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8 アルベルト



「かわいい……」


 ゆりかごに揺られる赤子を見つめ、セラは呟いた。けれど、すぐに首を振る。

 この子は、無理やりに魔王と身体を合わせた末にできた子ども。素直に喜ぶことなどできない。


「うぇ、ふぇあ」


 けれど。

 こうして自分に敵意のない、純粋な眼差しを向ける赤子を、セラは憎むことができなかった。


『……ここにいたのか』


 背後から声がかかる。

 振り向くと、そこには魔王ノアールが佇んでいた。


 魔界に贄として捧げられて約一年半。セラは未だに魔界言葉を習得できていない。

 魔王は覚えようとすれば簡単に覚えられたが、人の言葉を身につける気は毛頭なかった。ここは自分の国。覚える必要性を感じなかったからである。

 けれど、セラは違う。見ず知らず国にきて言葉も通じないというのは厄介なことだった。生きるためなんとか覚えようとしても、魔界言葉はとんでもなく難しい。ちょっとやそっとじゃ理解できないものだった。


 ノアールの言葉を無視して、セラはアルベルトの顔をまたのぞき込む。

 父親が現れ、アルベルトはふにゃりと笑んだ。

 赤みがかった髪以外は、ノアールの容姿を受け継いだと思われるアルベルト。魔族というより、やわらげた顔は天使を彷彿とさせるが、それはセラの胸の内だけに収めることにした。


「ふぇ、ふぎゃああ」


 ふと、アルベルトが大声で泣き出した。

食事は先ほど済ませたし、おしめも替えたばかり。眠たいというわけでもないアルベルトは、セラとノアールの間に流れる雰囲気を察して泣いた。


 ノアールは、セラに無関心。ただ子を産むために魔界へやって来た女で、当初それ以上の感情は持ち合わせていなかった。

 セラは、ノアールを恐れている。悪魔の末裔、人間との力の差は歴然で、人間はいつも魔族にこうべを垂れる立場にあった。


 互いに無情のまま体を重ねた今でも、二人の間には距離があった。どちらも改善しようとは思っていなかったのだ。


『……なぜ、泣きやまない。耳に障る』

「……!?」


 ノアールはあろう事か、泣き続けるアルベルトの頭を片手で鷲掴もうとしていた。


「やめて!」


 セラは慌ててノアールの手を叩き落とす。

「やってしまった」という後悔と、赤子の扱いの雑さに驚愕して言葉もでない。


『……』


 ノアールは、セラに叩き落とされた手を見つめたまま固まっている。

 まさか、いつも大人しくしていた女が、感情を表にするなんて思わなかったから。


「赤子を乱暴に扱うなんて、最低!」


 セラはアルベルトを護るように、小さな体を腕で隠した。

 人間のセラの力など、ノアールからすればアルベルト同様に赤子同然。それでもぎりりと睨みつけるセラに、ノアールは興味が湧いた。


『そなたが怒りを見せるのは、珍しいな』


 どうやらセラが怒った原因が、自分の赤子の扱いにあるのだと理解したノアールは、すっともう一度手のひらをアルベルトに近づける。


「また! 何する、の、?」


 こちらに手を伸ばすノアールに警戒を強めたセラだが、彼の白い手はアルベルトの頬にそっと這わせるだけだった。


『頬が真っ赤だ。もしや、顔がこのように赤いから、赤子なのか』


 ぷっくりと膨れたアルベルトの頬をすりすり触りながら、ノアールがなにか言っている。

 セラにはまったく理解できていなかった。

 けれど、彼が実の子を乱暴に扱おうとしているのではないと分かって安堵する。


『赤子とは、本当に小さいのだな。頭なんて握り潰せそうだ』

「ふぇっ」


 セラの腕の中にいたアルベルトの体が一瞬だけ跳ね上がった。

 ノアールの言葉が分かったのか、力が抜けそうな間抜けな声を発したアルベルトに、ノアールは妙な気分になる。

 なにを思ったのか、セラとアルベルトを交互に見つめ、それを何度も繰り返し、ノアールはぼんやりと言葉を発した。


『私と、そなたの子……アルベルト。そうか、私の子、なのだな』

「?」


 ノアールはぶつぶつと繰り返し言っている。その様子を隣で見ていたセラは若干ひきつつも、ノアールの微弱な表情の変化に気がついた。


(……なに、そんな顔するなんて。まるで、)


『アルベルト。そなたの母は、子どものことになると、まるで人が変わったようだ』


 ぷにぷにと、頬袋を指先で押しながら、ノアールはアルベルトに語りかけている。


(そんな、父親みたいな顔……)


 家族というものを、ノアールは知らなかった。愛というものを、ノアールは注がれたことがなかった。魔族の王は、人の温かさを、知らずして育った。


 ──そんな彼が、初めて見せた父親の顔。

 

 セラの、ノアールへの接し方に迷いが生じ始めた。



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