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90 天秤の城塞 三層目

キメラクローゼンの精鋭を捕らえるという五十鈴連盟の任務のため、天秤の城塞を訪れたミラ達。

迷路となっている一層目を抜け、二層目ではレギオンレイス討伐。

そして、順調に三層目へ到着した。


その、続きです。

九十


 ミラ達は、階段を上がりきった直ぐの広場で簡単な休憩をとっていた。

 跪かせたダークナイトの脚を椅子代わりに腰かけるミラは、ミックスベリーオレを片手に一息つく。アーロンはどかりと地面に腰を下ろし、水筒を傾けると喉を鳴らして水を飲んだ。

 天秤の城塞攻略経験者は、まだ随分と余裕がある様子だ。

 対して初めてのサソリとヘビは、あっちこっちとしきりに見回しながら、落ち着きなく軽食を口にしていた。


「俺も最初は驚いたが、全くの無害だ。そう警戒するな」


 空になった水筒を逆さまにして振りながら、アーロンがヒドゥンの二人に声をかける。


「実は魔物が紛れ込んでる、なんて事ないよね?」


「なんだか、不気味」


 サソリはビスケットを左手に、短剣を右手に持ったまま目を細めて辺り一帯に視線を巡らせる。ヘビはといえば、ゴーレムの足元に潜り込み鉄壁の構えだ。


「魔物はおろかレギオンレイスですら、ここまで逃げ切れば帰っていくようだからな。余程、ここに仕掛けられた迷いの結界は強力だという事だろう」


 当時の自分の心境を二人に重ねたアーロンは、僅かな笑みを浮かべながら周囲に視線を向ける。そこには、判で押したようにのっぺりとした表情で走り回る、抜き身の剣を手にした騎士達が居た。

 それは魔物達との決戦があった古い時代に用いられた精霊術の名残であり、侵入した魔物を撹乱するための幻影であった。


「結界かぁ。聞いてはいたけど、やっぱり落ち着かないっ」


 サソリは言い終わると同時に、幻影の一つに円盤を投げつける。小さな風切り音と共に幻影に吸い込まれていった円盤は、騎士の足元をすり抜けると灰色の石床に弾かれて甲高い音を響かせた。


「な、大丈夫だろ」


 幾度と繰り返す残響を聞き流しながら、アーロンは口端を吊り上げる。


「みたい、だけど。早く行こ!」


 フロアにかけられた精霊術は非常に高度で、攻撃を加えた相手に対して、幻影騎士が恐ろしい表情で剣を向けるように出来ていた。幻影であるため、物理的な害は一切ないが、その迫力たるやダークロードに負けず劣らずで、サソリは尻尾を逆立てながら急き立てる。

 そんなサソリの姿に、ミラもまた初攻略時の事を思い出しつつ立ち上がり、遠すぎる天井に目を向けた。



 天秤の城塞三階層目。そこは三階から八階までが吹き抜けの立体迷路となっていた。縦横無尽に伸びる無数の階段は蜘蛛の巣のように絡み合い、時に分岐して空間全域に張り巡らされていた。

 無秩序に入り組む階段が幾度と交差するフロアの中心には、大きな正方形の部屋があり、小塔のような柱がそれを支えている。

 立体になった分、平面であった今までと違い迷い易さは段違いだろう。


「この階段を上りきったら、左の下り階段を突き当りまで真っ直ぐ。途中、屈折あり」


 ヘビは複雑怪奇な三階層目の見取り図を解読しながら、正規ルートを辿る。

 階段を上るのは疲れると黒騎士の肩に腰かけたミラは、両足を胸の前に寄せさせた黒い腕に乗せて、お嬢様の如く堂々とふんぞり返っていた。

 アーロンはヘビの僅か後方に並び立ち、見取り図を覗き込んではその難解さに眉根を寄せている。

 サソリはといえば、すれ違う度に敵対行動を見せる幻影騎士相手に若干涙目になっていたものの、それで尻尾を丸める事はなく、口を真一文字に結んで睨み返す。するとその都度背筋が伸びていき、今では尻尾をゆらゆらと揺らしながら幻影騎士に手を振り返していた。

 慣れてしまえばどうという事はない幻影騎士だが、天秤の城塞の防衛機構はそれだけではない。階段や中空のところどころに光と空間を屈折させる結界が張り巡らされており、一歩踏み入れればどこをどう進んでいるのか把握出来なくなる構造になっているのだ。

 見上げれば騎士の幻影が階段を上下に駆け巡り、それどころか上下逆さまの者までいる始末で、まるでだまし絵の中にでも入ってしまったのではと錯覚してしまう光景であった。

 この三階層目が、天秤の城塞のメインといっても過言ではないだろう。余りの徹底ぶりからか、魔物はこの階層には出現せず足を踏み入れる事も決してなかった。

 初見ならばこれ程厄介な場所はないだろうが、そこは既に多くの先駆者が踏破したダンジョンだ。数歩先を進んでいたはずのヘビが突然消えたり、かと思えばそこに居たりと、視覚情報を狂わせる様々な事が起こる立体迷路でも、今では見取り図で進路を確認して進んで行けば何の問題もない場所となっている。

 そうして幾度と確認を繰り返し階段を、回廊を、大きな正方形の部屋を通過したミラ達は途中で立ち止まり、上も下もあべこべな下方を覗き込んでいた。


「見取り図だと、ここがそのはず」


 現在地点と見取り図を何度も見比べ結論するも、どこか自信なさそうにヘビが言う。


「やっぱ見ただけじゃ分からねぇな」


 アーロンは階段の下を睨みながら眉根を寄せる。


「見覚えはあるのじゃが、絶対とは言いきれぬからのぅ」


 ゲーム時代でも頻繁に来るような場所ではないため、三階層目の幻覚ほどではないにしろ、曖昧な記憶を思い返すミラ。

 今居る場所は、これまで通ってきた道中と変わらぬ階段のただ中であり、正規ルートでみれば全体の二割程度まで進んだ辺りだった。


「降りてみれば分かるんじゃない?」


 階段の縁に屈み下方を覗き込んだサソリは、鏡に映ったかのように覗き返してくる自分の姿に手を振りながらそう口にする。


「ほぅ、頼もしいのぅ」


「流石だな」


「よろしく」


 どうしたものかと決めかねていた三人は、ここぞとばかりにサソリの発言を支持し、当然とばかりにその役割に推挙する。

 ミラ達の足元。結界による光と空間の屈折で分かり辛いが、網の目のように張り巡らされた階段は、場所によっては飛び下りる事で大きく道程を短縮できるのだ。

 三階層目は、正規ルートで進むと丸一日はかかる長大な迷路となっている。もし一日かけて悠長に攻略していたら、短縮ルートを使ったキメラクローゼンに先を越されるという事もありえる。いつ現れるか分からない相手である以上、最速最短で目的地に到着し、準備万端で待ち構えるのが得策だろう。

 ゆえに、短縮出来る場所は全て利用する予定であった。

 三人の期待に満ちた視線に、サソリは自身の失言に気付き口端を引き攣らせる。

 短縮ルートは見取り図に記載されているが、如何せん視覚情報が頼りにならない。図を読み解いたヘビは、間違いないはずだと思いながらも、どこか踏み出せないでいた。

 アーロンはといえば、攻略経験はあるが、その時は時間をかけて正規ルートを進んでいる。なので短縮ルートに関しては経験がなく、階段下を睨むばかりだ。

 そして唯一経験のあるミラだが、天秤の城塞のややこしさからか、攻略してから随分と時間が経っているからか、そのどちらもであるか。記憶は絶対にここだとは言いきれない程度に薄まっていた。


「光はダメでも、声は届く。降りたら周囲の状況を知らせて」


 ヘビは何度も見取り図で確認してから、ここで間違いないはずだと太鼓判を押すようにサソリに頷いてみせる。


「あい……」


 既にサソリが先遣隊と決定した流れで話が進んでいた。当事者はヘビの声を聞きながら、覗き返してくる自分の姿と一緒に苦笑する。


「じゃあ行ってくる!」


 だが、そうとなれば決断は早く、サソリは「とりゃー!」という掛け声を残して階段から飛び下りた。まるで鏡に吸い込まれていくようなその姿を見送った三人は、静かに耳を澄ませる。


『うわっ、意外と近い! もうっ、逆にびっくりした。びっくりした!』


 誰も見えない下の方から、そんな独り言がミラ達のもとに届いた。


「一先ず、問題はなさそうだな」


 アーロンは顔を上げると肩を竦めて言う。ミラも前傾姿勢から身を戻して「そのようじゃな」と答えつつ黒騎士に座り直す。


「状況、報告」


 ヘビは僅かに安心したような表情を浮べるも即座に気持ちを切り替え、そうサソリに向けて声を発した。


『おおっ、見えないのに声がする。なにこれ変なのー』


「早く」


『はーい。えっと、着地した場所は踊り場だね。結構近かったよ。で、下に続く階段と、折り返して上に続く階段がある。上の方は途中で二つに分岐してるね。どう、合ってる?』


 飛び降りた先の状況がサソリの説明で明らかになる。その情報と見取り図の記載を照らし合わせたヘビは、安堵したように肩を下げ、間違いないと頷いた。


「正解のようだぞ。これから飛び下りるから、サソリの嬢ちゃんは離れていてくれ!」


『わかったー』


 アーロンがそう声をかけると、直ぐにサソリの返事が戻ってきた。それを聞いて数秒待つと、早速とばかりにアーロンが飛び降りる。続けてヘビも一歩踏み込むようにして階段下に消えていった。


(賑やかな攻略じゃのぅ)


 天秤の城塞の三階層目からとなると一人でしか攻略した事のないミラは、愉快そうに口端を吊り上げ微笑んで、黒騎士と共に階段から飛び下りた。



「最初は、上に進んで分岐を右」


 ショートカットして降り立った踊り場で、ヘビは手早く進行方向を確認して歩き出す。


「これでどのくらい短縮できたんだ?」


「約六時間」


「ほー、そんなにか」


 言いながらアーロンは、ヘビの後を追い見取り図を覗き込む。


「それなら、直ぐに到着出来そうだね」


 見て見ぬふり。アーロンとヘビの態度からそれを察したサソリは、演技じみた声色で言うと二人のあとに続く。

 踊り場のただ中。そこには、自身の尻を手で抑えたまま、海老反り気味の体勢で横たわり涙目で悶えるミラが居た。

 それは着地による影響だ。サソリは近いと言っていたが、それでも高低差はある。今回は家の二階程度あり、ちょっと鍛えた者ならば飛び跳ねる事も出来る高さだろう。

 実際に飛び回っていたサソリはともかく、立派に鍛え抜かれた肉体のアーロンや、相応の訓練を積んだヘビも問題はない。仙術士の技能を持つミラも当然、高低差の影響は軽微であるはずだった。

 問題があったのは、ミラが腰かけていた黒騎士である。人の形をしてはいるが、人ではあからさまに不可能な挙動を平然とやってのけるそれは、着地の際に膝を曲げて衝撃を吸収するという動作を必要としない。その結果、肩に腰かけていたミラの尻に全ての衝撃が直撃したのだ。

 心配しながらも、余りにも間抜けなミラのその姿に慰めの言葉が思い浮かばない三人は、悶絶する少女に背を向け、知らぬ存ぜぬで通す事に決める。



 踊り場から階段を上り分岐路を右に行って暫く。ゆっくりとゆっくりと階段を上っていた三人に、復活したミラがこっそり合流した。


「この先、短縮できる場所はあと二つ」


「夕飯前には着けそうだな」


 ヘビが見取り図を広げると、アーロンは便乗するようにその手元を覗き込みながら言う。それは何もなかった事にして、冒険の続きに戻るための演技だ。ヘビは元より感情を余り表情に出さないため、その所作に違和感はない。動きはぎこちないが、アーロンもその役割を良くこなした。


「ソうダね。ごはんタノシミダなー」


 問題は、サソリだ。演技に関して、彼女は素人どころではなかった。その、かいわれだいこんよりも貧弱で女優性の欠片もない余りにも残念なセリフは、小芝居をする原因となったミラの事など彼方へと吹き飛ばす程に、壊滅的であった。

 だがサソリの自信に満ちた表情は、役割をきっちりとこなせたと確信しているものである。

 とはいえミラもまた、三人が気を使い見て見ぬふりをしているのだという事には気づいているようだ。


「よし、行くか」


「うむ、そうじゃな」


「この先、真っ直ぐ行って左」


 沈黙は、ほんの僅か。暗黙の了解の内にこの件もまた何もなかった事にして歩き出す。


「ヘビはすっゴイ、りょうりジょうずなんだヨー」


 笑顔だけは満点で演技を続けるサソリ。


「あー、それは、楽しみじゃのぅ……」


 無意識に傷口を広げていくその姿に、ミラは苦笑を隠しながら返事をした。アーロンとヘビは振り返らぬまま、それが使命であるかの如く見取り図を睨み続ける。



 サソリの大根役者ぶりが露見してから約四時間。二つ目の短縮地点を難なく越えたミラ達は、小休止を挟みつつ順調に進み続け、三つ目の短縮地点に到着していた。


「ここが最後。見取り図だとこの先は、最上層手前、大階段の広場」


 上下合わせて六つの分岐が交わる踊り場で、ヘビは唯一階段のない一辺に立ち、ここだと示す。


「ほー、あの場所に繋がっているのか」


 過去に一度、この場所を攻略した事のあるアーロンは、丸一日かけて到達した当時の光景を思い出しながら、もう慣れた足取りで踊り場から飛び下りた。


「やっと終わりかぁ。早くご飯にしたいよぉ」


「さっきからそればっかり」


 演技はともかく腹ペコであるのは本当なようで、サソリは急かすように言う。そんなサソリに、ヘビは呆れ気味に溜息を吐いてみせるも「カレーでいいよね?」と一言返してから、踊り場の縁より踏み出す。


「大好き!」


 サソリは尻尾をぴんと立てると喜色満面で飛び出し、短縮地点を越えていった。

 ミラもまたそのあとに続くべく、黒騎士の肩から地面に降り立つ。そして一歩踏み出したところで、その足を不意に引き戻した。


(そういえば……確かここは、左端が良かった気がしたのぅ)


 攻略当時の微かな記憶を思い出したミラは、皆が飛んだ場所から左の方に目一杯ずれてから飛び下りる。

 光を屈折させる結界を抜ければ、眼下には広大な広間が姿を現す。ミラはそれをちらりと視界に入れた直後、円形の足場に着地した。続けて黒騎士が鈍い金属音を響かせて背後に降り立つ。

 天秤の城塞の最上層に続く大階段の手前には、最終防衛ラインとなる決戦場が広がっている。全体が石造りの広間で、あちらこちらに激戦を物語る傷跡が深く刻まれていた。

 そこには魔物の侵攻を阻み迎撃するための防衛塔が無数に建てられ、所々から朽ちたバリスタがその身を覗かせている。

 決戦場は、どこもかしこも崩れていたり欠けていたりしているが、みすぼらしさは微塵もなかった。かつて、死力を尽くし戦った戦士達の勇姿が浮かび上がるかのような、壮絶な光景だ。

 ミラは防衛塔の内の一つの天辺に立っていた。その塔は十メートル弱程の高さで見晴らしが良く、先に下りていった三人の姿もまた良く見えた。

 アーロンは中腰の姿勢で冷や汗を垂らしながら何かに耐えている様子だ。サソリは「びっくりしたー!」と言いながら足踏みを繰り返し、ヘビはといえば、アーロンと同じような姿勢のまま口を結んで少しだけ涙ぐんでいた。

 最後の短縮地点。そこは前二つと比べ、地面との距離が三倍はあり、落下ダメージは免れない高さがあった。だが唯一、ミラが飛んだ地点からならば、防衛塔の天辺に着地出来るので安全に下りられるのだ。

 ミラは、若干苦笑気味に塔の螺旋階段を下って三人と合流する。


「あー……。思い出したのは飛ぶ直前じゃった」


 不自然な姿勢で、まるでその場に打ちつけたかのように動かないアーロンとヘビ。ミラは、そんな二人の何かを訴えるような視線から、言い訳と共にゆっくりと顔を逸らして、大階段の先を見つめるのだった。

二巻の発売日が発表されました。

詳しくは、こちら!

http://micromagazine.net/gcn/pupil/#info


よろしくお願いしますー。

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