祭りの前夜
業務多忙につき遅れて申し訳ないです。校正やら修正やらまだ色々残ってるので今回は短め。
この世界でも晩秋の風は酷く冷たく、剥き出しになった肌を切り裂くような鋭さで吹きつける。雪が降り出していないだけで実質冬と同じようなものだから、曇ってはいてもまだましなのだろう。
昨日まで荷車が走っていた山間の隘路は遥か後方に過ぎ去り、今ではその姿を望むことさえ出来ない。
エロマー子爵領と辺境の境である丘を離れて四日目。
レーアたちの家族を乗せた荷車は重量が軽いこともあって、一日の想定航続距離が二割ほど伸びている。
角犀馬たちが森岩栗の棒菓子で奮起したこともあるだろうが、ごちそうの待つ塒へ早く帰りたがっているようだ。
「ああ、森が見えてきたな。夕方くらいには砦を超えて、夜遅くにはロヴァーニへ着けそうだ。安全策を取って休憩を大きく入れるなら明日の朝だな」
「頑強な角犀馬たちが走り続けて相当疲れてきてますからね。出来るなら砦の内側で一泊した方が良いと思いますよ」
ダーヴィドの言葉に、同行していたタルモが反応して声をかける。
今でこそ武器の扱いや戦闘の訓練を受けて現場に出ているが、元は御者のペールと同じく団の厩舎で下働きや御者をしていた彼は、遠征や長距離の任務では角犀馬を始めとする騎獣の管理も受け持つ。
その彼が口を挟むのだから、角犀馬たちの疲れは本当なのだろう。
「本来なら辺境の荒野を四日で駆け抜けるなんて無茶苦茶ですよ。新しい荷車と角犀馬たちの頑張りがあったからですけど、今までなら王国領まで行くのに六日から八日掛かってたんですから」
現代日本で作られたものより精度はかなり落ちるものの、新しい荷車――アスカ姫が錬金術と魔術を駆使して作った車輪にはベアリングの技術が応用されている。
これまでの荷車の車輪や車軸は木製で衝撃に弱く、経年劣化も酷かった。
それを金属製の骨組みと枠を備えた車輪に変えてそれぞれ回転を独立させ、急な方向転換にも耐えられるように変更している。
大八車とリヤカーの違いのようなようなものだ。
車輪も単なる木製からコルクのような弾力性のある樹皮を衝撃吸収剤として車輪に巻く形に変更しており、外側に亡くなった角犀馬の表皮を巻いて滑り止めと車輪の保護材にしている。
技術面では多少面倒なこともあるようだが、ロヴァーニの荷車や台車は急速にこの方式へと変えられている。
原始的で車軸の構造上重量が増え、どうしても重心が高くなってしまう欠点が解消された荷車は女性や子供でもそれなりの重量を運ぶことが出来る。
既に防壁工事の現場や移住者たちの開墾現場、行商や辺境集落からの収穫の移送など、利用されている場所は多い。
製造もアスカ姫がわずかな利用料だけで基本の図面と作り方を公開したため、木工工房や鍛冶工房の共作品も増え、今ではロヴァーニ周辺の集落でも一、二台購入して使い始めている所が多い。
ロヴァーニに本拠を置く商会では自分たちと取引のある工房で作らせる他、赤獅子の槍の直営商会から高級品を買い、それを分解・研究して精度を高めようと努力しているようだ。
平民でも銀貨七、八枚から金貨一枚弱で手に入るものなら、月賦や期末払いであれば手が届く。もし故障しても修理する工房も多く、整備や維持も容易い。
もちろん、車輪に使うベアリングの精度の関係で直営商会の製品には数段劣る。
精度の高い鋼球を作ることは新人錬金術師の良い副業と魔力制御の訓練にもなっており、団としても歓迎していた。
図面の利用契約の際に直営商会の魔術師と魔術契約を結ぶため、野放図に流出していく危険性もない。
「どうすっかな……タルモ、ロヴァーニまで一気駆けは出来そうか?」
「無理ですね。出来て砦まで、そこで乗り換えれば今日中に本部への到着も出来るでしょうけど、こいつらが怒りますよ。
砦から誰かを伝令に走らせるくらいは出来ると思いますが、俺らの安全策としてもう一泊した方が良いと思いますけどね」
常歩どころか速歩か駈歩のような速度を維持している角犀馬を労わるように首筋を撫でたタルモは、ダーヴィドの話の途中で急に荒くなった動きを感じて異議を唱える。
体力の限界まで走れば本部到着も可能だろうが、乗り換えて本部に行かれては暖かな塒と彼らのご馳走が遠のくと感じたのだろう。
見た目は温厚で鈍重そうだが、角犀馬は一般の人が思っている以上に賢く、飼い主や乗り手の話もきちんと理解している。
自分たちに都合の悪いことや命の危険があれば、内容に応じて反抗するくらいのことはやってのけるのだ。
角犀馬たちの反応も分からないでもない。
本部新館に少し遅れて建て替えられた厩舎は水道が完備され、後背の崖を横に掘って作られた飼い葉の保存庫もある。
それに新館と女子棟の風呂の湯の再利用で水浴びや冷暖房にも使えるため、衛生面でも飛躍的に状態が改善しており、特にアスカ姫の愛馬であるパウラなどは毎夕の風呂を楽しみにしていた。
今では新厩舎の噂を聞きつけた他の傭兵団からも三日に一度くらい、洗車ならぬ洗馬を依頼されて対応することもある。依頼があった時に居合わせれば、タルモも手が足りないからと洗い場へ駆り出されるのだから。
一日に受け付ける頭数には二十頭までと上限を設けているが、ちゃんと利用料を取っているため当番の厩務員には特別手当も出る。
入団間もない若い団員たちも世話を覚えるために手伝わされるため、教育としても結構重要な役目を果たしていた。
「乗換えのために降りて、後で背中やケツに角を突き立てられて追い回されるよりも、大人しく半日到着をずらした方が良いんじゃないかと」
「仕方ねぇか。俺も自分のケツは大事だからな――ヘンリク、レーア、次の森を迂回したら上り坂だ。砦を超えたら角犀馬を一晩休ませる。このまま強行軍で帰るとこいつらが潰れちまう可能性があるらしい。
今日は休憩を取ってたっぷり飯を食わせて、明日の朝ロヴァーニに入るぞ」
吼えると言い換えても良い大声で叫んだダーヴィドが後方で併走するセラフィとカイにも伝達すると、緩やかな下り坂を下りていた荷車の速度も徐々に落とされて緩くなっていく。
重量があって摩擦係数が大きな木製の車軸と荷車では、ここまでの移動速度は出なかったのだから大休止を入れても問題は無い。むしろここまで最低限の休憩で来たというのに、角犀馬の速度が落ちず負担も少ないことの方が異常とも言える。
荷車と繋いでいるハーネスを始めとする輓具も滑り止めと衝撃吸収用のスポンジ状の素材が何重にも使われ、従来の獣皮だけで作られたものより数倍楽だったこともあるのだろう。
「リッタ、森を越えて砦が見えたら合図で空に火弾を二発撃て。家族の移送を担当する班が使う合図だ。知らせておくと砦でのやり取りが簡単になるからな」
「分かりました。その間、周辺の警戒はお願いします」
「おう、任せておけ」
相変わらず傷痕が目立つ顔で豪快に笑って請け負いながら、荷車の斜め前方を走っていた自分の位置と変わる。
速度を緩めたといっても、普通の行商や旅人に比べたら相当速い。
庶民が乗用や荷車の牽引で使う走り栗鼠に比べたら倍以上の速度だ。
やがて森の角を大きく回り、踏み固めて均された街道に出ると、そこから先なだらかで長い上り坂が姿を現す。
道は途中から石畳を整然と並べた堅固な道に変わり、それまでガタガタと音を立てて揺れていた荷車は途端に静かになっている。
車輪が立てる音も石畳の継ぎ目で静かに響く程度で、その静かさにレーアの家族は驚いているようだ。轍や人の足の痕が残る田舎道ではありえない。
「あれ、どこかのお城……?」
御者台の姉の隣から顔を覗かせていたレーアの妹・ヘッタが呟く。
城といっても、まだ年明けで十一になる彼女が見たことがあるのは生まれた集落近くの町の代官屋敷くらいしかない。
その屋敷だって正面と左右の一部に大人の背の高さほどの石が積み上がっているだけで、周囲の下級文官の家との差をつけようと平民を徴発して作ったものだ。
今見えているような、戦闘時の防衛を主眼に置いた堅固なものではない。
大体、魔術師や錬金術師を動員して工事開始から二ヵ月あまりで厚さ四テメル、高さ二テメル半以上の石組みを完成させ、急ごしらえとはいえ跳ね橋まで備えてしまうような町はロヴァーニ以外にないだろう。
旅人や行商人にとって脅威となる野生のヴィリシや森狼では超えることも出来ず、橋を渡って防壁の内側に入れば一先ず安全は保障される。
大人の背丈の倍もある石組みは安心感を与えると共に、敵対する者への威圧も兼ねているのだ。
「ヘッタが言ってるのは町の代官屋敷の石だろ? ロヴァーニの防壁はあんな薄っぺらい石積みじゃないから安心しな。
川を利用した堀があの防壁の下に五テメルあって、まだ建築途中だけど防壁の高さは四テメル半になるんだ。壁の厚さも同じくらいになるはずだよ。
多分あと五年くらいかけて作っていくことになるけど、町の北の鉱山や南の海辺の集落、西の森の先にも同じ壁が出来るよ」
レーアが聞いたのは大きさと『ロヴァーニを囲むように防壁を作る』所まで。
それ以上は団幹部や彼女の主が関わっていることで、詳細まで知り得る立場にはない。彼女の役割は団の一員として、そしてアスカ姫の護衛としてあることで、今はまだ難しいことを考えることではないのだから。
「川幅もあるけど、丈夫な橋が架かってる。危なくなったら橋を引き上げてしまうから、エロマー子爵の兵が攻めて来ても手出しなんか出来ないさ。
出入りには町の登録証も必要になるし、日没になっても防壁の中に戻らなきゃ橋が上がって帰れなくなるからね。新しい家に着いたらお父ちゃんたちの言うことを聞いて大人しくしてるんだよ。」
「お姉ちゃんは? 一緒に家に住むんじゃないの?」
二年前に家を出たとはいえ、ヘッタや弟のカイスとマルックにとっては頼りがいのある一番上の姉である。レーアの上にいた二歳上の兄はエロマー子爵の起こした紛争で亡くなり、ヘッタの下、カイスの一歳上だった弟は三歳の冬に餓死した。
マルックは何とか無事に四歳まで育ったが、その下にいた妹と弟は一歳を迎える前に痩せ細り、朝起きた時には眠るように亡くなっている。
そんな一家を支えてきたのが両親であり、一番上に残っていたレーアだった。
残されたヘッタが頑張ったのもあるだろうが、姉が迎えにきたのも家に帰って来てくれるものと思っていたのだろう。
「あたしは仕事がある。それに今は傭兵団の一員だから、そっちに住む場所も用意されてるんだ。宿舎はいずれ許可が出たら案内してあげるけど、間もなく冬だからヘッタたちは新しい家の準備と冬篭りの支度を整えな。
ロヴァーニは水道が通ってるから、水汲みで苦労することも少なくなるよ」
「本当? 川まで行かなくていいの?」
「上流にある川から水を引いて、町の中に行き渡るようにしてあるんだ。組合に入って利用料を払う必要はあるけど、生活に使う水は大体賄えるかな。
あたしらが住んでる団の女子棟は川の上流に近いから、水を利用した設備も色々あるんだ。風呂なんかも用意されてるし、洗濯をする部署も揃ってる」
水場が近い村では春の半ばから秋の半ばまで川などで水を汲んだり、身体を拭くことも出来る。だが内陸では水自体が貴重で身体を拭くこともままならないため、流れた汗に土や埃が付いて汚れ、そのままになっていることも多い。
日本と違って湿度が低いため臭いが漂うことは少ないが、近くに寄れば臭いはするし、何より衛生的とは言いかねる。
「あたしが外で仕事してる分、ヘッタがカイスとマルックの面倒をきちんと見て。それとお父ちゃんとお母ちゃんの手伝いもね。
ロヴァーニはエロマー子爵の領地にいた時と違って、頑張った分食べられる物も取れるし、余った物を売ってお金にして、市場で他の物と交換も出来る。着る物や冬篭りの支度で市場に行くことになるから、それには付き合うよ」
近づく防壁に、安心感と同時に『帰ってきた』という感覚が強くなる。
もうレーアにとってこの町は『家を出て辿り着いた場所』ではなく『帰る場所』になっており、同時に『心から安心出来る場所』なのだ。
そしてこれからは唯一帰る場所になるのだから。
午後の三の鐘が鳴るよりは少し早い時間帯に橋を渡り、防壁の内側へと入ることが出来た一行は、本部に伝令を出して一晩の大休止を取ることになる。
ヘッタや両親はもちろん、幼い弟二人が防壁の堅固さに驚き、設備に驚いて走り回ったのは当然だろう。日暮れと共に上げられた橋や深い堀に護られた防壁を見て、両親の顔にもようやく安心の表情が浮かんでいた。
レーアが自分の家族を迎えに子爵領へと出発してから数日後。
朝の執務室での作業を終えて軽くお茶を楽しんだ後、飛鳥は長居をせず速やかに自室へ戻る毎日を繰り返している。
学院を卒業扱いになった新人たちに行う授業は現在、団の魔術師や錬金術師たちも交代で講師を務め、座学や実験を手伝ってくれていた。
卒業生たちが一日でも早く使いものになれば、その分だけ彼らの実力が付いて自分たちも楽が出来るのだから。
団内での魔術師と錬金術師は、実に様々な仕事を担当している。
ガラスと鏡の製造に鍛冶工房での金属精錬の手伝い、ロヴァーニを護る防壁工事の現場への新人引率と基礎工事の主幹。錬金術師の大事な業務としては、定期的な耐火煉瓦用粘土の混錬も含まれている。
料理以外にも陶器や磁器の焼成、ガラスの溶解、高品質な金属製品を作るためには、高温に耐え得る炉の所持は欠かせないのだから。
新しい煉瓦を使った炉から出来上がる製品はどれもインフラ周りや交易の主軸製品となっており、相応以上の知識と時間をかけた指導を受け、土と鉱物の配合を研究し、精密な魔力制御が出来なければ材料製作の時点で難度が高い。
人の手で代用できるのは配合研究や混錬だけだが、高温を維持する必要がある魔力制御だけは錬金術師と魔術師の独壇場となっている。
夏の半ばからは町に住む魔術師たちと連携して組合加入済みの家庭へ水道の引き込みも行っており、夏の終わり頃からは移住者向けの開拓農地の開墾も週に一度のペースで当番が回って来ていた。
担当する当人たちの意欲が高くなければ成立しなかっただろう。
その分高給が支払われており、協力者にはアスカ姫の直接指導や知識提供もあるのだから、モチベーションが下がることなど想像も出来なかったのだが。
ともあれ二月ほどの実務と講義の繰り返しで濃厚な時間を過ごした彼らは、自分たちの受けてきた内容を整理して復習し、後進に伝えるという過程をこなすことで確認と再発見をし、知識を体系化して取り込む必要がある。
飛鳥が他の用事で必要に迫られたにせよ、一時的に現場を離れたことは錬金術や魔術に関わる者にとって有意義なものになっていた。
「そちらの布の襞はこことここ――身体の木型の曲線に合わせて裁断して、一テセ半の遊びを作って。サイズが多少変わっても後で調整出来るように。縫い付けと確認はティーナにお願いします。
セリヤとルースラは襟周りから胸元への銀糸の刺繍を。銀糸が終わったら金糸でリージュールの紋章を刺繍する必要もありますから、大変ですけど速さと丁寧さを両立させてください」
部屋の中で指示を出すのは筆頭側仕えのユリアナである。
その彼女の手元にも型紙に沿って薄くチョークを付けられたジェルベリアの布が広げられ、二つ並んだ木型に合わせては縫製作業が行われていた。
胸元やスカートの正面には白く光沢のある布が配され、品良く配されたレースやフリルが容姿の可憐さを引き立たせている。
日に三度から四度着せ替え人形のようにされてきた積み重ねだろう。
アスカ姫のドレスの調整は食事時を避けて朝昼晩と採寸と調整が続き、現在は自室の隣に用意された衣裳部屋で側仕えたちによる縫製の詰めが行われている。
上等なジェルベリアの生地を染めるのは、万年雪が積もる山奥にあるという氷の河の深く澄んだ清冽な青。
それも単純に染めただけでなく、一枚の布の中で濃い目の色合いから徐々に反対の端にかけて色を薄めていくものや、巻いた布ごとに濃淡を十二種変えたものが並べられており、ここにある布だけで団の部隊長の月給が半年分飛んで行く。
「姫様、申し訳ありませんがこちらの確認をお願いします。ルーリッカ、姫様が着られたら腰周りと胸のラインの確認をお願い。
ヘルガとエルシィはスカートの部分を姫様の腰に当てて、襞の見え方の確認と丈の最終調整をお願いね。少し変則のスカートになっているから、前は膝が見えない程度まで隠して、後ろは床を擦らないくらいに」
服飾を担当するティーナたちに描いて見せたドレスのデザインから側仕えたちが選んで作り始めたのが、オフショルダーのフィッシュテールドレスだった。
こちらの大陸、というよりもこの世界では礼装で膝を見せるほどのスカート丈は使われず、成人前の場合は膝を隠す程度が望ましいと言われているらしい。成人して嫁いだ場合は脛から下、床から数テセ上が一般的と聞いている。
ファッションリーダーになるつもりは一切無いが、王都の伝統的なデザインしか知らないティ-ナたちには飛鳥の描いて見せたデザインが刺激的だったのだろう。
昨晩完成した赤基調のプリンセスラインのドレスと白基調のイノセントドレス、そして今完成を急いでいる青基調のドレス。三着も仕立てるつもりは毛頭無かったが、彼女たちの熱意と努力を否定するつもりも無かった。
もっとも、そうした熱意を支える財力は十分過ぎるほどに得ている。
衣裳部屋と地下の倉庫に並んだ布を合わせれば、団幹部の年収二年分ほど――金貨三百枚は超えるはずだ。飛鳥は錬金術で自作しているが、衣装に合わせたティアラなどのアクセサリー類を加えたら金貨五百枚を超える。
着せ替え人形になるのは飛鳥だった時もアスカ姫の過去もそう大して変わらないため、呼ばれるままに立ち上がって、刺繍をしていた輪を置き、肩から巻いていた薄手の毛布もソファに置く。
身に着けているのはドレスに合わせて作られた下着だけだ。
縫製も肌のラインに合わせて作るため試着の回数が多く、その度に着替える手間を省くためいつの間にかそうなった――というのが正しい。
女子棟の、それも機密性が高く暖房の効いた自室でフィッティングしていたのでなければ、寒くて耐えられなかったはずである。
「失礼いたします、姫様。ドレスは最終的にスカートと一体化させて、背中の部分をコルセットのように留める予定です。姫様は元々何もしなくてもウェストが細いですから、補正というよりは身体のラインに合わせてドレスの胸元がずれないようにするための措置ですけど」
正面からルーリッカが縫製途中のドレスの上を当て、背中の部分をティーナが調整している。紐を通す小さな金具は作り置きしているので問題無さそうだ。
晩秋から冬のドレスになるため胸の部分を大きく覆い、露出は控えめ。
肩は大きく出てしまうが、それも後付けでショールなどを羽織れば問題無い。
「スカートは年明けで成人を迎えるということもあって、膝をぎりぎり隠しながらも姫様のお御脚の美しさは隠さないようにしました。
当日は膝丈のタイツも用意しておりますが、寒さ対策でスカートの内側に薄手のジェルベリアをもう二枚ほど縫い付けますので脚の動きは邪魔しないはずです。
団長から外に出る時間は鐘一つ分ほどと聞いておりますので、その間だけは保温の魔術具などで対策を立てますね」
ルーリッカとティーナが上半身の作業を行うのと平行して、ヘルガとエルシィが腰の位置でスカートを仮留めし、裾丈を調整しながら待ち針を刺していく。
当日はラウンドトゥ・パンプスを履くことが決まっているので、靴がきちんと見える裾丈に合わせる必要がある。色や丈回りの調整は一人では調整出来ないため、彼女たちに任せるより他に無い。
靴は明日の午後、ロヴァーニの工房から納品される予定だ。
春に数足の靴を作ってもらった靴工房は現在季節ごとに一~二足の靴を納品する専属職人を抱えており、紹介してくれたアニエラやユリアナたち貴族家出身の側仕えも利用している高級店になりつつある。
飛鳥が女性靴のデザインを覚えている限り書き付けたメモをティーナたちに預けた後、ロヴァーニでアスカ姫の足の木型を唯一保有していることもあり、夏の終わりに工房を増設して職人も新たに雇ったらしい。
今はデザインを簡素にして流通量の多い素材に置き換えた廉価品も作っており、そちらはロヴァーニの女性たちの余所行き用のお洒落品になっているそうだ。来年雪が解けてからは王都にも持ち込まれる予定だと聞いている。
「エルシィ、もうちょっと後ろの裾を上げて……良いわ、その位置で一旦留めて。ティーナも今の位置で待ち針をお願いします。ルーリッカとヘルガは前と横の待ち針をお願い。この位置で本縫製に入ります。
姫様、バランスは悪くないと思いますのでこれで行こうと思います。ご指摘やご意見がございましたらお聞かせください」
「いえ、大丈夫です。実際にドレスを着てパンプスを履くと腰の位置が拳一つ分くらい上になるから、ティーナの見立てた位置で問題ありません」
衣裳部屋に置いた細めの姿見に正面から姿を映し、踵をわずかに上げてパンプスを履いた時のように背伸びをしてみせる。
膝から拳一つ下にあるスカート前側の裾からはほっそりとした素足が見え、背中側から魚の尾のようにひらひらと垂れるスカート後ろ側の布が作り出す陰が白い肌をより鮮明に見せていた。
ヒールの高さと靴底の厚さを考えて板状の踏み台を置いてもらい、そこに体重を預けてティーナの合図を待つ。
「縫製は間に合いそうですが、刺繍は大丈夫ですか? リボンと襟は明日で終わりますし、他は胸元の紋章だけで構いませんよ?」
「姫様の故郷であるリージュールの格を考えれば、胸元からスカートの腰周りまでは刺繍が欲しいところです。時間が足りませんので胸元を優先させますが」
「刺繍の分だけ重くなりますから、簡素で大丈夫です。もう二着仕上がっているのですから、慌てないでも問題ないでしょう?」
「そうは参りません。姫様自身のお披露目も兼ねているのですから」
薄くチョークで印を付け、待ち針で布を留め、軽く仕付け糸を通した布の数々。
それらは衣裳部屋の広い机に並べられて、側仕えたちの手で丁寧に縫い目を揃えて縫い合わされていく。
ミシンのような自動機械は無いから、全てが手作業である。新品の衣服が高価だったというのはこの辺りの手間賃を加味して付けられた値段だからだ。
そして木製のマネキンに着せられた二着のドレスには仕上げの刺繍と魔術具のアイロン掛けがされており、襟元と胸元は色の濃淡と金糸・銀糸で飾られている。
金糸と銀糸は辺境に出回っていないため、飛鳥が絹のようなジェルベリアの糸に金と銀の硬貨を鋳潰し、錬金術で異物を排除し、純金・純銀に精錬したものをごく薄く延ばして貼り付けて作った。
京都や金沢で公演の合間に見た金箔を思い浮かべて作ったから、おそらく薄さ数ミクロン程度になっているのだろう。
貴族としても側仕えとしても経験があるユリアナに言わせれば、王都では金糸・銀糸は高価過ぎて使う者があまり居らず、金糸は王族か公爵家以上、銀糸は伯爵家以上でないと使われないらしい。
彼女の出身であるヒューティア子爵家では外交参事という役職から銀糸の使用が許されていたが、加工の手間や入手の難しさから、当主夫人が十数年に一度触れるだけのものになっている。
だが、この部屋には市場で流通するような長さ十テセほどの糸巻きに金糸と銀糸が七本ずつ、棚に収めてある物を含めたら十二本ずつ用意されていた。
錬金術の腕前も糸の細さ・仕上がりに影響を受けるためか、輝き自体が鮮やかで非常に軽く、普段金属糸の刺繍で重く感じる要素が薄まっている。
「ドレスの直しは本日までで、明日と明後日は残りの刺繍の仕上げをします。姫様にもリボンの刺繍をお願いしているくらい手が足りていないので、担当する作業が終わり次第手伝いをお願いします。
明後日は夕方から最後の合わせを行いますので、予定は詰め過ぎないように」
ユリアナがイノセントドレスの胸元にリージュールの紋章を刺繍し終え、一息吐きながら顔を上げる。緊張の方が強かったのか、声が多少震えていた。
出身であるライヒアラ王国からすれば、リージュール魔法王国はかなり格上の宗主国のようなものである。緊張も致し方なかろう。
彼女が口にしたリボンというのはサッシュリボンであるが、実態は結び目を腰の少し上辺りに持ってくるため、引き裾に近い。
側仕えたちの手が足りないため、飛鳥も針を持って仕上げの作業をしていた。
「予定はあくまでも予定です。今日と明日は女子棟の仕事の大半を事務方や下働きの女性たちに振っています。貴女たちも無理をしないで、きちんと休みを挟みながら進めてくださいね?」
主であるアスカ姫の言葉に首肯した彼女たちは、昼食までの残りわずかな時間で集中すべく、針を握った手を的確に動かしていく。
誰もが自分の手先の動きだけに集中し、女子棟と新館の食堂で昼を告げる鐘が鳴らされるまで作業は続く。
しんと静まり返っていた建物は鐘の音と共に活気と賑やかさを取り戻して空気が緩み、窓ガラスの向こうで訓練に励んでいた者を呼ぶ声や、外回りから本部に戻ってきた角犀馬たちの嘶きも聞こえてくる。
その日の夕方までに本縫製の目処が立ったユリアナたちは、翌日以降の時間の大半を仕上げと刺繍に割くべく、湯殿へ身体を浮かべるのだった。
レーアが家族を連れて砦に戻ってきたと報告があったのは、三着目のドレスが仕上がってから四日後のことである。
夕食の準備を終え、談話室で縫い物をしていた飛鳥は報告を受けて手を止めた。
金糸と銀糸での胸の紋章や腰周り、襟の刺繍も無事に終わって本番を待つだけとなったそれらは、型が崩れないよう木型に着せ付け、衣裳部屋に布を掛けて保管されているので問題は無い。
問題があるとすれば、作っても作っても足りない羽毛製品にこそある。
側仕えや事務方、下働きの女性たちもただ日々を過ごしていた訳ではない。
毎日の業務に加えて防寒具のダウンコート、羽毛布団を教わりながら作り上げ、手の早い者は本館の裁縫師たちへ教えに行っていた。
ティーナとルースラが本館へ、セリヤは飛鳥の元で指導を行い、拡大した団の需要を満たしていく。
団長であるランヴァルド専用のダウンコートと布団は先に手掛けていたため出来ていたが、まだ他の幹部や一般の団員には行き渡っていない。
何と言っても乱獲されるレアンッカの数が心配である。
女子棟では自分の分を仕上げてから、昼間は事務方や下働きを含む団員分、勤務時間外に家族や実家、予備のものを作っていた。一階の四人部屋や六人部屋にも行き渡っているので、一人当たり一日と少しもあれば一揃い作っている計算である。
分業制を導入したからこその早さだが、それでも手が足りていない。
この世界では工業化や分業化といった考えはあまり進んでいなかったようで、前処理となる羽毛を煮沸洗浄する者、ごみを取って乾燥させる者、羽毛を細かく刻む者を製作の流れから独立させた時には戸惑いが見られた。
けれども無理を言って方式を変えたことで生産性は目に見えて跳ね上がり、今では羽毛を揃えて小さな袋に詰める者、詰め終わったセルを縫製する者、布団の形に並べて行く者、それを縫って行く者、カバーを専門に作る者、ダウンコートに仕立てる者と細かく班が分かれている。
間近に迫った冬に対処することこそが大事なのであって、方法論は後回し。
それが現実的な判断をする傭兵団の流儀だ。
レーアの帰還に合わせて家族用の布団を用意することも出来ている。
ユリアナからは『過剰な肩入れは良くありません』とも言われているが、自分の護衛の家族に対しての贈り物だ。今後ユリアナたちの家族を迎える時があれば同様にする、と宣言すると、彼女たちは一斉に頭を垂れた。
実家とそれを取り巻く微妙な情勢や環境を考慮すると、いつ何時家族の誰かが世話になるとも限らないのだから。
「レーアの到着は明日ですね? それなら予備の大人用の布団を一組と子供用の布団を二組、新居に持って行ってあげてください。レーアはこちらで過ごすでしょうし、移住してきたばかりの家族に配慮するにしてもそこまでが限界です。
冬の備蓄は直営商会に相談するように伝えてください。それと、私からは春播きの種をいくつか用意しておきましょう。秋蒔きの作物は明日中に作業しようと思えばできるはずですから」
昼間は本部のカウンターで受付を担当しているアイラが、飛鳥の向かいでダウンコートのパックの縫製を終えて針を置いた。出来上がったパックは脇の籠に積まれており、数が揃えばもう一つのテーブルで作業する下働きの女性たちの手でダウンコートの生地に縫い留められて行く。
飛鳥と側仕えたちは羽毛布団用のパックを必死に縫っており、縫い終わったものを裏返すのと羽毛を詰めていく作業は魔力の大半を使い切った魔術師と錬金術師たちが担当している。
ハンネの妹であるクリスタも魔力枯渇組の一人に入っており、魔力回復に良いとされる薬草を使ったお茶を飲みながら黙々と羽毛を詰め、二回折り返した袋の口に待ち針を通して行った。
クリスタも羽毛布団の抗い難い魔力に捉えられた一人だが、販売益の一部が製作者全員に分割して還元されるため、布教と実益のために頑張っている。
皮紙に比べると比較的安価に提供されているとはいえ、講義のノートや実験で大量に使われる紙も無償ではないのだ。
生活に必要な『食』と『住』は十分以上に満たされているため、新人として支払われる給与を費やす方向性は卒院生全員が同じ方向を向いている。
いずれ自身の研究室を持つことが許されるようになれば、実験器具の購入や蔵書を収める書棚など、自費で揃えなければならない物も多い。
今年から研究室を持つようになった先輩魔術師や錬金術師は、稼げる機会を無駄にはしない。ガラス製造と鏡の製作で十分以上に稼いでいても、それらはあくまでも飛鳥が教えて出来るようになっただけだ。
自分自身で真理の探究を行うのが目的であるため、他人の成果で利を得ることを良しとしていないのである。
「それにしても……乳幼児用が四十に大人用が二十、本当に祭りまでに出来てしまいそうですね。団内全体に一気に普及させるのは無理みたいですけど」
「私でもレアンッカをいきなり増やすことまでは出来ませんからね。農家に委託して飼い始めたばかりですし。春になって羽が生え変わる時期に集めることも出来ますが、団やロヴァーニの町に広めて行くには数年かかるでしょう。
それに干草を詰めた布団や虫除けの薬草で燻した毛皮もありますから、冬の寒さへの対策が全く無い訳ではありませんよ」
「剥いで脂を取ってから熱湯に潜らせて、薬草で燻してから太陽の光と風に三日当てて、二度繰り返すのでしたよね? それも外の大陸の知恵なのですか?」
小さく肩を回したアイラが飛鳥を見た。事務方として本部とロヴァーニから滅多に動かないため、外の世界に強い興味があるらしい。
「大陸のというより、森人族が代々伝えていた技術ですね。毛や皮に住み着いた虫を熱湯で殺し、さらに煙と熱で殺してから風と太陽の光で晒してごみと一緒に毛皮から取り除く技法です。
高熱に何度か晒すので多少縮むようですけど、三年か四年に一度薬草で燻煙してあげると長持ちするそうですよ。女子棟に用意したものは錬金術と魔術も使ってありますけど、原理は同じです」
ソファに敷かれている毛皮はそれほど大きくないが、市場で買い付けてきたレプサンガという森の雑食動物のものだ。それなりに大物なのか、あるいはアスカ姫の身体が小さいからなのか、広げられた毛皮は左右に結構な余裕がある。
市場での仕入れはダニエやイェンナの二人に任せてしまっているが、新しい素材や食材については今も飛鳥自身が足を運んでおり、露天商や行商の者たち、商会の重鎮なども丁寧に対応してくれていた。
この毛皮もその素材探しの時に見つけている。
レプサンガ自体はそれほど珍しくないが、基本は焦げ茶から薄茶色で、白い毛皮が出回るのは数年に一、二度あるかないかくらいの確率らしい。
肉は癖も無く食用になるので、皮を綺麗に剥いだ後、アスカ姫が買ってくれるかも知れないと取っておいてくれたという。
夏に起きた『果物事件』とその後の影響で、以前より自由に歩きにくくなってしまった飛鳥に対する商人たちの配慮である。
森の崖や斜面に穴を掘って棲むと聞いていたので土汚れや血を心配していたが、出されたものは毛皮の脂もきちんと処理され、一度湯に晒されたものだった。
「そろそろ就寝の鐘も鳴るでしょうから、限が良くなった順に手を休めてお風呂に入ってしまいなさい。私も今日はここまでにします」
布団用の大きなパックを縫い終えた飛鳥は、糸を通したままの針を布地に留めたままテーブルの上に置く。
団本部に隣接して建てられた紙工房の交代の鐘が鳴ってから体感で一時間程度。
夜番の交代時間が飛鳥や一般団員たちの夕食後だから、二十四時間制の感覚なら午後八時過ぎだろう。時計のような物が無いため正確なところは分からないが、恐らくは一日の長さは二十四時間ではないように思っている。
最終的に布団を仕上げていた隣のホールでの作業も一段落着いたのか、仕上がった二組の掛け布団が談話室に運ばれてくる。仕上げを確認しているのはティーナたち被服を主として担当する側仕えだ。
慣れてきたため出来栄えに問題はないようで、すぐに一階の空き部屋を利用した布団部屋に畳んで納められ、ユリアナの管理する帳簿に数が記載される。
羽毛を詰めるパックは今晩の作業で増えたため、明日は羽毛の洗浄に掛かりきりになるだろう。その間、側仕えや下働きの者たちの半数はパックの追加と羽毛詰め、仕上げの縫い込み作業を進められる。
昼と夜の作業を合わせて、今日までに大人用が十一、子供用が二十七。
本部と直営商会の準備を手伝う必要もあるが、冬篭りの祭り当日までの残り日数を考えれば必要な数を満たせるはすだ。
狩猟で得られる毛皮が冬の布団代わりに使われているので、ここで用意しているのは乳幼児や妊婦・病人などへの手当てとして考えられている。
作る手間はかかるが、市場にある直営商会の店舗に展示見本を置いて評判が高いため、毛皮では重いだろう乳幼児や妊婦を優先した形だ。
大人用で銀貨一枚、子供用で小銀貨六枚と高額なことだけがネックである。
「マイサ、ライラ、湯殿に向かいます。ユリアナ、こちらの部屋の戸締りをお願いします。朝になったらまた作業するでしょうから、道具はこのままで構いません。
アニエラとハンネも研究室に篭るのではなく、休む時は休んでください。きちんと休むことは大事ですよ」
小さくあくびをした口を隠しながらユリアナの肩に手を置く。
一番休まない可能性が高いのは彼女だ。だから飛鳥は『先にお風呂で待っていますからね』と耳元に囁いて、足早に談話室を出る。
こういう時、身分の上の者が姿を消さないと下の者たちは動けない。
飛鳥が側仕えを連れて談話室を出て行き数拍置いてから、ユリアナを中心に簡単な片付けが始まった。
不寝番以外の者によって戸締りの確認と警備用の魔術具の起動が確認され、談話室からは瞬く間に人の姿が消えていく。
魔術師や錬金術師の何人かはもう少し遅くまで起きている。研究室の戸締りと消灯の確認は不寝番の担当者が就寝の鐘の後で二階を回るだろう。
指揮を取ったユリアナも談話室の明かりを消すと、玄関ホール奥の魔術具に魔力を軽く流してから階段を上がって行った。
秋の澄み渡った空に渡り鳥らしい影が数十浮かんでいる。
まっすぐ東に向かったことから、ロヴァーニ近郊の草原か水場――川ではなく沼や湖に向かっているのだろう。
この数日、そうした鳥たちの姿が朝晩増えている。
こちらの世界にも冬を控えて渡る鳥たちはいるらしい。
飛鳥が指揮を取り、布団の数が揃ったのはレーアの帰還から三日後だった。
出来上がった掛け布団と、布工房に頼んで譲ってもらった端切れや毛織物工房の端材を使った厚さ一テセ半ほどの敷布団も縫い上がり、女子棟地下の倉庫は食料品と素材以外の場所を布団に占拠されている。
もちろん、祭りの準備も平行していた。
新館の食堂と会議室、それに応接室のいくつかには木の板をタグのように付けた食材の袋と紙が張られた木箱が積み上げられ、厨房関係者以外の付近への立ち入りも厳しく制限されている。
発注責任者の会計長か料理長のダニエ、あるいはユリアナの許可が無ければ立ち入りが許されない状態、となれば警戒具合が分かろうというものだ。
応接室が閉鎖されたことで団本部での商談も滞るかと思っていたが、王国からロヴァーニへ続く辺境街道が冬を前にほぼ閉鎖されつつあるため、商隊自体、先週末の出発便を最後に大きな護衛依頼は無くなっている。
持ち込まれるのは飛鳥が頼んでいたレアンッカの羽毛の納品や捕獲された鳥獣の報告、水道組合の報告書や鞍と鐙の貸出更新書類などだ。
朝のうちこそ受付前は混み合うが、それも昼頃には収まるようになっている。
レーアの家族は魔術と人力で整備された農地や石畳が整然と敷かれた道に驚き、家の大きさと併設された農地に驚愕し、連れられて行った中央市場の大きさにあんぐりと口を開けていたらしい。
辺境と聞いていたロヴァーニに三階建て以上の商会の建物が立ち並び、低い商店でも二階建て、露店もあるが多くは屋台のような屋根付きの店が幾列も並んでいれば驚くのも当然だろう。
子爵領の町では土や石の上に布を敷き、直接商うのがほとんどだったのだから。
到着した日の夕方にはアスカ姫から下賜された布団一式と春蒔き用の種の入った小箱が届けられ、耕し終わった農地に市場で買った秋蒔きの種を植えてきた両親が平身低頭していたと調達班から報告が上がっている。
元の家から持ってきた木製の農具は倉庫に置き、鉄製の農具も購入したようだ。
来春の開墾や農作業を前に、本格的な雪が降り出す前の防壁工事などに参加して多少なりとも生活費を稼ぐためだろう。
道路なども基礎構造以外は魔術で整備しない場所も多く、そうした場所を作り上げるのは人力頼みになる。
本格的に雪が降り出すのは十日から十五日ほど後らしい。
布団の使用方法については家族としてのレーアに丸投げしていたので、飛鳥や側仕えたちは本部の執務室や厨房、女子棟を往復する毎日だった。
そして明後日は冬篭りの祭り当日。
本格的な冬の到来を前に秋の収穫に感謝し、翌春に雪解けによる水の恵みと新たな芽吹きを齎す太陽の復活を祈る祭りである。
太陽を廻る公転面から地軸が傾斜しているのだろうが、夏までの陽の高さや日照時間と比べて、最近の日照時間は明らかに減っていた。
飛鳥自身は冬をまだ経験していないのでアスカ姫の知識に頼る他無いが、鐘一つ半から鐘二つ分くらいは違っているらしい。一日の長さもまだはっきりしていないが、感覚で三時間から四時間も違えば大きな差である。
起きられるようになってからの天気は日記に書いていたが、まだ一日の長さは計測していなかった。時間は日時計のようなもので計るくらいしか対策は立てられそうに無いが、緯度も分からない状態である。地球のように北極星がある訳でもないため、ある程度の推測をつけるだけでも時間が掛かるはずである。
側仕え筆頭のユリアナの話を聞く限り、この大陸――アスカ姫の生まれ故郷から遠く離れたこの辺りでは、冬篭りの祭りから約一月半ほど雪に埋もれるという。
王都の近辺はそれほど雪深くないものの、それでも成人男性の脛の半ばが埋まるくらいには積もり、物流や人の交流も困難になるため、各家庭は冬篭りの準備を十分に蓄えて家に篭るのだ。
赤獅子の槍本部は食料の大半を地下倉庫に蓄え、燃料となる油や薪は建物の背後に迫る崖を魔術師と錬金術師、非番の団員が交代で掘り抜いた三階建ての貯蔵庫に仕切りを作って満載している。
水は取水設備、浄水設備、導水溝、各家庭への配水管に至るまで、氷点下まで下がらないように魔法陣が要所要所に敷かれていた。
リージュール魔法王国ではインフラ用に使われていた、小型で魔力消費も少ない鉛筆サイズの棒状の保温器が水道溝内まで一定間隔に設置されており、下水処理の設備まで三十~五十テメルおきに挿されている。
大気中や土壌に含まれる遍在魔力を少しずつ吸引して決められた魔術を行使するタイプなので、人が活動して魔力が循環する場所ならば効率も良い。
設定温度を川の取水口付近で十二度くらい、浄水設備で十五度から二十度以下、導水溝や水道管では五度以上になるよう肌に触れる感覚で作ったので幾分適当ではあるが、冬季の凍結や破損は避けられるはずだ。
それに、雪に埋もれる町で水を得られないという事態に陥ることも無いだろう。
団本部と直営商会、中央の市場、自警団を繋ぐ道には石畳を敷き終え、そこにもある程度仕掛けを済ませている。
厚さ五テセの石畳には縁に保温の魔術具を埋め込んだものを二千枚ほど用意し、未加工の石畳とは一列か二列おきに並べているのだ。初期の設定温度は十度程度だが、魔術師や錬金術師など魔力の操作が出来る者であればプラスマイナス五度程度の調整は出来るようになっている。
また保存日数は少ないが、日照のあった時に内部に蓄熱し、夜間や降雪時に放熱する仕組みを組み込むことも可能だ。現在は単純な遍在魔力による励起しか出来ないけれど、それでもライヒアラ王国の王都より数段進んだ設備を取り入れている。
整備を進めている新市場の一部にはアーケード状の屋根付き通路も備えており、冬の間に運用して不具合を洗い出してもらう予定で動いていた。
飛鳥として動いたのは『こういうものを別の土地で見た』と話して魔術で模型を作り、それを基に大工や石工、木工工房に丸投げした程度である。耐久力や耐荷重などは実際に雪の降る時期に運用してみなければ分からない。
祭りの準備も運用して初めて分かるものがある。
材料は計算された分量以上に仕入れて保管してあるけれども、加工を行うための機材が圧倒的に足りていないのだ。特に蒸し上げるための蒸篭が。
「……仕込みの数を考えたら、絶対に足りませんよね」
夏の終わりから秋にかけて防壁・自警団設備・水道関連・中央市場と工事が立て続けに立ち上がったため、ただでさえ木工関連は手薄になっている。
いくら飛鳥の作った見本があるとはいえ、急速に膨れ上がる人口に対して職人の数が足りていないのだから当然だろう。
材料のフィッロスの木は在庫が山ほどあるから、休憩時間に十個単位で作る程度のことは出来る。ダニエと会計長に頼まれた保温用の魔術具は夕方までに本館へ持ち込めば良いので、午後の予定を調整すれば二百程度は用意出来るはずだ。
布団は女子棟一階の大部屋と地下の倉庫に保管され、談話室やホールのスペースには幾分余裕がある。直径三十テセほどの蒸篭を積み重ねて置いたところで、然程のこともないだろう。
「ユリアナ、手の空いている方に頼んで、二階の素材倉庫に積んであるフィッロスを半分くらい談話室に降ろしてもらえますか? 蒸篭の数を足して、保温の魔術具と一緒に貸し出しますから」
ソファに座ったまま穏やかに声をかけた飛鳥は、桶に山と詰まれたガラスの破片を宙に浮かべて溶融し、厚さ一テセほどのガラス板を作っていく。
鏡用のガラス生成の際に欠けたものや、製品に加工する途中で割れてしまった端材を再利用するため集めてもらっていたものだ。
やがて透明度の高い幅一テメル半、高さ二テメルほどの板となったそれを、台形の三辺のような多少歪な形に折り曲げて熱を奪い、形を固定する。
現代日本の惣菜店やケーキ屋などでも見られる、陳列と保温一体型のガラスケースだ。
一番下の部分の奥行きは八十テセほど、上端の辺は七十テセくらいか。
高熱を遮断する魔術と錬金術の温度操作で固められたそれに、左右から銀色の固められた板を押し当て、錬金術で次々に形を変えていく。
鉱山から買い取った鉱物のうち、鍛冶工房での精錬前の工程に魔術師や錬金術師たちを向かわせたことで、現在ではそれまで鉄と一緒くたに加工されていた各種の金属が分離・保管されるようになっている。
その中にニッケルやクロムといったものが月に小樽一つ分ほども分類されて出てきており、それを引き取って加工の実験を行っていたのだ。
鍛冶場で武器に使う金属にも多少は混じっているだろうが、さらに精密に仕分けられたクロムとニッケルを使ってステンレスも作られており、女子棟の厨房道具やナイフ、フォーク、スプーンといったシルバーの類はほぼ全て汚れや錆びに強いステンレス製品に置き換わっている。
新館で取引先との会食用のシルバーと厨房道具の一部が更新されただけの状態と比べると、扱いの差がかなり激しい。
手掴みで食べることこそ無くなっているが、現在食堂で用意されている食器は木か陶器が主で、カトラリーの大半は木製か武器の端材から作られた金属製の簡素なものだ。当然水気に晒されれば錆も浮くし、木製であれば繰り返される乾燥で脆くなって割れたり欠けやすくもなる。
持ち手の部分に握りやすい厚みがあり、細かな彫金が施された――実際には鋳型にステンレスを錬金術で変形させて流し込んでいるだけだが――カトラリーは存在せず、王都でもそのような品を使っているのは伯爵以上の家に限られる。
食器一つに銀貨を掛けられるような資産を持つ者はそう多くないのだ。
続いて保管と保温、陳列を一体にしたガラスケースに側面の金属板が取り付けられ、板の内側に構造補強の支柱が二本と、ステンレス製のトレーを引っ掛けるための溝が作られていく。
底面のガラスの上にコルクのような断熱素材を余ったガラスでコーティングし、さらにその上に保温用の電熱線のようなコイルを往復して這わせ、こちらもガラスでコーティングする。
ケースの天井付近と底面に晶石を取り付けて、定期的に魔力を注げば保温は容易だ。電気回路を取り付けたり、ファンを回して排気や循環を行うよりも、晶石に効果を刻印して機能させた方がスペースを遥かに節約出来た。
余った蒸気を水滴にして一度浄化し、保温と保管のためケース内に循環させる仕組みも比較的簡単に作ることが出来る。リージュール魔法王国でも研究されていたらしく、その基本的な考え方と作り方はアスカ姫の持つ知識の中にもあった。
「念のため照明も取り付けて……動力の晶石は底面の裏側に充電池代わりに置きましょうか。ケースの下に高さの調整で箱を置く予定ですし、まだガラスの扉も付けますから、手が触れやすい位置に魔力補充用のスイッチがあっても良いですよね」
ユリアナが他の側仕えと一緒にフィッロスを持って来てくれる横で、錬金術を駆使して二基の保温器を作り上げる。背面のガラス戸と鍵、トレーを置く四列三段の溝、ダイヤル式の温度調節器に、保管時の排熱・排水を行う機能まで備えたそれは、明らかなオーバーテクノロジーの塊だろう。
元となったイメージが現代日本の店舗設備のため、この世界の一般的な魔術具や道具類を置き去りにしているのは否めない。
作った飛鳥本人も、フィッロスを運び終わって見学していたユリアナやミルヤの話を聞いて理解したが、作ってしまった物は有効活用するしかない。
会計長や団に恩を売っておくことにもなるだろう。
その代わり、ミルヤとリスティナ、リューリに頼まれて冬の間にスイーツ保管用のケースを作る約束になったが。
その日は来客の予定も無かったため、夕方の納品までに蒸篭を二百三十ほど作り上げ、新館の厨房と倉庫に運び込んで休むことになった。
一昨日納品された蒸篭二百とガラス製の保温器二基、そして本日納品された屋外用の揚げ物調理器が三基。
それが食堂に程近い応接室の中央に鎮座している。
ライヒアラ王国の貴族ですら持っていないと断言できる最先端の品である。
それらが置かれた商談用の応接室は現在、全てが明日から始まる冬篭りの祭りに備えて資材の倉庫へと姿を変えていた。
使い方は納品時に一通り説明され、注意事項や操作に困った時のため覚え書きも渡されている。
魔力貯蔵用の晶石だけは今後自前で用意する必要があるが、機能や耐久力、陳列面がガラス張りという実用性と見た目を総合的に判断すれば、金貨数百枚を費やしても十分以上に元が取れるはず。
維持のために魔力も大量に使うだろうし、作り方も複雑でメンテナンスの手間はかかるだろうが、使い方によっては食料品の保管の常識が根底から覆るのだ。目敏い商人たちが飛びつかない訳がない。
「問題は――やはり支払いですなぁ」
団全体の会計を預かるマイニオ・レフトラは、厨房を預かるダニエや団長のランヴァルドと共に長い溜め息を吐く。スヴェンは未だに執務室の書類から離れられないらしく、この場に姿は無い。
ガラスは鏡用の端材から、金属部品も鍛冶工房の精錬の端材から作ったと聞いているが、出来上がった品を見る限りそんな謙遜の言葉が嘘にさえ聞こえる。
分厚くも極めて透明度の高いガラスに透けて見えるのは、銀に見紛う輝きを持つ金属製の支柱と金属製のトレーが四列三段。底面には保温のための魔術具が敷かれ、小さいが照明まで用意されているのだ。
材料費はそれほどでなくても、技術力や加工の代金を考えたら一基で金貨二百枚を要求されても不思議ではない。マイニオが王都の商人と価格交渉するなら、最低でもその三倍は吹っかけているだろう。
それほどまでに精緻な加工がされ、ガラスにも一点の曇りや歪みすら無く、銀色に輝くトレーも長時間蒸気に晒されても腐食すらしないという。
王都の大商会や上級貴族ならば五倍を提示されても頷いたかも知れない。
この辺りの意識の差は、現代日本に生きていた飛鳥とリージュールの王女であるアスカ、そしてネィリヤス大陸に生きる彼らの差でもある。
電化製品が生活の中にありふれていた飛鳥と、魔術具が身近に溢れており魔力も豊富な王族だったアスカにとっては、知識と多少の技術さえあれば考えた通りの物を作り出すことが出来る。
一方で、先進技術を持つ大陸からの恩恵に与っていただけのライヒアラ王国を含む国々にとっては未知のものだ。
飛鳥は業務用冷凍庫や冷蔵庫などをテレビ番組で見たことがあるが、詳しい構造までは知らない。技術的な知識だって、通っていた学校の授業で習った範囲でしか持っていないのだから。
アスカ姫も旅の途上で教師から魔術の応用や錬金術を習っていても、実際に機能する品を作ったのは数えるほどである。
それでも二人分の知識と記憶が組み合わさってみれば、実現出来るものは現代日本にあったものと遜色なくなっていた。
翻って、この大陸では冷蔵庫なども非常に小さなものしかない。
大国の王家ですら百フレートほどの冷蔵庫しか持っておらず、それすらも数十年前に訪問したリージュールの使節団から譲り受けたものである。
赤獅子の槍の新館地下に作られたような、屋敷一つが埋まってしまうような大規模冷凍・冷蔵設備は国家ですら持っていない。
金額をつけるとしたら、文字通り国土と交換できるほどのものになるだろう。
「もう材料費と技術費で一基金貨百十枚、揚げ物の調理器が一基金貨二十枚で妥結しただろう? それに蒸篭が計三百個で金貨二十枚――合計金貨三百枚か。
先ほどの話し合いの席でも、分割で構わないと姫が仰っていたじゃないか」
使い方と保守方法を書いた紙束を読みながら答えた団長がマイニオに答える。
会計長自身も独り言に近かったのだろうが、それに答えが返ってきたことで団長の方へ顔を向けた。
「いや、申し訳ありません。口に出してしまっていたようですな。魔術具が便利なことは分かっているんですが、これを見たら製作依頼が次々にやって来そうで」
「それこそ無茶な話だな。それ以前に、リージュールの王女が製作者となれば大国の王ですら膝を屈して待たねばならんというのに。今回も団のために作って頂いたのは姫の思し召しの結果でしかない。
王都の実家やユリアナにも聞いたが、大国の王が膝を突いて出迎えるような相手にそのような求めをしても、聞き入れて頂けるかどうかすら分からんよ」
晶石に魔力を通して起動し、指先で摘みを捻って温度を調節すれば良いということだけは理解出来たランヴァルドは、読んでいた紙を畳んで傍らにあった三人掛けソファに深く腰を下ろす。
アスカ姫の作った模型と設計図から木工工房が再現し、織物工房や錬金術師と一緒に組み上げられたそれは、彼の身体をしっかりと受け止めてくれる。
目の前のテーブルに山と詰まれた蒸篭が部屋の景観を崩しているとしても。
「晶石に魔力を充填しておけば、最大で半日温度を維持できるというの凄いな。宿や料理屋、飲食店なら喉から手が出るほど欲しいだろう。
一般的な魔術師が二人から三人くらいの魔力を使うみたいだが、今のうちの団にいる魔術師なら一人が半日稼動できなくなる程度で十分みたいだな。
稼働時間を短くして、中に閉じ込める蒸気やガラスに付いた水滴をきちんと拭って清掃すれば、月に一度くらいの点検で五年程度は故障を心配しなくて済むとは」
「冬篭りの祭りが終わったら、一基は直営商会に貸し出して欲しいくらいですね。保温をした状態で品物を並べて、双方から見えるというのは画期的ですよ。
使い方次第では温めておくだけじゃなく、冷やしてもおけるそうですから」
夏場に冷たい食べ物も並べられますよ、と会計長が言う。
実現出来れば貴族の溜め込んだ金を吐き出させることも容易になる。
季節は今から真冬に向かうが、盛夏に涼を取るための魔力を魔術師に出させるなどということは、比較的金銭と人材に余裕のある王族か公爵、領地や軍役を持たぬ侯爵以上でなければ難しいだろう。
領地の治安維持や外敵への備えなど、一般的な魔術師が限られた魔力の中で出来ることなど限度があるのだから。生産的な活動に意識が向かないのはそうした影響もあるのだろう。
「屋外用の竃は夜明けと共に非番の班から二十名に煉瓦を運ばせて、市場前の割り当て場所に組み上げさせる。調達班も一班は煉瓦の搬送に向かわせてくれ。
仕込みは新館の厨房と女子棟の厨房に頼んである。残りの調達班は四班を屋台との往復に、残り一班は交代要員兼緊急対応要員だ。団本部の警備も二班は残す」
「年末のこの時期に襲撃してくる馬鹿がいるとは思えませんがね……」
「馬鹿ほど度し難い者も無い。私はそれをライヒアラ王国の王都でブクブクと醜く肥え太った、金と権力で腐敗しきった貴族相手に嫌と言うほど思い知ったがな。
それに明日の祭りは皆が楽しみにしている。アスカ姫をお迎えし、それまで辺境の町の一つだったロヴァーニがここまで大きくなって初めての祭りだ。当然面白くない連中の警戒はするし、油断は出来ない」
夕方までの報告では怪しい者の出入りは三人。
目的は行商と書かれているが、その容姿の特徴や泊まる宿の報告、言葉遣いから推測される出自・階級についても触れられていた。
その点において、防壁での要を担ってくれているヨエルの腕前は信用している。
数日前からの出入りを考えても、現在ロヴァーニには十五名の潜在的敵対勢力が滞在していることになるのだ。
恩恵を受けている彼らが警戒しない訳がない。
「明日は普段の姫の護衛に加えて、本部からも男性護衛八名を派遣する。四人ずつの二交代だな。年越し前の最後の任務だ。金を稼ぐのも大事だろうが、それ以上に姫の安全に配慮するよう、調達班を含む全員に短剣以上の武器の携行と皮鎧の装備を徹底させてくれ。護衛は胸当てや籠手を金属製にしても構わん」
「分かりました。もう夜ですが通達を出しておきましょう」
一つ頷いた会計長は、手元の紙に何か書き付けるとドアを開け、応接室の外で待っていた者に手渡している。すぐに廊下を駆け出す音が聞こえたから、打ち合わせが終わるのを待っていた部下なのだろう。
「それでは私もダニエやイェンナと明日の打ち合わせが残っていますので、これで失礼します。団長も早めに休んでください」
「ああ。後は頼んだ、マイニオ」
軽く会釈をしてドアの向こうに姿を消した彼に、ようやく独りになったランヴァルドが長く溜め息を吐いた。
団長として数百人をまとめなければならない現在の重責と、一武人として剣や槍を振るっていた時には感じなかった謀略と策謀の応酬。
だが双方とも、傭兵団をまとめる彼に課せられた仕事である。
「……今夜はもう休むか」
長い沈黙の後、何度目かの溜め息と共に顔を上げたランヴァルドは、魔術具の取扱説明書をテーブルに投げ出すと席を立った。
祭りの前夜の昂揚からか、新館一階の食堂や二階の会議室はまだ賑わっている。
楽しむ彼らに野暮なことを言わず一人で晩酌でも楽しもうと考えたのか、彼は執務室に寄ることも無く、新館の自室へと戻って行った。
業務多忙につき今回はいつもより短めです。約23,000字、47KB程度。
皆様の評価が次回執筆の糧となってます。次回は出来れば月内、無理なら連休の合間くらいに、姫様のお披露目と冬篭りの祭り本番の予定です。
4月末のCOMIC☆1、受かりました。ふ-36bです。姫様の外伝(薄い本・18禁)か動植物・辺境・大陸の覚え書き、成人向けの書き下ろしのいずれかになると思います。
また先月末に発売されたPC版幼馴染ナースに続き、原画手配や彩色を始め制作に関わったDMMさんの「迷宮のセリア」という成人向ブラウザーゲームもそろそろリリースされるはず。現在事前登録中です。平行してもう一本、夏頃発売予定のPCソフトの制作が動いているんですけどね……。




