64 セドリック・ディノワール
六十四
『大陸鉄道の運行状況をお知らせします。左循環線が、まもなく当駅へ到着いたします。停車時間は、到着から一時間となっておりますのでご注意、ご了承下さい。──繰り返します』
駅弁を購入したミラが一層目へと下ったところで、構内に放送が響き渡った。
「ふむ、そろそろか」
ミラは幕の内弁当の入った紙袋を大切そうに抱えながら案内図を確認すると、放送が繰り返し流れる中をホームへ向けて歩き出す。
同時に冒険者風の者達も、塊となって動き出した。エコノミークラスは自由席な為、良い席は早い者勝ちだからだ。
大理石で造られた幅の広い廊下を進んで行くと、途中で通路が直進と右折の二手に分かれる。
ミラは天井から吊り下げられた木製の案内板を一瞥した後、右折する。
更に進んだ通路の真ん中には、手を繋いだミラ三人分程度の幅がある銀の柱が立っていた。ミラがそこに近づくと柱の一部が開き、そこから拘りの窺える駅員の制服を纏った男性が姿を覗かせた。
「ここから先はファーストクラス専用のホームとなります。切符を確認させて頂いてもよろしいですか?」
男は見た目だけでいえば五十前後の中年だろうか。恰幅が良く、にこやかな笑顔で優しく語りかける。
(もしやこれが改札かのぅ……)
ミラは小さく頷き、ファーストクラスの切符をウエストポーチから取り出して、その内の一枚を渡す。駅員は切符を確認すると、それに専用の印を押してミラに返した。
「車内でも切符の確認がありますので、その際はこの印の押された切符を提示してください。では、よい旅を」
「うむ」
切符にはホログラムのような模様が刻まれており、光の加減でシルバーサイドという文字が浮かび上がる仕様だ。
(凝っておるのぅ)
ミラはそんな切符を興味深く見つめてからウエストポーチに戻す。
改札を抜けた通路の先は、ファーストクラスの待合室だ。革張りのソファーや椅子が用意されており、所々に身なりの整った男女が各々で寛いでいる。鮮やかな木目に囲まれた広い空間は程よく装飾されており、火の無い暖炉が静かに口を開けていた。
ミラは少しだけ偉ぶるように胸を張って、近場のソファーにどかりと腰を下ろす。同時に好奇の視線がその少女に注がれる。
ファーストクラスの待合室に居る面々は、誰もがそれなりの身分であった。貴族の子供と執事や羽振りの良い商人、組織の重役などが揃っており、その誰もが相応の戦力を有した護衛を供にしている。
そこへ現れた少女は幼くも溜息が出るほどに美しく、譬え王族と騙っても半数は信じるだろう存在感を持っていた。だが、傍には執事も侍女も保護者も護衛も誰一人としていないのだ。
流行の装束を纏った、その不可思議な少女に視線が集まるのも仕方が無いだろう。
若干、居心地の悪さを感じながら、ミラは左腕の袖を捲くりメニューを開く。現在は十二時三十七分。時刻を確認し終えると、ついでといった具合にアップルオレを取り出す。
(ぬぅ……数が無くなってきおったな)
事ある毎に口にしていたアップルオレの在庫が底を突き始めていた。
小さな唇を小瓶に当てながら、どこかで買い込もうかと考えていたミラの元へ、一人の男が歩み寄る。
「こんにちは、お嬢さん」
「うむ、こんにちは」
挨拶を返すもミラは訝しげに、その男を一瞥する。大きなカバンを手にしてグレーのコートを羽織っており、見た目は若く長命種の特徴もない事から相応の歳である事が窺える。やや赤味がかった栗色の髪が、深い緑色のチロリアンハットから漏れる。
そして男の背後には、剣を佩びた男女の護衛が控えていた。
ミラは思う、自分のような見目麗しい少女に脈絡も無く声を掛けてくる男は怪しいと。
「突然、申し訳ありません。私は、グリムダートの商会に勤めるセドリックという者です」
「ミラじゃ」
後ろめたい事は何も無いと言わんばかりに自己紹介をするセドリック。ミラは少しだけ警戒を緩め短く答えた。セドリックの背後では、護衛の二人が小さく頭を下げる。背の高く屈強な男は仏頂面のまま佇んでいたが、女の方はミラと目が合うと僅かに微笑んだ。
「して、何用じゃ?」
護衛の二人の力量を確認するとミラは視線を戻し、見上げるようにしてそう問い掛ける。
「先程、操者の腕輪を偶然に拝見させて頂きまして、ミラ様は上級冒険者とお見受けします。ファーストクラスを利用する冒険者の方というのは珍しく、つい声を掛けてしまいました。いやはや、気になると聞きたくなる、私の悪い癖でございます」
「ふーむ、そういうものなのか」
「ええ、上級冒険者でファーストクラスに乗るのは、事情のある者や他者との接触を極端に嫌う者ばかりでして」
「それで、わしの事が気になったと。だが残念じゃな。わしに事情など皆無じゃよ。初めての鉄道旅行でのぅ、少し奮発しただけじゃ」
「それはまた素晴らしい。お金の使い方が分かっていらっしゃる」
ミラの答えにセドリックは声のトーンを半音上げると、コートの中から掌サイズのケースを取り出した。
「私、こういう者でございます」
そう言って差し出された手には一枚のカード。ディノワール商会という団体名と馬と槍の紋章、そして男の名、セドリック・ディノワールの文字がそこにあった。
「ディノワールか……。聞かぬ名じゃな」
カード、つまりは名刺を受け取ったミラは、そこに書かれてある文字を目でなぞると、思った事をそのまま口にする。
「聞いた事がありませんか。これはこれは私とした事が、ついつい自惚れてしまっておりました。実は私共の商会では主に冒険者用の商品を扱っているのですが、貴女のように楽しくお金を使える方ならば、当商会の商品もきっと気に入ってもらえるかと思いまして声を掛けた次第でございます」
「なるほどのぅ。冒険者用か……」
セドリックの言葉で、ミラはエメラ達の利用していた腐臭を緩める臭抗薬を思い出す。現実となった事で需要が生まれた道具というのは、ミラにとって、この世界の大きな変化の一つとして認識されている。
「おや、興味をお持ち頂けましたか。ではあと一押し、お近づきのしるしとして、将来有望なミラ様に我らがディノワール商会の新商品を差し上げましょう」
見せびらかす様にカバンを開いたセドリックは、そこから目を見張るほど大きな何かを取り出した。それは一畳ほどのサイズで、表は青い布で覆われているが、裏は黒く丈夫そうな素材で作られていた。一見すると分厚い板にも見えるが程よく装飾されており、良く見れば袋状になっている。
「これは、なんじゃ? というより、そのカバンはアイテムボックスか?」
確かにそれはカバンから出てきた。だがセドリックは操者の腕輪をしていない為、アイテムボックスは利用できない。だが、アイテムボックスの機能が組み込まれた操者の腕輪は、人の手で作られている。ならば、その技術でカバンを製作する事も容易だろう。
ミラは、目の前で横たわる新商品よりも、その手に持ったカバンの方へと視線を注ぐ。
「ええ、そうです。上級冒険者の方が利用する操者の腕輪の技術を転用したものですよ。まあ、特注品ですのでこれ一つしかありませんが」
「ほぅ、特注品か」
操者の腕輪は、レンタルという形式で冒険者達は利用しているが、その生産コストは相当なものであった。セドリックは、そんな高価な代物をカバンの形にして私物として所持している。とはいえミラは詳しく知らないので、それがどれ程貴重なものなのかには気付かない。
「それよりも、私としてはこちらの新商品に注目して欲しいところです」
「そうであったな。して、これはなんじゃ?」
「これはですね、最新型の寝袋ですよ」
地面に寝そべり堂々と沈黙を保つ新商品。ミラが謎の物体に視線を向けると、セドリックは得々とした表情で切れ目に手を入れる。少しだけ持ち上げて捲り返すと、あっという間に青い板状の物体がベッドのマットのような外見へと変貌した。そこから更に少しだけ手を加えると、枕が形作られる。
「ほぅ……これは何とも面白い」
「興味を持っていただけたようですね。では、詳しく説明いたしましょう」
そうして、セドリックは一月後に発売予定の新商品、上級冒険者専用寝袋の特徴を揚々と語り始めた。
「見て頂いて分かるように、この寝袋は持ち運びに関しては論外です。これ程嵩張るような物を利用する冒険者は居ないでしょう。ですが、先程のようにアイテムボックスを利用すればどうでしょうか。私は、上級冒険者の方々が利用する操者の腕輪に興味を持ちました。このカバンは、その利便性を検証する為に作ったといっても過言ではないでしょう。そして私は、この素晴らしい技術に感銘を受けたのです。これは商売になると」
新たな発想を得たセドリックが行き着いた新商品。それこそが、アイテムボックスの利用を前提とした冒険者用品であった。
生産に関しては、精錬しか覚えの無いミラ。それも人の役に立つという理由ではなく、単純に自分の為に考え行動した結果、偶然に生まれたものである。商人としてのその飽くなき姿勢に、ミラは自然と聞き入っていた。
「私は、様々な伝手を頼り、情報を集めました。冒険者の方々が求めるものは何かと。そして、第一弾として開発したのが、今回の寝袋となります。これは、ミラ様のように有望な冒険者の方の為の商品なのです」
随分と長い前置きを言い終えたセドリックは、ここからが本番だとばかりに商い口を利かせ、新型の寝袋の特徴を列挙していく。
アイテムボックスの容量は重さに左右される為、徹底した軽量化が図られている事。確かに、力は通常の術士程度でしかないミラでも、持ち上げる事が可能であった。
次に清潔感。セドリックは実演を交えて、寝袋をパーツ毎に解体して見せた。こうして個別に洗う事が出来ると。
それから、冒険者から情報を得た事で気付けた、虫除けの加工だ。これは女性冒険者からの声が大きかったという。朝起きると寝袋にグロテスクな虫が居るというのは、確かに心地良いものではないだろう。セドリックは、ディノワール商会で扱っている様々な道具の動力源として使われている魔動筒を利用した虫除け装置を組み込んだのだ。これもまた実演するセドリックだったが、流石に目で見えるものではなく、地味な印象があった。
「私としましては自信作なのですが、大変有望な冒険者のミラ様から見て、この寝袋はどう映りますか」
説明を終えたセドリックは表情を改め、一言一句聞き逃すまいと耳を向ける。対してミラは、そもそも冒険者らしい冒険をした事がないので、苦笑して言い淀む。
「ふーむ、快適そうに思えるが──」
「そうでございましょう! 流石はミラ様。決して期待を裏切らない快適な睡眠をお約束しましょう!」
必要に迫られた事が無いので何とも言えない。そう続けようとしたミラだったが、『快適そう』という単語にいち早く反応したセドリックの歓喜によって、それ以上は紡ぐ事が出来なかった。
だが特に気にした様子も無いミラは、そのまま言葉を飲み込むと、その寝袋の手触りを確かめる。表面は丈夫そうな布で覆われ、隙間から中に手を入れると、柔らかな起毛が手を包み込む。底は弾力があり、安物の寝台よりは確かに上等であろう事が分かる。
「これを本当に貰っても良いのか?」
「勿論です。冒険者の集う中継地点などで使っていただければ、尚よろしいかと」
「なるほどのぅ。そういう魂胆か」
現在、彼は鉄道で大陸を一巡りし、各地の冒険者総合組合を訪ねている最中だった。その目的は新商品の宣伝の為であり、特に有名な冒険者には今度発売されると言い譲って回っていたのだ。
上級冒険者であり、ファーストクラスに乗る程の金遣いが良い見目麗しい少女。これだけ栄える宣伝要員は、早々いないだろう。そういった打算もあってセドリックはミラに声を掛けたのだ。ミラ自身も何となくは感づいたが、特に何か条件をつけられる事も無かった為、そのままありがたく受け取った。
「ディノワール商会では、他にも様々な商品を扱っております。ここで会ったのも何かの縁。ミラ様には是非とも我が商会の誇る商品の数々を手にとって欲しいものです。あ、これ優待券です」
「ぬ……。まあ必要になったら思い出すかもしれんな」
くつくつと笑い合う二人に、護衛の女性は若干頬を引き攣らせていた。
『まもなく左循環線七号車がまいります。ご利用のお客様は、白線を越えないようお願いします』
少し聞き覚えのある放送に続き注意を促すように鐘の音が鳴り響く。その音色はミラの期待感を煽り、セドリックはそんな少女の姿に僅かな笑みをこぼす。
「確かミラ様は鉄道に乗るのは初めてでしたね。一度、到着する瞬間をご覧になってみては如何ですか。私も何度か拝見しましたが、いやはや大迫力でございました」
布教活動を終えたセドリックは、商人としてではなく個人として、純粋に自らの覚えた驚きを経験して欲しいと思いそう言った。
「ほほぅ、そうまで言うのなら見てみようかのぅ」
柔らかく笑顔を浮かべるセドリックと護衛の女性。その様子にミラも興味を惹かれると、
「ではな。寝袋はありがたく使わせてもらおう」
「はい、またお会いしましょう。修理修繕や、虫除け用の魔動筒が切れましたら各店舗でも扱っておりますのでよろしくおねがいしますね」
ミラは急くように手を振り別れの挨拶とすると、待合室の奥の扉からホームへと飛び出していった。
セドリックは、印象的な少女の後姿を見送り、カバンの在庫を確認する。
(つい勢いで譲ってしまいましたが、結果はどうでますかね)
セドリックはこの偶然の出会いに不思議な達成感を覚えながら、更なる新商品の考察を始めるのだった。
まだ列車の到着していないホームへと出たミラは、想像以上の光景に嘆声をもらす。空を覆うアーチは見上げるほど遠く、ファーストクラス用に仕切られたホームの先は断崖のように途切れ、その手前には放送にあった太い白線が黒く塗られた床で一層際立って見えていた。
(なにやら規模が大きすぎる気がするのぅ……)
軍用兵器の倉庫といわれても信じてしまいそうなほど広大な場所である。
記憶にある駅の印象と随分違うその空間に、ミラは違和感を覚えると、来るのは本当に列車なのかと眉根を寄せる。
制服を着た一人の駅員と一緒に列車の到着を待っていると、全体に甲高い鐘の音が轟く。そして呻き声にも似た重厚な地鳴りが空気を伝い、底を這うようにホーム内を覆い始めた。
隣のプレミアムクラスとを隔てる仕切りによりそこから先は見えないが、圧倒的な重圧を持って何かが近づいてくるのをミラは肌で感じた。
力強くもどこか温かい汽笛が遠方から鳴り響く。それから僅かの後、圧縮された空気が噴き出す音と金属の擦れる金切り声と共に、それはホームへと姿を現した。
それは正に、鉄の塊であった。
車体に弾かれた風の膜が逆巻き、ホームを撫でるように通り過ぎる。少女の銀の髪は空風に躍る粉雪のように遊び、目の前で静まる列車と共に乱れなく舞い降りる。
「これが、列車なのか……?」
ホームに到着したそれは大きく仰ぐほど高く、黒い車体がより存在感を主張していた。全体的な形状は蒸気機関車に似ている。先頭には黒い煙突が聳え停車した今でも僅かな蒸気を昇らせていた。だが、その大きさが尋常ではない。それこそ、三階建てのマンションに車輪をつけたようなものだったのだ。
『左循環線、発車は一時間後、十四時丁度となります。乗り遅れのございませんようご注意下さい。繰り返します──』
放送と同時に車体の扉が音を立てて開くと、小奇麗に飾られた少女が飛ぶようにホームへと降り立った。
「あたしが一番ねっ。それでゴードン、次は何に乗るのかしら?」
「はいお嬢様。この街からは馬車で移動でございます」
「また馬車なの!? もううんざりだわ」
きんきんと騒がしく声を上げる少女の傍らにゴードンと呼ばれた白髪紳士の男が従う。彫が深く年季のある皺は、若さとは違った男の魅力に満ちていた。
「あんた何?」
「…………」
「あんたよあんた!」
「ぬ、わしの事か?」
すれ違い際に突然少女がミラを前に声を荒げる。その眉は釣り上がり、僅かに怒気を帯びていた。ミラは、その少女を一目だけ視界に入れる。長い金髪はサイドでロールに巻かれ、フリルがふんだんにあしらわれた衣装を纏っており、如何にも裕福なお嬢様といった立ち姿だ。
「あんた、さっきあたしを見てたでしょ。あたしね、そういうの嫌いなの。止めてくれるかしら」
腕を組んで胸を反らせた姿勢でそう言い放つ金髪少女。ミラは、その言葉に首を傾げる。
(何を言っておるんじゃ……?)
話し掛けられるまで注視した覚えのないミラ。ほんの少し前の記憶を辿り、自分の行動を思い出す。そして心当たりに行き着いた。
「ああ、お主ではない。そちらの者を見ておったんじゃよ。惚れ惚れするほど男前じゃな、と」
ミラは、少女の後ろで控えるゴードンを見ていたのだ。その老い方は理想に近く片眼鏡や着こなし、さり気ない小物のアクセントなど、歳相応の飾り方はまだ若いミラにとって、とても参考になるものであったのだ。
「なっ……なっ……」
「おや、私ですか。貴女のように美しい女性に言われると、何やら気恥ずかしくも嬉しく思います」
目を白黒させる少女を優しく宥めながら、ゴードンはミラに紳士の礼をとり柔らかく微笑んだ。
「気になったのならすまんかったのぅ。ではな」
ミラは小さくお辞儀を返すと、二人の脇をすり抜け乗車する。その際、ゴードンを僅かに包む香りが鼻先を掠め、その完璧ぶりに感嘆する。
(今のは香水かのぅ……。主張しない僅かな香。見事じゃのぅ)
飾るだけでなく、他人も気遣ってこそ紳士。ミラはその事に気付くと同時に、襟元を捲って自分の体臭を確認するように鼻を向ける。
「うーむ、分からぬ」
あちこちと服を捲り鼻を鳴らすミラの姿を、車内で控えていた係員達が気まずそうに見つめていた。
将国のアルタイルの新刊が出てたよ!




