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女形の姫様転生記  作者: 新島 隆治
24/49

自警団と抗争の発端

公私共に忙しかったのと、トラブル続きで投稿が遅れご心配をおかけしました。


 町外れの練兵場――という名の平地には百人ばかりの男女が集まり、声を揃えて手にした棍や木刀を振っている。週に一度の合同訓練日だ。

 最初こそ風切り音を立てて勢い良く振られていたそれは昼前の空腹と早朝からの疲れで鈍くなり、大半が肩で息をしている。


 午後には午前中仕事に出ていた者たちが交代で入り、今練兵場にいる者たちの半分ほどは町の警備の仕事に就く。訓練後は疲労の極致だろうが、それが彼らの仕事だ。



 ロヴァーニの町に存在する防衛力は大きく二つに分類されている。

 一つは赤獅子の槍(レイオーネ・ケイハス)を筆頭とした在地の傭兵団による対外に備えた老練な戦力。ただし傭兵は自身の命と財産を最優先にする部分があるため。絶対の信頼を置けるかという点での疑問は残る。


 それでも貴族家出身の継承権に関わらない者が実家を出て入団し、団の経営と運営の中枢に座っている赤獅子の槍はかなり信頼が置ける方だ。 

 この半年ほどで産業をいくつも(おこ)して外部の商人と金を呼び込み、農業や畜産にも多大な影響を与え、中小の傭兵団を吸収して規模を倍増させてもいる。

 規律の維持にも厳しく、末端はともかく部隊長や小隊の隊長くらいまでは貴族領の騎士団とそう変わらない。


 もう一方は夏の終わり頃から町に告知されて募集が始まった自警団だ。

 こちらはロヴァーニの町の施設警備や警邏(けいら)など警察的な役割の方が大きく、対外的な戦力とは考えられていない。

 もちろん、有事の際には自警団から有志が戦闘に参加することはある。


 組織上はロヴァーニの町の協議会――在地の傭兵団、大商会、町の運営に関わる文官たち、各工房の親方たちの代表、魔術師・錬金術師の代表――の下部組織となっているが、実際には赤獅子の槍(レイオーネ・ケイハス)の下部組織のようなものだ。

 運営資金も団の直営商会が上げた利益が六割強、商会の寄付や供出金が三割強といった状態である。町の住民の税に当たるものは防壁の建設と街道整備に充てられており、経営という面だけで見れば完全な紐付きだ。


 団員には週に四日の勤務と半日の訓練、半日の待機が義務付けられ、残る一日は休息日になっている。手にする剣は傭兵団で使い物にならなくなった刃(こぼ)れした古い武器を()潰し、刃引きした一テメル(メートル)ほどの細剣に仕立てたものか、棍の両端を金属で補強したもの。

 力の限り殴って当たり所が悪ければ死ぬこともあるかも知れないが、傭兵たちが持つ武器に比べると共に殺傷能力はかなり低い。

 暴徒の制圧と盗賊の捕縛が目的だから当然だろう。


 一応、念のためということで刃引きしていない短剣は持たせているが、刃渡りが二十テセ(センチ)程度と短く、主武器としては使えない。鉄材も町の鍛冶工房が作ったため、傭兵団の者が持つ武器に比べたら(もろ)さが目立つ。



 募集の時は『貴族領の徴兵と同じか?』とそれなりに混乱も引き起こした。

 だが急速に発展し始めたロヴァーニの町の治安を維持すること、命がけの傭兵団に比べればそれほど多くないものの月給が出ることから、家業を継げない商家や工房の三男以降、辺境に移住して来たは良いが仕事が見つからず食い詰めている者などが集まり、秋の始めには百二十人ほどが所属するようになっている。


 月に銀貨三枚の給金が出るのも魅力なのだろう。特に移住直後で現金収入が少ない家族にとっては、防壁や道路工事への従事と並んで魅力的だ。

 金貨一枚あれば五人家族が一月楽に暮らせるが、自警団に参加する大半が成人直後から二十歳くらいまでの独身男性である。


 もちろん女性もいるが、大抵は家族と共に移住して来る途中で襲われた経験から自衛の力を身に付けたがった者か、農家として暮らす中で野生動物を撃退する(すべ)を求めてやってきた者たちだ。

 傭兵崩れの者たちもいない訳ではないが、正規の傭兵団を立ち上げて所属しているわけでもない以上、アスカ姫の護衛に就いた者たちとは力量という点で格段の差がある。


 家族を持っている者も共働きか農業などを兼業しており、週六日のほとんどを仕事に当てている。子供たちも出来る手伝いをすることが当たり前で、成人直後の者なら大人と同等の仕事を期待されるのだ。


 さらに交代とはいえ休日も設けられており、訓練や教育をきちんと受けられるなら将来への潰しも利く。将来農家でやっていくにしても、農地に出没する野生動物の駆除は自分たちで行わなければならないのだ。その時に武器の扱い方を知っているか否かの差は大きい。


 もっとも自警団に参加する中で、剣や槍などの扱いについて正規の訓練を受けている者などほんの一握りだ。農民や商人、文官の子息など、これまでの人生で一度も武器を握ったことが無かった者たちの方が圧倒的に多い。傭兵の家族で幼い頃から木刀を振っていた者など片手で数えられるほどである。


 そうした者へ武器の扱い――槍ではなく棍、剣ではなく木刀だが――を教えるのが町の傭兵団の仕事の一つになっていた。それほど金額は多くはないが当面の定期収入になるため、こちらも好意的に受け入れられているらしい。


 参加者の顔に多少の疲れはあるが、目は死んでいない。


 これまで抑圧され続け、理不尽に搾取され続けてきた貴族領の暮らし。この数年続いている王国東部の凶作や旱魃(かんばつ)、それに伴う流行病の数々。

 ほぼ固定化された身分制度であっても、上に立つ者が仁政を()いているのならば我慢も出来る。しかし王都とその周辺の一部はともかく、大半の貴族領では農民や平民は搾取の対象でしかなかった。


 けれどもロヴァーニでは違う。辺境の農民や平民が徐々に集まり、街道や防壁、市場などを荒野に作り上げていったのだ。百年ほど前から先人がこつこつと作り上げて行ったものもあるが、大半はこの五年ほど――特にここ半年ほどの魔術による建築や工事による成果であることは誰もが認めている。


 元貴族階級の者や官僚組織の文官がいても、同じ辺境で生活を共にし、自分たちの居場所を守るという点で目的は一致していた。



「よし、昼前の訓練はそこまでだ! 第一班から第五班までは午後から街中の警邏(けいら)に、第六班から第十班までは午後からもここで訓練を。第十一班から第十五班までは夜勤に備えて休んでくれ。夜勤は二つの傭兵団から引率を用意する。

 十六班から二十班は休息になるが、町の説明や巡回ルートの確認、門での確認事項など覚えておくことが多いので昼食後に『会館』の会議室に集まってくれ」


 教導を勤めていたトピアスが一段高くなった場所から大きな声を張り上げる。


 会館は自警団の執務兼待機のための建物だ。地上二階、地下一階の建屋に都市部の小学校ほどの訓練場を併設し、武器の修繕のための鍛冶場と厩舎を備えていた。

 鍛冶場の人員は移住者から(つの)った。現状は団内でも人手が足りていないため、最初のうちこそ各傭兵団から指導などで巡回するものの、基本的には市井(しせい)の鍛冶職人に任せる予定になっている。


 名前こそ「会館」としているけれども、現在は自警団用に仮で建てた小屋のようなものであり、町の自治を維持するための戦力兼警察力となるため、新市場予定地に隣接する敷地を魔術で整地して建物の基礎はしっかりと作られていた。

 石材の確保が街道と防壁を優先して行われているため正式な上物(うわもの)の着手は春以降になる可能性が高いが、既に上下水道への接続部分の工事は済んでいて、厨房用の耐熱煉瓦の作成も始まっていた。

 こちらの料理長にはダニエの弟子の一人が出向き、二年の年限を設けて移住してきた調理経験者――料理屋の主人や宿の食堂で働いていた者に対して指導を行う。


 他にも中小の傭兵団から二人が教導のためこの場に出てきているが、これも有償での出張だ。各傭兵団にとっては依頼以外での大事な収入源になっている。

 移住者の定着と雇用の確保、何よりも既存の組織の人手不足を解消するための苦肉の策だ。


「それとメシは簡単なものだが、丸パンに野菜ときのこのスープ、ヴィリシの串焼きが用意してある。訓練場の地(なら)しが終わった者から天幕で受け取ってくれ。飲み物は水だけだがな。

 午後の集合は四つ半の鐘がなってからだ。それまでに食事と休憩を終えておけ。鐘が鳴り終わったらすぐに次の訓練と説明が始まるからな」


 ざわっ、と声が上がると同時に自警団の新人が一斉に動き始める。

 全員が新人であるから動きにぎこちない者も多いが、普段から掃除慣れしている商家の次男、三男や農家出身の若者、兵役などの経験者は足元に大きく開いた穴を(かかと)で蹴り崩して(なら)したり、掘り返された小石を拾って訓練場の外に転がしていた。

 それを見ていた周囲の者たちも、周囲の様子を見て自分に出来ることを判断し真似ていく。百人近くが一斉に動けば作業もあっという間だ。


「よし、この区画は大丈夫だな。天幕の横で手を洗って、それから食事を受け取ってくれ。こっちの区画はもう少し穴を埋めてくれ。後で転んで痛いのはお前さんたちや同僚の奴らだぞ。怪我したら治って復帰するまでの分は給料が出ないからな」


 トピアスや他の傭兵たちが訓練場の整備を見ながら食事に向かう班の許可を出していく。丁寧に手早くやれば問題ないのだが、慌てて転ぶ者もいる。土(まみ)れになるのは一人か二人だが、そんな騒ぎもものの二、三分もすれば収まるものだ。


「良し、全員食事休憩だ。会館に向かう者は時間に気をつけろ。訓練場から離れているだけに休みは短くなるぞ」


 昼食を載せた木のトレーに木のスプーンとフォークを突き立てながら首を縦に振る団員に半ば呆れながら、トピアスたちも食事に向かう。


 昼食に出した丸パンもスープも、ダニエの弟子たちが朝食後の片付けと平行して仕込んだもので、正直に言えば出来はまだまだのものだ。

 それでもアスカ姫やダニエに教わって基本的な下(ごしら)えを毎日繰り返しているだけあって、多少の雑さは残っても町の食堂より美味いものが多い。


 指導役の食事は新館の食堂で料理長に作ってもらった特製だ。一般の団員との区別の意味もあるが、「早く幹部に上がって来い」という発破の意味もある。

 パンとスープはみんなと共通だが、肉料理は森に穴を掘って()むすばしっこい獣であるレプサンガの腿肉を時間をかけてローストしたものに替わっていた。

 事前に喉と腿の付け根を切って血抜きを行っており、血生臭さは一切感じない。

 肉の味は淡白ながらも、焼けた皮の脂が甘く香ばしい匂いをこれでもかと辺りに振り撒き、塩と香辛料で味付けされた淡いピンク色の肉が団員たちの目を釘付けにしている。


 他の傭兵団からの出向組にも振舞われており、その点でも自警団の指導役は歓迎されていると言っても良い。自分たちの団の食堂で食べるよりも遥かに美味いのだから当然だろう。

 その分、各傭兵団から引き抜きに一切応じないダニエへの弟子入りが何度も打診されているのだが。


「夜は新館の食堂に姫様の新メニューが出るんだよな……夕方までずっと指導するのは大変だが、晩飯のために頑張るかぁ」


 レプサンガの肉に噛り付きながら呟いたトピアスの言葉に、他の傭兵団出身の二人が羨ましそうに視線を向けていた。だが、羨ましがられたところで誰彼構わず招いたりする訳にもいかない。


 赤獅子の槍(レイオーネ・ケイハス)に貴人が身を寄せていることは既に知られている。詳しい事情を知っているのは団の関係者、それも上層部の者だけだが、春の終わりに姫自身が団員の前で身分を明かしたことで、リージュールの王族であることは知らされているのだ。


 夏以降に団へ合流した者たちにも、敷地内で失礼な振る舞いを行わないよう素性は知らされている。アスカ姫の立ち居振る舞いで明らかに貴族階級以上と判断出来るだけの知識と経験を積んでいた者は、紹介されたその場で膝を突き、最敬礼をしていたくらいだ。


「さすがに姫様がいるから、呼んでやりたくても簡単に呼ぶ訳にもいかないんだ。済まんが昼食だけで勘弁してくれ」


 そう言って食事に集中し始めたトピアスに、他の者たちも仕方ないといった様子で手と口を動かし始める。

 喉を通って胃に落ちていく味は、次の訓練の指導者にも呼んでもらえるよう頑張ろうと決意する程度に満足できる美味いものだった。






 ライヒアラ王国の王都・ロセリアドにある魔術学院から新人団員を迎え、カッレが防壁にやってきた難民の報告を伝えてから五日。

 院生気分が抜け切っていない新人魔術師たちをゆっくり鍛える間もなく、午前中の講義が終わり次第、防壁の工事や錬金術での石材の強化、角犀馬(サルヴィヘスト)での遠乗りに付き合わせるのも今日で三日連続になる。


 当初予定していたヴィリシの解体や博物学の調査は当面延期となっていた。

 はっきりとした形にはなっていないが、脅威や危険が迫っているのであれば相応の準備をしなければならない。


 外に出られない分は、町中の施設建設予定地や道路の舗装に使う石材の作成、建物の基礎の作成などで魔力操作と精密操作の訓練を行っている。

 講義で温度変化や物質の三態を教えた後で耐火煉瓦の作成を実習させていけば、コツを上手く掴んだ一人か二人は春までに実用レベルのものを作れるようになるだろう。そうなれば来春の建築ラッシュに備えられるはずだ。


 飛鳥自身も朝食後に執務室の書類整理を手伝った後は、昼食前まで魔力操作や運用、物質の三態などの基礎項目を卒業生に教える講義を受け持っている。

 魔術学院の知識が役に立たないのであれば已むを得まい。



 今日の午後は防壁の建設現場での運用実習だ。

 人力で石材を運ぶ町民たちの隣で堀とする部分を掘り下げながら岩のブロックを作り出し、土を固い岩盤へと変換して固めていく。斜面を固め、堀の底を固め、それぞれの担当部分を見本に沿って精密に加工する実習はかなりきつい。

 今の新人たちなら半日で幅三テメル(メートル)分も加工出来れば上等だろう。


 時間がかかる分、変換する感覚と効率を意識して仕組みを考えてもらい、将来の魔力運用や効率化に繋げてもらえれば良いのだから。


 橋を設置し、木材を受ける部分を加工するのは飛鳥の仕事だった。

 上を通る角犀馬と荷車の重量がかかるため、それに耐えられる構造を作らなければならないし、厚みの分だけ受け側の石材を(へこ)ませて加工しなければならない。


 耐久力と同時に、非常時にはある程度壊れやすい構造にもしておかなければならない橋の設計は、この世界では本来文官が担当している。

 けれども板や角材を組み合わせた単純なものは教わっていても、防衛戦で『破壊して落としやすくする構造』や『重量を軽く、それでいて丈夫に作る』方法までは知っている者がいない。


 飛鳥自身もそんな構造は知るはずもなく、文官出身者やイェンナの伯父の木工工房、引退した貴族家お抱えの魔術師などが訓練場の片隅で模型を作り、ある程度の形にしたのだ。


 口を出したことといえば、橋で思い出したトラス構造や建物のラーメン構造、ハニカム構造、アーチ式の加重分散の仕組みを伝えて実験してもらい、模型を作ってもらったことくらいだ。

 担当となった文官と魔術師、工房の親方たちが一様に興奮して気持ち悪いくらいだったが、それに巻き込まれることだけはきちんと回避出来ている。


 この大陸での橋は現在、王都や国境を繋ぐ場所以外は丸太と板で作られている。

 アーチ状に石を積むことによる加重分散は、王都で貴族を相手にする職人の秘中の秘とも言われ、外部への情報流出が石工(いしく)組合の統制下で厳に禁じられていた。


 それがあっさりと未成年の少女の口から(もたら)されたのだから驚きもするし、原理を説明されて納得もする。確かに精密な加工と潤沢な資金がなければ不可能だ。


 ハニカム構造は蜂のような昆虫の巣の存在がまだ未確認で、トラス構造と併せて知られてすらいなかった。木の板を錬金術で加工して簡単な模型を作り、棒と薄板で作った橋と比較してようやく理解してもらえたほどである。

 その分、文官と魔術師に説明する時間も増えてしまったのだが。

 甘い蜜を出す虫はいるようなので、雪が降る前に色々と調べる必要はあろう。


 ひとまず早急に必要なのは、防壁と外部の街道を結び隔てる橋の存在だ。

 上手くいけば普段は通行を妨げずに平坦な道を提供し、いざという時は橋を崩して落とすか焼き落として外部からの進入経路を大きく迂回(うかい)させることが出来る。


 ロヴァーニの町の北側は地下に鉱脈を持った峻険(しゅんけん)な岩山で、南には海がある。東は川と崖に隔てられており、冬にはそちらも防壁の工事が進められるのだ。

 工事が終わるより先に拙速に攻め込まれたらこちらが厳しくなるが、飛鳥が直接教えた魔術師たちも総動員して工事に取り掛かっているため、時間をかけるほどロヴァーニにとっては有利になる。


 橋も町の整備や防衛体制が整えられてからであれば、石製のアーチ橋など構造がしっかりして耐久力もあるものに換えても良いだろう。

 だが、今はその時ではない。


「そこはもう少し強度を強く――そうですね、こちらの石材くらいまで硬くして下さい。今は石積みの構造も防壁を横から見れば分かるでしょう。けれど、既に組み上がっている部分は索敵の魔術を応用して魔力を薄く延ばして広げれば……」


 手を石材の表面に添えた飛鳥は、三重のガラス板の間に青と黄色の液体を封じて背景に黒い板を置いた物を持ったまま魔術を発動させた。

 その瞬間、板に地中の様子がソナーの画像のように映し出されている。


「この魔術具は結果を分かりやすくするために使いましたが、魔術師なら結果を脳裏に浮かべることが出来ます。地中に埋めた岩の塊とそれを支える石、壁の部分を構成している石材がどう並べられているか分かりますね?」


「こんなに整然と並べられていたんですね……荷車に乗っていた時は分かりませんでしたけど、この場所に立って実際に目で見ると、頑丈さが良く分かります」


「こんなに地中深くまで基礎が作られているなんて……学院の防衛陣地建設の資料にも、ここまでの構造のものはなかったと思います」


「壁の部分だけを崩そうとしても他の石材の重量で支えられているし、基礎の岩の塊を掘り返さない限り崩したことにはならず、すぐに作り直される。

 それに魔力頼みにはなるけれど魔術師や錬金術師がいれば修復も簡単にされてしまうから、攻める側は辛いでしょうね。攻め寄せたり破壊工作をしようとする間に防壁からは矢や魔術が容赦なく飛んでくるんだから」


 脇から覗き込んでいたクリスタたち魔術師も声を上げて驚いていた。

 岩の基礎ブロックは魔術師や錬金術師が加工しているが、それを納める穴を掘ったり防壁部分の地均しをしているのは町の住人たちである。


 子供たちも現場にやってきて遊ぶのではなく、二、三人がかりで土を運んだり、邪魔な草を抜いて積み上げては焼くなど大人たちの手伝いをしていた。

 彼らにとってはそれすらも遊びの一環なのだろうが、報告を受けた飛鳥が子供たちの昼食の費用を補填した翌日には、町中の子供の大半が防壁工事の現場で手伝いをしていたらしい。

 一食分の食費が浮くということもあるが、自分たちが守られることになったロヴァーニをさらに強固に守ってくれるのがこの防壁と堀だということを、幼いながら身をもって感じているのだろう。


「魔術師も錬金術師も、時として陣地構築に駆り出されることがあります。一夜で城壁を築けなどという無茶な命令は出されないと思いますが、自然の地形を利用した陣地を作らされたり、自分や仲間の身を守るために作らなければならない時もあるはずです。

 ここは元々崖があり、底に細い川が流れていました。ハンネが王都に出発する前に近辺を整備して街道をこちらに繋げていますが、それまでは主街道が南に一ミール(キロ)ほどずれていたんです。

 (わたくし)がこれから作業する橋の下に当たる部分は元から大きな二つの岩があって、それを利用する形になります。同じ石のようですから、何万年、何十万年もの間に水で削られたり、風化して崩れて今の形になったんでしょう。あの規模の土台を自分の魔力だけで作ると大変ですからね」


 護衛にクァトリとレーア、ハンネを連れた飛鳥は、崖の上で待機している工房の親方たちの姿を認めると対岸側の岩の上に魔術で跳んだ。

 五テメル(メートル)ほどの高さをものともせず飛び越えると、十二テメルほど離れた対岸で橋の組み立てを行っている姿が見える。


 後で川底から橋の中央付近の重量を支えるために岩を隆起させ、橋脚のように加工してやれば角犀馬と荷車の重量を分散できるはずだ。

 安全な通行を確保するなら鉄骨製の橋が良いのだろうが、近隣の情勢が思わしくないと聞かされている現状、交通を確保しながらも壊したり焼き落としたり出来る木製の橋の方が町の安全は保てる。


 向こう岸ではこちらの作業を見ながら手を振ってくれている。

 軽く手を振り返すと恐ろしいほどの雄叫(おたけ)びが上がったが、崖を隔てているので恐怖感はそれほど襲ってこない。近くで聞いていたら身をすくませ、クァトリかハンネに抱きついていたかも知れないが


 まだ春先の事件のトラウマは心の深い場所に残ってしまっているのだ。



 飛鳥は対岸の様子を見ながら地面に手を触れ、幅四テメル、奥行き一テメル半、深さ一テメルほどの窪みを形成した。すぐ隣ではハンネが排水用の傾斜路を二本、川に向かって作ってくれている。

 幅十テセ(センチ)ほどの浅い水路は雨水などが溜まらないように一旦両脇へと逃がされ、その後川へと向かう。深さも二十テセほどのU字溝のようなもので、側面と底は錬金術で硬い岩に変換してある。

 あとは町の石工工房に伝えておけば、喜んで蓋の製作を受注してくれるはずだ。冬の仕事にしてもらっても良いだろう。


 こちらの作業が終わる頃には、一旦川底に下りていた若衆の四人と軽装の団員三人が崖を上がってきた。肩に太目のロープを束ねて担いでいるから、対岸の橋をこちらに引き込む役なのだろう。

 一緒にいる団員たちは若衆の護衛兼監視だ。


 同じ現場で一緒に作業しているが、アスカ姫という未婚の王女の身を守るためであり、平民の若衆がおかしな真似を仕出かさないように監視し、また防壁外での潜在的な敵対勢力や獣からの襲撃を未然に察知するためでもある。

 アスカ姫の索敵魔術に比べれば圧倒的に範囲が狭いけれど、軽装であれ武装した成人男子が数名護衛に()くことは牽制としても意味が大きい。


「お待たせしました。姫様、こちらの準備は終わりました。橋の設置は大工工房と力自慢の男衆が行いますが、出来れば橋の中央付近で支える柱の作成をお願いできますか?」


「分かりました。ではこちらはお任せしますね。クァトリ、レーア、ハンネ、行きましょうか」


 ほぼ垂直に切り立った崖の縁に立ち、何事もないように一歩前に足を踏み出す。

 スカートが捲れないよう裾に手を添えているが、半年も経てば慣れるものだ。

 (はた)から見れば単なる自殺志願者だが、ここは魔術が存在する世界である。降下の魔術を使えば即席のエレベーター代わりになるのだから。


 約五テメルの高さは二階建ての建物の屋上から飛び降りたようなものだ。

 人数分の軽やかな足音が川原に降り立ち、崖の上で(おもり)を付けた縄が二本渡されるのを見ながら大体の位置を決めていく。


 その間にクァトリが真下から錘つきの細い紐を投げ、真下に垂れるよう反対側にも錘を取り付けている。大まかに四ヶ所ほど投げて位置を取り、置いた石で柱の位置を決めれば飛鳥の出番になる。

 紐を垂らした間に手を差し出して、崖よりわずかに低い辺りまで一気に岩を練成していく。元から川底にあった岩を隆起させるイメージを思い浮かべるだけで、幅五テメル半、厚さ三テメル半ほどの支柱が出来上がった。


 荷重に耐えられるよう隆起させた岩を花崗岩並みの硬さと密度に変質させれば、後は実際に橋を渡し、微調整をするだけだ。


「こちらの準備は出来ました。橋の設置は任せましたよ」


 飛鳥が川底から声をかけると、崖の上で待っていた団員が大きく頷いている。


「了解しました、姫様。十分気をつけますが、橋を渡すまで少し離れていて下さいますか? クァトリ、レーア、護衛を任せたぞ」


 崖上からの指示で十テメルほど離れた飛鳥たちは、何度か縄のやり取りをしていた崖上の様子を眺めつつ、工事現場で奮闘する元院生たちを視界に収めていた。

 教えてまだ数日だが、自身の魔力だけで作業しないよう、各人とも遍在(へんざい)魔力の取り込みに気を使っているように見える。

 こればかりは毎日練習して感覚として覚えるより他にないので、呼吸をするのと同等に意識することなく出来るようになってもらわねばならない。


「魔力枯渇で倒れそうな人は今のところ皆無のようですね。夕方までに目標の範囲は終わりそうですし――橋の引き込みも順調そうです」


 飛鳥と同じ方向を見ていたハンネが新人たちの状態を判断し、崖を振り仰いだ。

 縄に引かれて多少上下に揺れながらも、じわりじわりと防壁側から橋が渡されている。あと二テメルも進めば中央の支柱の上に乗るだろう。


 高さ一テメル弱の脇の骨組みは三角を幾重にも重ねたトラス構造で組まれ、それまでの橋に比べて徹底した軽量化と構造強化が(ほどこ)されていた。

 事前に五分の一の模型を作った時に子供の角犀馬(サルヴィヘスト)を乗せても歪んだりせず、重さ二百ヘルカト(キログラム)近い岩を二つ乗せても壊れなかったほどである。


「中央の支柱に半分の橋を載せ、反対側にも同じくらいの長さの橋を載せて中央で連結。板で留めておいて、敵襲があった時は板を叩き割って半分を落とすなり、焼き落として防壁側を守れる――いざとなったら全て落としても構わない、と。

 軍事を専門に習っていたわけではないんですよね、姫様?」


 ハンネが呟いた言葉に、素直に頷く飛鳥。

 アスカ姫としては専門に習ったことはなく、個人教師を務めていた者が知っていた範囲での知識しかない。飛鳥としても高等部で習ったのは世界史や日本史の知識だけで、資料集の写真や図面、戦記物が好きな友人が持っていた本を見せてもらった時の知識しか無いのだ。


 学園で習った古典や漢文の知識、それに男子らしく歴史や戦記物、ゲームに基づく知識はそれなりにあったものの、舞台に立つために覚えていたものを凌駕するほどの専門知識は無い。

 けれども、その程度であってもこの世界では異質と思えるほどなのだろう。


 この世界では女性の騎士や領主も全くいない訳ではないが、魔術師や錬金術師、薬師、服飾関連の職人と飲食店員、農家を除けば女性の就ける職業にかなり制限が設けられている。

 軍事関連、それも中枢に位置する指揮官クラスには王族の女子といえど就くことが難しい状態で、就いたとしても名目上の役職であるのがほとんどだ。

 そして現場の第一線で陣地構築や指揮に当たるのは皆無と言って良い。


(わたくし)が知っているものと言っても、旅をしている中で教師に教わった範囲でしかありません。それに防壁とその外を分けて考えた時に、境目となる堀と橋の部分をどう扱うかは一番の問題でした。

 橋の引き上げが完全に出来るのなら問題ありませんが、出来なければ緊急時には放棄することも考えなければいけません。それなら半分は放棄する可能性があるものとして残り半分を守るか、最悪全部放棄しても防壁で守れる体制を、と考えたのです」


 崖の上から中央の柱まで橋が渡され、わずかに出来た隙間には即座に板が詰め込まれて高さを調整されている。精密さを要求されるような工事でもないため、一旦両側に橋を渡してみて、最後に橋脚の微調整をすれば問題ないのだろう。


 橋脚の上には三人が先に移ってきており、残りはもう半分の橋を持ち上げて、既に渡し終えた橋の上にやってきている。

 間もなく対岸へ橋を渡し終えるだろう。そうしたらもう一度飛鳥の出番だ。


「リージュールの王城にあった防壁は加工の際に幾重にも魔法陣を組み込んで、耐火や対衝撃といった効果を持たせていたそうです。実物を目にする前に国を出ることになったので、作り方は想像するしかありませんが。

 ここは矢や手で投げる槍が飛んで来ても簡単に防壁の岩を割られないよう、表面に微妙な角度をつけてもらいました。遠くから見ている分には構造が分かりませんから、攻略出来なければ指揮官が勝手に焦ってくれるでしょう」


「それもリージュールの知識ですか?」


「いえ――こちらは別の大陸で教わったものです。百年ほど前に森と山の民が作ったという砦や城に使われた技術だそうで、石の表面に互い違いの浅い角度を連続して付けて、(やじり)などの正面から加わる力の方向を変えています。

 念のため、あの橋脚の表面にも同じような加工を施してありますよ」


 もう頭上の橋脚上での作業は粗方終わったのか、残りの橋がロープで対岸へ引き込まれ、深さ一テメルの窪みをつけた受け場所にぴたりと(はま)っている。

 あとは引き込み用のロープを外し終えてから橋脚の上に上がり、高さの調整と補強をしてやれば問題なく運用出来るはずだ。


「出来上がったようですね。ロヴァーニ側の防壁はこのまま天気が晴れてくれたら五日くらいで工事が終わると思います。

 ひとまず門周辺の工事が落ち着いてくれたら、自然の地形を生かせる場所を後に回して、人の手を入れなければならない所を先に済ませてしまいましょう」


 飛鳥はハンネを始めとした護衛に声をかけ、先ほども使った跳躍の魔術で橋脚の上に上がる。まだ二十人ばかりの親方や徒弟が角犀馬(サルヴィヘスト)を連れて橋の上で作業しているが、橋本体はびくともしない。


「運搬用のロープを外して角犀馬を戻したら、先に中央の部分を固定してしまいましょう。大工工房の責任者の方、作業が落ち着いたら橋脚の高さを調整しますので隙間に詰め込んだ板を外して下さい。

 橋脚の脇も固めますので、防壁側から軽く橋を持ち上げてもらえますか?」


「了解しました。おい、角犀馬は一旦向こう岸に渡らせて反転させておけ。調整が終わるまではそこで待機だ。防壁側は杭をうまく使って中央を持ち上げろ!

 いいか、姫様がご覧になってるんだ! 意地を見せろ野郎ども!」


「「うーっす!」」


 野太い声が崖に響き渡るが、陰湿さの無い陽気な感情から発せられたそれに嫌悪を覚えることは無い。鬱陶しいくらいの好意は感じるが、護衛たちが周囲を固めている状態で手出しをしてくる者はいないだろう。


 すぐに角犀馬は対岸へ渡され、荷車に引き込み用の杭や巻き取ったロープを乗せて待機させられている。

 街道脇の草を暢気(のんき)()んでいるくらいだから、重機代わりの力仕事や待機させられることへのストレスなどは特段感じていないようだ。


 飛鳥も幅を広めに作った橋脚の上に降り、ロープで持ち上げられた部分を埋めていた板の代わりに魔術と錬金術で岩を練成していく。

 左右で若干違っていたが、高さ四テセから七テセほどを調整し、作業の仕上げに錬金術で作ったガラス製の単純な水平器(レベル)で水平が取れているか確認する。


 水平の確認を取ることだけを優先させたため、一千分の幾つという傾斜までは測定できないが十分有用な品だ。

 作り方を錬金術師たちに教えて大工工房と石工工房に広めたが、技術が無くても紐で水平を取るより置くだけで簡単に目で見て確認できる分かりやすさから、一つで大銀貨七枚という高額にも(かかわ)らず引き合いが多いらしい。


 もっとも、熟練の錬金術師が増えて数が量産できるようになれば価格も下がっていくだろう。いずれ傾斜が測れるような目盛りを付けてやれば、そちらの普及までは売り上げが作れるはずだ。

 模倣品が出回るまでに可能な限り普及させ、後は契約を無視してコピーされた粗悪品の取り締まりで利益を確保すれば良いらしい。


 取引と契約に関しては団直営の商会に全て丸投げしたため、飛鳥としては執務室で報告書を見ただけだが、夏の終わり以降一月にも満たない短期間で金貨四十枚弱を稼いでいるというのだから驚きである。


 高さを調節し終えて対岸側の微調整も終われば、橋脚の両脇を練成してトラス構造の橋桁を三分の二ほど保護し、いざという時のために連結部分を切り離せるようロープ部分を露出させた。

 対岸側の橋の下には明日以降密閉した油の(かめ)と発火の魔術具を仕掛けることになっており、戦時には中央のロープを切って焼き落とし、敵の侵入を阻むことが出来るようにしている。


 魔術師が十数人がかりで跳躍の魔術を使ってきたら防衛側も苦しいが、そもそもそれほどの魔術師を領軍として揃えられるような貴族は現在この国に存在しない。

 この大陸では一般的な兵士三十人に一人程度の魔術師がいれば良い方で、赤獅子の槍(レイオーネ・ケイハス)のように強力な魔術師が――学院を卒業したばかりの新人を除いても――七、八人に一人程度の割合で混じっている方が余程異常なのだ。

 他の傭兵団でも多くて二十人に一人程度の魔術師がいれば「比率が高い」と言われるくらいなのだから。


「橋自体はこれで大丈夫でしょう。姫様は明日以降別の場所を視察されますから、魔術具の設置と防壁工事はこの門の担当班に任せます」


「姫様、新人魔術師たちは明日以降もこちらに?」


 工事の指揮を取っていた団員が尋ねてくるが、答えは否だ。


「まだ教育と実習中ですので、配属できても半日、それも人数の半分でしょうね。午前と午後で人員を入れ替えて、実地で直接教える必要がありますから。(わたくし)は明日下流側の工事に向かわなければなりません。

 それに下流側の崖の補強を急がないと、冬になる前に防壁の基礎を完成することが難しくなります。私は信頼していますが、工事には町の住人だけでなく外部からの出稼ぎの者を大量に動員していますので、他所(よそ)からの影者が混じっていないとも限りませんし」


「た、確かに……」


「ハンネやアニエラたちも交代で姫様の護衛を務めていますからな。巡回のついでに手伝いをしてもらえるだけでもありがたいです。

 今日にしても姫様に橋脚の補強や調整をお願いできなければ、工期が五日ほど余計にかかったでしょうからな」


「そう言って頂けるなら手伝いに来た甲斐があります」


 団員や工房の親方たちに柔らかく微笑んだ飛鳥は、橋脚の上端部分に突き出た岩塊を整え、両側に伸びる橋の中央を一度盛り上げて(なら)している。

 成人男性の胴体ほどの幅がある中央部分と木製の橋の表面がわずかな段差も無く揃えられていく。これなら荷車の通行にも支障は出ないはずだ。

 後は橋からの滑落防止用の柵を取り付けるだけで完成になる。


「しかし橋本体と柵を分けてしまうことが出来るとは……従来の橋ですと一度に作り上げて設置するか、柵など無視して即応性のみを追求するかでしたからな。

 柵があって荷車が落ちないとなれば行商の者たちはロヴァーニに来やすくなるでしょうし、非常時でも橋の半分だけは確実に守るというなら、兵の(いたずら)な損耗も避けられますな」


「故国にあった橋には魔術具と歯車をいくつか組み込んで、魔力か手動で橋の本体を折り畳んで、防壁内に収容出来るものもあったそうです。さすがに実物を見ておりませんし、詳しい仕組みまでは分かりませんが――。

 もしロヴァーニで取り入れたいと思っても、まず模型を作って歯車や仕組みの解析をしてからでないと導入出来ないでしょう。

 過去他国にそういうものがあったからと言って、工房の方たちのお仕事を奪ってしまうのは望みませんし」


 可動する橋の研究を主導するのは更なる面倒を抱え込むことになるし、現在飛鳥が占拠しているアスカという王族の少女の生を全うするという目的にとっては障害にしかならない。

 第三者にヒントだけ与えて研究自体は任せてしまえば、この世界の自主的な技術の発展にもなるはずだ。歯車の存在やてこの原理は講義の中で教えてしまっているし、魔術や錬金術といった地球に存在しない技術体系があるなら、それを生かした発展方法があっても良いだろう。


「ロヴァーニの防衛については団長や協議会の方々がそれぞれに腹案を持っているでしょうから、(わたくし)からは何も申しません。

 求められたら知っている範囲で助言することはあるでしょうけれど、私は永の眠りに就いた従者たちの居場所を守り、今付き従ってくれている者たちを守ることくらいしか出来ませんから」


 手摺りの無い橋の上から身を乗り出すのは危険だが、普通に立っていても崖下で作業していた新人魔術師たちが乾いた川底に膝を突き、腰の布袋から回復薬を出して口にしている様子が良く見える。

 防壁の石組みを作る作業の最中に魔力が枯渇しかけ、回復するまでは自分の筋力だけで作業を行おうとしているらしい。

 魔力にも身体強化にも頼らない力は常人の域を出ないため、動物の皮紙を束ねた本程度しか重量物を持ったことがない魔術師の卵には辛いのだろう。


 見ている限りでは重篤な症状にもならず、疲労程度で済んでいるようだ。

 たっぷりの食事と睡眠を取れば、明日には何事もなく回復しているだろう。


 今はまだ歩き始めたばかりだが、教え子という意味では彼ら、彼女らもまた守るべき存在だ。赤獅子の槍(レイオーネ・ケイハス)に骨を(うず)めるほど心酔してくれても構わないし、やがて自分の道を歩むために離れたとしても、人の心に恥じない道を歩いてくれるならそれでも良い。


 日本人として生きた意識と常識、知識と経験は飛鳥の意識の中に存在する。

 それと同時に、魔法技術の進んだ超大国のアスカ姫として生きた知識と常識、経験もまた確実にこの身体と共に(・・・・・・・)存在しているのだ。

 外見だけなら未成年のアスカ姫もまた守られるべき存在ではあるのだが。


「さて、本日の最重要項目である橋は設置し終わりましたし、皆さんはロープと角犀馬(サルヴィヘスト)を回収して帰りの準備をして下さい。

 私たちは魔術師たちの本日の成果を確認してから回収して戻りますので」


「護衛が到着するまでは残ります。さすがに直衛の者がいても、姫様を防壁に残して我々だけ戻るわけにはいきませんので」


「――でしたら、対岸に渡った角犀馬をロヴァーニ側に回収してから橋の半分を引き上げてしまいましょうか? もし敵対勢力の者が鎧を着たまま崖を跳んで渡ろうとしても、橋脚に届かず下に落ちれば大きなダメージを受けるはずです。

 間もなく夕方ですから行商の荷車は南門の橋を通り抜けているでしょうし、こちらを通る荷車もないはずですから。わざわざ安全な侵入路を用意してあげる必要もないでしょう?」


「そうですね……防壁側に警備の者を交代で置きますが、一班の人数で橋の護りまで行うと手が足りません。夜には防壁と川底の工事の者たちも町へ引き上げてしまいますから、半分とはいえ橋を上げてしまうのは効果的です。

 ですが、この人数で持ち上げられるかは――」


 設置するだけで大の大人が十数名、対岸に張ったロープと町側の引き込み役も入れれば十五名を超える男たちが動員された重量である。その心配も当然だろう。

 けれどもロープと滑車――てこの原理を使えば軽減することも可能だ。

 いずれはロープもワイヤーや金属製の鎖などで置き換える必要はあるが、一時的な対処ならば問題はない。


「大丈夫です。荷車に載せてしまった長めのロープを四本と橋の幅より長めの棒を十二本用意して下さい。それと防壁の内側に追加で四本杭を打ってもらえますか?

 本当は金属の歯車が欲しいところですが、今回は錬金術で代用してしまいます」


 すぐに運ばれてきたロープを対岸側の橋桁の下に杭を結びつけてもらう。荷扱いや野営などでロープの扱いに慣れているのか、戸惑いや乱れは一切見られない。


 さらに半分の橋の中央付近にもロープを結わえ、橋脚の中央付近に錬金術で穴を開け、そこに杭を逆Vの字に二本差し込ませる。

 穴を開けるために取り除いた岩はそのままロープを受ける溝を作って滑車状に形を変え、中央に孔をつけた。それを二個一組で杭に通し、位置がずれないように杭自体も変形させておき、男性団員や親方たちに持ち上げてもらう。


 対岸側と防壁側で杭一本半ほどの高低差をつけ、しっかりとロープで縛り付けてもらえば準備はほぼ完了だ。


 成人男性の身長よりも高い位置にロープで固定された杭ごと錬金術で融合させ、さらに魔力を流して橋脚よりも硬い金属へと変質させる。

 元の杭一本が直径十テセほどもある太くて頑丈なものだから、ロープ越しに重量を掛けたところで簡単に折れたりはしないはずだ。


 次いで防壁の内側にも同じような物を作り、こちらには橋脚に据え付けた物よりも径が倍ほどの石の輪を取り付ける。

 対岸側の橋の加工と橋脚の杭、防壁側の杭を作っている間に角犀馬と荷車も戻って来て、ロープを結び終えた男衆が飛鳥の指示に従って滑車の間を通していく。


 支点を橋脚の石製滑車に、力点を防壁内に、作用点を対岸側の端の杭に置いた、ごく手軽な人力・滑車式の巻き上げ機構だ。

 滑車の径が約二倍、巻き上げ場所の距離も作用点となる対岸側の端から二倍ほど取っているので、左右に分かれて一緒に巻き取らなければいけない手間はあるが多少負担は軽減できる。


 一本では足りないロープは途中で滑車を避けて何度か結び、不恰好ながらも体裁を整える。最後に防壁内の杭にロープを縛り付けて釘を打ち付けて留めれば、季節一つ分くらいは持たせられるだろう。

 あくまでも通行の安全と拠点防衛上の仮の措置であり、本格的な橋の引き上げ運用を考えるのであれば、最低でもワイヤーケーブルと歯車による巻き上げ機構を整備しなければならない。


 今は枠に組み上げた杭を錬金術で変質させ石の滑車を利用しているが、こちらも本格的な運用をする気なら金属に置き換えていかなければならないだろう。


「これで多分大丈夫と思います。巻き上げ側は余った細い杭の端に十字に縛って、巻取りしやすいように加工してあげれば楽になるはずですよ。

 ロープは片側ずつ結んでいるので、声を掛け合って片方が早く巻き上げ過ぎないように注意してください。誰かを見張りに立て、橋とロープの状態を見て巻き上げの指示を出すことも必要です」


 左右二機の巻き上げ機を確認した飛鳥が男衆に声をかけると、腕力に自身のありそうな親方と若い男たちが巻き上げ機に四人ずつ取り付いた。

 一基に突き左右二人ずつならば作業の邪魔にもならないだろう。


「ロープと橋の見張りはイント、お前がやれ。巻き上げは工房から六人、団から二人だ。巻き上げの合図はタネリが出せ。余った板と棒を打ち付ければ大き目の音も出せるだろう」


 男たちが指示に従って素早く動き始める。

 どちらにせよこれが終われば川底や堀の石組みの工事をしていた者たちを引き上げ、町に帰還するだけだ。この場所に残る警備の人間もいるが、橋さえ上げてしまえば安全性が高まる。


 左右の巻き上げのスピードと巻き上げる杭の径が違ったために多少手間取ったけれども、それでも体感で十五分ほどもあれば慣れたのか、無事に対岸側の橋は持ち上げられて成人男性の身長の二倍半ほどの高さまで引き上げられていた。


 魔術を使える者が身体強化で橋の裏側に取り付いたり飛び越そうとしても、裏側のトラス構造の骨格に手をかけるのが限界だろう。

 魔術を使える貴族出身の兵士がいたところで、数はそれほど多くない。

 万が一飛び越してきても、防壁内に待機している傭兵団と警備の者たちが攻撃を集中させれば数で圧倒できる。


「これは便利ですね。しかも橋を直接手で持ち上げるのに比べてかなり軽く感じました。これも姫の故国の知恵ですか?」


「学者たちの実験と研究の積み重ねから得られた知識で、私はそれを習って知っていただけです。全てを余すところなく知っているわけではありませんが、基本的な部分はいずれ魔術師と錬金術師たちに伝える予定です。

 工房の方々へは――魔術師たちが伝えるか、自分たちで経験を積んで覚えてもらいましょう。団の工房の方が講義に出るのは問題ないと思いますが、団長が本部への立ち入りを認めるかどうか、ここで(わたくし)には判断できませんから」


 男性陣がロープと杭を結わえている間に、傍にやってきていた角犀馬のパウラが飛鳥に頭を擦り付けてきている。

 今日は新人たちへの指導と自身の作業にかかりきりで休憩時間にブラッシングをしてあげられなかったせいか、甘えの度合いが強いようだ。

 それでも頭に抱きついて何度か(てのひら)で撫でてやると、キューッ、と短く鳴いて気持ち良さそうに瞼を閉じている。


「帰ったらシャワーとブラッシングをしてあげますから、もう少し我慢してくださいね。タトルとルビーも待っているはずだから、隅々までは出来ないけど」


 きちんと飛鳥が言ったことを理解しているのだろうパウラは、キュ、キュッと短く鳴いて足元の土を(ひづめ)で掻いている。

 早く帰りたいとでも言っているのだろう。

 日暮れが近いため、川底で作業していた者たちも縄梯子を使って防壁の内側に上がってきていた。土埃や泥に(まみ)れていようが、団の荷車に載せた魔術具を使えば手足と顔くらいは洗うことが出来る。


 飛鳥自身とハンネ、アニエラの荷車だけでなく、今では海辺の集落とロヴァーニを往復する荷車一台と工事現場を巡回する荷車二台、町の中を巡回する荷車一台にもこの魔術具は積まれていた。

 薬師用の小型の荷車三台を合わせれば、計十台もの貴重な水の魔術具がこの辺境に集中していることになる。


 研究者の多い王都の魔術学院か上級貴族でもなければ手の出せない代物が一介の傭兵団で大量に運用されているのだから、王国内に人材を留め置けないことへの対策と改善こそ先に解決しなければならないのだろうが。


「さて――お前ら、そろそろ撤収だ! 工事担当者は荷車に分散して乗れ! 当番で駐屯する班と警備の者は野営の準備、斥候は防壁内外を探査しろ!」


「日払いの者の今日の賃金は内門の窓口で支払う。週払いの者は二日後、休眠(ウイヌヴァ)の日に協議会の入り口脇の天幕で稼動分をまとめて支払う。

 明日の工事も日の出(どき)に内門へ集合して、荷車でここへ移動してくれ。

 来週くらいから冬の(たきぎ)の伐採と採集で人が増えるが、防壁の工事自体は雪が積もるまで継続する予定だ。次の工事は春の雪解けまで無いから、今のうちに稼いでおいてくれ」


 散発的に、けれどもしっかりと意思の(こも)った返事があちこちから響く。

 平年並みならば雪が降るまであと一月ばかりということだから、薪の収集にも多少の余裕はあるだろう。ロヴァーニの人口が増えているといっても、周辺の森の深さを考えれば若木を育てておき、春になってから植え替えていくことも出来る。


 周辺の森の枯れ木や落ちた枝、植物紙や建築のために伐採した木々から払った枝などを乾燥させ、冬の間の燃料の足しに蓄えてもあるのだ。

 角犀馬(サルヴィヘスト)の厩舎やタトル、ルビーの小屋などは、水道や浴場の湯の熱を利用した冷暖房の管を通してあるのでかなり快適に過ごせるだろう。

 少なくとも、軒先を延長しただけの屋外と代わらぬ小屋や家屋に隣接した厩舎で不衛生な一冬を過ごすより臭いを気にすることも無く、人にも動物にとっても快適な生活になる。


 来週は自警団や各傭兵団、町の商会なども二台前後の荷車を出して、薪の伐採と採集に向かうはずだ。個人まで含めれば工事に関わる者以外の人口が町中から半減する程度には。


「姫様、あとは新人二人が手足を洗い終えたら出発の用意が出来ます。姫様もそろそろ荷台にお戻り下さい。()(かげ)ってまいりましたので」


「ええ……川原(かわら)の現場からの撤収は完了ですね?」


「点呼しましたので漏れは無いと思います」


「分かりました。ハンネ、少し魔術を使います。クァトリとレーアは見張りと警護をお願いします」


 クァトリの言葉に頷いた飛鳥は、荷台の後ろに足をかけて乗り込み縁に腰を下ろすと、ハンネたちに声をかけて壁に身体を預けるようにして目を閉じた。

 少女らしいほっそりとした太腿の上に置かれた指先がリズムを取るように上下しているので、疲れから寝入っているのではないと分かる。


 撤収の準備を始めた辺りから、何か嫌な――予感にも近い感覚が飛鳥の肌をぴりぴりさせている。

 団の敷地中ではほぼ感じないが、素材や食材を探して市場を歩いた時に感じる、不躾(ぶしつけ)で、好色さや敵意に似た好ましくない感情の混じった視線に似ていた。


 アスカ姫としての半年ほどの生活で、若い女性が晒されている視線の感覚というものにも大分慣れた。

 中には好意的なものもあるが、服から覗く素肌や膨らんだ胸元に向けられる異性からの視線の強さや籠められた劣情は、魔術などに頼らなくとも感覚的に理解出来るようになっている。

 そのおかげで「負」の感情の籠められた視線にはすっかり敏感になっていた。

 自身が飛鳥だった時に(ゆかり)へ向けた視線にそうしたものがあったとしても、身をもって体感してみるまでは分からない(たぐい)のものらしい。


 呼吸を整えながら数瞬で索敵の魔術を起動させた飛鳥は、建設中の防壁の向こうに意識を飛ばしている。丸く角の取れた石の目立つ川原の工事現場に残っている者がいないかどうか、そして川向こうの平地と森の様子を数十テメル(メートル)の高さから見下ろしていく。

 陽が落ちてきているといっても、魔術的な視覚を使っているためか、餌を求めて動いている動物や風に揺れる草木、地上に突き出た岩などの区別は容易につく。


 半夜行性の猪に似たヴィリシや土で汚れた毛皮のキツネかイタチのような動物、子供の頭ほどもある丸っこいネズミかウサギのような動物が木々の間を走り回っているのも見えた。

 野生のヤギのようなイェートがまだ草を()んでいる様子さえ、暗視カメラの映像のようにはっきりと見えた。日暮れが近い今は灰色の濃淡だけだが、日中ならばカラー映像で見ることが出来る。


 橋から百五十テメルほどまではそんな普段と変わりない辺境の郊外の光景だったが、そこから先の藪と複雑に重なった木々の奥までは肉眼では見通せない。

 索敵の魔術をさらに遠くへ飛ばし、違和感を感じる方向へと意識を飛ばす。

 監視しながら心の中で三十も数えた頃、それは見つかった。


「これは――」


 五名ほどの成人男性が藪や木陰に潜み、投石用の紐や投槍器のような棒を握り締めている。身の丈ほどもある大弓は行動の邪魔になるのか、少し離れた場所で補助や監視要員らしい三名の軽装の男も森の前後左右を警戒し、獣の接近を防いでいた。


「姫様、何かありましたか?」


 荷車の縁に腰掛けた飛鳥へ膝掛けを広げていたハンネが小声で尋ねる。

 周囲は駐屯の団員と撤収し始めた町の者たちがごった返して賑やかなままだが、アスカ姫がいることで就けられた護衛が十名、防壁の工事現場に警護でついてきた十名、夜間の現場警備に残される者が十二名残っていた。

 熟練の魔術師も両手の指に少し足らない程度は居り、何かあれば十分以上の防衛力になる。


「ハンネ、こちらの指揮は現在誰が()っていますか?」


 目を閉じて索敵の魔術を維持したまま飛鳥が尋ねた。瞼を開けても問題はないのだろうが、集中を切らさないためにはその方が良いのだろう。人は視覚から多くの情報を取り入れているが、それに誘導されたり惑わされることも多い。

 森に潜む八人の様子を記憶しながらアスカ姫の記憶を探り、過剰攻撃にならない範囲の拘束魔術を脳裏に列挙していく。

 仕掛けるには早いが、準備をしておくことは悪いことではない。


「対岸の森に武器を持った者が複数います。遠距離用の武装をしているので、単純な斥候でもないようです。赤獅子の槍(レイオーネ・ケイハス)の標準装備でもありませんし、ロヴァーニの町にいる他の傭兵団の方たちでもないと思います。

 今の段階では野盗か敵対的な勢力なのか判断がつきません。魔術で拘束出来るならしますが、捕縛にも尋問にも人手は必要ですので呼んでください」


「分かりました、すぐに――レーア、ヨエル副長を急いで呼んでもらえる? それと警護の半数をこちらへ。駐屯の者は私がこちらへ呼びます」


 すぐに走り出したレーアとハンネの足音を聞きながら、索敵の魔術で意識を飛ばした場所を基点に魔力の膜をごく薄く、放射状に広げていく。

 木々の配置、森を徘徊する獣たちの位置、(かげ)に潜む者たちの魔力の量がイメージとして脳裏に並べられている。


 八人のうち一人だけ魔力量が他の男たちより多い者がいるが、現在の団の魔術師に比べたらかなり低く、せいぜい平民の持つ魔力量の二、三倍程度だ。

 短槍と投槍器を持った者が四人、投石器らしいものを持った者が二人、短杖と短弓を持った者がそれぞれ一人。近接戦用に剣も()いているようだが、この人数なら直接的な脅威ではない。

 偵察か嫌がらせの要員と見て間違いないだろう。


「お待たせしました、姫様」


「こちらも戻りました」


 ハンネの軽いショートブーツの足音に加え、滑り止めの(びょう)を仕込んだレーアの足音も戻ってくる。

 飛鳥は目を閉じたまま、現場を指揮している者に声をかけた。


「魔術の行使中なので目を閉じたままで失礼しますね。防壁の対岸側の森の中に、ロヴァーニを監視している者が八名います。投槍や投石器などで武装している者が七名、杖を持った魔術師が一名です。

 おそらくは偵察隊か斥候の類でしょうが、貴方の知る範囲で団から派遣している方は対岸に残っていますか?」


「いえ、いません。団長や部隊長からは巡回要員を二班出していると聞いていますが、五名体制で橋を架ける前に撤収済みです。巡回の者は剣と短剣だけの軽装ですから、槍や投石器のような遠距離戦用の武装は持ち歩きませんし」


 撤収の指揮を執っていたヨエルは直立不動の姿勢で即答する。

 彼は古参の団員の一人であり、アスカの出自を詳しく知らされている立場でもあるのだ。自分の話している相手が超大国の姫君であることは十分に理解している。


「捕縛と尋問は必要ですか?」


「――出来ましたら背後関係は調べたいです。撤収の護衛と駐屯の班から一班ずつ人員を捻出します。残りの者でもう一度橋を()けて、すぐに出発しますので」


「捕縛だけならすぐに実行しますから、回収要員と移送用の荷車の準備だけお願いしますね。今晩はここに留めて、明日回収するのも出来ると思いますが……詳しくはお任せします」


 目を(つむ)ったまま微笑んだ飛鳥は左手を握って胸元に当て、意識を集中する。

 そのまま森の中の男たちの周囲にある草や(つた)、足元の腐葉土、樹木の根が手足に絡みついて行くイメージを魔力と共に伝えていった。

 索敵の魔術の視界には、そのイメージ通りに捕らわれていく姿が映っている。


 同時に大声を上げて助けを求められても困るので、男たちから二十テメルほど離れた辺りに寒暖差のある空気の層を三つ作り、その外側に密度の高い空気の壁を二重に作り上げた。

 それぞれにごく薄い真空の層を挟んでいるから、余程の声量で叫ばない限り増援の者まで届くことはないだろう。

 音を妨げる魔術の効果時間はそれほど長くないが、それでも自然に消滅するまで四半時ほどは維持できる。


 体格の良い屈強な男二人が蔦を引き千切って逃げようとしていたが、三歩も歩き出さないうちに今度は足元の土が足に纏わりつき、そのままラグビーボールを引き伸ばしたような楕円体となり、動きそのものを阻害する重石になっていた。

 倒れ込んで着いた手の先もすぐに土に覆われ、硬く重い岩へと変化していく。


 男たちは力を振り絞って何とか胴体だけでも起こそうとしているようだが、魔術の発動時に指定した重さは片足で五十ヘルカト(キログラム)、片手だけでも三十ヘルカトもある。大相撲の幕内力士が一人()し掛かっているようなものだ。


「捕縛は完了です。回収と尋問はお任せしても良いですか? その後の扱いと判断は現場指揮官である貴方と団長にお任せします」


「ありがとうございます、姫様。直ちに護衛から一班と当直から一班を出します。

 当直の残りの者は急いで巻き上げた橋を降ろしてくれ。町の者を護衛するのは二班だけで頼む。捕縛した者は明日本部に回収してもらうから、当直班の待機場所から少し離して杭を立てておいて欲しい」


「せっかく巻き上げたのに、もう一回降ろすんですか?」


「このまま朝まで森の中に放っておいたら、夜の間に獣の餌になって奴らの背後関係とか聞けなくなるだろ。姫様が捕縛して下さったんだ、回収に向かうぞ。縄は多めに持って行け」


 巻き上げ機に向かう団員を()かしたヨエルは、目を開けて簡単な地図を書いて寄越したアスカ姫に一礼すると荷車の前から慌てて離れていく。

 回収要員を編成し、駐屯する予定人員を全て動員して十分ほどで橋を降ろした彼らは、二頭の角犀馬と一緒に薄暗さを増した森へ向かって行った。


「姫様、回収はヨエル副長に任せて戻りましょう。あまり遅くなると団長以下幹部が心配しますので」


 レーアがそう進言したが、飛鳥は小さく首を振る。


「追加の仕事を頼んでしまったのは(わたくし)です。結果の報告を受けるまで動くわけにはいかないでしょう。

 それに長い時間待つわけではありませんから」


「ですが……」


「大丈夫ですよ、レーア。メインの肉料理のソースの作り方は、まだダニエにも教えていませんから待っていてくれるはずです。材料は揃っていても、作るのは焼くのと平行で進めないと冷めて美味しくないですし」


 赤くなったレーアに微笑んで見せた飛鳥は、荷台から降りて橋の(たもと)まで歩くと、その場で直径三十センチ(テセ)ほどの光球を二つ呼び出す。

 防壁側の袂の両端、高さ二テメル半ほどに浮かべると、比較的遠くからも帰還位置が分かるようになっている。


「後は戻ってくるのを待ちましょう。近くにいるのは斥候だけのようですし、戦力差もあります。魔術で捕縛してあるから、私の魔力を超える者でなければ解除して逃げられないでしょう」


「姫様の魔力を上回ることが出来るなんて、リージュール直系の王族でもなければ無理ですよ……」


 飛鳥の言葉に苦笑するハンネは駐屯する班の野営地に魔術の灯りを点し、篝火の補強をしていた。

 基礎魔力だけで一都市の平民全体を凌駕する魔法王国の王族と、地方の貴族領で雇われた魔術師では天と地ほどの差が存在する。

 半年ほど直接教授を受けていたアニエラや、王都との往復の間も地道な訓練を続けていたハンネでも差は埋められない。アスカ姫の魔力量の二十分の一にも達していれば、この大陸では魔法戦において敵がいなくなるのだから。


「冗談はさておき――斥候から二ミール(キロ)ほど離れた辺りに三十人ほど待機している者がいるようですね。情報を持ち帰ることが出来なければ動きもあるでしょうけど、今晩は動けないはずです。

 斥候が何時までも戻らないのに気づいて何らかの行動を起こすなら、早くとも明日の朝以降でしょう。危険な夜の森を移動するほど愚かではないと思いますし」


 春以降の狩りの獲物を見る限り熊や虎のような猛獣は実物を見ていないが、夜の森に近似種の獣がいるらしいことは情報として聞いていた。

 辺境のロヴァーニ近郊でも夜間に旅人が襲われたことがあるらしく、それらを避けるためには火を焚いて集団で夜を過ごすか、背丈以上の樹に登って休む他に取れる手段はないらしい。


「対岸から二百テメルも離れていませんから、すぐに戻ってくるでしょう。出発の準備だけ滞りなく進めておいて下さい。新人の皆さんには回復薬を飲み過ぎないように伝えて――」


「ああ、新人の魔術師たちなら慣れない肉体労働でぐったりしてます。回復薬も作業中に使い切ったようですよ。全員荷車に乗ったのは確認していますが、本部に着くまでは大人しくしているでしょう」


 もう一台の荷車を見遣ったクァトリが苦笑いしている。

 ハンネの妹のクリスタもギブアップ組の方らしい。


「食後にもう一講義、アニエラの薬草学の授業があるんですけどね――」


 同じく苦笑いしたハンネが短杖を腰に戻す。

 話しながら魔術を起動していたのか、彼女の拳ほどの大きさの灯りが当直の者が動く敷地の四隅に浮かんでいた。

 籠められた魔力量から、明日の夜明け頃まではこのまま維持できるはずだ。


「ああ、もう戻って来たようです。角犀馬の蹄の音が聞こえますから」


 レーアが背伸びして橋の向こうの薄闇を見つめている。

 急速に日が暮れているので姿ははっきりしないが、わずかにずれて聞こえる足音は二頭分の角犀馬の足音に違いない。


「ヨエル副長の帰還と橋の巻き上げを確認したら、姫様はすぐに出発して下さい。新人たちの荷車は本来の警護の班に任せます。

 ハンネは姫様と一緒に荷車で出発、レーアは角犀馬で護衛を。あたしはヨエルや当直の者と打ち合わせをしたらすぐに後を追うから先に行って」


「いや、クァトリも一緒に出発してもらって良い。打ち合わせなら今すぐに出来るだろう。どうせ敵さんが何か仕掛けてくるにしても夜が明けてからだ」


 当直の一人が支度を終えたのか、天幕を張った場所から歩み寄って来る。

 先ほど橋を巻き上げる時に見張りを務めた男のようだ。


「護衛の分散はしないのが鉄則だ。カッレの部隊から追加の報告も来ているし、後の対応はヨエル副長と打ち合わせておく。ヨエル副長からの報告も上がるだろうし、クァトリも一緒に帰還して良いぜ」


「しかし、イント……」


「お前さんの最優先任務は姫様の護衛だろうが。順番を間違えるな」


「――分かった。任せるよ」


「もうヨエルも戻って来るし、新人を連れて出発しても大丈夫だぜ。捕縛した奴らにはさっき向こう岸で見つけた苦草でも噛ませて転がしておくさ」


 イントと呼ばれた男が天幕の脇に積まれた草の束を指差す。

 根っこごと引っこ抜かれた先には落花生のような小さな(こぶ)が数十個も付いており、つんと鼻に来る匂いを発している。

 バニラか胡椒のような強い匂いだが、何とも判別が付かない。


「初めて見る草ですが、苦いんですか?」


 興味を引かれた飛鳥が尋ねると、イントは小さく頷いて見せた。


「苦いですぜ。葉を噛むと青臭くて苦い汁が出るし、根っこに付いている豆みたいなのを水に浸したり茹でると黒い汁が出て来るんで。

 身体に害は無いんですが苦味が強いんで、捕虜の尋問の時によく使われる嫌がらせみたいなもんです」


「夏場の市場では見ませんでしたが……」


「こいつは秋になってから採れる草です。森のあちこちに生えてるんですが、苦味以外役に立たないんで放置されてますからね。研究用に持って行ってみますか?」


 無造作に積み上げられている草は水洗いされた後なのか、乾いた木の板の上に並べられて草の部分と根の部分に分けられている。

 匂いが強いのは根の部分のようだ。


「尋問に使うのは草と根のどちらですか?」


「草の方ですね。根の方は茹でると水が固まるので、洗って土を落とす時以外は乾燥させたままです。茹でると黒っぽい水が出来て、ぷるぷると固まって臭うので捕虜が自死出来ないように口に突っ込んだりもしますが。

 毒を吐かせる効果もあるんですが、たまにしか使いません」


 酷い使い方ではあるが、斥候や偵察要員から情報を引き出す前に自決されては堪らない。現代社会のような(いびつ)で小うるさい人権問題なども存在しない世界では、当たり前に使われる手段である。

 口に含んだ毒を吐き出させる役割もあり、安価で合法的な手段ともいえる。


(わたくし)の旅してきた地域では見かけなかったものなので、調べてはみたいですね。それと――この匂いが、知っている香辛料のそれを強くしたような感じですし」


 乾きかけている根の部分から漂っているのは、バニラエッセンスを数倍きつくしたような匂いだ。加工のやり方次第では使い様が生まれるかも知れない。

 菓子や香料にも使えるし、こちらの世界で広く知られていないなら新しい交易品にもなるはずだ。


「草を二本と根の部分を五束頂いても大丈夫ですか?」


「それくらいならすぐに用意します。本部で留守番してるアニエラの嬢ちゃんも欲しがりますかね?」


「おそらくは。今夜は彼女に薬草学の講義もしてもらいますし」


「なら実物も持たせた方が良いか。よしレーア、苦草を運ぶの手伝え。姫様の荷車に少し載せるぞ」


 有無を言わさず駆り出されたレーアが飛鳥に視線を向けるが、小さく頷き返すと諦めたように動き始める。

 ほんの数分で草の部分が五本、根の部分が二十本ばかり揃えられ、空になった木箱の中に詰められた。草の部分は乾燥しないように湿らせた布で巻かれ、陶器の壷に入れられている。


 そのやり取りの間にヨエルたちの角犀馬と回収に向かった数人が橋を渡り、防壁内に帰って来ていた。そりのような板の上に乗せられた八人の男は板を噛まされるか口に草を突っ込まれ、苦々しい表情を見せている。


「後の尋問と橋の巻き上げは俺たちがやっておきますんで、姫様たちは本部に帰還してくださいよ。ここから先はあまり人様に見せられたもんじゃねぇんで」


 イントはそう言うと当直の者たちを集め、橋の巻き上げの作業に向かった。

 入れ替わりにやってきたヨエルは板状のそりを引いて野営地に近づいてくる。

 灯りの範囲外でそりを止めたのは、アスカ姫の傍へ外敵を近づけないための配慮なのだろう。


「捕縛は完了しました。手足の(おもり)があるので動けないとは思いますが、このまま野営地に預けて尋問してもらいます。

 我々はイントと打ち合わせしてから本部に戻りますので、姫様たちは先に帰還して下さい。クァトリ、レーア、護衛を頼むぞ」


 頷く二人に(うなが)され、飛鳥もパウラの牽く荷車に乗せられる。

 出発の準備をしたまま待機していただけなので、求められるまま橋の袂の灯りを消してしまえば、レーアとクァトリの騎乗を待って出発するだけだ。

 橋の巻き上げはここに残る人員だけでも出来る。

 姫が荷台から手を振る荷車を見送ると、野営地に静けさが戻ってきた。



 橋はもう完全に上がり切り、遠い山の()に沈みかけた夕陽の残照が辺境の森と防壁の内側に色濃く影を落とす。

 揺れる篝火が地面の凹凸を怪しく照らし、その先に縛られたまま転がされた斥候を仄かに照らしている。


「で、こいつらの尋問はすぐやれるんだろ? 苦草の準備も出来ているようだし」


「もちろんだ。静寂の魔術具も団長から借りてきているし、姫様たちを帰したから多少血生臭いことになっても誰も気にしねぇさ。

 ご丁寧に一見どこの所属か分からないようにしてるみてぇだが、俺らにとっちゃ関係ねぇんだわ。苦草で早いところ吐いちまった方が楽だと思えるような尋問をしてやるから、覚悟しておきな」


 イントは先ほどまでアスカ姫に見せていた表情とは違う、冷酷さと残忍さを滲ませた凄惨な笑みを暗闇に向ける。

 元野盗上がりの彼は、赤獅子の槍(レイオーネ・ケイハス)に吸収された盗賊のうち副長のスヴェンが見出して引き入れた暗部を担当する一人だ。

 他にも数人本部や各部隊に潜ませているが、団内の監査や裏切りの事前察知と排除、団員個人や取引先の信用調査、捕虜の尋問や拷問、処分に関わることもある。


 ここ最近は急激に増えた新規の取引先に関する調査と監査が多く、敵対的な勢力の捕虜に対する尋問は久しぶりに担当が回ってきた。

 血の気が多過ぎる訳ではないが、こうした仕事には適正というものがある。


「んで、所属領地と動員した規模と配置の情報くらいあればとりあえずは足りるのかね? 斥候風情が細かな侵攻計画まで知ってるとは思わねぇんだが」


「だろうな。こっちもそこまでは期待しちゃいないさ。手前ぇらの欲深さから来る不始末と無能無策のせいで領地の経営がうまく行ってねぇからといって、辺境の町の収穫を略奪しようと企てる無能貴族に雇われたんだ。

 雇い主と自分の将来を見通せない無能仲間には、持ってる情報を全て吐き出させるくらいしか価値は無いからな」


「武装して偵察に来たってことは、戦闘も覚悟して来たってことだろ。なら――捕縛された後のことも覚悟は出来てるんだよな?」


 にやりと笑ったイントの背後では、焚き火で真っ赤に赤熱した金属の棒や先端が焼かれた細剣がこれ見よがしに置かれ、団員の一人が温度を確認するように木のコップから水滴を飛ばしてチュイン、ジュバッと短く甲高い音を立てていた。

 男たちは板を噛まされるか苦草を口に突っ込まれており、手足はアスカ姫の魔術で身動きが取れないようにされている。


「じゃあ依頼の優先順位が高いところから済ませていくか。スヴェン副長の命令だと、殺さなきゃ何をしても良かったんだよな?」


「手足の一本ずつくらいなら問題ない。姫様の目に触れなければ『処理』しても構わないそうだからな。部隊の副長の俺が聞かされているくらいだから、団内の情報統制はされているだろう。

 クァトリやレーアたちも知らされていないはずだから、お前さんに任せる」


「了解だ。任せときな」


 イントが()べていた金属の棒の根本に布を巻き、一本抜き取って地面に転がされたままの男の髪に近づけた。

 途端に焦げ臭い嫌な匂いが辺りに漂い、融けた髪の先がちりちりと縮れていく。


「さて、お楽しみの時間だ。お前さんらが知ってる限りの情報を素直に話すなら良し、強情を張って話さないなら――夜明けまでに双月の御許(みもと)に送ってやるよ」


 篝火の影を映し込んだ横顔が、縛られた男たちの目の前で嬉しそうに歪む。


 昇り始めた双月は静かに地上を照らすだけで、その下で繰り広げられる凄惨な光景をただそのまま見つめていた。


 その後、日暮れから一刻ほどは捕縛された男たちの命乞いと救いの声を求める声、そして苦鳴の声が止むことは無く、得るべき情報を得られたヨエルは魔術具の灯りを持って悠々とロヴァーニの町へと帰還していった。





 翌朝から始まる半日ほどの辺境での抗争が、ロヴァーニが独立した都市として成立していく戦いの序盤戦となっていく。


 町への帰途にあった飛鳥が荷車の上から双月を見上げる。


 歌舞伎座の前で幼馴染の恋人を庇って兇刃に倒れ、この世界でアスカ姫として意識を得てから約半年。

 少女が本来持っていた運命か、あるいは飛鳥が少女の身体を得て動いたことで改変された運命なのか、何かがゆっくりと動き始めていた。


まだ結構忙しいので色々大変ですが、月内に最低もう一回更新出来たら良いな……

応援やら感想やらあるとより頑張れるかも。やはりモチベーションは大事です。酒も飲みたい。

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