96 召喚契約
九十六
「では早速、契約じゃ!」
了承を得られた事で気分が最高潮に達したミラは、勢い良く右手をサンクティアに向けて【召喚スキル:契約の刻印】を発動した。召喚契約の際に使用するクラス専用の初期スキルだ。
ミラは暖かな光を纏う右手を、そっとサンクティアに近づけていく。それを遠くから緊張の面持ちで見守るワーズランベールとアンルティーネ。
サンクティアはといえば、両手を胸の前で組んでキス待ち顔であった。
ミラの手がサンクティアの額に触れる。
召喚の契約は、両者がそれを望まなければ成立しない。
つまり相手が拒めば契約は不成立となり、手を包む光は瞬く間に霧散する。そして、この現象は契約不可の相手でも同じものとなる。
サンクティアの額に触れて暫く、ミラの手を包む契約の光は消えなかった。それは輝きを増して膨れ上がり、無数の閃光となって礼拝堂を縦横無尽に奔り回る。まるで、ライトショーのように。
「おお、これ程輝くのは初めてじゃ!」
ミラは興奮気味にそう声を上げて眩しさに目を細める。
契約時の反応は、相手によって様々だ。それも能力によって大きな違いが出る傾向にあるのだが、今回の反応はミラの経験の中でもとびきりだった。
「これが召喚契約の光、ですか」
ワーズランベールは、どこか興味深げにその光景を見つめていた。
やがて光は徐々に収束し、ミラとサンクティアを囲うよう地面に魔法陣を描き出す。そして次の瞬間、その魔法陣が飛び散り光の粒子となって、ミラの掌に吸い込まれていった。
「ま、まだかな?」
頬を赤く染めながら、ぷるぷる唇を震わせるサンクティア。目を瞑っているため、何が起きたか気づいていないようだ。
「成功じゃー!」
「ふぇ!?」
そんなサンクティアを放置して、契約完了に喜ぶミラは、右手を高々と振り上げて叫んだ。その声にビクリと肩を震わせたサンクティアは、様子を窺うように薄らと目を開けた。
「聖剣の武具精霊。これは期待が高まるのぅ!」
新たな術の習得で完全に悦に入ったミラは、気の昂るままに召喚地点を目視して、早速とばかりに術を行使する。
【召喚術:サンクティア】
発動と同時に浮かびあがった白く輝く魔法陣。それは収束するように細く捻じれて途端に弾け、極彩色の欠片を撒き散らす。そしてそこからミラの新たなる力が姿を現した。
「何……じゃと……」
それは、乾いた金属音を響かせて床に転がった。聖剣の武具精霊という事で、ダークナイトやホーリナイトの上位互換のようなものが出てくると予想していたミラは、呆然とした様子でそれを拾い上げる。
召喚されたものは、一本の剣であった。しかも良く見れば聖剣と瓜二つである。だが聖剣本体は、サンクティアの足元に横たわっているので、聖剣そのものを召喚したという事でもなさそうだ。ならば、これはなんなのだろうか。
「どういう事じゃ?」
興奮の絶頂から一転、予想を完全に裏切られたミラは、剣を手にぶら下げたままサンクティアに理由を求める。
「わたしに聞かれても、ちょっと……」
妖刀の類に憑かれたのではと疑いたくなるようなミラの様相に、若干引き気味で答えるサンクティア。
「わしは剣など使えぬしのぅ……」
ため息交じりに呟いたミラは、どうしたものかと剣を見つめた。
(まあ、習得したばかりじゃからな。使い続ければ、騎士に成長するという可能性もあるやもしれぬ)
そう考えたミラであったが、問題はどう成長させるかだ。
剣である以上、持って戦うのだろうが、ミラは剣術の心得がない。しかも術士であるため、十全に扱う事も出来ないのだ。
「ふむ……試してみるか」
だが、何かと経験を積んだミラは、一つの妙案を思いつく。そして、それを実験するべくダークナイトを召喚する。
三人の精霊が固唾を呑んで遠巻きに見守る中、ミラは黒騎士に黒の大剣を手放させて、代わりに召喚した剣を持たせてみた。
(ふむ、ちと剣が小さく見えるが、まあいいじゃろう)
黒騎士は、しっかりと剣を握っている。それを確認したミラは、試しに一つの剣技を命じた。
指示を受けた黒騎士は、礼拝堂の中ほどまで躍り出て剣を振るう。振り上げて振り下ろすという単純な型から繰り出された剣撃は、まるで鈴のように透き通る音を響かせ、軌跡は虹のように輝いた。
「これは素晴らしいのぅ!」
得物の違いによる体幹のぶれもなく鋭い剣筋で、しかも特別と思わせる残響と残光。やはり聖剣の武具精霊は一味違うと感動してミラが声を上げた直後。
軌跡の虹が、爆ぜた。
強烈な光を放ち、甲高い破裂音を響かせたのだ。
「何じゃ今のは!?」
眩まされた目をどうにか開いて、ミラはサンクティアに振り返り問いかける。
「今の、聖剣の力の一つだ! 空間に私の魔力を共鳴させて、どかーんって出来るんだよ!」
召喚した剣は、本家と同じ力を持っていたようだ。それをどこか誇らしげに説明したサンクティアは「召喚術ってこんな事が出来るんだ」と嬉しそうに笑う。
「ほう、聖剣のか。それは凄いのぅ!」
聖剣に秘められた特殊な力。それに多大な関心を持ったミラは、ダークナイトに駆け寄って剣を受け取り、上段に構えた。
「せぃっ!」
ミラは気合一発、掛け声とともに剣を振り下ろす。すると剣は無音のまま重力に引かれ、カツンと床にぶつかった。当然、虹も出ず、爆ぜもしなかった。
その剣は、ミラの腕力でまともに振れるものではないのだ。
「……」
これはどういうことだと、無言のままサンクティアに顔を向けるミラ。
「えっと……一応私って聖剣だから。ね。誰にでも使えるってわけじゃないから。ほら、ミラさんは召喚術士でしょ。しょうがないよね、ね?」
そう当然の事をまくしたて、自分は一切悪くないと主張するサンクティア。
「ふむ……。なにはともあれ、新しい術というのは嬉しいものじゃな」
サンクティアの説得の効果か、それとも渋々か、表情を和らげたミラは召喚した剣を感慨深げに見つめる。
「私の初めて、大切にしてね」
召喚された剣を、まるで我が子のように見つめるサンクティアは、顔を赤らめながらそう言った。
「使い勝手が良かったらのぅ」
ため息をつきながら剣を送還したミラは「さて」と呟き、にやりと微笑みながらワーズランベールに歩み寄っていく。
「確かお主、静寂の精霊というておったな」
「ええ、そうです……が」
ワーズランベールは、ミラの表情から自分に標的が移ったのだと理解し苦笑する。
「静寂の精霊というのには初対面なのじゃがな。原初精霊という認識で良いのか?」
「はい。合ってます」
原初精霊とは、自然界で暮らす自然精霊達の中で、主に現象や元素を司る精霊の事だ。
それを確認したミラは、ワーズランベールを見上げ、より笑みを深くする。
「先程、出来る事なら何でもするというてたな。ならば」
「はい、私の力をミラさんが望むのならば」
静寂の精霊は目と鼻の先まで迫ったミラの目を真っ直ぐ見つめ返し、そう答えた。
「うむ。わしはお主を望むぞ」
ワーズランベールの返答に心の底から頷き返したミラは、徐に手を伸ばして相手の額に触れる。
小さな光が瞬いた。契約の光だ。それから間もなくして現れた魔法陣は、そのまま溶けるように消えていった。
「ふむ、完了じゃが、随分と地味じゃったな」
サンクティアの時と違い静寂の精霊との契約は、その名を表すかのように静かで大人しいものであった。
「ええ、私もそう思います……」
先程の光が飛び交う契約を見ていたワーズランベールは、その差に落ち込みつつ同意する。
「これから頼むぞ」
それでも確かな契約の手応えを感じたミラは、手を差し出して満足げに微笑んだ。
「はい、こちらこそ」
静寂を司っているからか何かと、こういった扱いに慣れていたワーズランベールは、即座に気を取り直しミラの手を握り返す。
「にしても、契約で繋がり分かったが、お主上級精霊じゃったのか」
「ええ、一応」
契約した際に、まるで忘れていた夢を思い出すかのように、ミラの脳裏に静寂の精霊を喚ぶ言葉が浮かんでいた。
上級の術を使用するために詠唱は必須だ。上級の術というのはすなわち人の枠を超える術であり、詠唱というのは、自身の魔力を上の段階に昇華させる儀式のようなものであるのだ。カッコ付けという理由では断じてない。
「して、静寂と聞いても大雑把過ぎて分からんのじゃが。結局お主はどのような力をもっておるのじゃ?」
ミラが興味津々にそう訊くと、静寂の精霊は寂しそうな表情で「分かりづらいですよねぇ」とうな垂れる。
「すごいけど、存在も力も地味だよね」
後ろでそう言って笑うサンクティアを一睨みしたワーズランベールは「説明しますね」と続けて、自らの能力を語った。
静寂の精霊の力。まず、その名の通り、どのような状況下でも静寂を作り出す事が出来るという。
しかもその力は音だけでなく、光と、魔にまで及ぶという事だ。
詳しく聞けば、一切の音を消し、姿を隠し、魔力や気配といった特殊な知覚にも感知されなくなるという能力らしい。
つまり静寂の精霊の力は、完璧な隠遁の能力というものだった。
「ほぅ……」
説明を聞き終わり考え込むミラ。
「やっぱり地味ですよね……」
なんともいえないその様子に、再び落ち込みかけたワーズランベール。だがミラは、そんな彼を見て破顔する。
「素晴らしいではないか。静寂というから音だけかと思うたが、とんだ万能振りじゃな!」
静寂の精霊の能力の利用方法をあれこれ考えたミラ。そしてその有用性は抜群だと思い至り、想像以上にいい拾い物をしたと狂喜した。
「そうですか? 良かったです」
そんなミラにつられるようにして、ワーズランベールも嬉しそうに表情を綻ばせた。
それからミラは、そのままもう一人の精霊に視線を向ける。その視線を受けたアンルティーネは、緊張の面持ちで身構えた。
「これにて騒動は一件落着じゃな。元の場所に帰してもらってもよいかのぅ?」
礼拝堂は、湖の中にある洞窟を通った先にある。そこを行き来するには、水の精霊であるアンルティーネの力が必要だ。なのでミラは、そう頼んだ。
「私も契約を迫られる流れかと思いました」
どこか肩透かしを受けたような様子のアンルティーネ。
「水の精霊はもうおるからのぅ」
ミラがそう答えれば、アンルティーネは「そういう事でしたか」と納得しつつも、ほっとしたような、でも残念なような、そんな気持ちを抱くのだった。
「助けてくれて、本当にありがとうね」
「なに、これも何かの縁じゃ」
湖中に繋がる洞窟の前でサンクティアにお別れのハグをされたミラは、頬にごりごりと当たる胸部装甲に顔を顰めながらも、彼女のその笑顔に満足して答えた。
それから、移動時のお姫様抱っこ云々で一悶着ありつつも、ミラは湖上に戻ってくる。
「これは……どういう事じゃ」
森の木々に囲まれた湖の上空。そこには星ではない、だが星のように煌く光が、満天の夜空を塗りつぶすほど無数に、まるで大河のように流れていたのだ。
「あれは、渡り蛍ですね。この時期になると、あのように北に向かって飛んでいくんです」
「なるほどのぅ。なんとも幻想的な光景じゃな」
本来ならば既に寝入っていた時間であり、目にするはずのなかったその光を見つめたミラは、思わぬ幸運に微笑んだ。
「にしても、良く寝ておるのぅ。ここまで近づいても気づかれぬとは、おぬしの力は大したものじゃな」
輝く夜景を十分に堪能したミラは、ワゴンの御者台で寄りかかるように眠っているアーロンの前を通り、ワゴンの上で寄り添うサソリとヘビの寝顔を覗き込んでから、全く気づかない三人の様子に驚き賞賛の声をあげる。
「この程度なら眠っていても出来ますよ」
そう言いながらワーズランベールは、盛大にワゴンの扉を開く。
「頼もしい限りじゃな」
これだけ大きな変化に熟練者のアーロンですら反応を見せない。ミラは、実際目の当たりにしたその力に舌を巻いた。
「では、ミラさん。またいつか」
「うむ、他の二人にもよろしくのぅ」
「はい。伝えておきます」
ワーズランベールはそう言って扉を閉める。そして今一度振り返ると、深く一礼してから湖に帰っていった。
ミラは精霊の二人を見送ったあと汚れた服を脱いでから布団に潜り込む。それから暫くして、深夜を回った遅い時間に寝息をたて始めるのだった。
定期的に更新できる幸せ。




