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女形の姫様転生記  作者: 新島 隆治
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閑話 王都ロセリアドと辺境の一年 冬

お待たせしました。三週連続の実質忘年会に出かける前に更新(約2万字)……。

 ライヒアラ王国に限らず、この大陸での冬は一般的に雪が降り積もる。

 それらは海流や地形の影響よりも、精霊の力の強さに影響されていた。精霊の力が強い場所では常春や常夏の土地も珍しくはないし、周囲が砂漠のような場所でも氷河が存在しているような土地だってある。


 だが、それらは土地ごとの差だ。街道一つ隔てた向こう側が熱帯のような高温多湿の密林でも、反対側は乾ききった砂漠などということもある。

 辺境も基本は乾燥気味だが、河川や湖などの水場も多く、その水源となる山地や湧き水も多い。付近を通る高い山脈や尾根筋もあり、そこへ冬の間に降る雪は大事な水資源である。


 程度の差こそあれ、それは王都ロセリアドでも変わらない。多少例年よりも深く積もった雪は街路の端に寄せられ、大通りを王城まで敷き詰められた石畳の上を走るのは角犀馬(サルヴィヘスト)の牽く軍用や貴族用の荷車と客車だけだ。


 王城では春から秋まで領地で政務を()っていた貴族たちが連日のように交渉と会談を重ね、陳情や駆け引きを繰り返している。

 お茶会や会食、情報交換を目的とした遊戯やダンスなどと名を変えても、本質は変わらない。もちろん公式な会議としての場もあるが、どちらかと言えばそれらは王家からの確定事項の発表・通達の場だ。


 この冬最初の会議の場では、まず最初に粛清された侍従長や貴族についての発表が行われた。そして侍従長に関連した犯罪行為や脱法行為に伴う貴族家の降格と身分・財産の剥奪、投獄、追放、処刑などの報告が行われている。


 処刑は国法に従って秋の終わりまでに行われているため、地方から王都に集まった貴族家にとっては報告事項でしかない。中には己の寄親(よりおや)や配下筋の貴族家が丸々消失した者もいるだろう。

 執行された後となっては――それも王家が主導し国法に則って断罪したとあっては文句のつけようもないのだが。


「では、南部の直轄領経由で食糧は確保できているのですね。東部の穀倉地帯が今年も凶作と聞いて心配しておりましたが……」


「南部直轄領の周辺はリージュールの知識を学んだ領主が治めているからな。東部と北東部の状態を見てもらったが、作物の病気と渇水、農民の逃亡が相次いで土地自体が荒廃している状態らしい。

 一時的な凶作だけならまだしも、農民がいなくなっては病気や渇水が収まっても収量が元に戻るわけではない。王国南部と北部から余剰分を融通しているが、何年も続けられるわけではないだろうし」


 直轄領ペルキオマキは交易の中継地であり、国防の面でも重要な土地だ。

 そのまま南に向かえば、半島のように突き出した土地を治める隣国との国境まで四日ほどで辿り着く。ところどころに灌木の生えた牧草地帯や緩やかな斜面を利用した農地が広がり、南部と王都周辺の台所を支えていると言っても過言ではない。

 現在のように王国内の食料供給に不安が残る際には、一番に頼りにされる。


「第二王子派の者たちの前では言えぬが、辺境から供給を受けているものもある。王都に拠点を持つルォ・カーシネン商会の支店とオークサラ商会の商隊を通じて、豊作だという辺境のリースやホロゥ、ルヴァッセ、乾燥させたマーィ、ターティ、ソレッティエなどを中心に王都の需要二月半の量を確保した」


「――南部から戻った巡察隊の荷車が大荷物を持っておりましたが、もしや?」


「それもこの場以外では話さぬようにな。ここで話してたことは貴族の中でもごく一部にしか伝えられておらぬ。陛下より許可があった故、其方たちに話したのだ。

 またこの件について各商会へ介入することも許されぬ。来夏、特使を派遣して辺境との関係構築を図るつもりとの仰せである」


 冬場に行われる舞踏会の大ホールの隅、サロンのように区切られた奥の部屋へ集まった者たちが一斉に頭を下げた。

 上座には前シネルヴォ伯爵シルヴェステルと王太子イェレミアスが座っている。


 元々王家の血も混じっているが、第一王子が立太子され、その正妃候補の筆頭として前シネルヴォ伯の末娘アリッサが嫁いだため、シネルヴォ伯爵家――前当主であり父であるシルヴェステルは外戚候補の筆頭だ。

 そして元侍従長が失脚・粛清された今の王城では、彼らの派閥が最有力の集団となっている。


 二つ部屋を挟んだ隣では第二王子派の者たちが額を寄せ合い、同じく反対側へ二つ離れた部屋には第四王子派の者たちが脳味噌の奥底まで筋肉となった飾り物の頭を突き合わせていた。

 第三王子の派閥も同様に別の一部屋を抑えているがかなり少数派で、第二王子の派閥に入るだけの影響力もなく、第四王子のように独自の武装集団を持っている訳でもない。中途半端に貴族の派閥からあぶれた者が肩を寄せ合っているというのが城内の認識だ。


 そのいずれの派閥にも入ることが出来ていない中立派は、各種の利権や救済の手段を求め部屋から部屋へと挨拶を繰り返し噂集めに奔走している。

 だが本当に必要な情報を得るには足りない。旗幟(きし)を明らかに出来ない者が信用されないのはいつの時代でもどのような世界でも同じだ。


「早ければ春の終わり頃、遅くとも夏の半ばまでにはロヴァーニへ使節を送りたいと思っている。陛下と私の名代(みょうだい)として、前シネルヴォ伯と数名を予定している。

 残った者も王国内での仕事は山ほどあるがね。

 この冬の間に粛清と降格、追放が終わればいいが、元侍従長を始めとした者たちの役職を継いで、本来の仕事を続けなければならぬ。税収や東部・北東部で起こっている凶作の被害実態も、まだ概算段階でしかないのだ」


 税の横領や献上品などを誤魔化して私腹を肥やしていた一派が排除され、王国の財政がすぐに健全化されるかと言えば答えは(いな)である。

 道筋が正されても残された帳簿の精査も行われなければならず、被害額の確定や弁済の手立てなども考えなければならない。大抵は取り潰しになった貴族家などの財産から補填されるのだろうが、その範囲で収まるとは断言できないのだから。


「いずれにしろ辺境への使者派遣は計画段階だ。冬の間の貴族会議と、陛下も参加される御前会議で方針を決めなければならぬ。当面は派閥の外に情報が漏れぬよう厳重に注意してもらいたい。

 元侍従長がやらかした件で皆には迷惑を掛けるが、一番上では侯爵(マーキーシ)が、下は騎士(リタリー)準騎士(エィキス)まで五十数家が取り潰しになった。役職や職責、領地などは誠実(・・)有能(・・)な者を順に()てがって行くことになる。

 派閥の中には有能でも継嗣(けいし)になれず、さりとて次男以下で継嗣が家を継ぐまでの代わりを務めなければならなかった者もいるだろう。その者たちにも活躍の場を与えてやれれば、いずれその働きに応じて叙爵もあり得るだろう」


 この場で最も地位の高い、しかも次代の王となる男性がそう言葉を続ける。

 つまりは陛下も認めた内容だということだ。途端、サロンに集まった貴族たちの目の色が計算高く鋭いものに変わった。


 一族の中で継嗣に成れず(くすぶ)っている者、才能の片鱗を見せながらも派閥同士の均衡を保つために役職から(あぶ)れた者たちがいることは確かである。

 貴族といえど妻の実家との力関係や寄親・寄子との関係、役所や部署内での関係を抜きに力を振るうことは出来ない。だが現在はこの数年最有力とされていた派閥が不祥事で壊滅し、大きな空白が生じた状態だ。


 王太子が中心にいるこの派閥が他の派閥に押されることもあるまい。可能な限り速やかに、そして国のために奉仕できる人材を輩出し、(おぼ)えめでたくしたい。

 それが席に着くことを許された者たちの共通の思いである。


「国の(まつりごと)に空白を作るわけにもいかぬ。既に貴族学院を出た者、市井(しせい)にある者から有能な者を中心に取り立てる準備と推挙を行う。

 会議や社交と並行して一月の末までに推挙、二月中に審査を。雪解けの来るだろう三月には実際の仕事に取り掛かってもらわねばならぬ。いずれは学院に在籍する者にも目を向けねばならぬだろうが……其方らの人物を見る目に期待する」


 イェレミアスが言葉を締めくくると、席に着いていた子爵(ヴァラクレヴィ)以上の貴族が一斉に膝をついて頭を下げた。壁際で立ったまま聞いていた男爵(パローニ)以下の貴族たちも同様である。

 そこには社交や政治の第一線からは退いたものの、未だ影響力を残している前当主なども含まれている。若い者の中に必ずしも継嗣が含まれていないことも貴族家の複雑さを表しているのだが。




 サロンを後にしたイェレミアスは前シネルヴォ伯であるシルヴェステルを連れ、ホールを横切って廊下に出た。

 大きさの揃えられた石のタイルから反響する(びょう)の音がカツン、カツンと響き、壁に反響して付き(したが)う人数以上の音を跳ね返してくる。


「昨秋に魔法学院を卒業する前の院生が辺境に何人か向かったことは知っている。貴族学院や魔法学院の卒業生の中から優秀な者を新体制に取り込むことが最優先だが、同時に将来の幹部候補を見つけておくことも重要だ。

 アリッサに後輩数名を紹介してもらったので、冬の間に一度義父(ちち)君の屋敷へ向かわせたい。まだ城内には侍従長たちの息がかかっていた者が残っていて不安があると陛下も仰せだった」


 すぐ脇を歩くシルヴェステルだけに聞こえるよう声を潜めたイェレミアスは懐から小さな板を取り出すと、一瞥して手渡す。

 三名分の女性の名前が刻まれたそれは、末娘アリッサより一、二年歳下の男爵家や騎士爵家のものである。一人はシルヴェステルも知っているエスケリネン男爵の末娘で、ヒルトゥラ家とラハナスト家は南部に領地を持つ騎士だったはずだ。

 いずれも王太子派か中立派の者たちである。


「会うのは構いませぬが、口実が問題でしょうな。騎士団以上に頭の中まで筋肉が詰まっていると評判の第四王子はともかく、第二王子は取り巻き連中が横槍を入れてくる可能性があります。

 男爵家の娘や騎士の娘では、登城するにも伯爵家の屋敷に来るにしても少々理由が薄いと思わざるを得ません。いくら隠居とは言え……」


「だからアリッサなのだ。その三名は貴族学院を卒院した後、まだどこにも嫁いでいないらしい。実家の経済的な面もあるが、それ以上に候補として挙げられていた家が今回の件で(ことごと)く取り潰しや降格に遭い、候補から外れた。

 私に見初められ王家に嫁いだアリッサとの学院時代の伝手を頼り、相手の紹介を依頼するため実家を訪ねた――とするのが一番波風が立たないだろう」


「ではたまたま実家に顔を見せに寄ったアリッサと会えるよう、日程を合わせるのですか?」


 訝しげに薄板を見つめる彼に、王太子は苦笑しながら手を振った。


「舞踏会で久しぶりに後輩たちと出会ったアリッサが彼女らを心配して、後日実家へ呼んだことにするらしい。今頃サロンでイリーナと差配しているだろう。

 当主本人ならば陳情などで登城してもおかしくないが、娘一人ずつとなると社交のための舞踏会でもない限り容易には城へは上がれぬ。

 だが元貴族学院の上級生と下級生であれば、実家を訪ねてもおかしくあるまい」


 無理矢理な理屈ではあるが、今やアリッサは王太子妃である。

 まだ他国から(めと)る可能性があるため序列こそ確定していないが、王太子イェレミアスが一目惚れして妃に望んだことは役職持ちの貴族や王城に勤める関係者ならば誰もが知っている。

 そのアリッサが学院でも特に優秀で下級生から慕われていたことや、面倒見が良かったことなども王太子の惚気(のろけ)話の一つとして流布していた。


「後ほど王家のサロンで父上やイリーナとも話を詰めよう。妹も一緒に伯爵家へ押しかける可能性があるので申し訳ないが……」


「娘と陛下の交渉相手は引き受けましょう。王女殿下のお相手はお任せします」


 さらりと流したシルヴェステルは薄板を懐に入れながら小さく溜め息を吐く。

 騎士団時代も含め、厄介事や面倒事が回ってくるのは慣れている。


「それで、彼女らは将来の幹部候補だけという訳ではありますまい。西部辺境への派遣でもお望みですかな?」


「派遣については悩みどころだ。アリッサとイリーナには腹案があるようだが、私はまだ聞かせてもらえていないのだよ。貴きお方がいらっしゃるだけに、本人たちが行きたがるかも知れないとあっては……」


「――じゃじゃ馬娘がご迷惑をおかけします」


 深々と心の底から溜め息を吐く。学院時代の出来事については娘が嫁いでから知ることが多かった彼だが、断片から推測するに王太子の懸念は十分に考えられる。

 辺境への派遣が当主を引退して自由の身となったシルヴェステルを中心に想定されていることから、耳聡いイリーナ王女が計画を聞きつけ、アリッサと共に潜り込もうとする可能性は否定できない。


 ただでさえ利益を掠め取ろうとする第二王子や素行の悪い第四王子が跳梁(ちょうりょう)し、『無能な欲深者』と陰口される第三王子が残っている城内だ。

 いずれ臣籍降下や他国との政略結婚で王城を出ていくにせよ、今はこれ以上話すべきではなかろう。


「陛下ならば国政を理由に押し止めることは簡単でしょう。宮廷筆頭魔術師のエルメル殿も職責があるゆえ同様。しかしイリーナ王女殿下とアリッサは――」


「もちろん私も鋭意努力はする。だが、万が一の時は……」


 前を見つめる彼の横からイェレミアスの視線を感じるが、応えてしまえば負けが確定してしまいかねない。

 いや、既にこの会話が導き出されたことである種「詰み」なのかも知れないが。



 この日のサロンでの打ち合わせと翌週、翌々週まで続く会議で、ある種のフラグ回収が行われたのは已むを得まい。シルヴェステルだけの責任ではないのだから。









 ロセリアドの王城が貴族同士の社交に忙しい頃、各貴族領の領都や辺境の各町でも社交は行われている。人数や予算の規模こそ違えど、利権の誘導や各種の交渉、商談は頻繁に開かれていた。


 ライヒアラ王国の西部に位置するエロマー子爵領は、夏以降の天候不順と不作、領民――特に農民の流出が止まらず、商人たちすらも領地を離れていく有様で荒廃と衰退の一途を辿っている。

 このままでは遠からず降格と首の()げ替えが行われるだろう。侍従長一派の処分に伴い、無能の烙印を押されたり不正を行っていた領主の経営にも監査が入り始めており、王都近辺でも冬の始まりと同時に領主が数名廃されていた。



 代官を置くだけの町はともかく、領都に冬が訪れると領主は不在となる。全てが一年の政治方針を決めるため王城へ上がることを求められ、各地に残るのは私兵と国防のための軍の一部、領主一族の中で王城へ上がるに足りぬ身分の者たちだ。

 小人閑居して不善をなすというが、地方に居残っている者たちは王都周辺での動きを気にすることもなく、己の欲の充足と蓄財に粉骨砕身している。


 エロマー子爵家は西部辺境にも近く先代までは有能とされていたが、当代は無能として知られていた。それは家臣や親族も同様で、有能な者は既に家や領地を離れており、その空いた地位と場所へ無能な者や姑息な者が潜り込んでいる。

 結果、凋落(ちょうらく)の激しい領地の更なる衰退と領民の逃亡が引きも切らない。

 秋の終わりには主要な街道に近い街や農村から次々に住民が消え、小規模な集落では丸々領民が消え失せたところも出ていた。


 徴税に当たった巡察官は既に活動の場を領主の館に移しており、仕事を引き継いだ徴税官が記録を書き連ねた薄板の山に埋もれている。

 領主の親族が倉庫から横領した分は当初の徴税記録から抜け落ちており、後から検品された記録との食い違いも(はなは)だしい。

 あまりの酷さに、今では数年ごとに徴税の担当官が代わっているのだ。

 心労と疲労、強欲と分厚い脂肪の鎧を着たような領主とその親族、領民の板挟みになっていれば已むを得まい。

 そのため領地の異変に気が付かなかったのだろう。


 本格的に雪が降り始めてまもなく、領内の農村で起きた大火事に私兵が駆り出されていたが、焼け落ちた家屋はもちろん、他の住居や倉庫などでも焼け死んだ者や家畜の被害は無かったという。

 誰一人として残っていなければ人的被害など出ようはずもない。


 家畜もほぼ全てが追加の税として持ち去られた後で、ごく僅かな家財だけ残された農村であれば――どこへ向かうかは別として――逃げるのも容易だったはず。

 結果、集落そのものが家畜も人もきれいに消え失せている。来年、その地区からの税収が上がらないことも徴税官たちは理解していた。


 冬が明けて春が来れば、王都に滞在していた領主が戻ってその事を知る。

 多少なりとも良心と常識が残っている徴税官や文官は、自分たちの逃亡を真剣に考え始めていた。


「ああ、胃が痛い……」


 比較的若い徴税官の一人が服の上から腹の辺りを(さす)りながら呟く。

 若いと言っても二十代も半ばを超えている。エロマー子爵が代替わりをした十年前に雇われてから激務続きで出会いがなく、上司の目に留まるほど優秀でもなかったため、部下だったヨナスのように相手を充てがわれることもなかった。


 さりとて仕事が抜きん出て出来るというわけでもなく、彼自身も長く子爵領に仕えてきた家臣団の親族というだけで縁故採用されている。

 壊滅的なまでに無能ではないが、取り立てて有能でもない。それが彼――徴税官アーペリ・ホッシの立ち位置だ。


「ヨナスが辞めなきゃ、もう少し楽ができただろうに」


 三年ほど前にエロマー領へ仕官したヨナスは、王都の貴族学院を出た後で一年半ほど勤め先を探し回っていた準男爵家の息子である。

 能力とやる気はそこそこあったので農村からの徴税と記録を任せ、そこから実態に合うよう帳簿を改竄(かいざん)するのがアーペリの役目だった。エロマー子爵の親族が倉庫から簒奪していく税を新入りに見せることなど出来はしない。


 何しろ、エロマー子爵領の帳簿は十年ほど前からでたらめと改竄で出来ている。

 実態が王城に知れたら貴族が居並ぶその場で背任を問われ、一族郎党も捕らえられ縛り首で絶命するまでの醜態を(さら)されるか、真っ赤に焼けた剣や槍を何本も身体に刺されていくか、魔獣と呼ばれる物が住む谷に突き落とされるかだ。


 ――貴族としての身分を剥奪され、全財産を召し上げられた上で。連座した一族の中で幾人かが助命されたとしても、犯罪奴隷として一生を終えるだろう。

 それが是認される程度にはライヒアラ王国の法も厳しい。


 王国への税もこの十年ほどで滞納が続いている。もちろん全額滞納というわけではないが、子爵本人が「社交」と称して奢侈(しゃし)(ふけ)り、国庫へ納税すべき金に手を付けていることが最大の原因だ。

 領主が私腹を肥やすのを見て親族が真似をし、さらにその部下たちが真似を繰り返す。そうしているうちに組織全体への歯止めがかからなくなり、エロマー子爵領の財政は破綻寸前まで追い込まれている。


 諫言(かんげん)していた部下が遠ざけられたり消されたりもした。南部を除いた王国全体で不作や凶作が続いたことも理由の一つではある。

 それでも常識的な範囲での収支ならば、農村や領民たちへの補助を出して下支えもできただろう。先代まではそうして税収を増やしてきたのだから。


 先代が亡くなり、当代に変わってからはその状況が一変した。


 まともな感覚をしていた貴族は次々に職を辞し、親族や学院時代の伝手を頼って外へ出ていく。ヨナスがエロマー領に仕官できたのも、こうした慢性的な人手不足があったからこそである。

 ()せ細っていく領民たちも限界を感じ、そのまま朽ちていくことを受け入れた者と、最後の力を振り絞って領地を出ていく者とに分かれ始めていた。

 気づいていないのは一部の文官や徴税官、子爵の親族たちだけである。


「昨秋の徴税であれだけ農村から搾り取っているのに、春や夏にも子爵の親族が追加で徴発していれば(から)にもなってくるよなぁ。ヨナスが辞める前に口頭で報告してきた内容じゃ、小さな商会も次々に町を出ていってるようだし」


 アーペリが子供の頃は先代の統治下で、辺境街道へ続く道には行商の姿も多く、王都へ続く町や他領に向かう荷車や旅人の姿も多かった。

 今では行商の姿や荷車に代わり荷をまとめて出ていく領民の姿ばかりで、かつての賑わいは消えている。


「うちの両親も南部の暖かい町へ移住していったしなぁ。食うに困らなければ悩むこともないんだが、春以降の仕事はどうなることやら」


 徴税官は政務を行う建物の裏手にある官舎に居住することが許されている。

 官舎は本来国営で無償なのだが、清掃の委託と維持費や食費、光熱費などは自前だ。それでも食と住は保証されているし、仕事の時は職種別のお仕着せか貴族流の私服で通せる。


 しかし当代の子爵になってからは、官舎に住む者からも月に銀貨一枚を徴収するようになり、官舎外に住む者への手当も無くなってしまった。

 独身者はさらに生活を切り詰め、必要に迫られて清掃・洗濯を自分で行って節約しているし、酒や(テノ)などの嗜好品を()たざるを得なくなった者もいる。


 肥え太っているのは子爵本人と一部の親族、自分の食い扶持だけは必死に確保している文官たちだけだ。


「この春が潮時かなぁ……ヨナスは奥方の伝手で出ていったし、先々週辞めた奴は北部の実家に戻ったんだったか。東部は不況に加えて凶作らしいし、近隣の領では最悪連れ戻されかねん。

 辺境方面は春に予定されている出兵とかち合うし――学院時代の伝手は使えそうなのが残ってないなぁ」


 彼が貴族学院を出たのはもう十数年前である。同年代の者たちは卒院後も頑張って今頃はそれなりの役職に就いているだろうが、自分の親族や職場の人間の縁故を最優先にして動くはず。

 アーペリ自身も親族や上司・部下の縁で頼ってきた者に職を斡旋している。

 となれば、他の地域で口利きを頼むにしても根回しや相応の礼、金銭が絡む。

 独身で多少の蓄えはあるが、騎士爵の実家を継ぐわけでもない二十代半ば過ぎの徴税官一人の資産などたかが知れている。


「紹介依頼の(ふみ)を書こうにも、春までは街道が通れないからな。冬の間に送り先を十人ほど見繕っておくか」


 税の徴収書類と倉庫の計数管理を記録した薄板を脇に()け、蓋付きの棚から新しい薄板を取り出して青黒いインクで何事かを書き付けていく。

 思いつく限りの同級生の名前と出身地、付き合いのあった店の主人、既に職を辞した元上司と部下。この半年以内に辞めた者は子爵からの追求が及ぶ可能性もあると考え、リストからは除外している。


 だが本来ならもっと早くに見切りをつけ、ヨナスのように家族共々逃げ出すべきだった。街道が冬の間は雪で閉ざされることや、領主である子爵が王都に呼ばれて領地内の監視が大幅に緩むことを考えれば。


 連絡を取るにしても春が訪れてからでは遅い。

 貴族学院に在籍していた当時の住居から引っ越している可能性もあるし、勤め先が変わっていることもある。何より、返事が帰ってくる頃には早くても季節一つが過ぎているだろう。

 返事が返ってきても、状況が今よりも悪化することはあれど好転する兆しや要因などあり得ないのだから。


 目端の利く者は冬の訪れと同時に領都を抜け出し、本格的に雪が積もりきる前に北部や南部の町を目指している。文官としての仕事や徴税官の仕事は、実務経験があれば尚更どの地でも求められるものだ。

 さすがに半年や一年程度の経験では難しいが、三年程度我慢して実務を経験してきた者は重宝される。移住後でも比較的簡単に職を見つけられるのだ。


 徴税官アーペリ・ホッシがそれらを理解したのは、春の雪解けが訪れ、王都から子爵が幾分痩せ細って戻って来てからのこと。

 経済的な困窮から社交らしい社交が行われなかったエロマー子爵領では目新しい情報が入るはずもなく、各地の街道が閉鎖されていることで流通も止まっている。


 同様に逃げ遅れた部下たちと共にアーペリが我が身の不明を嘆くのは一月半ほど先のことであった。









 冬の間のロヴァーニは平和そのもの――と言って良いだろう。隣接する王国領の農村部や町に比べたら収穫量は倍以上違っているし、秋の余剰分を商会の流通網に乗せても倉庫から溢れるほどの量がある。


 夏に整備された水道も魔術具が配置されているため真冬でも凍ることなく、内壁と砦の辺りまでは冷たく辛い水汲みも魔術具の蛇口に触れるだけだ。

 まだ材料の都合で設置範囲は限られているが、各傭兵団の本拠地から町の中央にある広場までの大通りと、新しい中央市場、自警団の本部、歓楽街、職人の工房が集まる通りへの街路灯も三十から五十テメルごとに立てられている。


 各工房は商会からの注文が山のように届き、移住直後の住人でも比較的仕事にありつきやすい。傭兵出身の者があぶれても自警団が引き受けたり、力の弱い女子供でも植物紙の工房で作業ができたり、町からの公式依頼として除雪の仕事も募集されていた。

 秋の終わりにかけて急増した人口を飢えずに食わせていけるだけの食料と仕事が揃っている町など、ライヒアラ王国以外を含めてもそうそう無い。



 雪が本格的に積もった一月の下旬、在地商会との商談や社交が落ち着いた頃を見計らってアスカ姫はロヴァーニの視察に出かけることになった。

 行先は公衆浴場の設置予定地と、水車の導入で増やした植物紙工房、それと秋に建て増した畜産関連の施設である。


 特に食肉の提供で重要になる委託農家の施設は、暖房や水回りの稼働状況を文官が毎週報告しているとはいえ、気になっていた部分だった。


「冬場の視察は危険も多いのですが、姫がご一緒ですと色々と懸念が消えますね」


 進行方向から肌を刺すように降る雪を防ぐ除雪殻(ルメンポイスト)、服の隙間から忍び込む冷たい風を防ぐ防風天蓋(トゥーリスオィヤ)

 真冬に集団で移動する際に気がかりな足回りは、魔術で潰し込まれている。

 念のため角犀馬(サルヴィへスト)や客車、荷車に滑り止めをつけているものの、あくまでも危険な要素を排除するための安心材料でしかない。


 供回りは角犀馬に乗った傭兵が十六人、客車が二台、荷車が一台。

 側仕えがユリアナを筆頭に六人と、御者役で傭兵が六人。アスカやランヴァルドを始めとして、全員が防寒具も完全装備していた。


 除雪の魔術具の貸与で、団本部から広場を経由し市場付近へ繋がる主要な通りは薄っすらと積もっている程度である。残った雪も水道と対になるように配された溝に捨てていけば、地下に通された排水溝へ流れ込む水に解かされて姿を消す。

 ランヴァルドやユリアナが生まれ育った王都ロセリアドにも無い設備だ。


「公衆浴場の設置は予定通り下旬から着工、内装は工房街に共同で受注してもらいましょう。床や壁の資材は概算ですが住宅建築の資材とは別に発注してありましたから、二月下旬までに倉庫の空きができると思います。

 石工工房にもタイルなどを発注してありますが、足りなければできる所から揃えていきましょう。仕事に慣れていない者でも簡単な加工は可能だと思いますから、春以降になっても焦らずに」


 アスカが角犀馬二頭で牽く客車の窓から工房街付近の大きな空き地を眺める。

 ここに来るまでに中央市場付近の候補地を先に見てきたが、そちらは問題なく手配が済んでいる。


 元々は魔術学院を出たばかりの新人魔術師たちの練習で地盤を固める練習に使っていた土地である。何もなければ春まで根雪に埋もれるか、町の中に積もった雪を捨てる場所になっていた可能性が高い。

 除雪の魔術具を貸与したり排水溝に雪を捨てて解かせるようになったため、現在は子供たちの遊び場になっていたらしい。


 冬の日暮れは早いし大雪の日は外に出られないが、大通り沿いなら街灯もあって帰り道の心配も少ない。有名な傭兵団の本拠地で内壁には自警団も定期的に巡回しているため、昼の間は親たちの交流の場にもなっていたようだ。


 先日から町の協議会が杭を立て縄を張り、公衆浴場を建てる旨を通知している。

 秋頃からは有志が自警団の本部施設を使って簡単な読み書きを教える場を作っているため、町の住人の中には文字の読み書きができる者も増えていた。


 貴族や商人、文官以外で読み書きができる者は少ない世界だ。

 かなり珍しい部類なのだろうが、いずれは団の魔術師や文官を中心に基礎学校や私塾のようなものを作ってもらう考えもある。ロヴァーニに定着し、ここを生活の拠点とする者が増えれば大きな力になるだろう。

 優秀な者ならば農家や平民の出身でも、いずれ商人や文官として活躍できるようになるかも知れない。


(わたくし)からは特に問題になりそうなことは無いかと。資材の手配が滞りなければ大丈夫かと思います。熱い金属を扱う鍛冶工房の方はともかく、指先や足先が冷えて仕事に集中できなくなるのは職人の方たちにとって危険でしょうから、早めに浴場を作ってあげたかったというのもあります。

 同時に一番早い浴場の設置である程度恩を売って、春以降やってくるだろう商会の受注を必死にこなしてもらいたいという打算もございますけど」


 町の地図にメモを書き込み、困ったような苦笑を見せる。

 もっとも、浴場を建てる順番が数日ずれるだけで大きな差はない。辺境で生まれ育った四十代以上の者たちに聞き取り調査をした限り、この辺りの土地が一番冷え込むのは二月の中旬らしい。

 逆に言えばそれまでに浴場が整備できれば冬の死亡率を大幅に下げられるのだ。


 食料があり、水があり、暖房や医療にある程度目処が立つなら、何とか冬を乗り切れる。布団は供給が間に合わなかったが、その分食肉と合わせてヴィリシなどの毛皮を確保・貸与しており、診療所や団に上がってくる報告書では町の住民で凍死した者や餓死した者はゼロとなっていた。


「歓楽街近くと自警団の郊外訓練所の浴場は内装の完成が来月中旬になりますね。おそらく浴場のタイルが足りなくなると思いますので、シャワー室を優先します。

 少なくとも汗を流してさっぱりしたら、ゆっくり温まるのは自宅近くの浴場でもできますから。歓楽街の女性向け浴室だけは先に整備してしまいますけど」


 いわゆる娼館など、風俗産業に関わる女性が身体を洗い清め温まる施設は衛生上の面からも整備を急いでおきたい。深刻な病気が発生する可能性やアスカ姫の身体で実感した冷えの問題などを解消するなら、最初に着手したかった場所でもある。

 当初予定していた五ヶ所分の給排湯の魔術具は既に完成しているため、問題は床材とタイルだけだ。

 歓楽街の設備だけは資材が足りなければアスカの魔力で押し通すつもりでいる。


「場所は五ヶ所とも問題ないようですね。砦の設備と移住希望者の一時居留者用の浴場は春以降にさせてください。

 できれば一緒に作って差し上げたいのですが、木材と石材以上に魔術具の材料がもう底をついてしまいますので。次の入荷は春以降と聞いていますから」


 隣に座るユリアナに記入済みの地図を渡し、直営商会からの報告を思い出す。

 女性の手で握り拳半分ほどの大きさの晶石や王国北東部で多く産出される鉱物、辺境の南部から王国の南部にかけて採れると聞いている植物の種と動物の骨。

 雪で主要な街道が閉ざされている間は入手が難しいものばかりだ。


「春以降はまた外部からの人口流入が続いていくと思いますから、文官たちが大変だと思います。食料は農地を広げたり、ヴィリシやカァナ、イェートなどを飼ってもらう契約農家を増やせば対応できますが……」


「そちらは早めに王都などへの使者を送る予定です。私も王都へは空飛蛇(タイヴァスカルメ)で要請を出していますから、冬の間に準備を調(ととの)えられた者は春の終わり頃にもロヴァーニへ辿り着くかと」


 そう言って肩に乗る空飛蛇のペテリウスの身体を撫でたランヴァルドは、女子棟で試作したチーズの切れ端に食いついている。

 イェートのミルクはヤギ乳のような濃さと独特の香りがあるため、加工するには錬金術での脱臭や香辛料による風味の緩和などが必要だ。ミルクとして飲む分には短い時間の煮沸が行われ、香辛料の助けも借りて広く利用されている。


 チーズの加工に必要な酵素の出処(でどころ)については、ライヒアラ王国の東北部から移住してきた農民の知識が役に立った。仔イェートの内臓由来ではなく、油脂分の多い樹の実を半月ほど(かめ)に入れて発酵させ、上澄みを()した液を混ぜることで作れている。

 成形や脱水、熟成などの工程もあるようだが、試作品はアスカ姫の錬金術で代用した。一般的な作り方は秋口に仕込んで冬に脱水を行い成型し、翌春か翌秋まで風通しの良い冷暗所で熟成させるらしい。


 普通に飲んだ時はジャージー牛のミルクのようなのに、チーズに加工した時の味は軽くあっさりとしたもので驚かされた覚えがある。

 癖がなく色も淡い黄色だったので、気に入ったミルヤを中心に文官と農家に試作計画を立ててもらっている。ロヴァーニには冷蔵倉庫があるので、夏の暑さを超えても腐ることなく作れるだろう。

 具体的な生産方法や改善点は生産者に任せた方が良い。


「今日最後の視察は委託契約している農家の畜舎でしたね。秋の終わりから冬に入る直前にイェートとヴィリシが出産を迎えて大変だったと聞いていましたが」


「ええ、文官の報告では一(つがい)が五頭から七頭産んだらしくて賑やかだそうです。春の終わり頃には一人前になるらしいので、そこからまた増やしていけば安定して飼っていけると思います」


 狩りによる食肉の提供には限界がある。

 専門の狩人も多いわけではなく、大抵は獣肉を商う者が自分で辺境の草原に出向いて仕留めてくるか、傭兵が護衛任務のついでに仕留めた獲物の残りを買い取って分配したり売買するのが常だ。


 人口の多い貴族領や王都、町などでは小規模だが家畜の飼育も行われている。

 全員が腹一杯食えるというわけではないが、それでも上等な部類だ。


「畑の拡張をする時に飼料として刈った草や穀物の余りを餌にできていますから、初期費用は少なく済んだようです。イェートならば飼った経験のある農民も多いでしょうし、カァナやヴィリシも基本的には餌やりと寝床を定期的に綺麗にしていくことで大丈夫らしいと報告が上がっていました。

 夏以降は王国南部と北部からも数種類新しい動物を連れてくる計画だそうです」


 目の前には落下・転倒防止用に樹脂が塗られたテーブルがある。上にはグラスやテノが淹れられたカップ、簡単な軽食が並べられていた。

 スケジュールが詰まっている中で朝から夕方までの強行軍になるため、いちいち昼食を食べに戻るわけにもいかない。


 小さなプレーンクラッカーには薄切りのチーズを置き、塩漬け肉の薄切りと酢で軽く揉んだ野菜を載せたカナッペを四種類ほど用意してある。

 茹でた野菜を裏漉しして生クリームと合わせディップ状にしたものやそぼろ状にした肉、ハーブや香辛料を使ったドレッシングを絡めたサラダなども揃っていた。


 警備の者たちには移動中でも食べられるよう、サンドイッチ形式の軽食を数回分持たせている。おかげで同行者を選抜して護衛人数を絞るのに苦労したらしい。


「あの丘を越えたところにある畜舎の視察で本日の予定は終了です。残りの契約農家は少々町の中心から距離が離れているので、本日の視察を元に後日文官が訪問し報告書を上げてもらいます。

 女子棟へお戻りになられたら湯浴みの後でダニエ料理長からの相談と食堂で提供するメニューの試食、その後でハンネさんたちからの研究報告がございます」


 手元のノートを広げたユリアナがスケジュールを読み上げる。冬場で雪に閉ざされて外出できないとはいえ、やることは山積みだ。

 特に魔術師や錬金術師、治癒師の研究報告は今後のロヴァーニの運営にも関わってくる内容が多い。平民の職人が行う研究報告は協議会経由の書類で確認しているが、魔術や錬金術は教育による差が極めて大きいため、重要ではあっても一緒に取り扱うことが出来ない。


 料理の方は簡単で、アスカが教えた基本レシピを元に練習したダニエと弟子たちがコスト計算や材料の工夫を重ね、団の食堂で提供できる価格帯まで下げたものを確認として持ってくる。

 味と食感、作って提供するまでの時間、提供する量。役職なしの団員でも飲み食いできる値段で提供できるかどうかも大事な判断基準だ。


 年初に行われた大商会との商談・会食ではアスカ姫の伝えたレシピを再現するのに苦心していたが、それからおよそ一月弱でどう工夫を重ね庶民の味に転化できたか、材料の変化でどう変わるのかが楽しみな報告でもある。


 女子棟の厨房を主に差配するミルヤとリスティナ・リューリの姉妹、団の職員として雇用されている女性数名と並んでアスカの教えを受けているダニエには、引き抜きや独立支援の話も多く来ているらしい。

 だが本人にはその気が一切なく、もっとアスカ姫から学びたいという気持ちの方が強いと聞いている。

 団が新規職員の募集を秋から停止していることもあり、募集を再開すると見られている春に向けて若い料理人志望者たちが冬の職場に選んだ食堂で(しのぎ)を削っているそうだ。


「到着したようですね。護衛の者が農場主へ連絡に向かっています。姫はそのままこちらでお待ちを」


 客車が停まり、微かな振動が伝わると共にランヴァルドが窓の外を確認して立ち上がる。空調用の魔術具に頭をぶつけそうになりながらドアの前に立った彼は、素早く扉を開けて外に出た。


 外は雪が降り始めて薄暗くなってきているが、灯りの魔術具があれば問題ない。

 除雪殻(ルメンポイスト)のおかげで客車の周囲に積雪はなく、防風天蓋(トゥーリスオィヤ)が寒風から団員たちを守ってくれる。


 ランヴァルドは団長として農場主の挨拶を受けながら、要所要所へと団員を配置していく。既に農場の入り口に三人、客車の周囲に八人。

 畜舎の中まで突いていくのはランヴァルドを含め十人ほどだが、側仕えたちも貴族家出身で魔術の訓練を受けており、御者も傭兵ばかりだ。


 護られているアスカ姫こそが実は最大戦力であるという事実は誰も指摘しない。

 姫が実力を出さざるを得ないような時は、自分たち赤獅子の槍(レイオーネ・ケイハス)が半壊もしくは壊滅しているか、ロヴァーニの町自体が危機に陥って滅亡寸前という状態に陥った時以外にありえない。


 団員の配置を終えて客車の扉を開き、アスカ姫の手を取ってエスコートする。


 畜舎の中は普通なら獣の糞尿の臭いが籠もるものだが、送風の魔術具を改良して臭いを吸収し、天井から畜舎外の肥料小屋へとパイプで運ばれていた。

 まだ飼育頭数が少ないためか、(つがい)ごとに柵で区切られた比較的広いスペースを使って飼われており、寝藁や餌も真新しい。


 先頭に立って案内をするのは畜舎を任されている農家の主人と、この農家の担当になっている文官の二人である。

 畜舎の中は外よりも暖かいので、アスカも分厚い防寒コートを入り口で脱ぎ、付き従うライラに預けていた。


「この辺りにはヴィリシ二組を番で、奥側はイェートを三組とフォーアを一組、番で飼っています。カァナとトーレは別の一棟で小部屋に二十羽ずつ放し飼いにしております」


「冬籠りの祭り前後はヴィリシやイェートの出産が重なって大変だったらしいな。文官からの報告で聞いていたが、その後はどうだ?」


「やんちゃ過ぎて毎日大変ですよ。畜舎の外は雪が降っていますが、ここは魔術具のおかげで秋の終わりか春先くらいの温度ですからね。日中は子供たちの遊び相手にもなってもらってますが、そろそろ体格負けしてくるでしょう。

 ヴィリシは初めて飼いましたが、かなり子煩悩な印象を受けてます。ロヴァーニへ移住してくるまでは泥だらけで気性の荒い人を襲う野獣だと思っていましたが、水浴びが好きで馴れると人懐っこく、子供に危害が及びそうになると行動が荒っぽくなるといった感じですね。

 仔ヴィリシの観察日誌は文官の方が協力してくれるおかげで夏までにまとめられそうですが、何世代か様子を見た方が確実かと」


「イェートも同様ですね。元から農村で多く飼われていましたが、出産や子育て、普段の生活を詳しく観察していたわけではありませんでしたので新発見がいくつかあります。詳しくは報告書で上げますが、他の種の動物が来ても参考になるかと考えています」


 他の畜舎を巡回・担当する文官たちとも頻繁に情報を交換しているらしく、確度の高そうな情報も飛び交う。個別の話に対応することはできないが、安全な飼育や良質な肉の供給に役立ってくれるなら支援を増やそうとも思う。

 差し当たっては市場や他の農場へ安全に搬送する荷車の準備だろうか。



 床に敷いた藁に寝転がって仔ヴィリシに乳をやっている母ヴィリシと、のんびり餌を()んでいる父ヴィリシの脇を通り、イェートの飼われている区画へ進む。

 こちらも似たような状況で、乳を飲んだり餌を食べたり、仔がまだ小さな蹄を鳴らして柵の中を走り回っている。


「こちらの棟はイェートとフォーアの番を柵で区切って分けています。左奥の一画にいるのがフォーアです」


 羊に似たふわふわの毛を蓄えているフォーアを実際に見るのは二度目だ。一度目は農場へ連れられて行く直前に市場で見ている。

 フォーアは眠そうな顔で飼い葉を食べつつ、静かだった畜舎への闖入(ちんにゅう)者たちを見つめていた。

 反対に元気なのはイェートで、農場主が姿を見せた瞬間から柵に近寄り構って欲しそうに頭を隙間から突き出している。


「こちらはヴィリシと違って元気一杯ですね……」


 少々引き気味に見ていたアスカだが、仔山羊のようなイェートは愛らしくつぶらな瞳でこちらを見つめ、両親の脚の間から必死に顔を覗かせていた。

 親イェートを農場主が柵から引き離して奥へと連れて行く間、アスカは近寄ってきた幼いイェートの傍で(かが)み、頭を撫でてやる。


 妖精猫(ケイユ・キッサ)のルミもそうだが、動物の子供はふわふわな毛で身体も小さく、撫でて愛でるには丁度いい大きさのものが多い。毒見役として飼われたルーヴィウスのルビーのように生涯身体の小さい動物もいるが、大抵は成長するにつれて大きくなっていく。


 動物が幼いうちは相対するものに本能的な庇護欲を抱かせ、危険などから保護してもらうのだ、という説もある。かわいさが抜けるのは巣立ちの時が近づくからだという説明と合わせ、中等部か高等部の生物の授業で聞いた覚えがあった。


 ひとしきり構ってあげた後で親イェートを寝床に繋いできた農場主が戻り、文官と一緒にこの区画の説明を始める。

 飼育の現状と今の段階で見つかっている不具合、施設に関する要望、多頭飼いをした時に起こるだろう問題。逆に当初抱いていた懸念が解消された点などについても大まかに説明がされていく。



 それが起こったのは、一行がイェートの柵の前から離れようとした時だった。


 柵に背を向けて静かに説明を聞いていたアスカ姫が次の棟へ向かおうと一歩前に踏み出そうとした途端、後ろから急に引っ張られたようにつんのめる。

 斜め前にいたランヴァルドがすぐに気づいて転びかけたアスカ姫を支えるが、彼の腕の中にすっぽりと収まったと同時にミルヤとユリアナの細い悲鳴が上がった。


 同時に感じる下半身への冷気。ブラウスと(くるぶし)の少し上に裾が来るロングスカートだから、多少冷気が上がってくるのは仕方がない。

 けれども、今感じる冷気はウェストやヒップ周りの――。


「ミルヤは姫様にコートを! ライラとマイサ、貴女たちはスカートを(くわ)えているイェートの子どもたちを離して、急ぎ洗浄と乾燥を!」


 ユリアナが慌てて指示を出し、それに従って側仕えたちが一斉に動き出す。

 続いて可愛らしい鳴き声と威力を抑えて放った雷撃(サラマニスク)の音が重なり、パチン、パチッと弾ける音が畜舎の中に響く。


 アスカがランヴァルドに支えられたまま恐る恐る見下ろすと、スカートが太ももの辺りで留まり、真っ白な脚と可憐な下着がしっかりと見えてしまっている。

 薄緑色(ミントグリーン)に染められたジェルベリアの生地に白いレースを重ねた、少し背伸びした感じのするデザイン。服飾担当のティーナが色違いで複数枚用意してくれた、手間のかかった力作だ。


 ゴムやそれに似た素材が見つかっていないため腰の両脇で紐を結ぶ形だが、この世界の標準的な下着に比べればかなり刺激の強い――扇情的な部類になる。

 団の女性陣、特に側仕えや護衛、若い女子職員などを中心に動き易さから広まり始めていたが、当然男性陣の目には触れることがなかった。


 幸いにも護衛の男性たちは次に向かう棟の安全を確認すべく移動を始めており、この場に残っていたのが団長であるランヴァルド一人だけだったことだろうか。


 まさか、という思いと、どうして、という思いが頭の中をぐるぐると駆け巡る。


「………………」


「……………………」


 恐る恐る下へ視線を動かし、また視線を上に戻し無言で身体を支えてくれているランヴァルドと見つめ合うこと数瞬。


 同じく視線を下にずらしてしまっていたランヴァルドが顔を赤くして慌てて首を(そら)し、羽織っていた厚手のマントでアスカ姫の身体ごと包み込む。

 直後、アスカの顔が一瞬で茹で上がったように赤くなり、白く細い喉から細い悲鳴が上がった。


 夏に男性団員の前で布地の少ない水着――ビキニ姿は見せてしまっている。

 飛鳥として(ゆかり)と一緒だった時は特段意識していなかったが、下着と水着は別物、という感覚はこちらの世界でも同じらしい。


 マントで包まれた直後、ミルヤがコートでアスカの下半身を包み込み、ライラとマイサが洗浄(プーディストス)乾燥(クィヴァウス)の魔術をスカートに向けて放つ。


 幅広めの布ベルトで緩く留められていただけに破れたりこそしていないが、恥ずかしいことには変わりがない。いくらアスカ姫が幼い頃から他人に見られる生活をしてきたと言っても、基本的に周囲に侍るのは同性ばかりである。

 護衛の騎士たちはもちろん、教育係だったセヴェルも着替え等の時は部屋の外へ追い出されていたのだから。


 短い叫びが収まり、涙目のアスカと顔を赤くし視線を背けたランヴァルド、それを取り囲むように着付け直す側仕えたちが取り残される。

 男性の護衛と農場主は次の棟へ移動を終えたようで、一緒に移動していたレーアが戻って出入り口に顔を覗かせ、周囲の様子で何が起きたか察したようだ。


 己の目の前でヒラヒラと揺れ動くスカートの裾に興味を持ち、仔イェートが咥えてしまったのは本能だろう。それを責める気はない。

 大人のイェートが咥えていたら生地が裂けたり破れていたかも知れないし、簡単に離れてはくれなかっただろう。電撃の魔術は可哀想だが、そうでもしなければ好奇心の強い動物を一瞬で散らすことなど出来ない。


「姫様、スカートは元に戻しました。もうイェートが噛んだ痕はございませんし、付いた汚れも洗浄の魔術で落としてございます。ご安心くださいませ」


 ユリアナがランヴァルドの腕からアスカの身体を抱き起こしながら耳元に囁く。

 背中に回された彼女の手が優しくぽんぽんと叩いてくれる感触に、アスカの涙腺が思わず緩む。


「ユリアナ……ランヴァルド様に、見られてしまいました……」


 この世界では水着はともかく、契りを交わした夫婦以外に女性が自分から下着を見せることはない。こんなイレギュラーな事故でもない限りは。

 事故だと分かっているからこそアスカも、飛鳥としてもまだ耐えられている。

 アスカ姫としての意識で完全に塗り潰されていたら、泣き叫び取り乱すだけでは済まなかったはずだ。魔力が暴走を引き起こしていた可能性すらある。


「事故なのは分かっていますが、見られて……」


「大丈夫ですわ、姫様。ランヴァルド様には後ほど私からしっかりと『お話』させていただきますから、まずは視察を無事に終えてしまいましょう。

 ご気分が優れないのでしたらこのまま客車まで戻りますか?」


 最近ふくよかさを増したユリアナの胸に埋もれて涙を流したアスカは、小さく首を横に振ってその具申を否定する。

 自分の組んだ予定を中途で反故(ほご)にすれば、その責は農場主やロヴァーニの有力者たちへと向けられてしまう。王族と平民では立場が違いすぎるのだ。


「行き、ます。(わたくし)から言い出して決まった視察ですし、今後のロヴァーニの食糧事情や仕事にも大きな影響を与える事業ですから」


 湧き上がる涙を意志の力で抑え込み、赤くなった目の周りに小癒(ピエニ・パラネミネン)を幾度か発動する。羞恥で染まった頬の熱までは取れないが、時間が経てば解決してくれるだろう。


「ご立派です、姫様。レーアが戻ってきていますから、道中の安全確認は出来ているようです。団長、列の先頭をお願いします。ユリアナ様と側仕えの皆様は姫様の周囲に。ハンネさんはユリアナ様たちと、アニエラさんは姫様たちのすぐ後ろに。

 クァトリはレーアと一緒に最後尾の警護をお願いね」


 一行の護衛隊長を勤めるエルサは素早く指示を出すとランヴァルドの背を押し、自然な雰囲気で列の先頭へと誘導する。

 半年ほどアスカ姫専属の護衛として動いていただけに慣れてきたらしい。


「予定外の『事故』はありましたが、当初予定されていたスケジュールの消化は可能です。団長もあくまで『事故』なのですから、意識を視察に戻してください」


 小声で囁かれたエルサの言葉にぎこちなく頷きな先頭に立つランヴァルド。

 その姿が引き戸の向こうに隠れて見えなくなった途端、ユリアナたちから発されていた刺々(とげとげ)しい空気が緩む。

 完全に事故であり裸を見られた訳ではないにしろ、未婚女性の下着姿を見たことは許しがたいものがあったようだ。


「今回のことは私にも油断がありました。柵に近づきすぎないよう気をつけなければなりませんね」


 自戒を込めて両頬を冷えた手で挟み込み、ぺちぺちと可愛らしい音を立てて軽く叩く。ついでスカートに通した布ベルトを確認したアスカは、それが緩まないことに安堵し小さく前へ足を進める。

 恥ずかしいが事故だったのだから、と強く己の心に言い聞かせて。






 なお、ランヴァルドは本部への帰還後に執務室でたっぷりとユリアナたち側仕えに説教されたらしい。

 誰もが事故だと分かっているので厳しくはなかったようだが、未婚の王族女子への不敬など例がほとんど無いことなので基準も分からないのだろう。

 就寝の鐘がなる前には、イェートたちの『襲撃』を防げなかったユリアナたちも含め、自主的な禁酒六日間で関係者の『話し合い』は決着したようだ。


 一方のアスカも私室に下がってから悶々としていた。

 下着を見られてしまったこともそうだが、デザインが変ではなかったか、はしたないとランヴァルドに思われていないか、などかなり乙女寄りな悩みだったが。


 ロヴァーニは、そして赤獅子の槍(レイオーネ・ケイハス)は今夜も平和だったようである。


評価やブックマークで応援いただけると、作者の執筆速度とやる気に直結します。

投稿できなかった間にPVが35万、ユニークも10万を超えていたようです。亀更新ですがお付き合いいただきありがとうございます。誤脱は帰宅後ゆるゆる見直します。


夏以降仕事でバタバタしておりましたが、少し落ち着き始めた11月頭に駅前の交差点で大転倒し膝を打撲して全治三週間だったり、治りかけた頃に膝を庇って腰を強く捻って起き上がれなくなったりと散々でした。更新が遅くなってごめんなさい。


一年目の分の閑話はこれで終了、次回から二年目のエピソードになります。

次話(二年目)も半分くらいまでは書き上がってます。早ければ年内更新。まだ年内に2020年の開発計画会議とか彩色案件が複数残ってるので若干流動的です。冬コミに出ない分執筆時間が取れるといいのですが。

長らくお待たせした分、姫様のサービスシーン?も入れてみました。こんなサービス、滅多に……と思いつつ次回分の下書きに入浴シーンが。消えないように祈っていてください。

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