部隊の帰還と取り巻く情勢
移住希望者たちを迎える荷車が冬の辺境街道を越えてラッサーリに向かっても、ロヴァーニの動きは普段と変わらない。
試作の魔術具で主だった道が除雪されたため、各工房ではさらに雇用を増やして生産を増やし、生産された商品を扱う商会や納品を受ける傭兵団、施設などでは空いたスペースに限界まで積み上げる姿が連日見られた。
保管スペースを作るため、魔術師や錬金術師たちが足りなくなるのも普段通り。
派遣要請が協議会に上がっても、対応出来る数が急に増えるわけではない。
アスカ姫やその内弟子を中心に教育が行われているが、王都の学院でも習わない内容を身に着け、実践できるようになるまで相応の時間がかかる。
簡単な材質変換や強化が使えるようになっても、単独で工事の対応ができるようになるには最低でも半年程度かかるはずだ。
毎日行われる団長の執務室での手伝い、魔術師や錬金術師への講義、薬師たちへの指導、アスカ姫にしか作れない魔術具の製作などを考えると、自由になる時間は数えるほどしか残らない。
週六日のうち社会慣例として休息日に充てられているのが一日。
騎乗する角犀馬や妖精猫の世話もあり、さらには女性特有の休みを必要とすることもある。
詰まりまくったスケジュールから空き時間を確保するのは至難の業だ。基本的には定型業務以外での余裕はない。面会の対応もその時間内で行われている。
だから突然の面会依頼など、人の生死や町の防衛に関わること以外で余程のことが無い限りは論外だ。
調整を担当するユリアナも当然だが、陳情を受ける協議会やアスカ姫の保護者である赤獅子の槍団長のランヴァルドも苦慮することになる。
「――以上の必要性から、何とか姫様か内弟子の方に追加で工事をお願いできないかと。こちらが予算書になります。何卒ご検討いただけないでしょうか?」
ランヴァルドの執務室の机に植物紙数枚の予算書が置かれるが、受け取る団長の顔にも疲れが見えた。午後の執務も半ばほどが終わり、わずかに空いた時間にアスカ姫の訪問を受けたところでこの陳情である。
一息入れようとお茶に誘われた矢先なのに、だ。
そのアスカ姫は応接用のソファに腰掛け、白磁のカップを手にしている。
テーブルの上に置かれた新作の焼き菓子もあり、正直なところアスカ姫の予定が絡む陳情でなければ後回しにしたかった。
直営商会の者だからこうして対応しているが、他の者であれば数日後に面会予約を取るか、説明を受けることもなく書類だけで判断していたところである。
あるいは『町の代表者が集まる協議会に申請しろ』と門前払いするか。
長々とした口上を受け、渋々ながら予算書を受け取る。
従来の木板であればこの数十倍の厚みを持っていたが、今やロヴァーニの町では工房が三つと材料の下処理を行う工房が五つ出来上がり、移住直後の者たちの大事な働き先となっていた。
細かく砕かれたチップを磨り潰すのは水道に併設された水車の動力である。
工房内で磨り潰したチップを運んだり、蒸し上げたものをさらに磨り潰したりと力仕事は多いものの、特別な技術が無くとも働ける仕事場は貴重だ。
直営商会傘下の工房の場合、まだ拙いがベアリングの技術が開示された影響で重量物を比較的楽に動かせる小型荷車やクレーンが導入されている。
工事現場では力の足りない女子供でも働ける職場とあって、春以降の増設が強く望まれていた。
魔術具を設置した団直営の植物紙工房の生産量が一番多いけれど、人力だけで生産している工房一つ当たり、一日にA1程度の大きさがある植物紙を五十枚は作れるようになっている。
水を絞って厚みを均等にする圧延と乾燥の工程で時間がかかるため生産量が少ないように見えるが、皮紙のように剥いだ皮を薄く削いだりする手間と技量、時間に比べたらかなり大きな差だ。
書類の内容自体は問題ない。予算もロヴァーニの町で高位の魔術師を雇い、拘束される時間に四割程度上乗せした金額になっている。
リージュール魔法王国の王女殿下に依頼するのであれば、最低限この程度は必要だという配慮だろう。
会計長のマイニオが捺すべき印が無いのは、こちらとの交渉を先に済ませてしまいたいとの思惑だろうか。
それでも超過密スケジュールになっているアスカ姫を動かすには弱い。
「姫には先日の除雪用魔術具でも大変お世話になっているし、明日から町中の公衆浴場設置で協力をお願いしている。そのために自警団と各傭兵団から毎日数十名、建設予定地の雪掻きをしてもらっているくらいだ。
予定は先月から組んで姫や側仕えたちとも調整している。
倉庫の拡張や整備には新人たちも含めてかなりの人数を出しているし、辺境街道へイントたちを送り出しているから、戻るまでは代わりの魔術師も補充できんぞ」
書類自体に不備はないが、実際に動くことになるアスカ姫のスケジュールはこれ以上動かせない。
十四歳になって成人を迎えたとはいえ、一般的な成人したての少女が受け持つ仕事量を遥かに超えている。
かといって、経験的には十分ベテランと見做されるアニエラやハンネでも必要と思われる総魔力量で考えれば力不足もいいところだ。
訓練で魔力量を増やしているとはいえ王族と貴族では初期保有魔力の量が桁違いだし、何より一般的な貴族階級出身者とリージュールの王族ではその差が桁二つか三つほどは離されている。
魔力運用の方法が従来教えられたままなら、下手をすればさらに格差は広がっていたかも知れないのだ。
「必要なことは分からないでもないが、今の時期に姫の予定を大きく動かすことは出来ない。例年通りならあと半月ばかりで雪も止み、雪解けの季節が来るだろう。それまでは既存の倉庫や工房の資材庫を使ってやりくりしてもらいたい。
商家ならば従業員の自宅の倉庫なども借りられるだろう? 冬篭りの食糧もある程度消費して、置き場にも余裕があるはずだ」
「ですが、今後のことを考えますと……」
「今後のことも大事だろうが、それはリージュールの王女殿下を動かす理由としては難しい。大体、それほど重要な案件であればなぜ町の有力者が集まった一昨日の協議会の席で議題に掛けなかった?」
予算書を最後のページまで読み、却下の言葉とともに突き返したランヴァルドが陳情に訪れた文官と商人を睨み据える。
まだ二十歳を超えて僅かとはいえ、彼も構成員四百人を超える傭兵団の団長だ。
しかもこの一年で名実共に『辺境最強』を名乗れるだけの力も身に着けている。
毎日午前中に執務室で行われる手伝いの時間を無くせば対応できないこともないだろうが、半鐘ほどで全ての書類に目を通して重要度と緊急度別に仕分け、事務系の仕事が苦手なスヴェンを椅子に座らせるなど、他の誰にもできない。
月初にアスカ姫が体調不良でユリアナが代理をした時は、文官たちが総出で乗り切ったほどなのだ。
「既に姫には一日の時間の大半をロヴァーニの統治と教育のために頂戴している。これ以上を望むのはそなたらに休憩時間や食事の時間を削り、眠る時間を削って働けというのと同じだ。春になれば防壁や街道整備の工事も始まる。
おそらく移住者も増えてくるだろうが、働き手はその者たちがやって来るまでは余裕がないと考えてもらいたい。
姫や団の幹部たちの予想では、雪解け以降エロマー子爵の侵攻も考えられる。
もし予想通りになったら団の魔術師や治癒師たちも防衛に回さなければならないから、人員は今の半分もいなくなるぞ」
ランヴァルドが強く拒否し、さらに魔術師の手が今以上に減る可能性を示唆されたため、流石に彼らも黙り込む。
いくら大きくなったとはいえ、まだ人口二千数百人の町だ。
住民の約四分の一が傭兵団と自警団に所属しているという歪な構成ではあるが、新しく齎された道具や魔術具で生産性自体は跳ね上がっている。
傭兵団や自警団に所属していない者でも、診療所や工房に勤めている者も確かにいるだろう。それとて有事には町と住民を守る戦力として駆り出されるのだ。
子供ですら避難の誘導をしたり、後方での軽量物の運搬をするのだから人手に余裕などあるはずがない。
それにロヴァーニそのものは直接襲われなくても、辺境街道沿いの町や村、集落が襲われれば脅威はやがてここにも届く。生き延びた者たちが食べていける場所を求めてこの町にやってくるのも当然だろう。
工事途中の防壁だけ見ても、ここロヴァーニより堅牢な土地は他に無い。
まだ二千人を超えた程度の町で、職人や治癒師を含め半数強が食糧生産には直接関わらないなら、辛うじて均衡を保てている需給バランスも各地から被災民を受け入れることで容易く崩壊する。
それはアスカ姫が文官たちと傭兵団幹部、職人や商人の取りまとめ役を集めて冬の初めに講義した都市自治の基礎座学でも周知されていた。
普段なら『町の運営など自分には関係ない』と意識から逸らす気難しい職人たちでも、現在の状況が微妙な天秤の皿上に載っていると理解できたはずである。
「――出来上がった商品を置く場所の余裕が無いのは分かった。協議会に自警団の屋内訓練場の一部を借り受ける案を次回提示するのと、各傭兵団に場所の借り受けについて要請書を出してみる。
だが、私ができるのはそこまでだ。自分の生活する場所を切り詰めてみることも考えに入れて欲しい。魔術師が必要なら我々の手だけでなく、自前で用意してみることも考えろ。ハルキン兄弟団やノルドマン傭兵団辺りに持ちかけたら、無言で叩き出されているだろうからな」
金額と賃貸の期間は自分で交渉しろと突き放し、席を立って予算書を返す。
それに合わせて執務室付きの文官が廊下に繋がる扉を押し開き、退出を促した。
元から予定されていなかった面会であり、アスカ姫のお茶の時間で下げ渡される菓子の人気も高いことから、文官たちも頬やこめかみの筋肉が引き攣って明らかに怒っていることが見て取れる。
商人たちの退室に少し遅れて、普段より少々荒い音を立てて扉が閉じられた。
途端、部屋にいた者たちからは一斉に深い溜め息が漏れている。
「――身内からあのような者たちが出るとはな。お茶の時間が終わったら会計長を呼んでくれ。直営商会の商会長は夕方か、都合がつかなければ明日の朝に」
「本日中に呼び出します。あの文官は昨秋に外部から雇用した者ですが、放置しておくようなことがあれば我々まで同じように見られかねません」
扉を閉じた部屋付きの文官が首を横に振りながらもう一度深い溜め息を吐く。
基本的な計数管理ができる人材であればと採用したが、ロヴァーニの発展が他の土地と比べて十数倍の速度で行われていること、その原動力が成人直後の姫一人に依るものだと理解していれば無理など言えないと分かっているはずだ。
組織に害を及ぼすなら切り捨てることも已むを得ない。
「とりあえず一旦席を離れよう。また次の案件を持ち込まれても敵わん」
団の印璽を引き出しに収めたランヴァルドは、同じく算盤を前に疲れ果てているスヴェンを手招きしてソファに誘う。
テーブル近くに控えていたネリアは、その動きを見て主のカップのお代わりと、追加で二人分のテノを淹れている。文官たちも休憩を決めたのか、執務室に備え付けの設備で湯を沸かし始めた。
「ご面倒をおかけします、ランヴァルド様」
向かい側のソファを勧めて菓子皿を示す。女子棟では何度か試作品を出しているものの、新館では初お目見えになる菓子。
一口大のタルト生地の上にカァナの卵を使ったカスタード生地を載せ、ヴィダ酒と砂糖で煮たムィアの薄切りを小さな花びらのように並べているそれは、濃いピンク色の花びらを白い皿の上に咲かせている。
まだ少量だが、夏に採れたアルマノの実を熟成・発酵させてアルコールにし、瓶の中で三月ほど寝かせたものにヴィダの実を漬け込み、錬金術で浸透させてラムレーズンもどきも作ってある。
カスタードクリームの中にも細かく刻んで練り込んだため、味と香りが良いアクセントになっているはずだ。
「面倒というほどではありません。悪い方の予測が当たっただけですし、姫と町の力関係を考えればいくらでも断りようがあります。
ただ、春に向けてまた人の動きが出てくるはずです。ラッサーリから連れてくる者もいますし、身元確認がこれまで以上に必要かと。実家に仕えてくれたヴァルトが戻りましたら町の文官を十数名預けるつもりなので、対策を立てさせます」
「馬鹿やった奴は力尽くでどうにかしてやってもいいんじゃねぇか?」
「それは最後の手段だ。ただでさえ人手が足りないのに、多少なりとも計数管理のできる人材を自分たちで潰して首を絞めても仕方ない。
武器の扱いや自衛の能力は今後訓練させるつもりだが、計算や企画立案の能力はスヴェンより上の者が多いぞ。得意分野の違いではあるが」
はっきりとランヴァルドが言い切ったことでスヴェンが大きく肩を落とす。
家名持ちの割に腕っ節が何よりも最優先するスヴェンは、書類仕事や計数管理を苦手としている。飛鳥が地球で使われていた算盤を元に新しいものを作って団内に紹介したが、性に合わないのだろう。
朝の書類仕分けの時に加減しているとはいえ、スヴェンが担当する計数処理の書類は団長のランヴァルドや会計長であるマイニオの五分の一程度である。
各種グラフの作り方や使い方、表や箇条書きによる要点の整理を早い段階で文官たちに教え込んだため、見やすさや書類としての完成度は格段の差があった。
要点が分かりにくく誤魔化しが容易だった過去の書類に比べれば、はるかに時間の短縮もできている。
直営商会からの陳情書や提案書も、最近は形式に則っていないものは内容の如何を問わず受け付けをする文官の手で事前に弾かれ、容赦なく作成者へ突き返されていた。
それでも執務室に積まれる書類の量は到底『減った』と言えないのだが。
木板ではなく植物紙になったことで以前ほど厚みが無くなったものの、書類全体としての量はむしろ増えている。傭兵団の規模が大きくなったことと、直営商会の取引の中でもアスカ姫が関わっている案件で団長決裁の必要な書類が全て執務室に上げられているのが原因だ。
これでも昨秋の終わり頃に比べれば減っている。途中から定型作業として会計長のマイニオに決裁権限を委ねたものもあるし、直営商会の文官に判断基準を示して任せたものもある。
取引額が金貨五百枚を超えるような大型案件はさすがに会計長や団長決裁が必要になるものの、金貨二十枚以内なら部隊長権限で決済できるよう規約も変更した。しかし一般的な商会との取引は減っているというのに、書類は確実に増えた。
レシピや装飾品の取引はユリアナたちが決裁しているし、ロヴァーニの町の施設に関する内容は協議会メンバーの合議に委ねているのに。
「――とりあえず、仕事の机を離れたのですから休憩してください。休む時は完全に仕事から離れた方が良いです。頭を使うと甘いものが欲しくなると言いますし、新作のお菓子の感想もいただけると嬉しいです」
そう言ってネリアが淹れたテノに口をつけ、アスカ自ら一口大のタルトを手に取り、小さく齧る。
さくり、ほろりと口の中で容易く崩れる生地は、薄力粉とほぼ同じルヴァッセの香ばしさと砂糖の甘さ、イェートのミルクから作ったバターの香りが詰まっている。
甘いカスタードクリームとラムレーズンを模したヴィダの実がさらに菓子としての甘さと微かな苦味を加え、シナモンに似た風味を出す木の実を粉にして少量混ぜたためか、完成度はこれまでの試作品に比べて圧倒的に高い。
「……もう少し量や混ぜ方の調整は必要かも知れませんね」
昨年から作っていて慣れたのか、カスタードクリームの方は舌に引っかかることもなく滑らかな感触を伝えていた。問題はヴィダの実を使ったラムレーズンとシナモン風の香辛料である。
作って直後の試食ではそれほど気にならなかったが、半鐘弱とはいえ時間を置いてみると味の馴染み方や風味の変化など、気になる点も出てくる。
「十分美味しいと思いますが――先日頂いたムィアのパイや、ウィネルとルシーニを使ったロールケーキなども絶品でした」
「俺は先週のスイート・ソレッティエだったか? あっちの甘過ぎない甘さも好きだったな。去年まで普通に晩飯に出てた芋が菓子になるとは思ってなかったが」
「果樹園や畑は今年から広げてもらいますから、まだ想定される需要に対して絶対数が足りていないようです。魔術を使った促成栽培や、狭い面積での特殊な栽培方法も試してみたいですし」
飛鳥がネリアに視線を向け、ワゴンに乗せてあった小さな木箱を指差す。
そちらにはスヴェンが言ったスイート・ソレッティエが二段に分けて詰め込まれている。団長の執務室付きの文官たちに差し入れる分だ。
甘くなり過ぎないように砂糖を控えめにし、表面には照りを出すため貴重なカァナの卵を溶いて薄く塗っている。
材料のソレッティエをアルマノやイェートのミルクから作ったバターと練り合わせた時に全体が黄色ではなく淡いピンク色になったのは想定外だったが、味は想定の範囲内に収まった。
女性に比べて甘いものが苦手という男性陣でも楽しめる甘味とあって、レシピを教えたダニエたち新館厨房のスタッフは現在も自分たち好みの甘さを実現できるよう試行錯誤を繰り返している。
「それにしても、秋口から冬にかけて結構な数の倉庫を増設してきたというのに、まだ足りないというのは想定外です。春になったら移住者の住宅建設と合わせて、工房が大変そうですよ。町に金が回るのは良いことですが」
疲れたようにソファへ背を預けたランヴァルドが深く長い溜め息を吐く。
王都の貴族学院で内政や組織運営を教養として習ってはきたものの、自身は騎士や武人であることを目指していたし、傭兵団を組織することになってからは会計長のマイニオに丸投げしていた部分も多い。
団に豊かさを齎し設備の拡充なども出来ているので文句を言う気はないが、仕事を振り分けることのできる人材の補充は急務だった。
「知識のある人材を育てるのは時間がかかりますから、単純作業など技術や知識が不要なところには非番の団員や自警団などに日当を支払って動かすことも考えています。木を伐って運んだり、鉱山付近で切り出した石を運んでくる程度なら誰でも出来ますから」
「新人魔術師も簡単な薬の作り方や魔力運用は身についてるだろうし、現場で実践訓練させてやれば良いだろう。自分の身を護る訓練や連携は時間をかけねぇとな。
エロマーの連中が攻めてくる可能性はあるにしろ、普段から足元をしっかり固めとけば問題ねぇさ」
文官たちの差し入れ分から一個つまみ食いしたスヴェンが実に美味そうに表情を緩めてテノを飲み干す。
奪われた文官が悲しそうな顔をしているが、一人分につき二個、こうなるだろうと予測して数個多めに入れたので、食べそびれるということはないはずである。
この後スヴェンに対して行われるだろう報復の場に飛鳥は立ち会わないし、食べ物の恨みを発散する場に立ち会ったとしても味方することはない。
娯楽や楽しみとなるものが少ないと思われる世界で、自身がどんなものを作っているかという認識くらいはさすがに持っていた。
「いずれにしろ、倉庫関連で私が直接関わるのは海辺の村に併設する海産物倉庫だけで精一杯になると思います。ロヴァーニの町に建設する分は移住者の働き口を増やすことにもなりますし、他の魔術師の仕事を奪ってしまいますから。
新しい中央市場の工事は地下も含めて終わりましたから、後はそれぞれの商会が内装を整えるだけです。ロヴァーニ近郊の街道整備、防壁の工事、各種工房の増設や移住者の住居建築は民間に出してしまいましょう。
近隣から労働力が集まって富を分配できるなら、友好的な町は緩い同盟状態に、中立に近い町でも積極的に対立することは避けてくれるでしょう」
「そうなってくれたら助かるのですが……これ以上は止めておきましょう。折角のお茶の時間です。仕事からは離れておきたい」
胸に溜まった重さを吐き出すようなランヴァルドの溜め息に飛鳥も苦笑し、広いソファの上で丸まっている妖精猫の背中を撫でる。
先程まではソファの肘掛けから背に登って座面に転がり落ちたりとはしゃいでいたが、遊び疲れてしまったのだろう。
「早ければ五日ほど後にラッサーリへ向かった者たちが戻ります。受け入れの立ち会いには傭兵団の幹部が顔を揃えることになりますので、前日くらいからそちらに詰める予定です。
姫が新しい中央市場近くに立てる共同浴場には立ち会えると思いますが、職人街と工房街の浴場は会計長のマイニオに任せることになりそうです。
私の留守中、団内のことと直営商会に関わる案件はマイニオが、各記録の分類と整理は文官たちに指示を出しておきますので」
「俺は? まだ何も言われていないんだが」
「スヴェンは新人たちの訓練を担当していてくれ。留守にすると言っても砦の管理棟で移住希望者の審査に立ち会うだけだから、一泊か、長くても二泊程度だ。
向こうで泊まるにしても、何かあれば雪が酷くならなければ帰って来られる」
ネリアにテノのお代わりを頼みながら、手は白い皿に並んだラムレーズンタルトに伸びている。
ヴィダ酒のボトルで三本分しか作っていないアルマノから作った蒸留酒。濃度はそれぞれ違うが、指につけて舐めた印象で中間くらいになるものを使っている。
妹たちや紫相手に作った菓子でラムやブランデーを使った時と似た印象だったので、アルコール度数も同じようなものだろう。
予想していたよりも強く出た苦味の調整は、蒸留酒の原料と同じ砂糖のシロップで行っている。この辺りは何度か作っている間に改良できるはずだ。
「風味と口当たりは当然ですが、鼻に抜けるヴィダと酒の香りが良いですね。材料や製法がロヴァーニ以外には無いので、売り出すわけにはいかないでしょうけど」
「新鮮なミルクと卵を仕入れて、アルマノが揃えられる環境と簡単な蒸留の設備があれば近いものは作れると思いますよ。味を安定させるまで時間はかかりますが」
昨年の早い段階でイェートやカァナなどを集め、専門に飼う契約農家を募り、牧場や飼育舎を魔術で整備し冬を越させているのはロヴァーニくらいだろう。
その畜舎や大規模ケージ、放牧地、付属する施設には飛鳥の手も加わっている。
寒さの厳しい冬や暑い夏を想定した温度管理の魔術具などは、王国の直轄地でも見ること自体極めて稀だ。
もちろん、各農家で翌年の繁殖用に番を残すことはある。
家畜に冬を越させるにも大量の飼料が必要になるため、真冬に新鮮なミルクや卵を確保するのは食糧生産に大幅な余剰がある土地でなければ難しい。
それ以外の土地では余剰頭数を冬篭り前に潰し、保存食に加工するのがこの世界の常識だった。食糧生産が枷となって繁殖を積極的に行わないなら、必然的に肉や毛、皮革以外の製品は手に入れにくくなる。
「生クリームと合わせて全く別のお菓子も作れますけど、そちらは今度お届けしますね。ヴィダの実を漬けるお酒が安定して作れるようになったらダニエにも製法を開示しますので、広めるのはお待ち下さい」
「もちろんです。大型の蒸留器も春以降に鉱山での採掘が本格化してから鍛冶工房と造り酒屋が共同で研究するようです。いつまでも姫の研究室に負担を掛け続けるわけには参りませんから」
研究室と言っても、現状は飛鳥として過ごした世界の知識の確認とこの世界での比較、生活周りの技術の再現などに割かれる割合が極めて高い。
調味料や酒など食事に関するもの、服飾周りや動植物・鉱物などの素材の収集と調査、この世界独自の品物についての調べ物。
アスカ姫として過ごすために紫の持っていた普段着や余所行きのドレス、制服などのデザインも参考にしている。
加えて飛鳥が学園で習った範囲で知っている化学や物理など科学知識の確認、病気や怪我の治療法、人体に付随する保健体育的なあれこれの確認も含まれていた。
アスカ姫として習った魔術知識や世界の知識、旅の途中で通った地域や人々の風習なども別に纏めており、特に魔術に関しては日本語や英語で一旦書き付け、その後伝える範囲と内容を選んで別の紙に纏めていた。
思い出した技術や知識は分野を問わず植物紙に書き付け、それをこちらの世界の言葉に合わせて翻訳し、大まかな分類を決めて机の脇の棚に入れておく。
そうすればアニエラやハンネといった内弟子かユリアナたちが整理し、分野ごとに分類し直して清書し、まとめてくれるのだ。
料理に関してはミルヤを筆頭にリスティナとリューリが、被服に関してはティーナを筆頭にセリヤ、ルースラが。アニエラには薬学や医療周りの知識、ハンネには錬金術周りの知識が任され、確認と検証も行うことが多い。
中には王都ロセリアドにすら伝えられていない知識や技術もあり、魔術師や錬金術師、薬師たちは検証と実験に追われている。
書き付けには商品として売り物にするには向かなかった紙を再生し、漂白剤や芋類から取れたデンプン、松脂のような樹脂と貝殻を細かく破砕したものを混ぜて洋紙のようにしたものを使っている。
女子棟で作っている紙は現在この基本レシピに従って作られており、傭兵団が外部に出す公式文書や内部への重要通達書もこの紙が使われる。
添加剤の配合割合は直営工房にも情報と試作品を開示しているので、いずれ技術が追いついてくることだろう。
現在本部新館の二階にある会議室などで文官たちがまとめている資料は、飛鳥の研究室から出された書き付けや資料を女子棟内でまとめ直し、それをさらに編集し直す作業である。
特に魔術と料理、各種技術に関する書類は厳重管理され、団長や幹部とユリアナたち側仕えの協議の上で公開範囲を決められていた。料理は女子棟内部だけで止めているものもあれば、ダニエたちには公開して構わないもの、ロヴァーニ内部だけに止めるもの、外部まで広めても良いものと四段階に分かれている。
分類され体系化された知識は強力な武器だ。
この世界における体系だった知識は、王都にある魔術学院のような高等教育機関や各職人の工房内で内弟子だけに伝えられ、外に出ることは滅多にない。
これまではそれが各国の王都に集中していたが、今後はその勢力図が大幅に書き換えられる。その矢面に立つことになるのはアスカ姫ではなく、彼女たちの方が可能性としては高い。
「春になったら団本部新館の増設と女子棟の拡充増設も予定されています。資材は昨年の秋に買い付け済みですから、あとは工期をどうするかだけですね。
雪解け後の情勢を見てからになりますが、昨年と同様にロセリアドへ学院生などの勧誘人員も派遣するつもりです。姫の下で学んでいる者を何名か派遣してもらうかも知れませんが……」
「本人が了承すれば構わないと思います。私からも不在の間は出張手当として幾許か手当を出すつもりですし、旅の道中で魔術具の運用試験をお願いするかも知れません」
魔術師の派遣自体はハンネやアニエラたちと話し合っているため、アスカとしても異存はない。ハンネの補講や新人への教育は順次進めているけれど、今年も三ヶ月ほど穴を開けてしまうのはよろしくない。
アニエラもロヴァーニでの薬学や医療の中心人物となっているので、派遣する者は比較的若手で護衛任務の経験がある、学院出身の若手が有力視されていた。
おそらくは男性陣の中から数名選ばれることになるだろう。
「ただ、ハンネは昨年不在にしていた間の補講や個別指導がありますし、アニエラは薬師として今のロヴァーニからは動かせません。最終的な人選は団長にお任せしますが、帰還後の補講も十分に行いますので人選はご考慮ください」
考慮して欲しい、とは言うが、立場を考えればアスカ姫の言葉は命令に近い。
昨年に引き続きハンネを派遣するのは周囲との学習進度の差が大きくなってしまうため極力避けたいし、連れてきたばかりの新人たちは身を護る手段が身に付いていない状態で、危険の多い長旅に出すこと自体が難しい。
ハンネたちより下の世代の女性団員になると、ようやく今年から辺境区域の護衛依頼を受け始める力量なので、まだ遠出は危険と判断されている。
畢竟、王都の学院出身でアニエラたちと同年代の男性魔術師を、可能ならば貴族かその従者の家系出身の者を選んで派遣するしか無いのだ。
学院や貴族家、商会との交渉もあると考えれば、二人は派遣する必要がある。
実家の伯爵家へ根回ししておく必要もあるだろう。
「姫の御心のままに。出来ましたら――王都へ向かう者へ預ける手紙に実家へ宛てて支援を依頼しようと思うので、姫の添え文を頂ければ」
「内容次第になりますが。ユリアナ、詳しい内容は団長と打ち合わせをお願いしますね。使い魔を先に遣わすなら多少内密のことも書けると思いますが」
「承知しました、姫様」
恭しく頭を下げたユリアナに頷き返し、膝の上に乗ってきた妖精猫のルミを両手で抱き上げる。
講義が行われていた間は大人しくしていたが、子供なので構ってあげればあげただけ燥ぐ。
それでも体力には限りがあるため、アスカ姫の膝に乗って甘えようとしてきた時をルミの限界と判断して籠に戻すようにしているのだ。
「明日は天気を見ながらになりますが、朝から浴場建設の現場に向かいます。書類の仕分けには私の代わりにライラとセリヤを寄越しますので。
依頼されていた紙は出来上がっていますので、地下の倉庫経由でお渡しできるはずです。後ほど調達班の方か下働きの方を手配ください。ミルヤ、受け渡しの手配をお願いしますね」
二杯目のテノを飲み終え、白磁のカップをネリアに預けて立ち上がる。
話すべきことも話せたので、お茶の時間は終わりだ。
抱き上げたルミはアスカ姫の胸に埋もれているのが気持ち良いのか、ひしと抱きついて離れようとしない。軽いとはいえ小さな仔猫程度の体重はあるので、引っ付かれているとショールを羽織っていてもこの世界の同世代の少女たちより豊かな胸は目立つ。
歌舞伎の舞台に立った経験があり、視線に対する恐怖などを感じなかったはずの飛鳥が思わず一歩下がってしまう圧力を持って見られることも経験している。
まあそのような不躾な視線も市場の、それも初めてアスカ姫を見る外部の者たちから向けられるくらいで、周囲にいる側仕えや護衛達を見て貴人と知り、自然と逸らされるのだが。
「ではまた明日。ネリア、お茶美味しかったです。夜もお願いしますね。箱の回収は明日で構いませんから、会計長のお部屋にも差し入れをお願いします。
レーア、ルミの籠をお願いします」
執務室付きの文官が音を立てないように開けたドアに向かい歩みを進める。
新館内部は廊下も含め、魔術具と外壁の断熱材のおかげで寒さを感じることも少ない。その点では春先でも寒さを感じた昨年までの団本部の建物とは段違いだ。
飛鳥はユリアナたちを率いて女子棟に戻り、ネリアとルースラが部屋の茶器の片付けと差し入れの準備を行う。
書き付けを纏めている各会議室と受付、ダニエたちの厨房へは女子棟の者が別途届けてくれている。女子棟はリスティナとリューリが手配してくれているはずだ。
廊下の窓の外に見える中庭はだいぶ暗くなっている。
一番陽の短い時期を過ぎたとはいえ、まだ真冬なのだ。もうしばらくは寒い時期が続くのだろう。団長はもう五日ほどで帰ってくると言っていたが、辺境街道を抜けて彼らが帰ってくる頃にはすぐに暖を取れるようにしてあげたいとも思う。
この世界では湿度の差もあるのだろうが、水の確保が容易な地域以外では入浴の習慣が広まっていない。ロヴァーニ近郊は川や泉の近辺なら頻繁に身体を洗ったり拭いたりできるものの、まず命を繋ぐ飲み水の方が優先される。
体臭などはそれほど気にならないものの、十代の少女の身体を預かる飛鳥としては身綺麗にしておきたいし、衛生面や健康面でも、そして日本人の意識を持つ自身のためにも風呂に入れる機会は確保したい。
一階の受付脇へ降り、階段ホールから本部新館と女子棟の連絡通路を抜ける。
冬の半ばに設置した魔術具で冷たい風が吹き込まないようにされているが、装飾や内装まで整えられているわけではない連絡通路は見た目にも寒々しい。
夏に熱気が籠もるのも好ましくないが、見た目よりも雨風を避けるという用途を最優先にした結果なので仕方あるまい。
団本部の裏手にある崖から、ロヴァーニの町中へと吹き下ろす寒風が甲高い笛のような音を立てていく。ロヴァーニを吹き抜けた後は、北の鉱山を抜けた湿った風と合流して砦の方へと抜け、辺境街道へと抜けていくはずだ。
辺境街道は水場や丘などの起伏はあるものの、風を遮る場所がない基本的に平野が続く。除雪用の魔術具を貸し出しているけれど、絶対はありえない。
身重の女性や子供がいるのであれば、現代的な日本人の感覚を意識に残している飛鳥としては自ら助けに向かいたいとも思う。それが儘ならない高貴な身であることも理解はしている。
内心の葛藤を抱えながら、アスカ姫としての行動を取らなければならない。
飛鳥は胸の上で身動ぎする白い毛玉を右手で撫で、先に立つユリアナの背を追うように女子棟へと歩みを進めた。
真冬の辺境街道を走り抜けることは、通常なら『死の行軍』を行うことと同義である。辺境に住む者に限らず、雪の降る場所では手足の指が食われ、耳や鼻が食われ、やがて血の巡りが悪くなって死ぬと言われていた。
肌を刺す寒さも大敵で、毛皮を着込んだり魔術具で風を遮るなどの防寒対策を取らなければ半刻から一刻ほどで氷の彫像が出来上がる。
過去にそうしたことが度々起きたため、行商人ですら余程のことがない限り冬場の外出を控えていた。
それらは過去の出来事となりつつある。いや、知識と道具が齎されたことによって間違いなくそうなるのだろう。
ロヴァーニ側の人員、移住希望者の双方で誰一人として凍傷の被害もなく、せいぜい霜焼け程度で済んだのは僥倖の一言に尽きる。
アスカ姫が提供した除雪の魔術具と中継拠点の雪の小屋、保温の魔術具と食料のおかげで無事に往復を果たしたイントたち一行は、道中の活動記録を団長に提出しながら温かいスープを飲んでいる。
夏に収穫して倉庫に冷凍保存されていたマーィを使ったコーンスープだ。
暖かな湯気とイェートのミルクをたっぷり使ったスープが、寒さに強張っていた筋肉を解して気持ちを落ち着かせる。
身重だった奥方と旦那であるヨナス自身、それにヴァルト夫妻は一足先に団本部へと移送された。荷車が向かった先にはロヴァーニで最も設備の整った医務室での検診が待っている。
アニエラを始めとした薬師たちの腕も良いし、医者やアスカ姫の知識もある。
来年開設予定の医療施設が出来上がるまでは文字通り最高の場所だ。
他の傭兵団の者や小屋作りで参加した町民は既に解散している。移住希望者はこの砦の管理棟で数日留まり、審査と手続きを受けることになっている。
その間は単純に待つだけで、ここにいても暇になるだけだ。必要な報告さえしてしまえば長居する理由はない。
冬といっても除雪が進められているロヴァーニの町中であれば仕事はいくらでもあるし、家に帰れば家族との生活もある。
同行してきたラッサーリの商隊が二組いたが、そちらは自警団と文官たちが通常の入門受付を行っていた。冬季の閉鎖中とはいえ、晴れた日に近隣の集落や町から市場への買い付けに来るケースは珍しくない。
距離が離れているとはいえ同じように受け付けることで、公平な対応が知れ渡るだろう。それはいずれロヴァーニの味方となって働いてくれるはずである。
「で、エロマー子爵領からの逃亡者が増えそうだというのはほぼ確定です。それを追って武装勢力まで出てくる可能性があるって話も。主力は子爵の私兵と無理矢理徴兵された住民じゃないかと思いますがね」
報告者であるイントが砦の管理棟にある厨房で炙られたヴィリシの厚切りベーコンを新鮮な葉野菜で包み、大口を開けてかぶりつく。道中で補給できない新鮮な野菜と温かい肉はそれだけでご馳走だ。
報告をしながらも彼の手は止まらない。
「領都じゃ私兵共が町娘を娼婦の代わりに宿へ連れ込んで、それを嫌がった住民や商人も逃げ出し始めてるようです。流石にこの辺は姫様にゃ話せませんが。
ラッサーリのテルッホ殿には侵攻に備えた防塁の構築と、傭兵の雇用を見積もるよう進言しておきました。ヴァルト殿とヨナス殿が団本部に向かう際、会計長宛の見積もり依頼を持っていってます」
「なるほど――想像以上に酷いな。街道封鎖解除後の第一弾の商隊護衛は増員した方が良さそうだ。巡回部隊の編成も早急に相談した方が良さそうな感じか?」
「でしょうな。俺個人の印象ですが、ラッサーリからムーラメの丘辺りまでの集落は私掠兵が出てもおかしくないかと。
本部に帰ったらカッレ隊長にも確認しますが、テルッホ殿の紹介で会った商人や友人の話ではその辺までやられちまう可能性はあります。
農法が大きく変わったこの町と違って辺境の収穫量は王国並みですし、奴らの襲撃を受けたら逃げ場所はロヴァーニしか無いはずです。
ムーラメよりも奥はロヴァーニの勢力地と言ってもいいでしょうし、何よりエロマー子爵領からの補給線が伸び過ぎるからその辺が限界でしょう。こちらが奴らを叩き潰すにはちょうど良いんですが」
バゲットのように焼かれたパンの上にバターをたっぷりと塗り、乾燥させた苦草とオルニアのみじん切り、カリカリになるよう炒めた薄切りベーコン、すりおろした少量のピジャール、きのこやトゥマの薄切りとイェートのミルクから作ったユーストを散らして溶かし焦がしたそれを、小気味良い音を立てて咀嚼する。
形と材料こそ違うが、一口大のピザトーストだ。
大商会を招いた商談での会食が噂になり、一月下旬に外部へ追加販売することになったレシピは三つ。
一つはターティとオルニア、ルッタ、腸詰め肉をじっくりと煮込んだポトフ。野菜のバリエーションや香辛料、ミルクの追加などで派生がいくつも出来るので選ばれている。
いずれ各飲食店や家庭で独自のレシピが生まれれば、元の世界には無かったものが食べられるようになるかも知れない。
もう一つは既に団内で広めているサンドイッチ。この世界で広まっているパンは厚めのピザのドゥに似ているが、酵母は積極的には広めていない。温度などの管理が多少面倒なのと、腐敗やカビへの心配が残っている。
酵母は既に発酵させた握り拳大の塊を『パン種』として売っているだけだ。
直営商会傘下のパン工房ではバゲットや食パンに近いもの、バターロール、丸い形のブール、大型のコッペパンのようなもの、ナンのように薄く広げて焼いたものの六種類が販売され始めていた。
最後の一つはレシピそのものというより燻製の作り方で、こちらは道具とチップの概要に加え、分かっている範囲で使える食肉や魚介類のリストも付けてある。
熱の加減を間違えれば煙臭い焼き肉や煙臭い魚になるだけだが、上手くやれば冬の間の保存食が増えることになるのだ。
新館の大食堂では既にダニエが腸詰め肉の燻製に成功しており、団内でのみ許可されている酵母パンを使ってホットドッグのようなものを作っている。港町で捕れた鮭のようなロヒもアスカ姫が教えたことでスモークサーモンのようなものが出来上がっていた。
夜の食堂では燻製ベーコンと共に酒のつまみとして早くも人気が出ている。
ベーコンと野菜のサラダが目の前でもりもりとイントの胃袋に詰め込まれていくのを見ながら、ランヴァルドは冷めかけたテノを口にした。
「さてイント。真冬の辺境街道を往復して疲れているところを悪いが、明日の夕方からこの件で話し合う必要がありそうだ。明日の昼食までに報告書を纏めて執務室に出してくれ。休暇は春先に向けての話し合いが終わってから取ってもらう。
詫び代わりに私のヴィダ酒を譲ろう。姫のお手製ではないが、一昨年のペルキオマキで造られた当たり年の一本だ」
「了解です、団長。他の連中は先に休ませますが」
「そうしてくれ。一人だけ仕事をさせて悪いが、報告が終わり次第イントにも三日間の完全休養を与えるつもりだ。
イント以外の皆は大食堂でダニエにこれを見せてくれ。慰労も兼ねてヴィダ酒を小樽で一つ出す。文官や団員が二階で遅くまで姫の書き付けをまとめる仕事をしているから、邪魔にならないよう気をつけてくれ」
「分かりました、全員に徹底させます。お前ら、分かってんな?」
差し出された手紙を受け取ったイントが鋭い目で同席している団員を睨む。元野盗という経歴の彼の睨みは強烈だが、その程度で怯むような者はいない。
装備や技術、食糧事情の改善で大恩あるアスカ姫に関わりのあることであれば、団員に否やはない。自分たちが無事に真冬の辺境街道を往復出来たのも、姫に提供された除雪の魔術具のおかげだと身を以って知っている。
「了解っすよ、イントのアニキ。副長や会計長に酒を狙われなきゃ文句ねぇです」
「食堂の隅で留守にしてた俺たちが固まって飲んでりゃあ、ラッサーリ行きの報酬だって分かるだろうしなぁ?」
口々に団員たちが声を上げ、テーブルに置かれた手紙を受け取って懐に仕舞う。
昨晩は町に一番近い避難小屋で過ごしただけあって、陽のあるうちに本部に帰ることができるのだ。道具の返却や報告はあるけれど、それさえ済めば吹雪で足止めされた分も含めて約二十日ぶりの酒宴が待っている。
「食事が終わったら本部に戻り、除雪の魔術具も厩舎経由で女子棟に返却を頼む。明朝までに報告書を班長・部隊長へ提出したら三日間の休暇を認める。定期の訓練に参加するのは自由だが、無理はしないように」
とりあえずここで話すことは終わりだ。イントにはカッレへの報告や暗部としての報告も残っているが、ここで話せるような内容ではなかろう。
そちらは別途報告が上がってくるだろうし、必要があれば場を整えて姫に臨席を賜らなければならない。
「では本部まで気を抜かないで向かってくれ。私は本日こちらに残り、文官と移住者の面談を行って明日の昼頃戻る予定だ。
姫やスヴェンたち幹部には本部で伝えてあるが、必要があればこちらに連絡を。
イント、本部への報告を上げる際に医務室へ寄ってこれを渡してくれ。ヨナスとヴァルトがいたらこちらも」
「ヴァルト――受付の担当じゃなく、団長の実家から来た方のヴァルト殿ですな?
団員の中にゃアルト、イーロ、マルコ、ヴェリにトゥーレが二、三人ずついるから、そろそろ何か区別が欲しいですな。平民には家名が無いから、出身地かあだ名みたいなもんを付けて」
「団員それぞれに任せる。ロヴァーニの町の名を使ってもいいだろうし、辺境出身の者は辺境の地名を使ってもいい。近隣各国に喧嘩を売ったり、姫のご実家であるリージュールに迷惑をかけるもので無ければ自由にしてくれ」
「放置してるとまた似たような名前が溢れそうですがね」
にやりと笑うイントに苦笑を返し、ひらひらと手を振る。
実際数年前に一度、そして昨年末に中小の傭兵団を吸収して急激に人数が増えた時、再度名前の問題は取り上げられた。
日本と違って文字数や音、綴りのルールなどがある程度法則化されているこちらの世界では、名前のバリエーションにも限界がある。男女共に四百もあれば良い方だし、中には綴りや発音自体が異なっていても似通った名前もある。
王族や貴族などは家名のおかげで区別も付くが、平民に姓は存在しない。出身地の名を自分の名の後に名乗ったり、『誰と誰の子供』として名乗るのが普通だ。
仕える家や役職の名を姓の代わりに名乗ることもあるが、それらは基本的に王侯貴族とその従者に限られる。その名乗りも基本は一代限りだ。親から子へ、子から孫へと代々継がれる訳ではない。
ランヴァルドやスヴェンのように貴族家出身で傭兵になった者もいるが、割合としては少数派になっている。まだ赤獅子の槍が百人程度の規模だった頃には姓を持つ者が五、六人に一人だったが、末端で四百人を超えた今となっては十人に一人程度。
もっとも、話題に上がった受付担当のヴァルトは商家出身で姓を持っていた。
成人直後に実家と決裂して飛び出し、辺境の地で赤獅子の槍が産声を上げてからしばらくして拾われ合流したため、それまでの姓を名乗らなくなっただけのこと。
彼自身は現在、団に拾われた土地の名を取って『サヴィヨキ』を名乗っている。辺境でもエロマー子爵領から離れた、伯爵領に近い開拓村付近の地名だ。
「実家にいたヴァルトは区別のために元の姓を名乗らせる予定だ。貴族家の出身で私の実家に勤め始めてから身分こそ準貴族になったが、学院にいた貴族の子息たちより遥かにまともだからな。
王都の家は既に家督を息子に譲ったそうだし、ロヴァーニで新たに家を立てても問題はない。いずれ誰かが移住して継ぐにしても、損はしないさ」
一先ず話は終わり、と立ち上がったランヴァルドは扉の前にいた自警団員へ視線を向け、ドアを開けさせる。移住者と商隊を含めて五十名近い者がいるため、入門審査だけでも時間がかかっているのだ。そちらの手伝いが必要になる。
応援の文官や事務員を普段の――冬季常駐予定の――倍は連れてきているが、砦の管理棟に一晩留め置くにしても多少手狭になるだろう。
居留審査の間宿泊できる場所を整える予定を立てているけれど、ただでさえ建設ラッシュで人手が足りないこの時期だ。場合によっては傭兵団で手の空いている者や自警団も動員して建てる必要がある。
アスカ姫や文官の予想では年越し前に現住民のおよそ倍、四千から五千名程度に人口が増える可能性があると言われていた。つまりそれだけの移住希望者が来る可能性があると考えておかなければならない。
昨年と違って春の中頃には王都の魔術学院へスカウトを兼ねた一団を送り出す予定になっているし、実家のシネルヴォ伯爵家を通してロヴァーニへ移住してくる者たちもいるだろう。
数代前に領地を喪っていても、貴族家同士の繋がりは残っている。農地への被害が大きいとされる東部の知己から頼られれば、紹介くらいならする可能性がある。
「気が重いことだな……考えるべきこともやるべきことも山積みだ」
廊下を進みながら心の中で溜め息を一つ吐く。団本部の執務室と違って自警団員の目もあるため、ここでは弱音を見せられない。
今頃は先行したヨナスとヴァルトたちが治癒師のエーヴァに案内されて医務室に入っているだろう。奥方の診察をして落ち着き先が決まるまでの仮住まいを整え、出産に備える必要がある。
ヴァルト夫妻と使用人も宿か一時的な借家の手配が必要だ。
いずれは持ち家を手に入れるにしても、住宅以外の施設も含めた建設ラッシュが続くロヴァーニでは『何時になれば確実に持ち家が手に入る』とは断言できない状況になっている。
レーアの家族が移住後すぐに家を持てたのは、アスカ姫の護衛による報酬を予め購入資金に充てて根回しをしていたおかげだ。多少は前借りもしたようだが、護衛から外されでもしない限り一年かそこらで充当できてしまうだろう。
護衛資金はアスカ姫が開発に関わって稼ぎ出した資金から出され、傭兵としてはかなり高額な報酬が月々支払われている。薬師を兼ねるアニエラは部隊長並みの月収を得ているほどだ。
彼女は護衛であると同時に魔術師や錬金術師としても活動しているため、収入の総額ではトピアスたち部隊長よりも高給取りになっている。
側仕えのユリアナたちも同様で、衣食住が女子棟で保証されている他に別途報酬が会計長室で管理されており、王都で働く同年代の貴族家子女に比べて数倍の収入を得ていた。
一年毎ではあるが賞与のような報酬も別途用意されているため、この夏の中頃には数ヵ月分の手当がさらに上乗せされる。
食事や酒のこともあるが羨ましい限りだ。
ヴァルトたちには文官として勤めてもらい、町の協議会や赤獅子の槍、直営商会とも接触を維持してもらう必要がある。
自宅の土地の手配は団本部や町の中心にも近い場所が良いだろう。会計長か直営商会に手配を丸投げすることに決めたランヴァルドは、次の仕事へ移るべく目の前の扉をノックした。
一時的に男子禁制となった医務室には、アスカ姫やアニエラ、エーヴァといった女性の治癒師や薬師が詰めている。
ヨナスの奥方であるマリッカを迎え入れた団本部では、まず彼女を女子棟の湯殿へと放り込み、その間に医務室近辺の滅菌・殺菌を行った。
ヴァルトとヨナスは調達班の者に任せ、同様に新館の湯殿へ向かわせている。
いくらシャワーも使える魔術具搭載の荷車で往復したとはいえ、埃や汗に塗れた男性を部屋に入れる訳にはいかない。
それに移住が九割九分決まっていると言っても書類関連は整っていない。
後で文官に叱られるのは彼ら自身だ。
「姫様、シーツとタオルの替えは終わりました。第六部隊のアスラク副長の奥方も見えられているので、マリッカさんの後で湯殿からお連れします」
「分かりました。ありがとう、ライラ」
アラスク副長が嫁にもらったロイネは代々産婆を務めていた家の出身で、二十代の半ばだが出産に立ち会った経験は豊富。
知識でしか知らない飛鳥は彼女の知識と経験に助けられており、今回も人を遣って呼んでもらっている。
「魔術具の準備は出来ましたし、問診用の道具も煮沸消毒しました。ジェルの温度調整がもう少しで終わります。蒸留した水と生理食塩水はそちらの大瓶に」
エルシィが報告しながら、ぬるま湯を張った洗面器に透明なジェル状のものを入れて人肌程度に調整していく。
魔術板を腹部超音波検査用に機能拡張するのは何となくでも概要を見聞きしたことのある飛鳥が担当したが、薬に近いものや消耗品程度であれば作成を任せられるものも増えてきた。
ここで薄着になっても寒さを感じないほどに留めたら、あとはストーブと加湿器の魔術具頼りになる。その程度なら側仕えや見習いの薬師でも対応可能だ。
診察するだけなら女子棟でも出来なくはないが、そうなるとヨナスやヴァルトが結果を聞くまでに時間がかかってしまう。説明自体も二度手間になるし、町への移住や文官登用の書類作成には本人の魔力認証が必要な工程もある。
壁一枚隣り合った部屋であれば何かと都合は良い。
団員の家族や町医者で診切れない重篤な患者はこの医務室で診ることも多く、冬になってからは週に一度は外来患者を受け入れていた。
当然、この医務室に入る前に湯浴みやシャワー、重篤な者には事前に洗浄の魔術をかけて極力汚れを持ち込まないようにしている。
「エーヴァの報告やロビーで会った感じでは問題無さそうでしたけど、湯浴みの後の体調次第で時間を取りましょう。男性陣は隣の部屋で待ってもらいます。
それとアードルフは戻っていますか?」
「ええ、午前中は町の診療室へ回診に行っていましたが戻ってきています。昼食前に湯浴みを済ませたそうなので、今は隣室の魔術具で音声のみ聞けるよう看護役が準備しています。ハンネさんが戻ったら何時でも魔術具を起動できるそうです」
アードルフは昨秋から飛鳥とリージュールの知識を学び、団が雇うことになった医者だ。エロマー子爵領の南に位置するマルトラ男爵領の出身で、ロヴァーニから行商で向かった商隊に噂を聞いてやってきた一人である。
二十代半ばの息子が医者の見習いとして、十八歳の娘が薬師として学んでおり、普段は町の診療所で働きながら講義に通い修行を積んでいた。
父親のアードルフがもう四十代半ばとこの世界では高齢なので、いずれは息子が跡を継いで独り立ちすることになるのだろうが。
「今日はお腹の赤ちゃんの状態の確認と、母体の状態確認が主眼です。私はロイネの付き添いで何度か妊婦の診察に立ち会っていますが、知識で知っている以上のことまでは分かりません。魔術板への魔素供給と助言が中心になると思います」
現代日本の保健体育の授業で飛鳥も最低限度の事柄は習っているが、中等部以降の女子が教わってきた内容に比べれば男子が知っていることなど三割以下だろう。
それでも魔術と錬金術だけが進み、医学や薬学といった科学分野が比較的遅れている印象のあるこの世界や辺境では役に立ってくれることも多いはずだ。
「ジェルと消毒薬、回復薬の準備が終わったら入り口に衝立を置いて下さい。護衛は医務室内に女性二人、入り口外の廊下に女性一人と男性二人で。
入室許可の判断はユリアナかライラが行ってください。診察が終わるまで殿方の入室は禁止します。マイサはロイネが来たら私の側に」
準備の様子を確認しながら配置の指示を出す。診察ベッドの脇には持ち手とキャスターを付けて使いやすくした魔術板が置かれ、風呂上がりのマリッカを待つだけになっている。
アスカ姫を始めとして治癒魔術の心得のある者が七人、薬師が五人。
出産経験者や、ロイネのように出産に立ち会ったことが多い者も三人いる。
おそらく現在の辺境では一番恵まれた環境だろう。
団長と先日話した限りでは、今年王都へ派遣するスカウトに医師と産婆の経験者を探すよう指示を出すらしい。医師はシネルヴォ伯爵家を通じて打診済みで、産婆はルーリッカとネリアの実家がある王国東部の騎士爵領から招けるかも知れないと聞いていた。
給金は中隊長並みだが勤務の手当と家の用意がされ、何より不作が続く王国東部に比べて確実に食べていける環境である。話に乗らない訳がない。
今年の後半には確実にベビーラッシュが訪れて仕事があるし、家族の仕事探しに苦労することもない。選り好みしなければ知的労働から肉体労働まで山のように仕事が待っているのだから。
「姫様、ロイネさんとマリッカさんが来られました」
衝立の向こうからユリアナに連れられた二人が姿を現す。ロイネは清潔でゆったりとしたワンピースに、マリッカは腹部を圧迫しない上下別のパジャマのような服に着替えてきている。
両方共洗浄の魔術で洗濯された後、滅菌・殺菌が施されていた。
町の診療所は魔術の代わりに高温の蒸気と酒精で殺菌しており、衛生面では他の土地に比べて格段の差がついてしまっている。
「ようこそ二人とも。ロイネ、今日もよろしくお願いします。マリッカはそちらの診察ベッドに横になって、身体の力を抜いて楽にしてください。
ライラは記録の魔術具を魔術板に繋いで。ハンネはアードルフのいる部屋の魔術具を起動して下さい。アニエラはロイネと一緒にベッドの傍へ。魔術板の使い方は先日教えた通りですが、分からない時は聞いて下さい」
飛鳥が矢継ぎ早に指示を出し、それに合わせて部屋の人員が動き始める。
男の意識が残るとはいえ身体はアスカ姫のものだ。こちらの世界の時間で十数年生きてきた彼女の身体に備わる経験や能力、容姿や声といった全ての要素が飛鳥の行動を助けてくれる。
一度喪った命を救われた。その恩を返す機会が――いかなる形であれ――与えられたのだ。元の場所に帰ることはおそらくできない。であれば、アスカ姫が助けられた場所に返すしか無いだろう。
「私も命が危うかった時、この町の人々に助けられました。今はその恩返しをしている最中です。マリッカもこちらでの生活を始めて余裕ができたら、新しい隣人たちに少しずつ返してあげて下さい」
ベッドの上で横になったマリッカの額に手を当てて、ごく弱く魔力を流す。送り込む魔力が強過ぎると胎児に影響があると聞いているので、スポイトで一滴ずつ水滴を落とすように染み込ませる。
首から肩へ、心臓を始めとした内臓へ、そして脊椎を通って神経へ。
脳裏にはMRIのように立体的な像が結ばれ、骨格や血管、神経などが複雑に絡み合う様子が浮かぶ。その奥に頭を下にして羊水の中に浮いている胎児の姿もあった。母体はラッサーリからの長旅で多少疲れているようだが、胎児には問題が無さそうだ。
腰付近の痛みは同じ姿勢で居続けたことによる緊張状態によるものだから、入浴とマッサージを繰り返せば解消するはず。
出産までは直営商会傘下の宿に部屋を取って一日おきに医務室へ通ってくるようになるため、マッサージはその時に施すので問題ない。
この数日で新中央市場近くの浴場が稼働を始め、冬の間の娯楽の一つとして受け入れられ始めている。来週には工房街の近くに、再来週には歓楽街と住宅地に一つずつ稼働を始める予定なので、雪解けの頃には定着していくはずだ。
「ではアニエラ、ロイネ、診察を始めて下さい。訓練で怪我をした者がこちらに来ないとも限りません。今日はまず全体的なことを、詳しく調べるのはマリッカたちが落ち着いてからでも良いでしょう」
二人の後ろに回って魔術板の晶石に魔力を流し込み、診察台の上にある無影灯のような魔術具を調整する。ずっと以前、紫と一緒に見た医者が主人公のドラマを見た際に出てきた手術室の記憶から、手軽で片手でも動かせるタイプのものを試行錯誤して作ったものだ。
小型のものが一基と大型のものが一基ずつ、団の医務室には据えられている。
晶石とその他の材料の都合で、ロヴァーニでもここだけにしかない。
真昼の太陽にも似た明かりに照らされる診察台。新しい命を育んでいるマリッカの膨らみを、飛鳥は眩しそうに見つめていた。
先月末に腰を痛め、その後仕事やら法要やらでアップする時間が取れていませんでした。古い家なので来年辺りまでは色々あります。校正がちょっと甘いかも知れないので、修正は追々。




