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68 小悪魔

六十八



「まあ、一層目ならばこんなものか。上に行くにしたがい魔物も強くなっていくようだからな。油断せずに行くぞ」


「問題は無い。何が来ても斬り伏せるのみ」


 ギルベルトは投擲した矢を回収しながら声を掛け、当然といった具合にハインリヒが答える。

 空への階段というダンジョンは十層に分かれており、その層が上がるほど魔物の強さもまた上がっていく所である。一層目では、それこそCランクかDランク程度だが、最上階になると通行証の発行に必要なBランク相当の魔物が出現するようになるのだ。


「まあ、ミラさんの実力は想像以上だったな。今回のダンジョンは、随分と楽に行けそうだ。召喚術というのは、すごいものだな」


 軽く血を拭き取った矢を筒に収めながら、ギルベルトはそう純粋に感じた事を口にする。その程度の言葉であった。だがミラは、雷にでも打ち据えられたように硬直し、ぱちくりと大きく瞬きを繰り返すと、字の如く飛ぶようにギルベルトに迫る。


「今、何と言ったんじゃ!? もう一度、もう一度言ってくれぬか!」


「な……なんだ一体。ミラさんの実力は想像以上、か?」


 頭一つ以上低い少女が、まるで初めての観覧車を見上げるような期待に満ちた瞳を真っ直ぐに向けてくる。ギルベルトは何事かと身を逸らしながらも、一つ前に言った自分の言葉を繰り返す。

 だが、ミラが求めている言葉はそれではない。訴えるように握り拳をつくり、更に食いついていく。


「最後じゃ、最後! 何と言った!?」


「最後? んーむ、召喚術はすごいな、か?」


「それじゃー!」


 大正解と、これまでにない大輪の花を思わせるような笑顔を咲かせ、ミラは「そうじゃろう、そうじゃろう」と繰り返す。念願の召喚術が認められた瞬間であった。


「なんだか分からんが、先を急ごう。空を飛んだお陰で早く着けたが、予定より遅れているようだからな」


 そう言って坂を上り始めるギルベルト。二人は、あの講義のせいだろうと内心で思っていたが、言葉には出さずその後に続くのだった。


 一層目のフロアの奥、そこにはまたも高くへと落ちていくような階段が、石壁を割って姿を現す。

 また長い長い、階段を上るという作業の始まりである。誰ともなく、溜息が漏れた。

 ミラは、返り血に塗れたダークナイトを送還すると、新品の黒騎士を召喚してその肩へ飛び乗る。

 二人と一体は、途中で掻き消えるように見えるほど遠くまで伸びる階段の一段目へと足を踏み出した。




 ミラ以外にも、ギルベルトとハインリヒの実力は確かなもので、二層目三層目と危なげなく抜け、四層目に待ち構えていた大型の魔物も、振り上げた腕はギルベルトに射抜かれ踏み込んだ足はハインリヒに切り裂かれ、怒気を孕んで雄叫びをあげる喉はダークナイトに貫かれた。

 戦闘よりも、階段を進む方が圧倒的に時間が掛かっている状態である。


「これで四層目まで攻略完了だな。どうにか遅れを取り戻す事が出来たか。では、予定通り五層目で夜を明かす事にしよう」


 ギルベルトは、ハインリヒと共に大型の魔物を腑分けしながら時刻を確認してそう予定を告げる。

 ダンジョンである空への階段は、揺らめく青い光のみが燈るだけの為、長くその場にいれば時間の感覚が曖昧になってしまう。

 手際良く捌かれていく大型の魔物を目の端に留めながら、ミラはメニューを開くと、時刻は午後八時を示していた。


「この辺りの肉が美味そうであるな」


「脇腹か。確かに良い色合いだ」


 ここまでの道中で蹴散らした魔物の多くは、特に解体する事もせず放置してきていた。単純に大した素材にはならないのと、時間短縮の為だ。だが、大型の魔物は違う。牛のような、ファンタジーでいうミノタウロスに近い魔物であり、その肉もまた食材として冒険者達に好まれている。

 戦闘直前、ギルベルトの「今日の晩飯はこれで決まりだな」という言葉に、ミラは、この世界の住人は逞しい、とそんな感想を抱いたりもした。


「さて、行くか」


 ギルベルトは魔物の肉を大きな風呂敷のような布で包み込むと、操者の腕輪のアイテムボックスを利用して格納する。見事に解体された魔物は小骨だけを残して、床に転がっている。現場は正に完全犯罪である。

 主犯の三人は振り返る事もなく、景気の良い笑い声を残して五層目へと続く階段を上って行った。


 四層目を後にして約三十分ほど。ミラ達は五層目へと辿り着く。そこは今までのフロアとは違い随分と狭い。中央には石柱が立っており、その頂点に赤く爛々とした炎が燈されていた。ぽかりと別世界のように浮かび上がるそこは、旅人を出迎える暖炉のように暖かく、橙に染まったフロアは、魔物の潜む隙間も存在しない。僅かに耳を傾ければ囁くような水の声が反響して聞えるだけだ。

 空への階段の五層目は、安全な休憩地点となっていた。


「よし、問題なく五層目に到着したな。今日はここで休むぞ」


 ギルベルトは石柱の傍に腰を下ろすと、野宿用の道具一式をアイテムボックスから取り出していく。主に調理道具だ。


「なかなかに重労働であったな。一日でこれだけの階段を上がったのは初めてである」


 体力自慢のハインリヒも流石に疲れきっているようで、佩びた刀を外すと早々にどかりと坐り込んでは、そのまま仰向けになる。


「なんじゃ、情けないのぅ。わしは、ちと尻が痛い程度じゃぞ」


 ミラは口角をにっと吊り上げ、黒騎士の肩からハインリヒの傍へと飛び降りる。

 それは当然だ、と抗議の声を上げようとしたハインリヒだったが、直後、縫いつけたように口を結ぶ。

 彼が見上げた先に、重力の楔から解き放たれて大きく開かれた不可侵の境界のその奥に広がる聖域から、一片の穢れも無い究極の白が瞬きのように映ったのだ。

 ハインリヒは人の言葉をどれだけ連ねても言い表す事の出来ない絶景を前に、浮かんだ言葉は冷静と情欲の狭間へと沈没して途端に掻き消えた。


「どうしたんじゃ?」


 ダークナイトを送還したミラは、どこか落ち着き無く起き上がって背筋を伸ばすハインリヒの姿に首を傾げる。それに対して、ハインリヒは「何でもない」を繰り返し、見えない虫でも追いかけるように視線を彷徨わせた後、逃げるように「ギルベルトの手伝いをしてくる」と言い足早に去って行った。

 数分後、料理の腕前に全く信用の無かったハインリヒは水汲みしかやる事は無く、数回往復しただけでそれも終わり、所在無げにまた坐り込む。


「どうにも態度がおかしいのぅ。怒っているのか? 不満があるならば言ってくれねば分からぬ」


 そんなハインリヒの元へ歩み寄り正面に胡坐をかくミラ。そのまま真っ直ぐ、むしろ睨みつけるように視線を向ける。

 まるで射抜かれるような錯覚を覚えたハインリヒは、とうとう観念すると頭を下げて心の内を白状した。


「すまぬ、ミラ殿。先ほどミラ殿が黒い騎士より飛び降りた際、その……であるな……、下着を、見てしまったのだ。申し訳ない!」


 それは見事な土下座だった。しかも鎧兜を纏っているだけあって、むしろ堂といったものすら感じられるほどの土下座である。

 ミラは、その想定外の言葉に呆けると、自身の下腹部へと顔を向けて膝上のミニスカートに分類されるであろうワンピースの裾を改めて確認する。そして理解が追いつき一笑した。


「そのような事であったか。別に気にせんでも良い。減るものでもなく、このようなもの見られてどうと言う事でもないのでな」


 言いながら下腹部を掌で打ちたたくミラ。そんなミラの様子にハインリヒの矛先が僅かにずれていく。


「ミラ殿、それは違う。年頃のおなごの下着は、それこそ禁忌。拙者としては、そのように丈の短い衣服は言語道断である。しかし、それは拙者がどうこう言えるものでは無し。ならばせめて、ご自愛なされよと言うのが関の山!」


「あー、うむ……そうか。覚えておこう」


 ミラは元より、下着を見られるという事自体に別段感傷を持っていなかった。更には女性らしさというものを理解していないのだから、その無頓着さは加速する一方だ。ハインリヒの言葉により、その事を自覚するも、それほど重大な事には思えないミラであった。


「すまないな、ミラさん。ハリーは堅物でな」


 その言葉と共にギルベルトが二人の下へと歩み寄る。その表情は明らかに晴れ渡っており、女性に免疫の無いハインリヒの様子を楽しんでいるようだった。


「何を言うか。ミラ殿のように美しければ、よからぬ思いを抱く者も多く居よう。問題が起こってからでは遅いのだ」


「だが、お前も見ただろう。ミラさんの実力は一級品だ。それに冒険者だからな、自分の身を守るくらい問題ないだろう」


「ぬぅ……確かにそうであるが」


 一層目から四層目までの戦闘で、ミラは召喚術士として確かな力を証明していた。召喚されたダークナイトの勇猛は、ハインリヒも思わず奮い立つ程であり、ミラを相手に問題を起こせそうな者を易々と思い浮かべる事は出来なかった。


「さあ、それよりも晩飯だ。そろそろ、丁度良い焼き加減になっている頃だろう」


 そう話を切り上げたギルベルトが石柱の傍を指し示すと、そこには小さな台に備え付けられた七輪に似た筒が、その中央から火気を放ち、鉄串に通された肉塊をちりちりと炙っていた。滲む油が中央に宿る熱源に滴ると、紅蓮の粒となって明滅する。

 見ればそれは確かに食べ頃であった。


「ほう、これはまた美味そうじゃな」


 橙に揺らぐ明かりの中、焼き色が合図のように広がっていく。ミラはその香るような色合いに頬を綻ばせ勢いよく立ち上がる。

 スカートの丈が目線の先にくると、ハインリヒも慌てたように腰を上げては、その堅苦しい顔を更に堅くして溜息を漏らした。




 大型魔物の肉は、そこら辺の肉とは違い、やや硬いが味の方はバツグンで、ギルベルトの作った野菜のスープと良く合った。

 そうして食事を終えた三人は、ミラの振舞ったアップルオレをデザート代わりに、談笑を交わす。主にギルベルトとハインリヒの冒険話だったが、途中でミラの召喚術に関して言及が始まる。


「しかしまあ、おかしなものだな。このご時世、ミラさん程の使い手なら噂くらいは耳にしそうだが、私の知っている召喚術士の噂といえば、ダンブルフの弟子が現れた、というものくらいしか覚えが無い」


 ギルベルトはそう回りくどく言うと、反応を探るように視線だけをミラへと向ける。それは興味が大部分を占めており、残りは学者としての洞察力を試しているようにも見えるものだった。


「ダンブルフといえば九賢者だったか。また偽者ではないのか?」


「それがだな、噂の噂によると、今回は本物らしい気がするんだ。そしてその弟子というのが、可愛いらしい少女だという話でな」


 過去、幾度となく九賢者の弟子を自称する術士が現れた事があった。だが、その誰もがそれらしい片鱗も見せず、気づけば泡のように消え去っている。ハインリヒは、その事を思い出し偽者ではと言ったが、詳しく調べたギルベルトは今までの噂とは違う側面も垣間見ていた。

 噂の中に、有名なギルドであるエカルラートカリヨンや、アルカイト王国の国王ソロモン、そして賢者代行のクレオスとアマラッテといった、錚々たる名が付随してくるのだ。


「そうであったか。しかし、それがどういう……」


 そこまで口にして、ハインリヒも思い至ったのか視線をミラへと向ける。


「噂とは早いのぅ。確かに、それはわしの事じゃな」


 僅かばかりに胸を反らして、少しだけ得意げに言うミラ。ハインリヒは大層驚いたように目を見開き、反射的に少女の全身を確認するとスカートから覗く艶かしい太腿を見ては視線を逃がす。

 ギルベルトはというと、予想が当たった事に対しては特に反応する素振りはなく、それよりもハインリヒの慌てふためいた様子に小さく笑みを噛むのだった。


「最近、流行の人物がこんなところで何をやっているのか気になるが、まあ野暮な事を詮索するのは止めておこうか。どちらにせよ、予定よりも随分と道中が楽になったのは確かだからな。せいぜい、ご機嫌を損なわないように注意するとしよう」


 ギルベルトは、そう言いながら木製の食器を片付け始める。


「本物の賢者の弟子とはまた。あの騎士の実力を見れば、確かに今までの偽物とは比べるまでもないであるな」


 視線をミラの上半身に固定したハインリヒは、戦闘時のダークナイトを思い出しつつそう言った。話による伝聞や実際に目にした弟子を名乗る者達は、どれも術士としては一般的で特筆するところが見られなかった者ばかりであった。

 だが共に戦ったハインリヒは、ミラの召喚術に底知れなさを感じていたのだ。それが今回、ギルベルトの推察を納得して受け入れられた要因でもある。

 するとそんな話の途中、ミラは下腹部にゆっくりと忍び寄る抗いようの無い感覚に身を捩る。


「そういえば、流石に便所は無いか。隅でするしかないのかのぅ」


 そう呟き辺りを見回す。ハインリヒが明らかに沈黙を決め込むと、ギルベルトがフロアの片隅を指差し、


「あの辺りに小川が流れているから、そこでするといい」


 そう言って、その示した方向とは逆に身体を向ける。


「なるほどのぅ。では行ってくる。……覗くでないぞ?」


「そ、その様な事するわけなかろう!」


 即座に反応したハインリヒは、若干上ずった音域の声を上げ顔面を歪めると、両手で顔を覆い隠してギルベルトと同じ方に向き直る。


(やはり、からかい甲斐のある奴じゃのぅ)


 その純情故の反応は他者からは滑稽に映り、ミラとギルベルトは小さく笑いを零した。

 ミラが小川を跨ぐようにして用を足し戻ると、入れ違うように男二人も小川へと向かい用を済ませ、ギルベルトはそのまま上流側で調理器具を洗い始める。

 先に戻ってきたハインリヒは、両足を投げ出して寛ぐミラの姿をちらりと覗き見ては寝床の準備をしだす。といっても、床に転がる小さな石を払っているだけだ。

 洗い物を終えたギルベルトが戻ると、二人はある相談を始めた。


「前回は拙者が先であったな。ミラ殿は抜かす方でよいだろうか?」


「ああ、ここは当初の予定通り、私達の二人で回せばいいだろう。特にお前はミラさんを起こしたまま寝られないだろう?」


 ギルベルトは、カップとコーヒー豆を挽いた粉の入ったビンを取り出し湯を沸かす準備をしながら答える。


「その通りである。では、そうしよう」


「のぅ、何の話じゃ?」


 大きく頷いたハインリヒに、会話の中に自分の名前が出てきたミラは、何の事かと問い掛ける。


「不寝番についての話だ。なに、ミラさんが気にする事はない」


「うむ、拙者たちで番をするのでな」


 それはつまり、寝ている間の無防備な時間を、誰かが起きたまま警戒する。そういった事だ。


(そうか、そんな事も必要になるんじゃな)


 現実という変化をまた一つ知り、ミラは今後も野宿をする事は幾度となくあるだろうとも予想した。だがその時、一人だったら誰が見張るというのだろうか。

 そうした問題点が浮かび上がると同時に、ミラは一つの可能性を導く。


「試しに、こやつに番をさせてみるのはどうじゃろう」


 その言葉と同時、ミラの隣に魔法陣が浮かび上がり、橙に照らされた鎧が悠然と現れた。ホーリーナイトである。ミラの隣でただ意思も無く控える白騎士は、その存在理由を象徴するように大きな塔に似た盾を手にしている。

 ペガサス等の召喚術と違い、武具精霊召喚の特徴として滞在時間というものがある。召喚時の消費マナは、武具精霊を形作る内部マナとして留まり、破壊と再生によりそれが消費され零になると武具精霊は消滅する。それとは別の消滅条件が召喚者による送還と、滞在時間の経過だ。

 この滞在時間というのは、任意に調整する事が出来るようになっている。


「滞在時間を延長しておるので、朝までは余裕でもつはずじゃよ」


「ふーむ、なるほど。しかし黒い方とは随分と気配が違うが、この騎士もやはり強いのであるか?」


 ハインリヒの目からすると、守る事を主体としたホーリーナイトは、些か迫力に欠けるものであった。ギルベルトといえば、そのホーリーナイトの持つ盾に注目しては、感心したように頷く。話で聞いた事があったからだ。召喚術のホーリーナイトの持つ盾は、その大きさが実力を表す物差であると。


「ならば試してみてはどうだ?」


「ふむ、そうじゃな。それは楽しそうじゃ」


 ギルベルトの提案にミラが快諾すると、ハインリヒは楽しげに、武士の気迫に溢れた顔を表に浮かばせて、フロアの中心から離れた所で刀を抜き放つ。


「さあ、試合であるな! 尋常に勝負!」


 双方が位置につくとギルベルトの合図により開始した。



 ホーリーナイトと対峙したハインリヒの剣閃はより冴え渡るも、その絶対防壁に阻まれ、結果、どれだけ手を尽くしてもその防御を抜ける事は叶わなかった。


「賢者の弟子……よもやこれ程とは」


 自慢の剣が悉く無効化されて意気消沈に坐り込むハインリヒ。確かに終始において攻めながら、その一撃も通らないとなれば無理もないだろう。

 だが、ミラの目には違って映っていた。防御に特化し鉄壁を誇るホーリーナイトだが、もちろん守る事しか出来ないというわけではない。確かな攻撃手段を持っている。しかし、ハインリヒの余りの猛攻に防御に徹さざるを得なかったのだ。


「落ち込む事ではないぞ。わしのホーリーナイトをここまで防戦一方に封じたのじゃ。立派なもんじゃよ」


 ハインリヒの背後から、空気の抜けた風船のようにしょんぼりと縮こまった肩に手をおいて、まるで子を宥める親のように、ミラは和やかな表情で語り掛ける。

 無骨な鎧の上からでも、沁みこむように感じる少女の温もりに高揚すると、その岩石のような顔を溶岩のように赤く溶かして、


「そ、そうであったか?」


「うむ、素晴らしい剣の冴えであった」


「そうか、そうかそうか!」


 声を上げては自信を取り戻し上機嫌にその目は天を仰ぐハインリヒ。ギルベルトは、ミラという少女に褒められて満更でもなさそうな友人の姿に苦笑していた。


「拙者の剣をあれだけ防げたのだ、問題なく番を任せられるであろうな」


 得意満面に白騎士を見上げるハインリヒ。つい先刻までの消沈した気配は微塵も掻き消え、今は無骨な笑顔を浮かべている。


「まあ、確に。そうと決まれば、早く寝るとしよう。明日は日が沈む前には天上廃都だ」


 ギルベルトはそう言い革の鎧を外し矢筒を置くと、寝袋を取り出してその場に広げた。その隣では、ハインリヒも同じように鎧兜を脱いで刀をそこに添え、石を払った地面に寝袋を広げる。

 それを見ていたミラは、ふとシルバーサイド駅での出来事を思い出した。

 商人風の男に、新商品の寝袋を貰った事をだ。


(早速、役に立つ時が来たようじゃな)


 少し嵩張る大きさな為、ミラは少し離れた位置でその寝袋を取り出す。その広い面積を塞ぐ寝袋が地面に降り立つと、扇がれるように空気が舞い上がり男二人の背を撫でた。

 五層目は折り返しの中継地点となっており、階上より落ちてくる棘のようにひんやりとした気流は、そのまま隣の階段へと流れ込んでいく為、フロアの中央までは届かない。

 大人しく暖かみのある空間に、忘れかけていた空気の流れが起こった。ギルベルトとハインリヒは、自然とその方へと顔を向ける。そして、明らかに場違いな物体を目にして持ち主であろうミラへと視線を移した。


「ミラ殿、これはなんであろうか?」


 一歩二歩と近づいて、ハインリヒが興味深げに屈み見る。

 堂々とその場に横たわる寝袋は、一畳ほど大きさがあり表は青い布で覆われている。ミラもそうだったように、一見ではそれが何か判断するのは難しいだろう。


「これは、わしの寝袋じゃ。まあ、使うのは初めてなんじゃがな」


「なんと、これが寝袋とは。まったくそうは見えんな」


 そう言いながらも、興味が刺激されたのか食い入るように眺めては表面に触れてみるハインリヒ。


「わしも最初はそう思ったわい。冒険者用品を扱う……なんとか商会と名乗る者から貰ってのぅ。なんでも、今度発売する新商品という話じゃ」


 少し自慢げに話すミラだったが、肝心の商会の名前を忘れていた。だが、その言葉を受けてギルベルトが少し思考を巡らせれば、この世界の常識にも近い商会の名が浮かび上がる。


「ふむ、冒険者用品を扱う商会の新商品か。それはディノワール商会か?」


「おお、そうじゃそうじゃ。そんな名じゃったな」


 言われれば思い出す、そんな宙吊りに近い記憶を引き上げたミラは、受け取った名刺をウエストポーチから取り出してみせた。それをギルベルトも興味を持ったのか覗き込む。


「セドリック・ディノワール。ディノワール商会の御曹司様か。また面白い相手と知り合っているんだな。となると、これは試供品みたいなものか」


「それはなんとも、羨ましいであるな。触ってみてもよいか?」


 名刺を前に、感心したように声を上げるギルベルトの脇から、快適な眠りというものに敏感なハインリヒは、無邪気そうに声を弾ませ迫る。


「うむ、構わんぞ」


 今までの武人気質から随分と逸れたハインリヒだったが、どこか愛嬌のあるその様子に優しく微笑みかけて快諾するミラ。

 そしてミラの了承を得たハインリヒは、地面に接触する寝袋の裏を返したり表面を撫でたり、じっくりと吟味するように確認する。発売前の新商品に触れられる機会など早々無く、寝具に拘るハインリヒの興味は尽きない。


「表面は驚くほどすべすべであるな。とても良い手触りだ。それに驚くほど軽い」


「そうじゃろう。まだ新品じゃからな」


「中はどうなっているのだろうか?」


 そう言っては、許可を求めるようにミラの顔を向ける。


「見てみれば良い」


「ありがたい。……と、どうすればいいんだ?」


 触れた限り袋状であることは分かったが、その開き方が分からないハインリヒは、眉間に皺を寄せてミラへと確認をする。

 ミラは少しだけ前へ上体を向けると、その指で寝袋の隙間を示す。


「そこの割れ目から開くんじゃよ。試してみると良い」


「おお、ここか。どれどれ」


 ミラに言われたとおり、ハインリヒは隙間に指を入れると、そこにあった突起を抓んでスライドさせた。すると、分断されるように青い布が捲れ上がり、寝袋としての真の姿が現れる。


「ほほー、こうなっているのであったか。中も温かくて、そしてとても柔かい。これは心地良さそうだ」


「そうじゃろうそうじゃろう。ああ、新品じゃからな、余り乱暴にするでないぞ」


 はしゃぐハインリヒの姿に、ミラは少々何かを含むように頬を膨らませると、どこか意地悪っぽく微笑みを湛えた。


「もちろんだ。無茶はしない。おお、結構深いんだな。これならば拙者でも問題なさそうだ」


「そんなに広げて。主は強引じゃのぅ」


 寝袋の口を広げ、奥行きを確認していたハインリヒに、そう声を掛けては口元を歪めるミラ。

 そんな二人を眺めていたギルベルトだったが、一つ大きな溜息を漏らすと、


「ミラさん、そろそろ勘弁してやってくれ。ハリーは鈍感だからな、全く気付かないだろう」


 そう二人のやり取りに口を挟んだ。


「ふーむ、せっかく調子の出てきたところじゃったが、まあ十分に楽しめたし良いじゃろう」


 ミラがそう言いながら、真剣な表情で吟味を続ける鈍感男を一瞥すると、気付いたのかハインリヒが顔を上げる。


「ん、どうかしたのか?」


「ああ、さっきのお前の会話だが、色々とギリギリだったぞ」


 半ば呆れたように忠告するギルベルト。ハインリヒは、その言葉を受けて暫し黙り込むも、その表情を険しくするだけで真相には辿り着けずに終わる。

 そんな姿にもまた、ミラは無邪気そうな笑顔を浮かべるのだった。


 ハインリヒは、朝起きたら寝心地を聞かせてくれと頼み自分の寝袋に潜る。

 ミラは、コートを脱ぐと枕元に置いてその身を柔らかな毛布の中へと滑り込ませた。身を包む起毛は母に抱かれているかのように心地良い。

 やがて、ミラとハインリヒが寝息を立て始めると、ギルベルトは見守るように佇む白騎士を見上げて信頼できる事を確認してから、ゆっくりと目を閉じた。

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[一言] 「賢者の弟子(略)」は官能小説だった...?
[一言] 最近「Aランク」という単語がよく見られます。 冒険者やモンスターの中でも上位ランク、のような意味合いで使われていると思うのですが、感想としては 「でも、Aランクのハインリヒはホーリーナイトに…
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