19 衝撃な事実と、衝撃な甘酸っぱい予感
静寂のままどれほどの時間が経っただろう。
まるで海の底にいるような、重く密度の濃い沈黙だった。
「……あの。メルウ、さん?」
それを先に破ったのは、セルイラである。
視線をがっちりと彼女に固定させて離さないメルウは、茫然としたさまを隠すことなく表に出していた。
すぐに受け入れられるとは思っていない。200年前に生きた人間の意思が、こうして新たな身体を持って生まれてきた。
水に溶けたはずの魂がこうして存在している。
それは世の思想から、完全に逸脱していた。
「あな、あなたは、死んだと、お聞きしました」
「……ええ、死んだわ」
死という言葉がとても重々しく、メルウの口から発せられる。セルイラはこくりと頷き返した。
セルイラを『セラ』と確信してくれたのかは分からない。だが、メルウは必死だった。
「私は、捜しました、セラ様を……しかし、セラ様の故郷の村は跡形もなく灰となっていた。焼け野原となったその地に、セラ様の姿は、どこにもなかったのです」
「そうよ、メルウさん。わたしは、絶望したの。帰る場所はどこにもなかった。弟たちが暮らしていた家も、周辺の建物も、すでに火に焼かれていたの」
セラに残されたのは、忘れられなかった記憶と、想像を絶する喪失。
ぽっかりと空いてしまった埋めようのない空白に、耐えることができなかった。
「メルウさん。あなたが捜しても見つからなかったのは無理ないわ。その時にはもう──わたしは、海の中で死んでいたと思うから」
「……ご自分から、命を、お断ちになったと?」
とても静かではあるけれど、こんなに狼狽するメルウをセルイラは初めて見た気がする。
落ち着かせるように片手で顔を覆い隠し、指の隙間からのぞかせたメルウの眉間にはくっきりと皺が刻まれていた。
「ごめんなさい、メルウさん」
「……。なぜ、謝るのですか」
ゆっくりと、メルウは顔をあげる。
「あなたには、本当にお世話になったから。人間で、何も分からなくて、初め周囲の目も優しいとは言えなかった城内で、メルウさんには助けられてばかりだった。それなのに、なんの恩も返せなかった」
うつむいたセルイラは、あの頃とは比べ物にならないくらい、寂寥を背負っている。
彼女はどれだけの厭世の淵に立たされたのだろう。どんな思いを抱えて死ねば、こうも相手に哀愁を感じさせることができてしまうのだろう。
個人が感じる思いなど、その人だけにしか分かりようがない。
だが、これでメルウは確信を持つことができた。
「──恩ならば、あの頃すでに頂いていたというのに」
メルウが何かを呟いたが、セルイラの耳には届かなかった。
瞬きを落として再びセルイラがメルウを見ると、彼は真剣な眼差しを一心に向けている。
「本当に、セラ様なのですね」
「証明できるものと言ったら、覚えている記憶だけではあるけれど。わたしはセラで、セラだったわ」
「……では、二つほどお聞かせください」
なあに、とセルイラは首を傾げ、メルウの言葉を待った。
「──あなたは200年前、魔王様を裏切ったのですか?」
「はあ!?」
こんなに荒々しく声を出したのは久しぶりであった。
牢の中だということもあり声量を抑えていたセルイラであったが、考えもしなかった問いに身を乗り出して反応してしまう。
「裏切ったって、わたしが、あの人を?」
わなわなと震えるセルイラの動きを、メルウはしっかりと確認しているようだった。
「……違うのですね」
「違う!」
ほとんど食い気味にセルイラは声を出す。ふっと肩の力を抜いたメルウは、訳が分からずにいるセルイラに笑みをたたえて言った。
「ありがとうございます。これで、心が決まりました」
「どういう、ことなの?」
「申し訳ございません。しばしの間、ご猶予を。必ず、必ず、お伝え致します──」
どうか、と深々に頭を下げられる。とても綺麗とは言えない牢の冷たい床。セルイラは額を擦りつけそうな勢いのメルウを前にぐっと堪えた。
(メルウさんが、ここまでするなんて)
セルイラには、メルウの頼みを聞き入れずに無視することなど出来はしなかった。
「わかったわ。だからメルウさん、どうか顔をあげて。お願いだから」
今さらながらセルイラは自分の状況を思い出した。不敬罪で牢屋に入れられた人間の女に、魔王の副官が頭を下げているところなど見られるのはまずい。
「わたしもまだ、頭が追いついていない部分もあるの。だからお互い、整理しましょう」
そうしてセルイラは慣れきった作り笑顔を浮かべた。
その場に膝をついたメルウに、早く立つように促すが、彼はまだ根っこを生やしたように動かない。
「メルウさん?」
「もうひとつ、お聞きしたいことが」
「……あ、そうだったわね」
一つ目の衝撃が強すぎたおかげで半分忘れかけていた。確かにメルウは二つ聞きたいことがあると言っていたのに。
「一つ目の問いの答え次第で、聞くか聞くまいか判断をつけておりました。だからこそ、今のあなたにお聞きしたい」
「なにを……?」
「セラ様──いえ、セルイラ様。今のあなたは、魔王様のことを……想っておられますか?」
メルウの縋るような両の眼。夕餉の間での、魔王ノアールの横顔が脳裏をかすめた。
「──」
息がつまり、わずかにセルイラはたじろぐ。
「わたしは、魔王にとってもう用済みだったの。何に変えても守りたかったあの子たちにすら、最後はまともに触れられなかった」
そう、すべてを返すと言われた。なんの理由も聞かされないまま、ただ一方的に。
「それなのに、懲りもせずあの人を想うなんて、愚かで馬鹿なこと──そこまでわたしは、惨めになりたくないわ」
(……セラ様、それは)
絞り出したセルイラの思いは、まるで自身に言い聞かせているように、メルウには聞こえた。
◆
『──メルウ! ここにいるんだろ!』
足音が聞こえる。階段を降りてくる軽快な音は、だんだんと大きくなっていた。
すぐにセルイラとメルウは、足音の主が誰なのかに気がつく。話の途中ではあったが、一度切り上げるしかない。
メルウは素早く牢屋の外に出て施錠をし、セルイラは椅子に座り直して背筋を伸ばした。
『アルベルト様、なぜこちらに?』
メルウが紳士的な笑顔を向けた相手は、夕餉の間のときよりも一層に軽装となったアルベルトだ。
『……お、お前がいつまで経っても戻ってこねーから、わざわざ迎えに来てやったんだろ』
『ほう──』
鉄格子越しでセルイラからは全部が見えるわけではないが、メルウが訝しげに目を細めたことに気がついた。
ガシガシと頭の裏を掻きながら説明するアルベルトは、歩みを緩めてその場に立ち止まる。
メルウがいた場所が、セルイラの入る牢だとようやく知ったアルベルトは、面白そうに口角を吊り上げた。
『お前は……許可もなく父さんに近づいた女だったな。ほかの女たちに比べて威勢のいい顔をしていたが、あれはなんだったんだ? まさか、色香にでもやられたか?』
魔王との接触のことを尋ねられセルイラは考えあぐねる。
(そういえば、魔界語が理解できるってメルウさんに教えていなかった。……答えても問題ないかしら)
ニケと、通りがかりに絡んできたメイドにだって知られている。
頑なに隠し通そうとしていたわけでもないので、ここで二人に知られたとして不利になるようなことはないのではと、セルイラは口を開いた。
『色香にやられたなんて、変なこと言わないで』
『……!』
『……? なんだ、お前。魔界語が話せんのか?』
アルベルトはもちろん、メルウまで目を丸くしている。
まじまじと鉄格子の間からセルイラを眺めるアルベルト。その横にいるメルウをちらりと見ると、微弱ながらセルイラに向けてぱくぱくと口を動かしていた。
(……まだ、アルベルトには、内密?)
つまり自分がセラとして、母親の心を持っていることを隠して欲しいということ。
(アルベルトにも言いたいことは山積みなんだけれど、ここはそうしておこう)
ひとまずセルイラは、メルウの意向に沿おうと決めた。
『魔界語は、どこで習得されたのですか』
『それは……城の書庫にある文献で……』
『……あとでもう一度、詳しい話を聞くことにいたしましょう。それで、アルベルト様』
『なんだよ?』
標的をさりげなくアルベルトに変更したメルウは、ゆったりと首を傾ける。
『なぜ、このような場所に、アルベルト様が直々にいらっしゃったのか。とても気になるのですが』
『だから、お前を探しに──』
『いつもなら衛兵をお使いになっている、あなたがですか?』
早口のメルウに、どういうわけかアルベルトの視線が斜め上を向いた。
セルイラから見てもアルベルトの挙動はどこか不自然である。
ちらちらと、別の牢に目を向けているような──とにかく変だ。
『……あの女。名前はなんて言うんだよ』
我慢ならなかったアルベルトは、メルウからぷいっと顔を逸らした。逸らした方向はセルイラのいる牢屋側で、鉄格子の隙間にある顔が動揺している。
『女とは、どなたのことで?』
『決まってんだろ! 俺様の顔に一発入れた、い、イカれた女のことだ!』
(それって、アメリーのことじゃない?)
セルイラはすぐに分かった。メルウも誰のことか理解してはいるが、今までセルイラと話をしていたのでアメリアの牢にはまだ向かっていない。
真名の確認もしていないので、アルベルトに教えられなかった。
『……アメリアが、なにか?』
王子に手をあげたなら、セルイラやサリー令嬢よりも罪は重い。魔王に触ったセルイラも罪になるが、アメリアは叩いてしまっている。
そんな彼女の処遇が心配になりセルイラは尋ねた。
『……アメリア? あ、あの、無礼な女の名前か?』
そうであると、セルイラは首を縦に振る。もはやセルイラが魔界語を喋れたことなどアルベルトの中では二の次になっているようだ。
『ふん、アメリア……アメリアな。あの女にピッタリなくらいパッとしない名前だな! はははは!』
『……アルベルト様?』
仁王立ちを決め込み、腕を組んで高笑いをするアルベルト。
わざとらし過ぎてセルイラとメルウは密かに顔を合わせた。
(……ん? わたしの気のせい?)
地下牢の壁にある行灯の光を浴びたアルベルトの左右の頬が、ほんのりとだが色づいている。
アメリアに平手打ちされたのは左頬なので、万が一に腫れていたとしても付くのは左のみだ。
(いやいや、まさか)
そわそわした様子のアルベルトの姿が幻ではないかと、セルイラは何度も瞬きを落とす。
だが、やはり変わらずそこにいるのは、控えめながらも顔を赤く染めたアルベルトだった。
とてつもなく既視感を覚える。セルイラの可愛い妹──チェルシーが、婚約者であるレオルのことを思い出して話をするときの様子と。
(いや、そんなまさか。だってそれなら、きっかけがよく分からないもの。え? ええ──!?)
状況が理解できないセルイラは、自分と同じような顔をしたメルウと再度顔を合わせるはめになった。
ありがとうございました!
やっとじわじわコミカル要素。




