冬の交渉と毛玉との遭遇
大変お待たせしました。更新作業の途中、PC前で意識が無くなってました。ここしばらく忙しかったのと暑さからくる疲労だと思いますが、酷い時は熱中症からの血栓という危険な症状もあるようですので皆さんもご注意下さい。水分補給と休息、睡眠は大事です。
それと病院に何度も行くよりエアコンの電気代の方が安いので、室温管理はしっかりと。
胸元をしっかりと覆う薄緋色のドレスは、冬篭りの祭りで披露した青のドレスよりも大人しく、王侯貴族の服装としては普段着に近い印象を受ける。
晩餐などに出るためのフォーマルなものではないという意味では無い。
多少崩したフォーマル――学園で毎日身に着けていた制服のようなものだ。
外を吹き荒ぶ冷たい冬の風は、この世界の建物としてはかなり機密性の高い窓に阻まれて入ってくることはない。
小さな暖炉に赤々と火が入っていても、暖かいのは正面のごく一部だけである。厨房の石窯や竈、鍛冶場の窯、風呂からの廃熱を利用して新館全体と厩舎の暖房に転用しているが、それでも床下からは冷えた空気が伝わってくる。
こういう時こそ、スカートが脛の半ばまで届くロングスカートであることに感謝してしまう。アスカ姫として存在している以上、男装する訳にもいかない。
団長の執務室にある応接セットに座り、ライラにお茶を淹れてもらった飛鳥は、隣に座るユリアナと一緒に、向かいに座る団長と会計長に向き合っていた。
昇進・昇格者を対象とした晩餐自体は滞りなく終了している。
冒頭でカトラリーの扱いを始めとした簡単なマナー講習をする羽目になり、来週以降のスケジュールを調整して部隊の副長以上の者に受講義務が生じたくらいだ。
講義は一回につき鐘一つ、週六日のうち三日の講習で約一月半。
春を迎える前に幹部と幹部候補だけでもある程度の作法や振る舞いを身に付けさせ、形にしたいらしい。各商会との商隊派遣の折衝や王都行き、魔術学院での新人スカウトの話も出ているため、関係各所との会食の機会が増えるだろうことを予測しての依頼である。
教えるのはユリアナとライラ、マイサたちに任せることになる。飛鳥も予定の中で状況を見ながら教えることになるようだが、現在でも抱えていることは多い。
ゆえに女子棟で既に現代欧米風とリージュール風のマナーを元に教えたやり方を教わっている彼女たちを講師に選任したのだ。
飛鳥が現在抱えていて、他の誰かに代わってもらうことが出来ない大きな事案は三つある。
一つは魔術師と錬金術師たちへの指導だ。王都ロセリアドの魔術学院で教わる教育内容や指導方法では伸びなかった者たちが、リージュールで教えられていた基本的な考え方や現代日本で教わる自然現象の仕組みに関する知識、魔力運用の効率化と世界に遍在する魔力を用いる方法を覚えて急速に実力を伸ばしている。
直弟子と言っても良いアニエラとハンネに至っては、王城にいる筆頭宮廷魔術師と同等程度まで実力を伸ばしているらしい。実戦の経験では数歩劣っても、単純な力比べであればそう引けを取らないだろう、と団の熟練魔術師たちは口々に話している。
二つ目は新商品や設備の設計・開発だ。商品も量産こそ錬金術師や各工房に任せてしまっているが、手掛けている分野は非常に多岐に渡っている。
香辛料を含む食料品とそれらを使ったレシピ作り、インフラ周りの設計と整備、各種の魔術具、平民でも魔力を使わずに使える道具の数々に、各種の食器や大小のカトラリー、調理器具、家具に服飾、アクセサリー。
特に食事に関しては女子棟での試作がある程度形になってから料理長のダニエに教えているため、まだ新館の厨房で作られていないものも多い。
様々なインフラも専門的な知識こそ無いものの、現代社会で生きてきた経験から知っていることを現地の本職たちと検証しながら設計に加わっていた。
道路上の排水や水道分配の傾斜、浄水槽の仕組みなど、義務教育での社会見学で得た知識も大いに役立っている。電気によって動く機械に替わる『魔術具』という存在もそれを後押ししていた。建築や荷降ろしの現場では滑車を利用した簡単な構造のクレーンが活躍し始め、重量物の上げ下ろしに力を発揮している。
三つ目にして一番重要なのがロヴァーニを中心とした詳細な地図の作成だ。
女子棟の建設に先立って町の地図を作成したが、それと同程度の精度で辺境各地の地図を作っている。リージュール王家の秘匿魔術が使われており、また政治や軍事でも非常に有用性が高いため、精度の高い地図は団長の執務室からの持ち出し自体が禁じられていた。
秋の終わり頃から新館の受付ロビーにロヴァーニとしての勢力圏の略図が掲げられるようになったが、それですら精巧さに商人たちの目を惹いているのだから。
現在作成が終わっているのはロヴァーニ周辺――町の東側は防壁建設予定地の外側と辺境街道の砦付近まで、海辺の集落までの南側、西側の森の入り口付近まで、北側の鉱山へ続く切り通し辺りまでである。
秋の終わりまでに記録された内容を突き合わせ、清書して一枚の地図にするのがこの冬の大事な仕事の一つになっている。
アスカ姫の生国であるリージュールの現況を知ることや彼女自身がどうなっているのか、この世界と自身を知るための研究など、やりたいことは色々とある。
今現在、アスカ姫として生きている飛鳥がやらなければいけないことも。
「――で、日程としては重要な商談がある順に明日の午前中から大商会の者が訪れます。取引規模もそれなりに大きいですが、直営商会が直接乗り出してしまうと市場を占有してしまいますので、その危険を回避するための策ですね。
午前中に主な商談の提起を行い、途中で会食を挟んで我々に有利な流れを作り、午後の早い段階で締結まで持って行ければと考えています」
商談の責任者である会計長がテーブルに広げたカレンダー状の日程表を指す。
正確な暦ではないだろうが、昨年ユリアナや団長に確認しながら作った月毎の日数と曜日を合わせただけの簡易カレンダーだ。
現在文官が二名、専任で過去十年ほどと今後五年ほどの暦の調査を行っている。
週に六日、八週で一月、季節ごとに約二月で年に八ヶ月。こちらでの一日が何時間なのかはっきり分からないが、それがこの世界での一年である。
過去にリージュールから各地へ齎された魔術具に時間を知るものがあったらしいが、現在も稼動しているのは各大陸にある国家の首都に数点だけ。
一番近くのものはライヒアラ王国の王都にあると聞いている。
「アローネン商会とオークサラ商会は王都にも支店を持っているロヴァーニの商会です。元は王国の貴族領に本拠を構えていましたが、当時の領主や競合商会との折り合いが悪くなって辺境に移り住んでいました。今は三代目と二代目が継いでいますね。
四日後に予定を入れているルォ・カーシネン商会は王都に本拠を置いている商会ですね。まだ歴史も浅く大商会とまではいきませんが、この十年ほどでロセリアドでも上位二十位までに入る優良商会に成長しています。秋の終わり頃に、商会長の四男がロヴァーニへ移住を申請して支店を開きました。
バルテルス商会は辺境のラッサーリの町に本拠がある商会で、ノシュテット商会はナスコに本拠を置いています。こちらも夏の終わりに商会長の兄弟や子供を移住させて新しく商会を立ち上げています。
ラッサーリはロヴァーニとも付き合いが深く、友好的な町です。ナスコは良くも悪くも中立ですが、経済的にはロヴァーニと王国貴族領に大きく依存しているので動向が分かりやすくもあります」
一気に商会の内情を説明をしたせいか会計長が大きく息を吐き、透明なグラスに注がれた水を呷っている。
飛鳥が教えて団の錬金術師が大量に作ったものだが、透明度も高くガラスの厚さも四テミセほどと分厚いため重みもある。厚みがあと一テミセ薄ければ富裕層向けの市場に流通させても良いだろう。
「ロヴァーニに拠点を置く商会二つを優先して商談を行うのは分かりました。けれど、それでは王都から送り込まれた商会が文句をつけてくるのでは?」
「問題ありません。元々アローネン商会とオークサラ商会は鞍や鐙の契約料と使用料でも金額が多く、他の商会から桁が一つから二つほど飛び抜けています。同じロヴァーニに本拠を置いているという立地や歴史からも、他の商会とは明確に差をつけなければいけません。
王都や他の町からやってきた商会は店を開いてから日が浅いので、これから取引を拡大していくにせよ、団や直営商会との取引序列としては若干低くなります。
日程調整中の商会には取引実績がまだ無い所もありますしね」
ユリアナの疑問に答えた会計長が、直営商会の文官から紙を一枚受け取る。
そこには簡単な商会の経歴と現在の代表者名、主な取引先、公称や税からの予想年商と町での商会の位置が簡潔にまとめられていた。
市場中央付近の直営商会から近い位置に地元の商会が二つ、大通りから一本入る路地の角にノシュテット。カーシネンとバルテルスは市場の入り口近くの建物で向かい合わせになっている。
アスカ姫に同席してもらいたいと言っていた商会には、名前の前に小さな団の印章が押されて区別されていた。
「他にも商談は多数入っていますが、姫様にご臨席頂きたいのはこの五商会です。取引額と今後の取り込みや付き合いを考えて、主要なものだけに絞り込みました。基本的に一日一商会のみの商談と会食です。
会食はダニエが中心となって指揮をしますが、アローネンとオークサラ、カーシネンの三商会だけは姫様からメニューについてご指示を頂けないでしょうか?」
「マイニオ殿、それは姫様の現在のご予定を変更して欲しいということですか? 商談の細かな部分にまで付き合っていくと、魔術師や錬金術師への講義や防壁工事の指導、工房への知識と技術供与だけで時間を取られている姫様がさらに忙しくなってしまわれるのですが」
薄手の冊子を開いて直近のスケジュールを確認していたユリアナが顔を上げ、会計長の目を真正面から見つめる。
開いたページには一日毎の予定と実績、メモ欄が組まれており、几帳面なユリアナらしい丁寧で細かな字が書き込まれていた。
彼女の膝に置かれているのは紙の白さこそ大したことはないが、一方の端に穴を二つ開け、硬く薄い木の板と丈夫な皮で補強したカバーをつけた大学ノートほどのサイズのルーズリーフもどきだ。スケジュール手帳と言っても良いだろう。
女子棟の研究室で毎週錬金術師たちが作る植物由来の紙のうち、漉いた時に繊維の斑が出来たり異物が混入している失敗作を集めて保管し、表裏両面の罫を色落ちしにくい特殊なインクで印刷してあるものだ。
単純な横罫を印刷したものや無地の紙は裁断されて大きさを整えられた後で魔術師や錬金術師、女子職員たちのノートとして使われ、それぞれが持つ革紐や木製のバインダーに綴じられている。
この罫は側仕えたちの仕事によって変わっており、ユリアナとマイサ、ライラは同じものを使っている。主のスケジュールや面会予定を管理したり、指示やメモを記録しておくのに適していた。
お茶や料理を担当するネリア、リスティナ、リューリたちが使う罫は在庫が把握しやすいような表形式が中心になっていて、ページの下部四分の一くらいがメモ用の空欄になっている。
被服を担当するティーナとセリヤ、ルースラが使っているものはページの上半分が空白で、下半分が罫線を引かれたメモ欄だ。デザインと材料、サイズや素材のメモなどを即座に記録しておくのに便利なものを作ってある。
ユリアナたちのものは側仕えたちの中でも一番凝っている。飛鳥が団の文官たちに頼んで作ってもらっている暦を月別に書き込める表を備えており、日中に鳴らされる鐘に合わせて時間の目安となる線まで刻まれている。
大きさや使い勝手こそ違うものの、綴じられた内容や必要なものを適宜入れ替えられる利便性を考えたら、システム手帳と言っても良いかも知れない。
「朝の執務室でのお手伝いを止めてもよろしいのでしたら、鐘一つ分くらいは時間を捻出できると思います。それでも、午前中に組まれている魔術や錬金術の講義と午後の視察は取り止めが難しいですけど」
「いや、そこまでは――」
「魔術と錬金術の講義は今の団にとって必須だ。絶対に取り止めは出来ない。会計長、団と直営商会に関する商談は我々の責任で行わなければならないことだ。姫にお願いするべきところではないし、会食にご臨席いただけるだけでも平民にとっては望外の幸運でもある。
なので、姫には会食に関する部分のみ協力をお願いできないでしょうか?」
会計長の言葉を止めた団長が飛鳥に向き直り、恭しく頭を下げてくる。
団長自身も貴族家の出身とはいえ、王族相手の依頼だ。歳下相手と言えど出自に差がある以上、自分がどう行動するべきかは幼い頃から叩き込まれている。
「……わかりました。会食に関する部分のみで構わないのであれば」
「姫様!」
慌てたユリアナが声を上げるが、飛鳥は左手をそっと上げてそれを遮った。
「ユリアナがお伝えした通り、私も予定が詰まっておりますので会食中心の出席になると思います。今は秋にやってきた魔術師と錬金術師たちの基礎魔力訓練が大事な時期ですし、春以降も人口流入が続いていくならそちらへの対策も必要です。今年の終わりには最低でも元の人口の三倍以上になりそうですから、それを支える食料の確保や町としての法の整備も」
法の整備は文官と団にお任せしますが、と断ってから飛鳥はテーブルの紙を手に取り、出席を求められた五商会を素早く比較していく。
ロヴァーニに本拠を置く二商会を他より少々優遇するのは問題ない。
元より辺境で取れる香辛料や薬草、動植物が商品の中核で、昨年飛鳥が作った鏡や紙、技術供与した農具や衣服などが収益を押し上げている。
アローネンはジェルベリアなどの布を購入した商会で、織物業界に強い。
団との直接取引が必要な鞍と鐙は魔術契約で製作を制限しているため、模造品を作ろうものなら一族郎党が文字通り塵も残さず消し飛ばされるだろう。
秋にハンネが王都から帰還した際に起きた、町の門外で行われた取り締りと魔術契約違反者の末路はロヴァーニの住民なら誰でも知っている。
「食事で差をつけるのであれば品数を増やしたフルコースにするのが分かりやすいですが、それでは私がお腹一杯になってしまいます。ですからデザート込みの六品くらいで組み立てたらどうでしょう?
他の商会との差も、コース全体を五皿に減らしてメニューも変更すれば明らかに格が違うと分かるはずです。商会同士が互いに牽制しあっているのであれば、商談が終わった後で情報交換くらいはするはずです。
使われる食材、料理の手間、お酒を含む飲み物――食卓に出される全てで格差を付けられているとなれば、より良い交渉をするため向こうから積極的に利益を示してくれるでしょう」
いわば饗宴外交、食卓外交だ。飛鳥が中学の頃、紫の祖父や大叔父からフランスのエリゼ宮での晩餐会について書かれた本を借り、読んでみたことがある。
料理や酒の選び方でもてなしに意味を籠めるやり方を面白いと思ったし、同時に怖くもあった。毎日食べる物だからこそ、現れる明確な差により敏感にならざるを得ないのだ。飛鳥自身、歌舞伎の公演後のもてなしでもそれを実感したことがある。
「乾杯のお酒と食事中のお酒、前菜、スープ、魚料理か肉料理、サラダ、デザートがあれば基本は抑えられると思います。ロヴァーニに本拠を置く二つの商会を優遇するなら、魚料理と肉料理の二つを出せば問題無いでしょう。
彼らも市場で見ていると思いますが、団の冷蔵荷車で海辺の集落から新鮮な魚介を運んで来ていますし、冷凍して保存してある食材もあります。
パンは団の食堂で出しているものと同じで良いと思いますが、他の商会とは品数とお酒で確実にランク分け出来るはずです。女子棟のお酒の在庫を出すのはユリアナの許可が必要ですけど」
「姫様が必要と仰るのであれば已むを得ません。ただ、グラス一杯だけに限った方が希少価値を誇示出来ると思います。際限なく用意できるものと勘違いするような商会であれば、今後の取引を考える材料にもなるでしょう」
団長と副長、会計長の表情がジェットコースターのように一喜一憂する。
女子棟からのヴィダ酒の提供は願ってもないことだ。アスカ姫は『まだ熟成が足りない』と言っていたが、市場に出回っている樽の酒では味わえない甘さと酸味、微かな渋みと果実の爽やかさが絶妙なバランスで口の中に広がったのだから。
秋の歓迎会で提供された酒は、王都や他の土地でも酒を飲む機会があった彼らにとっても、出会ったことがない衝撃的な酒だったのだ。
ロヴァーニの市場に出回る酒とアスカ姫の提供してくれたヴィダ酒を比べると、市場に出ている酒はランクが確実に数段は下がる。
「夜の晩餐に招くのと違って、商談が終わった後の昼食に招くのですよね? それでしたら口当たりが軽めのお酒で大丈夫だと思います。人数は相手方が三、四人、団からは団長と副長、会計長、直営商会から一人か二人でしょうか?
王都に本拠がある商会と辺境の商会には、市場に出回っているお酒を少し加工しましょう。お酒を選ぶのはダニエかイェンナに任せて、錬金術で澱を取って樽のまま時間を経過させてみて、味でランクを分ければ大丈夫だと思います」
斜め後ろに控えたメイド服姿のライラにペンと新しい紙を一枚用意してもらい、ランクの上・中・下とメニューの候補をいくつか並べていく。
前菜には酒のつまみになるようなものを含め、二、三種類あれば良いだろう。海と山の幸が手に入るロヴァーニだから、野菜と海鮮のマリネや小さなココット皿に作ったグラタン、野菜と肉のパイ包み、ハムや腸詰肉、パテを乗せたカナッペや煮凝り、小さなフライの盛り合わせから二、三選べばバリエーションも付けられる。
スープは冬の野菜を中心としたポタージュや魚介のスープ、肉を削ぎ落とした骨でじっくり時間をかけて煮込み香味野菜を加えたコンソメもどきなど、半年ほどの間に女子棟の厨房でレシピ化してあるものが七、八種類完成していた。
トウモロコシに似た味のマーィを用いたコーンスープも完成させており、かなりの量が今も冷蔵庫に保管されている。クルトンなどの浮き身を足したり、季節の素材を入れ替えていくなら、今後も種類は増えるはずだ。
魚料理は鮭に似たロヒを中心に、貝が数種類と鯛やマグロに似た魚がある。
刺身のように生食する習慣は無いようなので、ソテーやムニエル、餡かけ、魚肉のステーキなどで出すのが良いだろう。ロヒを粗みじん切りにし、カァナの卵と香草を使ってタルタルソースもどきを作り、セルクルでまとめても美味しいかも知れない。
前菜にゼリー寄せを使っていない場合はこちらに加えることも出来る。
肉料理は豚肉のような味わいを持つヴィリシを始め、鶏肉のカァナ、大型の鳩に似たトーレ、山羊のようなイェート、兎のようなレプサンガ、鴨のようなレアンッカが流通しているし、市場にも地下の冷凍庫にも在庫がある。
単純なステーキやから揚げ、ハンバーグ、ヴィダ酒での煮込み、カツなどが思い浮かぶが、薄切り肉の間に脂身を仕込んでベーコンのように加工した肉で周りを囲んで焼いても美味しそうだ。
ソースの工夫もイェートのミルクからバター状のものが作れているので、果実や酒、ビネガーと合わせて両手で足りないくらいにはレシピが増えている。
サラダは秋冬の野菜が豊富なのでいくつか候補がある。
玉ねぎっぽい味のオルニアとジャガイモのようなターティ、苦草と呼ばれていたパセリを合わせてポテトサラダ風に仕上げることも出来るし、サツマイモのようなソレッティエに置き換えることも出来る。混ぜる野菜を増やせば別のメニューとしても通用するので便利な一品だ。
ターティをソレッティエに置き換えるなら、酒作りにも使うヴィダの実を天日で乾燥させてレーズンのようにしたものを味のアクセントとして混ぜても良い。
ニンジンのようなルッタや大豆のようなソジャ豆、葉物野菜も揃っている。温野菜として出すことも出来るし、スープの余りを使って炊き合わせたり、葉物野菜を使って中に肉や魚を包んで煮込むことも出来るだろう。
しょうゆやみりんのようなものがあれば和風の煮物も出来たと思うが、それらはこの冬以降の研究対象でもある。
デザートはそれこそ選び放題だ。地下の冷凍庫に大量保存されたマンゴーに似たシュレ、リンゴに似たムィア、冬が旬のみかんに似た皮の薄いルシーニや苺に似たウィネルを利用して色々と作れるだろう。砂糖とミルク、卵があればプリンやムースなども簡単に出来るし、リース、ホロゥ、ルヴァッセといった麦系の穀物の粉を調整すればケーキなども作ることが出来る。
あまり甘くないものであればゼリーやフルーツの盛り合わせ、暖かい室内であればシャーベットやアイスクリームも選べるだろう。
温かい焼き立てのスイートポテトやムィアを使ったアップルパイ、冷たいアイスクリームを乗せて温感と食感を楽しめるワッフルも作れるし、視覚効果も意識するなら試作中の蒸留酒を使ったクレープシュゼットのような見た目にも凝ったデザートも選べるかも知れない。
問題があるとすれば、教える飛鳥自身と教わるダニエが大変になるだけだ。
あっという間に酒以外の欄が埋まっていく状況に、団長以下幹部の顔が驚きに染まっている。王都の貴族家に仕える専属料理人でも、これほどのレパートリーは即座には出てこない。
事前にダニエに提出させていたメニュー案の数はこの四分の一程度だ。
それでも平民出身の料理人が作るものとしては異常と言えるほどに種類が多く、使うことが出来る食材も豊富である。
地下にある冷蔵庫や冷凍庫の存在までは察知出来ないかも知れないが、魔術具の荷車が海辺の集落とロヴァーニを定期的に結んでいるから想像はつくだろう。
金を積んだところで魔術と錬金術に造詣が深く、魔力を大量に持った者にしか作れないため、求めても無駄ではあるのだが。
料理に関しては飛鳥の知識と経験が大きいが、アスカ姫が長い旅の途中で出会った各地の料理の知識も活きている。だてに各地の王族や貴族の晩餐・会食に招かれていたわけではない。
「前菜は十四種から二、三種類を選んで出せば良いでしょう。スープも日替わりで出せば他の商会への牽制にもなりますし、名前や味の情報を交換したところで作り方は理解出来ないと思います。
魚料理と肉料理も素材で最低六種類、料理の種別でも八つは用意出来ます。
サラダは最低でも四つ。デザートもダニエに教えてあるものだけで五つ、女子棟だけに留めていたものを含めたら二十数種ありますから、選び放題ですね。
一食ごとの予算と相手の扱いについては、団や直営商会の方針とすり合わせる必要があると思いますけれど」
隣に座るユリアナに綴りや内容に問題が無いか確認してもらい、彼女が頷くのを見て向かいに座る団長に紙を差し出す。
簡単な表にまとめられた枠内に並ぶ料理の数々は、現時点で飛鳥が把握している食材から作ることが出来る料理のレパートリーだ。新館の厨房で作られている料理は記載されたものの六割ほどで、残りは女子棟だけに限られてきたレシピである。
もっと多くの種類の香辛料が見つかっていればカレーだって作れるだろう。
残念ながらターメリックとシナモン、クローブ、クミンやカルダモンに相当するものは未だ見つかっていないため、春以降に探索で見つかる作物や他所との交易で入ってくる品物に期待するしかないのだが。
「お酒についてはユリアナたち側仕えと料理長であるダニエ、それと団長に候補を絞ってもらおうと思います。私はまだ飲酒の許可が出ていませんし、味についても料理で使うもの以上のことは分かりません。
食前酒には口当たりが軽くて食欲を増すものを選んで、食事中のお酒は肉料理を中心に考えておいた方が良いと思います。魚介料理の時は生臭さを感じさせるものもあるらしいので、飲まない方が良いかも知れませんね。
王族を招いた晩餐に出すようなものではないですから、試作のいくつかから選ぶだけで十分でしょう。ライラ、先に女子棟へ戻ったリスティナとリューリに食前酒と肉料理に合わせるお酒の候補を合わせて四本選んでもらってください。
試飲ですからグラス一杯分くらいで構いません。今夜のうちにどれを出すかだけは決めてしまいましょう」
「元々量はそれほど用意できませんけど……それと女子棟で行うのですか?」
「談話室まででしたら団長は入れますし、許可を出せば厨房以外であってもダニエも入れます。料理と合わせるのだからダニエの協力は必要ですし、お酒の味の確認だけですから量も時間もそれほど必要ないでしょう」
一人当たりワイングラスに指一本分くらいで十分です、とユリアナに小声で伝えると、彼女もそれを了承した。飛鳥の許可があっても、自分たちの大事なヴィダ酒が減るのは良くないらしい。
副長のスヴェンと会計長のマイニオ、直営商会の文官が視界の隅で必死に手を上げて振っているが、今回は遠慮してもらおう。際限無く在庫を出せるものではないし、味見で意見が分かれ過ぎても困る。
ユリアナたちも加われば試飲と言っても十分な量になる上、昇格・昇進者を中心に集めた晩餐でもかなりの量を飲んでいるのだ。いざとなれば解毒の魔術もあるが、本来二日酔いの解除や症状軽減のために存在する魔術ではない。
「副長も会計長も必死ですけど、味見ですから意見が分かれ過ぎても決められなくなります。提供するお酒のランクを決めるだけですので団長とユリアナ、料理と合わせる作業が必要になるダニエがいれば大丈夫ですよ」
「そんな……! 酒の味見なら俺の出番なのにっ!!」
「わ、私にも立ち入りの許可を! 商談の後の会食ですから、私も責任者です!」
「責任者が全員揃っていなければ決められない訳ではないでしょう。ランヴァルド様がいらっしゃれば味見は出来ますし、女子棟で持っているお酒と市場に流通している一般的なヴィダ酒を大まかにランク分けするだけです。
スヴェン殿もマイニオ殿もいい加減諦めて下さいませ。姫様がお困りですよ?」
手を上げて詰め寄る大人二人に対して、ユリアナは冷徹極まりない。
飛鳥以外は晩餐でヴィダ酒を飲んでいるものの、明日以降の予定も詰まっているため深酒をしている者は少数である。
その一部少数が目の前にいるのだが。
多少飲んでいてもきちんと必要な仕事をこなしている会計長は優秀なのだろう。今この場では残念さの方が先行しているが、任された仕事は全うしている。
晩餐の最中にジュースだけだった飛鳥はもちろん素面のままだ。
現代日本でも父親のビールの泡程度なら舐めたことはあるが、それ以外は料理酒としての日本酒やワインを少しだけ口に含んだことがある程度である。
酒の美味さなどは分からないし、成人したてで分かっていても問題があろう。
それに、飲料水の安全性が魔術具で確保されているロヴァーニでは、他の地域と違って無理に酒を飲む必要は無い。
「流通しているヴィダ酒はそのまま出しても芸がありませんから、澱引きや濾過、温度調整くらいはしますが……秋の歓迎会に出したお酒よりは雑味も多く残るでしょうし、数段劣ると思いますよ?
女子棟で地下の倉庫に寝かせているお酒は、ロヴァーニにとって友好的な勢力と条件交渉する時や他国の王族・貴族を招いた時、条約を結んだり相手を取り込む時に利用した方が良いと思います。
今回の会食に使う分は、夏の終わりに作って先日ボトルに詰めたものを錬金術で加速熟成させてしまいましょう」
「では、姫様が着替えられたらすぐに始められるよう手配します。ライラ、こちらは良いので貴女も準備をお願いします。私は姫様と一緒に戻りますので」
「分かりました。この後の護衛はアニエラさんとレーアさんが、側仕えは私と交代でマイサが就きますのでお待ち下さいませ」
軽く会釈をしたライラが静かに執務室を出て行く。護衛たちは全員執務室の外で待っているので、伝言してから女子棟に戻るのだろう。
王族や貴族の子女に側仕えが付かないのはあり得ないため、女子棟に戻った時にこちらへ寄越すのだろう。
「しかし料理といいお酒といい、姫の知識は素晴らしいですね。昼の会食では品数を抑えたようですが、リージュールの正式な晩餐ではもっと多いのですか?」
酒の選定者から漏れなかった団長が安堵した様子で興味深げに話しかけてくる。隣に座った副長と会計長が意気消沈しているのと対照的だ。
少々哀れには思うが、それでも女子棟に住む職員や下働きの女性たちをわずかなりとも不安にさせることは出来ない。役職と職務で必要な場合以外、女子棟は男子禁制の聖域になっているのだ。
「リージュールの晩餐会は国を出てしまったので経験がありませんが、旅の途中に参加したもので覚えているのは最大で十皿でしょうか。前菜が二、三種、スープ、魚料理、ロースト以外の肉料理、口休めの氷菓、ローストした肉料理が来てサラダなどの生野菜が続き、甘味や果物が入って最後に苦いお茶が出されたはずです。こちらの大陸で飲むお茶とは品種や種類が違うので、再現は難しいと思いますが」
指折り数えているのはフランス料理のフルコースのメニュー順だ。
最後に来るコーヒーに似たお茶や豆はこの大陸では今のところ見つかっていないし、他の大陸を旅していた時も口にした経験はない。
薬などと同列に扱われていたら、食物や嗜好品と違って秘匿されている可能性もあるため、探すのは難しくなる。
無理矢理再現するなら大豆に似た豆をローストして代用品を作るくらいは出来るだろうが、そこまで元の世界の様式に拘って手を掛ける必要もないだろう。
カカオの代用になるものも見つかっていないし、ハーブだってまだ知られていないもの、見つかっていないものがたくさんあるのだ。
新しい調理法くらいは持ち込んでも、この世界に残っていく料理は、この世界の作物を使って現地の人々の舌に合わせ調理された方が良い。
現代日本にあった料理を現地の人たちに押し付けるのと、既にある食材から工夫されて作られたものを受け入れてもらうのとでは大違いである。
飛鳥は頬に手を当てて首を傾げながら、アスカ姫としての記憶を探ってみる。
六歳の終わり頃から十二歳で前の大陸を離れるまでの間、参加したことのある晩餐会はそれなりに多い。平均して月に二度、多い時で三度。生母である王妃や大人たちと一緒だったが、八十回程度は出席していた。
料理の内容に関する記憶までは無いが、出された皿の数や全体の流れ程度は記憶の片隅に残っている。
「他の国ですと七皿から五皿くらい、伝承で知る限りでは大掛かりな宴席で数日間かけて百皿以上を食べていくというものもあったらしいです。
ただし国の最盛期を過ぎて王朝が滅ぶと、余りに贅沢が過ぎるので一部は記録に残されたそうですが、料理人たちも宮廷を去り、伝えられてきた知識も四散してしたと聞いています」
「それは――また何とも言えませんね。マナーの講習に付随してその辺りの知識も教えていただければ嬉しいです」
「お時間があれば、ですね。まずは明日以降の商談と会食を成功させることの方が大事なのでしょう? 本格的に雪が降り始めるまでは町の防壁工事に学院の卒業生たちを動員して、基本的な魔力操作と大気中の魔力を使う訓練をさせた方が良いと思いますし」
自分自身の保有魔力だけで魔術を使うことしか習ってこなかったせいか、秋に入団した新人魔術師たちは錬度がそれほど高くない。
夏くらいから習い始めた者たちはそれなりに上達しているので、いずれ練習量と時間が解決してくれるのだろう。
相当なスパルタ式になるが、魔力操作の精度を高めつつ同じ作業を繰り返させることで慣れさせ、数をこなすことで身に付けさせるのが一番の近道である。
「ヴィダ酒についてはお手数をおかけします。私の手持ちでも、一番質と味が良いのは姫から頂いたものなので」
額に垂れてきた髪を掻き上げつつ照れたように笑った団長が、自身の部屋の酒事情を明かす。以前王都で購入したものやロヴァーニの市場で瓶に詰めてもらったものなど、五本ほどは持っているそうだ。
執務室に置いておくとスヴェンが勝手に開けて飲んでしまうから、との理由で、現在執務室は禁酒指定されている。そのため飛鳥に差し入れてもらったヴィダ酒のボトルも私室に持ち帰り、大事に飲んでいるらしい。
庇護され養育されている立場上もっと頻繁に差し入れて良いのかも知れないが、その辺りはユリアナと相談してからの方が確実であろう。
グラスの大きさは小さめだし、週に一度、ボトル一本くらいであれば女子棟の在庫にも大きな影響は無いはずだ。ボトルを洗って戻してもらうようにすれば資材の節約にもなるし、側仕えたちと同様にお酒のファンを維持できる。
味を知った人間が広め、魔力を使わずとも作られるようになり、さらにそれが広く飲まれていくようになれば経済の活性化にも繋がる。
大体、ヴィダ酒造りで本当に魔力が必要だったのは熟成の時間加速だけだ。普通に時間をかけて造るのであれば、温度管理さえ徹底しておけば、ある程度放置しておいても酒は出来る。
発酵がうまく行かず酢になってしまう可能性もあるが、それはそれで用途があるというものだ。今は提供機会が限られているマヨネーズ作りも楽になる。
この際情報を公開してしまい、酒造りを魔力の少ない平民の手に委ねてしまった方が良いのかも知れない。
心の片隅で決めた飛鳥は、一通り作業工程を頭に思い浮かべながらゆっくりと話し始める。働き手の問題はあるが、知識の少ない平民の移住者や農閑期の女性でも出来る作業なので、今後数年は掛かるだろう男性向けの防壁工事と並んで公共事業化できる可能性があった。
「今は私が魔術と錬金術で造っていますが、実の選別や果汁を絞り出す工程、熟成するための樽詰めやボトル詰めなどは魔力を持たなくても出来ます。
澱引きや熟成も時間さえ掛ければ魔術抜きでも実現可能ですし、このまま需要が増えていくなら、いずれはロヴァーニの産業の一つとして民間にヴィダ酒の生産を移管しても良いでしょうね。
今すぐでなくても構わないので、酒造所の候補地と保管場所の選定、操業規模と従業員数の試算を文官の方々にお願いしたいです」
アスカ姫の持つ総魔力量から言えば、二百樽程度の酒造りに費やす魔力などそう多いものではない。ガラス作りや印刷の原版を作る方が余程消費魔力量が多いし、制御も複雑だ。女子棟の建設や増築のように魔力の大半を数日に渡って費やさなければならないものだってある。
魔力を使わずとも時間と労力と人手を掛ければ済むものなら、今は移住者の仕事を作り出す意味でも移管を考えた方が良いだろう。
ユリアナたちが飛鳥の造ったヴィダ酒を気に入ってくれているなら、必要な分を自家用として造り続けても良いのだから。
この世界でも魔力に頼らず実現出来るものは多い。
将来の食糧増産や季節をずらした収穫を研究するために、団本部の近くに温室を建てることも検討しているくらいだ。成功すれば旬を外れた果物や野菜の収量を増やし、市場での品切れを無くす第一歩になる。
必要な燃料や空調の効率、建物自体の仕組みなど、専門家ではないために調べなければならない項目も山積みではあるが。秋の終わりから春先にかけての暖房は湯殿の排水と廃熱から確保することも出来るし、女子棟・本部新館の暖房と並んで鍛冶場や工房からも得られるはずだ。
「団の魔術師や錬金術師には他にもやって欲しいことがたくさんありますから、姫のご提案は文官たちにも伝えます。選定に必要な条件や発注が必要な道具などがありましたら、事前に教えていただければ助かります。
会計長、冬の商談の合間に担当者候補の選抜を頼むよ」
団長が声をかけると、会計長のマイニオは血の巡りが悪い顔でぎこちなく、直営商会を束ねる文官は疲れ果てた顔で頷いている。
商談がある程度まとまったら、慰労の名目で彼らにもヴィダ酒のボトルを贈っても良いのかも知れない。量や樽は――ユリアナたちに相談するのが一番だろう。
結局その晩のうちに上等のヴィダ酒と果実酒を三本ずつ選び、熟成の度合いと樽同士の掛け合わせをわずかずつ変えることで大人たちの意見はほぼ合意した。
蒸留酒は菓子に一部使うものの、カクテルなどが存在しないため、今回の利用は見送ることになる。
ヴィダ酒を薄い塩水で割ったり、果実のジュースを加えて飲むやり方は各地にあるそうなので、それらの情報を集めて好みに合うものを選び出すこともいずれ出来るようになるかも知れない。
全てを自分だけで行う必要もないのだ。
知識や腕力、財力、情報、人材。助けてくれる人間は周囲にたくさんいる。飛鳥がリージュールの王女として頼られるだけでなく、自分が足りないところを彼ら、彼女らに頼ればいい。
市場に出回っている酒は澱を引いてボトルに詰め、錬金術で熟成の時間だけを加速させて一年ほど寝かせた状態のものを三本選んだ。
元の安いヴィダ酒が手間をかけられたことで口当たりが良くなり、冷やせば食前酒としても食中酒としても十分以上に通用する。ダニエたちも購入する酒造所のものらしいが、手を掛けて出来上がったものは味が数段上になっているらしい。
地下に作られた酒樽の倉庫は満杯のため保管出来ないが、真冬の屋外で半日から一晩も放置しておけば勝手に冷えてくれるはずだ。
本格的に雪が降り始めたら厳しいだろうが、瓶や樽に入れたまま一晩置くくらいなら中身が凍りつくこともないだろう。
こちらは大樽で購入していたため、後日同じ処理を施して新館の厨房に譲ることになった。団長とダニエの強い要望もあったが、普通の護衛交渉の会食で提供する質の高い酒をどうやって調達するか困っていたらしい。
錬金術の技術料についての交渉はハンネとユリアナたちに任せている。
冬篭りの祭りを前に色々と物入りだったから、赤字にならない範囲でそれなりに素敵な値段を付けてくれるだろう。
無事選定が終わったため、団長とダニエは小躍りして女子棟を後にしていた。
二人を玄関から送り出し、通用口の扉が側仕えたちによって閉じられ、魔術鍵と三箇所の閂が掛けられる。
護衛や職員たちも全員戻っているし、今夜はもう人の出入りはないはずだ。
晩餐用のドレスからシンプルな部屋着に着替えて、暖かな風呂で身を清める。冬なので汗はそれほど掻いていないが、公と私を切り替えるのにはちょうど良い。
紫も外での仕事を終えて飛鳥の家に来る時にシャワーを浴びたり風呂に入ってから来ることが多かったけれど、それは芸能界での自分と素の自分を切り替えるための儀式のようなものだったのだろう。
就寝の鐘の少し前までユリアナと一緒に風呂を楽しんでから、飛鳥も頼まれごとが片付いたことに一安心して床に就くことになった。
テーブルに着く男たちの中で紅一点といえるアスカ姫と、保護者たる団の三幹部が黙々とカトラリーを動かす中、対面に座るアローネン商会の主・エルッキは驚きと賞賛を隠せないでいる。
超大国リージュールの王族が一商会との会食に同席することも驚きだが、それ以上に目の前に並ぶ皿の数々と食器類、これまで貴族との会食でも見たことすらない料理に彼は圧倒されていた。
接待の主人側である団長や会計長のマイニオ殿、何より王女殿下が躊躇いもなく料理を口にされていることから、害意や隔意が一切無いのは理解出来る。
しかし同じ重さの金貨に等しいといわれるガラス製品――しかも王都で取引されているものより透明度が遥かに高い――がまるで普段使いの品のようにテーブル上に出て来ていることに、エルッキは驚きを隠せないでいる。
毒や薬の混入を警戒する王族や貴族の食卓であれば、銀器を使うのが一般的だ。
それを一切使わないということは、リージュール王家直属の料理人がこの会食を差配しているか、料理人自身が王女殿下に信任されているということである。
それほどの人物がロヴァーニにいるということをエルッキは聞いたことがない。
彼自身は赤獅子の槍の料理長であるダニエがこの半年ほどで急激に腕と名を上げていることは知っていても、団本部に限定されているアスカ姫との師弟関係までは知り得ていない。
そして普通の陶器や磁器、ガラス器に見える食器の一つ一つに毒物検知と異物検知の魔法陣が秘かに刻まれていることも。
澄んだ赤紫色の食前酒の入った曇りのないガラスの器は、昨年の夏頃から市場に登場した鏡のように高価なものだ。グラスと呼ばれていたが、一つだけでも貴族なら競うように金貨数枚の値をつけて購入してくれるだろう。
給仕の説明と同時に並べられた真っ白な皿には、一口大に切られて焼かれたパン生地の上に冬が旬の野菜と癖の少ないレプサンガの肉を挽いて焼かれたものが載せられている。肉の上には赤と黄色のソースがかけられ、甘さと酸味を加えている。
舌の記憶に間違いがなければ、夏に多く採れるアナッカとトゥマという野菜だ。丁寧に潰して種を取り除き、酢や塩などを加えて味を調えているのだろう。
普通なら収穫して洗った後で生食する野菜だったため、このような手間を加えた使い方をするとは考えもしなかった。
同じ皿にはもう一つ、表面のみがこんがりと焼かれた掌ほどの浅い小皿が載っている。市場でも良く見かける芋のターティを茹でてから粗く潰して、香草や野菜、リースで作られた指先ほどの柔らかい粒とイェートのミルクが丁寧に混ぜられていて、冬の寒さが身に凍みるこの時期にはぴったりだ。
今も小皿の中ではふつふつとミルクが煮えており、微かに室内に漂う湯気が料理の熱を伝えていた。
給仕の女性は『レプサンガの一口ハンバーグ』と『ターティのミニグラタン』だと言っていたが、この辺境では初めて見る料理だし、王都にある富裕層向けの一流料理店でもここまで凝った美しい料理は出てこない。
料理の味はもちろん、酒の品質も飛び抜けている。
晩餐に出された酒はリージュール魔法王国の王女殿下が手ずから仕込まれ、魔術と錬金術で仕上げられたと説明されている。
普通に食べたり飲んだりするものに貴重な魔術や錬金術を使ってまで手を掛けるものかと驚いたが、王族の口にも入るものであれば当然か、と納得もした。
ヴィダ酒の軽い口当たりと前菜に出された二品との相性が抜群に良いのである。
否、抜群という言葉ですら正しく言い表せてはいない。
エルッキはこの半年ほどの細かな商談で、該当部門の部下に任せてきたことを激しく後悔していた。昼の少し前から、もしくは昼食以後夕食前の打ち合わせ指定が多かったということは、こうした会食やお茶にも招かれていたということだろう。
夏の終わりから秋の半ばまでは彼自身も王国領の生地の生産地へ仕入れに行っていたため仕方が無いが、商会主であるエルッキが戻ってからも二、三度は商談で呼ばれていたはずである。
しかし王女殿下や団長たちは平然と口にしているが、これが赤獅子の槍の日常の食事なのだろうか? だとしたら、傘下の直営商会を含め、地元の商会が取り込みを企図しているような接待や饗応で靡くことは絶対に無いだろう。
ロヴァーニの酒場や宿屋、食堂などが団と直接取引してレシピを購入した話は彼も耳に挟んでいるが、春先までに比べたら飛躍的に味が良くなったものの、今出されている料理には遠く及ばない。
エルッキは同席している筆頭秘書のオスモと女性秘書のサリを横目に見る。
祖父の代から家族で仕えており、貴族領や王都の貴族家などと会食をする際にも連れて行く腹心だが、二人ともこの部屋の雰囲気と味、使われている食器やカトラリーの格に萎縮気味だ。
皿は混じり気の無い白で、皿の中央には傭兵団の紋章である獅子と交差した槍が小さく赤で描かれている。縁の装飾は極めてシンプルだが、こちらも同じ赤色の線が三重に引かれ、高級感を誇示していた。
しかも、全てが同じサイズで揃えられているのだ。いくらお抱え職人の腕が良いにしても、これほどまでに手に馴染み、使う者のことを考えた食器は貴族家ですら持ち合わせてはいないだろう。
カトラリーもそうだ。良くて銀か錫、一般的な平民階級ならば木製か焼き物のカトラリーを二種類くらい使えたら上等とされているのに、ここではナイフ以外に幾つも種類がある。
フォークと呼ばれているものは焼いた肉を押さえて切るだけでなく、他にも使い道が多いらしい。付き合いのある男爵家や騎士爵家では先端部が二つに分かれただけの簡素なものだったが、この会食の場で使われているものは先がわずかに広い四つ又か三つ又のものだ。
スープなどに使うスプーンも種類は一つでなく、先端の形は大きさと深さが違う丸と楕円に分かれていて、二つ用意されている。
しかも皿ごとに使い分けられるように外側から順に並べられていて、料理の最後に使い終えたカトラリーを載せていけば、給仕が皿と一緒に回収してくれる。
エルッキ自身もマイニオたちの所作を見ながら真似るのがやっとだ。
貴族との会食でもここまで豊富な食器やカトラリーを使うことはありえない。何よりカトラリーの大きさが均一で、手に握った時の感触が吸い付くように馴染む。
手に持った瞬間は金属らしい重さも感じるが、握って使う時には手の延長としてバランスが取れるよう、長さも重心も計算され尽くして作られている。
給仕の世話をする者の質も極めて高いが、これはすぐに納得できた。
王女殿下に仕える側仕えたちが中心に動いているが、彼女たちはライヒアラ王国出身の貴族家の子女らしい。
アローネン商会とは直接の取引こそ無いが、男爵家以上の家から出ている女性もいて、団長の実家である王都のシネルヴォ伯爵家の紹介で昨年の夏前にこちらへ移り住んだとの説明がされている。
王都流のマナーより洗練された動きは王女殿下が教えたというのだから驚きだ。
貴族との会食でも見かけないが、外から見た時の美しさと同時に、カトラリーを使っての食事が非常に理に適っていることに気付かされる。
「いかがですかな、エルッキ殿。うちの料理長の腕前は」
食後のお茶を白磁のティーカップで飲みながら会計長が口を開く。
得意満面といった表情に心の内はざわつくが、王族の救出という平等に与えられていたチャンスを上手く掴んだのは彼らだ。そこだけは素直に賞賛するしかない。
それに去年までの辺境らしい料理からの進歩と、それを実現させた努力は素直に賞賛されるべきでもある。
それを微笑むだけで伝えると、主人側の大人三人の頬も緩んだ。
がっしりとした厳つい身体つきの副長・スヴェンは商談中も発言こそしなかったが、存在感だけは一番ある。
団長との間に挟まれているアスカ姫の身体が女性としても華奢であるため、その差はより強調されていた。
髪と瞳の色が大きく違っているため間違えることはないが、団長と王女殿下だけならば、傍目には歳の離れた兄妹と言われたら信じてしまいそうになる。
会計長たるマイニオも料理の出来に大変満足していた。
アスカ姫が午前中の早い時間にダニエたちへざっと作り方を説明し、念のため女子棟の女性を二人厨房に張り付けてもらったのだが、再現度は十分に高い。
今はまだ機材や経験の差が大きいけれど、作り慣れることで出来栄えはもっと良くなるはずだ。少なくとも数をこなすうちに経験の差は埋まる。
しかも提供される料理自体は珍しいだろうが、使われている食材は全て普段から辺境で流通しているものばかり。多少の鮮度の差こそあれ、週一度の休み以外毎日開いている市場に行けば、普通に店先に並んでいる物だらけだ。
商談に伴う会食とはいえ、無駄に贅を尽くしている訳で無いことくらいは簡単に見抜くはずである。
「――正直、脱帽の一言ですよ。前々から他の傭兵団の方々に噂は聞いていましたが、会食用の食事がこれほどまで上等なものになっているとは思ってもいませんでした。昨年とは違いが大きすぎて、驚きの言葉も見つからないほどです」
「今後を見据えた特別な商談ともなれば、こちらも念入りに準備をしますよ。それに知識や指導を頂いたのは姫様のご厚意もありましたからな。
同じロヴァーニに生活の拠点を置く以上、近所付き合いが良い関係であるように我々も強く望んでいます」
話の最中にデザートとして運ばれてきたのは、イェートの濃いミルクから油脂分を集めて作られるバターをたっぷり使ったムィアのパイだ。
生でもデザートとして食べられる果実だが、水気の多いしゃくしゃくした舌触りのものではなく、硬めで実が詰まった酸味の強い物を選んで使っている。
味のアクセントに一度天日で干してから少量のヴィダ酒で煮戻したものを混ぜ、まだ飼育が始まったばかりで貴重な卵を用いたカスタードクリームも使った。
黄金色に焼き上がった表面はバターの艶を浮かべて香ばしい香りを漂わせ、あいにくの曇り空のため薄暗い室内に浮かべられた灯火の魔術具の白い光を反射して光っている。
現代日本を知る者が匂いを嗅いだら、完全にアップルパイだ。
会食に使われているのは新館一階の応接室だが、厨房を出てこの部屋へ来るまでに受付前と応接室前の廊下を通っており、前菜からデザートに至るまで暴力的ともいえる料理の匂いを幾度も館内に振り撒いていた。
そのため一般的な護衛予定の調整と商談に訪れていた商人たちからは『取引規模と信用の差でここまで扱いが変わるのか』と、羨望と嫉妬の眼差しが事務職員や給仕に向けられているのだが。
年間に金貨で一千二百枚以上の取引を行うのは、中小の商会や一介の行商人にはかなりハードルが高い。香辛料や辺境の産物だけでは大きな売り上げを作ることが出来ず、扱いの変わるラインを越すためには『互いのプラスになる専売品や特化した取引』が必要になる。
隣の部屋で商談している中規模商会は王国北部と南部のプラントハンターとして取引をしており、アローネン商会より格は一段下がるものの、五皿のコース料理で饗応をされていた。
テーブル上に残っていた銀色のデザートナイフが、綺麗な狐色に焼き上げられたパイ生地にさくりと吸い込まれる。ヴィダ酒と砂糖でじっくりと煮込まれ、さらにオーブンで焼かれたムィアの実がナイフを軽く押し返し、次いでナイフの圧力に負けて断ち切られる。
酸味と甘味の調和が取れたムィアはシナモンのような香りを出す葉と一緒に煮込まれたのか、芳しい香りと絶妙の口福を舌の上に齎していた。
「信頼を頂き感謝しますよ、マイニオ殿。我々も昨年発表された新しい鏡や水道、数々の食材によって利益を得させて頂いていますからな。それに私たちがここ数年在庫を抱えて困っていたジェルベリアもまとめて購入頂けましたし。
さすがに錬金術師を多数囲い込むことは出来ていませんが、織物工房の土地は春以降に準備出来るでしょう。既に町へ計画書も出していますし、冬の間王国領内へ滞在する商隊長にも糸や生地の仕入れを増やすよう伝えてあります」
「我々も新しい紙の工房を大規模に広げる予定です。農場と牧場は秋から契約して増やしていますが、そちらも春になったら三倍から四倍に増やす予定です。移住者が増えているからこそ出来る手段とも言えますがね」
現在ロヴァーニに流入する人口の多くは、同じ辺境の集落か、隣接する王国貴族領から逃げてきた農民など平民階級の者たちである。
移住人口の割合で言えば彼らが八割五分以上を占め、他所から流れてきた傭兵や伝手を頼ってスカウトした文官と商人が一割強。魔術師や錬金術師は身に付ける技能や知識の関係で元々の総数が少ないため、全体の五分弱程度だ。
旱魃と凶作、領地貴族の増税に次ぐ増税が民を痛めつけ、それに耐え切れなくなった者が最後の手段として選んだのが『逃亡』だった。
王国民としての権利や義務を完全に放棄して移住するため、出身地に残してきた家屋や土地などの所有財産は放棄したものとされる。負っていた賦役、租税、軍役からも解放されるが、同時に王国から保護されることもなくなってしまうし、目的地までの移動の間は完全な自己責任となる。
移住先で経済奴隷に落とされる可能性もあったが、それでも旅商人の口から噂として伝わってくる「家族が餓えずに食べていける」生活は魅力だったのだろう。
七月中旬以降、急激に人口流入が加速したのは準備とロヴァーニまでの移動に時間がかかったせいだ。
逃亡した先で盗賊にでも堕ちようものなら、辺境どころかライヒアラ王国でも名の知られた傭兵団が喜び勇んで出張ってくる。
冬篭りの祭りでスヴェンに話しかけてきたハルキン兄弟団などは、辺境以上に王国の男爵領でのやんちゃ振りが未だに語り草になっているのだ。
彼らが定期的に巡回し、商隊の護衛に就く土地での無体など出来まい。
「元の土地では農民だったり家畜を育てる仕事をしていた者が多いので、専用の土地を貸し出して家畜も貸し与え、収穫物や加工した製品、町の税などで徐々に支払いをしてもらいます。うまく経営が軌道に乗れば一代で、多少苦労しても子か孫の代までに収支は取れるでしょう。家屋や土地、家畜も徐々に買い取れるようにしています。
海辺の集落も同様ですね。技術協力はしていますが、冷蔵魔術具の荷車は製造料と利用料を負担してもらっています。集落に置く設備も今年の春頃から徐々に整備していく予定ですが、それらの費用も織り込み済みです。
設備費用を負担している我々のところには卸し価で、市場にはそれより若干高めに卸してもらい、その差額で投資分の回収をさせてもらっていますよ。回収が終わった後は彼らの利益になりますからね」
長い説明を終えたマイニオがデザートを頬張り、テノで口を潤す。
パイの度が過ぎない優しい甘さが十分に舌を楽しませ、微かな渋みを残したテノがその余韻を綺麗に洗い流す。白いテーブルクロスを敷いたテーブルの上には生けた花と茶器だけが残されており、食後のゆったりとした時間が流れている。
「しかし魔術具がふんだんに使えるのは非常に羨ましいですよ。これは例えばの話ですが――飲み水を作り出せる魔術具を積んだ行商用の荷車を赤獅子の槍傘下の商会や工房に発注したとして、費用と期間はどのくらい掛かるでしょうか?」
エルッキは興味と野心からそう尋ねてみた。ロヴァーニやその近隣に拠点を置く商会の関心は、リージュールからの知識を供与された魔術具にもある。
事前に王女への縁談・仲介等は一切受け付けないという通達が来ており、それを無視して強行しようとした商会はこの冬の商談の場さえ与えられていないのだ。
問いかけが慎重になるのも已むを得まい。
「我々の直営商会がお預かりしているものは、姫様が滞在と扶養の対価として作ってくださったものです。今は魔術師と錬金術師、直属の工房に解析と複製を依頼していますが、魔術具だけでも材料の準備に半年程度は掛かるでしょうね。
現在製作中のものは四台、これが春の終わり頃に完成するでしょう。新規の着工は早くても今年の夏以降、納品は来夏か来秋辺りでしょうか。発注費用も複数の魔術具込みでしたら、一台当たり金貨一万二千枚から五千枚程度になるはずです」
素材を錬金術工房に持ち込んで頂ければ多少値引きをしますが、と予め断って、マイニオはテノのお代わりを給仕役で同席しているネリアに頼んでいる。
白磁のティーポットから薄い金緑の水色のテノが湯気と共に流れ落ち、同じ色のカップを満たしていく。
原生林を伐採して本部新館や女子棟の拡張をしているため、赤獅子の槍と直営商会の木材では製材費以外はかなり安価だ。
荷車の製作も既に持っている素材や触媒が多いため、材料原価だけに限れば金貨数千枚程度で済む。
建物に関しては外部の木工工房も招いて作業しているけれども、鉋や大鋸、鑿などの道具類を融通することで大幅に値引きしてもらっており、原材料費と人件費は市場価格の相場に対して相当安い。
魔術具もアスカ姫の興味と必要性の赴くままという制限こそあれ、便利なものを比較的簡単に作ってもらえている。
地図のようにおいそれと外に出せないものや鞍・鐙のように軍事面で大きな優位を保てる道具もあるが、冷蔵庫や冷凍庫、荷車のようなものは魔術の運用を基礎から教えてもらい、試作を経て製作に入ってもらっていた。
アスカ姫と同じ水準まで到達するのにはあと十年は掛かるだろうが、その頃には団内で製作している初期ロットから四次ロットくらいまでが減価償却を終え、中古品として順次市場に流すことも出来るだろう。
冬場は雪に閉ざされるため、外部からの注文を受けても仕上がりに最短で一年半くらいは見てもらわないと作れないのだから早い方である。
それに魔術具は多少の劣化があったところで大事に使われ補修されていくため、十年程度の中古品なら普通に流通されている。魔術具の中には数百年経っても大切に使われている物もあるくらいだ。
「魔術具の部分だけでも現在七人ほどが専任で取り掛かっています。王都の錬金術工房で注文生産してもらったら、おそらく倍近くはかかると思いますがね。用途によって設計も変わるので、それなりに時間はかかると思ってください」
「そうですか……では仕様だけでも早めにまとめてお願いしたいですな。魔術具に金がかかったとしても、水の重量の大半が無くなる分、一回当たりの商売で運べる商品数が違いますし」
「お待ちしておりますよ。姫様は魔術師たちへの指導があるので、荷車の製造には関われませんが」
牽制の意味もあるのだろうが、マイニオはそう言ってエルッキの顔を見る。
リージュール魔法王国の王族という身分の持つ力は計り知れない。
この大陸どころか他の大陸の各国にも影響力を持ち、各国の盟主ともされる国である。数十年おきに『浮き船』で使節団がやって来ては各地の学院へ技術供与や魔術の指導をしたり、時として留学生を受け入れていたのだ。
この四十年ほどで留学出来た者は片手で数えられるほどということだが、無事に戻った者は各国の要職に就くか、後進を育てるために高等教育機関の中枢に座ることになっている。
もう存命ではないが、ロセリアド魔術学院の三代前の学院長も留学経験者だ。
本人一代限りとはいえ、宗主国ともいえる国の使節団に認められて留学し学問を修めたことで、上級の貴族家に匹敵する権威を持っていたらしい。
教え子の一人はやはり故人で先々代の宮廷魔術師になり、現在その家の当主は魔術学院の教授の一人となっているそうだ。
全てアニエラとハンネに聞いた情報だが、王都では有名な話らしい。
「我々平民出身の商会では護衛以外に魔術師との伝手が薄いので、魔力を使わずとも作ることが出来る商品が増えてくれると嬉しいのですがね。先程の商談で石鹸と紙の製法は購入することにしましたが、材料集めや炉の製作を教わって作り始めるまでに結構かかりそうですし」
「そこは已むを得ないでしょうな。ただ、生産が軌道に乗れば投資の回収は比較的容易です。明日ここを訪れるオークサラ商会や明後日に面会を予定しているルォ・カーシネン商会も同様に技術供与の商談を持ちかけてくるでしょう。
それに先立って貴方がたをお招きしたこちらの意図も汲み取って頂ければありがたいですな、エルッキ殿」
「その点は大変感謝しておりますよ。同郷出身の商会の利益を考えてくださったこと、何よりも王女殿下の温情に我らアローネン商会一同、深く感謝申し上げます」
笑みを浮かべて席を立ったエルッキたち一行は、テーブルの脇に回るとアスカ姫の視界に入る位置で膝を突き、頭を深く下げて胸の前で掌を重ね包んでいる。
それに対し、アスカ姫の視線を受けたマイニオが進み出て団長とアスカ姫の印璽が捺された契約書類を捧げ持ち、エルッキに手渡す。
彼らの主力商品は織物を中心とした服飾用品で、女子棟の地下倉庫に貯め込まれた生地の一部は彼らからも購入している。
その意味では競合というより協力者であり、辺境の外に対する共闘者であった。
「技術指導は春になってからですが、今市場にある資材は買い付けを済ませた方がよろしいでしょう。防壁建設や移住者の住居建築、新しい中央市場の整備でも資材は大量に使われていますからな」
マイニオの助言を受けながら立ち上がり、三歩半下がってもう一度アスカ姫に向かい深く頭を下げる。成人したばかりとはいえ既に多大な利益をロヴァーニへ齎している彼女には、ロヴァーニを始め辺境に住む者全員が多大な恩恵を受けている。
「姫様、そろそろ次の予定が……」
「分かりました、ユリアナ。ランヴァルド様、会計長、後のことはよろしくお願いします。アローネン商会が今後ともロヴァーニに良き影響を齎してくれますよう心より祈っております」
軽くスカートの裾を持ち上げて広げて見せたアスカ姫は、側仕えの促すまま部屋を後にした。頭を下げて見送る先で、重厚な応接室のドアがパタンと乾いた音を立てて閉じ、室内に沈黙と短い安堵の溜め息が漏れる。
澄んだ鈴が鳴るような声を聞いたのは入室の時の挨拶と今の二回だけだ。冬篭りの祭りの時を加えても三回。
二周りほど歳下とはいえ、遥かに身分の違う王族と同じ空気を吸っていたことに相当なプレッシャーを受けていたのだろう。
従者のうち筆頭秘書のオスモは、主の隣で膝を突いてしまっていた。
王都にある大商会の部門長と丁々発止のやり取りをしてきたこともある彼でも、大国の王族が同席する会食は美味しい食事以上の重圧だったらしい。
「疲れましたかな?」
「いえ……成人したばかりとはいえ、やはり王族の方は生まれながらに王族たる風格を持たれているのですね。普通に会話が出来るマイニオ殿や団長にはある意味で敬意を表したいです」
両手と両足に力を入れて何とか立ち上がったオスモが面を上げ、普段は表情を浮かべない顔に苦笑いを浮かべる。
今年三十四歳になる彼から言えば、アスカ姫は娘のような歳だ。
結婚して子供のいる彼は、十六歳の息子、十三歳の娘、八歳の息子の三人が家にいる。アローネン商会が辺境にやってきた曽祖父の時代よりは確実に楽になっているが、下の子供二人は育ち盛りだけあって、遊び相手をするだけでも大変だ。
上の息子は既に一昨年の秋から商会の見習いとして働き始めており、今日も本部で帳面の計算をしている。
エルッキの息子とも同い年であり、いずれは彼と同様に商会を支えていく人材になるのだろう。
「さて、契約書についてはお渡しした通りです。職人については直属や専属の工房から派遣します。姫様の印璽と団長印を頂いているので確約します。
費用については指導の日数に合わせて請求、もしくは布や糸などの発注時に値引きで相殺という提案通りにしてあります。荷車の発注は発注書の仕様を元に改めて算出しますので」
「承知しました。夏に王都行きのそちらの隊と一緒に貴族領へ向かったうちの商隊から、水の魔術具や煮炊きの魔術具を載せた荷車が同行していたと聞いて、本気で羨ましくなりましたからね。
水場を探して野営したり、森への延焼を気にして火を熾す必要も無くなる。晶石は調達しなければなりませんが、水を満載した重い樽を乗せて行ったり、出先で野獣を警戒しながら薪を集める手間を考えたら安いものです」
皮紙の契約書を丸めて紐を結び、エルッキが後ろに控えたサリに手渡す。
彼が継いだアローネン商会の歴史でも取引額が極めて大きく、おそらくは王国東部の織物相場を左右していた初代会頭の時よりも大規模の契約になる。
保証する相手――超大国リージュールの王女が印璽を捺したという意味でも。
飛鳥にとっては団長と連名での認印のような感覚でも、この世界に生きる人間にとっては『大陸の各国家の盟主であるリージュール魔法王国の王族が、正当な契約と認めた』という、およそ考えられる限り最上級の取引保証だ。
このままでも十二分に家宝になるし、皮紙ごと高価な保存の魔術具で維持して会頭室に飾っても良いかも知れない。
「いずれにせよ、商隊を率いる者たちを集めて早急に荷車の仕様を固めます。遅くとも今月の半ばまでには要望をまとめてお持ちしますので」
「了解しました。団長や私が不在の場合は受付のヴァルトに預けてください。受付の係員を取り纏めているので、彼に渡せば間違いなく私の所に届きます」
マイニオとがっちり両手で握手を交わし、エルッキは部屋を後にする。
商談は大成功と言って良いだろう。緊張と疲労は残っているものの、従者たちの顔も喜びに溢れている。
帰り際に受付カウンター前のホールを通る時に向けられた羨望と嫉妬込みの視線の数々も、今の彼らにとってはそよ風のようなものだった。
「さて、まずは無事初日の取引で気にするべき案件は終わったかな? 隣の部屋で任せている動植物の取引についてはこれから顔を出さなければならないが」
「一番大きなものは終わりですね。明日オークサラ商会とは鉱物や鉱山の件で話し合わなければいけませんが、街道整備や防壁工事への出資もありますから、うちが大損をすることは無いでしょう。
契約農家と牧場の代表は明後日の昼に文官が呼んで、育成計画を詰めさせます」
取り交わした契約書の控えを丸めて紐で綴じ、持ってきた書類の上に載せる。
執務室に戻ったら保管用のバインダーにまとめて綴じるのだが、おそらくは夜の仕事になるだろう。彼が顔を出さなければならない仕事は詰まっているのだ。
隣の部屋の会食が終わり次第、団長と一緒に調印に向かわなければならない。
「スヴェンは良く我慢したかな? 取引の話の最中は眠かっただろうに」
「いや、難しい話をしてる時は寝てたぜ? 姫さんが部屋に入って来て、美味そうな料理の匂いが辛気臭い部屋の空気に混じってからはばっちり目が覚めたけどな」
からかうように笑顔を向けた団長に手をひらひらと振ったスヴェンは、悪びれもせず背伸びをしている。肩や腰の骨がばきばきと音を立てているのは、ずっと同じ姿勢で固まっていたせいだろうか。
「酒は足りねぇが美味い飯で腹一杯になったし、一休みしたら午後は訓練場で若い連中を鍛えてくるぜ。今日は防壁建設の視察で、姫さんの訓練は無い日だよな? なら奴らは剣と槍で扱いてやるか」
貴族家出身だけにマナーもそれなりに心得ているため目立たなかったが、食べている量はアスカ姫の倍近い。
アスカ姫が同席する商談後の会食ということで一皿当たりの量はかなり加減されていたが、身体に比例して胃袋も大きいスヴェンには物足りなかったのだろう。
食前酒と食中酒も一杯ずつだったので、食堂でもう少し腹を満たしてから訓練所に向かうと宣言している。
「その元気は見習うべきかも知れんが、姫様のご迷惑にならないようにだけしてくださいよ、副長。会食に同席する際も」
「止めておけ、マイニオ。言って直るなら私も長年苦労していない」
疲れたように溜め息を吐いたランヴァルドがわずかに肩を落とす。
実家から学院に通っている当時に約一年半、学院を卒業して一年半、王都の実家を離れて丸五年。それだけの付き合いの間で色々と忠告はしてきても、改善されたことなど片手で数えられるくらいである。
先日の『姫様の禁酒令』のような契機でもない限り、今後も改善されることなど無いだろう。
「それと王都からの最終便で届けさせた例のものだが、検査は終わったのか? 夏に使い魔を遣わした時には時間がかかりそうだと言っていたが……」
「無事ご実家から届いていますよ。乗り物酔いも収まったようですし、病気らしいものも見つかっていません。出された食事もしっかり平らげているようですから、今晩にも姫様にお渡しできると思います。
こちらへは直営商会の夕方の定期報告で持ち込むよう伝えてあります。団長の使い魔を監視役にして頂いて、暖かい執務室か大食堂でお渡しするのが良いかと」
「分かった。夕方少し前に暖房の魔術具を起動させておこう」
マイニオが書類を文官の一人に持たせ、側仕えと給仕が片付けをするため開け放たれた扉を出る。応接室前の廊下は板張りの床の中央に団の色と同じ赤の布を広く張り、絨毯のように見せていた。
起毛こそ少ないが、厚さ半テセほどの絨毯は靴の音を大部分消し去ってくれる。
絨毯の裏に特殊なインクで描かれた魔法陣により、侵入者や害意のある者が上に乗った時は大音量の警告音と極短い時間での閃光の点滅が壁と床、天井から降り注ぎ、脛と腹の高さへ拘束魔術が襲い掛かる。
幹部の執務室前にも同じ仕掛けがされているが、幸いにも本部新館が建築されてからの半年で、試験以外ではまだ一度も起動したことはない。
それに彼らは知らないが、就寝の鐘が鳴った後の深夜に水道設備にいるのと同じ魔法生物が廊下を覆い、絨毯に落ちた髪の毛や土埃などを一つも残さず食べてくれるので、朝になれば絨毯は元の美しさを維持しているのだ。
たとえ夜中に運の悪い侵入者が廊下に転がっていたとしても、痕跡ごと綺麗さっぱり片付けられている。
「お前たちはこの書類を私の執務室の机に持って行ってくれ。私と団長、直営商会の関係者はもう一件顔を出してから戻る。戻るまでに昼食も摂っておいてくれ。
午後からは明日のオークサラとの取引について最終の見直しと検討を行う」
後ろを歩く文官に嵩張る資料を渡し、七テメルほど離れた隣の応接室の扉をノックする。この辺りは広い応接室と中規模の応接室が隣り合っており、受付へと近づくにつれて部屋の規模が小さくなり、収容人数も小さくなっていた。
先程までいた応接室は最大十二人まで座れる第一応接で、調度品や新館の中庭を見渡せる大きなガラス窓、冷暖房の魔術具に茶器一式、簡単な調理も行える設備と洗い物も出来る水道が設けられている。
隣の応接室は茶器や水道は無いものの、同じく中庭側に採光を意識したガラス窓が設えられており、春から秋には応接室から中庭に出ることもできた。
今は秋の花の盛りも終わり、花壇も球根を掘り返すのを待つだけの殺風景さが広がっている。景観上中庭に噴水を設置する案もあったが、時間と費用の都合で設置は春以降に延期されていた。
「やあ、お待たせしました。わざわざご足労頂き感謝しております。我が傭兵団の昼食はいかがでしたかな?」
穏やかな笑顔を浮かべたマイニオが努めて明るい声で部屋に踏み込む。
余裕を見せる演技も時には必要だ。この商会には現在、大陸各地の動植物の移送で頼みごとをしている関係上、友好は保たなければならない。
辺境に持ち込まれていない作物を導入するために結構な資金を注ぎ込んでもいるが、あくまでも現時点での話である。
アスカ姫が指導を行っている現状の人員と設備では団に余裕は無い。
「午前中に春以降の追加依頼について説明があったかと思いますが……」
満足そうな商会主たちの表情を見ながら席に着き、副官から渡された二枚の紙を手元に置いて商談の詰めに入る。
植生の違いや環境の違いはあれど、一部は魔術具の利用で解決出来るのだ。
既にアスカ姫からその説明を受けている会計長に迷いは無く、団長からも交渉と予算については承諾を得ている。
いずれは直営商会への吸収合併を考えている彼らに対し、マイニオは表面上友好的な態度で話を進めていった。
慌ただしい一日が終わり、文官たちが疲労と喜びを顔に浮かべつつ今日の商談で妥結した内容を記録するため執務室に篭もっている。
明日の商談の準備もあるため、彼らの夕食は遅くなるのだろう。
日没の鐘はとうに過ぎ、文官の一部と各部隊の部隊長、副長は報告書を手に食堂へ集まっている。食事時を報告の場にしているのは、確実に皆が集まるからだ。
現在の団員で食事を楽しみにしていない者はいない。新人から工房関係者、厩務員に至るまで空腹をスパイスに職務や訓練に打ち込んでいる。
大手商会との商談結果や重要な案件は夕方までに報告されているため、この場で報告されるのは商隊護衛の計画が中心だ。
幹部への報告が終わった者から飲酒が解禁されるため、順番を決めるために事前協議が必要だったり、部隊長同士で夕方までに模擬戦が繰り広げられたりするのも普段と変わらぬ光景である。
今日はトピアスが一番手を獲得し、二番手に新しく部隊長に任命されたユッシ、三番手には古株のヴォイトが続いていた。
既にトピアスの隊は酒盛りに移り、その隣のテーブルでユッシたちも静かに食事と酒を楽しんでいる。まだ他の隊が団長へ報告中のため騒いでこそいないが、嬉しそうに食事を頬張る空気は隠し切れていない。
中小の商会や辺境を中心に取引している行商人は護衛の規模も小さいため、この後まとめて報告されることになっている。
「マルトラ男爵領とカルティアイネン男爵領、南の直轄地ペルキオマキ行きの商隊護衛については昨年の二割増しの金額と人員になる見込みです。
道の良い辺境街道の途中から森と荒野を突っ切って、エロマー子爵領を経由せずに直接ペルキオマキへ向かう計画も考えているようですね。その場合は野獣の襲撃や辺境から追い払った盗賊の残党が隠れていることが考えられるので、今以上に護衛の増強が必要ですが」
ヴォイトが計画書の写しを読み上げながら、自身は首を横に振って反対している態度を見せる。
道無き荒野を抜けるとなれば荷車の速度は半分以下に落ちるし、平野部と違って水場や地形など把握出来ていないことも多い。
アスカ姫の地図はロヴァーニと辺境街道の整備を見越して作られており、辺境の荒野については未調査だ。いくら護衛が仕事とはいえ、みすみす危険と分かっている場所に踏み込む気は経験豊富な彼にも無い。
「癪に障るが、安全策でエロマー子爵領を経由した方が良いだろうな。可能な限り早く領地を抜けてしまえば面倒に巻き込まれずに済む。
詳しくは執務室で話すが、エロマー子爵の家中に動きがあるようだ。早くても春以降ということだから、警戒しておいた方が良い」
「了解です。うちの隊は全部の計画がまとまらなかったので三日後に再会合を開くんですが、そこでこちらの情報と合わせて修正案を先方に提示します」
「そうしてくれ。マルトラ領とカルティアイネン領は提出してもらった計画書通りで問題無い。王都の派閥争いとも無縁らしいし、現当主と跡継ぎもまともな人物で堅実な領地経営をしていたはずだ。
現地に詳しい者から裏付けを取って計画を詰めてくれ。次は?」
指摘を加えた計画書には承認のサインを入れず、欄外に『要再検討』とだけ記入してヴォイトに差し戻す。
サインが入ったものは詳細な日程計画と人員表、保存食などの資材見積書を加えて会計長に提出し、裁可が下りれば正式に許可される。保存食の計算は面倒だが、水の計算が省かれるようになったのは大きい。
荷車に詰めるサイズの給水魔術具のおかげで飲料水の携行が減ったことは、団にとって多大な恩恵になっているのだ。飲料水の樽を載せる予定だった重量との差分だけ物資を余計に積み込むことも出来るし、道中で水場を探す労力や水そのものの安全性を考えたら、魔術具の有無が齎す功績は計り知れない。
起動に必要な晶石を用意したとしても、一個平均で銀貨三枚から金貨一枚程度の費用なら十分に採算が取れる。晶石は最低でも一年半程度は使い続けられるため、道中で水が腐ったり虫が湧く危険性を考えたらコスト面でも大きな利益だ。
前衛で戦闘を行う者たちも昨夏から簡単な魔術が使えるよう訓練を重ねており、給水の魔術具程度なら日に七、八回は起動出来るだろう。
同行する団員全てが使えるのであれば飲食の利用だけでなく、衛生面でも大きなメリットがある。シャワーやトイレなど、水を必要とする生活事項は多いのだ。
「次は中小商会の動向ですね。辺境の町の間での護衛案件が中心です。昨秋以降に入った新人たちの訓練を兼ねて、当面はベテランと一緒に班を組ませる予定です。
二年ほど辺境街道で地理と任務内容を経験させてから徐々に長距離商隊の護衛に帯同させ、並行して事務関連の処理も経験させます」
受け取った報告書を広げて項目を斜め読みしていく。
文官が面談した分の報告書は、文章作成に慣れているためか要点が簡潔で非常に分かりやすい。脳筋の実働部隊長たちに同じレベルの仕事を期待するのは明らかに間違っているのだが。
中小商会の護衛計画は出発時期と予定人員、荷の内容、片道の費用見積りと現地の滞在予定が書かれており、計画に基づく食料の概算も記入されている。
実際には天候や襲撃などによる遅延もあるため、一日から最大五日程度の余裕を見て決定されるのだが、差異は誤差のようなものだ。その分は危険手当として請求もしているし、日程が早くなろうが遅くなろうが変わらない。
「分かった。団員が急激に増えて大変だろうが、計画書の詰めを頼む。根回しは各部隊長にもしておいてくれ。私が入手している王国内の情報は回覧出来るものを書面にして渡すので、明日以降本部内だけで回覧してくれ。当然だが本部新館からの持ち出しは一切禁止する」
表紙の決裁欄の外に『詳細計画を提出のこと』と但し書きをしてサインを入れた団長は、ようやく途切れた報告者の列を見てペンを置き、溜め息を吐いている。
傭兵団とは言っても、上役のやることは決裁や調整、外部との交渉がメインだ。
役職が上がるほど己の意思に反して現場から離れてしまい、身体が鈍る直接の原因ともなってしまう。
幸いにして商談と調整、決裁に追われるのは年始の十日ほどだけである。
普段であれば週末に上がってくる報告書と週報、工房の報告書と直営商会の出納帳を見なければならない程度だ。
直営商会の情報には辺境で採取された植物や捕獲された動物、鉱山から出た鉱物のサンプルなども付随することがあるが、それらの情報の仕分けには毎朝アスカ姫の手を借りている。
事務仕事に慣れているのか、あるいは王族としての教育の成果だろうか、内容の理解と数字の把握、重要度の見極めは団に所属する文官よりも早く正確だ。
「今日はここまでか……ようやく晩飯にありつけるな」
金属の先端と硬い木の軸で出来たペンを文箱に戻し、軽く両肩を回す。
副長のスヴェンが事務仕事を嫌がらずにやってくれたら少しは彼の負担も減るのだが、武門に傾倒して家を出た人間にそれを言うのは酷であろう。
結果、団長であるランヴァルドと会計長のマイニオに三人分の仕事が圧し掛かっているのだ。部隊運用や訓練での負担は肩代わりしてくれているので、本人としてはそちらで調整を取っているつもりなのだろうが。
「イェンナ、私にも食事をもらえるかな。それと冷えたヴィダ酒か麦酒を頼む」
「食事はすぐお持ちします。お酒は姫様とユリアナ様から差し入れがありますよ。女子棟で夕食を摂られた後、こちらにお見えになるそうです」
手元の板に何やら書き付けたイェンナが冷たい水の入った木のカップを置き、くるりと踵を返す。細かく砕かれた氷が浮いている水を口に含むと、考えを整理するために全開だった血の巡りが適度に冷やされ、気持ちが落ち着くのを感じた。
テーブルには良く冷えた水の入った水差しが一つずつ置かれ、壁際には銅貨を入れると一定量の酒やジュースを樽から出してくれる便利な道具が置かれている。
ジュースなら銅貨一枚でグラス一杯分、銅貨二枚ならジョッキ一杯分。
酒はヴィダ酒なら銅貨二枚でグラス一杯分、麦酒なら同じ値段でジョッキ一杯。
魔術具ではなく、銅貨の重さによって注ぐ部分の管を開放し、決まった量を注ぎ終えると管を閉じてしまうらしい。
酒を注いで回る手間が大幅に省けたため、イェンナたち給仕には大好評だ。
団長や部隊長など幹部には注文に応じて提供する方式も残っており、それを控えるために給仕の手元の板に記入するようになったという。
最終的に団内請求の部門会計として扱うため、その方が面倒が少ないらしい。
団長がペンを仕舞ったことで仕事が終わったと判断したのか、今まで声を潜めていた団員たちの声も大きくなってくる。
部隊長として会食に出た者や中小商会との打ち合わせで食べた者、普段通りこの大食堂で昼食を摂った者たちの話があちらこちらで入り乱れ、第三者としての商人たちの反応も聞こえてきた。
会食込みで招かれている大商会と、直営商会が出来て以降取引が始まった商人とでは当然ながら対応が違う。出遅れていた者たちは選ばれた者たちの地位へ近づこうと団や直営商会に有利な条件を競い、先んじていた者たちはその地位を守りつつさらに先を目指そうとする。
ロヴァーニ出身で以前から団に出入りしていた商人や、錬金術の触媒など特殊な商材を扱う商会は優遇されている。料理のランクも中小商会と同じだ。
個人で取引を行っている者たちが食堂で一般的な団員の定食に感動する中、四皿から五皿のコース料理を振る舞われていたのだから。
以前からアニエラやハンネが利用していた素材屋は優遇されている側だ。
テントのような店から始まった店は、現在整備中の新中央市場に大きな店舗を構える準備をしており、王国の貴族領に修行に行っていた息子や嫁入りしていた娘一家を呼び戻している。
街道が雪で閉ざされる冬は移動出来ないため、一家が揃うのは春以降だろう。
将来的には錬金術部門と薬草部門を別々の子供に任せ、店主自身は仕入れと素材の目利き、大口の取引のみに専念するらしい。
団の魔術師や錬金術師たちが必要とする素材も引き続き扱ってくれるので、鏡や魔術具の製作に必要な素材が品切れすることは無い。
「お待たせしました、麦酒とつまみのベーコン・ターティです。料理はもうすぐ出来ますので、まずは先にこちらをどうぞ」
給仕の少女の手で厚いガラスのジョッキと小皿が目の前に置かれる。
冬だというのに、表面に霜が付くほど冷やされたジョッキの冷たさが心地良い。同じく冷えた麦酒を飲んだら、疲れた身体に染み渡ることだろう。
「今夜のメインはフンメールとロヒのあつあつグラタンです。料理長が姫様に交渉して、地下の冷凍庫から在庫を出して頂いたそうですよ」
熱に強い木の皿の上に、白い楕円形の皿が乗っている。香ばしく表面を焦がしたホワイトソースの中には丸い管状のものと一口大に切られたフンメール、鱗を取って皮ごと切られたロヒが入っていた。
昼の会食で出てきた前菜のグラタンは、これの習作だったのかも知れない。
女子棟の食事もグラタンだが、そちらはこれに加えてハマグリのような貝が加えられ、二種類のサラダとイェートのミルクから作ったヨーグルトも付いている。
この時間大食堂で働いている給仕たちの分も用意されているので、まさに至れり尽くせりだ。
持っている食材の質と在庫の量、保管状況を考えたら已むを得ないし、ダニエに指導をする飛鳥も女子棟の側についているのだから仕方なかろう。
「今日のパンはバケットと丸パン、ロールパンの三種類です。お代わりの時は声をかけてください。スープは海草と卵のスープかルッタのポタージュから選べますけど、どちらにされます?」
「ルッタのポタージュを頼む。それと姫がこちらに来られたら私に教えて欲しい」
パンが二個ずつ載った籠をテーブルに置きながらスープの確認をした彼女は、腰に下げた木の板にペンのような木の棒でさらさらと何かを書き付ける。
冬の間の夕食はスープだけ選ぶ形になるため、それを記録しているのだ。
メインは日替わりで肉か魚介、パンは焼き上がっている分に限り食べ放題。
酒とつまみは限度はあれど、個々人の懐次第である。
新館の大食堂を作った際に飲酒に伴うルールを変えてつけを禁止にしたところ、毎晩混沌としていた食堂に落ち着きが戻ったのだ。加えて給料の前借りや団員間の借金なども無くなり、酒とつまみの味も良くなって好循環になっている。
「姫様なら間もなくだと思います。わたしは遅番なんで今食堂に入ってきたんですけど、女子棟の食堂を出る前に食後のお茶を飲まれてましたから」
向こうで夕食を食べてきたと示すように、エプロンの上から腹を叩いて見せる。
町娘として恥ずかしくないのか、布が軽く叩かれるぽふぽふとした音しかしないが、本人は大変満足だったようだ。
女子棟の食堂は新館の大食堂に提供されていない試作メニューなども多く、食後のデザートまでしっかりと揃っている。以前アスカ姫に招かれて食べた際は、本気で羨ましくなった。
「あ、話をしてたらいらっしゃいましたよ。姫様のお席は団長のテーブルに用意しますので、このままお待ち下さい」
給仕の少女が軽く一礼し、食堂に入ってきたアスカ姫一行に近づいていく。
先頭にいるユリアナに一声かけ、彼の座る席の方へ視線を向ける。軽く片手を挙げると、ユリアナはアスカ姫を案内して奥の席へとやってきた。
「お待たせしました、ランヴァルド様。姫様、お飲み物は?」
引いてもらった椅子に浅く腰掛けたアスカ姫は、一緒に入って来たマイサにヴィダとシュレのジュースを頼んでいる。
ユリアナにも席を勧めているが、彼女はこの場ではアスカ姫の側仕えとして振る舞い、首を横に振っていた。職業意識から来る頑固さは未だに変わらないらしい。
「入り口で私をお呼びだと聞きましたが、何かありましたか?」
ジュースが届くのを前に首を傾げた拍子に、背中に流されていた銀の髪が胸元へはらりと流れてくる。愛らしくもあるが、無防備な色気を感じてしまい思わず頬が熱くなってしまう。正面にいるユリアナには気付かれていないとは思うが、十分注意した方が良いだろう。
「まだお食事もされていないようですし……ちょうど良いわ、リスティナ。地下の倉庫から持ってきたボトルを団長に差し上げて?」
斜め後ろに控える側仕えを振り返ったアスカ姫が促すと、リスティナと呼ばれた少女が手にした籠を持って前に出てくる。
主の前で確認するように持ち上げられた編み籠の中には、濃緑色に色付けされたガラスのボトルが二本、木の栓をされて収まっていた。それとガラス製の脚の長いグラスが二脚。机に接する部分はグラスの口と同じくらい広がっていて、倒れたりはしないようになっている。
「昼の会食の後、ユリアナとも相談して差し入れのヴィダ酒を用意してみました。これから週に一度、ボトル一本は確実にお渡しできると思います。
今回は年始のお祝いも合わせて二本、グラスと一緒に用意してみました」
滑らかに削られたテーブルの上に籠を滑らせ、彼の前にボトルがやってくる。
周囲のテーブルからの視線が集まっているが、気にしては負けだ。一本は夕食と共に楽しむとしても、もう一本は絶対に死守しなければならない。
「……ありがとうございます、姫。正直助かります」
「いえ、お仕事で毎日重責を担っていらっしゃるのですから気になさらないで下さい。私もユリアナたちを説得するのが大変でしたけど、きちんと団の運営をされているのですから要求してくださっても良かったのですよ? 毎日だと女子棟の皆が反対してしまったかも知れませんが、週に一本程度でしたら問題ありません」
つまみの皿の向こう側で止まった籠から手が離され、所有権が彼に委ねられる。
ありがたく受け取ってすぐに腰に提げた短剣で栓を抜き、早速グラスに注ぐ。
こぷっ、こぷんっ、という音と共に注がれた澄んだ赤色が体積を増し、少し狭められたグラスの口から昼飲んだものとは比べ物にならない香りが広がり始める。
匂いに気づいたのか、酒にうるさくなった団員はもちろん、テーブルの反対側にいるユリアナたちまでごくりと唾を飲み込み、グラスを見つめていた。
グラスに半分ほど注ぎ終わったボトルをテーブルに置き、グラスをそっと持ち上げると、動きにつれて周囲の視線も上に移動する。
ユリアナたちは先程飲んだばかりでしょう、と小さな声で窘める姫の声が聞こえ、顔を上げると慌てて側仕えたちが一斉に視線を逸らした。だが団員たちの目は相変わらずグラスに釘付けだ。
口をつけると同時にアルコールに変化したヴィダの香りが一杯に広がり、軽い酸味と果実の甘さが喉を通り、同時に香りが鼻の奥へと抜けていく。
王都での付き合いや傭兵団を立ち上げてからも酒はたくさん口にしているが、今飲んでいるヴィダ酒ほど身体が渇望するものはない。
アルコールも強いが、それを意識しないほど飲み口も良い。
「美味い、ですね。これがあれば明日も頑張れます」
味を見るために注いだ分を二口で飲み干し、既に置かれていた麦酒のジョッキは食中酒に回すことを決めると、一度抜いて机に置いていた栓を閉じる。
トピアスや他の隊長たちのいるテーブルから複数の嘆きが聞こえてくるが、全て無視だ。いちいち付き合っていたら彼の飲む分が確実に減っていく。
「お酒はこれから覚えていくので味などは良く分かりませんが、気に入って頂けたなら良かったです。ボトルが空いたら女子棟にお戻し下さい。綺麗に洗浄してから新しいお酒を入れますので」
「分かりました。ご厚意に甘えさせていただきます」
にこりと微笑むアスカ姫に一礼してから、団長も壁際に向かって合図をした。
すぐに一人が食堂の外に向かい、駆け出していく音が聞こえてくる。
「私からも姫にプレゼントがあります。冬篭りの祭りの前日には町に届いていたんですが、検査と確認があって本日まで団に移動させられなかったものです。
姫は優れた魔術師でもありますし、リージュールの王族でも在らせられるので、本来なら魔法王国のどなたかから譲られるのが一番だったと思うのですが……」
先程と同じようにばったんばったんと食堂の外で足音が鳴り、開け放った扉から文官の一人と伝令に走った男性、その後ろに会計長が姿を現した。
会計長の手には大きめの四角い鳥かごのようなものが提げられ、外側を布で覆われて中身が見えないようになっている。籠を持つ腕に絡んでいるのは蛇のような形をしていて、小鳥ほどの大きさの翼を四枚広げて彼らを威嚇するように広げていた。
「そんなに慌てなくても良いのに。ペテリウス、おいで」
荒い息を整えながらテーブルに近づいてくる彼らに声をかけ、ランヴァルドは自身の使い魔に呼びかける。
会計長であるマイニオの腕に身体を巻きつけていた蛇のような生き物は、するりと拘束を解くと小さな羽を一生懸命羽ばたかせ、滑るように宙を飛んできた。
頭から尻尾の先端までの長さは一テメルほどだろうか。
ベージュに近い肌色と白が交互に並んだような菱形の鱗が綺麗に並び、飛鳥の知っている爬虫類とも違って頻繁に瞬きもしている。
「これは私の使い魔でペテリウスと言います。空飛蛇という種類で、主に団本部の私と王都の父の間で情報をやり取りする際に遣いをしてくれています。
ペテリウス、姫にご挨拶を」
テーブルの上で軽くとぐろを巻いて頭を持ち上げ、小さいけれど青い瞳でアスカ姫を見つめている。すぐに自身の主よりも魔力の多い相手と見たのか、ペテリウスは羽を綺麗に畳み、お辞儀をするように頭を下げた。
すぐに元の姿勢に戻って『これで良い?』と契約者である団長へ尋ねるように首を傾げている様が意外とかわいい。
頭を軽く撫で、小さな瞳が狙っているベーコンを小さく千切ってフォークに刺してやると、喜んで食いついてくる。仕事は果たしたとばかりにテーブルの上で気を抜いた様は、まさしくペットと飼い主だ。
「小さな身体ですけど、お利口さんですね」
安心しきって転げながらベーコンを齧る使い魔に苦笑しながら、ランヴァルドは会計長に視線を向ける。手にした籠はそのために持って来てもらったのだから。
「魔術も使いますし、何より移動速度が速いので重宝しています。エロマー子爵領くらいなら片道半日から一日、王都で六日くらいですかね。
それで、姫ほどの方が使い魔を身の回りに置いていないと、邪な意図を持った者が自分の意のままに動く使い魔を側に置くよう進言してくるかも知れません。
それを避けるためにハンネとアニエラ、実家にも動いてもらって、しかるべき所から譲り受けてきました。よろしければ姫のお側にてお使い下さい」
皿から少し離れた場所に会計長が籠を載せ、覆っていた布をそっと外す。
細い金属の線で囲まれた柵は、日本で妹たちと一緒に休日のペットショップで見たウサギ用のケージか、大きな鳥かごのような印象を受ける。下部のトレーと取っ手の部分は木製で、小さく折り畳む機能は無いらしい。
その中には短く切られた草のベッドの上に、白くて丸い毛玉が寝そべっていた。
「妖精猫という希少な動物です。親はリージュールから来た使節の方に譲って頂いたものですので、姫にも縁があるかと思います。
譲ってもらい荷車で連れてきた時にはかなり疲れていた様子だったのと、病気の検査でお待たせしてしまったのですが」
アスカ姫の視線が籠の中の妖精猫に向けられ、釘付けになっている。
体長は十五テセあるかどうか。ふわふわもこもこの白い毛皮に覆われ、脚も短く見える。耳は頭の大きさと同じくらいの長さだが、音に合わせてぴくぴくと細かく震えて周囲の様子を気にしているようだ。
深い藍色の瞳は籠の外の女性陣と男性陣を見回して、ユリアナたち側仕え、ランヴァルドを見た後でアスカ姫に向かう。魔力に敏いと聞いていたので、保有量の一番多い姫に視線が行くのだろう。
元は先々代の宮廷魔術師が譲り受けた使い魔の子で、夏の終わりに王都と連絡を取った時に父から「子が生まれたらしい」と報告があったのだ。
姫の回復と現状を連絡した時に王城での噂を聞きつけたため、父に譲渡の交渉を頼み、学院でスカウト活動をしていたハンネたちから半月ほど遅れて王都に入った商隊に引取りと移送を依頼している。
優秀な魔術師の数も少なく、その中で使い魔を持てる者はさらに少ない。
便利ではあるが、主従関係をきちんと維持出来なければ見限られ、時には手痛いしっぺ返しを食らうこともある。魔力を一時的に食われて数日間昏倒するなど大人しい方で、酷い時には契約者の命が対価に持って行かれることもあるのだ。
妖精猫はリージュール魔法王国から譲られた、幻獣に分類される希少種である。皮紙サイズの鏡二十枚で引き取れたのだから安い取引と言えよう。
「これを、私に……?」
視線を離さずに口を開いたアスカ姫が、そろそろと籠に指を近づける。
魔力に敏感らしい妖精猫も、すんすんと鼻を鳴らして柵の縁に近寄ってきた。
「み?」
小さく、そして短く鳴く声に女性陣が何かを堪えるように震えている。
首をわずかに傾げて再度鳴き声を上げると、アスカ姫も籠の隙間から指を差し入れて、ふわふわの毛玉に触れていた。
「にゃ?」
今の愛らしい声は姫のものだろうか。それとも妖精猫のものだろうか。
金属の柵を挟んで向かい合う小動物と姫に周囲も見蕩れている。
ランヴァルドのテーブルにはいつの間にか頼んでいたスープとメインの肉料理が置かれており、それを持ってきたらしいイェンナはユリアナたち側仕えの隣で鳴き声が聞こえるたびに悶絶していた。
冒頭にも書きましたが、疲労から帰宅後寝落ちてしまったらしく、更新を楽しみにしていただいてた方には遅れて申し訳なかったです。校正し切れていないかも知れないので、あとで手を加える可能性大ですが。
ルビ込みで38500字オーバーと長くなりましたけど、最後のやり取りだけ入れておきたかったので……。当初のプロット通りですが毛玉登場です。もふもふです。美少女(外見)と小動物です。
感想や評価等、頂ければ幸いです。続きを書く励みにもなりますので。
そういえば久しぶりにアクセス解析を見たら、PVが18.5万近く、ユニークも4.6万を超えてたみたいです。毎度亀更新にお付き合い頂きありがとうございます。




