03 「ひどい夢を見ました」
『死ぬな!』
あぁ……また、ですか。また、この夢ですか。
私はもう違う世界の、全く違う血の流れた男なのです。それでも、この夢は、私は、忘れることを許してはくれないのですか。何故、ですか。
私が愚かだからですか。
私が狡いからですか。
私が……彼を縛っているからですか?
何故_____
楽にしてくれないのですか?
****
「……トル様。ヴィクトル様。」
身体を揺すられてやっと意識が浮上しました。目の前には心配そうにこちらを覗き込む侍女。彼女は、幼い頃から私の身の回りを世話してくれた侍女でアリスと言います。
「…ど、したんですか。アリス」
声をはっきりと出したはずなのに始めの方は掠れてしまいました。それにアリスはまだ少し幼さが残る顔を痛々しそうに歪め「しばしお待ちください」と言うと出て行っていまいます。
仕方なく身支度をしようと鏡をつかんで、そこで私は初めて、自分が涙を流していたのだとわかりました。深く澄んだ緑の瞳は泣いたのがはっきりとわかるほど充血して、今も、一雫頬を伝っていきました。
しばらくしてアリスはお父様とお母様を連れて戻って来ました。両親は私が泣いたのを聞いたのか、はたまた私の目がまだ充血しているのかはわかりませんが心配そうにこちらに駆け寄って優しく抱きしめてくれます。お父様、少し痛いです。
「どうしたのですか、ヴィー。何故、泣いていたのです?」
お母様はまるで宝石や国宝に触れるかのように優しく頬に触れて聞きます。お父様は何を言えばいいのか分からない、といった様子で、しかし心配そうにこちらを見ています。
家族の温かさに、どこか前世の懐かしさを感じるの同時に悲しくもなりました。
けれどそれを悟らせぬように、ふんわりと柔らかく微笑みかけて口を開きます。
「母様、父様、少しひどい夢を見ただけです。僕もさきほど鏡を見た時に初めて自分が泣いていたのだと気づきました」
全て、本当です。あれは現実であったことだとしても今は単なる夢。そもそも、泣いてしまうようなところはあったのか分かりませんしね。
10分ほどするとお父様もお母様も自室に戻っていき、アリスは用事があると出ていきました。今は私一人だけです。なので今日も見た夢と私の前世のことについて考えましょうか。
私の前世は女性でデザイナーでした。少し周りよりも貧しかったけれど、父も母も私や兄の誕生日にはケーキとプレゼントを必ず買ってきてくれました。
だからこそ父が高額の治療費が必要な病にかかった時、どうしても救いたかったのです。今まで、溢れんばかりの愛情をくれた両親にはまだ生きていて欲しかったのです。
しかし、現実というのは非情なものでどれだけ熱心に仕事に取り組もうと生活費をも上回る治療費は払えるはずもなかったのでした。
彼と会ったのはそんな時でした。大企業の社長であるエリートの父を持つ彼もエリートでした。
彼は、治療費が払えず困っていた私に『契約』をしないか、と持ちかけました。
・ しばらくの間だけ形だけの婚約者になること
・ 互いのすることに口を出さないこと
・ 私は彼以外と付き合わないこと
・ 彼は私の父の治療費を払うこと
・ お互いにお金は貸し借りではなく、あげたもらった、とすること
その時の私は焦りも感じていたため、たったそれだけかと直ぐに名前を書いたのです。判子も押しました。
明らかにおかしい所があったのに、です。
『私は彼以外と付き合わないこと』。何故、私だけなのでしょうか。何故、彼は私以外と付き合わないと、お互いに自分たち以外の異性と付き合わないとしなかったのでしょうか。
それにも気がつけぬくらいに当時の私は焦っていたのでしょう。それはもう、彼が信用に足る善人だと思い込むくらいには。
「どうしたらいいのですか……」
静かな部屋に私の声が響きました。声が震えていたのは体が冷えたからでしょう。
愛しい人を解放してあげたくても私にはもう、彼のもとへ行くことはできないのです。彼の、幼馴染である私は死んでしまったのですから。今の私は__
「わた、しは…僕はヴィクトル・ベルナードです」
_私は、ヴィクトル・ベルナード。それ以外は何もないのです。愛しい人がいたのも、その人に最低な嘘をついたのも、前世の私の過去であって今の私の過去ではないのですから。
さぁ、今日も生きましょう。この世界以外には__私の居場所はないのですから。
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《ステータス》
ヴィクトル・ベルナード
5歳
Lv 1
HP 3,600
MP 1,800
《称号》
ベルナード公爵家長男 異世界からの転生者 神の愛し子
《状態異常》
衰弱[呪い] 悪夢
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次回は5月2日投稿です。




