57 色
心臓の鼓動が足先にまで伝わってくるようだ。
部屋を出て回廊を進むセルイラは、前を歩くメルウの後頭部を無意識に見つめている。
これからノアールにすべてを話す。今さら決意を覆す気は毛頭ないけれど、緊張で頭がどうにかなりそうだった。
こつ、こつ、と。セルイラとメルウの足音だけが周囲に響く。
転移の魔法を使えばあっという間だが、ここから談話室までの距離はそう遠くない。
メルウもセルイラの心情を察しているのか、落ち着かせるようにセルイラの歩幅に合わせて談話室に向かっていた。
(すぅ……はぁ……)
一度建物の外にある、数本の石柱が並ぶ短い渡り廊下に出た。
外の空気に触れ、息を吸っては吐いてを繰り返すセルイラに、前を歩くメルウが口を開いた。
「……セルイラ様」
「……?」
振り向いたメルウの顔は、いつになく硬い。
それを見ていたら、どういうわけかセルイラの気持ちが少しだけ楽になった。
「ふふ、メルウさん。すごい顔してる」
自分もメルウが振り返るまでは、同じような表情をしていたのだろうか。
そんな自分を想像してみると、不思議と頭が冷静になっていく。
「申し訳ございません。こんな時に、私がこのような状態では……」
「ううん。なんだか、ほっとしたの。ああ、あのメルウさんも緊張しているんだなって」
セルイラが微笑むと、メルウは度肝を抜かれたように目を開く。そして、セルイラと同じように笑んで見せた。
「あなたという人は……頼もしい限りですね」
「ふふ、嬉しい誉め言葉」
お互いが冗談めかして言ったあと、不意にセルイラは、石柱の間から瞬く夜空を見上げた。
ぽっかりと浮かんだ青白い月に目を奪われていると、ぐにゃりと景色が歪む。
二重になって見える月に、胸がぎくりとざわついた。
(あ、れ……目が)
セルイラは瞳をすぼめ、もう一度確かめてみる。
そこには、先ほどと変わりない丸み帯びた月が一つあるだけだった。
「セルイラ様」
「――あ、なに?」
「そろそろ、向かいましょう」
渡り廊下で立ち止まっていたセルイラに、数歩先を移動していたメルウが声を掛ける。
「そうね。急がないと――」
言い掛けたセルイラの声が、途中で止まる。
一瞬の激痛が、セルイラのこめかみに走ったのだ。
「……あの、メルウさん。ちょっとだけ、いい……」
待って欲しいという意味合いを込めて言ったセルイラに、目の色を変えてメルウが近寄ってくる。
月明かりに照らされたセルイラの血色は、あまりにも酷いものだった。
「どうされたのですか!?」
「大丈夫。大丈夫だから……それより、メルウさん。あの人の……ユダのことで聞きたいことがあるの」
「は、ユダですか……」
なぜ蒼い顔をして、唐突にセルイラがそんなことを言い出したのか、メルウには不自然で仕方がなかった。
(また、見えた……今度ははっきりと、ユダの顔)
今起こった激痛のあと、セルイラの脳裏に叩きつけられるような衝撃で浮かんできたのは、ユダの素顔だった。
魔王城のメイドの一人として偽っていた姿ではなく、おそらく本来の姿と思われるもの。
(どうしてこんな時に……っ)
むしろこんな時だからこそ、なのだろうか。
セルイラの頭の中に、より鮮明に、ユダの姿が思い起こされる。
濃いオリーブ色の長い髪と、企みが隠れた黄金の瞳。
その姿は、200年前――セラの意識を操りノアールの真名を聞き出した際、わずかに見えた女と全く同じ容姿だった。
(……あの人を目の前にしたとき、毎回変な引っかかりを覚えていた。でもまさか、そんなはず……)
セルイラの背筋に、冷たい緊張が走る。
「メルウさん。聞かなければいけないことがあるの。今、聞かないと……駄目な気がする」
「一体なにを……」
「……半魔を、知っている?」
その言葉に、メルウの顔がわずかに歪んだのを、セルイラは見逃さなかった。
「半魔の話をどちらで?」
メルウは捲し立てるように問いかける。
「ユージーン様が、昼間に言っていたの。わたしがね、その半魔なのかって」
「……」
短い無言のあとで、メルウは口を開いた。
「なぜ、ユージーンがそのようなことをセルイラ様に尋ねられたのか……。半魔とは、純粋な人間の身体を、術者の血と魔力、そして寿命を混じり合わせておこなう高度な魔法――いえ、いわば秘術です。魔界においてそれを成せる者は、ほんの一握りであり、魔力の性質上で確実に成功させられるのは、ただ一人だけです」
メルウの言いたいことが、セルイラには何となくだが分かってしまった。
人間を半魔にすることが可能なのは、魔族の中でももっとも力を有した存在――それが魔王なのだと。
秘術と表現をしているが、必ずしも隠し通さなければならない事柄ではないらしい。
だからこそユージーンが半魔の秘術を知っていること自体に問題があるわけではなかった。
メルウが気がかりだったのは、ユージーンがそれをセルイラに尋ねたこと。そしてこのタイミングで、セルイラがメルウにその話しを始めたことだ。
「わたしが他の花嫁候補の令嬢たちと違って、ミイシェやアルベルトに近づきすぎていたから、不思議に感じていたって……けど、なんだか引っかかっていたの」
ずっと引っかかっていたことが、ようやく腑に落ちた。
彼の髪は、とても似ている。
セルイラの記憶にある、あの髪の色と。
「たしかユージーン様は……母親が半魔だと、言ってた……」
「なん、ですって?」
「メルウさん、それってあり得ることなの? 半魔ということは、その儀式をしたことになるんでしょう? メルウさんの話の通りなら、ユージーン様の母親は、魔王に――」
言葉が出てこない。
可能性があるとするなら、簡単に絞られてしまうだろう。
「ノアール様では、ありません。あの方は、半魔の儀について存じてはおりました……。しかし、私の知る限りでは、実行せずに終わっています」
含みのある言い方に、セルイラは気になったが、今はそれどころではない。
「私も実際にこの目で見たわけではありません。ですが、秘術というものは、膨大な量の魔力を必要とします。もし魔王様がおこなえば、城中に魔力の圧が放たれ私を除いたとしてもニケやアルベルト様が瞬時に気づくはずです」
「じゃあ、誰か他の魔族が……魔王じゃないのだとしたら、偶然に他の魔族が……」
「……」
セルイラの言葉を遮るように、メルウは首を横に振る。
「つまり……どう、いう……え?」
セルイラは、混乱する思考を強引に落ち着かせた。
そして、考えを整理する。
ユージーンの母親は、人間であり、半魔だった。
メルウの説明によれば、半魔の儀式をおこない成功させられるのは、魔王のみ。
蘇りつつあるセルイラの記憶の中で、狂気じみたように微笑む、ユダ。
姿を偽っていたときの黒い髪と黄金の瞳ではなく、彼女の本来の色は、はっきりとしたオリーブの髪と、黄金の瞳。
(そう、それで……思い出して、わたしの意識を奪って、ノアールの真名を聞き出したとき、見えた本当のユダの姿は)
オリーブ色の髪に、垂れた目尻と、どこか色香をまとった、美しい女性。
"私の大切な人を殺しておいて、あんただけ幸せを感じるなんて許さない。絶対に。ノアール……あんたは一生、不幸であるべきよ"
――それが、ユダ。
(記憶の中でユダが言っていた、大切な人って。だとしたら、半魔の母親って……!)
間違いであって欲しいと思わずにはいられない。
しかし、セルイラが思い起こすユダの顔と、彼は、限りなく似ていたのだ。
「ユージーン様……」
その刹那。何の前触れもなく、セルイラの周辺を赤い炎のような光が包み込んだ。




