記憶にある小型自動車ほどの足裏を荒れ地に叩きつけ、硬い柄の槍をまるで爪楊枝のように()し折り、剣や盾を持った護衛を蹴散らしていた。


 十テメルほど蹴り飛ばされても何とか立ち上がれているから、一応加減はされているのだろう。あの太さの脚で本気の蹴りを放てば、人間なら簡単に内臓を破裂させるか衝撃で圧死する。

 まだそうなっていないだけで、対応次第では悲劇が起きかねないのだが。


「とりあえず双方を引き剥がすか。ニーロ、オット、タネリ、お前たちは左手から迂回して回り込め。ヨハニ、クスター、エスコは右手からだ。

 マルックとトゥーレ、ヴェルネリは俺と一緒に姫さんの客車の護衛をしつつ正面から当たるぞ。トゥーレは客車の最後尾に付け。状況次第だが、置いてきた連中への連絡を任せることもありうるからな」


 指示を出された者たちが即座に騎獣と共に動きを変え、荒野を駆ける。

 客車の前を疾駆(しっく)する角犀馬(サルヴィヘスト)が脚を下ろすより早く出来上がっていく石畳の道から外れ、やや背が高くなった木々の合間に姿を隠しながら前方の騒ぎを迂回して左右から囲み、巨大なレィマと人の分断を図るのだろう。


「姫さんの客車はこのまま速度を落として、先行した連中が動きを分断したところで障壁を張ってもらえると助かる。レィマは群れてはいるが本来草食で大人しい奴らだし、興奮さえしていなければ危険も少ねぇ。

 でけぇ図体(ずうたい)に驚いて魔術を使っちまってるようだが、分断して引き剥がせば――子供や雌が傷ついていなければ容易(たやす)く逃げられるはずだ」


「子供や雌が傷ついていたら……?」


 十分考えられる未来図にユリアナが声を上げると、数秒考え込んだスヴェンが騎獣の手綱を緩めることなく答えた。


「あまり考えたくねぇが……死にものぐるいになって襲ってくる可能性はあるな。そういう時は群れの雄が一斉に激しい足踏みアスト・エテーンパインをするから事前に分かる」


「では少し速度を落として近づきましょう。レーア、角犀馬の手綱は頼みますね。それと前方の集団の姿が見えたら、障壁と一緒に静寂(ヒリアイソース)鎮静化(セダーティオ)の魔術を使って双方の頭を冷やさせましょうか」


 晶石や触媒などの素材が揃っていないため試作の粋を出ないが、十分実用に耐えうる短杖(ワンド)を膝の上に置く。

 短杖とはいえ、大国の王女の持ち物として恥ずかしくないように小さな宝石や晶石、銀を始めとした貴金属で装飾が施されている。


 アスカ姫が教わった記憶の中にある魔法金属などがあればもう少し威力も高められたのだろうが、基になる金属や変質させるための触媒が足りないため今は創り出せない。手順も一度は経験しているのだが、細かな部分はじいや――教育係だったセヴェルの蔵書に載っている。

 彼の遺品たる蔵書が持ち物の鞄と共に行方が知れない今、無いものを求めても仕方がないのだ。


 豊かな双丘の上に手のひらをそっと添えて、二度、三度と深呼吸を繰り返す。


 角犀馬と客車が走る道を作りながら周囲の索敵を行い、さらに双方を落ち着かせるための魔術を二つ行使する。普通の魔術師であれば困難を極めるが、アスカ姫は魔法王国の直系王族の一人である。

 複数の魔術を同時に行使するための(すべ)は当然教育の中に盛り込まれていたし、侍女や騎士にも二つや三つ程度なら同時行使する者もいた。


 今のアスカも、単純な魔術の行使であれば最大で五つまで同時に制御できる。

 継続して術を維持しながら制御するのが強化加速(キーヒトヴィース)と道の敷設だけになるので、負担はそれほど増えるわけではない。ある程度目視が必要になるので、その確認のために前方を見る必要があるだけだ。

 障壁も静寂も鎮静化も、一度範囲を決めて放ってしまえば終わりなのだから。


「――ユリアナ、客車の窓を開けてください。エルサは私が倒れないよう身体を支えていて。ハンネは反対の窓から周囲を警戒、ライラとマイサはハンネが落ちないようにしっかりと支えて」


「姫様、私は?!」


「ユリアナはエルサと一緒に私を支えて。前方は御者を務めるレーアに任せますから、ネリアは後方の窓を。三つ数えたら発動しますよ」


 右手に持った短杖を窓の外に出し、次いで上半身を窓の外に出す。

 風を受けて長い銀髪が乱れ勢いよく後方に流されるが、気にしている暇はない。


(コルメ)!」


 アスカの腰を左右から抱くように、エルサとユリアナがしっかりと保持する。

 反対側の窓では指名されたハンネが同じように身を乗り出し、素早く客車の前後を見渡していた。前方は御者とレーアが、後方の窓にはネリアとリスティナが分担して視線を向けている。


(カクシ)!」


 道を作ると同時に左右の邪魔な木々や灌木が弾き飛ばされ、巻き上がる土埃(つちぼこり)や枝葉の破片が押し退()けられていく。

 魔術で強化加速された角犀馬と客車は、その合間に出来上がった見通しの良い空間をほぼ全速力で駆け抜けている。


(ユクシ)!」


 走りながらでもよく響くアスカの声に、ハンネの握る短杖の先端が震えた。

 主を抱き留めるエルサとユリアナの手にも思わず力が籠もり、客車の前後左右を随伴する団員たちの表情にも強張りが見える。


 戦闘行為が一切絡まない工事や加工であれば、精緻極まりない魔術の行使を見た経験はある。発動の速度も範囲も申し分なく、結果も一般的な魔術師の数段上を行く。

 しかし、団員の誰もが訓練ではない準戦闘行為と言える状況でのアスカ姫の魔術行使に立ち会うのは初めてなのだ。


(ノッラ)、行きます!」


 アスカの声と共に、頭上に構えていた右手の短杖が鋭く振り下ろされる。

 同時に短い単語による詠唱の三重奏(トリーオ)が流れ、周囲の魔素を竜巻のように集めながら前方の広場らしき場所で争っていた者たちへの元へと殺到した。


 前方から聞こえていた激しい剣戟の音や雄叫びが一瞬で消失し、大地を揺らしていた振動と荒々しい呼吸も消え去っている。

 加えて両者の争いの足下に一瞬で道が出来上がったためか、驚きで双方の動きの一切が止まってしまったようだ。


 否、全速力で突進してくる角犀馬十数頭と客車の隊列に驚いて動きを止めた、というのが事実に近いだろうか。

 体重が成人男性の十数倍にもなる角犀馬が全力で突進してくれば、大怪我どころか即死を免れない。争っていた集団のうち剣や槍を握っていた者は、転がるようにしてその場を離れている。


「鎮まれぇっ! 客車右側の団員はレィマ側の牽制をしろ! 左手の団員は負傷者の把握と状況確認だ!

 ハンネとエルサ、クァトリ、レーアは客車の警護を続けろ!」


 鋭く叫ぶスヴェンの声が辺りに響き渡り、野盗ではないらしいと判断した者たちから一瞬緊張が抜ける。だが彼らの剣尖(けんせん)がわずかに下がった瞬間、彼の怒鳴り声が再び響いた。


「護衛対象がいて安全が確認取れてねぇのに、勝手に判断して剣尖を下げるな! まだお前らが争ってたレィマが健在だし、俺たちが誰かも判ってねぇ状況で武器を下げたら護衛対象が害される可能性もあるんだぞ!」


 ビリビリと空気を震わせる声に、護衛たちが萎縮しているようだ。

 だが赤獅子の槍(レイオーネ・ケイハス)の団員たちは慣れているのか、割り当てられた役割に応じて騎獣の位置を変え、巨大なレィマと客車の間に肉の壁を作り出している。


 それにしても大きい。ラッサーリで聞いていたレィマの大きさと比較しても、ゆうに三倍はあるのではないだろうか。

 背の一番高いところは木々の間から飛び出して見えるし、緩く弧を描いて頭の両脇へと伸びた角はユリアナの背丈と同じくらい長そうだ。

 遠目にも分かる鋭い螺旋状の先端に突き刺されたら、分厚く硬い革鎧でもなければ背中まで突き通してしまうだろう。


「お前ら、こちらからは手を出すな! レーアは客車をラッサーリ側に方向転換、騎獣は牽制の態勢を絶対に解くな!」


 スヴェンの指示が矢継ぎ早に飛ぶ中、肩に真っ白な毛玉(ルミ)を乗せたアスカは、自分の腰にしがみついていたエルサとユリアナの肩をポンポンと叩いて開放してもらうと同時に窓へと足をかける。

 行儀は悪かろうが、今は非常時だ。


 身体を乗り出すと同時に客車の上部にある荷物落下防止用の手すりに手をかけ、瞬間的に体重の軽減と腕力の強化を行って身を翻し、天板の上に立つ。

 天幕が二張(ふたはり)と遠征用の改良保存食などを入れた防水箱が載せられているだけのそこは、アスカ一人が立つくらいなら十分な余裕がある。


 足元でユリアナが悲鳴を上げているけれど、優先順位は巨大なレィマの方だ。


 姫としての記憶にある微かな知識では、通常よりも遥かに大きな体躯(たいく)の持ち主は種族の長や魔獣化・聖獣化などの変容を遂げていることがある。

 さすがに神獣にまでは届いていないだろうが、もし魔獣であれば常態的に人や動物に危害を加える可能性があった。


 幸い、今は障壁魔術と静寂(ヒリアイソース)鎮静化(セダーティオ)の効果が発揮されているのか首を(めぐ)らしながら足元にいる小さな――近寄れば十分巨体ではあるのだが――レィマを気にしつつ、興味深げな蒼黒い瞳をこちらに向けている。

 遠くから見た時は単純な黒色に見えたが、近寄ってよく見れば色が違う。


「大きな身体のレィマよ、聞こえますか?」


 この大陸だけでなく、この世界で生きる人々が公用語としているリージュールの言葉で話しかけ、続いて全く同じ内容を魔術に使われる言語や山森人の言葉、精霊たちに語りかける言葉で語りかけた。

 反応があったのは精霊の言葉だ。


 魔法王国の国政を担いながらも本質的には祭祀(さいし)一族といえる代々の王家が伝えてきた、秘匿されてきた知識。アスカ姫も王妃であった母や教育係のセヴェルから教わっており、少々使っていない期間があったとしても問題なく口にできる。


『小さきものよ。されど精霊の加護を強く秘めしものよ。何用か?』


 ややしわがれた、しかし穏やかな雰囲気の老人のような声で返答が脳裏に返ってくる。目の前の巨体が敵意を持ってこちらに近づけばひとたまりもないことを十分留意して、アスカは言葉を続けた。


『我らと同じ人族の者と争っているように感じられたため、双方に被害を出したくない第三者として障壁と鎮静化の魔術を使わせていただきました。

 レィマは草原に生きるものの中でも穏やかな気質を持つと伝え聞いております。もし話し合いで解決が可能なのでしたら、その落とし所について協議させていただきたいのです』


 巨体を見上げながらも、圧迫感から背中にはじっとりと汗が感じられる。

 客車の中へ戻る前に身だしなみを整え直す必要があるかもしれない。


『協議――そうさの、そなたらとは別のものたちが我が子らに危害を加えねば特に構わぬ。この草原は我らの生きる大地の一部であり、通り道であり餌場。

 通るための道を通す程度なら構わぬが、血を分けたものたちが無為に命を散らされそうになるのは見過ごせぬ。覚悟を持って戦って散るならば()むを得ぬが』


(わたくし)たちも通り道と、疲れて休む場を設ける以外に荒らしたりするつもりはありません。生きる糧を得るために畑や牧草地などを作ることはあっても、レィマやヴィリシ、カァナ、トーレなどは共存すべき相手ですから』


『餌を食べ、時として自らも食べられる関係もまた自然の営みなればさもあらん。この身も今の姿になるまでの永い年月、そのようにしてきた。この草原で生きる我らの同族を無為に殺して回るのでないと約せるのならば許さなくもない』


 強い魔素の波のような圧力を正面から感じた。

 大半は障壁で防がれているが、それでも客車を反転させているレーアや窓から身を乗り出しているハンネ、木々との間に騎獣を進めている団員達がわずかに苦悶の表情を浮かべている。


 事態の経緯は聞き(ただ)すまで分からないが、おそらくは南方からやってきた者たちの護衛が先に手を出してしまったのだろう。

 わずかに鉄臭い空気が漂っているから、双方に怪我人が出ているかもしれない。


『あなた方の同胞を、生命の維持のために必要な最低限の犠牲以外出ないように通告をすることはできます。もちろん、人の側が約を破ってさらなる危害を加えられそうな時、自衛のためあなた方が反撃するのは当然の権利かと。

 棲み家として立ち入られたくない場所があれば、(あらかじ)め知ることでその場所を避けることもできるでしょう。私たちが通ってきた道が荒れ地や湿原を貫いて走っていますので、将来的にも立ち入る場所もその近辺だけになるはずです』


 アスカ自身も言葉に魔素を乗せ、巨大なレィマへと向ける。

 向ける方向が目の前の巨大な一頭のレィマだけであるため、他の小柄な――角犀馬の成獣とほぼ変わらない大きさだが――レィマたちに影響は及ばない。


 それでも魔法王国直系の王女が放つ魔力は強大で、三、四階建てに匹敵するだろう位置にあった頭がゆらりと左右に揺れた。


『――良かろう。意図して互いを滅ぼし尽くすのでなければ約として受け入れる。我らは大地と共に生き、大地へと還るもの。無為に死すのでなければ構わぬ。

 名を告げよ、小さきものよ。我が名はブールス、この辺りの荒れ地と草原に生き同胞を守るものだ』


 頭の位置を低くして障壁の向こう側から見つめる瞳には知性の光が見える。

 永い年月と言ったのがどれくらいかは分かりかねるが、少なくとも数十年程度ではない。おそらくは百年単位の時間の積み重ねなのだろう。

 普通の動物がそこまで長く生きられるはずもないため、魔獣化もしくは聖獣化しているか、精霊に近い存在になりつつあるはずだ。


 アスカは蒼黒い巨大な瞳を見つめ返しながら静かに唇を開く。


『私の名はアスカ・リージュール・イヴ・エルクライン。双月を(まつ)り魔術の礎を築きし魔法王国リージュールの王女です。本来はもっと長いのですが、あなた方との契約はこの名で問題ないでしょう』


『そなたの器と魂には多少の差異を感じるが、かつての“星を祀る巫女タフティプハッカ・ネイト”の血を継ぐ末裔のようだ。良かろう』


 巨大レィマが口にした「星を祀る巫女」はよく分からないものの、リージュール王家が元々祭祀一族であったことはアスカ姫の受けた教育の記憶にもある。

 歴代の王や王妃が何らかの上位存在――おそらくは精霊――と契約をしてきたことや、年ごと、季節ごとに行った儀式などの知識も彼女は持っていた。

 もっとも、その詳細はセルジュが持っていた書物の中に記録されているのだが。


 気を取り直し、短杖(ワンド)に魔力を込めて簡単な魔法陣を宙に描く。


 魔術に()る法と約定を簡潔に書き記したそれは、傭兵団と傷を負った南方からの護衛たち、レィマの一団を取り囲むほどに広がり、輝きを放ったまま大地に染み込んでいった。

 徐々に光が収まると、レィマたちが一斉に頭を下げて(きびす)を返そうとする。


『待ってください、ブールス。私たちはここからさらに離れたロヴァーニという地で暮らしています。近くには人の手を入れた牧場や草原もあります。

 もし穏やかな暮らしを望むものがいれば、私たちと共に参りませんか? あなたたちが子に与える乳の残りを分けていただければ、それを対価に受け入れます。

 受け入れ側の準備もあるので、二十頭以内でお願いしたいですが』


 レィマの乳はイェートとは違っていると聞いた。飛鳥の記憶にあるジャージー種の牛乳に似たイェートの乳は母乳の代わりや料理に重宝されているが、風味や香りから苦手にしている者もいる。

 料理に使う前に炭の粉を詰めた長い筒へ数度通すことで匂いは多少軽減できるけれど、完全に取り除けるわけではないのだ。


 牧場で飼育を始めた羊に似たフォーアも乳を出すが、量も少なく風味もかなり青臭いので、積極的に飲みたいとは思われていない。


 新しく見つけた食材の味や特徴を知るため、ダニエ以下料理人たちと一度は口にしているが、どうしても「舌に合わない」ものもあるのだ。

 まだ味を知らないレィマの乳が「使える」ものであれば、近場で安定して手に入れられる手段を確保しておきたい。


『雨風を凌ぐ寝床と獣に襲われず安全に子供を産める場所、広い草地は用意されています。場所は飼い慣らしている最中のヴィリシやイェートと隣接することになりますが、お互いの餌場を争わないように区切っています。

 いずれは街道の近くにもそうした場所を設けていくつもりですけれど』


 この世界では普通なら「奪うもの」であっても、飛鳥のいた世界では「飼い慣らして得られるもの」もある。

 多少の労力をかける手間が増えても、戦って得るよりも容易いのなら試す価値はあるのだ。これまで見向きもされていなかった作物や動物の飼育、肥料の作成などに労力を振り向けているのも、争いへ向けていた力を振り分ける意味もある。


 この世界、アスカの生きる時代では全てが実現せずとも、後々の世に繋げられるなら意味はあるはずだ。世代を重ねることで品種改良などもできるかもしれない。


『ロヴァーニまでの移動は距離が長いので、もし着いてきてくれるなら魔術で補助します。お腹にいる子供から数えて三世代目までは確実に寝起きする場所と食べるものを用意しますわ。

 後になって草原へ戻りたいと希望するものがいれば、この辺りまで連れてきて解放するつもりです』


『……良かろう。この身はこの地から動けぬが、一族のものに意思を確認しよう。既に群れを離れた同胞には伝えられぬ故、争いになった場合に身を守るも互いの命を奪い合うも、いかようにもするが良い』


 足元の群れを睥睨(へいげい)するように見下ろしたレィマは、大きな口を開けて三度()える。精霊と意思を交わす言葉ではなかったから、おそらくは同族のものにだけ通じる会話なのだろう。

 やがて足元で逡巡していた群れから十四頭が静かに街道近くに寄ってくる。


『これを行かせよう。四頭は腹に仔がいる。障壁は解除してもらおう』


『ええ、争いが収まれば障壁に用はありませんから。こちらの者にも手出しはさせません――』


 一度言葉を区切ったアスカは、肩に乗って真っ白な毛を頬に擦り付けてくるルミを胸に抱き、魔術で落下速度を調整しながら客車の脇に降りる。

 脚が地面に着いたと同時に、伝声の魔術(アーネンシエルト)で団員たちとレィマに向かって構えたままの男たちに声を届けた。


「あちらのレィマは精霊化しているこの地の守護者のようなものです。以後、手出しをすることは許しません。そして彼らの一族から十四頭をロヴァーニの牧場へ迎え入れることになりました。

 今から障壁を消しますが、決して彼らを傷つけぬようリージュールの王女の名をもって命じます」


 言葉を聞いたスヴェンが構えていた剣を鞘に戻し、肩の高さで右手を振るう。

 その動作に合わせて警戒するように槍や剣を手にしていた団員が一斉に構えを解き、騎獣たちからも警戒するような緊張が解け、その場で軽く足踏みをしている。


「そっちの連中も聞こえたな? 護衛の隊長は武器を収めさせろ! それから一団の代表者はいい加減姿を現せ!

 ここはライヒアラ王国の版図を外れた辺境だ。王国の外では外の流儀――傭兵団とリージュールの流儀に従ってもらおうか!

 それで良いな、姫さん?」


「はい、それで構いません。攻撃する素振りを見せるようなら、レィマたちに危害が及ばないよう叩きのめしても構いませんので」


 過激だな、と呟きながら苦笑するスヴェンの背を見送ると、入れ替わりにエルサとクァトリ、ハンネとユリアナが客車の中から慌てて駆け寄ってきた。

 自分たちが助けられたのは判っていながらも、たおやかな見た目によらず無茶をする主に言いたいことが色々あるらしい。


「言いたいことは大体分かりますが、もう少し後に。ユリアナ、向こうの荷車に描かれている紋章がどこの家のものか分かりますか?」


 視線の先にあるのは濃い焦げ茶の下地にクリーム色の線で家紋が描かれた荷車のボディである。王国南部から遥々(はるばる)やってきたのは理解できるが、紋章官でもなく、また大陸の貴族家など全く知らないアスカ姫にとっては未知のものだ。

 それならばまだ同じ王国に住んでいた貴族の子女の方が知っている確率は高い。


「あれは……ランヴァルド様のご実家の紋章です」


 一瞬だけ記憶を確かめるように目を()らしたユリアナが即座に答える。

 ランヴァルドが実家と手紙のやり取りをしていることや、冬の間に彼の実家の文官・ヴァルトがやってきていることもあり、交易の交渉や連絡のために人を送ってきたのかもしれない。


「相手方が何方(どなた)か、副長と一緒に確かめてもらえますか? レィマたちとの間にある障壁も解除しますので、護衛にクァトリとハンネを連れて行ってください」


「それでは姫様が!」


「私は一旦客車に戻ります。それに護衛を務める団員がエルサやレーアを含め七人もいますから大丈夫ですよ。団長のご実家の方であれば、ユリアナとハンネも面識があるのでしょう?」


 昨秋王都で交易と交渉に当たっていたハンネはランヴァルドの実家である伯爵家との面識があるし、ユリアナは幼い頃から家ぐるみで交流があった。

 (あるじ)に詳しく話していないとはいえ、一時は彼への嫁入りの話もあったのだ。

 当主やランヴァルドに近い使用人たちの一部もよく知っている。


「あの巨大なレィマと話して争いを止めるのは私でなければできませんでしたし、人と人の間のことはできる者に任せます。マイサとネリアはお茶(テノ)の準備を。

 レーア、御者台から周囲の警戒を厳にして。先行していた斥候を集める煙の筒も用意してください」


 次々に指示を出しながら、アスカはレィマたちとの間を隔てる障壁に手を添え、小さく握った拳でノックするように叩き割った。

 本来は手を添える必要も無く、意識するだけでも解除はできる。

 けれども視覚的・聴覚的に「障壁を壊した」ことが全員に分かった方が良いだろう、という判断だ。


「こちらのレィマたちはロヴァーニの牧場まで同行します。お腹に子供がいるものも混じっているので、移動の時は角犀馬(サルヴィヘスト)と同様に魔術をかけます。

 草を食べると聞いていますが、好き嫌いがあると思うので休憩所で確かめてください。単なる好き嫌いなのか、身体に良くないから食べないのかも含めて」


 先頭に立って近寄ってきたオスらしいレィマがお辞儀をするように頭を下げる。

 半ば精霊化したレィマであるブールスから指示を受けたのだろう。


 泥と草の切れ端に汚れた身体を水の魔術で洗い流し、差し出された角へ街道脇の茎の長い花を結びつけ、少し離れた場所にいる群れと区別していく。

 腹が大きく膨らみかけた四頭を含むメスは角がないため、草と一緒に編み込んだ首輪を結んだ。オスが横から食べようとしていたのは何とか留めたが、失くなるのは時間の問題かもしれない。


 客車に戻ったアスカは、開けた窓から巨大なレィマ・ブールスの頭を見上げた。


『争いになりかけていた事態を(とど)めることができました。一先ずは感謝します』


『こちらも助かっている部分はある。草原は広いが、数が多くなれば全てを見てはいられぬし、我が完全な精霊に昇華するまでは遠く長い時を経ねばならぬ。

 精霊の生まれし双月を祀る娘に群れの子を預けるのも悪くはあるまい』


『預かった群れに対して出来る範囲のことはします。いずれ生まれたレィマが草原に戻ろうとするならば、それもまた生命の流れなのでしょう。いずれまた会えた時には様子を伝えることもできるかもしれません』


『――楽しみにしておこう』


 短く一声宙に咆えたブールスが、足元に並ぶレィマを連れて荒れ地の向こうへと歩いていく。巨体なのに足音はそれほど大きくなく、また重量物特有の地響きも伝わってこないことから肉の身を持つ生物とは一線を画しているのだろう。

 まだ完全な精霊ではないようだが、かなり近しいところまで変化しているように見える。


 柔らかなクッションを敷いた椅子に腰を下ろして窓を閉じると、マイサとネリアが心配そうな顔を見せていた。

 突然窓から出ていったり巨大なレィマと対峙したり、大国の姫らしからぬ行動に気が休まらなかったのだろう。だがそうしなければ、今頃はまだ血みどろの争いの最中にいた可能性も高い。


「色々と心配もかけたようですね。あとはユリアナたちの報告を待ちましょうか。

 ネリア、お茶を一杯お願いします。ルミはお菓子かしら?」


「みぃ! みっ!」


 お菓子と聞いて膝の上のルミが尻尾と翼をぱたぱたと動かし、アスカのお腹の辺りに身体を擦り付けている。ルミの好物のドライフルーツは客車内の木箱に入れてあるので、用意に時間はかからない。

 木箱の蓋を開くと甘い匂いがふわりと広がるので、その前後だけやたらとお行儀良く待つ姿も可愛いのだ。


「貴女たちと護衛の団員も交代で休憩を入れてください。王国側から来た荷車と護衛の兵は副長たちが会いに行っていますが、戻って報告が上がる頃には彼らと交代できるでしょう。

 斥候への集合を伝える煙筒も炊きましたし、後続の客車と荷車には斥候が戻って休憩を入れてから連絡します。騎獣にも水と携帯食を与えて休ませてください」


「承知しました。団員への連絡はレーアに頼み、騎獣の世話は団員それぞれにさせましょう」


 軽く一礼したエルサが御者台の方へ歩き、上半身だけ出して指示を出している。

 この客車が魔術的に要塞並みの防御力を持っているからこそ、主の元をある程度離れることも出来るのだ。

 侍女たちも護身術程度なら訓練しているし、周囲には騎獣に乗った武闘派の団員が警戒を怠っていない。


 スヴェンとユリアナ、ハンネが戻るには今しばらく時間が掛かるだろう。

 主観時間でこの数十分ほどの間、緊張に(さら)され続けて疲れていたのか、温かいテノを飲んで椅子の背に持たれると、途端に瞼が重くなってくる。


 膝の上でルミが「もっとお菓子を!」とでも言うように肉球で太ももをぺしぺし叩いているが、それすらも眠気を助長する。

 深く長い息を吐いたアスカは、眠気に誘われるままクッションに身体を預けた。








 一方、荷車へと向かったスヴェンとユリアナ、護衛としてついていったハンネ以下団員たちは、久方ぶりの再会を果たしていた。

 ユリアナにとってはほぼ一年ぶり、昨夏王都に滞在したハンネたちは半年ぶり。

 スヴェンに至っては六、七年前に顔を合わせたのが最後である。


「ご無沙汰しております、小父様。それに――お父様も」


 まず心に湧き上がったのは驚きと呆れ。

 ほんの数年前、自身に降り()かった出来事(よめいり)に対する実家への恨み辛み。あれは叔父と兄が伯爵家と近しいユリアナを(うと)んで画策したと判っているが、実の父が防ぎきれず守ってくれなかったのも事実だ。

 同時に半ば家督を譲って外交参事の仕事に専念していたとは言え、そろそろ役職者の年限も迎えるのに、王都から遠く離れた辺境まで身体を運ばなければならないことへの憐憫もあろうか。


 もう一方は新しく仕える伝手を提供し、辺境のロヴァーニまでの旅程を整えてくれた伯爵家の前当主・シルヴェステルである。


 改めて顔を合わせて感じるのはランヴァルドとユリアナが幼かった頃から変わらない愛情と恩義、それに感謝。それと新たな主を得られた喜びと誇らしさ。

 何より、嫁ぎ先と隣接する貴族家との紛争でユリアナの身へ危険が及んだ時に助けてくれた、かつての想い人の父親でもある。


 現シネルヴォ伯爵家当主やその弟――ランヴァルドの異母兄たち――とは辛うじて面識があるだけで疎遠だ。けれどシルヴェステルはある意味実父以上に親しく、いずれは伴侶の父――義父となるはずの人だった。


「久しぶりだな、ユリアナ嬢。昨年の春、王都から送り出した時よりも雰囲気が柔らかくなったようで何よりだ」


「その(せつ)は本当にありがとうございました。おかげでロヴァーニの地で新たな主を得、衷心(ちゅうしん)よりお仕え申し上げております」


 複雑な表情を隠すように腰を折って頭を下げ、視線を外す。

 実父のトルスティは娘の様子に安心したようだが、同時にこの数年彼女を取り巻いていた状況が状況だけに声をかけにくいらしい。


「ホレーヴァの放蕩息子もおるな。息災だったか?」


「放蕩息子はその通りだが、部下もいるんだから止めてくれねぇかな? まあ噂程度に聞いちゃいると思うが、団長含め元気だぜ。今や辺境でも有数の傭兵団だ」


 話を振られたスヴェンが部下たちに少し下がるよう右手を上げる。

 その場に留まったのは魔術師でありアスカ姫の側近も務めるハンネ一人だ。


「ご無沙汰しております。昨年は王都の交易に際し大変お世話になりました。

 そちらの護衛がレィマの群れと争っていることを姫様が感知し、私たちも魔術が使われていることに気づいてご覧の通り対処しました。改めて護衛に武器を収めるよう通達を出していただけますか?」


(あい)分かった。リージュールの姫が参られているのに無粋な真似はできぬ」


「しかし(わけ)ぇ護衛があまりいないな。前団長に心酔してる連中と伯爵家の身内から集めたんだろうが、目端(めはし)()く奴を中心に選んだ方が良くないか?

 手の者が足りねぇならウチの傭兵団で丸ごと請けてもいいぜ? 団長の実家ってことで、直営商会と同じく身内価格にしとくが」


 冗談とも本気ともつかない軽口に護衛の何人かが眉を寄せるが、いかに前騎士団長の薫陶・訓練を受けてきたとはいえ、連れている護衛はやや年齢が高い。

 一番若い者で三十代半ばを越えており、残りの大半は四十代後半から五十歳を越えた辺りの退役軍人(ベテラン)である。

 十代の終わりくらいから二十代後半の力自慢が揃った赤獅子の槍(レイオーネ・ケイハス)とは、構成員の年齢自体に大きな差がある。


 それに貴族家に奉仕していたり王国軍に所属していたなら、治安維持や警備、貴族間紛争を収めるための抑止力として動くのがせいぜいだ。王国内や辺境を移動する時に求められる対人戦闘や獣・魔獣対策には不向きな職種の経験者である。


 野盗・私兵・略奪する農民などを武威で抑え、手出しをさせないことを最優先にする傭兵とは在り方自体が違う。


「まあその辺は伯爵家の身内でやってもらうとして――親父さんたちの用件は団長と姫様か? 引退が近いとはいえ外交参事殿を同伴して、頑丈な荷車を長期旅行用に改造してまでやってきたとこを見ると」


 素早く視線を廻らし、シルヴェステルたちの後ろに停まっている荷車も見遣る。


 先の争いに巻き込まれないよう二、三十テメルほど離れて停まっていたが、そちらからも人が降りて姿を見せている。

 姿を見せた五人は全員女性で、簡素ではあるが厚手のチュニックワンピース風の旅装に身を包み、その上に暗い色のローブを纏っていた。

 立ち位置や服装を見る限り、最後尾の二人は侍女らしい。


 腰に巻いた幅広のベルトには護身用と思われる細身の短剣と拳三つ分ほどの短杖が提げられており、腰の反対側には薬瓶を入れたポーチが提げられている。

 春になったとはいえ、冬を超えたばかりのこの時期に薬をこれだけ持ち歩けるのは生産地出身者か貴族かのいずれか――おそらくはその両方だろう。


「お初にお目にかかります。エスケリネン男爵家の末娘でラウナと申します。王都の貴族学院でアリッサ様の一年後輩に当たります。

 アリッサ様とイリーナ王女殿下からお手紙を預かって参りました」


 先頭に立っていた娘が(くるぶし)の少し上まであるチュニックワンピースの裾を軽く持ち上げて頭を下げ、淑女の礼を取る。

 彼女の後ろに並ぶのは王国南部に領地を持つ騎士の娘らしく、それぞれレイラ・ヒルトゥラ、アネルマ・ラハナストと名乗った。


 アリッサは団長であるランヴァルドの腹違いの妹で、今は王太子イェレミアスに見初められて嫁ぎ、正妃候補の筆頭となっている。

 数年前から赤獅子の槍は商隊護衛を派遣して王都の情報は頻繁に更新しており、昨年は王都に派遣したハンネにも情報収集を頼んでいた。


 王家と王城内の情勢が落ち着き、外交がどう動くかによって後宮の序列が変わるかもしれないことも掴んでいる。

 絶世の美女でも現れ、王太子の気が変わらない限りそれが無いということも。


 学院時代からシネルヴォ伯爵家への嫁入りが噂されていたユリアナにとっては、アリッサは妹のような近しい存在だった。


「――久しく会っていませんが、アリッサは元気ですか?」


「はい、とても。王太子殿下との仲も大層睦まじく、冬の社交会の際も常にお傍にいらっしゃいました」


 ユリアナも自身の友人の伝手で王城内の話を仕入れていたが、一度嫁がされてからロヴァーニに来る直前くらいまでは音信が途絶えており、親しかった者からの情報も手に入らなくなっている。

 ロヴァーニに移って落ち着き始めた昨年の晩秋くらいから再び手紙を送るようになったが、その返事が帰ってくるのはこれからだ。


 差し出された手紙を受け取ったユリアナは、裏の封蝋を確かめてから隣に立つスヴェンを振り返る。油断なく左手を剣の柄に添えたままのスヴェンは、(あご)をしゃくってユリアナに開封を促す。


 王家の紋章が()された封蝋を切るのはライヒアラ国内では不敬に当たるが、主であるアスカ姫の方が立場が上であり、ここは王国の版図から外れた辺境だ。

 腰に差した装飾ナイフで封蝋を丁寧に剥がし、わずかに獣皮の匂いを漂わせる手紙を広げる。この手触りは若いイェートの皮紙だろう。王都では一般的な紙だ。


 内容は一般的な季節の挨拶と、実家から聞いていたらしいユリアナが置かれた近況への心配。それと『ラウナ以下後輩たちを父シルヴェステルと共に辺境へ送るのでよろしく頼む』というものだった。

 何を頼むかまでは書いていないが、その辺りはシルヴェステルか父トルスティが詳細を把握しているのだろう。


「まったく、あの娘ったら……」


 皮紙二枚に綴られた内容を繰り返し読んだユリアナは短い溜息を一つ吐き、読み終わったそれをハンネとスヴェンにも見せる。

 秘匿すべき情報も書かれていないし、女性の身で旅をして手紙を奪われた時に(すき)を与えないよう立ち回っているのだろう。おそらくはアリッサと仲が良い第三王女イリーナの入れ知恵もあると思われるが。


「なんだ? つまりは親父さんに聞けってことか? まあ影者(かげもの)が紛れてるとは思わねぇが、詳しい話が漏れるかもしれねぇ事を考えたらまともな対応か」


使い魔(ヴェカント)経由なら漏れないことでも、手紙なら奪われて知られてしまうこともありますからね。シュルヴィが預かってる遠信(おんしん)の魔術具なら起動できる者も限られますし、盗み聞きもできないようにされてますけど。手紙であればよくある対応かと思います」


 ハンネから戻ってきた手紙を元の封筒に入れ、エプロンドレスの帯に挟み込む。

 現王の第三王女と王太子妃からの手紙ではあるが、立場で言えばアスカ姫の方が圧倒的な上位者だ。宛先はユリアナとはいえ、アスカ姫に見せるために預かったと考えれば途中の扱いが多少雑になってしまうのかもしれない。


「小父様とお父様はこの手紙についてご存知ですか?」


「もちろん知っている。私とエドヴァルト陛下の前で書かれたものだからな。内容についても詳細を書かず口頭で伝えるよう命じられた」


 (よど)みなく口にするシルヴェステルの様子に、ユリアナはもう一度短い溜め息を吐くと、手紙を手にアスカ姫が休んでいる客車へと戻りドアをノックする。

 すぐ応対に出たマイサに手紙を預けたユリアナは客車の下に組み込まれた階段を引き出し、自身は階段下に控えて待つ。


 同時にハンネが反対側に控え、スヴェンの腕の一振りで騎獣に乗って周囲を警戒していた団員が等間隔に並び、一斉に騎獣を降りた。

 端の方にいた若い団員はシルヴェステルたちの荷車や騎獣へと駆け寄り、短く声をかけて回っている。不敬を働かぬよう騎獣を降り、略式の跪礼(きれい)で迎えるよう注意に行ったのだろう。


 さほど待たされずにマイサが扉を押し開き、客車の中から姿を現したアスカ姫をエスコートする。

 その特徴的な姿が現れると同時に傍若無人の塊のようなスヴェンが片膝を立てて(ひざまず)き、団員たちも一斉に(こうべ)を垂れた。

 普段は奔放な騎獣たちもこの時ばかりは空気を読んだのか、鳴き声も立てず団員の隣で頭を下げている。


 一方、手紙や伝聞で聞いていたもののアスカ姫の姿を実際に見たシルヴェステルたちは慌てて跪礼を行い、呆然とアスカ姫の美貌に見()れていた護衛の兵が数名、騎獣の上から叩き落されていた。


 午後の日差しに輝く白銀の髪に、深く澄んだ紫色の瞳。

 この大陸に住む者が決して持ち得ない色合いは、魔法王国リージュールの王統一族のみに引き継がれている純血の証でもある。

 同じ王族でも閏統(じゅんとう)・純血の者でない場合は二世代もすれば別の色に変わり、双月の御下(みもと)に召された後も元に戻ることはない。


 大陸を巡る浮船の代表は皇位継承権の低い王族から指名されているが、その中で銀髪紫瞳を持った者は過去に数名だけだ。それでも王族の容姿は広く伝えられており、各国の王家もリージュールの許可を得て統治を行うため、特徴的な容姿を知らぬものはない。


 何より王族というものがいかなるものかを身近で感じてきた者にとっては、格の違いが顕著で自然と膝が地面に着いてしまう。

 基礎学院にしろ貴族学院にしろ、各国王家に対して唯一上位者として君臨する存在があること、その容姿の特徴を繰り返し教え込まれてきたのだ。


「ユリアナ、案内をお願いします。ハンネとエルサ、クァトリ、レーアは護衛を。マイサとネリアは客車で待っていて下さい。この子(ルミ)をお願いしますね。

 スヴェン、護衛の統括と周辺警戒を厳に。部下に指示を出した後は(わたくし)の護衛を」


 短く指示を出したアスカは命令を下すことに慣れているようにも見える。

 実際には内心おっかなびっくりでも、外からどう見えるかを気にしながら言葉にするより「自然にそう振る舞っている」ようにする方が違和感を減らせるのだ。


「南方街道の荒野の真ん中で長々と挨拶するより、置いてきた部隊と合流して安全を確保しましょう。代表はランヴァルド様のお父君と聞きましたので、簡単に挨拶だけ済ませて日暮れまでに合流しましょうか」


 謁見の場で想像されるようなドレス姿ではないが、動きやすくも品の良い衣装が歩みに合わせて裾を揺らす。既に石畳に変えてしまった場所なので凹凸に足を取られることもなく、厳戒態勢の中をシルヴェステルの前まで辿り着く。

 背筋を伸ばしながらも深く跪いた姿は軍人出身らしく、堂々としながらも混じった白髪に年齢を感じさせる。


「姫様、こちらがランヴァルド様のお父君でシネルヴォ伯爵家前当主のシルヴェステル様です。もう引退されましたが、長年騎士団長を務められておりました。

 隣が私の父でヒューティア子爵家の当主、ライヒアラ王国外交参事を務めるトルスティ・ヒューティアですわ」


 王太子妃アリッサから送られてきた手紙の二枚目には、この使節の代表と随行者のリストが記載されていた。

 その筆頭と二番目の人物をアスカの斜め後ろに控えたユリアナが紹介する。


「日暮れも迫っておりますので、他の者は道中お時間が取れ次第ご紹介させていただきます。まずはこの両名をお心に留めていただければ十分かと」


「分かりました。私はアスカ・リージュール・イヴ・エルクラインです。時間の猶予もないので、作法からは少々外れますが直答(じきとう)を許します」


 本当ならば季節に合わせた挨拶や貴族的な迂遠(うえん)な表現を用いた会話が数回続くのだが、ここは安全な宮廷や屋敷の中ではなく、野生の動物や野盗も通り道とすることがある荒野の真ん中だ。

 魔術で街道を舗装してきたとはいえ、高架を通しているわけでもないので周囲に危険が潜んでいる可能性は否定できない。


 それ故儀礼を取り払い、この場での最上位者であるアスカ姫としてすぐに本題に入るよう許可を与えたのである。


「小父様、お父様、姫様の許可も出ましたので顔をお上げ下さい」


 アスカ姫の脇に控えるユリアナの声に顔を上げた二人は、幼さをわずかに残しながらもリージュールの王族特有の容姿を持つ少女に深く一礼し名乗り始めた。


「お初にお目にかかります、王女殿下。前シネルヴォ伯爵家当主、シルヴェステルにございます。ランヴァルドの父、と言えば分かりやすいでしょうか。

 昨年息子より招きがありましたので先に執事のヴァルトを遣わし、雪解けと共に王都を()ちました。ここでお会いできましたこと、至上の喜びにございます」


「ご尊顔を(はい)し奉り光栄に存じます。ユリアナの父でライヒアラ王国の外交参事を務めるトルスティにございます。此度(こたび)は我らの国王エドヴァルト一世より王女殿下への書簡を預かって参りました。

 何分(なにぶん)略式の場ですので、現物はロヴァーニにてお渡しいたします」


「団長とユリアナから春以降に『王国からの使者が来る予定』だとは聞いておりました。春になったばかりの南方街道から来るとは思っておりませんでしたが、東の街道の先にあるエロマー子爵領があの様子でしたから、それを避けたのですね」


 臨戦態勢を敷いている辺境街道では、峠道の出口付近で防衛設備を作っている。

 実際にエロマー子爵の私兵らしき集団が峠道の先の集落を荒らしたり、数人で歩いていた行商人を襲おうとして偶々(たまたま)付近にいた商隊護衛の傭兵たちに蹴散らされたという情報も知っていた。


 状況はほぼ戦時に近い。そこを王国からの使節とはいえ、女性を含む一行が通るのは厳しいだろう。レーアの故郷であった出来事も伝え聞いてはいるが、まともな対応をするとは到底思えない。


「ロヴァーニまではもう少しかかりますが、まずは辺境へようこそ。ここも先程のレィマたちが去って安全になりましたが、決して気が抜ける場所ではありません。

 街道を整えている最中に魔術が使われる様子が見え、危険を察知して後続の部隊を置いてきてしまいました。まずは彼らと合流しましょう」


 ユリアナとスヴェンに視線を向けたアスカは、二人に現場の差配を任せる。


 魔術での街道整備はこなせても、飛鳥だった時を含めてアスカ姫にも団体を指揮する能力はない。姫として生まれ持ったカリスマで周囲が動いてくれることはあれど、十四歳で成人を迎えたばかりの――地球の暦で数えても精々(せいぜい)十五歳の――少女の身に過ぎないのだ、


「まずは客車と騎獣の足回りの確認を急いで。負傷者がいれば回復薬を与えます。修理が必要な故障があれば早めに申告して下さい。錬金術で応急処置します。

 日没までに後続の部隊と合流しましょう。斥候が戻ってきたら小休止させ、代わりに休憩中の数名を連絡に出して下さい」


 『伝声の魔術(アーネンシエルト)』で必要そうな指示を出しながら客車に戻ったアスカが扉を開くと、中で待っていた白い毛玉が飛び出してくる。

 豊かな胸の上で弾んで転がったルミを両手で抱えたアスカは、扉を開けたまま客車の周囲に魔術の明かりを浮かべておく。


 足回りの確認だけならすぐに終わるはずだ。

 団の騎獣が脚を痛めていれば鳴き声に痛みを訴える声色が交じるけれど、アスカが外に出た時点でそのような声を聞いてはいない。客車の車軸や車輪周りは過剰なほどの強化を重ねているので、故障などあろうはずもない。


 シルヴェステルたちの側は――おそらく多少の(てこ)入れが必要だろう。

 保護者でもある団長の肉親やユリアナの肉親であれば少々の優遇もできる。


 いずれにしろ、帰路の方が問題だ。

 護衛として仕方なかったはいえ、レィマの群れと争った兵たちに気を許すことは出来ない。せめて魔術を使わずに群れを追い返したり避ける方法もあっただろう。だが、結果を見れば積極的に攻撃を加えている。

 アスカが話をした精霊化する過程のブールスでなければ、移住の提案と受諾という理性的な決着は望めなかったかもしれない。


「どこもかしこも争いと(いさか)いばかり……害になるものは排除しなければなりませんが、互いに手を取って平和に暮らすというのは難しいものですね」


 胸の谷間でもそもそと身じろぎするルミの頭を撫でながらポツリと呟く。

 テノを淹れるため傍にいたネリアだけがその小さな呟きを聞いており、同じ国の出身者の行動に対して申し訳無さそうに顔を曇らせた。


経緯はどうあれ、結果として別の種類のミルクを入手(無事連れ帰れたら)。


分割した分は連休中のどこかで投稿できるかな……出来るといいな……。

評価やブックマークで応援いただけると、作者の執筆速度とやる気に直結します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] ひさびさの更新でとっても嬉しく作品を読みました このお話が大好きなので次回も楽しみに待ってます
[良い点] 更新お疲れ様です。 毎回楽しく読ませて頂いてます。 次回も楽しみにしています。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ