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魔王城の下っ端たち

セルイラがオーパルディアに帰還する数日前のこと。



 魔王城の使用人たちには、未だ不可解なことがある。

 花嫁候補として魔界にやって来た人間の少女、セルイラ・アルスターについて。

 アルベルトの花嫁候補のひとりであったはずの彼女が、今は魔王の隣に並んでいる。魔王自身がそれを望んでいるからだ。



 魔王城の厨房には、休憩中と思われる魔族の使用人たちが椅子に座って他愛ない話をしていることが多い。休憩室は他にも用意されているが、厨房に居座るのは若い下っ端たちである。

 そして最近の話題は、一律して絞られていた。


『魔王様って、政務と執務以外は塞ぎがちだったのに、最近はよく顔をお出しになるのよね』

『そうそう。この間はアルベルト様とミイシェ様……それにセルイラ様も連れ立って舟遊びをなさっていたわ』

『俺なんか、ケルベロスの檻でも見かけたぜ。その時も、あの人間の女と一緒だったな』

『ちょっと! セルイラ様とお呼びなさいよ! あんたも見たなら分かるでしょ。魔王様ったら、あの方に対する溺愛ぶりが凄いんだから』


 メイドは語る。つい先日、中庭にてノアールとセルイラを遠目に見かけたときのことを。

 風が強かったその日。魔王城周辺は、薄着だと肌寒い気温だった。


 珍しく朝寝坊をしたメイドは、主に食事の支度を担当している。寝坊といっても彼女の就業開始時間には間に合うわけだが、それでもギリギリだったので厨房まで走っていたのだ。


 回廊を走るなんてメイド長に見つかればお叱りものである。

 けれど回廊の清掃はとうに終わっていたようで、周辺には寝坊したメイドのみが早馬のように足を動かしていた。


『そう……お二人は散歩してたの、中庭を。あれはおそらく東棟にある庭へ向かう途中だったのよ』


 メイドが思わず目を奪われたのは、冷えた北風がノアールとセルイラに吹いたときである。

 ノアールは、ぶるっと身震いをしたセルイラの体を優しく自分の胸に引き寄せた。

 そして、身につけていた自分のマントでセルイラごと包み込み、暖を取り始めたのだという。


 驚きながらもはにかんで、お礼を言っていた様子のセルイラ。

 そんなセルイラの頬に指を滑らせ、穏やかに目を細めていたノアール。

 ……完全に二人の世界であった。


『――あっまーい!! もう空気が薄ピンク色だったわ!!』

『魔王様なら、魔法で温度を変えることも可能だというのに、わざわざご自分で暖めようとするなんて……』

『本当にセルイラ様を大切にしているのね。でも、どういうことなの? あの方は元々、アルベルト様の花嫁候補として召喚されたのに。それがどう転がって魔王様に見初められたのかしら』


 メイドたちは口々に疑問を投げかける。

 魔族である彼らからしてみれば、魔王の決定にいちゃもんをつける気はない。

 ただ純粋に不思議に思ったのだ。


『アルベルト様も最近では当たり前のようにお二人と接しているし』


 そう。アルベルト本人も、魔王とセルイラの関係に納得しているような態度だった。

 王女であるミイシェに至っては、セルイラに懐きすぎている。

 花嫁候補のお披露目として催された夜会のときも、長い眠りから目覚めたミイシェは一番にセルイラの近くに寄っていた。

 メルウ副官が言うように、あれは本当に偶然だったのだろうか?


『なあ、下っ端の俺らが難しく考えたってわかるわけなくねえ?』


 主にケルベロスの世話を担当する一人である青年が、肩をすくめてメイドたちに言った。


『そうだよなぁ。古参の中には事情を知っているのもいるみたいだけどさ。そんなことより、魔王城の前より雰囲気が良くなったことのほうが俺にとっては嬉しいね』

『そうそう。魔力の気も重くないし、働きやすい。それにアルベルト様も――』

『そう、アルベルト様よ!』

『アルベルト様!』


 メイドたちは突然、顔を見合わせて色めき立つ。

 彼女たちの目色は、少なからずアルベルトに対する好意のようなものが見て取れた。


『少し前までは、なりふり構わず傍若無人って感じだったのに。今はなんだか……』

『ええ、素敵よね』

『そうそう。変わらず尊大ではあるけど、あきらかに違うの。どこか冷静になられたというか、荒さがなくなったというか』

『お前ら王子様のこと凄い見てるじゃん……』


 メイドたちの言葉に厨房の料理人見習いの青年は、呆れを滲ませた。


『当たり前じゃない! だってあたしたちが仕える方々のことだもの!』

『なーんかお前たちは下心があるように見えるんだよ』


 メイドたちはギクリとする。

 料理人見習いの青年が言うように、あわよくばという気持ちが少しはあるからだ。


 アルベルトは魔界の王子であるというのに、いまだ婚約者すらいない。

 それに最近では王子らしい風格のようなものも付いてきて、魔族の女性たちの間では密かに好感度が急上昇しているのだ。

 アルベルトに目を留められれば……なんて考えを巡らせる者も最近ではさらに増えたように思える。


『……やっぱりこれも、セルイラ様のおかげなのかしら』


 ふと、メイドの一人がつぶやいた。

 周囲の者たちは、どういうことだと首をかしげる。


『セルイラ様って……案外容赦ないのよね。この間もアルベルト様を叱っていたし』

『し、叱る!? アルベルト様を!?』


 それぞれの顔が驚愕に染まる。

 これには後ろのほうで仕込みをしていた副料理長も信じられないという様子で振り返っていた。


『そんなに強く叱るというより……アルベルト様自身にご自分の行動を振り返らせて、諭されていたわ』

『え、え……さすがにアルベルト様も黙っていないんじゃ』

『それがどうして素直に聞いていたのよ。しかも体を縮こまらせて。あれは完全に親に叱られる子どもの様だったわ』

『……セ、セルイラ様って』


 ──何者?

 皆の考えがシンクロする。


 その時、厨房の戸を誰かが叩いた。


『失礼します。……ああ、休憩中?』


 入ってきたのは、ニケである。

 立場的に彼らの上司にあたるニケは、現在ミイシェとセルイラの世話役を勤めていた。

 どちらかというと、ミイシェに付いていることが多いようだ。


『ニケさん! お疲れ様ですっ』

『お疲れ様です、ニケさん』


 下っ端の者たちは、それぞれ挨拶をしていた。


『お疲れ様。副料理長……昨日お願いしたものを取りに来たのですが』

『おお、できてるよ』


 副料理長がニケに差し出したのは、皿一杯に盛られた焼き菓子だった。


『ありがとうございます』


 文句の付け所がない出来栄えに、ニケは満足そうに微笑んだ。

 そして一度テーブルの上に皿を置き、全種類を一つずつ別の皿に移し替えると、ニケは毒味を始めた。


『……え!? ニケさんが毒味をしているんですか!?』


 ニケの立場で毒味をするなんて普通ならありえないことだ。

 休憩中の使用人たちは、毒味をするニケの周りを囲むようにして近寄った。


『私がそうしたいからしてるだけ。魔王様からは許可を頂いているから』


 ニケは目を丸くさせる彼らに動じることなく、淡々と毒味を済ませている。


『あのう……ニケさん』


 おずおずと、メイドたちがニケに声をかけた。


『どうかしたの?』

『ええと、セルイラ様ってどんな方なんでしょうか?』

『……セラ様?』


 ニケはセルイラを、セラと呼ぶ。

 それは城にいる使用人のほとんどが把握していることだ。

 ニケの他に、魔王もそう呼んでいた。

 メルウ副官は呼んだり呼ばなかったりだが、おそらくセルイラの愛称なのだろうと皆が思っていた。


 だが、下っ端の使用人たちは知っている。

 セルイラを『セラ』と呼ぶ魔王を目にした、古参の魔族たちが、恐ろしく顔色を変えていたことに。


 ある情報通のメイドのひとりは、こんな話を耳にしていた。

 200年前、魔王は人間の少女との間に二人の子をもうけた。

 ひとりがアルベルト王子、ひとりがミイシェ王女である。

 そして二人の子を産んだ人間の少女。

 その者の名が──セラであったのだと。


『どんな方……』


 ニケはしばらく考え込むと、セルイラのことを思い出したのか、優しげな笑みを浮かべる。


『──私の言葉では、あの方を語るには足りないわ』


 それって結局、どんな方なのか分からないのでは。下っ端の使用人たちの考えがまたしてもシンクロしたが、誰も声には出さなかった。


 以前は、冷静沈着、笑わない、手厳しい、鉄の仮面を被った先輩。

 そんな印象ばかりあったニケが、こんな柔らかな表情を浮かべるようになった理由。

 それは間違いなく、セルイラが関係している。


 決して悪い意味ではなく、限りなく良い意味で。



 ニケが厨房を出て行ったあと、彼らはまたぽつぽつと言葉をこぼした。


『ニケさんて、あんな顔もするのね』

『ほんとほんと……なんて言うか』

『うん、あの』

『すげー可愛い……』


 ケルベロス世話係担当の青年が、ぽっと頬を赤く染めている。

 もともと可愛らしい顔立ちをしているニケだったが、これまでは容姿をとやかく言える雰囲気ではなかったのだ。


『えー……ニケさん可愛すぎんだろ。心の臓が痛い……』

『おいおいしっかりしろよ。とりあえず水でも飲め』


 料理人見習いの青年は、発作を起こしかけた友に水を渡した。


『……鼻の下伸びすぎでしょ』

『そうよ。あたしたちの先輩をなんて目で見てんの、気持ち悪い』


 その様子を白けた風にメイドたちは軽く非難する。


『王子にお熱なお前らには言われたくないね!』

『なんですって! あたしたちのはもっと純粋な気持ちよ! そんな鼻の下だって伸ばしてないわ!』

『まあまあ、落ち着いて』


 テーブルを挟んで言い合いを始めそうな勢いの彼らの前に、ことりと皿が置かれた。


『さっきの菓子のあまりだから、みんなで仲良く食べなさい』


 仲裁に入ってきたのは、副料理長である。

 ニケが持っていった焼き菓子の残りを、こうして分けてくれたのだ。


 副料理長にそう言われれば、下っ端たちは黙ってうなずくしかない。

 それぞれが思い思いに菓子を手に取り、もそもそと食べ始める。


『……まあ、あれよね』


 一番初めに魔王の話題を持ち出したメイドが、締め括るように言った。


『上の方々は色々と議論してるみたいだけど、あたしは今の魔王城が好きかな。初めはなんで人間がって思ったけど、セルイラ様……あたしたち下っ端にも気遣ってくれるとても素敵な方だし』


 それには全員が、首を縦にして同意した。


 難しいことは、下っ端の自分たちにはわかりようがない。

 だが、今はそれでいいと思った。



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― 新着の感想 ―
[一言] そりゃ事情を知らない下っ端はそうだろうなぁ… まさかセルイラが前王妃だなんて…(笑) そりゃノアールは溺愛するし、アルベルトは大人しく叱られるしミイシェは懐くわなww
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